第三十話 森と人の伝説

過去の世界には、様々な伝説が生まれていた。


英雄や聖人の伝説。


地域や地名にまつわるもの。


自然現象など、様々なものがあった。


そしてそれは、無数にあるものの一つに過ぎないものであった。


しかしシュトルム達、ハイエルフにとっては、重要な意味を持つ伝説だった。



それは禁断の愛から始まる物語。


ある貴族が開催した舞踏会で、視線を交差させた瞬間、お互い強く惹かれあった男女がいた。


互いに踊る相手がいて、通常ならば、その相手以外はほとんど見ることは無い。


しかし、互いの組が軽く衝突した時、それは起こった。


「あ、ごめんなさい!……」


「これは……失礼を……」


そして男と女は出会った。


「―――!?」


荘厳で格調高い音楽が奏でられ、天井にいくつもある豪華なシャンデリアに火が灯り、そこから発せられる光で照らされた人々は、美しいドレスや豪華なコートを着て、楽しげに踊っている最中だった。


二人は視線が混ざり合った瞬間、息を呑んだ。


(この方……)


(このご婦人は……)


男も女も体が熱くなり、動悸は激しく、心の中は互いの存在で埋め尽くされた。


女は、この舞踏会の主催者である伯爵の娘、『ナミア・フェルギット』と言い、彼女には、既に婚約者がいた。


相手は王族に連なる者で、財政的に困窮していたフェルギット家は、家を救うために、ナミアを嫁がせる事にしていた。


ナミアは嫁ぐ前に、「一度でよいから、身を焦がすような恋をしてみたい」と言う願望があった。


しかし、それは適うことなく終わろうとしていた中、起こった出来事だった。


男は、ウッドエルフで名を『レウォル・ロングストライド』と言った。


彼らウッドエルフは、フェルギット家の領地にある森に住んでいた。


自治権を与えられ、友好の証として、毎年、様々な季節になると、こうやってウッドエルフ達も招いて催し物を開催していた。


そしてレウォルは、族長のお供として、ここへ来ていた。


彼は特に人間に興味を示すことは無かった。


しかし、彼女を見た瞬間、彼の中で何かが壊れた。


(俺は……どうしたと言うんだ!?彼女しか……もはや……何も見えない!……)


そして二人は互いに違う相手と踊っている中、隙を見つけては、お互い見詰め合い、視線を絡ませていた。


自分と踊っている相手に気づかれること無く。


心の中では既に、目の前にいる人物とは踊ってはいなかった。


二人とも、惹かれ合う者同士で優雅に踊っている姿を思い描いていた。


そしてその後、二人は伯爵家の館の裏で会っていた。


部屋の去り際、彼女はレウォルを意味深げに見つめた後、ゆっくりと歩いて出て行った。


周囲は薄暗く、近くには馬車が止めてあった。


月明かりが射す場所でレウォルは尋ねた。


「あなたの名前は……何と言うのですか?」


彼女は、恥ずかしげに答えた。


「……ナミアと……言います……この地の領主の娘です……」


「ナミア……私の名は……レウォル・ロングストライドと言います……レウォルとお呼び下さい……」


ナミアは、彼に近づいた。


「レウォル……私は、あなたを見た時……」


レウォルもまた、彼女に近づくと、静かに話しかけた。


「分かっています……それは私も同じです……」


二人は見詰め合った。


「チャームの魔法でもかけられたのかと……最初は思いました……だけど……違うみたい……」


「私も、あなたは森の泉にいるニンフで、私に美しい幻を見せているのではないかと、思いました」


お互い、笑みを浮かべた後、ナミアはレウォルに向って手を差し出した。


「……私は……ここにいます……幻なんかじゃ、ありません……」


彼女の手は月の光りによって、白くぼんやりと輝いていた。


レウォルは微笑みながら、その手を見つめた。


「ええ……そのようですね……良かった……」


月の光の下、館の裏庭で二人は静かに、そして優しく、手を重ねあった。



人間とウッドエルフと言う種族の壁。


貴族と貧しいウッドエルフの青年と言う身分の格差。


そしてなにより、彼女には婚約者がいた。


そのため二人は、誰にも知られないように、秘密で付き合っていた。


彼女の婚約者は、ナミアに興味があった訳ではなかった。


ただ跡継ぎを生むための存在としてしか、彼女を見ていなかった。


また気性の激しいところがあり、度々彼女は彼の逆鱗に触れることがあり、叱責を受ける事が多かった。


しかし、レウォルという存在が彼女の心を支え続けた。


そして、この現状が二人の感情を更に燃え上がらせる結果となってしまっていた。


だが、二人の気持ちとは裏腹に、ナミアは王族の男と結婚をしなければならない日が訪れた。


その日の何日か前の夜、彼女はレウォルと会っていた。


そこは、いつも二人で落ち合っていた彼女の館にある裏庭だった。


池があり、そこを魚が泳ぎ、橋が架けられていた。


手入れがなされており、周囲には様々な高さの木が植えられ、季節ごとに色んな場所から花が咲く、美しい庭だった。


その橋の上で、彼女はレウォルに背中から抱きつき、懇願した。


「……お願いします……私をここから連れ去って下さい……そうすれば……」


レウォルは躊躇った。


(俺は……どうすれば……)


