20
休日だけありどこも人が多い。
とりわけモールに続く駅の利用者は多く、電車の扉が開けば雪崩のように人が降りていく。午後に入りそろそろ夕方に差し掛かる時間だというのに盛況ぶりは衰えず、カップルや家族連れ、友人同士の買物……と、層は様々だ。
そんな人混みを抜け、メインにあたる大きな改札とは真逆へと向かう。
そうすれば途端に人の数が少なくなり、休日らしい賑わいが徐々に遠ざかるのを背に聞きながら見慣れた道を小走りで進んだ。
志摩君が猫カフェに行く確証はない。それどころか、はっきり言ってしまえば「そんな気がした」程度の感覚であやふやも良いところだ。
彼から連絡が来たわけでもなければ当然だが約束もしていない。そもそも志摩君は一人で猫カフェに入れないのだ。一人で行く可能性は低い。
それでも不思議と彼がそこに居る気がして、自分の足を急かすように歩いた。
猫カフェで過ごす志摩君はサッカー部のエースではなく、一人の男の子だ。
猫が好きで、それを隠す恥ずかしがり屋。だというのに学校で私に話しかけるのだから、少しうっかりしているところもある。
猫を撫でている時の表情は学校で見る『人気者の志摩君』とは少し違っていて、とりわけコモモを撫でる時は穏やかに見える。そんな極普通の男の子だ。
平凡な私は『サッカー部エースの志摩君』も『人気者の志摩君』のこともあまり知らない。だけど猫カフェで過ごす志摩君のことは誰より知っているつもりだ。特別ではない、ただの猫が好きな男の子。
そして今、サッカー部の最後の試合を終えた志摩君が一人の男の子として悲しんでいるのなら……私はそんな彼を支えたい。
そう考えながら足早に歩き、そして猫カフェの入っている建物へと着き……。
「……志摩君」
と、建物の出入口で俯く様に立ち尽くす人物の名を呼んだ。
私の声に彼が顔を上げてこちらを向く。目深に被った帽子、私を見て丸くなる瞳。
まるで初めてここで会った時の焼き直しのようで、それでいて彼の表情には疲労の色が見える。
「七瀬、なんで……」
「なんでだろう。志摩君がここに来るような気がしたの」
「そっか……。なんか、来たくなってさ。でもやっぱ一人じゃ入れなくて……」
「……うん」
たどたどしく話す志摩君は普段の彼らしくない。
言いたいことがハッキリしていないのか、それでも何か話さないと落ち着かないのか、視線をそらして「それで」「だから」と必死に話をしようとしている。
そんな彼に対し私は一度頷いて返し、そうして建物の窓に掛けられている猫カフェの看板を見上げ、「入ろうか」と声を掛けた。
お店の中は相変わらずゆったりとした空気が流れ、扉を開けるとパディがちょこんと座って出迎えてくれた。
そんなパティの頭を撫でて、壁沿いに設けられている椅子に腰かける。横並びに座るこの席は中央のキャットタワーを眺められる特等席だ。
夕方になりかけのこの時間は猫の過ごし方も様々で、寝ている子も居れば活発に活動する子も居る。
現にキャットタワーの一段目ではアメリアが丸くなり、最上段ではアルドが落ちそうなほど手足を伸ばして眠っている。対して下の階から上がってきたログはまるで見回りと言わんばかりに店内を歩き回り、中には店員さんにじゃらされて跳ね回っている子も居る。
見ていて飽きがこないその光景を前に、私達の間にしばらく沈黙が続いた。
そんな沈黙を破いたのは、
「……応援、ありがとうな」
という志摩君の声だった。
運ばれてきたコーヒーを一口飲み、そうして一息吐くかのように吐き出された言葉はきっと向かい合う席では聞き取れなかっただろう。それほどまでに小さく、そして弱々しい声に、私は彼の方を見ることはせずキャットタワーの柱で爪を砥ぐパディを眺めながら「うん」とだけ返した。
手元のコップの中で氷が揺れ、カランと崩れて紅茶を揺らす。
「うちのサッカー部さ、負けた時は直ぐに解散するんだ。反省会とかするべきなんだろうけど、前にコーチが『そういうのは落ち着いてからやろう』って言い出して」
「……うん」
「普段は解散してもみんなでどっか遊びに行ったりするんだ。反省会かねてサッカーやったり、カラオケとかボーリングとか。今だけはサッカーのこと忘れようって、バッティングセンター行ったこともある。でも、今日は誰もそういうこと言わなくて……」
「……そっか」
「やっぱ強かったな。点も取れたけど、追いつけなかった……」
「うん」
「…………終わったんだな」
「……そうだね」
呟くような志摩君の声は私に向けられているようで、自分の中に落とし込もうとしているようにも聞こえる。
上手く吐きだせない息苦しささえ感じられて胸が痛み、せめて何か慰めの言葉を掛けようと窺うように志摩君に視線を向けかけ……ポタと彼の手の甲に一滴落ちたのを見て、そっと視線を目の前の光景に戻した。
キャットタワーでは相変わらず猫達が好き好きに過ごしており、パディがアメリアの横に寝そべろうとしている。二匹が重なりあうようにして身を寄せあい鼻をくっつける姿は愛らしく、お客さんが数人、写真に撮ろうと携帯電話を片手に立ち上がった。
そんな普段通りの穏やかな空気の中、それでも志摩君が時折漏らす溜息は深くて重い。
「部活、大変だったけど……でも楽しくて、だからもう少し、あと一試合でも続けたかった……。なんでだろうな、部活の奴らと居た時はおれが励まさなきゃって思って、泣かないようにしてたんだけど……」
志摩君の手にポタポタと涙が落ちていく。
彼はそれを隠すように服で拭うと、次いで強引に腕で目元を拭った。
乱暴に擦るようなその仕草を見て、私は慌ててポケットからハンカチを取り出し「使って」と一言告げて彼に渡す。
猫のキャラクターが描かれたハンカチだ。ちょっと子供っぽく思え、もっとシンプルで女の子らしいハンカチを持ってくればよかった……と、そんなことを考えてしまう。
だけどそんな私のハンカチを見て、志摩君が「こんなところまで猫だな」と笑った。
その声は普段より覇気がなく少し震えているが、ほんの少しでも笑ってくれたことに安堵してしまう。といっても普段の調子とは程遠く、元気になったとは到底言えるわけがない。
そんな志摩君の様子に、何か彼にしてあげられることは無いかと答えを求めるように周囲に視線をやれば、室内に置かれた猫ちぐらからコモモがヒョコと顔を出すのが見えた。
眠っていたのか、猫ちぐらから上半身を出してググッと小さい体で伸びをする。寝起きの身嗜みと言わんばかりに手と顔を舐めて整えると、短い手足でポテポテと歩きながらこちらに近寄ってきた。
そうして志摩君の足元まで来ると、ヒョイと彼の隣に飛び乗り、まるで膝に乗せてくれと訴えるようにその腕に擦り寄った。
「ん? 膝に乗るか?」
コモモに強請られ、志摩君が自分の膝を軽く叩く。
どうぞ、とでも言いたげなその仕草は、まさに私が彼に教えてあげた動きそのもの。それを見て、コモモもまたあの日のようにゆっくりと志摩君の膝に乗った。
そうして数度志摩君に撫でられると、ジッと彼を見上げ、そして……、
ンニャーン
と高く一度鳴いた。
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