6章 隻手の音

6章 1話

 ほんの少し目を離しただけでその色を変える、巨大なひとつの岩盤。

「あか」

「違うぞアイリ。あれは濃いだいだいとこげ茶の中間だろ」

「俺はヴァーミリオンだと思うな。シェンナをちょっと足したカーマインでもいいかも」

「色の名前を知ってるくらいで威張るな。一般に伝わらない知識なら、ないも同じだ」

「全然一般的じゃない奴に言われてもなぁ…」

「あんたたちさあ…感覚は人それぞれなんだから、何でも張り合おうとするのやめなよ」

 ごちゃごちゃと他愛無いことを言い合いながら、オーストラリアは原住民族アボリジニの聖地・エアーズ・ロックを飽きることなく眺めていた時だった。

「かず、じゅうがじゅう、じゅうがさん、それとろく」

 アイリの言葉と同時に『影』たちがじわりと滲み出るように現れ始める。

「確か百三十六地獄ってのがあったよな。煩悩の後は地獄の数なんてなかなかいきじゃん」

「呑気なこと言ってる場合かよ。増えてるだろ!このままどんどん天井知らずになってくことはないのか?」

「何言ってんだ。地獄の最大数は六万四千って説もあるんだぞ。二十余りなんて増えた内に入らないと思え」

「嘘だろ!!」

 悲鳴を上げた俺に、カエはなんでもないことのようにさらっと言いのけた。

「六万いくつかはさすがにないと思いたいけどね。まあ、とりあえずみんないるんだし大丈夫じゃない?」

「…大らかすぎないか、カエは」

 そう?と首を傾げる顔は大人しげなのに意外という点ではマサトも俺も及ばず、もしかすると言動や行動力は、四人の中で一番かもしれない。

「お前ら、聖地で襲おうなんて無粋すぎるんだよ」

 マサトは胡乱うろんな眼差しを向けながら『影』たちを腕を組んだ姿で睨みつけている。

 意外性といえば同じ人間…もとい、子どもとはとても思えないんだけどな、マサトも。

 そもそも「無粋」なんて言葉を吐きながら肩を竦める仕草が、実に様になる小学生なんてありか?

「戦うなら、もっとふさわしい場所があるよな」

 本当の悪役は『影』と俺たち、どっちなんだろう。時代がかったセリフから小難しい説教まで、マサトの語彙は本当に呆れるほど広いと感動すら覚える。

 ため息をつく俺の背を、わかっているとでも言いたげに苦笑したカエが叩いた。

 不敵に笑うマサトの背後が、塗り替えられるように変わっていく。

「おしろー!」

 アイリが歓声を上げる。

 広々とした庭の背後に、こぢんまりとした塔が立っているのが目に入った。

「イギリスはロンドン塔、ブラッディータワー。かつて幼いエドワード五世と、その弟のリチャードが幽閉されていたという話が伝わる場所。ぴったりじゃないか」

 そう言ってくすくすと笑う顔には子どもらしさどころか、邪悪さを感じるのは気のせいだろうか…。

 斜めに差し込む日差しに浮かんだ塔は堅牢そうではあったが、その名からは思いもよらない、黄色がかった色合いの明るい石造りの壁。なんだか綺麗にまとめられた映画セットのようにも見えた。

 中世の騎士が歩いていても不思議ではなさそうな、穏やかでゆったりとした雰囲気には、一見してマサトの言うような血生臭い場所を思わせる雰囲気はない。

「幽閉って…ちょっと!こんなにきれいな場所なのに、血塗れの塔とか物騒なこと言わないでよ。毎度毎度本当に陰惨なところばっかり選んで来るんだから」

 けれど、カエにとっては目に入る風景よりもいわくの方が問題のようで、『影』に対し、剣先を向けて牽制しながらも憤懣ふんまんやるかたない様相だ。

 俺からすれば向き合うものの数よりも、その場所にあった事実に対して怒るってのは何だか妙だと思うんだけどなあ。

 やっぱり女子にとっては目に見えるものよりも、シチュエーションの方が大事なものなんだろうか。

「ちー。いたい?」

 困り顔で服の裾を引っ張るアイリへ屈みこみながら目線を合わせ、大丈夫だとマサトは身勝手な説得をしている。

「それより、皆忘れてないよな。今日からは勝手な個人行動は禁止だ」

 一人ずつの目を見ながら俺は確認した。

 俺とカエは深追いをせずマサトとアイリを中心に考え、互いの距離を開けないで動くことにしようと、ゆうべのうちに話し合っていた。

 時間がかかったとしても、誰か一人を危険にさらすような真似はもうしたくないと持ちかけた時、カエは自分のことのように嬉しそうに笑った。

『そうだよね。そういうことって大事だよね』

『本当は、アイリやマサトにああいうことをやらせるのも嫌なんだけどな』

『その意見はおかしい』

 俺とカエの話に、マサトは当然のように口を挟んできた。

『だってそうだろ。大人だからって理由で責任をとればいいって考えは大間違いだ。ここにいるオレたちは皆それぞれに越えるべき試練を背負っている。振り払う必要がなければ課せられないものなんだぞ』

『ちょっとマサト、ヒロキくんは無理を承知でそれでもって言ってるだけなのに、あんたまたそんな小難しいこと言ってねじ伏せようとするわけ?素直に子ども扱いされるのが悔しいって言えばいいじゃない』

『勘違いすんな。自分のやるべきことをよそに押し付けるつもりはないってだけだ。アイリだって、ヒロキやカエばかりが嫌な目に遭ってほしくないよな』

『うん。だから、いっしょならうれしい』

 気丈に振る舞ってはいても、やはりアイリなりに心細かったのだろう。

 そう言ってふにゃりと笑うのを見て、俺はリーダー失格だと反省したものだ。

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