7章 4話

「今日の旅はここまでだな」

 マサトの声に焦点の合わない目を上げる。

 知らぬうちに夜が訪れていた。

 すぐ傍に青い光が揺れている。

 その色は、昨日までと何一つ変わらないのに。

「ヒロキくん」

 呼びかけるカエの声も、ラジオに混じるノイズのようにしか聞こえなかった。

 目の前で光になって帰っていったアイリ。

『だいじょうぶ』

 笑うアイリに、何も言えなかった。

 悔しくて切なくてどうしようもない自分への憤りみたいなもやもやした思いが募って、ここに来てからは何一つ口にしていないというのに吐き気がした。

 皆で帰ると思っていたのに、一人一人こうやって仲間が抜けていくかもしれないなんて。

 俺は奥歯を強く噛みしめた。

「…どうして俺だけが知らなかったんだよ」

「ヒロキが知らなかったことも、オレたちは知らなかった。皆で帰ろうってのは、お前なりに考えた上での励ましだと、ずっと思っていた」

 本当だろうか。

 俺が知らないかどうかも、もしかしたらお前たちは知っていたんじゃないか?

 そんな猜疑心さいぎしんが芽生えるが、事実かどうかすらの真意も読ませない淡々としたマサトの表情に変化はなかった。

「言いわけをするわけじゃないけれど、罪を償った者には『時』が来ると、あたしたちもそう聞かされているだけで、実際大した情報を持っているわけじゃないんだ。ただ、それはいつ来るかもわからないし、誰も止めることはできないんだって」

 戸惑う俺の視線を正面から受け止めたカエが告げる。

「なんだよ、それ」

「ごめんね…」

 カエから目を逸らし、俺は傍らを見る。

 明かりを囲んで、いつでも右側にあった姿が今はない。

 ぽっかりと抜け落ちた空間。

 アイリのいない、三人だけのパーティ。

「そもそも、誰もあえて訊いたりしなかったのは、そんなことわざわざ口に出して確認したくなんかなかったからだよ」

 殊更淡々と伝えようとしているカエの声に含まれる痛みに、俺は気づかない振りをした。

「罪を許されるためにあたしたちは旅をしているけれど、先に『時』が来るということは、誰かを置いていくことになるんだよ?そういうのを口にするだけで辛くなるじゃない」

 言いたいことはわかる。

 けど…。

「おじいちゃん言ってた。どうにもならないことも乗り越えて行かなければならないって」

 だからどうして、そんな大事なことをリーダーの俺だけが知らずに旅をしていたんだよ。

「オレたちは旅の途中に誰かが先にいなくなるかもしれないって、あの河原にいる間に教えられていたし、じーさんから覚悟を確かめられてもいた。お前を驚かせることになったのは申し訳ないと思っている。でも、そうだとしても、もし旅に出る直前に聞かされていたら、アイリが旅を終えようとしていたあの時にヒロキは笑えたか?最後に残るのは自分かもしれないという怖れを、あの短い間に乗り越えられていたか?」

自分ひとり。

 たった一人、この世界に残されるかもしれないことを、覚悟できたかって?

 膝に置いた両手を固く握り、俺は俯いた。

「『時』が早く来ることは、それだけ罪を持っていない福音なの。知らなかったなら怖かったよね。あたしもやっぱ怖いよ。だけど、多分あたしたちよりもずっと辛い思いをしてきたアイリも含めて、旅の終わりとか考えないように歩いてきたことが間違いだって言うなら、一緒に旅してたことまで否定するのとおんなじだから…」

 …ああ、そうなのか。

 …そういうことなのか。

 俺は本当に自分のことしか考えていなかった。

「アイリは俺たちよりも先に戻って、幸せになるのを許されたんだよな?」

 頷くカエとマサト。

 年齢も、生きてきた時も、何もかもが違う寄せ集めだったはずの四人。

 初めはなんて頼りないメンバーだと思った。

 けれど仕事で一緒になった人たちや、毎日顔を合わせていた家族よりもはるかに短い時間でしかないのに、旅を続けるうちにいつの間にか、誰もが大きな存在になっていた。

「なあ、ヒロキ。いつ誰に『時』が来るかもわからないし、最後に残る奴は寂しい思いをするとは思う。けど俺たちはたとえそうであっても、目の前の試練を乗り越えなきゃいけないんだよ」

 マサトの言葉に隠れる決然とした意思に、感情を二人にぶつけた自分を悔やんだ。

「…ごめん」

「知らなければ不安になるのも当たり前だ。お前が謝ることはない」

 漠然と理解はできたけれど、誰が最後まで残り、誰が見送らねばならないのかを考えただけで足が竦みそうになる。

 でも、それでも、俺は皆のリーダーで、せめて残されたマサトとカエ、そして他でもない俺自身のために、進んでいかなければならないんだ。

「誰が最後でも頑張るなんて、俺にできるかなぁ…」

 『ヒロキ違い』で来てしまったような俺には、容易く諦めはつきそうもないけれど。

「それでも、自分の中に強い意思があれば越えていける」

 背中を押しながらも、己に言い聞かせるようなマサトの呟き。

 しんみりとした空気を破り、突然笑いが弾けた。

「まーったく、男ってホント辛気臭いよねえ」

「…カエ?」

「すぐそうやって落ち込んじゃってヤダヤダ。安心しなよ。絶対あたしが最後になるからさ」

 目を丸くする男二人を尻目に、さも自信ありげな表情で堂々と断言した。

「根拠のないことを…」

「勿論、根拠なんてなーい。ないけどさ」

 急に張り切り出した様子を、マサトは唖然として見遣る。

「ただね、ひとつ覚えといて。この年まで病気でも永らえてるあたしは、あんたたちの何十倍も生き汚いってことなんだよ」

 自分をおとしめながら、それさえも誇るようにカエは笑う。

 穴があったら入りたいどころか、自ら掘って埋まりたい、そんな気分だった。

 長く病気を患っているなど感じさせない立ち居振る舞い。明るくてまっすぐな逞しい子だと、そんな風に思っていたこと自体、俺はカエをどこかで見くびっていたのかもしれない。

 そんなわかりやすい筋の通った像よりも、強気で負けず嫌い、それでいて優しさも知っている、なんて姿の方がずっと人間っぽいし自然なことなのに。

 感嘆と、尊敬を込めて目を向ければ、いつも通りのやわらかなカエの表情が返る。

 いつか俺も掴めるだろうか。

 カエのような強さを。

 この世界を出た時に、ここでの出来事をどれほど覚えていられるのかもわからないけれど。

「考えたってどうにもならないことなら、その時まで目いっぱい楽しくやろうよ」

 力強い言葉に背中を押され、それぞれの思いを確かめるよう頷いた。

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