13

 翌日はなんとも憂鬱で、只でさえ気が滅入る月曜日とあって気分は最悪とすら言えるものだった。

 そのうえ学校に着くや開口一番に友人達から猫カフェと志摩君の事を聞かれるのだ。

 学校という閉鎖空間の情報伝達の速さは恐ろしいものがある。とりわけ志摩君はサッカー部のエースなのだ。そんな彼と平凡地味な私となれば、意外性も合わさってより早く情報が回ったに違いない。

 朝でこれなのだ、きっと今日一日で学校中が知るだろう。


 だが幸い仲の良い友人達は私の猫カフェ通いを理解しており、むしろ、


「まだ猫に貢いでたんだ……」


 と冷ややかに言ってくるだけだった。


「本当に志摩君とは猫カフェに行ってるだけなんだよ」

「分かってる。それより春休み最後の一日を一人猫カフェで過ごそうと考えたことに対してちょっと引いてるぐらいだから」

「その点については触れないでよ!」


 遊ぼうって誘ったじゃん! と訴えるも友人達は皆口々に用事があったと言ってくる。そんな彼女達に念を押すように「本当になんでもないんだからね」と告げれば、なんとも言えない苦笑で返されてしまった。

「はいはい、なんでもないのね」とオウム返し気味に返されるとなんとも不服ではあるが、それでも理解はしてくれたのだろう。……少なくとも、私の周りの友人達は。


「……なんだか時々見られてる気がする」

「そりゃ相手は志摩だからね」

「やだなぁ、呼び出しとかされたらどうしよう」


 チラチラと注がれる視線に、古典的な漫画のワンシーンを思い描く。

 人気の無い場所に呼び出され「彼に近付かないでよ!」「何様のつもりよ!」と責め立てられる展開だ。学校ならば校舎裏あたりが定番だろうか、確かに私の高校の校舎裏はひと気が無く、呼び出しには適している。現に、いじめや告白の舞台となることが多いと聞く。

 そこに呼び出されて……と私が案じながら話すも「古い」と一刀両断されてしまった。

 だけど志摩君はサッカー部のエースで人気のある男の子だ、彼を恋い慕う女の子は少なくない。彼女達からしてみれば、私は平凡なくせに抜駆けをしたことになる。


「……学校にパブロ連れて来たら駄目かな」

「駄目に決まってるでしょ。というか連れて来てどうするのよ」

「守ってもらう。校舎裏に呼び出されて囲まれたら、鞄からおもむろに威嚇するパブロを取り出すの。この間お父さんの旅行鞄に入って寝たから、それなら連れてこれるし……」


 そんな呼び出し対策を考えれば、落ち着けと諭されてしまった。

 だけどそれ程までに不安なのだ。こんな風に注目されることなんて今までなかったし、嫉妬を買うなんて以ての外だ。


「……でも、もう心配する必要はないか」


 そうポツリと呟いた私の声は自分でも分かるほどに落ち込んでおり、友人達が気遣うように視線を向けてくる。それに対して私はどう答えていいのか分からず、僅かに俯いたまま誤魔化すように「気にしないで」と笑った。

 だが次の瞬間はっと顔を上げたのは、志摩君と彼を囲む友人達が教室に入ってきたからだ。


「七瀬!」


 と呼ばれた声に、そらそうとしていた視線を再び彼に戻してしまう。

 志摩君が友人達の輪を抜けてこちらに向かってくる。猫カフェの中ではあんなに普通に話せたのに、今はどうしてか緊張してしまう。

 周囲がざわついているのが分かる。女の子達がチラチラとこちらを見ている気がする……。

 特に志摩君を囲んでいた女の子達から注がれる視線は分かりやすく、彼女達に見られていると考えると身がすくむような感覚すら覚えた。

 だというのに志摩君はそんな視線に気付いていないのか、ただ参ったと言いたげに肩を竦めるだけだ。


「あいつら言い触らすなって言っておいたんだけど……。七瀬、何か言われてないか?」

「わ、私は大丈夫だよ」


 心配されていることに気付いて慌てて首を横に振る。

 元々猫カフェ好きは友人達の中では周知のことで、今回の件もみんな直ぐに理解してくれた。そんな私に対して、志摩君は教室に来るまでに既に色々と聞かれて大変だったという。

