第2話 孤児はつらいよ

 ぐぎゅるるるる。


「もう朝か」


 目覚まし代わりの腹時計で目を覚ました。物理的に。


 ぐるるるる。


 うるさいな、と思うが止める術はない。アラーム機能がぶっ壊れているので、自然に鳴り止むまで放っておくっきゃないのだ。あー、腹減った。


 文無しなので昨日から何も食ってない。当然、宿にも泊まれず昨晩は野宿だった。

 最低限の人権も保障されていないノーマスでは、何をするにも金がいる。服を着るにも、飯を食うにも、住処を持つにも、金金金。


 公園のホームレスでさえ朝からスパゲッティナポリタンをかっ食らっていた日本とは雲泥の差だ。

 つーか段ボールハウスは家には含まれないのだろうか? ホームあるしレスってなくね?


 いや、そんなことはどうでもよろしい。とりあえず今は早急に仕事を探さす必要がある。

 

 幸いにも俺は地球で一般水準の教育を受けている。文明が未発達なノーマスでは、高等教育といっても過言ではない。きっと職なんてすぐに見つかるはずだ。

 

        *


 ・・・なーんて甘く思っていた時期がありました。しかし現実は厳しかった。


「雇ってくれだぁ?ガキなんぞ使えるか!」


 串肉屋のオヤジが迷惑そうに大声で怒鳴った。俺はオヤジの足にしがみつき、目を潤ませて精一杯同情を誘う。


「そこを何とか!何でもします!」


「だったら回れ右して失せやがれ!商売の邪魔だ!」


 オヤジに襟を捕まれ、無理矢理引っ剥がされる。ポイッと野良犬でも放るみたいに通りに投げ捨てられた。膝小僧がすりむけて、ちょっと痛い。


 砂ぼこりを払い、オヤジに舌を出してから、朝の市場を歩き始める。


「チッキショー、これだから都会もんは。義理も人情もありゃしねえ」


 ちょいと前まで自分が世界有数の人口過密都市にいたことは棚上げしつつ、冷たい都会の洗礼に悪態を垂れる。


 コレで十四戦全敗。いろんな屋台を回っちゃいるが、箸にも棒にもかからない。


 店舗?ムリムリ。富裕層の区画なんて近づいた瞬間、棍棒でぶっ叩かれるわ。


 まあ、よく考えてみりゃこうなるのも当然かもしれない。言ってみれば今のソマリナ王国は不況真っ只中だ。どこの店も人件費は安く押さえたいに決まってる。


 屋台の取引なんて四則演算だけで十分だし、その程度の教養ならノーマスの住人だって普通に身につけている。高等教育を受けてようとも、需要がなけりゃ無用の長物だった。


 それより求められるのは不届き者から商品を守るための腕っ節なのだが、あいにくとまだお子様の俺はそっち方面はからきしだった。

 そもそも腕っ節に自信あるなら冒険者でも目指してるっつーの。


 半ばふてくされながら小石を蹴り蹴り歩いていく。日が昇って間もないため、まだ人通りはそれほど多くない。

 でこぼこに歪んだ石畳の水たまりが、きらきらと照り返してきてしゃくに障る。

 

 市場にはバラックじみた屋台が軒を連ね、隙間を埋めるように露天商が売り物を並べていた。


 ノーマスの文明は地球で言うところの中世ヨーロッパに酷似しているが、こうした猥雑な下町の光景をみると、むしろのベトナムのサイゴンや戦後日本の闇市などを彷彿とさせ、どことなくアジア的な息づかいを感じさせる。


 欲望と生命力が混じり合い、渾然一体となった坩堝。そこにはどこまでも動物的で、荒々しい、むき出しの魂が脈動していた。


 なーんて、何言ってんだね俺は? 空腹で頭がおかしくなったのかもしれない。思わずため息がでる。

 

 そこで不意に声をかけられた。


「おい、坊主」


 声のした方を振り返ると、空の屋台に寄りかかった禿頭のオヤジが手招きしていた。

 辺りを見回すが誰もいない。自分を指さし首を傾げる。


「そうだよ。お前だよ。早くこっちに来い」


 俺がおっかなびっくり近づくと、オヤジはニヤリと胡散臭い笑みを浮かべた。


「お前、仕事探してるんだってな。雇ってくれるところは見つかったのか?」


「見ての通りだよ」


 ついぶっきらぼうに答えてしまう。


「そうふてくされんなよ。何なら俺が雇ってやってもいいんだぜ」


「え? 本当に?」


「おう。どうせおまえも口減らしに捨てられた口だろう。大人として放っちゃ置けねえよな」


 そう言ってオヤジは俺の肩を叩いた。

 見かけによらず良い奴だな。胡散臭いとか言ってゴメン。


「ありがとう、おじさん」


「おじさんはよせ。俺はベグノーだ」


「わかったよ、ベグノーさん。俺はジュールスって呼んで」

 

