第2話 本能寺の変

 時は1582年(天正10年)6月2日。その未明に本能寺の変が起こった。

 明智光秀はなぜ突然に信長を襲ったのだろうか? 今もって謎とされている。

 光秀の謀反。そこにはいくつかの説がある。

 野望説/怨恨えんこん説/足利義昭陰謀説/朝廷陰謀説等。


 織田信長の野望は天下統一。公家、朝廷を排除し、京の都を武力で抑え込む。そして自分が国王となり神となる。これを実現しようと強い意思を持つ信長だった。

 そして、そのために果たして行くべきミッションは、天下布武てんかふぶ

 しかし、それを国家天下のためには良しとしない明智光秀。光秀はあくまでも天皇に忠義をつくそう。そのためには天下布武を標榜する信長を暗殺するしかないと決心したのだ。


 振り返ってみれば、信長は5月15日から17日までの3日間、徳川家康を安土あづち城に招待していた。そして、その世話役を光秀に指示していた。

 しかし5月16日に、信長は光秀に急遽きゅうきょ中国出陣を命じた。中国毛利家を水攻めしている秀吉の援護をするためだ。

 光秀はそのための準備にと近江坂本城に5月17日に入り、その後5月26日に亀山城に入った。


 ここに17日から26日までの10日間の空白がある。

 明智光秀の行動は、その間全くの不明。光秀は一体どこで何をしていたのだろうか?

 それは多分、深い不安の中の正親町おうぎまち天皇、つまり京の朝廷、公家と密会し、信長の天下布武がいよいよ本気であると確認し合っていたのではないだろうか?

 きっと信長暗殺の計画の最後の擦り合わせをしていたのだろう。そして、5月28日。それは本能寺の変の3日前のことだった。


 京都嵯峨野の奥に愛宕山あたごやまがある。そこは軍の神を祭る霊場。その愛宕権現に光秀は詣で、連歌会を催して十五歌を詠んだ。

 これが有名な愛宕百韻あたごひゃくいん。その初句は光秀の歌。

「時は今 雨がしたしる 五月哉」


 光秀はもともと朝廷を守る将軍・足利義昭、その幕臣の土岐源氏の流れだ。

 この初句の意味の解釈は様々あるが、「土岐」氏出身の光秀自身を「時」と掛けた。そして、「天が下知る」を「雨が下しる」と掛けた。

 要は、「天が下」は天下であり、「知る」は支配のこと。すなわち、「光秀自身が天下を治める五月かな」という解釈ができ、それが一般的だ。

 光秀はこの句によって、信長に対しての謀反の堅い決意を、関係者に暗に表明をしたのだ。


 一方信長は一体どうだっただろうか?

 実は信長は、光秀に謀反の計画があることを以前より闇の情報ですでに見抜いていた。そして、かねてよりの天下布武の遂行を企て、機が熟すのをじっと待っていた。

 つまるところ、光秀に謀反を起こさせ、それに乗じて反撃に出る。そしてその機に一気に朝廷を壊滅させてしまう。そんな作戦をずっと練ってきていたのだ。


 信長の下には、光秀が朝廷、公家と接触をはかっていること。そして愛宕百韻で、「時は今 雨が下しる 五月哉」と詠み、謀反を決意したことなどの情報が持ち込まれていた。

 信長は全部を見透かしていたのだ。

 それもそのはず、天下布武のため、どこかの時点で光秀が自ら謀反を起こすようにずっと仕向けてきていたのだ。

 光秀による謀反は必ずあると信長は確信していた。その時こそ、天下布武の実行のチャンスと虎視眈々こしたんたんと狙っていた。


 信長は、光秀の宣戦布告にも近い決意表明、「時は今 雨が下しる 五月哉」を知り、天下布武実行の機はきたと直感した。

 そのためなのか、その日、信長は公家衆を招いて茶会を催した。そして、共の数は10数名という考えられぬ少人数で、本能寺の寝所に入り、光秀をおびき出すこととした。


 信長にとっても、人生一番の大勝負。自らおとりとなり、光秀に本能寺を攻めさせる魂胆なのだ。

 信長の策略は地下道を通って南蛮寺へと抜け、まずは姿をくらますこと。そして即座に安土に引き返し、兵を興し、一気に光秀を攻める。そしてそれに乗じ、謀反に荷担した公家、朝廷を徹底的に壊滅させてしまうという謀略だった。


 6月1日の夜。

 旗印は水色桔梗。遂に明智光秀が動いた。

 亀山城から、表向きには中国攻め援護のための出陣だったが、突如光秀は「敵は本能寺にあり」と命を下し、方向を変えて老ノ坂おいのさかを越えた。

 明けて6月2日未明。信長を襲撃。

 これが世に言う本能寺の変。


 すべては明智光秀の決意のままであったし、また織田信長の筋書き通りでもあった。

 光秀の軍勢は、予想以上の1万3千の大軍。

 それに比べ、信長の警護の人数はたったの100人程度。まともに当れば、この陣容じゃとてもかなわない。しかし、さっさと地下道へと姿をくらましてしまえばなんともない。


 だが歴史は気まぐれに動いて行くものなのか、信長にとって思わぬ出来事が起こってしまった。

 それは本能寺に放たれた火が火薬に引火し爆発した。そして、信長は地下道を通って南蛮寺へと抜けるつもりが、なんとその爆風で地下道が崩れるという不運に出くわしてしまったのだ。

 地下道を走り抜ける信長に、土石が覆い被さってくる。無念にも通路が塞がってしまった。

 こうして信長は、二度と発見されることもなく、今も本能寺の地下に眠っていることになってしまったのだ。


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