1章 6話

「ところで俺たち、これから何をすればいいわけ?」

 疑問を投げかければ、マサトは天を仰いでうめいた。

「ほら、これだよ。カエは不満じゃないのか?」

「不満も不満じゃないも、ヒロキくんは来たばかりで何も知らないんだからしょうがないじゃない。はなから喧嘩腰じゃなくてもっと仲良くやろうよ」

「オトナな模範解答をどうも」

「何それ。かわいくないわねぇ。マサトこそ、そういうのが子どもじみた態度ってわかってんの?」

「だって子どもだし」

なんとも沸点の低い争いだ。

 肝心の俺を置き去りにして、会話はあらぬ方向に向かう。

「大体、ガキ二人に女、挙句頼りないこいつとの組み合わせってひどすぎるよな!?」

「その女一人に言わないでよ」

「二人とも、少し落ち着けよ」

 俺からすればマサトとカエ、どちらもどちらだ。

「こんな頼りないのばかりなら、一人の方がマシだった」

「一人旅なんて、叶いもしないこと言うんだ?本当わがままな子どもだこと」

「事実だ!」

「あんたねえ…いい加減頑固すぎ」

 肩をすくめてカエが心底呆れたように言い捨てる。

「ていうかさ、マサトの生意気もどうかと思うけど、ヒロキくんもさ、言われっぱなしにしてないでちゃんと言いなよ。自分の意見がない人ってあたし一番ムカつくんだよね」

 散々な言われようだ。

 とんでもないところでとばっちりを受け、さすがの俺もカチンと来た。

「黙って聞いてれば勝手なことばかり言うなよ。俺だって来たくてこんなところにいるわけじゃないんだからな」

「そんなの皆当たり前でしょ」

「一応人並みには言い返せてるじゃん」

「どうしていちいち突っかかってくるんだよ。俺がお前に何かしたか?」

「やー」

 場の剣悪な空気を遮るように声が上がった。

 アイリが俺たちの間に立ちあがり、両腕を広げる。

「けんか、やー」

 首を振りながら泣きべそをかくような表情で俺を見上げ、眉間に寄ったしわを伸ばすよう、顔中にペタペタと触れてきた。

「ちょっとアイリ、やめろって」

 握ったその手のぬくもりに、不意に蘇った思い。

 俺は潤んだ目を向けるアイリを通してほんの一瞬、別のものを見ていた。

 ハイビームに浮かび上がる、小さな白い影。

 国道をハイハイで歩いていた赤ん坊。

 男か女かもわからなかったけれど、あの時抱え上げた体は柔らかくてあたたかかだった。

 泣き声ひとつ上げずに腕の中に収まり、疑うことも恐れも知らないまっすぐな瞳で俺を見上げてきた。

 俺はこんなところに来てしまったけれど、あの子は無事だったろうか。

 怪我もなく保護されて、ちゃんと親に会えているのだろうか。

「…ごめんな」

 どうもここに来てからというもの、感情の振れ幅がおかしい。訳もなく泣きそうになって思わず俯いた。

 今までそんなことはすっかり忘れていたし、特別子どもが好きだったわけでもないのに。

 どうしてだろう。

 こうして手のひらから伝わってくるアイリの体温はとてもあたたかく、慰められているような気がした。

「…ごめん、あたしも言い過ぎた」

 カエが頭を下げる。

「なかなおり」

 ほんの少し前に曇らせていた顔を今はにこにこしたものに変え、アイリは楽しげに俺の髪をくしゃくしゃにして遊びだす。

「まあ、確かに俺が頼りないってのは本当のことだもんな。…いてて」

 もつれる髪をかきまぜて喜んでいるアイリを、引き剥がすのに苦心しているのを見かねて助け舟が出される。

「ヒロキくん、子ども好きなんだね」

 険のある表情を納め、アイリを抱き取りながらカエが笑うのを目にした俺は、単純かもしれないけれど嬉しかった。

「姪っ子はいるけど、そんな風に言われるほどでもなかったよ」

 名残惜しげに腕を俺の方に伸ばすアイリを止め、カエは先を促した。

「俺さ、ここに来たのは多分、国道で赤ん坊を助けたときにどっかにぶつかったからなんだ。そん時の子は、アイリよりももっともっと小さかった」

「赤ちゃんを庇って車にかれたってこと?」

 穏やかに尋ねる声に首を傾げる。

「どうかなあ。ぶつかったとしても、足とか体の一部だけじゃないかな。打ち所が悪かった可能性もあるけど、とっさに転がり込んだのが側溝の方だったから、もしかしたら路肩のブロックとかガードレールに頭でもぶつけたのかも」