彼には森に、病に伏せっている母がいた。


そして他に親や兄弟がいなかったが、自分を育ててくれた唯一の肉親を置いて行く事は、彼には出来なかった。


「俺だって……君を、あの男から奪ってやりたい!……だが……森の仲間たちは、この事を許さないだろう……そして……」


彼は彼女に理由を話した。


「そんな!……じゃあ……もうあなたとは……会えないの?」


「今より会う回数は減るだろうが……必ず君に会いに行く!だから君は、フェルギット家を救うために行くんだ……」


レウォルの真剣な眼差しを見た彼女は、信じることにした。


「……わかったわ……必ず……会いにきて……約束よ……」


「……ああ……約束する!」


二人は約束の口付けを交わした。


そしてナミアは、マジェス家に嫁いだ。


マジェス家のある場所は、彼の森から2~3日馬を走らせれば行ける場所にあった。


フェルギット家が支配している領地と同じく、草原と森に囲まれた場所だった。


ナミアの夫の名は『リヒャルス』と言った。


彼は相変わらず、彼女には冷たかった。


結婚したばかりの夫婦なのに会話は少なく、家に帰らず、毎日遊び呆けていた。


賭け事、夜の饗宴、狩りなどに興じていた。


そんな中、彼女はレウォルとの逢瀬を重ねていた。


マジェス家の本宅から少し離れた場所に森があり、その森の中に別荘があった。


あまり使われておらず、かなり古い建物だったが、中を綺麗にし、新しい家具などを入れて使用していた。


会う回数が減るほど、二人の気持ちは高まり、お互いの思いは募っていった。


そして、いつしかそれは、秘密の愛の結晶を生み出す事になってしまった。


ナミアのお腹には、人とウッドエルフの血が混ざったものが存在した。


彼女が夫にばれる事を心配した時、運が良いのか悪いのか、マジェス国の隣国、ラドス国が国境の地域を侵した。


これにより両国は、戦争状態になった。


すると夫は、兵を率いて戦いに行く事になった。


彼女がリヒャルスを送り出した時、ナミアのお腹は大きくなり始めていた。


そして両国が戦争の最中、ナミアは森の中の別荘でレウォルとの愛の結晶を世界に産み落とした。


丁度その時、レウォルの母が死に、入れ違うかのように、その子は現れた。


それは男の子で『ハーフエルフ』と言われる存在だった。


この人物こそ、後の英雄と言われる男、『ロウェイン・ロングストライド』、『カーリャスのロロ』であった。


カーリャスとは、この地域一帯の名称だった。


そしてこの事実は、戦から帰った夫に、ばれる事になった。


信頼していた侍女の一人が裏切り、リヒャルスに告げ口をした事で事実は明るみになった。


この事実を聞いた彼は怒り狂い、彼女の頬を力強く叩くと「その子供を差し出せ!」と言った。


しかし、「この男に息子を渡せば、必ず殺される」とナミアは分かっていた。


だから彼女は、幼い息子をレウォルに託した。


自身が大切にしていたフェルギット家の形見のペンダントをロウェインの首にかけて。


銀細工のペンダントで、表にはフェルギット家の家紋である風蛍と言われる蛍が描かれていた。


中を開けるとレウォルとナミア、そして幼いロウェインが彫りこまれていた。


それは3つ作られた物であり、3人の唯一の繋がりの証だった。


ナミアは、フェルギットの実家へ帰されるかと思われた。


しかし、リヒャルスは彼女を手放すことはしなかった。


それは何故かと言うと、自身が戦争に行った時、妻から来た手紙を読み、心打たれたからだった。


そして自分が彼女に対して、夫らしい事を何もしてやれなかった事を悔やんだ。


(この戦いが終われば、彼女に尽くしてやろう……)


彼はそう思い、帰還して来たのだった。


だがナミアにしてみれば、その手紙は何の感情も無い物で、夫にレウォルとの事を悟られないために、心にも無い事を適当に書いて送った手紙だった。


そして別れなかった理由が、もう一つあった。


それはリヒャルスの心の中にある、影の部分が快感となって疼いたからだった。


誰も逆らう者のいない、裕福な欲しいものは何でも与えられるだけの日常の中、彼は初めて「奪われる」と言う事をされた。


しかも、自身がようやく気づき、愛しようとした者を。


その事に彼は怒りと共に、異常な高揚感を覚えた。


そしてある日、怯える彼女に近づき、強引に唇を奪った。


(―――何を!?)


