4章 泥中の蓮
4章 1話
やがて日は落ち、辺りは互いの姿しか見えない闇に包まれた。じーさんの言っていた夜が来たのだ。
旅はひとまず中断となった。
「特別不自由はないけど、やっぱり明るい方がいいよな」
マサトの杖にはまった石が、ランプのような青い輝きを浮き上がらせる。
誰からともなく杖の回りを囲むように集まって座り込んだ。
「キャンプファイヤーみたいだね」
楽しそうにカエが笑う。
熱も酸素も媒体にしていない明かりなのに、時折風に吹かれるように不思議に揺れる。
ゆらゆらと青い光が周囲を踊る様は幻想的だった。
腹が減ることはなかったけれど、眠気は訪れるらしい。アイリはカエに甘えるように膝枕をしてもらい、すでに小さな寝息を立てている。
「ねえ、こういう時って学校ならフォークダンス踊るんでしょ?皆で輪になって手つないだりして、ぐるぐる回るトランス入るやつ」
「…なんかその解釈、ちょっと違くない?」
唐突に言い出した言葉に思わず突っ込みを入れると、カエは小首を傾げる。
「そお?楽しそうだけど」
「俺は結構好きだな」
マサトが意外なことを言いだす。
「へえ…、お前フォークダンスを馬鹿馬鹿しいって思わないんだ」
「別に。単純な振り付けならすぐに覚えられるし」
対する口調はにべもない。
「いや、そういう問題じゃないだろ。なんかもうちょっと、恥ずかしいとかさ」
「ああいうのは、その場の空気を楽しもうとしなかったら、恥ずかしいだけのものになるもんだろ」
もう、突っ込みがいちいち可愛くないなあ!俺は内心舌を出した。
「…まあ、それはさておき。踊りって万国共通だろ?言語と同じで、いつかオレの夢の役に立つかもしれないと思ってさ」
えらく素直に笑う横顔を、こんな表情もできるんじゃないかと感心しながら見るうちに、俺はマサトの夢が何なのかを聞きそびれた。
「とりあえず、キャンプファイヤーはそれだけじゃないし」
「なになに」
カエが興味津々といった様子で身を乗り出してくる。
「はい、ヒロキ。フォークダンス以外で、キャンプファイヤーにつきものなのは?」
先生みたいな口調で質問を投げかけられ、思いついたままの言葉を口走る。
「
「学校では大概そういうことやるけど、あくまでそれは自然学習や課外授業の一環だろ」
「…冗談に決まってるじゃん」
ゾンビにでも遭ったかのような驚きともつかぬ目を向けられ、俺は慌てて取り繕う。
鼻で笑うマサトには、俺の浅はかさなどはなから見抜かれていたようだが…。
「他に何かあったか?」
気を取り直して俺は首を
「あ、もしかして歌じゃない?」
「正解。こういう時に必ずと言っていいほど、歌わせられた曲あるよな」
満面の笑みを浮かべるカエを横目に見ながら、マサトはからかうような目を俺に向ける。
悪かったな、どうせバカだよ。
「燃えろよ燃えろとか、遠き山に陽は落ちてとかだっけ。あの歌詞って結構難しいよね」
一度も経験したことのないような口振りで、カエはフレーズを思い出そうと宙を睨んでいる。
「遠き山に陽は落ちてってあれ、日本語も悪くないけど、実は英語の歌詞がいいんだ」
「お前、まだ小学生なのに英語までわかるのかよ」
呆れる俺にこともなげに頷いて、マサトは囁くように歌いだした。
「Goin' home, goin' home, I'm a goin' home;
Quiet-like, some still day, I'm jes' goin' home.」
まだ変声すら迎えていないマサトの声が紡ぐ歌は、高く低く不思議な韻律で辺りに響く。
「It's not far, jes' close by, Through an open door;
Work all done, care laid by, Gwine to fear no more.
Mother's there 'spectin' me, Father's waitin' too;」
発音は、憎たらしいほどに良かった。
けれど掠れ、途切れ途切れに届く音は、眠るアイリを起こさぬためにボリュームを絞っているとは言え、決してうますぎることはなかった。
何でも器用に見えるけど、こうして耳を傾けている限りは天才や非凡という冠なんてなくて、ただ等身大の十二歳なんだなと思った。
「Lots o' folk gather'd there, All the friends I knew,
All the friends I knew.」
マサトは生真面目に最後のフレーズまで繰り返し、歌を終えた。
英語なんて大嫌いだった俺には、意味の半分くらいしかわからなかったけれど。
キャンプファイヤーは偉大だ。
歌詞の頭に幾度も歌われていた「帰ろう」というフレーズが、なんだかものすごく心に沁みて、郷愁とはこういうものを言うのかとしんみりとした気持ちになった。
しばらくの間、誰もが黙って杖が放つ光を見つめていた。
「…そういえばヒロキくんは確か、酔っぱらって家に帰る途中で赤ちゃんを助けることになって、ここに来たんだったよね」
カエが訊ねてくる。
「国道で助けたのは話したけど、酒飲んでたなんて言ったっけ?」
「ヒロキの情けな~い話なんて、合流する前にじーさんから聞いてたに決まってるじゃん」
首を傾げる俺を横目で見ながら、すかさず
けど、一瞬、ほんの一瞬だけ鋭い目を向けたのに対し何かを感じたよう、口元に微かな笑みを刷いた。
「うん」
二人のやりとりの意味がわからない俺はきょとんとする。
「いや、そんな特別なことじゃないんだよ。ヒロキくんはあたしたちよりも後から来たからわからないと思うけど、実はあたしたち、それぞれがどうしてここに来たか知ってるんだ。アイリに個人個人の理由や意味がちゃんと伝わっているかはわかんないけど」
「え、そうなの?」
マサトを振り返ると、面倒臭げに頷いた。
「今さらながらの自己紹介になるけどあたしはね、病気でこっちに来たの。八歳の時に心臓に先天的な障害があるってわかって、それからはたまに家に帰れるくらいでほとんど病院の中しか知らなくてさ。学校も院内で通ってたけど、病院にキャンプファイヤーや修学旅行なんてないもん。家族以外の人と旅するのも生まれて初めて。今は痛みも気にせず動けるし、本当に楽しいよ」
語る言葉の中に含まれているものに、カエが子どものようにはしゃいでいた理由がようやく腑に落ちた。
「そうか…」
キャンプファイヤーで歌うどころか、そのほとんどを知らなかったのだ。
俺は学生の頃から友人を作るのも上手くなかったし、学校行事なんてはっきり言って押し着せの義務感だと思っていた。特に修学旅行だの、文化祭だのといったイベント事なんて、それなりに楽しくなくはなかったはずだけど、むしろクラスの中心人物たちがここぞとばかりに謳歌している姿しか思い出せない。
俺にとっては普通のことでこだわりを持っていないことも、自らの経験の一つとしても持たない人がいるなんて考えたこともなかった。
いつだって明るいカエが、十年以上もの間病気と闘い続けていたのだということに驚くとともに、そもそも凡庸で平らかなものすら、誰かの
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