第3話 異世界に転生したんだが、もう俺は限界かもしれない
昨日は散々な一日だった。
屋台のオヤジに給金をピンハネされ、ミジンコみたいな収入で得た食料も、クソガキ共に強奪された。靴も盗まれた。
殴られた後頭部は、怪我自体は浅かったものの、出血がヒドかった。
おかげでシャツとズボンが真っ赤に染まり、チェーンソー男もびっくりのサイコルックだ。
今日は朝から仕事を探しているが、例外なく拒否られている。
まあ、当たり前だな。
店先に血塗れの子供なんかいたら、
もちろん血を落とそうと努力はした。
でも麻の茎の皮で織ったシャツは水分が染み込みやすく、オマケに古びて毛羽立っていたため、血が芯まで染み込んでいた。
ゴシゴシこすり合わせても、ちっとも綺麗になりゃしない。それどころか生地が傷むばかりで、完全にお手上げだった。
そんなわけで現在、俺は非常に困っている。実に困っている。
ロダンの『考える人』みたいに、眉間を指で押さえながら通りを歩く。
この困難な状況を打開するためには、普通のやり方ではダメだ。目の醒めるような革新的な手法が必要だ。
「おい、危ねえな!」
ナルシズムに浸って格好つけてたら、前方不注意で誰かにぶつかった。
尻餅をついたまま見上げると、二人の冒険者らしき男たちが立っていた。
一人は筋肉質で背が低く、もう一人は痩せぎすで背が高かった。いずれも軽装で、腰には安っぽい剣を帯びている。
剣を。
マジもんの剣を。
それを見た瞬間、俺は額を地面にこすりつけていた。
「ごめんなさいっ!」
衆人環視の中での土下座。
何事かと、否応なく注目が集まる。この反応は男たちも想定外だったのか、気まずそうに顔を見合わせた。
効果は抜群。ひとまず毒気は抜けたようだ。
え、プライドはないのかって?
そんなもん、犬にでもくれてやれ。命の方がずっと大事だ。
「ま、まあ、分かりゃいいんだ。次からは気をつけろよな」
ガチムチ男は、ポリポリ頬をかきながら、俺の腕をつかんで立たせてくれた。
「はい、気をつけます! 本当にごめんなさい!」
俺は直角に腰を折ってお辞儀をする。
すると男たちはひきつった表情を浮かべた。
俺が謝る毎に、男たちが追い詰められる、という不思議な構図。すっかり攻守が入れ替わっていた。おおむね計画通り、後はこの場からトンズラこくだけだ。
「それじゃあ、俺はこれで・・・」
そそくさとフェードアウトしようとする。
が、何故かノッポ男に呼び止められてしまった。ガチムチ男が怪訝そうな目を相方に向けた。
「おい、デュボン。どういうつもりだよ?」
「いや、ちょうど良いんじゃないかと思ってな。さっきアンソールも、『安全マージンはとりたい』と言ってたろう? コイツにしよう」
「ちょっとガキすぎないか?」
「年は関係ない」
「まあ、それもそうか」
二人で勝手に話し合い、勝手に納得すると、アンソールと呼ばれたガチムチ男が、俺に視線を向けてきた。
「なあ、ガキ。お前、孤児だろう? 小遣いが欲しくないか?」
「それって俺に仕事をくれるってこと?」
「そうだ。見ての通り俺たちは冒険者なんだが、二人だけだと、どうしても隙ができてな。できれば雑用を任せられる人間を雇いたいと思っていたんだ」
「もちろん、戦わずに後をついてくるだけで良い。何事もなければ、荷物を運んで戻ってくるだけの簡単な仕事だ。どうする?」
そう言ってデュボンというノッポ男に問いかけられた。
当然、俺の答えは初めから決まっている。
「是非やらせて!」
二つ返事で頷いた。
すでにアンソールたちは、依頼を受けていたので、このまま近辺の森に行くことになった。
内容はゴブリンの討伐だ。連中は繁殖力が強いので、定期的に間引かないとならない。
魔物としては最弱の部類だけど、数が増えると凶暴になって、馬車や放牧中の家畜を襲ったりするのだ。
群集相のバッタみたいな奴らである。
俺は空の麻袋をもって雇い主たちの後をくっついて行く。
目抜き通りを抜けて門までくると、兵士に通行税を求められた。
アンソールとデュボンは銀色のタグを見せた後、兵士に数枚の大銅貨を渡していた。
ソマルナ王国の冒険者は、星の数によってランク分けされており、格に応じた優遇を受けることが出来る。
下は無刻印から、上は四つ星までの五段階評価で、関所などにおける税の減額や免除は、その典型だった。
ちなアンソールたちのタグは見せてもらえなかった。察しろ、ということらしい。俺の分は必要経費として落ちた。
フューネンの防壁の周りには、畑や牧草地がカーペットみたいに広がっていた。ここで収穫されたものが都市内で流通するのだ。
今年も天候に恵まれず、気まぐれな大地はその実りを出し渋っている。いずれの作物も数は少なく、小振りだった。
とはいえ食い物である。
すぐ目の前に食い物がある。
生でも良いから食いたい。
ちょっとくらいなら、バレないんじゃないか?
