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運動部には平日も休日も関係ない。とりわけサッカー部は熱心で、試合前後に関わらず万年練習をしている。
晴れたらグラウンドで、雨が降ったら校内で。以前、階段を駆け上がる彼等に遭遇してしまった時はいったい何が起こったのかと目を丸くしてしまったほどだ。
志摩君曰く、あれは『階段ダッシュ』というらしい。雨が降ったら野球部や陸上部と階段ダッシュの勝負が恒例になっているらしく、普段の練習よりも白熱すると笑いながら教えてくれた。−−猫が非常時に上へ上へと逃げるように、運動部は雨が振ると上へ上へと駆け上がっていくようだ−−
そんな運動部の志摩君に対して、私は帰宅部。
放課後は友達とお喋りをして過ごすか、もしくはたまに調理部に顔を出したり写真部に付き合ってグラウンドを散歩するぐらいだ。月のお小遣いで事足りるためバイトもしていない。
志摩君は忙しくて、私は暇……。
となれば猫カフェに来られる日も私が多くなる。志摩君も時間を見つけて誘ってくれているが、私の暇さには敵わないようだ。−−誇って言えることではないけれど−−
そういうわけで、今日は私一人で猫カフェに来ていた。
「でも、私だって毎日暇なわけじゃないんだよ。友達と遊ぶし、これから受験だし」
そう話しながら隣の席に訴える。そこにいるのは柔らかな毛とカラーポイントの毛並みが愛らしいラグドールのアメリア。
入店して漫画を読んでいたところ徐に隣の席に腰を下ろし「撫でても良いのよ」と言いたげにふかふかの尻尾を揺らしてきた。ならばご好意に甘えて……と手を伸ばして今に至る。
ラグドールは大型長毛種、撫でがいのあるアメリアの毛はこの猫カフェでも一番の手触りだ。そのうえ店員さんの話では昨日シャンプーに行ってきたらしく、特上のふかふか具合である。
頭を撫で、背を毛の流れにそって撫でる。ふかふかの手先をツンツンと突けば鼻先を寄せてペロリと舐められた。
そんなアメリアを撫でつつ紅茶を飲んでいたが、撫でられ飽きたかヒョイと身軽な動きで椅子から降りて去って行ってしまった。
ふかふかの尻尾が優雅に揺れるさまは愛らしく、そんな可愛らしい姿が離れていくのは寂しさを覚える。……もっとも、寂しいとは言っても近くにある土鍋に入って丸まってしまったのでそう遠ざかったわけではないのだけど。
そんなことを考えていると、スタッフルームから店員さんが出てきた−−ログを抱えているところを見るに、素早くやんちゃな彼がスルリと忍び込み、そして捕獲されたのだろう。このお店ではよくあることだ−−
そうして店員さんがボードを設置しだす。
折り紙やリボンで飾られた可愛らしいボード。中央にはパディの写真が貼られ、ボードの上には『ハッピーバースデー』の飾り文字……。
そう、誕生日会だ。
猫カフェによって開かれるか否か、また内容は様々だが、勤める猫達の誕生日に誕生日会を開くお店は多い。
この猫カフェも例に漏れず、誕生日にはカフェ内が華やかに飾られご飯やおやつも普段より豪華なものが与えられる。主役はおめかしをして、定期的にバースデーソングが流れ……という、とても楽しい一日だ。
そのうえ普段より一時間早くお店を閉め、その後は事前予約必須の誕生日会が開かれる。あいにくと夜の部は時間が遅く高校生の私は参加出来ずにいるが、見せて貰う写真はどれも楽しそうだ。
そしてこのお店の誕生日企画の一つが、今店員さんが設置した誕生日ボードである。
誕生日の二週間前から設置し、来店したお客さんがメッセージやイラストを描いていくのだ。そのボードもまた誕生日会に飾られる。
それを店員さんがパディを抱っこしながら説明すれば、初めて来店するお客さんはこんな催しもあるのかと意外そうに、常連さんは待ってましたと言わんばかりにボードへと集まりだした。
「パディ、人気者だね」
店員さんに抱っこされているパディの鼻先を撫でながらに話しかければ、不思議と得意気に笑んでいるように見える。……が、しばらくすると店員さんの腕の中でもぞもぞとうねりだし、ヒョイと逃げるように降りてしまった。
お客さんのお出迎えを欠かさず、そしておやつ争奪戦でもきちんと座って待つお利口さんだが抱っこは苦手なのだ。もっとも抱っこ嫌いでも懐いていないわけではなく、撫でてくれと店員さんの足に擦り寄っている。
そんな姿を眺めていれば自然と笑みがこぼれ、私も彼にメッセージを贈ろうとボードの脇に置かれているペンを手に取った。
