3章 2話

「散々勿体つけて現れた割に、そんな程度なら少ないもんだ。もうちょっとこの風景を見てたかったけど…やっぱり戦うならそれなりの舞台が必要だよな」

 マサトが杖を一閃させると、目の前の風景ががらりと変わった。

「メキシコ、チチェンイツァ『戦士の神殿』。神々に生贄を捧げた場所、なんてどうだ?」

 緑に囲まれた開けた場所に聳える巨大な祭壇を見上げ、カエが鞘を抜き払いながら小さくため息をついた。

「静かそうないいところだとは思うけど…初めての試練にそんなところを選ぶなんてあんた、臭いもんだけじゃなく生臭いのも好きなんだね」

 マチュピチュでのトイレ談義がよほど印象深かったのだろう、かなり本気で言っている。

「みどりのにおい、いいにおいだよ」

 カエのぼやきを解さずに、アイリはにこにこと笑った。

「もう、意味違うんだってば、アイリ」

「アイリにかかれば何でもボケだな」

 マサトと顔を見合わせ、思わず笑いを漏らす頃には、緊張感はすっかりほぐれていた。

四方を向き合うよう俺たちは背中合わせに立ち、じりじりと輪を狭めて来る黒いものたちに対峙する。

「俺、自分が戦うのは仕事の締め切りだけと思ってたんだけど」

 剣を握るどころか、兄貴と喧嘩をした時だってはるか彼方。戦争など知らないし、平和な日々を送ってきた。

 こんな風に、訳のわからないものと向き合ったことなんて当然ない。

だから、正直戦う時はもっと怖いと思っていた。

「皆でいるからかな。あんまり怖くないや」

「あたしも」

 同意するカエに俺は頷いた。

「気を抜くのは終わってからにしろ」

「がんばる」

 呆れを含んだマサトの言葉も彼方に飛んでいくような、のどかなアイリの返答に苦笑する余裕すら持ち合わせている自分が不思議だった。

 自信があるかと尋ねられたらやっぱり、そんなものはないと答えていたと思う。

 子ども二人に華奢な女、そして腕力なんてからきしな俺。ただでさえクヨクヨと後ろ向きな性格をほったらかしにしても、どう考えたって明るい要素はゼロなはずなのに。

 でも、だからこそ見いだせる可能性もあるんじゃないか?そんな風に思えるなんて、我ながら単純だろうか。

 だけど、何もわからずにたった一人で河原にいた、あの時の心細さに比べたら。誰かと共にあることがこれほどまで力強く、怖れすらしのぐこともあるんだと心が躍った。

「勝てなくても、負けねぇ!」

 思わず洩れる言葉に、マサトが吹き出した。

「なんだそれ、しまんねーの」

「ごちゃごちゃ言ってないで行くよ!」

 走り出すカエの声で戦いが始まった。


アイリの楯からは闇をも白く浮き上がらせるような輝きが放たれ、虚ろな『影』たちの踏みこみを鈍くする。まるで示し合わせたかのように、その間隙かんげきを突いてマサトは自在に風を繰り出し、黒い姿を薙ぎ払った。

「疲れを感じないって、こんなに楽なんだな」

「同感!」

 怒鳴りつけるようにマサトに答え、ぐいぐいと前に斬り込みながら『影』を引きつけ、カエは軽やかに神殿の階段を駆け上がって行った。

 身軽なんてもんじゃない、なんだかサーカスのアクロバットでも見ているようだった。あんな細い体のどこに力があるんだろうとすら、思う間もないほどに自然な動きだ。

 俺の最初の一撃は目を閉じたまま繰り出した。目の前に立ちはだかったものに対し剣をぶつけた瞬間に、手ごたえともなんともつかない余韻が、柄を握った掌に伝わってきたことの方が衝撃だった。

