店内に入るとまずカウンターがあり、そこで受付をすませて靴を脱いで中に……という仕組みだ。

 基本的に荷物はロッカーに預けるように案内されるが、ポシェット程度ならば店内にも持ち込める。もっとも、目を離している隙に猫が入り込んでしまったり爪を研いでしまったりといった危険もあるので持ち込みは自己責任である。


「靴、脱ぐのか」


 予想していたカフェと違っていたのか、志摩君が珍しそうに周囲を見回す。

 確かに受付は狭く、猫は一匹も居ない。それどころか椅子もテーブルもないのだ、猫カフェどころかカフェとさえも言えないだろう。


「ここで靴を脱いで、手を洗って、それから中に入るんだよ」

「てっきり店に入ったらすぐに居るもんだと思ってた」

「それだと扉が開いたときに猫が逃げちゃうでしょ」

「あぁ、そっか」


 なるほど、と志摩君が頷く。

 猫カフェに決まった構造は無いが、だいたいのお店が出入口と猫がいる喫茶スペースは二重扉などで離されており、衛生的な面から靴を脱ぐようになっている。もちろん、床をコロンコロンと寝転がる猫の姿を愛でるためだ。

 この猫カフェに幾度と通い、たまに他の猫カフェにも浮気する私からしてみるとなんだか今更なことのように感じるが、それでも志摩君には新鮮だったらしい。感心したとすら言いたげな反応に不思議と私の胸が湧く。

 サッカー部のエースで人気者、そんな彼に私が教えてあげることがあるなんて思わなかった。

 それが妙に嬉しく、そして受付を前に勝手が分からないとこちらに視線を向けてくる志摩君が可愛く思えてしまう。


「時間も中での注文も、お会計は最後だよ。ここで時間を決めて、プレートを貰って中に入るの」

「そうか」

「私、二時間で」

「え、あ、じゃぁ俺も二時間で」


 私につられたのか、志摩君が続く様に店員さんに告げる。

 そうして渡される私と志摩君のプレートは続く番号が書かれていて、首から下げるのがなんだか少し恥ずかしい。二人で来たと、そう思われてしまわないだろうか……。

 だが志摩君にそんなことを気にしている余裕は無いようで、店員さんが説明する注意事項を真剣な表情で聞いていた。

 そうして、少し緊張した面持ちでこちらに来る。注意事項が多いので身構えているのだろうか、そのギャップが少し面白い。


 だが彼が身構えてしまうのも仕方ない。猫カフェはカフェでありつつ色々と決まりごとが多いのだ。

 殆どの店が抱っこを禁止しており、カメラのフラッシュも同様。持ち込みのお菓子や玩具も全面禁止やお店への許可もしくは事前申請といった条件が決められている。寝ているところを起こしたり執拗に追いかけたりと猫が嫌がる行為も注意されることが多い。

 勿論ルールはお店毎に変わってるので一様にとは言えず、緩かったり厳しかったりと様々だ。だが基本的には『猫の嫌がることは禁止』これである。


「そんなに気負わなくても、普通に可愛がるぶんには大丈夫だよ」

「その普通がよく分からないからなぁ……」


 一つの洗面台で交代に手を洗い、アルコールを付ける。

 そうして志摩君がカフェへと続く扉に手をかけ……ふとこちらを振り返った。


「もしかして、この先にもう居るのか?」

「居るよ。たまに扉の前で寝てる子がいるから、ゆっくり開けてあげてね」


 そう私が説明すれば、志摩君がまさに恐る恐るといった様子で扉を開け、中を覗き込んで「居る」と呟いた。

 見れば、扉の前にちょこんと座る猫が一匹。ロシアンブルー特有の深い色合いの毛と丸い瞳がモデルのような美しさの猫だ。


「この子はパディ、いつもこうやって扉の前で出迎えてくれるんだよ」


 そう説明しながらパディの頭をふかふかと撫でてやれば、志摩君も倣うように手を伸ばしてきた。

 撫でると言うよりは突付く、むしろホワホワの毛の先を指先で触れるかのような消極的な撫で方に思わず苦笑してしまう。猫カフェが初めてどころか、猫に触れる機会も少なかったのだろう。

 だがそんな撫で方でもパディにとっては十分だったのか、お出迎えの仕事は終わったと言いたげにスッと立ち上がるや店の奥へと向かってしまった。一仕事やり終えて得意気なその歩みと、柔らかな尻尾を揺らして去っていく後ろ姿は猫好きには堪らない。


「どこか座ろうか」


 そう志摩君に声を掛ければ、パディの去って行った先を眺めていた彼が頷いて私の後をついてきた。

 そうして店内を見回せる席に座る。流れのまま志摩君と隣り合うように長椅子に腰かけてしまったが、改めて考えるとなんだか恥ずかしい……。が、相変わらず志摩君は周囲の猫に夢中だ。キョロキョロと見回しては、店内を歩き回る猫を目で追っている。

