【推理】愛犬ぺぺ

柿木まめ太

愛犬ぺぺ

 この事件は、正直なところ、彼の助けを借りる必要などなさそうな案件だった。とても楽な捜査で、調査開始からわずか二週間の後にはスピード解決が為っていたからだ。依頼者の夫がここのところ何かと口実を付けて帰宅しない理由は、ほぼ、愛人の存在があるからという線で固まっていた。


 夫妻が近頃はよく口論をしていたという証言もご近所から聞こえているし、御亭主は元から仕事が忙しくて帰宅時間は毎日深夜に及んでいた話も聞いている。

 よくある不貞のケースと同じく、浮気相手は御亭主が馴染みにしているクラブのホステスで、仮にA子としておこう。

 彼女と御亭主との仲は、すでに一年に及ぶものであった。等々……。


 以上の調査報告を、依頼人である夫人に話したのが、捜査期間と同じく二週間も前の話だ。


「……ところで奥さん。この写真の数々が示す事実として、もっとも可能性が高いケースが、いかような内容であるかは、おおよそでも見当が付かれていいのではないかと思うのですが……。」


 かなり遠回しな言い方で、縣恭介は本題を切り出した。

 応接室の重厚なソファは上等な革が使われているらしく、座れば身体全体が沈み込む。高級志向の家具にありがちなその座り心地は、正直、好き嫌いが分かれるところだ。彼はあまり好みではなさそうだった。


 僕の見る限り、彼はずぶずぶと沈むその感覚が苦手なようで、しきりと腰を浮きあげて抵抗している。実に面白いと思っていたが、気付かれたようで睨み返された。彼には僻みっぽいところがあるんだ。

 僕は素知らぬ顔で天井のシャンデリアを見上げた。趣味が良いのか悪いのか、この邸宅はヨーロッパあたりに建っている方がさまになりそうな建築だと思う。


 それはそれとして、例の事件から数えてかれこれ三年になるだろう彼との付き合いだが、未だ彼には他人行儀が残っているのが僕としては不本意な点だった。


 名探偵、縣恭介。気難しいと評判の彼の、良き理解者がこの僕、堂本慎二だ。

 僕ら二人がどのくらい知己なのかと言えば、こうして僕がサークル活動の一環で行っている探偵社の手伝いを喜んで引き受けてくれるくらいには親しい仲だと言っておこう。ちなみに僕は大学院に在籍中だ。


 さて、それじゃそろそろ、二人の前に陣取る妙齢の貴婦人に話を戻そう。


 歳の頃は30代後半から40代というところか、熟女の貫録と脂の乗りきった肉感的な美女が僕ら二人の目の前に座っている。

 ゆったりとソファに身を預けて寛ぐ様は、エマニエル夫人かはたまた峰フジコか、という妖艶さだ。


 優雅にカップを手に取る、そのテーブルの上には、僕が前もって揃えた数々の証拠写真が散らばっている。

 彼女はその中に映る画像には見向きもしないで、珈琲の香りを楽しんでいる風だった。


 ガラスの一枚板が天板になった応接テーブルの上に、切り子ガラスの大きな灰皿が乗っていて、その横へ無造作に広げられた写真の数々には、彼女の夫と若い女が映っているのだけれど。

 どうしたわけか、彼女は至極単純なはずの、その写真が意味するところを理解しようとはしなかった。


「先生、色々な可能性がある事はわたくしも理解しておりますのよ。」

「先生はやめてください。単なる学芸員です。」


 縣はまたもやぴしゃりと言い放った。そうそう、大学を無事に卒業した彼は、家の近所の歴史資料館で学芸員として働いているそうだ。

 郷土史だとか学術論文だとかで、結局はあちこち飛び回る生活を続けているらしい。なりたてほやほやで、まだ「補」の付く助手の身分だそうだけど、例によって、詳しいところは喋ってくれないという訳だ。