天蓋のある豪華なベッドにナミアを乱暴に放り投げ、馬乗りになり、両手を押さえた。


そして興奮した顔を彼女に近づけて言った。


「いいかナミア!良く聞くんだ!お前は、―――俺の物なんだ!!その身も……心も……全てが俺の物だ!!……お前をフェルギットには帰さない……そして……そのウッドエルフの男にもな!……」


そしてナミアに見張りの者を彼は付け、レウォルと会えないようにした。


更にリヒャルスは殺し屋を雇い、二人へ差し向けた。


一方、レウォルは故郷の森から追放されていた。


婚約者のいる領主の娘と契り、子をなした事が、争いの火種となる可能性があることから、彼はロウェインを連れて森を出た。


そしてレウォルは息子と共に、この地域の森を転々として生きていた。


レウォルは、ウッドエルフの中で弓の扱いに非常に長けている人物だった。


彼はリヒャルスが送ってきた殺し屋を、一瞬のうちに倒した。


そして「息子が一人でも生きていけるように」と、ドルイドマジックと一緒に、その技の全てを教え込んでいった。


彼の思いに答えるかのように、ロウェインの成長振りは凄かった。


教えた事をすぐに覚え、自身の技として次々吸収していった。


彼は水を得た魚のように、森の中を疾走し、次々対象を弓で射抜いていく。


「はっ!」


教えたばかりのリーフストームも、彼はすぐに出来るようになっていた。


「―――リーフストーム!」


落ち葉と共に吹き上がっていく風の中、彼は父親に向って、笑顔で叫んでいた。


「父さん!見てよ、これ!」


レウォルは、驚きをもって息子を見ていた。


(……何と言う事だ……ナミア……俺と君の子は、才能豊かな人物になりそうだよ……)


そして年月が更に過ぎ、彼は少年から青年になろうかと言う年齢になった。


その時、この地域は、再び戦乱の中にあった。


マジェスとラドスの2つの国が激しく戦い合っていた。


そしてある日、ラドスの王の使いがやって来た。


内容は、「傭兵として我が国に協力して欲しい」というものだった。


ある時、二人は、森の中で敵の兵に襲われそうになっているラドスの貴族の娘を救う事があった。


その時、彼女や周囲にいた者が二人の強さに驚いた。


すぐに、その話は王へと届くほどだった。


王は、マジェスを手に入れた暁には、レウォルにナミアを渡すと言う条件をつけていた。


その話を聞いたレウォルは、すぐに答えた。


「その話……本当なのだな?」


「ああ……本当だ、ここに国王陛下のサインと印章のある公文書がある。これをお前に渡す……これで信じるだろ?」


レウォルは、それを受け取った。


「本来ならば……こういった事はしないが……彼女が帰って来るのなら……良かろう……」


「おお!そうか!では、やって貰う仕事については、また連絡をしに来る!じゃあ、頼んだぞ!」


使いの者は、そう言うと嬉しそうに去って行った。


話を聞いていたロウェインは父に近づき、不安げな表情で話しかけた。


「父さん……」


レウォルは、彼の肩に手を置いた。


そして優しい眼差しを、息子に向けながら話した。


「ロウェイン……母さんを二人で取り戻すぞ!」


父の言葉を聞いたロウェインの表情は輝いた。


「はい!」


そして二人は、次々舞い込んでくる仕事をこなしていった。


彼らが主にやっていたのは、マジェスとラドスの両国にある森にやって来るマジェスの兵士達の暗殺だった。


特に地位の高い者を狙って殺していった。


その戦果は素晴らしく、マジェスの中では「国境沿いの森に立ち寄るな」と言う命令が出るほどだった。


相手を殺す度に、二人には報酬が入っていった。


そしてある程度お金が貯まった時、ラドスの国の中にある森にドワーフとホグミットの二人がやって来た。


二人とも男で、ドワーフの方はまだ髭の生えていない若い男で、僅かに赤味がかった金属の鎧を着て、背中には戦斧と大きな皮袋を背負っていた。


表情はどこか優しく、おっとりとした顔をしていた。


そしてホグミットの方は口髭を生やし、同じような金属の鎧を着て、木のパイプを咥えながら、鋭い目つきで先頭を歩いていた。


森の侵入者を警戒していたレウォルとロウェインは、その姿を見て表情を緩めた。


そしてロウェインがレウォルに木の上から小さな声で話しかけた。


「父さん!あの二人って……」


初めて見るドワーフとホグミットにロウェインは少しばかり興奮しているようだった。


レウォルは、何度か見たことがあったので冷静だった。


「あれは、ドワーフとホグミットと言われる者だ……」


ロウェインは、二人を見つめた。


(あれが……そうなのか……)


すると突然、ホグミットの男が立ち止まり、森の中で叫びだした。


「―――おい、誰でい!俺様を見ているのは!?」


レウォルは、表情を崩した。


(ほう……森の民である、俺達に気づくか……)


レウォルとロウェインは、高い木の枝から飛び降りた。


そして二人の前に姿を現し、レウォルが話しかけた。


「我々は、お前達と戦う意思はない……監視したようで悪かったな……」


ホグミットの男が顔を顰めた。


「微かな気配しか感じないと思ったら……森の狂信者どもか……どうりで……」


そう言われたロウェインは、ムスッとした顔になった。


(俺達は、森をただ愛し、共に生きているだけなのに!)