そんなことを考えていたら、鍬を持った農夫たちが俺を睨みつけていた。
前を歩いていたデュボンからも釘を刺される。
「分かってるだろうが、畑のものには手を出すなよ」
「それなら何か食わせてよ」
「報酬を受け取った後に自分で買え」
「そんな殺生な・・・」
ダメもとでおねだりしてみるが、とりつく島もなかった。
概してノーマスの住人たちは、子供に対してもシビアだ。つーか子供って概念がないのである。小さい未熟な大人、くらいにしか考えていない。
つまり、か弱い子供が苦労していても、それは力のない手前が悪いってこと。
「いいか、僕たちといる間は問題は起こすなよ」
デュボンは再度、念を押すように言った。
まあ、言われなくてもしないけどな。
他の国は知らんが、少なくともソマルナ王国では窃盗は重罪だ。
バレると身体に入れ墨を刺され、棒で打たれたり、奴隷に落とされたりする。被害者から
そのくせ
誘惑と戦いながら三十分ほど歩き、森が見えてきたところで街道を外れた。
俺の背丈ほどもある雑草をかき分け、冒険者たちが踏み固めた獣道をたどる。
「ここからは警戒しながら狩り場に向かう。ジュールス、お前は俺たちの荷物を持ってついてこい」
森に入ると、二人からズダ袋を預けられた。
剣を抜いたアンソールが先頭を歩き、俺を挟んで、同じく剣を抜いたデュボンが最後尾だ。
前後を刃物男たちにサンドイッチされ、心強いような恐ろしいような、複雑な心境になる。
この辺りの植生は常緑広葉樹が中心なので、秋になっても葉が落ちることなく頭上を覆っていた。
そのため日差しが遮られて、まだ昼間だというのに薄暗い。
やがて開けた場所に出ると、アンソールのズダ袋を開けるよう指示された。中に入っていたのは鈴のついた糸だった。
「コイツを周囲に張り巡らせておけば、奇襲を受けるリスクを減らせるんだ。賢いだろ? 俺が考えたんだぜ」
アンソールは得意げな表情を浮かべて言った。
要するに鳴子らしい。三人で手分けしながら鳴子を設置していく。
それが済むと今度はデュボンのズダ袋を開けた。こっちには最低限の水や食料が入っていたが、それとは別に厳重に封じられた水袋を見つけた。
「何これ?」
「撒き餌に使うヤギの血だ。臭いで魔物をおびき寄せる」
俺が尋ねるとデュボンが簡単に説明してくれた。
出血しているということは怪我をしているということで、弱った獲物は魔物に狙われやすい。そこを逆手に取ったトラップだそうだ。
特にゴブリンなど食物連鎖の下層にいる魔物は、タンパク質を補給できる機会が少ないため、面白いように引っかかるらしい。
「それなら高いところに巻けば、遠くまで臭いが届くんじゃない?」
「冴えてるな。ガキにしては良い案だ」
思いつきを口にすると、デュボンに背中を叩かれた。
俺はデュボンの指示に従いながら、ブナ科の若木にヤギの血を振りかけていく。
枝葉から血の滴る常緑樹。
・・・うん、シュールだな。
水袋が空になる頃には、一帯に血の臭いが立ちこめていた。明らかにキャパオーバーの臭気が鼻孔に充満し、頭がクラクラしてくる。
「後はゴブリンが来るのを待つだけだな」
アンソールに誘導されて、俺たちは大木の陰に身を潜めた。ちょうど風下からやってきた獲物を側面から襲える位置取りだ。
