18
そんな数日前の事を思い出す。
志摩君が言った通り試合の相手校は強く、前半から終始リードされ続けていた。
点を入れて追いついても点を入れられて離される、形勢はまさに一進一退。いかに頑張って点差を縮めようとも逆転までには至らず、それを幾度となく繰り返していくうちに応援する気持ちが請うような心苦しいものに変わっていく。
祈るように握り続けた手の中は汗で濡れており、頬を伝う汗を拭おうともヌルリとした感触しかしない。刻一刻と減っていく電子表示の残り時間が視界の隅でチラつき焦りを呼ぶ。
凍らせておいたはずのペットボトルは既に溶け、飲んでも温くなったスポーツドリンクの甘さが喉にまとわりつく。昼前から始まった試合は後半を迎えると共に日差しもピークを迎え、そんな中で温くて甘いスポーツドリンクなど乾きが潤うわけがない。
心臓が痛い。指先がピリピリと痺れる。暑さと眩しさと張り詰めた空気にクラクラする。
相手選手がボールを持つたびに凍てつくような胸の痛みを覚え、ゴールに近付けば近付くほど息苦しくなり顔をそむけたくなる。
ジリジリと火傷しそうな程の日差しを項に受け体の中に熱がこもり、それでも妙な冷や汗が私の背を伝っていた。
応援席も次第に表情を曇らせ、それを悟らせまいと誰もが選手の名前を呼ぶ。私も痛む胸を押さえ、志摩君に限らず分かる選手すべての名前を鼓舞するように叫んだ。
その声に次第に覇気が失われつつあることが自分でも分かる。冷ややかな焦燥感が声を出すのを邪魔し、心臓の音が耳の真横で鳴っているかのように声よりも響く。
最初こそ興味が無いと言っていた友人もこの空気に当てられたのか、強張った表情でフィールドを見つめ、時には私より大きな声でフィールドの中でボールを持って走る選手を鼓舞していた。
だがすぐさま相手校の選手に横からボールを奪われ、声援も落胆に変わってしまう。対して向かい側の応援席がワッと一気に盛り上がり、走る選手の名前がフィールドを挟んだこちらまで聞こえてきた。
その落差は顕著で、酷く残酷に思えてならない。
そうして残り時間が3分を刻む頃には、応援席では敗北を予感するような表情を浮かべる者が出始めていた。それどころか、応援の合間が漏れる。
選手を呼ぶ声も次第に悲痛めいて擦れ、専門的な用語で応援をしていた声もいつしか漠然とした「頑張れ」というものに変わっていく。
残りは3分、点差は3点。
ここまで開いてしまったと考えるべきか、まだこれだけしか差がついていないと考えるべきか、サッカーに詳しくない私にはよく分からない。
だけど周囲は前者と考えたようで、電子表示の数字がまた一つ変わるごとに空気が重くなっていく。堪えられなくなったのか、数人がうずくまるように身を屈めてフィールドから顔をそむけた。
残り数分で奇跡の大逆転。
……なんてことは、きっと漫画やドラマの中だけなのだ。
だけどフィールドの中では選手達がその奇跡を願って……いや、奇跡なんかじゃなく自分達の力で逆転してやらんと懸命に走っている。
その姿は恰好良く、眩しく、そしてどこか悲しく、残り一分を切った時には彼等を見つめる私の視界は潤み始めていた。
諦めちゃ駄目だ、そう自分に言い聞かせる。
まだ勝てるかもしれない、志摩君達は諦めてないんだから……と、そう考えて潤む視界でフィールドを見れば、志摩君は変わらず誰よりも早く走っていた。誰より一番にボールの動きに反応し、誰より声をあげて仲間を鼓舞する。
その声は私の場所までは届かないが、それでも必死に声をあげるその姿は私の胸をしめつけた。せめてと彼の名前を呼ぶも、掠れる声は力が入っておらず、まるで夏の日差しに掻き消されるような錯覚を覚えた。
そんな私の潤む視界の中で、志摩君は最後まで誰よりも早く走り、最後の一秒まで諦めずに走り……、
そして試合終了の音を聞くと、ゆっくりとその速度を落としていった。
相手校の選手が抱きしめあって歓喜する。応援席も湧き上がり拍手が溢れるが、不思議とその歓声は私の中にまでは届かず、まるで透明な壁の向こうにある別世界で響いているように聞こえた。
フィールドの中は明暗がハッキリと別れ、喜び合う勝者の近くで敗者が涙を拭う。中には頽れて嘆く者も居り、志摩君がゆっくりと近付くとその肩を叩いた。
立ち上がるように促したのだろうか、肩を貸して歩く。だけど志摩君自身もまだ息が荒く足元がふらついており、それでも挨拶のためにとフィールドの中央へと向かう。
そうして色濃い明暗をつけた二つのチームが同時に頭を下げる。
片や晴れ晴れとした表情で顔を上げ、片や汗と一緒に目元を拭いながら。顔を伏せたまま硬直したかのように立ち尽くす者も居る。
そんな中、志摩君は顔を上げると並ぶ仲間を見回し、そしてゆっくりと空を仰いだ。
何も無い空を。
晴れ渡った空を。
ジッと堪えるように空を仰ぐ彼の姿を私はボンヤリと見つめ……一度瞬きをした瞬間に溜まっていた涙が堰を切ったように溢れだした。
「負けちゃったね」
「……うん」
「負けちゃったけど、恰好良かったね」
「…………うん」
ポツリポツリと呟く様にかけられる友達の言葉に俯いたまま返す。
一度零れた涙は止まらず、彼等が最後に応援席に向けて頭を下げる姿も、揺らいだ視界ではろくに見守れずにいた。鳴り響く拍手と激励の声すらもまともに贈れず、力の抜けた震える手で数度弱々しく手を叩くので精一杯だった。
試合の間ずっと張りつめていたものが、肩で息をし空を仰ぐ志摩君の姿を見た瞬間フツリと音を立てて途切れてしまったのだ。一人また一人と席を立って応援席を後にする今でさえ、立ち上がることも荷物をまとめることも出来ずにいた。
空を見上げて堪える志摩君の姿が脳裏に焼き付いて離れない。これが三年間頑張った最後なのだと思えばまた涙が溢れる。
志摩君と仲良くなってはじめて応援に来た私でこれなのだ、ずっと彼等を応援していた家族や友人は、なにより本人達はいったいどんな気持ちなのだろう。その胸中は私には計り知れるものではなく、ただ涙に変わる。
「行こう。もう出なきゃ」
「……うん」
腕を擦られながら促され、タオルで顔を押さえながら立ち上がる。
最後に一度振り返ったフィールドには誰も残っておらず、先程までの熱戦も、歓声も、そして勝敗が決まった瞬間のあの胸を絞めつけられる空気も、全て嘘のようにシンと静まり返っていた。
だというのに私の耳の中ではまだ試合の音が続き、聞こえていなかったはずの志摩君の声がずっと繰り返されていた。
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