彼は言い返した。


「お前達こそ、何者なんだ!?ここは、お前達の領域じゃないだろ!」


慌ててレウォルが彼を止めた。


「ロウェイン、よすんだ……」


するとドワーフの男が不安げに、ホグミットの男に近づいた。


「お、親方……」


ホグミットの男は、ロウェインをしばらく無言で睨みつけた。


「………」


しばらくして彼は突然大きく口を開くと、笑い声をあげた。


「かっかっかっかー!はははは!」


ロウェインは、それを不気味に感じ、やや後ろに後退した。


「うっ……なんだこいつ!?」


ホグミットの男は笑みを浮かべながら話しかけてきた。


「いい目で睨み返して来やがる!気に入ったぜぃ坊主!俺の名は、『ワイオット・フォルクリスト』って言う武器職人だ!……んで、こっちのドワーフは、弟子の『アルガ・リルディーフ』って奴だ!ちなみに、こいつの爺さんは有名な職人なんだ!……もう死んじまったがな……」


レウォルは、その名を聞いて思い出した。


「鍛冶師リルディーフか……」


「お、知っているのか、あんた」


「俺のいた故郷の森に、一度だけ訪れた事があると言う話を聞いた事がある……」


「そうか……」


ウッドエルフの二人も名を名乗ると、ロウェインが彼らにここを通っている理由を尋ねた。


「……それで……何でこの国境の森を通っているんだ?」


ドワーフのアルガが、それに答えた。


「えっと……それはですね……出来上がった武器や防具などを売りに来ているんです」


こんな場所まで売りに来ている者が珍しかったのか、ロウェインは少し興味を惹かれた。


「……武器や防具?」


先ほどまで不安げな表情だったアルガは、自分達の持って来た物を尋ねられると、突然得意げな表情になって答えていた。


どうやら彼にとっては、自信のある品々のようだった。


「ええ、そうです!親方が作った自慢の数々があります!」


近くにある倒木に腰を下ろして、パイプをふかしながら、ワイオットは話した。


「……この辺りじゃあ、戦争をやっているって言うじゃねぇか……腕っ節の良い奴に、俺様のを使ってもらおうと思ってな……そこで……どうだ、お前ら!俺様たちの自慢の一品を一つ買わないか?普段は、こんな売り方はしないんだが……今回は俺様が坊主を気に入ったからな、特別だ!」