「ううー…結構重い」

 受け取った時には感じなかったけれど、両峰の剣の刃は思ったよりずっしりとしていて、マサトやカエのようには間違っても言えなかった。

けれど一度動き出せば不安は消えた。

 じーさんが言っていた通り、俺のナマクラ剣も立派な打撃道具になり、これなら何とか足手まといにならずに済むかもしれないとホッとする。

 さすがに一撃では無理でも、数回衝撃を与えれば消えると気づいてからは俄然士気が上がった。要領を得てそれぞれが少しずつ『影』を追い込んでいく。

 勢いづいた俺は目の前の塊に飛び込んだ。

 だが、加減がわからず、数体を巻き込みながら地面にみっともなく尻餅をついてしまう。

 他の三人に比べてなんとも格好悪かったけれど、目前に迫る数を思えばそんなのは思考からすっ飛んでいた。

 『影』たちの間を地面を転がるようにして逃げ回りながら、足元を払えばあっけなく倒れていく。

 ただ…元来運動をする習慣のない俺に、引き際を見極められるような危機感はなく、ついつい調子に乗ってしまった。

 相手の体勢を崩そうと深追いするうちに、気がつけば周りを囲まれていた。

「うわあ!」

 逃げ場もなく、掴みかかってくる数本の腕を防ぎきれずに思わず目を閉じる。

 しばらく待っても何の反応もない。

 訝しく思い恐る恐る薄目を開ければ、離れたところからげきが飛んだ。

「バカ、カッコつけて自爆してんな!!」

 散々な言われようだと思いながら見上げれば、マサトの力に違いない、局地的な風が阻むように巻き起こり、俺の周りへの『影』の侵攻を足止めしていた。

 本当になんでもできる、しゃくに障るくらい器用な奴だなあ。

「サンキュー」

 体裁なんて気にしていられないと、腕をめちゃくちゃに振り回しながら跳ね起きる。

手に持つものが剣であることも忘れ、昆棒のように夢中で振り回した。

いくつかの『影』を散らしてようやく一息つけば、マサトが神殿の方にじりじりと追いやられているのが目に入る。

「ピンチならそう言えよ!」

「どこに目ぇつけてんだ。呼ぶまでもないだろ!」

 囲みを払いのけて駆けつければ、焦燥の色を浮かべた様子とはうらはらな強がりの応酬が返る。

 相変わらず素直じゃないけど、そんな憎まれ口にも大分慣れた。

 参戦した俺の目の端に、口元だけで悪いと呟くマサトが映る。

 そういう態度って、向けるべき相手にちゃんと届かなきゃ意味がないものなのに、プライドが高いというか…どんだけ不器用な奴なんだろう。

 風に揺らぐ『影』を、剣で幾度も薙ぎ払う。

 共に蹴散らしながら意外と息が合ってるじゃないかとうそぶけば、楽ばっかしてんじゃねえなんて、本当に可愛げがないったらない。

 ただ、そんな生意気な言葉すらも心を開いてくれなければ出ないことを思うと、悪い気はしなかった。

「ねえ、アイリどこ行った?」

 剣を振るいながら呼びかけるカエ。その時、引きるような叫び声が聞こえた。

 振り向けば、遺跡の階段下に黒い塊がうごめいている。

「アイリ!?」

「待ってよヒロキくん!」

「一人で先走るな!」

 まとわりつく『影』を押しのけて二人に任せると、俺は構わず駆け出した。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 黒い山を蹴飛ばすようにして突き進めば、階段の下で数体の『影』に囲まれたアイリが、しゃがみこんだ姿で叫び声を上げているのが目に飛び込んでくる。

 緩慢な動きの『影』たちの手が、アイリに掴みかかろうと伸ばされた。

 うずくまったまま、アイリは動かない。

「マサト!」

「わかってる、早く行け!!」

 俺の頬を掠めるようにして、マサトの起こした風が『影』たちの動きを足止めするよう疾走する。

 追いすがるものを必死に振り払い、駆け寄った。

「アイリ、悪かった」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 呼びかけても聞こえていないのか、ひたすら詫びる声ばかりが繰り返される。

「アイリ、聞こえるか」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 しゃくりあげ、声をらして謝り続ける姿に、どうしていいのかわからず震える背中に手を置いた。

「ごっ、ごっごめんなさいいいい」

 よほど怖かったのだろう。顔を引きつらせ、しゃくりあげながら飛び退くと、アイリは一際大きな声で詫びた。

 楯を取り落とし、顔を伏せたまま身を縮めて怯えている。

「もう大丈夫だから」

 『影』の相手を走って来たカエとマサトに任せ、硬直する背中に何度も呼びかけた。

「アイリ、アイリ、俺だ。大樹だよ」

 繰り返すうちに、徐々にアイリの震えが収まってくる。

「…ヒオキ…?」

 恐る恐る尋ねる声に、そっと頭をなでた。

「そうだよ」

 びくりと体を竦ませた後、そろそろと目を上げる。

「…ヒオキ」

 顔を歪め、体当たりするようにして飛びついてきた。

 手の甲が真っ白になるほどに強く、俺の服の裾を握りしめる。

「ごめん。怖かったよな」

てっきり泣き出すと思っていた。

 けれど、アイリが声を上げることはなかった。

「ううー…」

 喉の奥から振り絞るように唸るアイリはまだ幼い子どもながら、懸命に耐えているようだった。

 恐怖を押さえつけながら肩を震わせ、ひたすら顔を真っ赤にして歯を食いしばり、踏みとどまろうとしている。俺は必死に自分の中で何かと闘っているアイリを抱き留めた体を、離すことはできなかった。

「あたしは大丈夫だから、マサトはあっちをお願い」

「無茶言うな」

 少し離れたところで剣を振るうカエに応えるマサト。

 その声に、アイリはしがみついていた俺から顔を離し、『影』の姿を数えるような素振りで辺りを見回した。

 服の裾を固く握りしめていた手に赤みが差し、徐々に平静を取り戻して行く。

「…もうへいき」

 案じる言葉など、決して掛けられないようなきっぱりとした声で告げる。瞬きを繰り返す目にも、やはり涙は浮かんでいなかった。

 わがままも甘えも介在しないその雰囲気は、驚くほど大人びて見えた。

「強いな、アイリは」

 本心から思って顔を覗き込むと、赤い目を笑いの形に細めた。

 落ちていた楯を拾い上げて手渡せば、大きく頷いてマサトとカエの元へと走り出す。

 俺は慌ててその背を追った。

「おい、置いていくなよ!」

「のこりのかず、じゅうとじゅうとさん!」

「余裕!」

「じゃあ、サポートよろしく」

 体は疲れを感じなくても、心は疲弊するはずだ。勝手に戦線を離脱していた俺たちを責めるわけでもなく、カエもマサトも笑って迎えてくれるのが嬉しかった。

 俺の中で、皆で帰ろうという気持ちが、あの瞬間はっきりとした形になったように思う。

 気合いを入れて皆とつかず離れずの距離で戦ううちに、拮抗きっこうしていた流れはこちらに味方し、いつまでも続くかのように思われた黒の洪水も、みるみるうちにその数を減らしていった。

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