 サッカー部のエースである志摩君が猫カフェ通いという意外性も、きっと周りの好奇心に拍車をかけているのだろう。

 だけど私としては、今こうやって彼に話しかけられていることこそ注目を呼んでいる……。なんてことは言えるわけがない。

 そんな居心地の悪さを感じていると、一人の女の子が「ねぇ志摩」と彼に声を掛けた。


 染めているのか少し茶色がかった髪、目元や口元に施された化粧、シャツには高校指定ではないネクタイが着けられている。お洒落で可愛い女の子だ。それだけで少し臆してしまうのだから我ながら情けない。

 そんな女の子は私達のもとへと来ると、もう再び志摩君の名を――とても親しそうに――呼んだ。


「ねぇ志摩、猫カフェ行ってるんでしょ。あたし聞きたいことあるんだけどさぁ」


 言いかけ、女の子が私に気付いたと視線を向けてくる。

 大きな瞳、アイラインとアイシャドーが目元を華やかに見せ、ほんのりとのったチークが可愛さを増させる。髪は器用に編み込んであり、流行りの髪飾りが動くたびに揺れる。まさに今時のお洒落な女の子だ。

 学校既定のリボンをそのまま着け、少しだけスカートを短く折ることで満足している私とは違う。

 見つめられるとその差を明らかにされているようで、かといって俯くわけにもいかずつい視線をそらしてしまう。

 こんな可愛い子と、そして恰好良い志摩君。二人と居ると見比べられてしまわないだろうか……と不安すら抱いてしまう。卑屈過ぎだろうか。


 そんな私の気持ちになど気付くことなく、志摩君が女の子へと視線をやり……、そして彼女の名前を呼んだ。

 ゆな、と、彼の口から聞こえたその呼び方に、私はようやく目の前の女の子が誰かを思い出した。

 泉谷いずみやさんだ。同じ学年の子。お洒落な女の子のグループに居て、男の子とも仲が良く、特にサッカー部の男の子達と一緒に話していることが多い。

 ……下の名前は、優奈ゆな



 そんな彼女を、志摩君が『ゆな』と呼んだ。なんて親しげな呼び方だろうか。

 それが無性に私の胸を痛め、志摩君と泉谷さんが話しているところを見ているのが辛い。

 今すぐにでも逃げ出したいような気分になり、志摩君が何かを言いだそうとするより先に「あの」と半ば強引に遮った。


「あの……泉谷さんが猫カフェに興味があるなら、その」

「七瀬?」


 志摩君が不思議そうに私を呼ぶ。

「七瀬」と。そこに泉谷さんを『ゆな』と呼ぶような親しさは感じられない。

 だけどそれは当然だ。私と志摩君はたまたま猫カフェで居合わせて、その後も理由があって一緒に過ごしているだけ。その理由も、もう無くなってしまった……。


 だからせめて、志摩君が言い出す前に。

 彼に言われてしまうのなら、いっそ私から……。


「泉谷さん、猫カフェ行ってみたいなら志摩君が連れていってあげなよ」

「おい、七瀬?」

「猫カフェ、楽しいよ。だから……二人で、その方が良いよ」


 次第に自分の言葉が消えかかっていくのが分かる。

 脈絡も無い話だ。聞こえにくく、こんなことを突然言われても困るだけ……。それが分かっても自分の胸の内がしめつけられ、誤魔化すように作り笑いをした。

 志摩君が不思議そうに、そしてどことなく困ったように私を見ている。

 声を掛けて良いものか窺っているのだろうか。それが分かってもどう返していいのか分からず、自分の言ったことを撤回することも出来ず、私はただ平静を取り繕って作り笑いを浮かべるしかない。


 変に思われたくない、困らせたくない、気まずい思いをさせたくない、傷付いているって気付かれたくない。

 ……志摩君を好きだって、知られたくない。


「志摩君は一人だとお店に入り辛いって……だから、泉谷さんと一緒に行くと良いよ」

「おい、七瀬。どうしたんだ?」

「今度ログの誕生日だから、それも……」


 それも一緒に、と言いかけた私の声にホームルームの開始を告げるチャイムの音が重なる。

 その音を聞き、志摩君の友人達がそれぞれ教室へと向かう。不思議そうな表情を浮かべて私の話を聞いていた泉谷さんも、最後に一度「後でね、志摩」と彼の腕を叩くと教室を出て行った。

 私達の様子を窺うように見ていたクラスメイト達も、ホームルームの準備をしたり友達と話しだしたりと普段通りのざわつきに戻っていく。興が冷めたか、これ以上は何も起こらないと察したか、もう私達に注目する者は居ない。

 その賑やかさと視線から解放されたことに安堵し「私も準備しなきゃ」と呟いて自分の席へと戻って行った。



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