志摩君が注文したのは『人間用おやつ』であるクッキー。

 全て猫を模した型抜きをされており、チョコレートやアイシングで柄や顔が描かれている。一つ一つならぬ一匹一匹が可愛らしくて美味しそうで、思わず感嘆の声が漏れてしまう。

 それを空腹からと考えたのか、志摩君が小さく笑みを零しクッキーのお皿をテーブルの中央へと寄せてきた。


「半分食っていいよ」

「え、ち、違うの。今のは美味しそうって意味じゃなくて、可愛いって意味だからね!」

「分かってるよ。でも俺一人じゃ食いきれないからさ」


 猫クッキーを一つ口に放り込んで志摩君が笑う。

 話しながら更にお皿をこちらに寄せてくるのは「どうぞ」という事なのだろう。その優しさが嬉しい反面、食いしん坊だと思われたかと恥ずかしさも有り、お礼を言いつつ一つに手を伸ばした。アイシングで白く塗られ灰色の柄が描かれた猫。チョコレートで描かれた細い瞳はまるで心地よさそうに眠っているようだ。

 なんだか食べてしまうのが可哀想で、それでいてたっぷりと塗られたアイシングが美味しそうでもある。そんな相反する気持ちながらにそっと口元に持っていき、せめて一口で食べてしまおうと口に放り込んだ。

 こんな可愛い猫が真っ二つに齧られた姿なんて見たくない。……齧るのは私なんだけれど。


 そうして咀嚼すればクッキー生地に練り込まれているのだろうほんのりと紅茶の香りが漂い、同時にアイシングの甘さが口に広がる。絶妙な焼き加減がサクサクとした小気味よい歯応えで、最後に暖かい紅茶を飲めば口内に残っていたクッキーの甘さが流れるように喉へと伝っていった。

 思わずウットリと「美味しい」と呟いてしまう。

 可愛い猫の美味しいクッキーとなれば、お腹はもちろん心までも満たされてしまうのだ。そんな私の気持ちが伝わったのか、それともあまりにウットリとしていたからか、既に三匹目の猫を味わっていた志摩君がクスクスと笑った。

 その表情に思わず頬が赤くなってしまい、それほど表情が緩んでいただろうかと慌てて頬を押さえる。

 だけど美味しい魅力には抗えず、再び「どうぞ」と寄せられればついつい手が伸びてしまう。せめてと「次は私がおやつ買うからね」と告げれば、志摩君が笑みを強めながら「よろしく」と頷いた。



 次は、なんて……大胆なことを言ってしまったかもしれないと気付いたのは三匹目の猫を堪能した後だ。

 まるで次も一緒に来ようと誘っているみたいではないか。もしかしたら大胆なアプローチに思われたかもと不安がよぎる。

 だからといって今更ながらにフォローを入れるのもおかしい気がして、どうしようかとチラと志摩君の様子を伺おうとし……突然響き渡った轟音にそんな不安も一瞬にして吹き飛んだ。


