十一日目:王女の「いらない部分」は抜き取られ放置される

「リネット王女、ご機嫌麗しゅう」

 三度現れたアガレスと向かい合う自分の姿を見下ろして、これが夢の中の出来事だと確認する。確認できてしまう。

 なぜなら今、わたしは昨日までのように人間の姿をしているから。

「竜の身体には慣れましたか?」

「……慣れるわけがない」

 昨日、わたしの目の前でロビンたちを惨たらしく傷つけたブラックドラゴン。

 わたしの魂は今、その醜く罪深い竜の身体に封じ込められている。



 今朝――洞窟の中ではあるが、魔法による灯りである程度の時刻はわかる――、わたしの牢にあの自称魔王が朝食を携えて現れた。以前から自分の力や自分が生み出した魔物の強さを自賛して止まないあの者は、あろうことかわたしに求婚した。

 ――エルスバーグはじきに僕に支配されるのだから、新国王の妻となるのが旧王家の姫たる君にはふさわしいでしょう。

 気取ったわりに品がなくまるで似合わないたわ言に対し、わたしは鉄格子の奥から冷笑と短い侮蔑の言葉で応じた。

 アガレスと交わした会話は覚えていた。わたしの破滅とは、すなわちここで殺されることかと推察もした。でもそれを恐れはしなかった。

 前日にロビンの切り裂かれ焼け焦げ砕かれ一部が失われた姿を見た時から、わたしの中の何かはすでに死んでいたのだから。

 だが、彼奴はわたしを殺しはしなかった。

 ――予言通りの返答だな。魔神様は常に正鵠を射抜きなさる。

 顔をしかめながらそう言うと、あの男はブラックドラゴンを呼び寄せて、なぜか呪文を唱えると黒い竜の全身を魔力の鎖で縛り上げた。

 そしてわたしに顔を向け、アガレスの操り人形であるあの男は歪んだ笑みを浮かべて言ったのだ。

 ――僕が好きなのは君の肉体であって、魂には興味がない。むしろ従順な魂を入れ、その肉体に相応しく育てるほうが好もしい。

 直後に唱えられた呪文は、光の輪のようなものだった。それが直線に近い形に引き伸ばされると、それぞれの端がわたしとブラックドラゴンの体内に吸い込まれる。

 ――お前は一体、何を

 わたしが『わたし』の声でしゃべれたのは、そこまでだった。

 輪の端が身体に入り込んだ結果、身体には二本の光の糸が生えているようになっている。その一方が外へ引き出され、それにわたしは為す術もなく引きずられる。また、もう一方はこちらへ引き込まれていく。

 わたしの身体はまったく動いていない。しかし『わたし自身』は糸に雁字搦めにされたように感じていて、糸とともに凄まじい勢いで動き始めている。

 すぐにわたしは『わたしの身体』の外に引きずり出され、『リネット』の姿を外から見ることになった。魂を抜かれたような虚ろな表情をしていた。

 わたしは自分が光る球体のような存在となって光の糸に絡みつかれていることを理解した。そして、鉄格子を超えて糸の進む先にはブラックドラゴンの身体があることも、竜の身体から飛び出したもう一つの光る球体が糸に乗って『リネット』の身体へと向かっていることも。

 抗おうにも抗う方法もわからないうちに、わたしは邪悪な黒竜の身体の中に吸い込まれていき、その身体の新たな持ち主となった。

 ――この洞窟は君に差し上げよう。迷い込んで来たモンスターや動物、もちろんお好みとあらば人間も、君の食料になるはずだ。その鎖はもうしばらくすれば消滅するように設定してあるから心配はいらないよ。

 魔王は牢の鍵を開けながら、もったいぶった口調で言う。そして、突如人間の少女になって呆然とその場にへたり込んでいるさっきまでのブラックドラゴンを優しく抱き寄せると、跳躍の呪文を唱えて消えてしまった。

 後に残されたのは、さっきまでエルスバーグ王国の王女であったはずの、醜いブラックドラゴンが一匹。



「ダークエンペラーは古い物語を読んでいて、白紙から自分好みの女性に仕立て上げるお話に心惹かれるものがありましたので、彼好みのアドバイスをしておきました。もっともブラックドラゴンは無知この上ないですから、実際に満足のいく成長を遂げるには四、五年は待たないといけないわけですが」

「……その間に彼は滅ぼされ、『心を病んだ王女様』は数年後に回復を遂げるというわけですか」

 なぜかわたしは、再びアガレスに対して敬語を用いていた。悪魔に対する憎しみ以上に、金属の軋みのごとき鳴き声とは違うまともな人間の言葉をしゃべれる喜びが大きかったからかもしれない。

「さいでございます。これなら『王女』は損なわれず、しかし実際には王女は苦痛に見舞われる。依頼主と周囲の皆様の矛盾する要求をうまいこと切り抜けたすんばらしい発想と自負しておりますが?」

「そしてわたしは邪悪な竜として討伐されるというわけですね……」

 もうわたしは夢の中でしか言葉をしゃべれない。不恰好な四つん這いでは字を書くこともままならない。何より今の醜い身体では、人と言葉や意思を疎通させること自体が不可能だ。つまりは魔王の手先にして王女救出部隊の仇でもあるブラックドラゴンと思われたまま、やがて現れる勇敢な冒険者の手でみじめに殺されて屍を晒すのみ。

 嘆きの呟きに返答を期待したわけではなかったが、アガレスは道化た笑みを引っ込めると神妙な顔をして言った。

「勘違いしないでいただきたいんですけどね、わたしは依頼主にとって最善の手を打ち続けるつもりですが、別に貴女の未来が確定したわけではありませんよ?」

「……え?」

「悪魔が万能じゃないことくらい、おとぎ話でご存知でしょ? 運に恵まれれば、どうにかなるかもしれませんよ。元の身体を取り戻せるかどうかはわかりませんが、こちらの意図した破滅ぐらいは免れるかもしれません」

「しかし、この状況はすでに詰んでいます」

 竜とて決して無敵ではない。すでに情報は伝わっているはずだから、洞窟の外に出れば優秀な魔術師たちによる遠距離魔法の集中砲火を浴びて滅ぼされる。かと言ってここに篭もっていても、魔力を秘めた武具で身を固めた腕利きの剣士や騎士に乗り込まれたらそれまで。人と戦うつもりなどないわたしはいいように嬲り殺されるだろう。

 仮にそうした人材の手配が遅れるとしても、この巨体を維持する食料をどうするか。外に出た場合、牧場などを襲って牛や羊を丸呑みでもしないことには胃袋が満たされそうにない。内に潜み続ける場合、辺りを蠢き回るおぞましいモンスターを捕食することになる。どちらも耐えがたく、だが空腹も今日一日ですでに忍耐の限度に達している。

「これくらいは妥協と開き直りで乗り越えられるでしょう」

 わたしが陥っている窮境を理解しているだろうに、アガレスは一言で切り捨てた。

「ではまたいずれ。たぶん貴女とは次に会うのが最後になるでしょうね」

 言い残すと、アガレスは優雅に一礼して消え失せた。

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