第3話 キックオフ

「高見沢さん、ちょっといい、私ねえ、丹波まったけのダイエット・グルメも良いけど、このプロジェクトを組む前に、信長が地下道に眠っているという本能寺に行ってみたいわ。まずは現地を確認したいの、だからお願い、今から連れて行って下さらない」

 夏木奈美も徐々に熱が入ってきた。


「そりゃあ当然の話しだね。大事を起こすにあたっては、まずは現地を見ておきたいよなあ。本能寺の変で焼けた後、秀吉が御池寺町通下おいけてらまちさがルの方へ寺を移したのだけど、その新しい本能寺じゃなくて、光秀が攻め入った元本能寺のあった場所に連れて行ってあげるよ」

「だけど、この世紀のミステリー、私、ハマリそうだわ」

 奈美が今その豊かな胸をときめかせている。それが高見沢に伝わってくる。湧いてくる好奇心と興味をもう抑えられない様子。二人は急遽元本能寺を訪ねることとした。


 南禅寺山門前に待つタクシーに乗り込み、高見沢は運転手に、「元の本能寺の跡地に行ってくれない」と告げた。しかし意外にも、「お客さん、元の本能寺ってどこにあるんですか?」と尋ね返してきた。

 日本の歴史を大きく変えた本能寺の変。その本能寺が一体どこにあったのか、地元のタクシーの運転手さんさえも知らない。

 テレビドラマや映画で本能寺の変のシーンをよく観る。しかし、400年以上前に実際に起こった現実の場所は、世の中からは忘れ去られてしまっているのだろうか。

「あのね運転手さん、憶えておいてね、四条油小路しじょうあぶらこうじを少し上がった所に、本能寺はあったんだよ。そこへ行ってくれはる」

「へえ、そんなとこにあったんでっか、えらい町中でんなあ」と運転手が驚く。

 タクシーは高見沢がナビするままに走り、そして二人は四条油小路で降りた。そしてそれから100メートルほど北へと歩き進んだ。


「ねえ高見沢さん、この辺りが本能寺のあったところなの? いっぱい民家が建っているし、どう表現したら良いのかなあ、生活の匂いが充満していて、言葉が出てこないわ。ふうん、この辺りで本能寺の変が起こったのね」

 奈美は、今自分が立っている場所こそが戦国の世を大きく変えた所、しかしその出来事の重さとそこにある風景のちぐはぐさで、摩訶不思議な気分となっている。また一方、高見沢も変ちくりんな心持ちとなる。

「そうなんだよなあ、奈美ちゃん、ちょっと不可解かな。だけど事実として、この辺りに本能寺があったんだよ。東西140メートル、南北270メートルの広さがあったと言われているんだよ。ここに漂う1582年6月2日未明の気配を感じたら良いよ、こここそが、49歳の信長が非業の死を遂げた、生涯最後の地なんだよなあ」


 奈美は高見沢の説明をじっと聞いている。そして、まるで440年前にタイムスリップしたかのように、あの事件の朝の緊張を全身で感じ、それを吸い取っている。

「ところで、この空地は何なの?」

 奈美が突然訊いてきた。

「この空き地はね、この間まで小学校があって、少子化で今は廃校になってしまったんだよ。それで単に更地に戻してあるだけだと思うよ」と、高見沢は淡々と答えた。

 そして空地の角には、「此付近本能寺址」という石の標識がぽつんと立っているだけ。そんな淡白さが余計に二人の脳を刺激する。

「ふーん、そうなんだ、ここが明智の軍勢1万3千が攻め入った所なのね。今は誰も気付かないような、何と言ったら良いのかなあ、こんな日常的な所にあったんだわ。それで高見沢さんの説によると、この辺の地下のどこかに、織田信長の遺体が今も眠っているのね。もしそれが本当なら、スゴイわ」


 奈美は本能寺の跡地に立つ興奮で少し上気している。そのせいか、白い肌がほのかに紅い。

 高見沢は、「本能寺の変の現場を散策する東京現代美人、見映みばえのする風景だなあ。信長もきっと大喜びのことだろう」と、関西風思考で興味津々に並んで歩く。そして奈美は、自分の感情を直接的に表現してくる。