ロウェインは、期待に満ちた目で父に話しかけた。


「父さん……どうする?」


どうやら彼は、興味を持ったようだった。


レウォルは、そんな息子を見ると笑みを浮かべた。


「ふふ……ロウェイン……見てみたいんだろ?顔に出ているぞ……はっは!良かろう……見せてくれ……」


ロウェインは笑顔になった。


「ありがとう、父さん!」


するとワイオットは倒木の上に座って、ぶらぶらさせていた足を地面に付けた。


彼はアルガに話しかけた。


「お!話が早いな!―――おい、アルガ!お客さんに見せてやれ!」


「はい!親方!」


嬉しそうに返事をすると、ドワーフの青年は肩に下げていた自分の体と同じくらいの大きさの皮袋を地面に置いた。


すぐにそれを広げると、中に様々な武器や防具が入っているのが見えた。


それらを彼は取り出し、落ち葉の積もる森の地面に丁寧に一つ一つ置いていった。


剣、斧、弓、鎧、盾、籠手、指輪やネックレスなどがあった。


どれも様々な色や形をしていて、淡く輝いている事から、魔法の効果がありそうだった。


「父さん、凄い物ばっかりだ!」


ロウェインが楽しげに見ていると、レウォルは剣を手に取り、鞘から抜き放って、剣身を見た。


「ああ……中々の業物だな……」


「あったりめえよ!どれも普通の物より遥かに良い物だぜぃ!」


レウォルとロウェインは、それらをしばらく無言で見ていた。


すると二人は、隅に置いてあった弓に目がいった。


弓は、二つあった。


その一つをロウェインは手に取った。


「この弓……」


レウォルも隣にあった弓を手にとった。


「―――!?」


弓を手に持った瞬間、二人はそれに対して運命のようなものを感じた。


それは、ずっと昔から知っている親友と再会したようなものと、この弓がそれをずっと長い間待っていたかのような思いだった。


二人は突然訪れた奇妙な感覚に戸惑っていた。


「なんか……変な感じだ……」


「奇妙だな……これは……」


袋を丁寧に畳んでいたアルガが、振り返って二人を見た。


「あ!その弓に興味をおもちですか!」


ワイオットも近づいてきた。


「お前らウッドエルフには、そいつが一番しっくり来るのかもな」


レウォルは気になったため、説明を求めた。


「これは、どういった弓だ?」


その弓は2つとも同じような作りだった。


濃い緑色の若い木の枝で出来ていて、そこに茨が巻きついており、小さな蕾があった。


レウォルが持っている物は赤い野バラの蕾で、ロウェインが持っている物は、青い野バラの蕾があった。


ワイオットが名前を言った。


「そいつは、『カルフォンラール』ってのと『シャルヴァンフェール』って言う、ユニークレアな弓だ。アルガの爺さんが作っていたんだが……途中で興味を失ったらしくてな……あとの半分は、俺が引き継いで作成したもんだ。だから名品だぞ!」


そしてアルガが更に説明を一つ付け加えた。


「あと……それは生きています」


その言葉に二人は驚いた。


「生きている!?」


「ええ……だけどまあ、害はありませんよ」


二人は、弓を見つめた。


「本当だ!ツルも枝の部分も瑞々しい……変な弓だなぁー!」


「実に面白いな……そして……」


それは彼らの手にしっくりと馴染んでいた。


昔からずっと、使い続けていた物のように。


そして弓の弦を弾いている二人を見たワイオットが話しかけてきた。


「二つの弓には、同じ能力とそうでない能力がある。同じものは、消音のルーンがある。これは矢を弾いた時に出る音が無くなる能力だ。他にも、軽量化、自己修復、ってのがある。それから……レウォルとか言ったな、お前のは、魔力を込める事で飛距離が伸びる能力と、サクセッションアローと言う能力がある弓だ」


「なんだそれは?」


ワイオットは、それについて説明した。


「……と言う物だ」


「なるほど……」


そして彼はロウェインにも弓について話した。


「坊主、お前のは、『マナホーミング』って能力がある弓だ」


「何それ?」


ロウェインが尋ねると、アルガがやって来て、僅かに表情を曇らせながら説明をし始めた。


「えっと……それはですね、私の祖父が加えた能力なんです。ですが……」


「ん?……なにかあるの?」


ワイアットも困惑気味に答えた。


「それは、非情に難しい能力なんだ……」



【マナホーミング】


攻撃をする寸前に、見たマナ(魔力)を持つものに対して、攻撃(この場合は矢)を放った時、そこへ向って軌道が修正される効果。


しかし、曲がる角度が高ければ高いほど、魔力の消費や熟練が必要とされる。


実際に使用すると、軌道の修正は僅かに行われる程度が限界だった。


そのためリルディーフは、この能力をより簡単で強力にしようとしたが、全く実現できなかったため、途中で作るのを諦めていた。


そして『マルチショット』と言われる、一度に何本もの矢を撃ち出す時に、この能力は最も発揮される。



説明を聞き終えたロウェインは、弓を楽しそうに見つめていた。


「へぇー。面白そうだね!」


ワイオットが二人に近づいた。


「気に入ったみたいだな……どうだ、それを買わねぇか?」


尋ねられたレウォルは息子を見た。


彼は弓を大切に両手で持ち、欲しそうに父親を見ていた。


(ふふ……ロウェインの奴も気に入ったようだな……)


レウォルは、この弓を買うことに決めた。


「良いだろう……いくらだ?金は、それなりに持っているから、いくらでも良いぞ?」


ワイオットは嬉しそうにしていた。


「そうか!じゃあ、お前らに売ることにするぜぃ!」


アルガは、そんなワイオットを黙って見ていた。


(……こんな簡単に、自慢の武器を売る親方を見たのは初めてだ……きっと、この二人の事を気に入ったんだな……)


