【番外編】クイーンvsキング!
嫁が口を聞いてくれなくなってから三日たつ。
といってもまったく声を発しないわけではない。つい先ほども以下のような会話を交わした。
「ちょっと、アチャコのおしめ替えたげて」
「ん……おしめどこや?」
「もうええわ、ウチがやるし」
これが会話と呼べるのか、はなはだ疑問だが。もはやただの業務連絡であろう。
そう、業務。
我が家の夫婦関係は、業務関係でもあるからこそ成り立っている。俺がキングで嫁がクイーン。夫婦であり、この村のヒーローでもある。
キングとクイーンは手を携えて村を守らねばならない。この世界の理だ。ヒーローたるもの、この運命からは逃れられない。
その役目がなければいつ離婚していてもおかしくなかった。それくらいに最近の夫婦関係は冷えてしまっている。下世話な話で恐縮だが、ここしばらく夜の営みはおろか、キッスのひとつもいたしていない。
ヒーロー夫妻という仕事を通して、俺と嫁はかろうじて繋ぎ止められている。
実は俺と嫁を繋ぐものがもうひとつだけある。
愛する娘の存在だ。
「アチャコちゃーん、べろべろばー」
俺があやすと娘はキャッキャと大喜びする。かわいらしいことこの上ない。
その様子を横目で見た嫁が「チッ」と舌打ちした。おおかた、俺が娘と遊んでいるのが気に食わないのだろう。
知ったことか。聞こえよがしに舌打ちなどと、憎たらしいったらありゃしない。娘の爪の垢でも煎じて飲めば、少しはかわいげを取り戻すのではなかろうか。
「昔はママもかわいかったのに、なあ」
娘に向かってそんな繰り言を漏らしてしまう。
それでも会話そのものが途絶えたことはこれまでなかった。異変が起きたのは三日前だ。原因はうすうすわかっている。
あの日、嫁はクラン戦のため遠征していた。しかるに俺は工事で留守番。
疲労回復に軽く一杯、と出かけたのがいけなかった。嫁の不在で気が緩んでいたのか、ヒーラーの店で痛飲してしまい、明け方までの記憶がない。
幸い、嫁が戻る前に帰宅することはできた。だがあれから口を聞いてくれないところを見ると、バレたと考えるべきだろう。
「ヒーちゃんがダクエリボトルの請求書でも届けよったんかな。ヒーちゃん、そういうとこ気がきかんからなあ」
しゃーない、と俺は腹をくくった。
どのみちこのままではいられない。頭を下げて済むなら、いくらでも下げてやろう。
「……頭下げるだけで済むならええんやけど」
独白を打ち切って、俺は重い腰を上げる。
「なあ」
しかしながら、意を決した俺が話しかけても、嫁の返事はない。視線はあさっての方向へ固定されたままだ。
くじけそうになる心へ待ったをかけて言葉を重ねる。
「なあて」
「なんやの?」
ようやく嫁がこちらへ向き直った。
視線がきつい。殺意すら感じる。三十路クイーンおそるべし。
だがここでひるんでは解決に至れない。勢いでごまかせとばかりに俺は全力で深々と頭を下げる。
「すまん! 実はあの日、朝まで飲んでた。悪かった!」
そのまま十を数えるくらい待った。
いっこうに反応がないのでおそるおそる頭を上げてみると、そこには鬼の形相をした嫁がいた。
あまりの迫力にもう一度頭を下げてしまう。なんやあれ、めっちゃこわいやん。レイジかかっててもあんなんならへんやん。俺は頭の下げた姿勢のまま、身じろぎすらできない。
固まり続ける俺に対して、嫁がぽつりと言葉を投げかける。
「……そんなん怒ってる思てたん?」
「え?」
「そんなん怒ってるんとちゃうわ!」
再び頭を上げると、今度は泣き出しそうな嫁の顔があった。
困惑した俺は正解を見失ったまま言いつのる。
「せやかて、お前、俺がヒーちゃんの店行くとき嫌そうな顔するし、黙って行ったからムカついたんかと思て」
「アンタがどこへ飲みに行こうが、そんなんどうでもええねん」
「あ、この前は朝までおったけどな、ヒーちゃんとは別に何もないねんで。店で寝てしもただけで」
「わかっとるわ。アンタに手ぇ出す甲斐性なんかないもんな」
ぐっ……と言葉に詰まってしまう。さすがにここまで言われると反論のひとつもしたくなるが、甲斐性あるわい!などと返したらますますややこしくなる。やましいことは誓ってしていないのに疑われたら心外だ。
だがしかし、ならばなぜ嫁は怒っているのか。
そのヒントを嫁は口にした。
「あの日、ウチが帰ってきたとき、アンタ何て言うたか覚えてる?」
三日前、嫁が遠征から帰ってきたとき。
俺は必死に記憶をたどる。
あの日、キングである俺が参戦できなかったにもかかわらず、クラン戦は勝利をおさめた。その立役者が嫁だった。嫁の活躍によって、ぎりぎりの勝ち星をもぎ取ったのだそうだ。
俺は伝令からそのことを聞いた。本隊の帰還に先んじてわざわざ報告に来てくれたのだ。
「クイーンはんの戦いぶりときたら、そらもうえらいもんでしたわ。三連テスラにもびびらずに真っ向勝負でっせ。あれはキングはんの穴を埋めようとしはったんやろなあ。ほんますごかったですわ」
それを聞いて俺は我がことのように誇らしく思った。朝帰り二日酔いの頭が、この知らせでスッと清められていくように感じたのを覚えている。さすが我が嫁、帰ってきたら存分にねぎらってやろう。たくさんほめてやろう。
だから、帰ってきた嫁に俺はこう言ったのだ。
「大活躍やったらしいな! お前がおったら、俺なしでも大丈夫やな!」
この言葉に問題があったのか?
