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「それで、ファンの子に本をあげちゃったの?」

 私と対面するかたちで席に着いている老人が、やや呆れたようにそう言った。さきほど起こった出来事を一から話してしまったのだ。秘密だと言ったのは私の方だというのに。さっきの女の子はこの会場のどこかで私を見て笑っていることだろう。

「アルツァ・シュタイン」

 老人が私の名前を口にする。

「昨年デビューしたばかりだというのに、早くもSF界の最前線に躍り出てきた若き才能。彼女の処女作『謳うドローン』の好評は皆さまの記憶にも新しいかと思われます。おそらくほとんどの方がRiHの推薦を通してすでに読了していることでしょう。今日は彼女とともに、これからのフィクションについて簡単にディスカッションしてみようかと思います。まあ、毎年恒例の行事ですよね。新人を招いて、俺のような年寄と対談させる。そんな企画です」

 老人の自虐が観客の笑いを誘う。これだけ多くの人に見つめられているというのに、全く動じず、落ち着き払った姿勢を保ち続けていられることに感服する。私の膝には未だ震えが染みついている。

 老人のジャケットの胸には、忠島早紀というネームプレートが光る。彼は日本の作家だ。いくつものSF賞に名を残し、国の枠を超えて活躍した名匠。

 その名は『詩宮伝承』という名とともに語られることが多い。

「ここに来るような人たちのことですから、詩宮伝承のことは名前を出せば頷いてくれるでしょう。彼がまだ存命であれば、この席に座っていたのはおそらく俺でなく、彼だっただろうと思いますね。亡くなった人間のことをとやかく言うつもりはありませんが、彼は早くに逝きすぎた。本当に惜しい人材だった。作家としても、一人の人間としても」

 忠島早紀の名は詩宮伝承という同じく日本国籍の作家と併せて語られることが多いが、詩宮伝承は早くに亡くなっており、フィクションの最前線に名を刻み付けてこの世を去ってしまった。忠島早紀は名匠だ。しかし、詩宮伝承は伝説と呼ばれる。

「ファンに気まぐれで本をあげた話にはびっくりしたが、まあ、自身の作品をわざわざ製本してもらうのは俺も共感できるね。詩宮伝承もそうだった。彼は自身の書いた作品をチェックするときには、必ず一度製本してから赤ペンを入れていたのですよ。当時にはもう、紙の本を知らない人間の方が多くなり始めていたというのによくやっていたものです」

 気持ちよさそうに言葉を並べる忠島氏は、そこで一旦口を閉じて私の方に目線を向ける。一人で喋りすぎていたことに気づいたようで、咳払いを一つし、話題を持ちかけてくる。

「ところでミス・アルツァは大切なデビュー本を手放してしまって本当によかったのかな? 後から惜しくなるのがオチですよ」

「大丈夫です。保存用が自宅にもう一冊ありますから」

 誇らしげに宣言する私。

 またもや呆れたような表情をする忠島氏に、思わず忍び笑いをもらしてしまった。




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 ディスカッションは続く。

 近年のSF小説やその他のジャンルの傾向。

 注目している作家。観客に推奨する古典SFの名作。

 ――どこからが古典に属するのか。

 読書体験の現在と過去。忠島早紀の語る、古き時代の電子書籍。タブレット端末を用いた昔ながらの読書。

 その後に台頭したRiH《=Reader in Heads》による脳内読書。

 脳内アプリケーション。端末を手に持つ必要すらない読書体験。

 ――私にとっては、それこそが『当たり前』である。

「君たちは知らないかもしれないけれど、昔の飛行機は多くが鉄で構成されていたんだ。いまではもう飛行機の主成分は元を辿れば木材が大半だ。セルロースナノファイバーっていうナノ単位の繊維の束が空を飛んでいる。昔の人間が聞いたら驚くだろうな。ほら、古典の大衆小説を読んでいればよくこんなセリフが出てくるじゃないか。『こんな鉄の塊が空を飛ぶなんて俺は信じないぞ!』と、こんな感じで」

 それに対比して忠島氏は紙の本の減退に言及する。

 どうして紙の本は消えていってしまったのか。紙の原材料である木材が枯れ切ったわけでもないのに、どうして紙の本は消えてしまったのか。こうして面倒な手続きとお金がなければ紙の本は手に入れることが出来ない。私は過去の人が慣れ親しんだ「紙の本の手触り」というものを知らない。紙の本に触れたこと自体はあるけれど、それはあくまで特別な体験としての感覚だ。紙の本を愛していた人たちとは根本的な基盤を異にしている。

「そう、私たちは異なる感覚を有しているはずなんです」

 結局のところ、私がこのことに関して思うことが出来るのはただ一つしかない。

「SF作家として、それを書かずにはいられない。もっと言えば、物語を書くものとして、そうせずにはいられない」

 私が書きたいのは、つまりそういう物語だ。

「私は、私にしか書けない物語を書きたい」

 忠島氏から次回作の構想について尋ねられた際、私はそう答えた。デビューしてプロになる以上、譲れぬ境界線のようなものが必要だと思ったのだ。ものを書いて他人に広く公表する身として、自己主張のエゴは内奥に潜めても隠しきれぬものだと自負している。ならば若さゆえの生き急ぎも悪くはないではないか。

 オリジナリティ。私が書く物語にはそれを染み込ませたい。

 真摯さが輪郭を成すほどに。

 想像力が重力を凌駕するほどに。

「なるほど、若いな」

 と忠島氏は単純なひと言で会話をいなす。

「まるで当時の詩宮伝承のようだ」

 そのあとの一言は今でも私の心の中心にしがみ付いていて離れない。初めて面白いと思った小説が詩宮伝承の著作だったのだ。憧れの作家を想起して語られることに無邪気にも心が躍った。少なくとも、あの時の私はそう思ったはずだ。

 今となってはその真偽は定かでないが。

 ファンの少女はこのディスカッションでの私の言葉の数々にどういう想いを抱いたのだろうか。その後、私と同じように、オリジナリティを追求した物語を構想するようになったのだろうか。

 何もかもがふらつく。

 今となっては。




   (30019)


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