10章 2話

「じゃあ、俺たちが斬っていた『影』って結局何だったの?殺生は地獄に落ちるんだから、こっちの世界でも当然、誰かや何かの命を…なんてことは許してないよな」

 きっとアイリは、感覚では理解していても言葉を知らなかっただけで、日々身軽になっていることを喜んでいた三人。

 日ごと武器を重く感じるようになっていった俺と対照的だったのは、『影』の存在がへだてていたのではないか。

 俺の前で、じーさんが両峰りょうほうの剣を消した時に、何となくそんな気がしたので口にしてはみたけれど。

「わかり易く言えば、己自身。ある者にとっては業を払う通過点。罪を脱ぎ、現し世の身が軽くなるほどに彼岸のは重くなる」

 全然わかりやすくないし…。

 ただ、技が重くなるというのは、俺が持っていた両峰の剣が重くなった理由なんだろうなとは理解した。

「あるいは別の者にとっては過去を振り払う再生の意。それは軽くなると同時に新たなごうを背負い、身重となること」

 その瞬間、聞かなければ良かったと心底後悔した。

「なにそれ…せっかく払っても重くなるの?」

 それでは共に過ごしたあの時間も、結局は皆にとってゼロってことじゃないか。

 四つの夜と五つの昼という短い旅だったけれど、三十三年を生きてきた以上に、たくさんのものを教えられた。

 あんなに一生懸命何かに向き合った時が、全部無意味だったなんて…。

「意味を生ずるは己の心」

 じーさんの言葉にはっとする。

 俺は、アンコール・トムで『自分に意味と意義を作れればいい』とマサトに言った言葉を思い出していた。

「再び出ずるは業を負うに同じ。業にはまた、善悪もなし」

 一見突き放すように聞こえる中にも慈しみに似た響きを感じ、俺はどこか安心する。

「…善悪はないんだ」

 じーさんの頷く姿に、再び思う。

 やっぱり、足りないもの、罪も持たずまっさらに生きられる奴なんてどこにもいなくて…悪いものもいいものも背負って、生まれ落ちたその時から誰もが皆、試練の旅を歩むということなんだろう、と。

 ふと思った。

「それならもしかして、試練を受けていた四つの闇が巡り抜ける間っていう、中途半端で短い時間にもちゃんと理由はあった?」

「通過点であった者にも、新たなる再生であった者にも、の時はまた同時に死の時。死を払うに同じじゃ。時にその響きをもって不吉なものと言う者もおるが、むしろここでの四は旅立ちの福音となる」

 その期限は、死を払うための時。

 俺たちの旅の中にはなんて重たいものが繋がり合い、絡まっていたのだろう。

「…そんな意味があったんだ」

 やるせなくて、旅に出てからもう何度目かのため息をついた。

「皆が行った先とかは、聞いても答えてはもらえないよな」

 ゆっくりと振り向けた顔にある、じーさんの澄んだ目が俺を捉え、顎が縦に動いた。

ことわりを過ぎる知識は、生きる者の手に余る」

 そんなものを知ってどうする、と言われなかったのは、興味本位で訊ねたわけではないと捉えてもらったようで、少し嬉しかった。

 あの三人のことだけではなく…時には人に生まれない道を選ぶ者もあるのだろう。

 そして、生まれる場所を選べない者も。

「…最後に、もう一つ聞いていいかな」

「答えられることならば」

 正面からとらえたじーさんの微笑みは、アンコールの地で現世にいながらもこちらの世界を向いているものではない祈り、とマサトが言った表情に良く似ていた。

「俺は、皆を少しでも救えたのかな」

 この顔は、神々と、その御許にいる者だけが許される到達地点なのかもしれない。

「おぬしに言い忘れていたことがある。抜け落ちていた見習いの後に続くは、勇気」

 旅の始まりに、俺の名前の下に抜け落ちていた【見習い勇 】の文字。

空白の意味は、〝勇気〟だったとじーさんは言う。

 その言葉は俺の質問に沿う答えでもなく、それどころかまったくあさってなものだったけれど。

「ありがとう」

 何となく、わかった気がする。

 向けられた、思慮深く、すべてを許すような眼差しを受け止めながら俺は思った。

 じーさんには俺たちが天空の鏡で見上げた空の端の、その向こうまでも見えていたに違いないと。

 刹那を刹那とは思わず、きっとこの人たちにとっては、永遠も刹那の集合体ではないというだけで。

 この時初めて目の前の小さな老人を、とてつもなく大きな存在に感じた。

「…ありがとう」

心で感じたあらゆるものが世界につながるなら、答えはきっと自分の中にある。

 皆が描くことのできなかった時間。

 俺に足りないもの。

 正しさなんてわからなくても、決して出ないかもしれない答えでも、探し続けることがいつか皆との旅への報いになると信じたい。

 ごうっという音とともに突風が巻き起こり、周囲の河原の白い石ころから色彩が溶け出すように、世界がどろりとした乳白色の闇に変わっていく。

「戻るがよい」

 頷いて、上下も見えない世界に足を踏み出せば、宙に投げ出されるような浮遊感を感じ、そこで俺の意識は途切れた。

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