根気強く待ち続けると、やがて三つの小さな人影がやってきた。体毛のない老人を子供サイズに圧縮し、緑のインクでペイントしたような姿。
「ゴブリンだ」
アンソールが小さな声でささやいた。ゴブリンたちは血濡れの若木を見つけると、その周りをウロウロ歩き始めた。
弱った獲物を探しているようだが、
しばらくするとゴブリンたちも無駄足を悟ったのか、ヒステリックに騒ぎ出した。手にした短い棍棒で、メチャクチャに若木を殴りつけている。
「
アンソールは小声で呟き、足音を忍ばせながら物陰を出た。
「俺たちが呼ぶまで、お前はここで待機だ」
デュボンも俺を一瞥してから、その後に続いた。
俺は言われた通り、大人しく見物させてもらうことにする。
念のため近くに転がっていた木の枝を拾って装備した。ヒノキの棒だって武器にカウントされるんだから、これだって似たようなもんだろう。心持ち強さが1くらい上がったような気がした。
アンソールは慎重に距離を詰めると、ゴブリンまであと数メートルというところで走り出した。
勢いそのままに剣を振り下ろし、手前にいたゴブリンを袈裟懸けに切り捨てる。返す刀で、その隣にいた二匹目の首を跳ねた。
少し遅れてやってきたデュボンも、最後のゴブリンの心臓を貫く。
あっという間の出来事だった。
「他にはいねえな」
「よし、ジュールス、討伐証明部位を集めろ」
「はい!」
デュボンに呼ばれ、俺は急いで駆けつける。
二人は剣を振って血のりを払うと、すぐに周囲の警戒を始めた。
やるべきことを淡々とこなしていく姿は、何ていうかカッチョイイ。ひょっとしたらこの二人、メチャメチャ強いんじゃないか?
俺は手渡されたナイフを使って、ゴブリンたちの右耳を切り取っていく。
青黒い血が手について気持ち悪いが、泣き言は言うまい。この二人の前で、そんな情けない所は見せたくなかった。
はぎ取った耳は麻袋にしまった。粗い目の隙間から血が滴って、軽くホラーだ。
その後も、風向きが変わる度に位置を変えながら待ち伏せし、全部で十九匹のゴブリンをしとめた。
多いときは五匹の集団が現れたりもしたが、二人は危なげなく始末していた。
ゴブリンは力が弱いので、数がそろってもそれほど問題ではないそうだ。それよりも物陰からの奇襲で一撃もらう方が、よっぽど危険らしい。
今回は見通しの良い狩り場だったので、二人は好き放題ジェノサイドしていた。ノーマスには魔物愛護団体なんてないから訴えられる心配もない。
「終わりました」
俺は最後の集団の耳を回収し終えると、アンソールに報告した。大漁大漁。麻袋は耳でいっぱいだ。
「よし。糸と鈴を回収したら、帰って飯にするぞ」
「ゴブリンの死体は焼かなくていいの?」
放置してそのままにすると、伝染病とかの温床になるんじゃないか? ここはフューネンからそれほど遠くない。自分たちが原因で疫病が流行ったなんて、冗談にしても笑えない。
「大丈夫だ。掃除屋が片づけてくれる」
「掃除屋?」
初めて聞く単語に俺が首を傾げると、デュボンが簡潔に教えてくれた。
「スライムのことだ。奴らは死肉を好んで漁る」
スライムは核をゼリー状の肉体に包まれた魔物で、大陸中に分布しているありふれた魔物らしい。
