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「ずっと七瀬と話したかったんだ。でも二年の時は別々のクラスだっただろ、それに俺のことを覚えてるかも分からなかったし」
「私の方こそ、志摩君が私のこと覚えてるなんて思ってなかったよ」
「卒業するまでに一回ぐらいはって思ってたんだ。そしたら、まさかここで会うなんてな」
よほど意外だったのだろう、志摩君が驚いたと笑う。
だが意外だったのは私の方だ。まさかサッカー部のエースが猫カフェに興味があったなんて、それもお店に入れずに出入口でうろついているなんて、いったい誰が考えられるだろうか。誰だって驚き、中には意外過ぎて信じられない者もいるかもしれない。
現に私も、志摩君は整体に行くものだと勘違いしてしまったぐらいなのだ。
それを話せば、志摩君が頬を赤くさせてムグと言葉を詰まらせた。そうして誤魔化すようにそっぽを向き、「自分でも意外だって分かってる。だから入れなかったんだ」と恥ずかしそうに答えた。
だが次いで志摩君が顔を上げたのは、店員さんがトレーを手にこちらに近付いてきたからだ。
それを見て僅かに安堵するのは、志摩君もこの話題でなんとも言えない感覚を覚えているからだろうか。たとえば、今の私のような、胸が締め付けられる思いを……。
そんなことを考え、そしてまさかそんなと自分の中で否定し、「お待たせしました」の言葉と共にテーブルに置かれたカップを覗き込んだ。
暖かな湯気をあげるカップの中ではモコモコと白い泡が広がっており、まるでその泡をキャンバスにしたかのように猫のイラストが描かれている。
耳がペタンと垂れ、心地よさそうに眠るそれは……。
「「コモモだ」」
と、思わず二人で声を揃えてしまう。
そんな私達の反応が面白かったのか、店員さんがクスクスと笑いながら「ごゆっくりどうぞ」と一言残して去って行った。
「ほらコモモ、凄いね、コモモのカフェラテだよ。……起きない」
「ラテでも現実でも寝てるな」
揺する代わりに背中を撫でてみてもコモモは微動だにせず、小さなお腹をゆっくりと上下させている。試しにとふっくらとしたマズルを突いてもヒゲが動いてペロリとピンクの舌が出てくるだけだ。
相変わらずグッスリである。これは当分起きないだろう……。
「本当に眠ってばっかだな」
志摩君が笑いながらコモモとカフェラテのコモモを見比べる。そうしてそっとカップに口を付け「飲みにくいな」と苦笑を浮かべながらも一口飲み込んだ。
ふわふわの泡と共にカフェラテのコモモが崩れていく。それを見ながらコモモのお腹を撫で「飲まれちゃったね」と話しかけるも、相変わらずこちらのコモモは深い寝息で返してくるだけだ。
そうして志摩君はカフェラテを、私は紅茶を飲みながらしばらく話し、飲み終わった頃合いに席を立った。
「コモモ、次はもうちょっと動いてるところを見せてくれよ。俺としては、キャットタワーに飛び乗るところを見たいんだけど」
そう志摩君がコモモの頭を撫でる。
それに対してもコモモはやはり動くことも返事をすることもなく、辛うじてうっとりと瞳を薄く開くだけだ。それもまた直ぐに閉じてしまうあたり、志摩君の希望が叶う日はそうこないだろう。
きっと次も寝てばかりだ。
そんなことを話しながらお店の入っている建物を出て駅へと向かおうとし……、
「あれ、志摩じゃん」
と声を掛けられた。
咄嗟に私まで足を止めて振り返り、そうしてそこに居る人物に小さく息を呑む。見覚えのある男の子が数人、記憶の限りではサッカー部の男の子達だ。
彼等は不思議そうな表情を浮かべつつ、私と志摩君を交互に観ながらこちらに近付いてくる。
その足取りは妙に早く感じられ、距離が縮むたびに私の心臓が跳ねあがり、見られてしまったと考えると冷や汗さえ伝いそうなほどだ。
変な勘違いをされないだろうか。 噂されたり冷やかされたらどうしよう。
志摩君はどう思っているだろうか。私と二人で居るところを見られて、嫌に思っただろうか……。
そんな思いがグルグルと頭の中で回り、何も言えずに視線を伏せる私に、男の子の一人が「あれ」と声をあげて顔を覗き込んできた。
「もしかして七瀬さん?」
その声に私が顔を上げれば、見つめてくるのは二年生の時に同じクラスだった子だ。さして仲が良かったわけではないが、それでも何度か話をしたことはある。
「やっぱり七瀬さんだ」と、確認めいた彼の言葉に誤魔化しようがなく、再び俯くしか出来ない。
「なんで二人がここに?」
不思議そうな声色で男の子達が建物を見上げる。
きっと志摩君だけなら整体に行ったと思い、私だけなら猫カフェだと思っただろう。――そもそも、私だけなら彼等も声を掛けなかっただろう――そんな私達が二人で建物から出てきたのだ。
はたしてどちらに用事があったのか、なんで二人でなのか、きっと彼等は何一つ分からずにいるのだろう。疑問を抱いて、問うように志摩君と私に視線を向けるのも仕方ない。
だけど、猫カフェに行っていたなんて言えない。
どうしよう、と志摩君を横目で見上げれば、彼は困ったと言いたげに雑に頭を掻いた。
その表情に、小さく吐かれた溜息に、私の胸が痛む。
「猫カフェだよ」
「猫カフェ?」
「そう。この建物に入ってるんだ。そこに七瀬と来てた」
志摩君の答えは随分とあっさりしているが、それを聞いた男の子達はまだ不思議そうな表情をしている。
きっと志摩君と猫カフェが結びつかないのだろう。常日頃サッカーで活躍している彼を間近で見ているから尚の事かも知れない。
そんな中、一人がニヤリと笑って「そっかぁ」とやたらと間延びした声で志摩君の肩を叩いた。そのうえ水臭いだのと言いながらポンポンと肩を叩き続ける。その仕草から言わんとしていることを察したのか、他の男の子達までもが悪戯気な笑みを浮かべ、わざとらしく頷きだした。
彼等の考えが分かり、私の胸がより一層きつく締め付けられた。違うの、やめて、そんな言葉が胸のうちに湧くが、何かを言えば志摩君の迷惑になりそうで怖くて声が出ない。
「そっか、そういう事だったのか」
「なんだよヘラヘラ笑って気持ち悪いな」
「そう怒るなって。邪魔して悪かったな、俺達もう行くから」
「おい、何言ってるんだよ」
ニヤニヤと笑いながら確信めいた言葉をあえて避ける男の子達の態度に、志摩君の声が荒くなる。若干の苛立ちすら感じさせるその声色に、私の胸がより痛む。
悲観している場合じゃないのに。違うって言わなきゃいけないのに。志摩君は猫カフェに来たくて、でも一人で来れなくて、だから偶然会った私と来ているだけなのに……。
言うべきことははっきりとしているのに、言葉が上手く出てきてくれない。そんな私とは真逆に、志摩君は男の子達に対して声を荒らげつつも告げた。
「俺が一人で来れないから、七瀬についてきてもらってるだけだ。変なこと言って、七瀬を困らせるなよ」
その言葉に、男の子達がこれ以上冷やかすまいと察したか、事情を理解したか、軽い謝罪と共に去って行った。
「また明日な」と告げられる言葉に、志摩君もまったくと言いたげながら片手を上げて返す。
私はまだ何も言えず、ただ俯きながら彼等の足音が早く聞こえなくなることを願った。
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