「あ、七瀬のこれか?」
志摩君がボードを覗き込む。それにつられて私も覗けば、彼の指差す先にはパディを模した猫のイラストと短めのメッセージが書かれている。
どうして分かったのか不思議だが、彼の言うとおりそれは先日私が描いたものだ。パディの誕生日が終わった今、改めて眺められると妙な恥ずかしさがある。
「いいなぁ、俺も誕生日前に来れれば書きたかったんだけど」
「休みまで練習があると大変だね」
私が労えば、志摩君が肩を竦めて苦笑を漏らした。
そうしてボードが飾られている一角から席へと戻ると、最初に頼んでおいたコーヒーに口をつけた。
「三年は引退前だから必死なんだよ」
「引退かぁ……」
まだ三年生になって三ヶ月程度だというのに、もう運動部は引退に向けて動いているらしい。
曰く、サッカー部は夏にあるインターハイを区切りにしており、負ければ直ぐに引退、勝ち進めば夏の終わりまで続くという。だからこそ最後までやりきりたいと三年生は時間があれば練習に励むのだという。
その話はまさに青春そのもので、放課後をおしゃべりと遊びに費やしていた私には耳が痛い。
それを話せば、三年生のやる気に付き合わされる下級生は堪ったものじゃないと志摩君が笑った。去年一昨年とこの時期は練習ばかりでうんざりしており、今年その立場になってようやく過去の先輩達の必死さを理解したのだという。
「でも、そっか……もう三年生だもんね」
ただでさえ高校生活というものは短く感じられ、中でも受験のある三年生の一年間はあっという間だという。
周りの大人や卒業していった先輩達の話を聞いていた時は「早く大人になれるんだから」と良いことと考えていたが、こうやって自分が当事者になるとやはり寂しさを覚える。
受験や卒業どころかまだ夏もきていないのにこれなのだ。志摩くんが「早すぎるだろ」と笑った。
そうしてしばらくは学校の事や猫のことを話し、通りかかった店員さんに声をかけて注文する。
頼んだのは私の紅茶のおかわりと、そして人間用のおやつ。
その「おやつ」という響きに、クッションで寝ていたログがピクリと反応してこちらに近付いてくる。その食いしん坊さに思わず笑いつつ「残念だったね」と頭を撫でてやった。おやつはおやつでも、今回は人間用なのだ。
そうして注文を受けた店員さんが持ってきたのは、可愛いお皿に盛られたミニシュークリーム。
ふっくらと膨らんだシューと、そこに半分ほど入った切れ目からクリームが溢れて食欲を誘う。だが何より目を引くのが、クリームから覗く猫だ。
チョコレートプレートで作られた猫の顔は、まるで猫がシュークリームの中に隠れてこちらを見ているようではないか。
そのうえ幾つかあるミニシュークリームの中には、顔ではなく尻尾だけを覗かせているものまである。やんちゃな猫が頭からシュークリームに突っ込んでいったみたいで、その粋な細かさに志摩君が小さく笑う。
「これも可愛いな」
「このお店はどれも可愛いし美味しいし、猫だけじゃなくておやつの写真を撮りに来る人も多いんだよ」
「確かに、こういうのは他の喫茶店でも見ないもんな」
「それにカフェラテを頼むとラテアートもしてくれるの」
ドリンクメニューに載っているラテアートを施されたカフェラテの写真を見せる。そこにはふわふわの泡の上に可愛らしい猫の顔が描かれ、横には肉球とハートまで描かれている。
可愛らしくて美味しそう。さり気なく写真の下に『可愛さは猫の機嫌によって異なります』と書かれているのがまた洒落が効いている。
「こういう細かいのって凄いよな。七瀬、飲んだことあるのか?」
「ううん、私は無いよ」
「意外だな。注文済みで猫の表情コンプリートでもしてそうなのに」
「……私、カフェラテ飲めないの」
志摩君の視線から逃れるようにそっぽを向き、紅茶にお砂糖を入れながら呟く。
そう、頼んだことがないのではなく頼めないのだ。
私だってラテアートを堪能出来るなら堪能したい。機嫌によって変わる猫の表情と愛らしさ−−まぁ、これはラテアートする店員さん次第なのだが−−に一喜一憂したい。なんだったら敢えてちょっと不機嫌に描いてもらったりなんかもしたい。
だけどそれは叶わない。何故なら飲めないのだ。
だって苦いから。
そう呟きつつお砂糖を入れた紅茶を混ぜれば、志摩君がふっと吹き出すように笑って顔を背けた。
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