基本的には大人しい性格で、人を襲うことは滅多になく、昆虫や小動物を補食しているそうだ。某ビッグタイトルのスライムみたいに、目や口はないみたいだ。
「ガキのくせに心配性だな、お前は」
アンソールは呆れたように苦笑を浮かべて言った。
「すいません」
ここは素直に謝っておく。確かに素人の俺がプロに口出しするなんて、生意気も良いところだ。反省しよう。
「まあ、気にするな」
そういってアンソールが歩き出す。デュボンにも無言で肩を叩かれた。
良い人たちだなあ。
そう思って俺も鳴子の回収に向かおうとすると、不意に二人が立ち止まった。
「どうかしたの?」
「黙ってろ」
小さいが、有無を言わせぬ声でデュボンに命じられる。
口を閉じて耳を澄ませると、澄んだ鈴の音が聞こえてきた。
「クソったれ、今日はもう働く気分じゃねえんだよ」
「付近のゴブリンはあらかた狩ったと思ったんだがな」
アンソールとデュボンは軽口をたたきながらも、油断なく剣を構えた。
木々の隙間を塗って、魔物がその姿を見せる。
「グルルルル」
現れたのは、ゴブリンとは似ても似つかない、巨大な黒い触手の塊だった。体の中心には、同心円状に黄色い乱杙歯が何重にも並んだ、馬鹿デカい口がある。
そこらの魔物とは一線を画する、正真正銘の
アンソールが盛大にため息をつく。
「ツいてねえな。よりによってモジュラスかよ」
「モジュラス?」
「この森の
何それ!? ヤベー奴じゃん! いや、見た目通りだけどさあ!
俺は思わず取り乱しそうになるが、冷静なままの二人を見て落ち着くことが出来た。さすがはプロだ。こんな絶体絶命の状況でも動じた様子がない。
「保険を用意しておいて良かったな」
「ああ、出来れば使いたくはなかったが」
アンソールとデュボンには、何か特別な対策があるらしい。きっと常に最悪を想定しているのだろう。この二人と一緒なら、この化け物も何とかなるような気がしてきた。
呼吸を整え、真正面からモジュラスを見据える。
お前なんて怖くないぞ。
心の中でそう呟いたとき、後ろからデュボンの声が聞こえた。
「出番だ、小僧」
その直後、背中に強い衝撃を感じる。
突き飛ばされた、と気づいたときには、うつ伏せになって地面に倒れていた。
「短い間だったけど、楽しかったぜ」
「お前のことは忘れん」
アンソールとデュボンは冷静に別れを告げると、猛ダッシュで逃げていった。
「・・・」
・・・おいいいいいいっ!
安全マージンってこういう意味かああああ! 子供を囮にすんじゃねえよこの外道ォおおおお! さっきまでの憧れを返せっ!
ショックのあまりにフリーズしかけるが、モジュラスはお構いなしに触手を伸ばしてくる。
「あっぶね!」
間一髪、身を投げ出して回避する。
すぐ耳の横で、触手がうなりを上げて地面を抉り、
あんなの食らったら一撃で即死だ。
「きゃあああ!」
思わず声が裏返る。が、今はそれどころじゃない。恥も外聞もかなぐり捨てて、女々しい悲鳴を上げながら、無様にその場から駆けだした。
膝が笑ってうまく走れない。
何度も足がもつれそうになる。
逃げながら背後を振り返ると、モジュラスがぴったりと追ってきていた。
「何で俺なんだよ! ゴブリンの死体でも食ってろよ!」
新鮮じゃないとイヤだってか? グルメ気取りやがってこのヤロー!