どうやらワイオットは、自分が納得した相手にしか、物を売らない人物のようだった。


そしてカルフォンラールは後に、ウッドエルフの族長、ガルーヴァ・ウッドボルグが持つ事になる弓だった。



弓を手に入れたレウォルとロウェインは、ワイオットに説明を受けた。


「なるほど……この弓と契約のようなものを交わさなければ、能力は使えないのだな?」


「ああ……そう言う事だ。まあ、さっさとやっちまうんだな」


二人は説明の通り、野バラのツルにある棘に親指を軽く突き刺した。


「……っ」


僅かに血が流れる。


そしてそれは、棘に染み込んでいった。


「………」


すると突然、二人の弓に巻き付いていた野バラのツルが、彼らの腕に向って蛇のように這い上がってきた。


レウォルは眉をひそめ、ロウェインは声を出した。


「……?」


「うわああ!」


倒木に再び腰を下ろし、パイプを吹かしながら二人を見ていたワイオットが、驚いているロウェインに向って話した。


「落ち着け、坊主!今、その弓は契約をするために、お前と言う存在を確認しているんだ。少し痛みがあるだろうが、すぐに終わる……我慢しろ!」


ロウェインは、這い上がってくるツルに恐怖していた。


「……そうなんだ……だけど……ちょっと怖いよ!……」


そしてツルは、彼らの腕全体に広がり、巻き付き、いくつもの棘が腕に食い込み、突き刺さっていく。


体を硬くしながら、二人は苦痛に顔を歪めた。


「……くっ……」


「痛い……」


そして棘が彼らの体に次々刺さっていくと、全体が小さく伸縮し始め、魔力を吸い込んでいった。


「うっ……」


「何だよ!……これ……」


二人は、一瞬騙されたのかと思った。


しかし、次の瞬間、蕾だった野バラが次々花開いていった。


花びらと同じ色の花粉が飛び出すと、僅かに甘い香りが周囲に広がった。


その姿を見たワイオットは、小さな体を飛び上がらせ、喜びの声をあげた。


「―――おお!やりやがったぜぃ!」


アルガも喜んでいた。


「凄い!お二人とも、契約は成功です!」


そして彼らを包んでいた野バラのツルは、徐々に元の弓の場所へと戻っていった。


弓に蒔きつくと、すぐに蕾は閉じ、ツルは何事も無かったように元の姿へと戻っていた。


「終わった……のか?」


「いったたた……」


しばらく二人は、腕を擦っていた。


すると売り物を仕舞い終え、出発する準備が整ったアルガとワイオットがやって来た。


「良く、その弓をものに出来たな……」


レウォルは、ワイオットを睨んだ。


「……どう言う意味だ?」


アルガが、皮袋を背負ってやってきた。


「無理な場合もあると言うことです!」


「ええ!……」


ロウェインが、その事実に驚いていると、ホグミットの小さい職人は、笑っていた。


「まあ、出来たんだから細かい事は気にすんな!かっかっかっかー!」


彼のその言葉に二人は呆れていた。


「なんて奴だ……」


「やはり……騙されていたのか……」


二人の言葉にワイオットは納得できなかった。


「騙した訳じゃねぇ。お前らなら出来ると直感したから、俺は売ったんだぜぇ!」


そんな彼をロウェインは怪しんでいた。


(本当かなぁ……このホグミット……怪しいな……)


「……ふぅ……まあ、今回はなんとかなったから、これ以上は言わないでおこう……だが、今度からは、全てを話してもらうぞ……」


レウォルがそう言うと、アルガが代わりに頭を下げ、謝ってきた。


「あの……ごめんなさい……騙してしまう様な事になってしまって……」


「もういいよ。この弓を手に入れられたし!」


ロウェインは嬉しそうに弓を手に持ち、掲げていた。


そしてウッドエルフの親子との別れ際、ワイオットは二人に近づいた。


その時の彼は、深く落ち着いた眼差しを二人に向け、静かに話した。


「その弓を持ったお前らは、誰よりも強くなるだろう……最も早く、誰よりも先に相手を捉え……軽やかに身を守りながら動き……そして確実に敵を仕留める………だが、覚えておけ……どんなに良い物を持っていたとしても……」


そこで彼は視線を下げ、少し寂しげな表情になった。


(……)


