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 忠島氏と再会するのは、そのSFコンベンションから半年ほど経った2096年八月のことだ。日本特有のじめじめした夏の気候に参った記憶がある。なぜ私が日本に訪れたのか、その答えは簡単だ。

「海に隔たれた島国にいると、外の国の存在を忘れしまいそうになる」

 次回作のアイデアに悩む私に日本を勧めてくれた友人の言葉だ。

「煮詰まったなら、その時は旅行に限るよ。なんなら同行してやってもいい」

 大学時代の友人の助言に従い、日本への取材旅行に踏み切った次第である。バリバリのキャリアウーマンとして活躍する彼女に面倒は掛けられなかったので、一人旅の恰好となってしまったけれど。彼女との慰安旅行はまたの機会としよう。

 しかし、別に友人を貶すつもりはないのだが、東京の地に降り立った私は別段心を高揚させることもなかった。なにせ日本の都市風景は私の国とそう変わらなかったからだ。かつては1日の乗車数が世界上位を記録していた地下鉄のホームを抜けると、アメリカと同じ臭いがぷんぷんし始めた。

 そう、これは同じ臭いなのだ。

 臭気的な臭いではなく視覚的な臭い。コーラやハンバーガーが視覚広告によって拡散させる臭い。どこまでも人工的ににじみ出る油の色。模倣の都市。普遍性。

 歴史の流れの果てに国のオリジナリティというものは薄められてしまったのだろうか。外国に足を踏み出した経験がほとんどないため確信を持つことは出来ないけれど、この普遍性は他の国に関しても同様なのではないだろうか。グローバリズムが百年かけて造り上げた成果だ。先程から老朽施設の改修を行うインフラ整備用ドローンが退屈そうに徘徊しているのが横目に見える。形状、色彩のデザインがアメリカで常日頃目にするものをトレースしたかのようだ。

「まあ、だから何だって話だけどね」

 そう呟いてハンバーガーにかぶりつく。テーブルにはノートパソコンが乗っかっており、起動したままのエディターには5ページ分ほどの文字列が並ぶ。

 日本旅行2日目。私は広島に訪れていた。

 主要駅なので当然のことかもしれないけれど、ガラス壁を隔てた先には大量の人々が行きかう様子が観察できる。近ごろ改装されたばかりだという駅の構内は白を基調とした装飾がなされており、純粋で透き通ったイメージを抱かせる。

 広島駅に降り立った後、構内で食事のとれる店を探していると、ハンバーガーショップが目に入ったので少し迷ってから入ったのだ。ここにも普遍性が潜む。

 パンズの食感、肉のかたまり、ピクルスの酸味。

 煮詰まった思考はオリジナリティを求めて霧に迷う。

 エディターに表示されているのは、書きかけの新作だ。

 資料を読み込むために起動したままにしておいたRiHからは「次にオススメするのは以下の本です」という提示がなされており、表示が視界に浮かんでいる。電子書籍の天下の現代、購入可能な書籍の数は膨大だ。それこそ現存しているすべての本が購入可能なわけだから、こうした購買誘導システムは広く重宝されている。

 どのようなシステムを組み込んでいるのかは分からないが、まるで一冊一冊を専門家が読みこんで「この本が好きな人ならあの本が気に入るに違いない」という具合に選別しているかのように質の高い機能となっている。「読書の最適化」というのがRiH開発集団の理念であったようで、これならその理想は十二分に実現したと言えるのではないだろうか。

 一方の私は行き詰っていた。

 どうにも筆が乗っていかない。何かがキーを叩く気概をせき止めてくる。

 必ずどこかしら気に入らない箇所が生まれ、書き直しを入れずにはいられなくなる。千字書いては五百字消すという工程をループする羽目に陥っている。

 次回作の依頼を受けてデビュー後初の長編に取り掛かることになっていたのだが、どうにも上手くいかない。コンベンションにて今後の展望を高らかに語っていた自分はどこに行ったというのか。自らの綴る物語の一切が納得いかない。

 しかしそれも私の思い込みに過ぎないのだろうか。早くもスランプに嵌ってしまっただけの可能性もある。

 というのも、執筆支援アプリケーション『テラリオン』を起動して解析エンジンに掛けてみたところ、別段改善点は認められなかったのだ。

 テラリオンとは執筆者がシナリオの調整などに利用するアプリケーションであり、例えるなら仮想の友人を召喚するようなものだ。

「ここはこうしたほうがいいんじゃないかな」

「この登場人物の心理描写はもう少し深くしてみてもいいんじゃないかな」

 といったように。

 テラリオンは物語の流れを校正してくれる。執筆初心者でも物語を最後まで書き切れるよう支援するプログラム。そしてこれは他でもない、詩宮伝承の開発したアプリでもあるのだ。詩宮伝承――私の最も憧れた作家。伝説と呼ばれた男。夭折の人生を終える前に、彼はこのアプリケーションを開発し、この世を去った。次回作を望む多くの声を受けながらも、詩宮伝承はこのアプリ開発を人生最後の仕事に選んだ。

 まるで次世代に希望を託すかのように。

 そんな、私にとって拘りのあるツールによれば、この物語は少なくとも一定の面白さはキープし続けているらしい。ならばこの形の見えない不安は何だというのか。私自身何が原因かまったく分かっていない。それが最大の問題だ。

 ハンバーガーを食し終わった私は、次なる目的地に向かうためノートパソコンを閉じかける。だが、そこではたと思いとどまる。そして2、3秒悩んだ末にデリートキーに指を置いた。流れる様に消えていく5ページ分の文字列。文字数がゼロになるまでそれを続けた。やがて白紙になったディスプレイを確認して、私は満足する。