 俺は日給50ビズで雇われることになった。

 

 ノーマスの貨幣価値は、賎貨一枚=一ビズ、小銅貨一枚=十ビズ、大銅貨一枚=百ビズ。

 

 50ビズだとだいたい最安値の黒パンが二つ買えるくらい。前世ならブラック企業も真っ青な馬車馬っぷりだ。

 

 銀貨と金貨はどうしたって?一度見た小銀貨は確か千ビズくらいで取り引きされていた。

それ以上はまだ見たことも触ったこともない。でもたぶん、順当に十進法で桁が上がっていくんだろう。


「チンタラするな。早いとこ並べちまえ」


「はい」


 俺はベグノーが運んできた木箱からオレンジを取り出し、せっせと屋台に積み上げていく。

痛みや水腐れが客から見えないように、角度を調整しながら。

いや、いいのかこれ?

 

 いろいろと言いたいところはあるが、これがフューネンでは普通らしい。

 元々、商品も上層区域からの流れ物だから、状態の良い物はほとんど残っていないのだそうだ。

 そんなこんなで客が来て見られてしまう前に、陳列を終えなければならない。朝の屋台は忙しかった。


        *


 一通り開店の準備が終わると、ちらほらと市場に人の姿が見え始めた。ほとんどは職場に向かう労働者や狩りに向かう冒険者たちだ。


「らっしゃい、らっしゃい! 甘くて安いオレンジだよ! そこのお父さん、朝食にオレンジはいかが? ビタミン豊富で疲労にも効果抜群だよ!」


 俺はテレビで見たアメ横の商人を思い出しながら、道行く人々に呼びかけていく。こういうのは勢いが重要なのだ。何も考えずに無心で片っ端から声をかけていく。


 つーか照れ屋なので、下手に考えると羞恥心で呼び込みなんかできなくなる。

 だから空振っても気にしない。へこたれない。ベグノーの視線が痛いが気にしない。


「ずいぶん威勢がいいな」


 めげずに声を張り上げていると、若い男が足を止めた。


 癖のある黒髪を肩まで伸ばし、無精ひげを生やしている。良い身なりをしているが、だらしなく着崩しており、どこかチグハグな印象を受けた。


「いらっしゃい、格好良いお兄さん。オレンジはいかが?」


 俺は精一杯の営業スマイルを浮かべる。


 男は顎髭をさすりながら俺を見つめると、にへら、と締まりのない笑みを浮かべた。


「うーん、格好良いお兄さんは気前が良いから、十個ほどもらおうかな」


「毎度あり!」


 俺はなるべく綺麗なオレンジを選んで、男の取り出した麻袋に入れた。

 ベグノーにはちょっと悪いが、初めての客なのだ。このくらいのサービスはしても許されるだろう。


「300ビズになります」


「はいよ」


 ぴったり大銅貨三枚を受け取る。

 男が麻袋をブラブラさせながら去っていくと、ベグノーが緊張したような表情で俺の頭を小突いてきた。


「お前、度胸が据わってるじゃねえか」


「へ?」


「ありゃ、ここいらを仕切ってる『大蛇』バジリスコのソーヤだぜ。よくあんな軽々しく話しかけられるな」



「えぇ!?」


 ホワッツ、何それ? ギャング? マフィア? YAKUZA?


「何も知らずに声かけたのか? 危なっかしいヤローだな」


 俺がプチパニックに陥っていると、ベグノーは呆れたように言った。


「噂じゃ八人も殺ってるらしい。目を付けられないように気をつけろよ」


 マジかよ、あっぶねー。綺麗なオレンジ選んで良かったー。腐ったの渡さなくて良かったー。

俺はほっと胸をなで下ろした。


          *


 予期せぬアクシデントに見舞われながらも、その後は順調にオレンジが売れていった。


 いや、順調というのは少し違うかもしれない。ベグノーと俺はアルカイックスマイルを浮かべながら、傷んだオレンジを差し出すのだが、しかし客たちもどうしてなかなか、簡単には騙されない。


