第3話 空から
NY貧民街の一角にある孤児院。その廊下にがっくりと肩を落とし手元の紙を見つめる少年がいた。
「源泉値E……これじゃあ、最低ラインがCの聖騎士訓練学園には行けないよな……」
聖騎士訓練学園に入学が許されるのは源泉値Cから。つまり俺ことアラン=フリーマンには学園に通う資格すらないのだった。ぶっちゃけド底辺。源泉値だけでみたらそこいらの赤子にも負けうる最弱さである。ざっくばらんに切られた艶のある黒髪とスカイブルーの瞳、ゴーグルを絞めた頭を掻きつつ孤児院の食堂に入った少年の耳に声が届く。まだ幼い少年少女、彼の義理の兄妹たちが陰口を言っている声だ。
「あいつまだ聖騎士になりたいなんて言ってるのかぁ」
「いい加減諦めりゃいいのに」
「怪獣と戦う聖騎士の何がいいんだか、あの人たちだって化物みたいなものでしょ?」
またか、とアランは思った。人類のために怪獣と戦う聖騎士はその実、怪獣と同程度には人々から恐れられてもいたのだ。それだけの武力と特権を彼らはもっていた。
「くぉらー、悪口言ったチビは前に出ろー!俺が聖騎士に変わってお仕置きだぞー!」
しかしそれがわかっていてもなおアランは憧れることをやめられない。少年は笑いながら、陰口をたたいた少年少女に向けて駆けていく。それに応じて散り散りになって騒ぐ子供たち。
「キャー怒ったぁー!」
「お前だってチビだろー」
「いーやー、聖騎士オタクのアランが怒ったぞー!」
「誰がオタクじゃー。俺は絶対に聖騎士になるんだー!」
アランは若干傷つきながらもまだ幼い兄妹達が外で聖騎士を馬鹿にしないよう、心を鬼にして叱ることにする。
「最弱ぅ!」
「ど底辺」
「源泉ぼっちー!」
自身の劣等感に直撃するセリフにおもわず引くつきもう恥とか外聞とか相手の為とかそういったもろもろをなげすてるアラン。自身のプライドのために制裁を決意する。
「おまえら覚悟しろ―!」
「「「きゃー!!」」」
幼児たちを壁際に追い詰め高笑いする少年の背後。そこに、のっそりとふくよかな体形のシスターが立ちはだかるのにそう時間はかからなかった。
「アラン!遊んでないで買い出し行ってきなぁ!!」
「げふぁあああ!」
数時間後、たんこぶができた頭をさすりながら少年は買い物袋を抱えて孤児院への帰路を急いでいた。源泉値が低い少年は移動用の器具を使うだけの力などなく、仕方なく己の脚であちらこちらの商店を歩き回ることになったのだ。毎度のことながら買い物には時間がかかり若干暮れ始めた空には飛行する小型の輸送機がみえた。それが空に白煙の尾を引いている。
「にしてもどうにかして聖騎士になれないかな。誰だよ源泉値で聖騎士にふるいをかける制度なんて作ったやつ」
と一人ごちるアラン。ほぼ一世紀前、科学によって開拓された源泉という力は、人類に莫大な富をもたらした。生物はてはこの地球からも抽出できるその無限にも思えるエネルギーは、エンジンの概念に革命を起こした。一年を通じて雪に覆われた冬の時代が到来し資源の問題が勃発するに至って、よりその力は顕著となった。それに比例して源泉値という生まれ持った資質。それが決定づける新たなヒエラルキーが、社会の中に誕生する。何が言いたいのかというと。より源泉値の高いものこそが、強者として聖騎士に選ばれるということだ。
「生まれ持った資質、運命か……それでも、俺は聖騎士になりたいんだ。あの時みたいな――」
その時、ふっとさしてくる影があった。少年の目の前スレスレ、数センチの所へ降って来てひしゃげる鉄塊。もうもうと立ち上る土煙は、遅れてやってきた冬の風によって取り除かれる。煙の晴れた先には花びら状に裂けたコンテナとその中央のベッドに横たわる少女が一人きり。思わず尻もちをついた少年。
「――げっほおぉおおお!!……お、おい、あんた大丈夫か?」
目の前に致死量の鉄塊が落ちてきた現象から立ち直ったアラン。彼は鉄塊の中央、引きちぎれた拘束着を着た、小麦色の肌に陽光色の髪をもった少女に近づく。その体にはいたるところに細かな傷が刻まれていた。千々に散った血痕は発光し空へと舞っている。
「傷だらけじゃないか!(っていうかよく死んでないな)」
驚愕する少年に向けて、仰向けにベッドに寝た、今にも死にそうな少女が呟く。
「死にそぅ……」
それは消え入りそうな声で。
「……おなかすいたぁ」
はらぺこを告げた……。
「へ?」
空腹を告げる腹の音が、あたりに響く。アランは驚愕し口を大きく開けるのだった。アランが持っていた荷物から食料を受け取り、もっさもっさ食べる少女。彼が今日購入した食べ物が全て少女の体躯のなかに収まるのにそう時間はかからなかった。両手の紙袋にパンパンに詰まっていたパンやらベーコンやらがすっかりなくなったころ。少年はようやく口を開く。
「本当に大丈夫なのか?」
「うん大丈夫ぅ、ごはん食べれば治るよぉ」
そう告げる少女の怪我は、確かに淡い光を発しながら少しずつ塞がってきている。当たりに散っていた血痕もこの時にはすっかり綺麗になくなっていた。
(なんなんだ、この娘……)
「ありがとう、おなかいっぱぃ。リーはちゃんとお礼も言うよぉ」
(角が生えてるし、怪我を治す能力といい。機人の調律者か?)