 夫人はずいと身を乗り出すと、彼の方へその美貌を突きだした。


「お言葉ですけど、見えたままの事実がすなわち真実とは限らないじゃありませんの、先生。」

「それは屁理屈というべき見解です。この写真に映っている事実は客観的に見ても一つの結論にしか辿り着きませんよ。」


 いい加減、焦れてきたようで、縣の言葉には遠慮がなくなってきた。夫人は夫人で、どこ吹く風だ、まったく聞いちゃいないような事を口走った。


「この女がスパイで、主人はどこかの犯罪組織に脅迫されているのやも知れませんわ。」

「このだらしなく弛んだ頬のどこが脅迫されている人間に見えるんですか。」

「目が充血して……顔だって紅潮していますわ、きっと酒を大量に飲まされて酩酊状態なんですわ。」

「ええ、ご自身で浴びるほど飲んでおられたそうですからね。証言があります。」

「スナックが第三国の経営する工作員の隠れ家という事は?」

「ありません。」


 至近距離で睨み合う二人は、なんだか映画の撮影現場に佇んでいるかの錯覚を僕に与えていた。




「堂本、」

 陰に籠もった声が僕を呼ぶ。


 おお、怖い。ちょっとしたサークル見学だと言って呼び出した事を責められる流れだな、これは。

 来客だとかで奥方は席を外していたから、僕らは二人でこそこそと内緒話の最中だ。僕は精一杯、僕も迷惑をしているという事を顔でアピールした。


「仕方ないだろう、この案件を片付けない事には歓迎の打ち上げだって出来ないんだから。それに、血生臭い事件なんかじゃないって言ったのは本当だったろ? 日常の謎系さ、ほのぼのじゃあないけど。」

「血生臭いよりもっと悪い予感がするのは俺の気のせいか?」


 天井を仰ぎ見て、彼は嘆いた。まぁ、確かにこういうケースは彼の事件ファイルには無かったかも知れない。

 なにせ大学のサークル活動だ、本格的な探偵社を興すというわけにはいかないんだ。取り扱う事件も、猫の捜索から、庭に糞をした犬の飼い主発見などなど、警察の管轄外の事ばかりなんだから。


 それでもこんな風に捜査が難航し、暗礁に乗り上げるなんて事は今までになかった。僕らの探偵社は概ね優秀だったんだ。

 まさか依頼人が、こんな単純な結果報告を認めないだなんて、前代未聞だ。


 僕らはテーブルの上に広げられた浮気現場の証拠写真の数々を眺めて、二人揃って溜息を吐いた。少々でなくペシミストの気がある彼は、僕より余分に深い溜息をもう一つ吐きだした。


「なぜ彼女が、この明白な結果を受け入れないのかが問題だ。そもそもどういう依頼だった?」

「いや、だから、旦那が浮気をしているかも知れないから調査してほしいというものだったんだけど。実際にそれが事実と判明した途端に、夫人の態度がいきなり硬化してしまったんだ。」

「浮気などするはずがない、か。」

「自分で持ち込んできたんだけどな。浮気ではないかと疑っていると、受付をした部員はそんな言葉を聞いているそうだ。」


「子供が居るとか?」

「いいや、二人に子供はないよ。愛玩犬は飼っているけど。」

「財産はどちらの名義だ?」

「夫人だよ。旦那は婿養子で、だから金銭絡みの動機は薄い。」

「夫人が見栄を張っているという話は?」

「それもないな。旦那が最近あまり帰って来ない事なら近所も皆知ってるし、夫人が自分で言いふらしているよ。朝帰りでいい身分だとか、そのくせ、浮気する甲斐性などない、と笑ってみせているそうだ。」

「近所への体裁を気にしてという線もなさそうだな、それじゃ。」

「僕らの時と同じで、ご近所の誰が仄めかしてもまったく受け付けないんだそうだ。」


 返事をする代わりに、縣はいつものように腕を組んで考え込んだ。どうもこの男がこのポーズを取ると、尊大そのものにしか見えないのは不思議なところだ。

 僅かに背が反って、少しだけ顎が上がるせいだな。椅子のクッションが気に食わないらしい彼は、ヘリに腰掛けた不安定な姿勢のまま、横目で僕を見た。


「離婚したくないとしても、浮気そのものを認める事も出来ないというのは、どういう事だ?」

「それが解からない。浮気を認めないなら、最初から僕らに依頼なんかしなきゃいいのに。」

 僕は大袈裟に肩を竦めてそう答えた。


 僕と一通りのやり取りを終え、縣は腕組みのまま背をソファに預けた。ついに諦めたようで深々と沈んでいきながら、眉を顰めた。

 少しばかり子供じみた仕草じゃないかな。猫が背中を丸めているようだ。


「日常の謎って、そもそもこんなパターンだったか? もっとほのぼので、イイハナシダナー的な泣かせに掛かるような物じゃなかったっけ?」


 縣はついで実も蓋もない事を口走った。お前、それは思ってても口にしちゃダメだろう。僕は苦笑を浮かべて誤魔化すしかない。

 お前はいったい何を期待していたんだよ。


 普段から血生臭い事件にしか縁がない彼が、日常系などという甘い響きに憧れたとしても何ら不思議はないのだけど、僕としては笑いを噛み殺すのに苦労してしまっている。殺人と怪奇と神託といった、かなりイカレた日常を過ごしている彼を僕は知っている。愚痴のように彼は続けた。