「せや、アンタはそう言うた」
こちらをにらみつけるようにしながら嫁は続ける。
「わからん? 俺なしでも大丈夫ってなんやの? アンタ、自分で自分をいらんて言うてんねんで。悔しないのん?」
「……それは戦略上の役割分担やん。お前の代わりはおらんけど、俺の代わりはゴレやんとバルっちがおればできる。そういうもんやんか」
「アンタはそれでええのん?」
「ええもなにも、そういうもんやとしかよう言わんわ」
「ウチはそんなん嫌や!!!」
腹の底から吐き出すようにして嫁は叫んだ。
と、その声に驚いたのか、隣の部屋で遊んでいたはずの娘が「びえーっ」と泣き出してしまった。
「ああごめんごめん、アチャコ、ごめんなー」
即座に嫁が隣室へ駆け込んでいく。
ひとり残された俺は、嫁の言葉を反芻する。
悔しくないのか――俺にも思うところがないわけではない。嫁ばかりがちやほやされ、俺の働きはなかなか評価されない、そんなふうに考えてしまうこともあった。
だが、嫁と俺では求められる役割が違う。嫁は攻守の要であり、絶対的エース。かたや俺はいわば縁の下の力持ちだ。本隊を支える目立たない存在で構わない。捨て駒にされるのだって甘んじて受け入れよう。
そんな役割なのだから、俺なしでも勝てるなら、それは村にとって喜ばしいことである。
俺は村全体のことを考えている。間違っていない……はずだ。
ほどなくして、娘を抱いた嫁が戻ってきた。
片方の手に何かを握っている。
「これ」
そう言って嫁はその手を突き出して見せた。握られていたのは、俺の王冠だ。部屋に置いてあったのをわざわざ持ってきたのか。
「俺の王冠がどないしてん?」
「ボロボロやな、これ」
嫁の言うとおり、お世辞にもきれいとはいえない代物だ。傷だらけだし、あちこち歪みが出ているし、はめ込まれていた宝石のいくつかは取れてしまっている。おまけに戦いで浴びた血と脂のせいで本来の輝きはどこにもない。
「そらまあ、戦うときはずっとかぶっとるからな。ボロボロにもなるやろ」
「でも、前はちゃんと手入れしてたやん。磨いたりとか」
「せやったなあ」
俺は昔を思い出して、苦笑しながら返答する。
「俺も若かったしな。こんなもんでカッコつけて、俺がキングや!って調子に乗っとったなあ。アホみたいにフィスト頼みで突撃して、痛い目見て。どうしようもないガキやったわ。今から考えたら恥ずかし――」
「この、アホんだらぁ!!!」
「ぶごべっ!?」
俺の顔面に王冠がクリーンヒットした。
「ちょ、おま、なにすんねん。これ立派な鈍器やぞ!?」
オーバーハンドスローを決めた嫁に抗議するも、「うっさい!」の一言で封じられる。
「恥ずかしいってなんやの!? あのころのアンタのほうがよっぽどカッコ良かったわ! 今のアンタはうだうだ屁理屈ばっかこねて、何が役割分担や! 役割とか、ちっさいこと言うな!」
「そんなわけにはいかんやろが! 俺らは村守らなあかんねんぞ? 自分勝手に戦ってたらとんでもないことになる。村が潰れてしまうかもしれん。せやから俺は村のこと考えて、村のために戦っとるんや!」
「………………あーもうキレた! まじキレた!」
言うなり嫁は壁に立てかけてあったクロスボウをひっつかんだ。
「おい待て、こら待て、それはあかんて」
「アンタが悪い。神に祈りい」
「アチャコもおるやないか。危ないやろ」
「いずれアチャコはウチの跡を継いでクイーンになんねん。ちょうどええ英才教育やわ」
嫁は片腕に娘を抱きつつ、もう片方の手で器用に矢をつがえ、狙いを俺の眉間に定めた。どうしてだろう、娘の目が輝いているように見えるのは。これがクイーンの血筋だろうか。俺の背中を伝う冷や汗が止まらない。
