生きている実感
「生きている実感がしないんです」
放課後になって相談したいことがあると、ひとりの生徒が私のところにやってきた。
「鈴美さんは、生きている実感が欲しいのかい?」
「はい。わたしは人形なんです。だからみんなわたしに乱暴するんです。文句も言いませんし、反抗もしない。痛みも感じないし、涙も出ない」
彼女の発言に、私は一抹の不安を抱いた。それでも用意していた常套句を彼女に話した。
「鈴美さんはちゃんと血の通った人だよ。ほら、耳の穴を塞ぐようにして指を入れてごらん。微かにゴーッって音が聞こえないかい? それは鈴美さんの身体の中を流れている血の音だよ」
訝しむ彼女に私が手伝いながらその動作を促した。すると、彼女は自分の耳の穴を指で塞ぎながら目を閉じた。
自分の胸に耳を当てて、自分の鼓動を感じる術は難しい。そんな時にはこうした方法で、自らの生を感じ取るのだ。
「先生、何も聞こえません」
「そうか」
何も聞こえないことはよくある。聞こえていても伝わらない。精神的に不安定だと、聞こえないこともしばしば。だから、常に次の一手も用意してある。
「それじゃ、これはどうかな」
私は彼女の手のひらに向かって懐中電灯の明かりを当てた。
「ほら――手のひらを太陽にっていう童謡があるだろ。あれこそ生きている実感を求める人にとっては、まさに最適な歌なんだ」
「先生、何も見えませんよ」
「おかしいな。そんなはずはないのだけれど」
「おかしい?」
「う~ん、この方法で成仏できなかったことはな――あ」
「成仏?」
「あ、いや……」
私の失言で、ようやく自分の身に起きた事態を理解したのか、血が騒いだかのように彼女は言葉を吐き出した。
「そうよ、わたしは昨日死んだばかり。血液なんて流れているわけないじゃないですか! それに……」
彼女は少し言い淀んだ後、自分の首元をさすりながら怯えた様子で言った。
「先生が、わたしを……」
「思い出しちゃったか。死んだショックで一時的に記憶喪失していたんだがな」
「……どうして?」
彼女に全てを話してしまうのは苦だ。記憶を無くしているのだから、辛いことはそのままにしてあげた方が救われるだろう。
しかし自ら死を望んだこと、それを私に実行させたこと、そして彼女が私を愛していたこと。それすら忘れてしまうのは少し酷い。
それでも、自分が死んでしまったことをしっかりと理解しなければ、成仏できないのだから仕方がない。
薄くなっていく彼女に対して私は最後に告げた。
「人は今際の際になって感じる“生きている実感”こそ、最も強く感じるんだよ。だから鈴美さんにはもうとっくに“生きている実感”をあげているんだよ。――どうだった? “生きている実感”っていうのは。とても苦しかったでしょ」
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