「案外、蓋を開ければ単純な心の構図の問題なんだ。よくある話で、浮気調査に慣れた探偵ならすぐにピンとくるような結末なんだろうさ。それはつまり――」

「ストップ、縣。そこから先は、ラストの台詞だから今言うなよ。」

 僕が止めると、彼はやるせなく細い溜息を長々と零した。


 僕ら二人が既に解かってしまっている結末なのだけど、それをどうやって夫人に認めさせるかがこの際の問題点だ。

 なにせ聞く耳持たず、馬耳東風といった体で、てんで話にならない。義務感さえ漂わせて、縣は真剣な顔をして夫人に詰め寄った。


「奥さん、単刀直入に言います。旦那さんは浮気をしています。ここに映っている女性は愛人です。」

「愛人のフリで主人に近寄って、その実、主人を亡き者にしようと狙っているのですわね。」


 聞いた縣は頭を抱えた。そういえば以前にも、頭痛に見舞われて頭を抱えている姿を見た覚えがあるな。懐かしい。

 微笑んで見ていた僕を、縣はぎろりと睨んでおもむろに足を移動した。


「痛ぇ!」

「あら、どうなさいましたの? 大丈夫です?」


 陰で足を踏んずけられた僕に、夫人はのほほんと言葉を掛けた。

 まったく誰のせいだと思ってるんだか、縣はいよいよカリカリして、頭から湯気を吹き上げそうな雰囲気になり、説明はもはや詰問に近い口調へと変化している。


「奥さん。お聞きしますが、この写真に映っている男性があなたの御亭主だという事は認めるんですよね?」

「ええ、もちろん。宅の主人に間違い御座いませんわ。」

「では、こちらの女性に見覚えは?」

「ありませんわね。」

「御亭主の表情は、どのように感じられます?」

「困っていると、そう思いますわ。」

「私にはニヤけていると映りますがね。」

「それは先生の感性の問題ですわ、わたくしは、困っている顔だと思いましてよ。」

「一般的にこの顔はニヤけた顔です。これも、これも! いいですか、奥さん。あなたが認めたくなくても、客観的には御亭主がこの女性と親しく過ごしていた事は明白なんですよ!」

「その客観性というのは、いったい誰の判断で決められておりますの?」


 怪訝そうに眉根を寄せて、夫人は切り返した。

 縣は絶句した。


 ダメだ。夫人は縣より上手だ。まるで名探偵が犯人を折り畳んで黙らせるように、夫人はさらなる言葉を重ねた。


「わたくしは妻ですから解かるんですのよ? 主人のこの表情は、内心では困っている時の顔ですわ。苦笑いですの、お分かりにならないかも知れませんけど。こちらの女性が何を仰るかは存じませんけど、主人に聞けばきっと迷惑だったと申しますわ。」

「こちらの伝票はどう説明するつもりですかね?」


 次に縣が前へ押し出したのは、ラブホテルの領収書だ。最後の切り札、というところだ。


「あら、これが確かに主人とこの方に関連するかどうかは解かりませんわ。こちらの写真もたまたま前を通ったところを撮られただけかも知れませんでしょ? いかにも中から出てきたようなアングルで……巧妙ですわね。」

 なおも詰問しようとする縣を僕は肘で突いて押し止めた。

「いいよ、縣。引き揚げよう。」

 彼は少し考える素振りを見せてから、こくりと頷いた。僕は夫人に向き直ると、

「奥さん、また後日に伺います。このままでは僕らも解決とはいきませんので。」

 僕が立ち上がり際に言った台詞は彼女の心に何かを投げかけたようだった。少しだけ、夫人は顔を曇らせた。


「すまん、カッとなった。」

 彼が、いつもの癖で前髪を掻き揚げながらそう言ったのは帰り道での事だ。


 広い屋敷に使用人の姿はなく、通いの家政婦が一人、毎日の掃除の手伝いで午前中だけやってくる事を僕は知っている。

 綺麗に磨かれた板張りの廊下は、そんなわけでピカピカなのになんだか侘しい色合いに思えた。この広い屋敷は夫婦二人だけが住んでいて、今は奥方だけが寂しく亭主の帰りを待っている。