 まるで何かが爆発したかのような轟音。それが数度も続く。


 周囲に居たお客さんも一斉に顔を上げ、中には小さくだが悲鳴をあげる人も居る。だがそんな轟音よりも周囲を驚かせたのは、階段を勢いよく駆け上がってきた猫達。

 普段の穏やかさとも違う、キャットタワーを昇り降りする時のすばしっこさとも違う、その勢いに誰もが轟音の原因を探ることも忘れて猫達に視線をやった。

 そんな中、私は轟音と猫達のどちらに対応していいか分からず呆然とし……、


「おい七瀬、大丈夫か?」


 という志摩君の声ではたと我に返った。

 志摩君が伺うようにこちらを見つめている。それに対して平気だと答えるためにコクコクと頷けば、彼は僅かに安堵するように小さく息を吐いた。

 そうして立ち上がると周囲にいる店員さんに話しかけ、居合わせたお客さんとも少し話をしてこちらに戻ってきた。


「外で車の事故だって」

「じ、事故……!?」

「あぁ、トラックと乗用車がぶつかって後続も何台かぶつかったらしい」

「そうなんだ、怖いね……」


 思わず私の声色が沈む。窓の外を眺めていたお客さん曰く、酷い怪我を負った者は居らず火災等の被害もないらしいが、それでも物騒な話だ。

 そんな話を聞き、ようやく私も落ち着きを取り戻す。次いで志摩君と揃えて首を傾げたのは、もちろん先程の猫達の行動だ。私達に限らず、誰もが驚いたと顔を見合わせている。


 だが驚いたのは私達より猫達の方なのか、先程までゆったりと寝そべっていたパディが尻尾をピンと立てて忙しなく歩き回っている。店員さんを見つけるや足元に擦り寄ってンナンナと話しかけているのは彼なりに先程の轟音を案じているのだろうか。

 下の階からあがってきたお客さんが口々に驚いたと顔を見合わせ、いまだ興奮している猫達を落ち着かせるために撫でている。彼等が言う「驚いた」が地震ではなくあの瞬間の猫達の行動なのは言うまでもない。

 私も同じように「驚いたね」と志摩君に声を掛ければ、事故の情報を調べていたのだろう携帯電話を眺めていた志摩君が顔を上げて頷いた。


「どうしたんだろうね、みんな」

「あぁ、下でなにかあったのかな」


 下の階から駆け上がってきた一匹であるアメリアの腰を軽く撫でる志摩君に、つられて私も去り際の尻尾に触れる。既に落ち着きを取り戻した彼女は先程の行動がまるで嘘のようにツンと澄まし、大事がないと悟るや再び下の階へと戻っていってしまった。

 他にも数匹、下の階へと戻っていく。それらを見送れば、通りかかった店員さんが足元にいるパディを撫でながら「逃げてきたんですよ」と教えてくれた。


「猫はなにかあると上へ上へと逃げるんです。きっと事故の音に驚いて、上に逃げてきたんでしょう」

「そうなんですか?」

「野生が残ってるんですね」


 そう話しながら店員さんが笑い、いまだンナンナとしきりに訴えるパディを落ち着かせるために鼻先や頭を撫でる。

 どうやらそれで警戒が解かれたようで、先程まで落ち着きなく声をあげていたパディが心地よさそうに瞳を細め、ひとしきり撫でられると満足したと言いたげにキャットタワーへと近付いていった。

 トントンとリズミカルに登り、途中にあるボックス状の一室に入る。きっと中で丸まったのだろう、しまいわすれの灰色の尻尾がたゆんと垂れていて愛らしい。

 そんな姿に、そして階段から駆け上がってきた猫達に、私は感動さえ覚えてしまった。

 いかに人間に飼われ猫カフェで接客業に勤めていようと、彼等の野生は失われていないのだ。愛らしい中に秘められた野生……ただでさえ可愛いのに、更に神秘的で恰好良いまでが追加されてしまった。猫とはなんという最強生物だろうか。


 そんな感動を抱く私に、対して志摩君は冷静に話を聞き、次いで「野生か……」と小さく呟いた。

 その声色には異論を唱えるような色合いも含まれており、私と店員さんが志摩君へと視線を向ける。……いや、正確に言うのであれば私達の視線が向かったのは志摩君ではなく、志摩君と私の間。そこにコロンと丸まって眠るコモモの姿。


「音がした瞬間も微動だにしなかったんだけど」


 そう話しながらコモモの背を撫でる志摩君に、店員さんが小さく笑みをこぼし「あら、誰か喧嘩してるかしら」と白々しく下の階へと向かっていった。だが耳を澄ましたところで猫達の喧嘩の声など聞こえるわけがなく、それが嘘なのは明白。

 逃げたな……と思わず店員さんが消えていった階段を眺めていれば、志摩君が「事故があったんだぞ」とコモモの背中を撫でた。だがそれを受けてもコモモは起きることなく、それどころかもっと撫でてと強請るように体を開いてお腹を見せてきた。

 当然だがそこに野性味は感じられず、思わず志摩君と顔を見合わせて笑ってしまった。


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