 差し出す俺たちの手を無視して、自分で選んだオレンジをカゴに突っ込み帰って行くのだ。


 そのおかげで痛んだオレンジばかりが残されていく。客たちもそれが分かっているのか、昼を過ぎた頃からとんとオレンジが売れなくなった。


「暇だね」


「この時間帯はいつもそうなんだよ」


 ベグノーは少し苛ついた様子で、トントンと屋台を指で叩いている。


「ジュールス。お前、もう帰って良いぞ」


「いいの?」


「ただし、給料は半分だ」


「は?」


 冗談じゃない。50ビズですらぎりぎりなのだ。25ビズぽっちじゃ黒パン一つしか買えやしない。飢え死にする。


「締めまで手伝うから、満額払ってよ」


「見ての通り客なんて来ねえんだ。ぼーっと突っ立ってるだけで金もらおうなんて、都合が良すぎると思わねえか?」


 イヤイヤイヤ、何言ってんだこのクソオヤジ。そんなこといったら深夜のコンビニバイトなんてみんな給料泥棒になっちまうぞ、すげえ暴論だな、おい。


 俺は呆れて開いた口が塞がらない。

 しかしベグノーはそんな俺を無視していそいそと店じまいの準備に取りかかった。


 マズい。このままだと本当に食いっぱぐれる。考えろマクガイバー。俺はこの状況を打破すべくツルッツルの脳味噌をフル回転させた。


・ベグノーはこれ以上の売り上げが見込めないから店を閉めようとしている。


・客が来ないのはオレンジが傷んでいるからだ。


・オレンジを売るには傷みを誤魔化せればいい。


 俺の頭の中でピカッと電球が灯った。


「ベグノーさん、俺に考えがあります」


        *


「またのお越しを!」


 俺は釈然としない表情の奥さんの背中に向かって、無邪気に手を振った。

 いつの間にか空は日が暮れかけており、市場を赤く染め上げていた。


「そろそろ頃合いだな。切り上げるぞ」


「はい」


 ベグノーに促され、残り少なくなったオレンジを木箱にしまい始める。


 俺が思いついたのは、いわゆるセット販売だった。木皿の上に五つずつオレンジを乗せ、傷みが見えないように配置したのだ。


 商品を受け取った客たちは、大抵、微妙な表情を浮かべていたけれど、単品で五つ買うよりも安く価格設定したので、幸いにもクレームは付かなかった。

 もっとも、ベグノーの強面が一因であることは否めないが。


 かなりの在庫がはけたので、ベグノーはホクホク顔で上機嫌だ。この様子だと特別手当を期待しても良いかもしれない。


 思わず口笛なんぞを鳴らしてしまう。頭の中では子犬が短足をもつれさせながら、くるくるワルツを踊っていた。


「おい、坊主、こっち来い」


 片づけが終わると財布を持ったベグノーに呼ばれた。


「はい!」


 待ってましたぁ! 今世初の給料! 初の稼ぎ!


 小銭にすぎないと分かっていても、心が浮き立つのを止められない。あぁ、学生時代コンビニバイトで初任給をもらった日が懐かしいな。


 両手をお皿のようにして差し出すと、ベグノーに日給を渡された。


 ひーふーみー・・・。

 あれ?

 ひーふーみー・・・。

 おかしい、賎貨五枚しかない。


「あの、だいぶ少ないんだけど」


「ああ? よく数えたのか?」


 しかめっ面のベグノーが手の中をのぞき込んでくる。

指で一枚ずつ硬貨を数えると、初対面の時に見せた胡散臭い笑みを浮かべた。


「何だ、ぴったり50ビズあるじゃねえか」


「え? 賎貨は1枚1ビズだから、5ビズしかないでしょ」


 俺が疑問符を浮かべていると、ベグノーは煩わしげに小さく舌打ちした。小銅貨を二枚、手渡すでもなく、俺の足下に放り投げてくる。


「これで満足かよ」


「まだ半分足りないよ」


「お前はガキだから知らねえだろうが、都市で商売をする時には税金っつうのをとられるんだ。今回は俺が予めその分を差し引いてやったんだよ」


 嘘つけ! 税率50パーとか頭おかしいだろ! そんなムチャクチャな話聞いたことねえよ! てか源泉徴収なら先に言えや!