「アホはいっぺん死んでこい」
嫁の人差し指が引き金を絞る。
ズバンッ、と放たれた矢をすんでのところで俺はかわした。背後で壁の崩れ落ちる音がする。どうやら大穴が開いてしまったようだが、そちらに目を向ける余裕はない。
「ほんまに撃つか!? とりあえず話し合おうて」
「うっさいうっさいうっさい! 今のアンタと話すことなんてあらへん!」
声を張り上げる嫁の目からは、大粒の涙があふれていた。
「ウチにとってアンタはヒーローやった。いっつも先頭切って突っ込んで、無茶ばっかししてたけど、それが最高にカッコ良かった。プランとかそんなんどうでもええ、全部潰せば勝ちやって本気で言うてたアンタが好きやった。こんな人やから、ウチが支えたらなあかんねやって、アンタの背中守るんがウチの幸せやった。それが今はなんや? 二言目には村のため村のためて、ほんまのアンタはどうしたいのん? そんなんウチのヒーローとちゃう。ウチのヒーローは、ウチだけのヒーローはどこ行ったんよ!?」
俺は思わず言葉を失ってしまう。いや、だが、しかし――そんな否定の台詞が反射的に口をつきそうになる一方で、嫁に本心を言い当てられたように感じていた。俺は本当はどうしたいんだ?
逡巡する俺を見やりつつ、嫁はふぅっとため息をついた。そして袖口で涙をぬぐい、クロスボウを構えなおし、ぴたりと俺に照準を定める。
「え? ちょっと? 今ので終わりちゃうん?」
「だってアンタまだ死んでへんやん」
「死、ってまじ? え、ちょっと?」
「ほな、さいなら」
ズバンッ、ズバンと立て続けに矢を射かけられる。本気だ。嫁は本気で俺を殺る気だ!
「ほんま言うたら、村のことなんかどうでもええねん。アンタがウチだけのヒーローがいてくれればそれで良かってん。せやから、ウチのヒーローやないアンタに用はない。死ね、死ね、死んでまえー!!!」
ほうほうのていで脱出にはどうにか成功した。
家の外まで追ってくる気はないようだ。安堵から俺は腰を抜かすようにへたり込んでしまう。あれだけ至近距離からの射撃を受けて無事だったのは奇跡に近い。
……それにしても、嫁があんなことを考えていたとは正直言って意外だった。
「俺なんて、置き物みたいなもんかと思てたんやけどなあ」
そうつぶやく俺に答えるかのように、家のドアが開いた。
嫁がにゅっと首を出す。そして、反射的に身構える俺に向かって何かを放り投げた。ドサリと重い音を立てて芝生に落ちたのは、俺の王冠だった。
「男やったら、いっぺん落とした女のひとりくらい、力ずくで惚れ直させてみい!」
吐き捨てた嫁は力いっぱいドアを閉めた。
「……力ずくて。戦争するつもりかいな」
キングとクイーンは手を携えて村を守らねばならない。それがこの世界の理だったのだが。
「夫婦でドンパチやらかすとか、村のヒーロー失格やろ」
だが、悪くない。それで嫁のヒーローになれるのなら。
俺は立ち上がって足元の王冠を拾った。息を吹きかけ、服のすそで丹念に拭く。長年の汚れはそう簡単には落ちてくれなさそうだ。たまったツケは大きいらしい。
それも、悪くない。ノシつけてそっくり返してやろうじゃないか。
立ち向かうのはキング俺。立ちはだかるはクイーン嫁。
「キング対クイーン、……いや、挑戦者は俺やから、さしずめ『クイーンvsキング!』やな」
王冠を頭に載せる。慣れた重みがしっくりきて心地良い。ぐっと胸を張り、嫁のいる家に向かって大声を放つ。
「カッコええとこ見せたるからな! 覚悟しとけ!」
俺の名前はバーバリアンキング。アーチャークイーンのヒーローだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます