2章 3話
「え…?」
いつの間にか目の前には、古色然とした巨大な一枚の地図が広がっていた。
見覚えのあるそれを前にした俺は、驚きに目を見張る。
「あっ、あたしこれ知ってるよ!一時期流行った文房具に使われてた!ノートとかシャーペンとか好きで集めたよ」
「文具?この世界の地図じゃないのか?」
「クレヨンほしい」
歓声を上げるカエの傍らで世代の違うマサトは目を白黒させ、アイリは大きな紙に落書きでもしたげにきょろきょろと辺りを見回している。
「エヴァーラスティング…」
「そうそう、そんな名前のシリーズだったね。ヒロキくんそういうことに詳しいの?」
「これ、俺がデザインしたんだ」
俺の呟きに、カエは声を上げた。
「…ええ!?」
エヴァーラスティングは、俺が社会人になってから初めて手がけた大きな仕事だった。
「たくさんの絵を見に、世界中の美術館に行きたいと思ってた。どんなところかを想像しながら地図を見ているのが好きだったんだ。それがベースになってる」
自分のデザインが世間に受け入れられるかどうかなんて考えず、喜びだけで乗り越えられた新入社員時代。それがどれほどの財を生み出すのか、あるいはマイナスになるのかなんて駆け引きも知らず、課題制作ではない好きなものに向き合えるのがとにかく楽しかった。
お金もない、時間もないと言い訳にくさする今とは大違いで、あの頃は心と体さえあればどこにでも行けると思っていた。過ぎて行った十年と少しの年月は、かつての経験を未熟で稚拙だったという言葉で置き去りにするような小賢しさを、教えてはくれたけれど。
「懐かしいな…」
これがきっかけとなり、その後先輩と協力して作った、宇宙をテーマにしたスペースクラフトシリーズも会社のヒット作になった。
「ヒロキくんって、こういうのデザインする人なんだ。すごいねえ」
「一応、ね」
…まあ、それも言ってしまえば過去の栄光で。
残念ながら俺の活躍は、そのペーペーな新人時代に華々しく始まり、尻すぼみになってしまったけれど。
今や会社の業績は青息吐息、鳴かず飛ばず。当時の俺に仕事を教えてくれた先輩たちもほとんど残っていない。
花の模写、パターンデザイン、空間描写、犬や猫。見つめるうちにビジョンはページをめくるように俺の思い出の数々を映し出す。
ああ、学生時代にはこんなものも描いていたな…。
「…ちょ、ちょっと待て。これ全部俺が描いたものじゃないか!」
「そのようじゃな」
慌ててじーさんを振り返れば、さも当然という表情で頷いている。
「強く思えば叶う、そのものじゃ」
「俺、別に何も願ってないけど!」
「え、じゃあこの絵も全部ヒロキくんの?うまいんだねぇ」
その間にも新たな絵は現れ続ける。
海、流木、風景画、眠る動物、祭り、石膏像、果物、人物画…
「や…やめやめやめ!!」
恥ずかしさに思わず叫び声を上げる。いくら絵を描くのが好きだと言ったって昔の絵を、しかもこんな特大サイズで見せられるのは居心地が悪すぎる。
「頼むよ~」
目を輝かせて見ているカエやアイリの視線がいたたまれず、生み出された画像の前で腕を振り回せば、世界は色を失ったように再び真っ白な
「ああ、勿体ない」
俺は恥ずかしさのあまりその場にしゃがみ込む。
「もっとみたい」
「スミマセン勘弁してください…」
女子二人の抗議に返す言葉もなくへこまされる。
「…なあ。最後のあれって、犬?」
顔を上げると、背中を向けていたマサトが振り返った。
「崖の手前から遠くを見おろしてる感じの、後ろ姿のやつ」
「雪景色の中?」
マサトは首を縦に振った。
それは枯れた木々が所々に覗く雪原で、遠くはるか先を見つめる小さな灰色の背中を描いた。
「ああ、美大にいた時に描いた、日本狼の子どもをイメージした絵だ」
「美大って、絶滅動物まで描くのか?」
「当時、絶滅生物を描くっていうちょっと変わった課題があってさ。俺は狼を選んだ。描いてるうちになんだかハスキーの子犬みたいになっちゃって、散々講師陣には笑われたけど、不思議と周りには評判良かったな」
へえ。なんて、何とも薄い反応。
悪かったよ、つまらないこと聞かせてさ。
「失われた世界を描かせる割には、想像力の薄い講師たちだな」
頭が固い一辺倒だと、辛辣すぎる言葉。
「…さいですか」
驚きが勝りろくな言葉も返せなかったけれど、皮肉でも返されるものと思っていたマサトが、俺の絵に興味を示してくれたのは嬉しかった。
「アイリはどう思う?」
「すべりだい!」
「そうだねえ。皆で遊べるようなサイズのも楽しそうだね」
やはり策がないのは俺と同じのようで、カエは苦笑を浮かべている。
「弱ったなぁ…」
「聞くけど、ヒロキみたいなイメージがありっていうなら、本当になんでもいいのか?」
思案するような表情を浮かべていたマサトが口を開く。
「好きなものを選び、願うがいい」
「特にリーダーの意向じゃなくても?」
念を押す声に頷きが返ると、マサトの表情がみるみるうちに喜びの色に変わった。
「なあ、ヒロキ!オレ、ずっと見たかったものがあるんだ。もし皆がいいなら試させてくれよ!」
「何かアイデアでもあるのか?」
しゃがみ込んだままだった俺は、尻をはたいて立ち上がった。
「試練に関してはよくわかんないけど、こんなチャンスはないから」
「チャンス?」
マサトは嬉々として俺の言葉を待っている。
確かにこのまま悩んでいたって進みそうもないよな、そう思い俺は頷いた。
「わかった。まずは任せる」
「やった!」
「おじいちゃん、あたしたちはどうすればいいの?」
「共に行く。そこに答えはある」
「オレが皆にいいもの見せてやるよ!」
屈託のない笑みを見せ、マサトは杖の中ほどを持って掲げた。
「とりあえず、オレがいいって言うまでは目を瞑っててくれよ。ヒロキはアイリを頼む」
「わかった」
「アイリ、しばらくないないだ」
「ないない?」
マサトが手のひらで目元を
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