1章 3話
「そうだとしても、ばばあと言うには苦しいですよ」
思わず本音を言えば、お世辞だとしても嬉しいもんだねえと、脱衣婆と名乗った
あの世の住人と言う割にはその姿があまりにも人間臭く、つられて苦笑が漏れる。
「ともかく、あんたの処遇を考えないといけないね。順番はすっ飛ばすことになるけど、
どれ、よっこらしょという掛け声と共に俺は再び体をつまみ上げられ、彼女の手の上に収まった。
「少しの間辛抱してな」
俺は首だけを出すようにして、恐る恐る脱衣姐の指の隙間から見える景色を眺めてみる。
死んだらもっと暗い場所に行くのだと思っていたけど、少なくとも見える範囲は深い霧がかったような白で覆い尽くされ、天国はおろか地獄の風景や
水音が耳に聞こえることから、かろうじてこの下は川だということだけは想像がついたけれど。
やっぱり裁判の場と、あの世で行く先は違うところにあるのだろうか。
気持ちを紛らわすために色々と考えたりしてみたが、しばらく続きそうな静寂がいたたまれず、思わず声をかけていた。
「あ、あのー…。さっき言っていた順番をすっ飛ばすってどういうことなんでしょうか。死んだらみんな、
セクシー
「…ん?ああ、最近は何も知らないのが増えたってのは聞いてたけど、本当なんだねぇ。あんたたちが言っている閻魔大王は、本来あっちの世界を離れてから
「え、五番目?」
どうして一番初めではない、五度目の裁判という中途半端なタイミングで罪を裁くような王が、これほどまで人に恐れられる有名人になってしまったのだろう。
首を捻っている俺に対し
本当に明るい姐さん…もとい婆さんだ。
「人の考えることなんてあたしには良くわからないけれど、あの方の持つ
「一番初めに生前の罪状を見るわけじゃないんですか」
更に疑問を深めた俺に、脱衣姐は優しく含めるよう続ける。
「そもそも冥途には七つの関門があって、あんたたちの時間で言う一週間ごとに審判するもんなんだ。通常その区切りは、一週間を表す七の前に過ぎた週を足された数で現される。一週間目が
「はあ、そうなんですか」
七人の判官を要するなんて、死後の裁判ってそんなにあるものなんだなぁと、思わず他人事のように感心してしまう。
絵ばかり描いていないで、日本の文化や風習などももう少し勉強しておけば良かった。学生時代、授業の一環で仏教も学んでいたはずなのに、全く知識が残っていないのが残念だ。
けど、少しおかしくはないだろうか?
なんだか肝心なところがすっぽりと抜けているような…。
首を傾げていた俺は、恐ろしいことに気づいた。
「ちょ、ちょっと待ってください。いきなりその七七日の…泰山王さんでしたっけ、に会いに行くなんて俺、なんかまずいことでもあるんですか」
「馬鹿だねぇ、そのまずいことを解決するために向かってるんじゃないか」
「はあ…。まあ、それは確かにその通りですよね」
悪びれることない、堂々たる物言いに俺は思わず頷いてしまった。
あの世は役割分担の線引きがきっちりしているらしいということ、そしてこの人と話をしたところで、疑念は解決しそうもないことはなんとなくわかった気がする。
結局何一つ理解できなくても、今は待つしかない。
「さあ、着いたよ」
床に降ろされたのは足元の感覚でわかった。
「着いたって言われても、俺はどうすればいいんですか」
降りたところが川の上でないことは理解できても、相変わらず周囲は真っ白で何の存在も感じない。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
そんな声が頭上から聞こえ、瞬きをするうちに白い
ぽかんと口を開けたままきょろきょろしていると、平安時代の文官のような姿をした、これまた巨大な人が文机の前に座している姿が唐突に現れたものだから、心底驚いた。
「ええと…泰山王さま、ですか?」
文官は鷹揚に頷く。
てっきり待たされたりするものと思っていたら、いきなり御大と対面させられるとは。
でも、こんなに短い間に色々なことが進行するなら、たとえ千年の刑を仰せつかっても、きっとすべてがあっという間なんじゃないか。そう思ったら少しだけ気が楽になった。
俺は泰山王の前に自然と跪く。
生まれてこの方、そんなことをした記憶は一度もないにもかかわらず、自分がそれをしているのが不思議だった。
「有馬大樹です」
手順をすっ飛ばされた俺には、一体どんな裁きが下されるんだろうか。
「なるほど、確かに名を有しておる」
名前がわからなきゃ裁判なんて受けられないだろうに、さきほどの脱衣姐さんの言葉同様、まったく意味が呑み込めない。
俺は困惑しながらも黙って次の言葉を待った。
「のちの世というのは、判官が名を呼ばぬ限り己の生を思い出すことはない。その方、いまだ天命をまっとうしておらん」
時代がかった声を項垂れながら、神妙な気持ちで受け止める。
ああ、だから皆、あんなに慈悲深い表情で歩いていたのか。
俺は三途の川に続く流れを思い出していた。
すべてを七日ごとの王たちに委ね、任せるからこそ裁判の時まで己を嘆くことも飾ることもしない、無垢な存在になれるのだ。
あやふやな自分の存在とは大違いだなあと、少しあの人たちが羨ましかった。
…ん?
でも、天命をまっとうしてないって、要は死んでないということなんじゃないだろうか。
疑念を抱きながらも泰山王の続く声を俺はひたすら頭を垂れて待ち続けた。
だが、一向に先の言葉がないのを不審に思い、思わずそろりと顔を上げれば、平安時代の直衣のような着物をまとった小柄な老人がすぐそばに立っていた。
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