「約束を守らないなら、警備隊に言いつけるぞ」


「勝手にしろ」


 売り言葉に買い言葉で、俺は通りかかった巡回中の中年警備兵を呼び止め、身振りを交えながら事情をまくし立てた。

 さあ、このピンハネオヤジをひっ捕らえるがいい。


 しかし話を聞き終えた警備兵は、頭をかきながら心底つまらなそうに問い返してきた。


「それで?」


「えっ? いや、だから俺、このオヤジに給料をちょろまかされたんですよ?」


「それがどうした。何が悲しくて25ビズぽっちのために警備兵が出張らにゃならんのだ。そもそも証拠だってないのだろう? 契約書でもあるのか?」


「いえ、ないですけど・・・」


「だったらこんな些末事で時間をとらせるな。俺たちは忙しいんだ」


 中年警備兵はイラついたように吐き捨てると、市場の巡回に戻っていった。


「そういうことだ。分かったかクソガキ」


 ベグノーは勝ち誇ったようなドヤ顔を決めた。


「・・・」


 俺は無言で小銅貨を拾い上げ、ベグノーに背中を向ける。


 もっと早くに気づくべきだった。

腐った商品を平気で客に売りつけるような奴だ。従業員への対応もマトモな筈がなかったのだ。


 そのまま俺が立ち去ろうとすると、「ああ、そうだ」とベグノーが思い出したかのように話しかけてきた。


「生意気な口を利かねえってんなら、また明日、雇ってやっても良いんだぜ。孤児にしちゃセット販売は良い案だった」


「ふざけんな、クソオヤジ!」


 気づいた時には罵声を浴びせて走り出していた。


        *


 なけなしの25ビズは黒パンを買うのに使い切った。また文無し無職に逆戻り。これからどうしよう。


 いっそのことベグノーのところに戻ってまた雇ってもらうか?


 いや、それはないな。ちっぽけな俺にもプライドってもんがある。あのハゲオヤジに頭を下げるのだけはイヤだ。


 うだうだと頭を悩ませながら、市場のすみっこのベンチに腰掛ける。苦労して黒パンを小さく千切り、口の中に放った。


 黒パンは釘が打てそうなくらい硬いので、しゃぶるようにして少しずつ食べるのだ。

 カチカチのパンに唾液が奪われるが、パンの酸味ですぐまた唾液があふれ出すから心配はない。


 不毛な反復作業に無心で没頭する。本当はスープがあればいいのだが、贅沢は言うまい。


 やっとの思いで飲み込むと、口に残った砂利を足下に吐き出した。パン屋が嵩増しに入れた砂の中に粗い砂利が混ざっていたのだ。


「何なんだよ、もう・・・」


 思わず悪態をつく。

気を取り直して二口目を千切ろうとしたところで、苦しげに咳き込むような声が聞こえた。


 音のした方に視線をやると、ボロをまとった老人が狭い路地で座り込んでいた。


 アバラが浮き出し、手足は棒のように痩せ細っている。落ちくぼんだ眼窩は、絶望で虚ろに淀んでいた。


 たぶん物乞いか何かだろう。風邪を引いているのか、湿っぽい席を繰り返している。


「・・・」


 無意識のうちに、手元の黒パンに視線を落としていた。老人と黒パンを交互に見比べる。


 おい、バカなことはよせ。


 俺の中の冷静な部分が、呆れたように囁くのが聞こえた。


 あのじーさんはもう助からない。それどころかお前まで飢え死にするぞ。偽善者ごっこなんかやめちまえ、素直になれよ。


 どれだけ逡巡していたのかは分からない。気がつくと俺はベンチから立ち上がっていた。


 そして一歩、踏み出そうとした時--後頭部に衝撃を感じて、うつ伏せに倒れ込んだ。


 何だ? 何が起きた?


 混乱する俺の周りに、いくつかの人影が群がってくる。


「おい、こいつ金持ってねえぞ」


「クソッ、ハズレじゃねえか」


「急げよ、警備兵が来ちまうだろ」


 どうやら俺はこいつらに殴られたらしい。声から察するに、相手はまだ子供のようだった。


 自分の肩越しに見上げようとすると、一番大柄な金髪の子供と目が合った。


「大人しく寝てろよ」


 靴のつま先で腹を蹴られ、息が止まる。胃液がこみ上げてのどが焼けるみたいだ。


「しけてんな。おい、ずらかるぞ」


 大柄な子供の声を合図に、襲撃者たちは撤収していった。ふらつきながら起きあがると、三つの背中が路地に消えるところだった。


 辺りを見回すが黒パンがなくなっている。ついでとばかりにサンダルまで奪われていた。


「・・・」


 夕日に染まる寂れた市場に、老人の咳だけが響いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る