 詩宮伝承には申し訳ないが、私は私の感覚を信じたいと思う。

 この感性こそ、私にしか持ち得ぬものなのだから。

 ファイル名にタイトルだけ保存して今度こそノートパソコンを閉じた。

 タイトルは『原爆を薄める』だ。

 そこだけは今のところ変えるつもりはなかった。




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 GiH《=Guide in Heads》を起動してマップを呼び起こす。現在地情報を提供して目的地までの最適ルートを策定してもらう。検索された結果、ここからは別の電車に乗り継いでいくのが最適な方法だと出てきた。提示されたルートを承認し、後は《脳内の案内人》が指示するままに歩いて行けばいい。

 視覚に投影される薄緑色の線が路上に浮かび上がる。その緑の線が行き着く先には、日本人の若者と思われる集団が固まって待機していた。どうやらそこが指示された電車が到着するホームのようだ。

 暫くすると路面電車がやって来た。一般道を車と並行して走る電車だ。これに似たものには出張でサンフランシスコへ行った時にも乗ったことがある。これを目にしたのは日本にやって来て初めてだが、こんなものが東京のように過度に敷き詰められた土地で運転するのは難しいのだろうと考えると納得した。

 他の人たちに続いて乗車しながら「彼らが向かうのはもしかして私と同じところじゃないだろうか」と思った。結果的に予想は当たり、GiHが示す道筋を素直に辿っていくと諮らずとも彼らの背中を追っていく形となる。

 案内が終了し、薄緑色の線の投射が消えていく。

 そして、一息ついて私はそれを見上げた。

 ――原爆ドームだ。

 私が広島を訪れた理由。

 先程の若者集団の方を見遣ると、なにやら騒ぎながら手に収まるくらいの大きさの機械を弄っている。いったい何を手にしているのだろうかと不思議な顔をしていると、そのうちの一人がこちらに駈け寄って来た。じろじろと見ていたことに気づかれたのかと不安になったが、どうやらそうではないらしい。私よりもだいぶ背の高いその男性は機械を掲げながら何やら口を動かしている。私はTiH《=Translator in Heads》を起動し、翻訳支援を受ける。

「すみません。写真を一枚撮って頂けませんか?」

「写真ですか? いいですよ。端末を貸してください」

 断る理由もなかったので承諾すると、男性は嬉しそうに例の機械を預けてきた。

 手渡された機械は直方体に円柱型の突起が接続された形状をしており、私の初めて見るガジェットだった。どうしたものかと戸惑っていると、男性が使い方を説明してくれる。

「これは100年ほど前に使われていたタイプのカメラなんですよ」

「え、これがカメラですか?」

 驚いた。私にとってカメラといえば、タブレット端末に内蔵された撮影アプリケーションのことなのだ。

「この円柱の先を撮影する方向に向けて、ファインダーを覗き込むんです。あとはここにあるボタンを静かに押していただければ撮影完了です。ごめんなさい、こんなもの使っている人なんて今時いませんよね」

 申し訳なさそうに、そして、照れくさそうに男性は言う。たぶん、私が作家として文章を書くことを愛しているように、この人にとっては写真を撮ることがその対象なのだろう。

「祖父の家に置いてある型を見て、惚れこんでしまいましてね。設計図を自作して3Dプリンタで出力したんですよ。自慢の一品です」

 私がデビュー作をわざわざ製本したのと同じこだわりのようなものを感じて親近感が湧いた。使い方を把握した私は彼らが原爆ドームの前に並び『ピース』をする風景を写真に切り取った。カメラを返すと、男性は「ありがとう」と言って去って行った。

 彼らがいなくなった後も、私は同じ場所に立ち続けた。夏の熱量が頭に降りかかる。

 ゆっくりと原爆ドームを見上げると、緊張のようなものが走った。

 緊張――?

 拡散された放射能の古き記憶。生き残った骨組みのような建物。そこにいたはずの人影。未来まで響き渡る苦悩。それらが私の心臓の鼓動を速めているのだろうか。

「わからない」と、誰もいない空間で呟く。灰色のモニュメントは、まるで最初からこの形が完成形だと想定して造られたようなある種の美しさを醸し出している。その頂上は牢獄から抜け出そうとする囚人を逃がすまいと張り巡らされた鉄網のように、天井部分の骨格がむき出しになって太陽の光を内部に素通りさせる。

 RiHで事前に資料を読んでいたのだが、やはり訪れてみて初めて気づくこともあった。原爆ドームはすぐ隣に一級河川を流しており、その水面には反射されたそれが映り込むのだ。表示を見ると、その川は元安川というらしい。資料で読んだだけではこんなにも密接に川が流れているとは分からなかった。

 この川は――。

 原爆を受けて火傷を負った人たちが。

 皮膚を垂らしながら。

 飛び込んで死んでいった。

 そんな川だ。

 水を求めて飛び込み、そのまま一つ、二つと川に死体を浮かべていったらしい。

 そんな光景が150年前――1945年にはあった。しかし、そんなことは過去の、そのまた過去の出来事と化している。なにしろ当事者はもう一人として生きてはいないのだから。記録は物語としてしか残されていない。言葉というものはこうして、世代から世代に受け継がれていくために生まれたのだ。

 やがてその集積が物語になった。

 私はこれを見て、どんな物語を紡ごうとしたのだろうか。

 そんな思案に耽る私の許に、書くことの終末が忍び寄ってきていた。

 フィクションの臨界点が。



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