「コモモ、ぐっすり寝てるね」

「あぁ、起きる気配がないな」


 試しにと私も手を伸ばしてコモモの頭を撫でるも、やはり起きあがるどころか瞳も開こうとしない。耳を揉むように撫でても変わらず、お腹を撫でればどんどんと体が伸びていき−−猫とは丸まって眠る時もあれば伸びて寝る時もあり、そして寝ながら徐々に体を伸ばしていく時もあるのだ−−顎をくすぐれば喉を鳴らしているのだろう振動が伝ってきた。

 随分とグッスリだ。これは熟睡と言えるだろう。

 そんなコモモを笑えば、志摩君がいっそう笑みを強めて「でも」と話しだした。


「七瀬も咄嗟に反応出来てなかっただろ」

「え、私?」

「事故の音がした瞬間ビクッとして、そのまま固まってただろ。猫は階段上がってくるし七瀬は動かないし、音どころじゃなかった」


 音が響き渡った瞬間のことを思い出してるのだろう、志摩君がコモモを撫でつつ笑う。

 それに対して恥ずかしさがあるが、それでも事実なので何も言えなくなってしまう。私はどうにも今回のような突発的なことに弱いのだ、なにかあると混乱して動けなくなってしまう。

 以前授業中に非常ベルが鳴った時も、私はビックリして何もできなくなってしまった。友人に手を掴まれて我に返り、そうしてはじめて何事かと周囲を窺ったのだからよっぽどだ。

 そんな私とは真逆、志摩君は流石だ。轟音がした瞬間に反応し、猫達の行動にも驚きこそしたが直ぐに店員さんに声を掛け情報を得ようとしていた。


「ここでなにかあったら、私はきっとコモモと一緒に逃げ遅れちゃうよ」

「逃げ遅れるって大袈裟だなぁ」

「コモモ、一蓮托生だよ。一緒に逃げ損ねようね」


 そう意味のない誓いを一方的に交わしながらコモモを撫でる。あぁでも、コモモは小さいからいざとなったら隙間からスルリと抜けて逃げてしまうかもしれない……。

 そんなことをわざとらしく嘆けば、志摩君も冗談だと分かってるのだろうクツクツと笑いながら「俺が担いでやるよ」と告げた。その言葉にコモモに向けていた視線をパッと上げて彼を見る。

 屈託のない笑顔。それは以前、体育のサッカー試合を前に仲間達に頼りにされ、得意気に「任せろ!」と笑っていた時の表情だ。格好良くて、楽しげで、キラキラと輝いていて、少し離れた場所でバレーボールをしていた私は横目にそれを見ていた。同じように眺めていた女子生徒が数人「恰好良い」と呟くように彼を褒め、親しい子達は名前を呼んでいた。

 その声に反応してこちらを向いて、仲の良い生徒から応援され、そして再び笑う。その笑顔は爽やかで素敵で、それでいて世界の違う私は正面から見ることはないのだろうと思っていた。


 あの時の笑顔だ。

 それが私に向けられている、私とコモモだけに。


 それを思えば頬が赤くなり、慌てて視線をコモモに戻した。私の気も知らずにコモモはいまだグッスリと眠り、ふかふかの尻尾を揉んでも顔を上げることもない。

 起きてニャンと一声鳴いてくれれば良いのに。そうすれば熱くなる頬をごまかせるのに……。


「で、でも担ぐって……」

「右に七瀬、左にコモモ」

「バランス悪い気がするけど。それに、私は右腕だけじゃ無理だよ」

「それじゃ七瀬がコモモを抱きあげてやってくれ、それで俺が七瀬を担ぐ」


 それで完璧だと話す志摩君に思わず笑ってしまう。

 その光景を想像したらあんまりではないか。突然の危機にビックリした私は、呆然としたままそれでも眠るコモモを抱き上げ、そんな私を志摩君が担いで逃げる……。想像とはいえこれを笑うなという方が無理な話で、志摩君も笑みを噛み殺しながら「これで安心だな」とコモモのお腹を撫でている。

