7章 2話
グレートスケリッグから一転、開けた土地を訪れていた。
ここ、ポンペイ遺跡には一世紀の当時から神殿、ピザを焼く窯、公衆浴場、飲み屋そして
黄土色の乾いた地面に敷かれた石畳を、砂ぼこりを巻き上げながらぞろぞろと歩く。
「どうせならこの近くの
「お前、飲める年齢はまだまだ先のくせに、妙なこと知ってるなぁ」
「大人になってからが楽しみっていう知識も、悪くないだろ?」
にんまりと笑う顔は、なんだか知らないが相当に自信がありそうな雰囲気で。
なんとも末恐ろしいガキだ。
「一世紀の頃だって言ってたっけ。すごく古い遺跡なのに、壁画とかタイルみたいなものも、意外と綺麗な色で残ってるんだね」
「十八世紀に発掘が始まるまでは、ずっと埋もれていたからな」
建物跡では随所に灰色の人の像が転がっていた。中にはガラスケースに入っているものや、台の上に無造作に置かれているだけのものもある。
「わんこ」
彫刻にも似た犬の姿を指差したアイリが、不思議そうに首を傾げる。
「生々しいね」
カエの感想に、マサトはあっさりと頷いた。
「うずくまったまま亡くなった人や、倒れた当時の姿そのままだから」
「灰に閉じ込められて亡くなった人や物の形が残ってたんだよな。空洞になってた場所に石膏を流したんだよ。細かい表情が見えないのが却ってリアルかも」
デッサンに用いられるギリシア彫刻のようにくっきりとはしていないけれど、その当時の悲劇を匂わせる像の数々を眺めながら俺は感心する。
「ここにあるのは、確かにヴェスビオ火山の噴火で犠牲になった人々やものだ。けど、この形も立派な資料なんだぞ。残酷ではあるが、パンの形や服のひだまでそっくりそのまま残っていて、往時の人々の生活を垣間見ることができる、こんな奇跡はそうそうない」
「まさか皮膚とか、残ってないでしょうね」
眉根を寄せたカエが、恐る恐る尋ねる。
「なんせ高熱に焼かれてるし、時間も経ってるからな。けど骨は多少残ってるぞ」
「…もういいや」
マサトの声を遮り、はああ、と漏らしたため息に思いの丈が詰まっていた。
そこかしこを覗くうちに、アイリの手を引いて歩いていたカエが首を
「なんだろうこの家。変なの。微妙に傾いて見えるのは単なる錯覚?」
覗き込んだ先には、幾分傾斜のついた床の上に置かれた石づくりの机とテーブルがある。
「ああ、それな。部屋の隅に穴が開いていたりしないか?」
入口の石壁に背を預けたマサトが楽しげに問いかける。
きょろきょろと見回したアイリが指をさした。
「あるー!」
「道々あった馬を繋いでいたのとはちょっと違うけど、確かに部屋の隅に穴があるよ」
「ならおそらく、貴族が宴会をした部屋だ」
「それにどんな意味があるんだ?」
「…聞きたいか?」
思わず口にしてはみたものの、カエとアイリの様子を横目に、ワインの話をしていた時よりもはるかに邪悪な笑みをマサトは浮かべている。
ああ、なんかイヤ~な予感…。
「当時は腹にたらふく詰め込んでは吐いてまた食べて、ってのが金持ち貴族の贅沢な
言葉を惜しむように、わざわざ区切って俺の表情を伺う。
だから何だよ。
「料理で腹いっぱいにしたら鳥の羽の先で喉を
「…とことんマゾだったんだね、ポンペイの人たちって」
まるで匂いまで感じると言うような、苦々しい口調でカエは顔を
「だからあくまで、当時の貴族の嗜みだって」
「あっ。ダメ、アイリ、汚い!!」
マサトの言葉など耳に入った様子もなく、カエは今しも穴に指を入れて遊ぼうとしていたアイリの首元を掴んで引き戻した。
「千九百年以上も前の汚れなんて残ってるもんか」
「わかってるけど、そんなアホな企画を
マサトと共に突き飛ばされるよう家から追い出され、重いかつ安定感の悪い腰の剣に振り回されてたたらを踏んでいる俺の傍らから、ピンと張ったアイリの声が響いた。
「かず、じゅうがじゅう…」
「このタイミングで!?」
足元に滲むいくつかの小さな闇色を認め、素早く退いて距離を置く三人。
「近いよ、ヒロキくん気をつけて!」
「そう言われても」
不安定な姿勢で避けようとしてはみたが、元より運動神経ほとんどゼロの俺は、案の定見事にひっくり返った。
「おい、ヒロキ。ドジが可愛いと言ってもらえるのは、ダメ男を放っておけない母性本能に訴えるか、コアな男共だけだぞ。大概はウザい」
寒々としたマサトの声。
「ほっとけ」
まったく、どこからそんな知識を取り入れてくるんだよ。
「まだ明るいし夕方まで引っ張るのは時間がもったいないね。うちら先に行こうか、アイリ」
「うん!」
「え、ちょっと」
張り切って飛びだして行くカエとアイリの姿を、地べたに這いつくばった体勢のまま茫然と見送る。
「…で?」
「ん?」
何が「で?」なんだ?
「オレたちはどうするんだ、リーダー?」
呆けた顔で見上げれば小首をかしげた姿で、ものすごく、それはものすごく毒を含んだ笑みを投げかけられた。
腰から引き抜いた剣をもぐら叩きの要領で、周囲に湧き出る『影』に落としながら、俺はじたばたと立ちあがる。
見渡せばいつの間にか辺りは円形の闘技場に変わっていた。
「ホントお前、トロすぎるんだよ」
出遅れたことも災いしたのか、もう三度目だというのに俺は戦いに慣れるどころか、握るだけでずっしりとした重みを残す両峰の剣を振り回わすのに必死だった。朝方の清々しさは幻に違いなく、その日の戦いぶりが散々だったことは言うまでもない。
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