「マヌケ」

 マサトが吹き出す。

「そうかもな」

 ほんの少し前なら腹が立っていたかもしれないが、俺はすんなりと頷いていた。

 毒気を抜かれたように見上げて来るマサトに目をやれば、何か言いたげに一瞬開いた口を閉ざし、視線を逸らした。

 唇を引き結んだ、所在なげな横顔を見て思った。

 もしかすると本当はコイツも、カエに先を越されただけで謝る機会を探していたのかもしれないと。

「悪かったよ」

 俺の声に、マサトは気まずげな様子でもごもごと口元を動かす。

 なんだ、やっぱりそうか。大人びて見えたって、こいつもまだ子どもなんだ。

 まあ、子どもが大人のやることをしようもないと思うのは、いつの時代だって同じだよな。俺だって昔はそうだったし。

 向こうからすれば揺らいでいる大人なんて格好悪くて、そんなの相手に素直になれなんて説教をしたところで、どだい無理な話だ。

 見栄とかプライドとか言っている場合でもない。取り繕ってがっかりさせるくらいならみっともないものごと見せた方が、仲間として行動するためにもマシだよな。

「マサト、俺は自分が頼りないことを否定はしないけど、皆でやらなきゃいけないなら、険悪にしてても何もいいことないと思うんだ」

 まっすぐに顔を上げ、見返してきたその目に俺に対するさげすみの色が浮かんでいないことにほっとする。

「…建設的じゃないって?」

「わかってるじゃん」

 俺は頷く。

「こうして少ししか話してなくても、お前が見た目よりはるかに頭のいい奴だってのはわかる。でも、頭がいいのと何かができるってのは別ものだっていうのも、少なくとも皆より長く生きている分、俺は知ってるかなと思う」

 眉根を寄せるマサトに、俺は正直に告げた。

「はっきり言って俺は、今までリーダーになんてなったことないし、じーさんの持ってた紙にもあったように、勇者とかいう立場だってわかんない仮のままだ。だったら、単なる年の功。まとめ役って考えてみてもいいんじゃないか」

「そんなに自分をおとしめなくてもいいのに」

 カエが不満げに口を尖らせた。

「別に貶めてるつもりはないけど、皆より後に来た俺が何も知らないってことは事実だからさ」

 いくら目を凝らして見ても、少し離れたところにぽつんと立つじーさんと、自分を含めここにいる四人の姿しか見えない。

 けれどそれだけでも、誰もいない河原にいた時に比べたら不思議なほど力強く感じた。

「俺は事故の時の赤ん坊を助けられたのかもわかんないし、どうなったのかも知らない。でも、自分をどうにかとかだけじゃなくて、こうやって皆で何かをしなきゃいけないっていうなら…やっぱりアイリみたいな小さい子とか、マサトみたいなガキがこんなところにいるのを見るのは辛い。あ、別にカエはどうでもいいとか言ってるわけじゃないぞ」

「わかってるよ」

 カエが苦笑する。

「片手で年を数えられるアイリと、一緒の扱いにすんなよ」

 拗ねたような態度にいっちょまえの矜持きょうじが滲んでいるのが見えて、やっぱりこいつも悪い奴じゃないんだなと思う。

「だから助けてほしい」

 そう言って俺は頭を下げた。

「わかったから、もうそういうのやめよう」

「オレも悪かったよ」

 正直に胸の内を明かしたことで、却って認めてもらえたようだ。

 猜疑さいぎの色を浮かべていたマサトの、挑むような空気がほどけた様子に、目くばせしてきたカエが小さく笑った。

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