10章 一切の業繋ものぞこりぬ

10章 1話

 いつしか辺りは匂い立つような真っ白の闇に包まれていた。

 俺はのろのろと立ち上がる。

 今や投げ捨ててしまいたいほどに重くなった両峰りょうほうの剣を引きずるようにしながら、ゆっくりと歩き始めた。

 辺りを見渡す必要も、何かを想像する必要性を感じることもなく、ただ一歩一歩を踏みしめながら、ひたすら白い世界を前に向かって進んでいく。

 俺にはもうどこに向かっても、自分が辿り着く場所は一つなのだとわかっていたから。

 どれほど歩いただろうか。

 足裏に砂利の感触を覚え、不意に開けた視界の先に、じーさんの姿がぽっかりと浮かび上がった。

「…ああ、やっぱり」

 やっぱりと俺が言った意味さえ知っているように、じーさんは無言で俺の手にした剣に腕を伸ばした。

「重いよ?」

 忠告など物ともせず、いとも軽々と取り上げて、皺深しわぶかい指先で峰を確かめるようになぞる。

「旅を、終えたのだな」

 俺たちのことはすべてわかっているとその目が告げていた。

「…なあ、じーさん」

「うん?」

「何もできない俺をリーダーにまでしての旅は、なんであの三人とだったの」

 刃に目を落したままじーさんが答える。

「新たにおぬしを旅立たせるのに、たまたまあやつらと組ませるのがちょうど良かった。それだけじゃ」

「意味はなかった?」

「意味はないのう」

 白々とした態度は、あまりにも胡散うさん臭かったけれど。

 問い詰めたところで本音を漏らすはずもないし、俺にはじーさんの真意を読み取るすべもない。

「じゃが、偶然も、時におぬしたちの言う必然や運命になる」

 意味はないそれだけのこと、にどれほどの隔たりがあったのか。俺は気づきもしなかったよ。

「…知らなかったんだ」

 じーさんの指に触れられた鈍色の剣が少しずつ輪郭を薄れさせ、姿を消してゆくのを俺はぼんやりと見ていた。

「ゲームみたいだとか、呑気に思ってた。旅の間の自分をぶん殴りたいくらいだ」

「この地は元より、己に足りぬものを満たすことで新たなる地へと踏み出す力を得る、うつつとのさかいごうを払うすべは心に抱いた強さを具現化し、様々な形を持つ。たまたまおぬしたちにはあれがわかりやすかった、それだけじゃ」

「…そういうことじゃないんだよ。本当に、俺だけが何も知らなくて…」

 たくさん傷つけた。

 微かに目元を和らげたじーさんは首を振り、不出来な教え子にでも諭すように説いた。

「行き交うその先を知る者たちは、かつて背負いし己のごうを軽くする。常人つねひととの交わりはそれだけで、あらゆるものを相殺する彼岸の福音」

 背負いし業、つねひととの交わり。

 古典でも読むようなじーさんの言葉は、俺にはあまりにも難しかった。

 ただ何となくその口調から、そう悪いことではなかったと思えたのは救いだった。

「でも俺だけが普通すぎて、何もかも皆にわかられちゃってたのは結構複雑だったよ」

 じーさんはあっさりと笑いさす。

「安心せい。その者を構成してきた大局がばくと伝わるだけじゃ」

「…そう」

 その割には酔っ払って歩いてて車に轢かれただとか、彼女と別れたばっかりだとか、どうでもいいことまで知られていたけどな。

「それよりもおぬしは、ずっとこれが気になっているようじゃのう」

 じーさんは俺が見るともなく眺めていた、己の両腕に引っかけている金輪に目を向ける。

「それさ、辛くないの?」

「おぬしたちが表現するところの、質量としての重さは覚えぬから何とも言えんが…」

 そう言ってじーさんは首を傾ける。

「これは輪宝りんぽうという」

「りんぽう?」

「あちらの世では煩悩ぼんのうを払うとか、そういうわれがあるようだの。あるいは災難、障害を打ち破るとも」

感心とも納得ともつかないまま、俺は頷いた。

 目に映るその重そうな輪にも、生きている者の感じるような重みとは違う、また別の意味があるのだろう。

「ああ、そういえばマサトが言ってた。じーさんはじゅうおうの一人でてんりん王って言うんだって?俺、かなり失礼なこと言ったりしたよな…」

 俺の言葉にじーさんは微笑んだ。

「たとえば、夕べにまみえたならば」

「え?」

「今日ならば、また明日ならば。思いはそれぞれに流転する。己と他者に見えるものもまたしかり。願望や拒絶もそれぞれの形をたずさえ、驚きやおそれは映すものにとって大きくなり、驕慢きょうまんや怠惰は相手を小さく見せる」

「…どういう意味?」

「そうさのう。おぬしにとっての脱衣婆だつえばばや七王、そしてわしのようなものじゃ」

 なんだそれ。

「目に見えてる大きさとかも、本当は全部違ってるかもしれないってこと?」

「それぞれの形として己に与えているという意味では。おぬしが見ているものにもまた、そうであったら良い、そうであって欲しくないという己の心が反映するのじゃよ」

「…まさか、セクシー脱衣姐さんも俺のせいって言うんじゃないよな?」

 断言するけど、あの時はそんなことを考えてる余裕なんてなかったぞ。

「さあ、どうかの」

 じーさんはふふふ、と愉しげに笑う。

 からかわれてるのだろうか。

 それとも、この世界の人たちがものすごく人間臭く見えているのは、俺のせいだとでも言いたいのだろうか…。

 なんにせよ、とてつもなく懐が広い世界なのは間違いない。

 ともあれ、とじーさんは続けた。

今生こんじょうに在る者が叡智えいちを得る、それは己の存在をまっとうして七日の王にまみえる時。今のおぬしにとってのわしは、じーさんで良かろう?」

「…うん。そうだよな」

 今知る必要がないことなら、知らなくていいものもあるんだろう。素直にそう受け止められた。

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