6
始業式から数週間たった日曜日。
朝食とも昼食とも言えぬ時間に起床し食事をしていたところ、携帯電話に志摩君からメッセージが入った。
『部活が午前で終わるから、午後猫カフェに行かないか?』
内容だけを記述した随分とあっさりとしたメッセージだったが、聞けば練習の小休憩の間に急いで打ったのだという。思い立ったらどうしても行きたくなってさ、と笑う志摩君によくあることだと頷いてしまう。
猫を愛でたい気持ちは理屈ではないのだ。突然胸に湧き上がり、一度そうなれば頭の中に猫が住み着いてしまう。その猫は終始鳴いて訴え、それから解放されるには本物の猫を撫でるしかない。−−以前この話を友達に訴えたところ、切なげな表情で頷かれた。対して志摩君は笑いこそしたものの、午前中の自分はまさにその状態だと頷く。頭の中に猫が現れるかどうかは人によるようだ−−
そうして猫カフェのあるビルの入口で待ち合わせをし、入店してまずは前回見られなかった二階を見て回った。ひと通りの猫を撫で、そして三階の端にある座椅子に並んで腰を下ろして今に至る。
最初に話をしたのはもちろん猫のこと、次いで学校の話をして、部活のことを話し……そしてうちで飼っているパブロの話になったのだ。
爬虫類が珍しいのか写真を見せてくれと言ってくる志摩君に、引かれないか心配しつつ携帯電話のアルバムを探る。
こんなふかふかで愛らしい猫に囲まれ、そのうえ先程から私達の間にはコモモが丸くなって眠っている。そんな状態でパブロの写真を出せば、その差が歴然となってしまう……。
「本当にイグアナなんだよ。猫と……特にコモモとは比べないでね」
「比べようにも全然違うだろ」
「そうなんだけど……ほら、コモモは花が乗っかっても可愛いでしょ」
私の鞄に着いていた飾りの花を取り、眠るコモモのお腹にそっと添えるように乗せる。
その瞬間クルルルと不思議な音をあげてコモモが顔を上げたが、数度花の飾りを嗅いで無害だと判断すると、再び顔をポスンと己の前足の上に置いて瞳を閉じてしまった。ピンクと黄色の花がクリームタビーのコモモの毛に映え、只でさえ可愛らしい姿をより愛らしく見せる。
志摩君もそんなコモモに「可愛いな」と柔らかく笑い、眠る額を擽るように撫でた。それほどまでなのだ、猫と花は相性が良い。……だというのに。
「前にパブロに花を飾ってみたの。ちょっとぐらいは可愛くなるかなって」
そう話しながら、一枚の写真を携帯電話の画面に写して志摩君に差し出した。
ゴツゴツとした表面でのっぺりした顔つきのいかにも爬虫類なパブロの頭に、鮮やかな赤と白の花。飾っていた生花が落ちてしまい、捨てるのも惜しく思えて添えてみたのだ。
結果はこの通り、なんだか微妙に似合っていない。先程のコモモに比べて愛らしさも華やかさも無いのだ。
「……これは」
「似合わないよね。しかも直ぐにその花食べられちゃったし」
「食べたのか」
「写真撮ってお兄ちゃんに見せて、振り返ったら既に無くてパブロの口元に花びらが一枚落ちてたの。そういう時の動きは早いんだよ。あ、でもね」
こっちは、と携帯電話の画面を指でスライドさせて別の写真を表示させる。
花が似合わず意気消沈したものの、ならばこちらはと試したものがある。先日買った私の服についていた、レトロで可愛い付け
「付け襟を着けてみたら似合ってたよ」
ほら、とその時の写真を画面に写して志摩君に差し出す。
そこに映るのは先程と同じパブロ。相変わらず爬虫類といった顔つきだが、胸元――と言って良いのか分からない、爬虫類には首と胸と銅の境目があるのだろうか?――に着けた付け襟がなぜだか精悍さを感じさせる。知的にさえ見えるから不思議だ。
志摩君も分かってくれたのか「恰好良いな」と笑ってくれた。その表情に、そしてパブロが褒められたことに思わず私も嬉しくなり……はっと気付いて慌てて携帯電話をポケットにしまいこんだ。
「ち、違うんだよ。別にパブロのこと可愛いなんて思ってないし、モダンな飾りが似合うなんて思ってないよ」
「七瀬?」
「次はシルクハット被せようなんて思ってないから!」
必死にフォローを入れると、志摩君が不思議そうにこちらを見てきた。
