恋に落ちたジャイアント
それはジャイアントにとってはじめての恋だった。
胸をちくりと刺す痛み。締めつけられるような苦しさ。ふとした拍子にこぼれるため息。眠れない夜。誰しも一度は経験があるだろう。「お医者様でもウルドの泉でも、惚れた病は治りゃせぬ」と古い民謡にもあるように、恋わずらいはきわめて厄介だ。とりわけ、はじめてかかった者にとっては。
ジャイアントがそれを自覚したのはあるときの出撃後、戦闘を終えて村へと帰る途上のことだった。
その日の戦果は上々だった。いや、とびきりだったと言ってもいい。防衛戦力に勝る相手の村を全壊したのだから、これ以上ないクランへの貢献となったはずだ。隊列の誰もが誇らしげで、意気揚々と歩みを進めていた。
そんな中、ジャイアントだけはひとり浮かない顔をしていた。
ジャイアントはそもそもが戦闘を好まない、平和を愛する種族だ。争いなんてくだらないと思っている。だが、戦いが避けられないならば、それが村を守る唯一の手段ならばと、いたしかたなく身を投じている。一刻も早く戦闘を終わらせるべく防衛設備を真っ先に潰して回るのが、彼なりのこだわりであり、戦闘狂ばかりの周囲へ対するささやかな反抗だ。
それゆえ、勝っても負けても気が晴れることはなかった。こんなことがいつまで続くんだろう。滅入る気持ちを抑えきれず、重くなる足取りは鉛のようで、ただでさえのろまとそしられる動きがさらに遅くなりそうだった。
と、そのとき。
ぽんと誰かがジャイアントのふくらはぎを叩いた。
見下ろすとそこにいたのはひとりのバルキリーだった。ジャイアントのひざくらいしか背丈のない彼女は、首を反り返らせるようにして視線を上げ、目が合うと笑みを浮かべながら口を開いた。
「今日はありがと。助かったわ」
「……何がですか?」
「ウィズ塔を引きつけてくれたから間に合った。今日の勝ちはあなたのおかげ。それだけ言いたくて」
握りこぶしでぽんぽんと再びジャイアントのふくらはぎを叩くと、彼女はバルキリー隊の列へと戻っていった。
沈んでいたジャイアントの心に、とても小さな、それでいて暖かな火が灯った。
火種が恋の炎となるまでにさして時間はかからなかった。キャンプで訓練をしていても気がつけばバルキリーを目で追っている。いつも頭の片隅で彼女のことを考えている。さしもの純朴なジャイアントも認めないわけにはいかなかった。
――ぼくはバルキリーさんに恋をしている。
けれど、かといって何か動きを起こせるわけではなかった。彼は臆病すぎたのだ。
バルキリーの姿を遠目に見つめるのが関の山で、視線が合おうものなら顔を背けてしまう。
今日こそは声をかけようと決意する朝を、木陰にひそんでしまう昼を、星空を見上げて悶々とする夜をいくつも無為に重ねていた。
そうこうするうちに、久しぶりの出撃命令が下った。
ジャイアントに課せられた任務は『外壁付近の防衛設備周辺に対する単独襲撃』――平たく言えば囮だ。だが彼が最も得意とする役割である。誰も傷つけずにすむのは気が楽でいい。今回の作戦であれば、主力部隊が中央へ突入するまで持ちこたえさえすればいいのだ。
だが、どんな戦闘であっても気が乗らないのはいつもの常で、ジャイアントにはどうしても戦いの意義が見出せない。ジャイアントはいつものようにうんざりした気持ちで出撃のときを待っていた。
そしてふと目をやった先に、バルキリーの姿をみとめた。どうやら彼女は主力部隊の一員となっているらしい。斧を手に、これから攻め込む村を観察している様子だった。いったい彼女はどんな思いで戦場に立っているのか……ジャイアントはそんなことに考えを巡らせてしまった。
「……ジャイアント! おい、何してる、早く出ろ!」
チーフの声に引き戻されて、ジャイアントはあわてて自陣を飛び出した。
まずい、タイミングが完全に遅れた。これではターゲットを取るのが間に合わない。案の定、彼を盾にするはずだった主力部隊が攻撃にさらされてしまっていた。
少しでも早く前へ。ジャイアントは懸命に足を動かした。あの迫撃砲さえこちらへ向かせることができれば、主力部隊はぎりぎり戦線を保てるはずだ。ターゲットを取り直させられればまだ挽回できる。
だがしかし、そのときジャイアントは目にしてしまったのだ。砲火を浴びるバルキリーの姿を。
その瞬間、彼は進行方向を変えた。
「おい、ジャイアント! そっちじゃない!」
もはやチーフの声も耳に入らない。バルキリーを救いたい一心で駆ける。もうすぐ彼女に手が届く、あと少しで!
