花嫁は今日も踊る。

@natuiro

花嫁は今日も踊る。



 私はただ、愛されたかっただけだったの。

 綺麗なドレスを着て、かわいらしい小物を身に着けて、ただ、好きな人と一緒にいたかっただけなの。

 だから、このような結末を迎えるなんて、思わなかったの。


      *


 彼と出会ったのは、15歳のとき。今から5年前のことよ。

 彼は2つ年上で、とても美しい顔立ちをした、少年だったの。

 家の庭で静かに、参考書を開いている姿に、私は一瞬で目を奪われた。

 思わず駆け寄って、話しかけたの。

「何の本を読んでいるんですか?」

って。今思えば、子供じみていたと思う。普通、背表紙を見ればわかることだもの。

 けれど、彼は風に溶け込んでしまうくらい、儚い笑みを浮かべて、教えてくれた。

「これ?これは、医学書だよ」と。

「お医者さんになるの?」

 私の話は急速に飛躍した。けれど、そんな子供の私に彼は、コクリとうなずいたの。

 私を子供として扱っていない。一人の女性として扱ってくれている。

 ここではっきりと確信したわ。

 私は、彼に会うために生まれてきたんだって。

 心が激しく動いていた。体はとても熱かった。

 まだ夏も先だというのに、手からは汗が染みだしていた。

 私の体は化学反応を起こしたみたいに、彼にと反応したわ。

 「すごいのね。あなたって。ねえ。あなたの名前を聞いてもいいかしら」

 彼は固い石造りのベンチから、腰を上げて、空を指さした。

「僕の名前は、空。青空の空だよ」

「空。青空の、空・・・・・・・」

 空は、参考書を置いて、私視線を移した。

「君の名前は?」

 私は熱い顔を、地面へ向けてポツリと言った。

「りんご。果物の、林檎・・・・・・です」

昔から、この名前が嫌いだった。

 恥ずかしさで、死にそうだった。

 すると、彼は私の茶色の髪をするりと、指で絡めて、笑った。

「なるほど。だから、真っ赤に顔が熟しているんだね。とても、綺麗だね。りんご、さん」

 それから、彼との交流が始まった。

 毎日のように、私の庭先で合流しては、医学のこと。彼の家のこと。私のこと・・・・・・。多くのことを、彼と話した。

 私の人生の中で、最も充実した日々だった。

 けれど、それも長くは続かなかった。

 私の16歳の誕生日の日。

 父から、私の婚約者の話を聞いた。

 父の事業の相棒ともいってもよい、大きな屋敷の御曹司だった。

 私の家と同じくらいの、家柄の人だった。

 私は反対した。父にも、彼の話をした。

 けれど、父は聞く耳を持たなかった。

 この話を断れば、家は破滅すること。そして、大好きな彼の家も破滅させてやると。

 実の父は、金欲しさに、私を売ったのだ。

 ましてや、彼までも、天秤にかけて。

 ――――私は、素直に、父に従うしかなかった。

 私が御曹司のもとへ旅立つ、2日前。

 私は彼に会いに行った。

 もうすぐ、彼は医者になるため、試験を受けところだった。

 私は言った。

「私、明後日、嫁ぐことになったの」

 彼は一瞬、驚いた顔をしながらも、儚い笑みを浮かべて、うなずいた。

「仕方ないね。しがない医者見習いと、お嬢様とじゃあ、釣り合わないね」

 彼はこんなときまで冷静だった。 

「行かないで、って止めてくれないのね」

 私は地面へ顔を伏せた。あの時とは違う、青い顔を隠すためだった。

 青い瞳からあふれる、滴を隠すためだった。

 彼は、そんな私の肩を抱いた。優しく、包み込むように。

「必ず。僕が迎えに行くよ。だから、それまでは、君は幸せに暮らすんだ。表向きでも。裏向きでも構わないから」

「本当?」

「本当さ。僕は君に釣り合うくらいの、医者になって、君を迎えにいく」

「絶対だからね」

 彼は赤い瞳を、大きく開いて、笑った。

 その後、私たちは、暗い庭先で、優しく抱擁を交わした。

 朝日が昇るころ、彼は私からゆっくりと離れて、長い坂道を下って行った。

 彼の言葉が、ずっと耳に残っていた。私は彼の言葉を信じ続けると。何年かかっても。待ち続けると、まだ上って間もない太陽に誓った。

 私はその後すぐ、家へ戻って嫁ぐ準備を始めた。

 父は急に代わった私を不審に思ったけれど、私が彼に振られたのだ、というと、安心したように、一緒に準備を手伝っていた。

 所詮、娘の恋愛より、お金なのだと。私の中で、父に対しての評価もまた、坂を下るようだった。

 それから、私は御曹司の元へ嫁いだ。

 御曹司は、彼までとは言わなくとも、優しい人だった。

 優しく私を抱きしめてくれた。愛を教えてくれた。

 次第に、同じ年月を過ごすうちに、私は、御曹司のことが好きになった。

 彼のことも好きだけれど、それは恋であって、愛ではなかった。

 愛と恋の大きな違いだった。

 長い年月は、本当の愛を育てたのだった。

 御曹司と過ごして3年は経つか、というころ。

 私は病気を患った。ひどい咳と発熱が、何週間も続いていた。

 そのうち、街の医者では手に負えなくなって、有名な医者を呼ぶことになった。

「きっと、すぐに楽になるさ。安心してくれ。有名な医者なんだ。ここ数年で、免許を取ったばかりの、若い医者らしいけれど、腕は確かだよ」

 私の体は、危険信号を発していた。御曹司は、私の異変に気付かず、仕事へ足を運んでいった。

 そして、医者がやってきた。

 医者が私の部屋を開けたとき、私は目を疑った。

