第7話 オリエンテーション
その男の容姿はどこにでもいそうな平凡なものだった。くすんだような金髪と少々生えた無精ひげ。新緑の瞳はふらふらとあたりをさまよっている。ただし、それはここがオフィス街ならばの話だ。男が着込んだコートを冬の風にひるがえすのは、ほの暗い森のただ中だった。
「この辺りでいいだろう」
男は懐へと手を伸ばし中から銀色の試験管を抜き出した。男が手に持っていた試験管のふたを開くと中から線虫のようなものが、森の腐葉土に落ちていった。それは数瞬身じろぎすると、赤く輝く葉脈のような体をねじり地面の下へと潜り込んでいった。
「待っていてくれ、ギルバート……」
男がその場を立ち去ってどれ程時間が過ぎただろうか。月が数度傾いた頃、深い土の匂いを伴い低くくぐもった音を響かせながら、うごめく森がそこにはあった。
※
アラン=フリーマンは生涯最高といってもいい朝を迎えていた。艶めいた黒髪はこの日のために買ったワックスで整えられ。額のゴーグルはピカピカに磨かれている。真新しいノリの匂いがする制服を着た彼は、同じく少々その容姿よりもサイズが大きい制服を着た小麦色の少女、カーリーと共に富裕街、中心部にある聖騎士訓練学園に来ていた。
「アラン、聖騎士訓練学園って大きいねぇ」
「そうだな、いざとなったらここを要塞としても使うって話だからな」
「ふーん、今日からここに住むのかぁ」
「ああ、正確にはここにある宿舎が、今日から俺たちの家なのさ」
「アラン、元気だねぇ」
カーリーの声にだらしない顔をするアラン。制服姿の小さい少女を前に笑う彼は完全に変質者だった。道行く人々が心配そうにカーリーを見ているのをよそに歩く二人。
「元気にもなるさ。夢にまで見た聖騎士訓練学園に通えるんだぜ!ふへへへへ!!」
若干嫌そうな顔をして距離をとるカーリー。
「おうぅ、アランきもいぃー」
そんな二人に声をかける人物がいた。金髪碧眼で女顔の少年と銀髪長耳幼女だ。
「そこのバカ二人。さっさと来い」
「士は拙速を尊ぶもの」
先日、彼らと戦闘を繰り広げたジョーとローランだった。今日は、二人とも揃いの制服を着てアランとカーリーの先を先導するように歩いていた。
「ただでさえ監視なんていう面倒な任務を押し付けられたんだ。これ以上、手間をとらせないでくれないか」
若干、頭が痛そうに眉間にしわを寄せるジョー。それとは対照的にやや浮足立ったように告げるローラン。その頬はほんのりと朱に染まり目はいつもの気だるげな様子とは一変しキラキラと輝いている。
「学園生活は新鮮」
「ローラン。君にとってはそうだけど、僕には二度目の学園なんだよ。いくら飛び級して卒業したからって。年が近いってだけでもう一度、学生生活をやりなおせなんて……」
うんざりしたようにそういうジョーに対して、くるくると回転しながら否定の言葉を上げるローラン。
「貴重な経験」
「そうだといいんだが」
ジョーとローランは、NY州方面軍からカーリーの監視という名目で聖騎士訓練学園に出向してきていた。彼ら二人が選ばれたのは、年が近いからというだけでなく常に余裕がない様子のジョーを心配した、騎士団長の推薦があったからなのだが当の本人には知らされていないのであった。
「聖騎士の教育が本格化されてから52年。約半世紀でこの学園はここまで大きくなったんだ」
先導をしながらそう語りだすジョー。
「多くの聖騎士がここから戦場に発って行った。君にこの意味が解るかフリーマン」
「先輩に恥じないように頑張れってことだろ?」
当たり前のようにそう答えるアランだったが、ジョーはそれだけでは満足していなかった。
「それだけじゃない。ここに通うということは、それだけで聖騎士として責任を持つということだ。君はそのことがわかっているのか?」
「……」
「くれぐれも勝手な行動はしないように」
長大な門をくぐり整備された大通りを進んだ一行は、やがてレンガでアーチ状に整形された本校舎の入口にたどり着いた。学園の敷地の中でいっそう大きなその建物は、朝日をあびて窓ガラスをキラキラと輝かせている。
「ここで担任と落ち合う予定なんだが」
「源泉反応、直下」
「っ!!」
とっさに腰へと手を伸ばすジョーだったが、今日は学園ということもあり帯剣の許可が下りておらず、その片手は空を切る。
「おっはよーす!」
「ふ、ひゃあぁ!!」
一瞬緊張に包まれた一行だったが、次の瞬間やってきたのは静寂だった。カーリーの影から飛び出した何者かの上半身が、少女のスカートのなかでくぐもった声を出していたからだ。明らかに変態である。
「あっれー。おっかしーな。きみ誰?」
「お、お前が誰だーぁ!!」
涙目になりバタバタと暴れるカーリーのげんこつが、男の頭に炸裂するのだった。
