19
友達に心配されながらもバスと電車を乗り継いで家に帰り、火照った身体と未だボンヤリとする頭を冷ますためにぬるま湯のシャワーを浴びる。
だが試合の最中ずっと日に当てられていたからかシャワーを浴びても体の中の熱はいっこうに冷めず、それでいて心の中は静かに冷え切っているようだった。
負けちゃった……と、そうポツリと呟くも、浴室内は延々とシャワーの音が続いており私の声は掻き消されてしまう。それがまた切なさを呼び、この胸のうちに残る靄を流し落としてくれることを期待して頭からぬるま湯を浴びる。
「志摩君のサッカー、終わっちゃった……」
最後までフィールドを走っていた彼の姿が脳裏に過ぎる。
試合終了の音を聞くまで諦めることなく、そして仲間を諦めさせまいと声をかけあっていた。勇ましいとすら思えるその姿と、猫カフェで楽しそうに過ごす穏やかな姿が交互に思い出される。
それがまた心苦しく頭の中を掻き回すようで、冷めないならいっそ沸騰してしまえとシャワーの温度を上げて熱めのお湯を頭から被って浴室を後にした。
「サッカー部、負けちゃったのね」
と、お母さんが声を掛けてくる。
それに対して私は力なく答えたが、ドライヤーの音で届いたかどうかは定かではない。もっとも、お母さんにとっては返事などあってもなくても良いのだろう、「お昼どっかで食べてきちゃえば良かったのに」と勝手に話を続けている。
それどころか、モールに新しい和食のお店が入っただの、オムライスのお店が人気があるだのと一人で話しだし、果てには「いつもの猫カフェに行くと思ってた」とまで言って寄越すのだ。
これには私も答える言葉もなく、乾かし終えた髪を結びながら脱衣所を出てお母さんのもとへと向かった。
「そんな気分じゃなかったの」
「あらそうなの。あんた今までサッカー部の応援なんて行った事なかったのに、突然熱心になってどうしたのよ。泣いて帰ってきたから何かあったんじゃないかってビックリしたわよ」
「……別に。仲良くなった子に誘われただけ」
「ふぅん。そもそもあんたサッカーのルールなんて分かるの? いつもお母さんが見てるとチャンネル回したいって煩かったじゃない。お兄ちゃんが説明しても全然聞いてないし」
「……このパン、食べていい?」
「どうぞ。そういえばサッカー部は負けるとそのまま解散なんですってね。近所の奥さんが言ってたんだけど、そこの家の息子さんも同じ学校で」
「部屋で食べる」
お母さんのマシンガントークを遮り、パンを片手に部屋へと向かう。
親の話を聞かない薄情な娘と言うなかれ、お母さんの話は一度始まると滅多なことでは止まらないのだ。それも話しているうちに枝分かれし、終わるころにはまったく別の終着点についていることが多い。今だって、いつの間にかご近所の噂話に変わっている。
普段ならばテレビを見ながら話に付き合ったりもするのだが――そういう時のお母さんの話は、テレビについてと世間話が交互になり、かと思えばCMを見て思い出したと全く別の話になりと非常にややこしい――今のこの気分では碌な相槌も返せないだろう。
だからこそ強引に遮ってしまったが、きっとお母さんは然程も気にせず次の話し相手を探すに違いない。今お兄ちゃんとお父さんは居ないから、きっとパブロを相手に……と、そこまで考え部屋の扉を開けると、ベッドの上にパブロが居た。
どうやらパブロもまたお母さんのマシンガントークから逃げてきたようで、相変わらずデロンとひとのベッドに寝そべりながらもこちらを見つめている。
その表情はどことなく切なげで、「匿ってくれ」と訴えているように思えてならない。
「大丈夫、お互い母さんから逃げて来た同士だもの、追いだしたりなんかしないよ。パブロも私の部屋でゆっくり……また違うシュシュ!」
匿ってあげる気になったのに、パブロの口元にオフホワイトのシュシュを見つけてしまった。
それでいて手元にはちゃっかり水色のシュシュも確保しているのだ。当然、クッションも傍らに置いてある。
このイグアナ、とんだ強欲イグアナである。
「もう、せめてどれか一つにしてよ……」
そう訴えながらパブロのもとへと近付き頭を撫でる。そのままゴロンと横になり、いまだにオフホワイトのシュシュを噛んでいるパブロをギュッと抱き寄せた。
猫とは違う不思議な感覚。柔らかいがふかふかとは言えず、肌は少しざらっとしている。前に友達に抱っこさせたところ、怖いだの何だのと悲鳴をあげていた。私としては猫のふかふかも良いが、これはこれで愛着と落着きがわくものなんだけれど。
「ねぇパブロ、サッカー部負けちゃったよ……。あんなに頑張って、あんなに走って……でも、負けちゃった」
話しつつ試合の光景を思い出せば再び視界が滲みはじめる。
残り時間が着実に減っていく中、空を仰いだあの時、志摩君はどんな気持ちだったろうか。
今はどんな思いで過ごしているのだろうか。
誰と居るのだろうか。どこに……。
「……まさか、行くわけないよね」
もしかして、という考えが過ぎり、それでも自分自身で否定する。
負けたら試合後そのまま解散と言っても、きっとサッカー部の仲間達と過ごしてるはずだ。もしくは家族と一緒に居るか、応援に来てくれた友達とどこかに行っているかもしれない。
友人の多い志摩君のことだ、彼を慰め励ましたいと思う人は多いはず。男女問わず、彼を一人になどするわけがない。
……だけど。
「パブロ、行っても無駄かな? でも、もしかしたら……。パブロ?」
どうしよう、と話しかけたものの、パブロの前足が私を押していることに気付いて言葉を止めた。
といってもイグアナの力だ、私の体が動かされるようなこともなければ痛みも感じない。それでもパブロの前足はグッと私の身体を押している、まるで押し退けようとしているな動き。
じゃれているのか、甘えているのか、暑いから離れろと言っているのか、もしくはシュシュを取られまいとしているのか……。
それか『行け』と言っているのか。
そのどれかはパブロの表情からは窺えず、それでも不思議と鼓舞されているように思えた。
パブロの瞳がジッと私を見ている。そうしてしばらく見つめ合うと、パブロがゆっくりと瞳を閉じた。前足は依然として私を押したまま。
その動きに従うように私はベッドから下り、机に置いたままの鞄を掴んだ。
気になるなら行かなきゃ。
もしもそこに彼が居なくても、このまま部屋でもどかしい思いを抱いているよりはマシだ。
たとえ無駄足になったとしても、それをいつか猫カフェで話そう。きっと彼は笑ってくれるから。
「ありがとうパブロ、これお礼にあげる!」
そう礼を告げ、机の引き出しからシュシュを一つ取り出す。
パステルカラーの布地に花柄のプリント、囲うようにレースが施されたシュシュだ。色も柄も可愛くレースが豪華さを感じさせ、私の一番のお気に入りである。
これだけはパブロに取られるまいと机に入れておいたのだ。もちろん、パブロに甘く欲しがる素振りをすれば直ぐに提供してしまうお母さんやお兄ちゃんにも隠していた。
そんなシュシュをパブロの口元に差し出し部屋を後にし、どこに行くのかと尋ねてくるお母さんに靴を履きながら答えて家を飛び出した。
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