ふかふかなカフェでゆるやかに恋を

さき

 春休み最後の一日。

 明日から始まる新学期への期待とクラス替えの不安、そして最終学年になるというプレッシャーが入り混じった何とも言えない気持ちが募る。朝からどことなく落ち着かず、それでいてするべきことも無い。昼時のテレビは退屈過ぎて見入ることも出来ず、かといって本を読もうにも積んでいた本は全て春休みの間に読み終えてしまった。

 こういう日は遊んで過ごすに限る、そう決めて携帯電話を操作して誘いをかけるも、友人達は私が思っている以上に多忙らしい。家族と出掛けている、彼氏とデート、イベントとやらの締め切りが近く修羅場……。

 続々と届いてくる謝罪のメッセージを眺めていると、 もしかして世界で暇を持て余しているのは私だけなのかもしれないと自虐的な錯覚すらしてしまう。花の女子高生がこれで良いものか……いや、良いわけがない。


「こうなったら、あそこに行くしかない!」


 そう高らかに宣言し、財布の入った鞄を掴んで家を出た。




 最寄り駅から電車で二つ、そこは急行や特急も止まる乗換駅だけあり大きく、ショッピングモールと直結しているので人の行き来も多い。とりわけ日中のこの時間はモールに流れる人が多く、真逆の改札口は対極的な静けさを漂わせていた。

 そんな改札口から出てビル街を歩くこと数分。目的地の看板が視界に入ると、自然と私の胸が弾む。

 愛らしい猫の写真と、お洒落で可愛い店名のロゴ。カフェなのに時間毎の料金が掲示されたそこは、カフェであってカフェにあらず……いわゆる猫カフェだ。

 そんな看板を眺めながら歩き、お財布から一枚のスタンプカードを取り出す。

 可愛い猫の写真が印刷されたスタンプカードには、これまた可愛い猫のスタンプが押されている。残りの空欄は二マス。今日ここで二時間過ごせば、その空欄も埋まる計算である。

 そうすればお会計から割引され……そしてなにより、推し猫のカードが貰えるのだ。


「今回はアメリアにしようかな、でもログのも欲しいなぁ……」


 只でさえ可愛い猫を、プロが技術を尽くして綺麗に撮った写真。そのうえきちんとラミネート加工までされるのだ。手帳に挟もうか、定期入れに入れようか、いっそアルバムを用意して持ちあるこうか……と半ば浮かれながら悩みつつお店へと向かい……ふと、足を止めた。

 猫カフェの入っている建物の出入口、そこに一人の男性が居る。

 時折建物を見上げては中に入ろうと足を踏み入れ、かと思えば慌てるように戻って周囲を見回して、再び見上げて……と、その動きは挙動不審の一言に尽きる。


「なんだろう、あの人……」


 ジャケットを羽織った服装は至って普通ではあるが、目深に被った帽子となにより動きが怪しい。とりわけモールとは真逆のここは人気も少なく、周囲には彼一人しかいないので余計に怪しさが際立っている。

 出来れば近付きたくないのだが、入り口を通らなければ猫カフェには入れない。そんなジレンマを感じつつしばらく様子を窺い、出たり入ったりを繰り返していっこうに退かない男性の姿に痺れを切らして意を決した。


「……よ、横をすり抜ければ大丈夫、だよね」


 誰にでもなく呟き、念のために携帯電話を握りしめて建物へと近付く。

 出来るだけ目を合わせないように俯いて、それでも不審な行動をとらないか横目で伺いつつ……そう己に言い聞かせながらいまだ出入口に佇む男性の横を擦り抜け……、


「七瀬?」


 と聞こえてきた声に顔を上げた。

『七瀬』は私の苗字だ。だけどいったいどうしてこの場で苗字を呼ばれたのか、驚いて男性を見上げれば、目深に被った帽子から覗く瞳と目が合った。


「……志摩君?」


 咄嗟に私が呟いたのは、同じ学校に通う男の子の名前だ。



 志摩君は校内でも有名な生徒である。

 背が高くしっかりとした身体つきの、爽やかさを感じさせる見目の良さ。まさにスポーツマンと言った風貌、実際にサッカー部のエースなのだから彼が気になるという女の子は少なくない。

 地味で平凡な私からしてみれば、到底手の届かない存在……とまでは流石に言わないが、それでも分類が違う存在だ。彼は学年の中でも賑やかで目立つスポーツ集団のグループに属していて、私は教室の隅っこでまったりしているグループである。同じ学校に通う生徒なのだから格差なんてものは感じないが、それでも互いのタイプや属するグループが違うのは分かる。

 唯一の共通点といえば、小学校の時に同じクラスだったことぐらいか。それだって仲が良かったわけではなく、禄に話しもしないうちに彼が途中で転校してしまった。あまりの接点の無さに、高校での感動の再開なんてものには至らない。