――そこで視界は暗転した。
目覚めたときに見えたのは、くすんだ色をした天井だった。
そして次に、あたりをきょろきょろと見回して、ベッド脇の椅子に腰掛けたバルキリーに気づいた。
「目が覚めた?」
「……ここはどこですか?」
「タウンホールの救護室よ。私たちの村のね。あなたは負傷兵として運び込まれたの」
そう告げるバルキリーもまた、身体中を包帯で巻かれた痛々しい状態だった。
「怪我されたんですね」
「あなたほどじゃないわ。どこかのバカが戦線放棄してまでかばってくれたおかげでね」
ふっと鼻を鳴らして、バルキリーは言葉を続けた。
「どうして指示を無視したの? 今回の負けはあなたのせいよ。あれさえなければ、少なくともタウンホールは落とせてたのに」
「それは……」
ジャイアントは口ごもってしまった。命令に逆らってでもバルキリーさんを守りたかった、そう言葉にすることが彼にはできず、代わりにある疑問を口にする。
「……バルキリーさんは怖くないんですか?」
「何が?」
眉間にしわを刻んで問い返すバルキリーにひるみつつ、ジャイアントはどもりながら答えた。
「戦うことがです。ぼくは怖いです。傷つくのも、傷つけるのも好きじゃありません」
「じゃあなぜ戦場に立ってるの?」
「……命令だからです。村を守るために、みんなやってることだからしかたなく……」
それを聞いたバルキリーは椅子を蹴って立ち上がった。
「そんな気持ちで戦うのは金輪際やめてちょうだい。傷つけるのが怖い? そんなの当たり前じゃない。でも、私は私の意志で斧を振るってる。自分のやるべきことをやってるのよ。しかたなくだなんて思ったことはないわ」
声を荒らげたバルキリーは、肩を怒らせて救護室のドアへと向かい、ドアノブに手をかけたところで振り返った。
「助けてくれたことにお礼は言っておく。でも、ちっとも嬉しくないわ。あなたみたいな臆病者は戦場に立つべきじゃない」
彼女はドアを叩きつけるようにして出ていった。
命令違反を犯したジャイアントには謹慎処分が課せられた。敵前逃亡とみなされなかったのは不幸中の幸いだった。ともすれば村外追放もありえたのだ。ジャイアントの体格に合わせて設えられた急ごしらえの営倉で、ひとり反省の日々を強いられた。
そんな状況にあっても、寝ても覚めても考えてしまうのはバルキリーのことだ。
――ぼくはただ、バルキリーさんを守りたかっただけなんだ。でも嫌われてしまった。どうすればいいんだろう……。
くさりそうになる毎日。折れそうになる心。涙を流す夜もあった。
けれど、そんな簡単には治らないのが恋わずらいである。
彼の胸を焦がす炎は日ごと大きくなり、彼女に会いたい、言葉を交わしたいという想いが募っていく。そうして萎えかけた気持ちを振り払うように、ひとつの答えにたどり着くのだ。
――でもやっぱり、ぼくはバルキリーさんに恋をしている!
やがてジャイアントの謹慎は解け、また新たな出撃命令が下った。
部隊の中にバルキリーの姿を見つけたジャイアントは、まっすぐに彼女のもとへと向かった。
「……あなた、また出るの?」
つっけんどんに言う彼女に対して、少しだけひるみながら、だがはっきりとジャイアントは告げた。
「ぼくはバルキリーさんが好きです!」
「……はぁ?」
いきなりの告白に目を丸くするバルキリーを前に、ジャイアントはたたみかけるように言葉を振り絞る。
「ぼくは戦いが怖いです。傷つくのも傷つけるのも怖いです。でも、バルキリーさんが傷つくのはもっと怖いです。バルキリーさんがいなくなっちゃうのは怖いです。バルキリーさんに嫌われるのがものすごく怖いです。バルキリーさんと会えなくなるのも怖いです。バルキリーさんと話せなくなるのも怖いです。だからぼくは一生懸命戦います。ちゃんと命令を守って、自分の役目を果たします。バルキリーさんを守って、みんなも守ります。だから、嫌いにならないでください!」
しばし呆気に取られていたバルキリーは、くすりと吹き出したかと思うと、そのうちに声を上げて笑い出した。
「あはははは、なにそれ、告白なの? そんな情けない告白はじめてだわ。あはは……」
バルキリーはひとしきり大笑いした後、はーっとひと息ついて改めてジャイアントに向き直った。
「私は臆病者が嫌いなの。でも『勇敢な臆病者』なんてのがありえるなら、ちょっと見てみたいわね」
そして彼女はジャイアントのふくらはぎをぽんぽんと叩き、身をひるがえして歩み去っていった。
ジャイアントはその背中へ声をかける。
「見ててください」
彼の厄介な病はまだまだ治らないようだ。
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