しかし、すぐに二人を真っ直ぐに見つめた。


「お前らの心の中は……常に染まり易く、囚われ易いって事をな……」


レウォルは、彼に手を差し出した。


「……ああ、覚えておこう……良い物をありがとう……感謝する……」


二人は軽く握手をかわした。


そして、ワイオットとアルガは二人の前から去って行った。


「じゃあ、何が目的なのかは知らねぇが、頑張れよー!」


「お二人とも、またー!」


去り行く二人を見つめながらロウェインが、ワイオットの言葉の意味を考えていると、父が話しかけてきた。


「さあ、ロウェイン……やるぞ……」


「うん……父さん……」



レウォルとロウェインは、そこから更に目覚ましい戦果をあげていった。


森の落ち葉に隠れ、突然立ち上がって複数の矢を次々放ち、敵を倒したり、木の枝に上り、そこから音を消した矢で確実に狙った者を仕留めた。


また、時にはドルイド魔法も駆使し、敵の目を欺くと、背後から相手を一撃で倒した事もあった。


倒されていった者たちは、相手が誰であるのかを知ることさえ出来なかったと言う。


カーリャスに、「森の暗殺者あり!」その噂は、瞬く間に広がっていった。


そしてラドス国の不利だった戦況は、有利な状況へと変わっていった。


そんな中、ロウェインは更に成長し、立派なドルイド戦士となっていた。


戦いの中で鍛えられた彼の腕は、すでに父親を凌いでいた。


成長の中で様々なものを得た彼の強さは、比類の無いものだった。


しかし、ロウェインの中から、失われていったものもあった。


それは、幼き日より、ずっと生と死の狭間で彼が生きてきた結果でもあった。


ロウェインは、感情を失いつつあった。


喜ぶことや悲しむこと、恐怖する心も徐々に薄れ、表情の変化が無くなっていった。


そして、マジェスが領土の一部をラドスに奪われた時、ある事が起こった。


それは父、レウォルの突然の死だった。


彼は連日の無理をした戦いの日々の中、病に侵されていた。


その日、レウォルは吐血すると、高熱をだし、そのまま意識を失った。


「どうした?……親父……」


そして彼は、月の光の射す夜の森の中で、息子に看取られながら、最後の会話をかわした。


その日は、最も大きな月の出る、満月の夜だった。


その夜にだけ生み出されると言う、薄い青紫色の月の光りに体全体を染め、レウォルは森の地面に仰向けに寝ながら、息子に向って手を伸ばした。


「ロウェイン……」


「親父……」


レウォルは、口元に血の痕を付けながら話していた。


「今さらだが……お前には悪いことをしたと思っている……どうか許してくれ……」


ロウェインは無言で父に近づき、側に座ると、レウォルの手を取った。


「………」


レウォルは、切なげに息子を見つめた。


「俺は、俺のために……お前を巻き込んだんだ!……その感情を無くした顔……最近、気づいたんだ……お前……笑ったのはいつだった?」


ロウェインは、すぐに思い出せると思った。


だが、自分が笑った姿自体を思い出せない事に気づいた。


「……思い出せない……何も……」


「……そうだろうな……俺とお前は……あまりにも……戦いに身を置き過ぎた……」


「……だけど、そうじゃないと母さんに会えないんだろ?」


レウォルは、無表情で尋ねてきた息子の手に力を加えた。


「これから先は、お前がどうするか決めるんだ!……俺の勝手で……お前を、ここまで連れてきてしまったがな……本当はもっと早く終わっているはずだったんだ……本当にすまない……」


ロウェインは、どうすれば良いのか分からなかった。


「そんな事……突然言われても……どうすれば……」


「お前が戦いを続けたいなら、俺は何も言わん……だが……止めても良いと思うのなら……俺のいた……故郷の森へ帰るんだ……俺に罪はあっても、お前には無い……そう……最初から、そうすれば良かったんだ……俺だけで行けば……」


ロウェインは死に逝く父を見つめた。


「親父……」


齢を重ねた彼は力衰え、普段よりもずっと小さく見えた。


この時、ロウェインの心の中に、僅かな熱い何かが込み上げてきていた。


(俺は……)


レウォルは立派になった息子を寂しそうに見詰めながら、弱々しく話した。


「幸いなことに、お前は俺に似ている……だから……レウォル・ロングストライドの息子だと言えば……森の仲間は、きっとお前を迎え入れてくれるだろう……」


「じゃあ、母さんはどうなる?……」


「実は最近……風の噂で聞いたんだ……母さんは……リヒャルスとの間に子供を生み……幸せに暮らしていると……」


「……そんな……」


「俺も信じたくは無かった……だが……彼女が幸せなら……俺は……」


「親父は……本当にそれでいいのか?」


「……ああ……俺はもう、ここで命尽き果て……森に還る者だ……」


「親父……」


息子が寂しげに見つめる中、レウォルは母の事を話した。


「ロウェイン……母さんを……ナミアを許してやってくれ……俺にはお前がいたが……彼女には何も無かったんだ……一人孤独の中……待ち続けるには……あまりにも……長すぎた……」


「……ああ……分かっている……俺はもう大人だ……ガキじゃない……」


レウォルは手を離し、懐から矢を取り出した。


その矢は全てが紅い矢だった。


先端の鏃からそれを支える棒の部分、矢羽に至るまで全てが真紅の矢だった。


「これは?……」


「ラドスの中にある町で買った矢だ……邪悪なものを滅する効果あるらしい……持って行け……」


ロウェインは、それを受け取った。


「分った……」


レウォルは体を起き上がらせると、すぐ近くにある木を背にして、もたれ掛かった。


「では……ここを去れ……私はもう歩けない……先ほど倒した者の仲間が来るかもしれん……」


ロウェインは、行くのを躊躇った。


(親父を置いては………)


そんな息子に向ってレウォルは、最後の力を振り絞って声を出した。


「振り返るなよ……ロウェイン……前を見て生きろ!……お前の後ろには、戦いしか無かった……だが……これからは違うはずだ……さあ行け!」


(親父……)


ロウェインは父親が最後の力を使って、自分を元の森の民へと戻したいのだと思った。


(そこまでして……)


彼は父親の言う、故郷の森へ帰る事を決めた。


(………分かったよ……)


ロウェインは父親の最後の姿を目に焼き付けた。


(感謝するよ……親父……あんたとの日々は、何も戦いだけがあったわけじゃないさ……)