 間違いなく、彼だった。赤い瞳に、漆黒の髪を身にまとい。愛おしそうに、私を見つめる、彼だった。

「久しぶり。君に呼ばれるようになるまでになったよ。どうだい?見違えただろ?」

「―――――そうね」

「珍しいね。ずいぶん、元気がないんだね。ああ、そうか。これは病気のせいだね。大丈夫さ。安心しておくれ。僕が必ず、治してあげるよ」

 御曹司との日々が失われていく度、彼との時間が増えていった。

 昔はあんなに、嬉しかった彼との会話は、億劫に感じていく。

 彼との時間が、酷に、心へ負担をかけていった。

 それから1年が過ぎるころ。私の体はすっかり良くなった。

 彼が優しく微笑んだ。

「もう、体は良くなっただろう?だから、僕と一緒に来てくれるよね。約束したもんね」

 私は、ひどく後悔した。何で、私は彼と会ってしまったんだろう。

 御曹司と、何も悩まずに、幸せに暮らせていたのに。

 彼という存在が、ひどくいらないものとなって、私の目の前へ現れた。

 私は、静かにベットから降りて、深く頭を下げた。

「ごめんなさい。一緒には行けません。約束を、私から破ったことは、申し訳なく感じています。貴方の気持ちは、嬉しいけれど、私、彼のことを愛しているんです」

 彼は、笑みをふっと、闇へ溶かして、私へ近づいた。

「僕が好きなんだろう。好きだって、言ったじゃあないか。何で、何で」

「本当に、ごめんなさい。お金でも、なんでも払うから、許してください」

 彼が、私の顔を優しく手で包んだ。

 体に染みついた、薬品のにおいが、鼻を通り抜けた。

「どれだけ、君のことを想って、思って。今まで僕がしてきたことを、否定するみたいじゃあないか」

 彼の瞳が大きく開かれた。

「君の心が、あの御曹司に向いているのなら。それを壊せばいい。

約束を破って、僕を否定した君のようにね」

 父の面影が、彼と重なって見えた。

 自分の利益をばかりを追求して、周りのことを考えない、父に。

 私は震える肩を、自分で抱きしめながら、

「それだけは、やめてください。彼にだけは・・・・・・。何もしないで」

「なんてことを、僕へ言うんだろうか。君は。ああ、君は、ここ数年で、少女から女性へ変わったんだね。・・・・・変わらなかったのは、僕の愛情だけ、というわけだ。とんだ、ピエロだ。滑稽な自分に、笑いまで出てくるよ。僕がどれだけ、君のことを想って、頑張ってきたことも知らずに!僕が汗水たらして、働いている中、君は、二人の男の人生を誘惑してきたわけだ。僕と御曹司の人生を狂わせたんだ!」

「本当に、謝るから。本当に。だから、彼だけは」

 彼が、スーツケースへ手を伸ばした。

 キチンと整った、カバンの中から取り出したのは、銀色に輝く、メス。

「君は、美しい果実だ。でも、美しすぎるゆえに、多くの人間の人生を狂わせてしまう。誘惑がすぎる、果実だ。だからこそ、少しくらいは、罰が必要だと思うんだよ・・・・・。大丈夫。今度は、君を必ず幸せにしてみせるよ。約束は守る男だからね」

「やめて」

「何で?あの男には何もしないよ。君にはするけれどね。・・・・・安心して、僕は医者だから。君を生かしておけるよ。どんなに手足が無くなろうと、瞳から光が消えても。耳が聞こえなくなっても。ね?りんご」


            *


 あの日から、私は何も見えない、手足の自由の利かない、空間へ閉じ込められてしまいました。

 私は小さな過ちを、彼へ背負わせてしまったんだと思います。

 彼自身の、幸せを受ける権利を、私が、奪ってしまったんだと思います。

 けれど、私は、私の身近な少女時代は、愛を知りたかったのだけなのです。ただ、愛されたかっただけだったのです。

 小さいころから、利益にしか興味のない父と、父の財産にしか興味のない母に、囲まれて生きるのは、15歳の少女では、とても困難だったのです。

 だから、私は身近にいた男の子に、恋をして、忘れてしまおうとしたのです。愛を知りたいと感じたのです。

 たとえ、それが偽りの恋だとしても。偽りに満ちた愛だとしても。

 ああ。今日も、彼が、あの男が帰ってくる。

 色とりどりのドレスを着せて。私を花嫁だという、彼が。

 私の体を抱き、手も足もない私を、軽快な音楽のリズムに合わせて揺らす彼が。

 私はただの人間から、ただのバケモノへと変わってしまったのです。

 美しい少年から、穢れた男(ちち)へ変わった彼のように。

 もう、生きたいとは思わない。愛されたい、とも思わない。

 ただ、願いが叶うのなら。

 もう一度、『彼』に会いたい。

 『彼』に会って、もう一度声を、愛を与えてあげたい。

 けれど、それはもう叶わぬ、夢。幻です。

 ああ。足音が聞こえる。私の体が悲鳴を上げている。

 今日は何をされるのだろう。カエルと一緒に解剖されるのだろうか。それとも、また狂った愛をささやきながら、私を抱きしめるのだろうか。

 泣きながら、それとも笑いながら、私を殴るのだろうか。

 人間として生きることもなく、人間として死ぬことも許されず。

 生きるも死ぬも、バケモノとしてしか運命を手繰ることになり。 

 私は、小さな希望を抱くことも許されず、彼に飼われるのだ。

 空のように広大な、悪意を秘めた、恐ろしい、あの男に。

 足音が間近に聞こえる。扉が開かれる。

 温かい光が、体を蝕む。

 懐かしい思い出の花の香りと共に、悪魔はやってきた。

「ただいま。僕の美しい花嫁」



 

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