走っても走ってもモジュラスを振り切れない。それどころか徐々に距離が縮まり始めている。
呼吸は苦しく、わき腹が痛い。
こっちもう限界だってのに、モジュラスのスタミナは底なしだった。
「ちっきしょ・・・っ!」
ダメだ、追いつかれる。
そう思った瞬間、俺の足が宙を蹴った。
束の間の浮遊間。
モジュラスの触手が、俺の髪をかすめていく。
これが噂に聞く走馬燈という奴だろうか。すべてがスローモーションに見えた。
足下に広がる泥沼。
大口を開けたモジュラス。
梢の隙間からのぞく太陽。
まばゆい日差しに目を細めたのと同時に、俺は頭から泥沼につっこんだ。凍てつくほどに冷たい泥水が、服の隙間から侵入し、全身を舐めるように包み込む。
慌てて浮上しようとするが、ふと思い直して沈むに任せた。モジュラスに食い殺されるよりも、溺れ死ぬ方がマシに思えたのだ。
音のない暗闇の世界を、どこまでも沈んでいく。潜水艦のように、誰にも知られることなく、独りぼっちで。
けれど、ほどなくして足が底についた。思っていたよりも水深は浅かったようだ。
地に足が着いた途端、生への欲求が膨らみ始める。俺って奴はどうしてこうも、いじましいのだろう。我ながらみっともない。
しかし身体は正直なもので、気がついたときには沼底を蹴っていた。柔らかい泥をかき分け、ゆっくりと浮上する。
水面を頭が突き破ると、新鮮な空気が、肺いっぱいに踊り込んできた。
急いで周囲を見回すが、モジュラスの姿はない。
「助かった・・・」
空を見上げると、太陽が
森をさんざん迷った末、街道を見つけてフューネンにたどり着いたときには、すっかり日が暮れていた。
夜空には無数の星々が浮かび、防壁の上では篝火が焚かれている。
すでに兵士の姿はなく、門は閉ざされていたので、中に入ることはできなかった。そもそも通行税に払う金もない。
「どうしろってんだよ」
どっと疲れが押し寄せ、門の脇にしゃがみ込む。
「グルォオオオ」
森の方から、モジュラスの遠吠えが聞こえた。
*
翌日、俺は馬車の底にへばりつくことで、何とかフューネンに無賃入門を果たした。
兵士は機械的に通行税の徴収をするだけだったので、見つかることはなかった。流通の妨げになるので、基本的に検閲などは、有事の際にしか行われないのだ。
広場で馬車が停止すると、俺は息を潜めながら底を抜け出した。
相変わらず、下町のバザールは人々でごった返している。通路は狭く、人口密度は高い。ちょっと歩いただけでも、他人に肩が触れそうになる。
が、なぜだか俺だけはすいすいと進むことが出来た。てゆーか勝手に人波が割れていく。まるでモーセの出エジプトみたいだ。
・・・現実には
俺は全身、血と泥にまみれ、いよいよ浮浪児然としていた。オマケに汗くさい。みんな顔を
これじゃあ、もう仕事を探すのは絶望的だろう。
アンソールとデュボン、許すまじ。
二人の名前を心のデスノートに書き留めておく。バナナの皮でも踏んで、くたばりやがれ。
警備兵に絡まれてもつまらないので、ひとまず井戸で泥を落とすことにした。最寄りの井戸は広場の奥にある。
周りの視線が痛いので、ちょっと遠回りになるが、路地に入って迂回することにした。
俺は小心者なのだ。
途中、ゴミ捨て場を通りかかると、亜人の子供たちが残飯を漁っていた。
そいつらは俺に気がつくと、威嚇するように睨みつけてきた。
「・・・」
大方、俺に獲物を横取りされないかと警戒しているのだろう。
けど誰もそんなもん欲しがってねーっての。ハードル高すぎるわ。
俺は視線を逸らさないよう気をつけながら、足早にその場を通り過ぎる。下手に隙を見せて、またカモにされるのは御免だった。
L字の角を折れるまで、背中に突き刺さるよな視線を感じていた。
その後もアル中や病人を避けて進み、広場に戻ったところでようやく、肩の力を抜くことが出来た。
気を取り直して井戸に向かう。水汲みの時間帯は外れていたので、ラッキーなことにガラ空きだった。
俺は石の囲いの縁に置かれていた釣瓶を落とし、手垢で黒ずんだ荒縄を引き上げた。
朝から何度も他人が利用した後だったので、水はそれなりに澄んでいた。
上裸になって、さっそくシャツを洗い始める。まだ秋の初頭とはいえ井戸水は冷たい。皮膚の薄い小さな子供の手は、すぐにかじかんで赤くなる。
しかし労力の割には、汚れは思うように落ちなかった。麻の茎の皮で織ったシャツは水分が染み込みやすく、また古びて毛羽立っていたため、血や泥水が芯まで染み込んでいたのだ。
ゴシゴシこすり合わせるがちっとも綺麗になりゃしない。それどころか逆に生地が傷むばかりだ。
「こりゃ詰んだっぽいな・・・」
小さくため息をつく。
途方に暮れていると、腹が情けない音を立てた。もう四日も何も食べていない。胃腸が雑巾でも絞るみたいに、キリキリと痛む。
これが真の空腹というものか。
頭の中で彗星仮面の幻聴が聞こえた。
とはいえ先立つものがなければ買い物もできない。にっくきアンソールとデュボンからの報酬は受け取り損なったしな。
仕方がないので、井戸水を浴びるように飲んだ。
確か太平洋戦争の末期も、弁当を持たせてもらえない貧しい学徒は、水を飲んで空腹を紛らわせたんだっけか?