「これってやっぱり感動ね。未明の奇襲を受け、地下道に逃げ、そこからを新たな出発点として国王になり、その上に神になるつもりだった織田信長、その無念さを思うと……、本当に私、決心しました。織田信長株価上昇プロジェクトに、パートナーとして参画することにするわ」

 奈美は遂にそう言い切った。そして、すっきりとした表情となる。


「さすが奈美ちゃん、理解度抜群だね、ありがとう。この時空を超えてのプロジェクト、信長の遺体を発掘し、DNAを抽出する。そしてクローン信長を誕生させて、その持てる情熱とパワーで、日本の改革をもう一度やってもらおうぜ」

 これに「ハッピー、ハッピー、レッツゴー!」と、奈美から合いの手が入る。それにまた高見沢は乗せられて叫び出す。

「日経平均3万円の達成だ! これで塩漬け株も大暴騰、奈美ちゃんには、贅沢三昧ぜいたくざんまいの生活が保証されること間違いなしでーす、それに俺の老後も、ぱあっと花が咲く、ワーイワーイ、万々歳!」


 高見沢には、将来に大きく夢が開けたのか満面の笑みが零れ落ちる。ホント単純なやっちゃ。

 横にいる奈美ちゃんも同類なのだろうか、明るい顔で、「へへへーん」と笑っている。そして、「さてさて、私が具体的にするお仕事は、なーに?」と、奈美が質問をしてきた。高見沢にはもう躊躇ちゅうちょはない。


「まず奈美ちゃんには、得意分野で頑張ってもらおう。さっきも言ったように資金を集めるために、信長株価上昇ファンドをオープンさせてくれるか。それで奈美ちゃんの信用で、1億円を目標額として、キャッシュを生み出して欲しいんだ」

 奈美もやると決めた以上、勢いが付いてきた。

「頑張ってみるわ、それで集めたお金で、どうするの?」

 今奈美は燃えているし、高見沢はもっと燃え上がっている。高見沢はより現実的な行動について目を輝かせて話す。

「この辺りの土地を、まず買って欲しいんだよ。いいか、俺の方は実行部隊、その土地からどんどん掘り下げて行き、地下道にある遺骨を発掘する」


「それで、その肝心な地下道はどこにあるのかわかってるの?」

 奈美の興味に歯止めが掛からない。高見沢は、なにを今さらそんなことを訊くのか、という風な顔をする。

「当然調査済みさ。本能寺からの地下道は2本あったんだよ、その一つは西方向へ、それは八町(900メートル)先の息子・信忠26歳のいた二条御所へと延びていたんだよ。そしてもう一つが、まだ発見されていないのだけど、東の南蛮寺方向への地下道だよ。だけど世間の推測は、現実に二条御所で地下蔵が発見されているものだから、二条御所への西向きの地下道なんだよなあ」


 奈美はパートナーとして、こんな夢物語のような状況にあっても、めるところはきっちりと締めておきたい。そう思ったのか、「地下道は2本あったとして、資金にも限りがあるし、高見沢さん、どちらか一つを掘るんでしょ。それで、どっちのつもりなの?」と、しっかりと確認してくる。

「奈美ちゃん、ここは賭けなんだけど、俺は朝駆けがあった時、信長は敵を欺(あざむ)き、息子への道を選ばず東へと。つまり南蛮寺方向へと逃げたと信じてる、だから俺は常識を破って、南蛮寺目掛けて掘って行くよ。いいか、お金は奈美ちゃん、発掘の肉体労働は俺、これがとりあえずの二人の役割分担だね」


 随分と目論みが上擦った話しだ。しかし奈美ももう覚悟を決めている。

「これ冒険ベンチャーね、了解したわ。日経平均3万円の達成を目指して、キックオフしましょ」

「ヨッシャー! 我々のプロジェクト『信長よ、蘇生せよ、この悲観の中に』、その成功を祈念して、信長も光秀も食べた丹波焼きまったけを肴に、伏見の生一本で乾杯と行くか」

「そうしましょう!」

 高見沢も奈美も、ここにとんでもない大きな決心をしてしまった。

 しかし、そんな二人の顔にはもう迷いはない。

 無限高の青空相場。その夢に二人とも興奮している。


 こうして織田信長株価上昇プロジェクトは、ただのオッチャンサラリーマンの高見沢一郎と渋谷の証券会社キャリアウーマンの夏木奈美、この二人でスタートすることとなったのだ。


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