どうしたのかと問いたそうなその表情に、思わずムグと口を噤んでしまう。
「だって……爬虫類を可愛いなんて変じゃない?」
「……変?」
私の言葉に志摩君が目を丸くさせる。理由を問おうとしているのだろうその表情に、居心地が悪くなって思わず俯いてしまった。
パブロはイグアナ、爬虫類だ。それも結構大きい部類に入る。
種類は忘れてしまったが、今までどこのペットショップでも見かけたことがない。服を買ってあげようとペットショップの店員さんに話をしたところ、驚かれてしまったぐらいなのだ。――そりゃ、女子高生がペットショップの犬猫用の洋服売り場ではしゃいだ挙句「イグアナが着れる暖かい服はありますか?」と言いだせば驚くのも無理はない――
イグアナは一般的なペットとは言い難いだろう、それも大きいとなればなおのこと。
少なくとも、年頃の女の子がはしゃいで愛でる生き物ではない。学校の女の子達はヤモリやトカゲでさえも悲鳴をあげるのだ。それより更に大きく迫力のあるイグアナを可愛いと言えば、変に思われてしまうかもしれない……。
そう私が呟くように訴えれば、志摩君がクスと小さく笑った。
「俺は変とは思わないな」
「……志摩君」
「
な、と同意を求めてくる志摩君の笑顔は眩しくて、そこに嘘偽りが無いのだと分かる。
本当にそう言ってくれているのだ。それどころか「シルクハットの写真撮ったら、俺にも見せてくれよ」とまで言ってくれる。
それがなんだか嬉しくて、頬が熱くなるのを隠すように俯いたままお礼を言った。志摩君の言葉が鼓動を高鳴らせる、屈託のない笑顔を見ると他意はないと分かっていても痺れるような感覚が胸を包む。
そんな何とも言えない感覚にあぐねいていると、まるで助け舟のように店員さんが私達の飲み物を持ってきてくれた。助かった、なんて思ってしまうのは、これ以上彼の笑顔を見ていたら鼓動が早まりすぎて胸がどうにかなってしまいそうだからだ。
そうして志摩君のホットコーヒーと私の紅茶がテーブルに置かれる。こうやって並んで置かれると、なんだか一緒に居ることを意識させられてしまう。
もっとも、志摩君はそんなこと意識していないのだろう、添えられたスティックシュガーを「使うか?」と私に見せるように軽く振った。
どうやらコーヒーはブラックで飲むらしい。それがなんとなく大人びて見えてしまうのは、もちろん彼からのスティックシュガーを有りがたく貰ったからだ。紅茶にお砂糖を多めに入れる私には、ブラックのコーヒーどころかコーヒーそのものが大人の飲み物である。
そうして互いにカップに口を着けコクリと飲み込み、
「ここのコーヒー、美味しいな」
と志摩君が呟いた。
意外だったとでも言いたいのだろう。落ち着いたレトロな喫茶店や個人経営のお店ならばまだしも、あくまで猫がメインの猫カフェのコーヒーなのだ。簡易的で造り溜めのものが出てきてもおかしくはない。
だがここのコーヒーは豆から引いていると以前聞いたことがある。それどころか紅茶もデザートも詳しい店員さんがきちんと選んで買い付けているのだ。紅茶に至っては種類があり選べるようになっており、デザートも猫にちなんだものと凝っている。
それを話せば志摩君が感心したと言いたげに答え、もう一口とカップに口をつけた。
「あれ、でも志摩君このあいだもコーヒー飲んでたよね?」
「あ、あぁ……」
「あの時とは味が違ってるの?」
「いや、あの時は猫に夢中で……」
コーヒーの味にまで気が回らなかった、そう告げて志摩君が恥ずかしそうに頭を掻く。
次いで誤魔化すようにメニューを眺め、通りがかりの店員さんに声をかけて『人間のおやつ一覧』からクッキーを注文した。
その瞬間「おやつ」という響きにコモモがピクリと反応して顔を上げるが、店員さんが持ってきたものがタッパーのササミでないと分かると再び眠りについてしまった。志摩君が苦笑をもらして「残念だったな」とコモモの頭を撫でる。
その光景はなんとも長閑で、そして志摩君が照れ隠しで注文したのもまた面白く、私は小さく笑みをこぼしながらお皿に盛られたクッキーを……もといクッキーの猫達に視線をやった。
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