※
「いやー悪かった。おっさんが悪かったから。機嫌直してくれよ嬢ちゃん」
「ふん、ふんぐるうぃ」
頬を飴玉で膨らませたカーリーが、何やらもごもごと抗議の声を上げている。カーリーの影から出てきた男が、少女へと飴玉を貢いでいるのだ。その腰はひくくまるでおじいちゃんが久しぶりに会った孫に謝り倒すように低姿勢だ。
「な、飴ちゃんもう一個やるから」
「ふぐぅ」
目の前で涙目の少女に飴玉をむしり取られているのが、担任なのかもとおもうと気が遠くなりそうなジョーだった。しかし自身の精神衛生の為にも先ほどのやり取りはなかったことにして、新たに影から表れた人物に話を振ることにした。
「それで、あなたが副担任のシャクティ先生で……」
「ああ。あっちで手玉に取られているのが、担任のクラッド=クレイだ」
そう答えるのは緑色のショートカット。スレンダーな肢体を濃紺色のスーツに包み、先ほどから矢じり型の尻尾をふりながら愉快そうに笑っている女性だった。これで決まってしまった。先ほどから情けない姿を晒している男性。茶髪の髪をうなじでまとめ無精ひげを生やした頬傷のある男が、自分たちの担任であることがだ。
「俺はアラン=フリーマンです。先生も聖騎士なんですか?」
思考停止から固まるジョーを無視して、カーリーのそばにいたアランが男へ声をかける。
「ん?おお、俺はクラッド=クレイ。聖騎士訓練学園の教員は、ほぼ全員が聖騎士だぞ。それより、お前が噂の問題児か」
いまだに威嚇する少女をよそに、自己紹介をしあう二人。カーリーはアランの背後に隠れると、唸りを上げてクラッドを睨んでいる。小動物のように頬をもごもごとさせている時点で微笑ましいものしか感じないが。
「問題児?」
「おう、軍部で噂になってるぞ。街で盛大にドンパチやったそうじゃないか」
心当たりのあったアランは、思わずといった風に一歩引いてしまった。ドンパチどころか対空火器を無視して上空を横断したあげく郊外の荒野をクレーターだらけにしたのである。
「う……」
「まあ、幸い被害はなかったそうだから安心しとけ。だが何を守って戦うかはよく考えるんだな。せっかく力を持ったからって、守りたかったものを傷つけたら意味がないからよ」
クラッドのその言葉に感じ入るものがあったアランは落ち込み俯いてしまう。
「……はい」
そういうと、クラッドはアランの頭をなでるのだった。
「っと、辛気臭い話はここまででいいだろう。あとは移動しながら話すぞ」
朝の陽ざしが差し込む廊下をあるく六人。先頭を歩くのは教師二人、クラッドとシャクティ。通り過ぎた教室からは生徒と教師の姦しい声が聞こえてくる。
「いまから教室まで案内する。授業は始まっているから、静かにするように」
シャクティに続くようにクラッドが言う。
「アラン、お前が聖騎士だということは学園では秘密だぞ」
「何でですか?」
不思議そうに首をかしげるアランに、しょうがないといった雰囲気で答えるクラッド。そのようすは年の離れた手のかかる弟をもった兄のようでもあった。
「今の世の中、ただでさえ源泉値至上主義なんだ。自分より源泉値が低いお前が聖騎士だなんてこと知ったら、一部のバカがなにをするか解らんからな。これは、お前を守るためでもある。ちなみに破ったら学園長のクソババアからきついお仕置きがあるらしい」
嫌な事を思い出してしまったといった様子の彼にアランは尋ねる。クソババアこと学園長とはそれほどまでに恐ろしい存在なのであろうか。
「お仕置きってなんですか?」
「わからん、わからんがあのババアのことだ、喰われるぐらい覚悟しとけ」
ことさら神妙な表情でそう告げるクラッド。その表情は深刻そうでアランを見つめる瞳には真剣さがにじみ出ている。
「アラン、食べられるぅ?」
意味が解らなかったように、首をかしげるカーリーに笑顔で答えるクラッド。
「それはな、性的な……むぐぅ!」
「カーリー君、今のは忘れろ。いいな」
クラッドにアイアンクロ―をかけるシャクティに、ぶんぶんと首を振ることで答えるカーリー。その瞳は震え、成人男性を腕力だけで釣り上げるシャクティにおびえているようだった。その様子に若干傷ついたシャクティだが話を進めることにする。
「さて、もう教室についたな。ここが今日から君たちが学ぶ一年A組だ。先にこの馬鹿が、君たちの紹介をするからその後に自己紹介をするように」
じたばたともがくクラッドを片手で釣り上げつつ、告げるシャクティに頷く四人。
「よし、ではいくぞ」
そう言って彼女は教室の扉をあけ放った。
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