 玄関先まで辿り着いた僕らに、慌てた様子で夫人が追いすがってきた。バタバタと廊下を急ぎ足で駆けてきたので、何事かと思って観返したものだ。


「あの、探偵さん、ぺぺを見ませんでした?」

 夫人の開口一番の台詞だ。僕らは顔を見合わせた。

「ぺぺというのは、ここで飼われているパグ系のミックス犬でしたよね。」

「そうですの、主人のペットなんですけれど、見えませんでした?」


 夫人は血相を変えており、ただならぬ雰囲気だ。なんだか急に事件の臭いがしてきたぞ、それも日常系の。

 これ、これ。こういうのを、僕らは欲していたんだよな。僕は思わず隣の友を見た。目が輝いてでもいたのか、彼は非難がましい眼つきで僕を見返していた。


 結局、ぺぺは物入れの隅に蹲っているところを発見された。嘔吐が激しく、何か異物を呑んだらしいという事で、掛かり付けの動物病院へ担ぎ込む事になって、その後はしばらく大わらわだったよ。

 緊急の処置が取られ、老犬のぺぺは危うく命を取り留めたが、原因は煙草の吸殻らしいという事だ。


 処置中の赤い文字を付けたライトが灯っている。待ち合いの安いソファで僕らは夫人の付き添いをしていた。

 動物病院と言っても、普通の人間用の病院よりも清潔で、独特の薬品臭などまるでない。


「我が家では、お手伝いさんを含めて誰も煙草など吸う者はおりませんわ、」

 夫人は憤慨して言った。

「来客があったでしょう、その人ですよ。」

 さらりと縣は答えた。

「確かに別室でお待たせしましたけど……、灰皿は綺麗なままでしたし、お吸いにならないと仰ってましたわ。」

「化粧室に犬のトイレも置いてあるでしょう? ぺぺの為に小さな出入り口も付いていましたね。客人はそこで吸ったのでしょう、便器に捨てたつもりが的を外して床に落としたんです。火事にならなくてよかった。」


 動じる事もなく続けた縣の言葉に、夫人は視線を泳がせている。これは心当たりがあるという事だろう。

 僕は内心で期待したが、夫人はそれでも、この客人が誰だったかは話さなかった。


 胃の洗浄をして、点滴のチューブを刺したままのぺぺが処置室から出てきた。白い台座に寝かされて、ぺぺはまだぐったりと四肢を伸ばして眠っていたが、この後2~3日の入院だけで家に帰れるという話だった。

 それだけは獣医師から聞いておき、今度こそ僕らは夫人の元を辞して帰路へ着いた。


 街路はもうそろそろ夕暮れ時で、外灯が灯り始めている。閑静な住宅街には車も人も少なかった。季節的にも夕方はかなり涼しく、過ごしやすくなってきたものだが、縣は首を竦めてポケットに両手を捻じ込んでいる。

 寒がりだな、僕はまだ半袖で充分なんだけども。

 首を縮こめて縣は周囲を見るともなしに見廻した。


「あの犬はそうとうな年寄りだな。」

「そうだね、僕が以前に伺った日などは廊下で失禁していたよ。夫人はそれでも大事にしていたみたいで、愚痴も言わずに始末をしていたけどね。"あらあら、またこんな所で"なんて言ってたな。相当に溺愛してる感じだったよ。」