少しの会話だったが、少女の持つ異常性から少年は、聞かずにはいられなかった。少年の知る中でこの手の異能を持った存在は一つだけ。それは調律者。
「なぁ、君は調律者なのか?」
「調律者ぁ?」
「聖騎士のパートナー、機人を操縦する要、大魔法の演算装置だよ」
調律者とは、機人と融合し聖騎士の操縦をサポートする者。大魔法の演算装置。第二世代の機人から導入された新たな役割だ。人工的に生成された新たな人類、魔法使いともいえる彼女たちはその全てが人間を超越した異能を持っていた。
「……そうだよぉ」
少し複雑そうに、しかし確かに少女はその問いに答える。ベッドに座った少女と向き合いながら、腰を落として目線を合わせた少年は言う。安心させるように言い聞かせるようにその声はゆっくりと紡がれた。
「そっか、なら行先は富裕街だな」
「富裕街ぃ?」
少女の疑問の声にこたえる少年。ここNYに住んでいてそのことを知らないものはいないが、それでも気分を害さずに説明をする。
「今のNYは昔の大戦のせいで貧民街と富裕街に分かれてるんだ。中でも聖騎士や調律者が暮らすのは富裕街なんだよ」
少女に手を差し出し、立たせながらそういう少年。自身の弟妹達と同年代くらいのその少女にすっかり保護欲がわいてきていたのだ。ちゃっかり体についたほこりを払ったりもしている。
現在のNYは中心部に【源泉炉心・ギルバート】を据えた同心円状の構造をしている。それは中心から富裕街、城壁、貧民街、外壁という構成になっており、中心から伸びた複数の大通りとハチの巣上に張り巡らされた道路達によって区切られている。外壁の外に存在するスラムを含めるともう少し複雑になるがおおむねこんな所である。これは10年前に起こった複数体の怪獣との戦闘、俗にいう大戦を通してNYの外周部がほぼ一掃され新たに区画整理されたためである。
「前の大戦でNY外周は荒れ放題になっちゃったからな。富裕者や聖騎士、調律者なんかは比較的安全で便利な源泉炉心に近い中心部に住んでるんだよ。だから君を送るなら富裕街かなって」
「カーリーィ」
少女は少し不服そうに頬を膨らませて言う。食べ物をパンパンに詰めたハムスターみたいな少女に思わずほっこりする少年。
「カーリー?」
首をかしげて聞き返すアランに、ない胸を張って答えるカーリー。年相応のぺったんこ、絶壁は揺れもしないし弾みもしない。
「君じゃない、リーはカーリーだよぉ」
「そっか、カーリーっていうのか」
今更ながら、少女の名前を聞いていなかったことに気づかされるアラン。彼はここで自分も名前を告げていないことに気づかされる。空っぽになった紙袋をまとめながら自己紹介するアラン。
「カーリー、俺はアランっていうんだ」
「アラン?」
「そう、アラン=フリーマンっていうんだ。貧民街の孤児院に住んでるんだ。よかったら今度遊びにきてくれ、みんな喜ぶと思う」
笑顔で笑いかけるアランに、不思議そうな声を返すカーリー。単語の意味は理解できるがそれ自体は何のことやら実感がわかないという感じだった。
「孤児院って何ぃ?」
「へっと?孤児院っていうのは、身寄りのない子供を集めてみんなで生活する所のことさ。まあでっかい家族みたいなもんだよ」
「家族ぅ……」
どこか寂しそうにそう発言するカーリー。その表情はすっかり暗くなってしまい、若干焦るアラン。少年は急いで話題を変えることにした。
「じゃあ富裕街まで送ってくよ。そこまでいけば守衛の人がいるから、あとは大丈夫だよな」
「……うん」
富裕街までの道中カーリーははしゃぎまわり、それをあやすためにアランは奔走させられるのだった。町中の猫に驚いたかと思えば次の瞬間にはとびかかり。屋台のピザの匂いにつられてふらふらと歩いて行ったかと思えば、芸人のパフォーマンスにひかれてそちらへと流されていく。暮れ始めた空の下それでも明るく楽しそうな少女、その様子にアランは徐々に魅かれていっていた。義理の弟妹がいるせいだろうか、すっかり彼女のことも妹として接し始めてしまうアラン。
