孤危千万

 カーテンの隙間から細く鋭い朝日が、リビングを割くように差し込んでいた。僕はいったい、これからどうすれば良いのだろうか……。




 昨夜の事だ。僕が学校から帰宅すると、一軒家である我が家の様子がいつもと違った。だからといって、僕はそれに別段驚きもせず、持っていた合い鍵で家の中に入る。

 様子が違ったのは、僕の両親が結婚二十周年のお祝いで、今朝から海外旅行に出かけているためだった。灯りはついておらず、家の中は薄暗かった。

「ただいま」と小さく声をかけても当然返事はない。僕はリビングには向かわず、そのまま自分の部屋に入ると、ベッド上に横になった。


 普段なら、母親がキッチンで夕食の準備をしてくれているはず。そしてしばらくすると玄関から父親が帰ってくる。そして家族でご飯を食べる。それが習慣であり、なにげない日常だ。

 だから今日から数日間は、自分でご飯を用意しなくてはならない。レトルト食品を買い込んであったので、準備に苦労することはないが、自分で全てをこなさなくてはならないことが面倒だった。しかしお腹は空く。しばらくしてベッドから立ち上がり、自分の部屋を出ると、リビングにある固定電話が幼い子どものように鳴った。


 僕がリビングに向かい受話器を握ろうとしたところで、ちょうど音が途切れた。誰からだったのだろうと、固定電話のディスプレイを覗いたのだが、すでに暗くなっていてわからなかった。

 悪戯か間違いかのどちらかだろうとリビングからキッチンに向かおうとすると、再び電話が鳴り出す。今度はしっかりとディスプレイを確認すると、そこには《非通知》と表示されていた。


 僕は電話に出るべきか迷ったのだが、気づいたときには受話器を握りしめていた。


「もしもし」


 受話器の向こう側からは何も聞こえない。そのいやな間が数秒間続いた刹那、耳馴染みのある声が聞こえてきて、僕の緊張の糸が解れた。


「もしもし、修太。お母さんだけど」


「なんだ、お母さんか。なに、どうかしたの?」


 僕の問いに、母はすぐに答えない。その様子は、僕に少しの違和感を与えた。そして母は言葉を選ぶように口を開く。


「あのね。修太に言っておかなくちゃいけないことがあるの」


「え、なに?」


「……実は、お父さんとお母さん、もうすぐ死ぬの」


「は?」


「――おい」


 受話器に向こう側から、母ではなく別の人間の低い声が微かに耳に届いた。それと同時に通話が途切れた。あれは恐らく父の声だった。

 規則的に流れる電子音が、僕の鼓動を破調させる。リビングの温度が霊安室のように下がった気がした。



 あれから電話は一度も鳴っていない。

 それなのに、僕の耳には誰かの泣き声が聞こえていた。

 もういい加減泣き止んでほしいのに。

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