「ふぅん、旦那はどうだったんだろうな?」

「さあね。僕らは一度もあの屋敷で御亭主を見たことはなかったからね。」


 何か気付いた事でもあったらしく、縣は意味深な笑みを浮かべて僕を見た。

 上機嫌だったが、やっぱり答えは教えてくれなかった。そのうち、勝手に通りかかったタクシーに向けて手を挙げた。


「なんだよ、謎解き無しで退散するつもりか? 探偵役の役目を果たさないのか?」

 溜まりかねて僕が抗議すると、彼はニヤニヤと意地の悪い笑みをさらに深めた。


「この件はじきに解決するだろう。もう俺の出る幕も無さそうだから、引き揚げるよ。」

「おいおい、打ち上げはどうするんだ? 事件解決の後にはサークルのコンパもあるんだぜ? 参加しないつもりか? 女子部員たちは皆、君に逢いたがってるんだぜ?」


 僕がなんと言って引き止めても無駄だった。彼は片手を挙げて別れの挨拶とし、そのまま独り、拾ったタクシーに乗り込んでさっさと帰ってしまった。

 相変わらずドライな男だ。



 後日、僕は夫人に招かれて、またあの洋館へと出向いた。京都から呼び出すわけにも行かないので、今回は縣抜きだ。

 夫人は歓び勇んでドアを開け、そこに彼の姿がないと気付いて露骨に残念そうな顔をした。


「あら、先生は御一緒じゃありませんのね。残念だわ。主人も戻ってきてくれて、さすがは先生と、共に噂しておりましたのに。」


 たびたび通されてきた屋敷の廊下で、夫人はさも残念そうにそう言った。僕じゃ不服だと言っているようなもので、失礼極まるな、まったく。

 以前には二人で通された居間も、そのままだ。いや、一つだけ以前とは変わった箇所がある。


 完全無欠のパーフェクトな洋間には、まぬけっぽく和物の神棚が一つ増えて、ぽつねんと壁に据え付けられた様子で祀られていた。

 奥の方に追いやられていたものが、晴れて表舞台に返り咲きといった背景が垣間見える。それだけで何となく推論が立つのも、我ながらでどうかと思ったりする。まったく。どうりで彼が来たがらないはずだ。

 夫人は言った。


「やっぱり御祈祷の神通力が違いますわね。先生には本当に、なんとお礼を申し上げたらよろしいものか……、あの写真の件も、あの後、急に好転して解決しましたのよ。主人も帰ってきてくれて、」

 夫人は慌てて口を噤んで、取り繕うように言葉を足した。

「とにかく、先生と教団には感謝が堪えませんわ。もちろん、あなた方が捜査協力してくださった事も含めてですけど。僅かばかりですけれど、お礼をご用意いたしておりますの、ささ、どうぞこちらへお通りになって。主人の話を聞いてやって下さいな。」


 満面の笑みで夫人は客間のドアを開けた。とても嬉しそうな夫人の視線の先に、パグを抱いた御亭主がソファに寛ぐ姿があった。

 そうして、やっぱり夫婦は揃って、亭主の浮気を口に上せる事はしなかった。



『そりゃ、言うわけないさ。』

 電話の向こうで縣が事もなげに言った。


『あの写真の女は、夫人を脅迫しようとしていたんだろうが、役者が違う。脅迫の為には前提条件で、夫人が二人の関係に勘付いている事実が必要だったんだ。薄々勘付いておきながら、何らかの動きも見せないという状況だったら、彼女にとっては都合が良かったんだろうがね。夫人が気付かないままだと、彼女は旦那と別れても慰謝料の請求が出来ないわけだ。逆に下手に騒いで訴えられれば、彼女に勝ち目はない。夫人が今まで気付かないという理屈は通っても、不倫と知らずに一年以上も関係を続けたなんて事は通らない。調停員だって信じるわけがないからな。俺達が訪ねたあの日は、偶然、あの女も来ていたんだろう。それで急に夫人の態度が硬化したんだ。』


「なるほどね。夫人は女の目論見に勘付いたわけか。それで咄嗟に機転を利かせて、知らぬ存ぜぬを押し通したわけだ。」

『浮気相手を泣き寝入りに追い込んだんだ、怖い女性だよ。』

「御亭主が浮気に走ったのも、案外、その辺に原因があるとか?」

『いいや。原因はペットだろう。かなりの老犬で、恐らくは認知症の気も出ていただろう。介護問題だよ。旦那は仕事で毎晩激務をこなしている、そこへ持ってきて、夫人にこの犬の事で責められていたんだろう。犬でも人間でも、介護の問題は深刻になる。』


「夫人は我が子のように可愛がってきた犬だから、御亭主が面倒を見てくれない事を不満に思っていた、か。毎日諍いが絶えないとなると、御亭主も家に帰る事が億劫になっても仕方ない。……とすると、今回の誤飲事件で二人の間のわだかまりが消えたって事か。自分の愛人の捨てた吸殻が原因で可愛いペットが死にかけたわけだもんな。御亭主にとっても、ぺぺは大事な存在だったんだな。」

『雨降って地固まる、てヤツだ。』


 さらりと流して、名探偵は謎解きを終えた。

 僕は、御祈祷料が発生している件を彼に報告したものかどうかで少し迷ったものの、彼の精神の安定のために、もうしばらくは黙っていてやる事に決めたのだった。気難し屋の彼が気難しさをさらに拗らせないように配慮をしたつもりさ。



終わり

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