 それは店員さんが飲物を持ってきても同じで、コーヒーを受け取りつつ店員さんの後をついてまわる猫を見つめていた。

 そうしてようやく一息つくと、受け取ったコーヒーを一口飲む。


「もっと喫茶店ぽいのかと思ってた」


 意外だったと言いたげな志摩君に、確かに頷いて店内を見回す。

 壁沿いの長椅子と、それに座椅子が数脚。テーブルのある席もあるにはあるが室内の隅に設置されており、全てが部屋を囲むように配置されている。

 そんな店内の中央には何があるのかと言えば……キャットタワーだ。豪華なキャットタワーには現在三匹の猫が各階で丸くなっており、個室タイプの覗穴からふかふかの手がちょこんと伸びている。あの手の色は赤毛のアルドに違いない、堪らない愛らしさだ。


「カフェって言っても、メインは猫だからね」

「それにしてはあんまり猫に群がらないんだな」


 そう話をしながら志摩君が再び店内を見回す。

 確かに猫カフェという割にはお客さんは猫を追わず、中には膝に乗る猫には目もくれず本を読みふけっているお客さんもいる。ページを捲る際にまるでついでと言わんばかりにお腹を撫でるだけだ。

 せっかく膝に乗ってくれたのに勿体ない、そう思うかもしれない。だがあれこそが至高なのだ。


「あの関心の無さが良いんだと思うよ。ほら、あっちのテーブルも」


 促すように一つのテーブルに視線を向ければ、そこでは二人の女性が雑誌を広げて話をしていた。ここからでは何の雑誌を見ているのかは分からないが、前のめり気味に覗き込んでいるあたり声こそ潜めているが盛り上がっているのが分かる。

 そんな二人の机では、灰色の猫がコロンと丸くなっている。だが彼女達は雑誌とお喋りに夢中で、もう一匹ヒョイと机に乗ってきても軽く頭を撫でるだけだ。その手もすぐさま雑誌を捲るために離れてしまう。


「ちょっと素っ気ないくらいが猫にとっては良いのかもね」

「そういうものなんだな」


 猫らしい、と苦笑を漏らしながら志摩君がコーヒーに口をつける。どうやら緊張も解けたようで、上着と帽子を脱いで側に置いた。私もそれに倣い……そしてふと彼の帽子に視線をやった。

 これを目深に被っていたため志摩君と気付かず、不要な警戒をしてしまった。だが、そもそもどうして志摩君は帽子を被って建物の出入り口をうろついていたのだろうか。

 そう考え、ふと思い当たった考えに思わず笑みが零れてしまった。クスクスと笑いだす私を不審に思ったのか、志摩君が不思議そうに視線を向けてくる。


「七瀬、どうした?」

「だって、志摩君この帽子を深く被ってて……もしかして猫カフェに入るのが恥ずかしかったのかなって」

「し、仕方ないだろ……学校の奴に見られたくなかったし……」

「でも、それならどうして直ぐに入らなかったの?」

「男が一人で猫カフェなんておかしいだろ」


 ほんの少し頬を赤らめ、視線をそらしつつ志摩君が話す。

 確かに猫カフェに来るお客さんは圧倒的に女性が多い。男性のお客さんは大概がカップルで、男性一人というのは見たことがない。今だって、店内を見回しても男性のお客さんは志摩君だけだ。

 どうやら私が思う以上に男性にとって猫カフェは敷居が高いらしく、居心地悪そうにそっぽを向く志摩君の姿に笑ってしまったことの申し訳なさが浮かぶ。猫カフェに来たくて、でも恥ずかしくて、見られたくなくて、その結果帽子を目深に被って出入口で戸惑っていたのだろう。


「笑っちゃってごめんね」

「良いよ、七瀬が居たから入れたし。あのままだったら絶対に帰ってた」


 近くを通りかかった猫の尻尾を撫でながら志摩君が話す。照れ臭そうな表情を見るに本心なのだろう。

 それを聞いて私の胸がほんの少しキュウと締め付けられた。なぜだろう、彼が口にした「七瀬が居たから」という言葉が頭の中で繰り返される。

  今更ながらに彼と二人でいるのだと実感が湧き、妙に落ち着かない。なんだかまるでデートみたい……なんて、そんなことすら考えてしまうのだ。


「わ、私上着預けてきちゃうね。志摩君も預けるなら一緒に持っていくよ」

「あぁ、悪いな」


 頼む、と志摩君が上着を渡してくる。

 春になったとはいえまだ肌寒いから厚手なのか、それともサイズが大きいからか、受け取った上着はズシリと重い。それがまた男の子の上着だと意識させ、なんだか恥ずかしくて慌ててカウンターへと向かった。

 プレートを見せて二人分の上着を手渡す。顔馴染みの店員さんがどことなくニヤニヤとしているので志摩君とは入口で会っただけだと説明して、またも慌てて逃げるように席へと戻った……のだが、今度は目を丸くさせえしまった。


なにせ、志摩君が猫に群がられているのだ。


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