 むしろ私からしてみれば、志摩君がよく私の苗字を覚えていたなとそんな意外性すら感じてしまうほどなのだ。


 そんな人物と、どうしてこんな場所で遭遇してしまうのか……。きっと志摩君も同じことを考えているのだろう、「あの」やら「えっと」やら落ち着きなく呟いている。

 咄嗟に私の名前を呼んでしまったが後に続く言葉がない、そう言いたげだ。


「志摩君、どうしたの?」

「え、いや、ちょっと……散歩、かな。七瀬は?」

「私はここの三階に……」


 言いかけ、ふと出入り口の脇に設けられているポストに視線をやった。

 この建物は二階と三階が猫カフェで、四階に整体、五階に会社の事務所が入っている。


「そっか、志摩君ここの整体に通ってるんだね」


 スポーツは体が資本だ。特に志摩君はサッカー部のエースだから、きっと整体に通って常に万全の状態にしているのだろう。日々練習に明け暮れ、休みの日には溜まった疲れや体の負担を整体で解消する……なるほど、そういうことか、さすがサッカー部のエースだ。

 そう勝手に納得して話せば、志摩君がなんとも言い難い表情で頷いた。心なしか、その表情がどこか困っているようにも見える。


「……もしかして、どこか悪いの? 右足?」

「なんでピンポイントで右足なんだ」

「だってエースは右足に爆弾を抱えるものなんじゃないの?」

「不吉で偏った知識……」


 気のせいだろうか、志摩君が若干引いている気がする。

 だが、スポーツとは体育の授業程度でしか縁がなく、サッカーについても借りて読んだ漫画程度の知識しかない私にとって、それぐらいしか浮かばないのだ。

 漫画でのサッカーのエースといえばだいたい右足を壊す、もしくは昔抱えた爆弾が試合中に……。そう訴えて心配すれば、志摩君が苦笑を浮かべて「どこも悪くない」と笑った。

 その表情は同い年なのにどこか大人っぽく、それでいて小学校の時に見た幼い彼の面影が残っている。


「ところで……七瀬は、ここの三階に用があるんだよな」

「うん、猫カフェが入ってるんだよ」


 そうポストを眺めながら告げる。

 二階と三階のポストは可愛らしい猫のシールで飾られており、片方にはカフェのチラシが入っている。


「そ、そうか……猫カフェか……」

「結構通ってるんだ。でもまさか上の階に志摩君が通ってるなんて思いもしなかったよ」


 偶然だね、と笑えば、なぜか志摩君は気まずそうに視線をそらしてしまった。

 何かを隠しているようなその表情は普段の溌剌とした彼らしくなく、もしかしてと思わず言葉を飲み込んでしまう。


 やっぱり右足が悪いのだろうか。

 それを隠して整体に通っていたのに、私に見つかってしまって困っているのだろうか……。

 三年生になる彼にとってサッカー部の活動は今年が最後。そんな時に右足に不調を抱えてしまい、誰にも言えずにいたのでは……!

 そうだ、そうに違いない! サッカー部のエースはやっぱり右足を壊すものなんだ!


 そうと気付けばここで長居など出来るわけがなく、慌てて彼を促してエレベーターへと乗り込んだ。押すのはもちろん猫カフェの受付がある三階と、整体のある四階のボタン。

 ガゴッと大きな音を立てて動き出すエレベーターの中は気まずく、それでも直ぐに三階に到達すると再び大きな音をあげて扉が開かれた。


「あ、あの……大丈夫だよ。私、誰にも言わないからっ……!」


 最後にそう告げて、慌ててエレベーターから出る。

 志摩君が何か言おうとしたような気がしたが、振り返った時には既にエレベーターの扉が閉まる瞬間だった。上部に設けられた表示を見れば、三の数字に灯っていたランプが四の数字に移る。

 それを見て私は深く溜息をつき、胸元をキュッと握りしめた。

 長閑な猫カフェの上で、サッカー部のエースが悩んでいたなんて……。彼の胸中を考えると胸が痛む。


「大丈夫だよ、志摩君。私、絶対に誰にも言わないから……」


 そう上の階を見上げながら固く誓い……、


 ドダダダダダッ!


 と勢いよく階段を駆け下りてきて、


「違うんだ七瀬、俺も本当はここに入りたかったんだ!」


 と打ち明けてくる志摩君に目を丸くさせた。



「……えっと、ここって……ここ?」


 ポカンと目を丸くさせながら猫カフェの扉を指さす私に、階段を駆け下りて来た志摩君がジッと見つめ……そして徐に視線をそらした。その頬が赤くなっている。

 らしくない彼の表情に私は数度瞬きを繰り返し、猫カフェの入り口と志摩君を交互に見やり、


「そ、それじゃ……入りますか」


 と何故か敬語になりながら猫カフェの扉に手をかけた。

 カラン、と扉につけられている鐘が鳴る。普段は猫カフェに来たのだという高揚感を誘うその音も、今日だけは私の胸にまでは届かなかった。



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