なりきりタイムズ
今日は
もう付き合ってずいぶん経つのに、未だにデートとなると胸がドキドキする。これは緊張のせいなのか、それとも興奮しているせいなのか。今の私にとっては、そんなことはどうでも良かった。ただ早く宗太が現れないかと心待ちにしていた。
すると、お店の入り口から見慣れた顔が見えた。
「いやあ、ごめん十和子。待った?」
「もう、10分も遅れてるわ。コーヒーは宗太の驕りだからね」
こんな会話幾度しただろうか。
宗太の遅刻癖は直らない。直そうとしたところで無理だと諦めがついたので、いつしか私もこう切り返すのが常套句となっていた。
「わかってるって。だからいつもこの店が待ち合わせ場所なんだろう」
私が宗太を待っていた場所は、近所の老舗の喫茶店。そこで本を眺めながらコーヒーを飲むのが好きだった。だけど、宗太を待ちながら飲むコーヒーはもっと好きだった。
「さて、これから私をどこに連れて行ってくれるのかしら?」
宗太が私の目の前に座るなり開口一番私は訊いた。
すると、宗太は用意していた台詞を言う。
「それは行ってのお楽しみ。さあお嬢さん、表に車を用意してございます。早速行きましょう」
元々私達は売れない俳優同士だった。そして、小さな劇団で出会い恋に落ちた。
ただ、今でも俳優の夢は捨ててはいない。だから日常であってもこうした演技を織り交ぜる。例え周りから冷たい視線を浴びたとしても、羞恥心や嫌悪感を抱いてはいけない。自分の殻を捨て役になりきる。それこそが夢への階段を駆けあげるためには必要なのだ。
宗太の運転する車に乗り走ること数時間。私達がやってきたのは小高い丘の上だった。
辺りには広大な自然が広がり、地球の息吹が私の髪を揺らす。眼下にはジオラマのようなビル群が連なり、まるで女神になった気分だった。
「いかがですか女神様。満足していただけましたでしょうか?」
さすが宗太。今の私の気分を読み取った台詞。そんなところがあるから彼を愛してしまうのだろう。
「とっても最高よ」
私の満足した笑みを見届けた後、宗太はおもむろに自分の背中から小さな花束を出してきた。
その花束、車を降りた時から気づいていた。しかし、それに気づいていないふりをする。そして宗太が私の前に出した時に、心から驚いた表情を見せる。
わかっていても知らないふり。それは基本。それが女優。
「どうかお受け取り下さい。ぼくが丹誠込めて作りました」
「まあなんと、あなたの手作りなのね」
淡い桃色の和紙に包まれ、根元には赤いリボン。その花は、私たちの思い出の花だった。
「ハルジオンね」
私の言葉に宗太は一言台詞を付け加えた。
「そうです。花言葉は追想の愛。別名、貧乏草。ぼくたちにぴったりかと」
大きな夢を叶えるには時間がかかる。宗太は昔、そう言っていた。
確かに時間はかかる。
だってもう、恋人同士になって50年も経つのだから。
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