俺だって帝国軍人の元末裔だ。不屈の大和魂を見せちゃる。欲しがりません、勝つまでは!
・・・嘘です。食いモン欲しいです。何でも良いから恵んで下さい。
生前、小耳に挟んだ知識によると、人間は水分さえ補給できていれば、二、三週間は食わなくても平気らしい。
俺の場合、栄養状態から鑑みるに、バッファを取って一週間くらいがタイムリミットだろう。あと残り三日で何とかしなければならない。
これ何てムリゲー? 製作会社に文句を言いたい。
一リットル近く水を飲むと、少しだけ飢えを誤魔化すことができた。水膨れの腹は、歩くと水が暴れて、たぽたぽと間抜けな音がした。
「くぅ・・・っ」
ひもじ過ぎて、不覚にも泣きそうになった。
*
タイムリミットまで残り二日。
今日はなんだか無性にムカムカする。空腹で気が立っているのかもしれない。
今なら残飯だって食えそうだが、ゴミ捨て場にはすでに縄張りがあるようだった。
俺が近づくと、それまで誰もいなかったのに、どこからともなく孤児たちが現れるのだ。
屋台の店主たちも、俺が通りかかると、警戒心を隠そうともしなかった。
クソッタレ、俺がいったい何をしたってんだ。
飯屋から漂ってくる
広場を足早に歩いてると、後頭部が鈍痛を訴えた。傷口が開いて、化膿し始めているのだ。
どうも泥沼に飛び込んだのがいけなかったらしい。ことある毎にズキズキと
何度か水で洗い流したのだが、これが悶絶するぐらいの苦行だった。そのくせ井戸水も清潔とはいえず、不安とストレスばかりが溜まっていく。
俺は酒場の裏に来ると、誰もいないのを確認してから、担いでいた麻袋の口を広げた。
中には十九個のゴブリンの耳が入っている。アンソールとデュボンの置き土産だ。
ゴブリンの耳は素材にはならないらしく、店で売ろうとしたら鼻で笑われた。
でもコイツは
そう思って、俺は耳を一つつまみ上げた。
「・・・ゲテモノほど美味いっていうだろ」
目を閉じて鼻をつまみ、意を決して口に放り込む。
「おぼぇえ・・・っ!」
かみしめた瞬間、脊髄反射でリバースした。
想像を絶する不味さだった。
*
タイムリミットまでラスト一日。
少し余裕を見たつもりだったけど、予想よりも衰弱が激しかった。
もう限界だ。
いくら水を飲んでも空腹が消えない。
昨夜は腹が減り過ぎて、満足に眠れなかった。睡眠不足で頭がボーッとする。
桶の水面に映った顔は、クマがひどく、骸骨のようにやつれていた。
よろよろと広場をさまよっていると、いつぞやの咳をしていた老人が、冷たくなって死んでいた。
・・・俺もああなるのか。
気がつくと頬が濡れていた。
*
今日で三日目。
タイムオーバー。
頭痛がひどい。いや、全身が痛む。
路地の入り口に座り込んだら、立ち上がれなくなった。
力が入らない。
どうでも良いい。
何もする気が起きない。
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