 面白くて……なんて頼もしいんだろう。

 そんな想いを抱きつつ冗談めいて脱出プランを立てていれば、時間もあっという間に過ぎていった。




 結局コモモは起きることなく眠り続け、志摩君が「またな」と声をかけて頭を撫でても深く息を吐くだけだった。私も最後に一度と鼻先をくすぐれば、小さな舌がペロリと指先を舐めてきた。

 それでもコモモの瞳は閉じられたままで、お腹はゆるやかに上下している。お見送りのためにといそいそと出入口へと向かうパディとは正反対ではないか。


「次こそは活発に動くコモモを見たいんだけどなぁ」


 そんなことを帰り道に志摩君が話す。それに対して私は猫カフェ通いの記憶を遡り……そういえば前に一度と思い出した。

 マンチカンには活発で運動好きな子が多いと聞くが、コモモはいつも寝ているか、起きていてもクッションに埋まっていることが殆どだ。

 もとよりおっとりとした性格もあってか活発に動いている姿は珍しく、短い手足で懸命にポテポテと歩いていても直ぐにゴロリと横になってしまう。常連客の中でも動きまわるコモモはレアで、店員さんですら「コモモは寝てる写真ばっか」と笑っていた。

 だが流石に一日中それというわけではない。


「活発っていう程じゃないけど、前に階段を降りてるところは見たよ」

「階段かぁ……あの短い足で昇り降りできるのか?」

「ぴょこぴょこ飛んでて可愛かったよ。……途中で力尽きたのか横になって、店員さんに運んでもらってたけど」


 思い出しつつ話せば、志摩君が耐え切れないと笑い出した。

 あれは去年だったか一昨年だったか、珍しく階段を降りるコモモを珍しいと眺めていた時だ。あの小さな体と短い足でピョコンと一段降り、もう一段降り……と、せっせと頑張っていたが、ついには階段の隅で横になってしまった。いったいどうするつもりなのかと様子を窺っていると、たまたま通りかかった店員さんにちょいと手を伸ばしてウニャーンと鳴き……。

 横着と咎められつつ抱っこされていくコモモを唖然としながら見送ったのだ。

 それを聞いた志摩君が更に笑みを強め、自分も見たかったと話す。


「通ってればそのうち見れるよ。猫達が一緒に遊んでたり喧嘩したり、いつ行っても違う姿が見れる」

「そうだな。次は写真も撮りたいしおやつ買ってまた猫に集られるのも良いかも。七瀬、また行こうな」

「……うん!」


 志摩君の口から出た「また」という言葉に思わず胸が高鳴る。彼が話す「次」は、また私と一緒なのだ。それが男一人で猫カフェに行けないからだと分かっていても嬉しい。

志摩君は人気者で、もちろん女の子の友達も多い。誰かと付き合っているという話は聞いたことがないが、それを望んでいる女の子は多い。格好良くて優しくて、そのうえサッカー部のエースなのだから当然と言えば当然だ。

 そんな志摩君から「次」のお誘いとなれば、これに喜ばない子は居ないだろう。流石にデートだの彼は気があるだのといった恋愛じみた期待は抱かないが、それでも胸が高鳴ってしまうのは仕方ない。


 また頬が熱い……そんなことを考えれば、バス停を前に志摩君が足を止めた。

 見ればタイミングよかバスが姿を表す。それを見て「もう少し遅くても良いのに」なんて思ってしまう。

 そうすればもっと長く話していられるのに……。そんな私の思いを他所にバスが停まり志摩君が乗り込む。


「七瀬、帰り気をつけろよ」

「ありがとう。志摩君も気を付けてね」

「じゃ、また明日な」


 にこやかに笑って志摩君がバスに乗り込む。

 最後に一度手を降ってくれる彼に、私も照れながらそれに応えて乗り込む姿を見送った。

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