「すごいよアラン、こんなに人がいっぱいいるよぉ」
「カーリーは今までどこにいたんだ?(相当過保護な箱入りお嬢様だったりして?)」
その問いに逡巡するように、しばらく沈黙して足元を見ていたカーリー。しかし、アランのほうを視線だけで伺うと呟くように語りだした。
「……リーはいままでぇ、研究所ってとこにいたよぉ」
「え?」
急に顔を俯かせぼつぼつと語りだすカーリー。思わぬ発言にオウム返しにしてしまうアラン。温かさや安らぎからは程遠いその響きに少年は頭が硬直してしまっていた。
「研究所?」
「そう痛くて暗い場所ぅ。だからぁ、今はアランと一緒はとっても楽しぃー」
そういって本当にうれしそうに笑う少女を見てアランは胸が痛くなった。思わず立ち止まった少年を振り返り足を止める少女。夕日が傾きその表情は伺いしれない。
「(このまま、この子を富裕街まで送っていいんだろうか……)カーリーはさ、どうしたいんだ?」
アランの中で葛藤が産まれていた。このまま少女を富裕街に送り届けても、また研究所と言うところに送られてしまうのではないか?その思いが少年の脚を止め、はやる気持ちが口を開かせた。
「どうしたぃ?」
「そう、本当はどこへ行きたいんだ?」
「本当はぁ?」
意味が解らないといった風に首をかしげるカーリーにそれでもなお少年は問う。自分自身の存在意義、人を助けるという信念にかけて。この幼い妹のような少女を少しでもいい方向に導けるように。
「そう、自分が望んで、本当に居たい場所はどこ?」
「リーィはぁ……」
悩み、苦しみ、悶え、吐き出すように少女は言う。その様子は本当に苦しそうで、アランは自分のことのように悲しくなった。この少女はいったい今までどれだけの物を抱えてきたのだろうと。
「……リーはねもう痛いのはいやだよぉ。でもねぇ、みんながリーに死んでくれっていうのぉ。だからリーは死ななきゃいけないんだぁ。それ以外に本当はないんだよぉ」
(この子は……)
詳しい事情は解らない。けれど、このまま少女を放り出すことが、正しいことだとは少年には思えなかった。そして何より、聖騎士を目指す彼の信念が、この少女を放っておいてはいけないと警鐘を鳴らしている。あの日、何度も見た死の気配が、少女からはただよっていた。死ななきゃいけないと口にする少女を止めないという選択肢など少年の中にはあるはずがなかった。
「なあ、カーリーさえ良ければうちに来ないか?」
「うちぃ?」
それは心からの提案だった。一時しのぎにしかならないしいろんな人に迷惑をかけるだろうことはわかっていた。しかし、提案せずにはいられなかった。義務感や責任感からではない少年の優しさと思いやりから出た一言だった。雑踏を人々が歩く中、二人の時間だけは止まったようにそこだけが静寂に包まれた。
「そう、うちの孤児院なんだけどさ。カーリーくらいの女の子とか小さい子供もいるし。たくさん友達もできると思うんだ」
「友達ぃ……。友達って何ぃ?」
不思議そうに、今まで聞いたことがないことを訪ねるように問う少女。それだけでやはりアランは察してしまった。少女の境遇が決して恵まれたものではなかったことを。
「友達っていうのは、一緒にいて楽しくってその人のためなら何でもしてあげられる人のことかな」
赤に染まった瞳を瞬かせアランを見つめるカーリー。少女は意を決して慎重に言葉を続ける。震える声は小さく、夕暮れの空に消えていく。
「アランはぁ……アランはリーと友達になってくれるぅ?」
「もちろん!」
「じゃ、じゃあねぇ!リーをアランのおうちに――」
懇願するように。祈るように少女が告げようとした、その時だった。
「それは困るな」
災厄を告げる風は吹き始め、少年少女の運命を変えていく。
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