森の生き方や、戦いの技術を学んだ事、ワイアットとアルガに出会った日、町へ買出しに行った事など、様々な思い出が彼の頭の中を過ぎっていった。


その思い出の中にある父は、どれも彼にとって大きくて偉大な存在だった。


そしてそこには、父の優しさと親子の会話があった。


ロウェインが見た父親の最後は月明かりの下、気だるそうに木にもたれ掛かりながら息子を見て、僅かに微笑んでいる姿だった。


ロウェインに表情は無かったが、真剣な眼差しをレウォルに向けていた。


「………」


そして父が言った言葉を守るために、彼は背を向け、振り返る事無く歩き出した。


そこに迷いは既に無かった。


そんな息子の背中をレウォルは嬉しそうに見ていた。


(それでいい……それでいいんだ……)


そして彼の意識は、薄れ始めた。


(……ナミア……俺は君の事を忘れた日は無かったよ……出会った時から……ずっとね……後は……幸せに生きておくれ……俺が……この世界で唯一……愛した人よ……)


レウォル・ロングストライドは夜の森の中、一人静かに、その生涯をとじることになった。



そしてロウェインは、父に言われたとおり、故郷の森へとたどり着いた。


自分が父といた森の木よりも遥かに大きい木が何本も見えている。


(なかなか大きな森だな……)


森の中へ入ると、すぐに誰かがやって来た。


「―――誰だ!」


ロウェインは、やって来た者を見た。


すると何故かロウェインが驚く事になった。


「……お前は……」


彼の目の前にいた人物は、彼の予想に反した者で、それは人間だった。


(何故……人が……ウッドエルフの森にいる?)


短髪の小柄な男で革の鎧を着て、肩には短剣が大量に収められたベルトをかけていた。


男は、ロウェインを見た。


「……なんだ……ウッドエルフか……」


彼は、やって来たのが森の民である事が分かると、警戒を解いた。


しかし、男は何かを確認するように、もう一度ロウェインを見た。


「ん……」


すると彼は表情を戻し、警戒をしながら話しかけてきた。


「お前……良く見ると……見たことがない奴だ……何もんだ!?」


ロウェインは答えた。


「お前こそ、何者なんだ?ここはウッドエルフの森だろ?」


男はロウェインを、まじまじと見つめながら話した。


「良く見りゃ……お前……その耳……完全なウッドエルフじゃないな?」


ロウェインの耳は、人間の血が半分混ざっているハーフエルフのため、通常のエルフ達と同じく先は尖っていたが、長さは短かった。


その事を彼は指摘していたのだった。


「……ああ……そうだ……だが俺は、森の民として生きてきた……」


男は、いつでも動けるように体勢をやや低く構えながら、話した。


「この森に……何か用があるのか?」


ロウェインは、事情を話した。


父親がここの出身である事、親子で、この地域一帯の森の中で戦い続けてきた事、そして父が死んだ事などを簡潔に話した。


「……と言う事で俺はここへやって来た」


「なるほど……経緯は分かった……だが、お前の全てを信じる訳にはいかない。ここでちょっと待っていてくれ!」


男はロウェインがやって来た理由を聞くと、すぐに森の奥へ入っていった。


「……なぜ……人間が、ここを管理している?……」


ロウェインは疑問を感じながら、その場に立ち尽くして待っていた。


そしてしばらくすると、先ほどの男と共に人がやって来た。


大勢の者がやって来ていた。


皆、戦いがいつでも出来る出で立ちで、手には槍や弓、剣などの武器を持っていた。


そしてその中には、何人ものウッドエルフの戦士たちが混ざっているのが見えた。


ロウェインは、警戒して彼らを見ていた。


(……えらく……殺気立っているな……この森は……一体?)


ロウェインがそう思っていると、人の中を掻き分けるように先ほどの小柄な男と共に、2人の人物が現れた。


一人はウッドエルフの老人で、普段着に草色のマントを羽織り、杖を付き、鋭い目つきでロウェインを見ていた。


(……あの人物が族長か?……)


そしてもう一人は、大柄の毛深い中年の人間の男で、加工された硬い革をいくつもの金属の輪で繋げたバンデッドメイルと言う鎧を着ていた。


手にはルーンの入った木槌とサルような動物の顔が大きく描かれた盾を持っていた。


先ほどの小柄な男が、大柄な男に話しかけていた。


「あいつです。お頭!」


男は野太い声でロウェインに話しかけた。


「お前がそうか!」


ロウェインは黙って見ていた。


すると、ウッドエルフの老人が一人ロウェインの目の前へ歩み寄ってきた。


「………ふむ……なかなかの殺気じゃな……どれ……」


そして彼は、鋭い目つきのまま、ロウェインを見つめた。


ロウェインは威圧感を感じた。


(なんだ……この老人は……)


年老いてはいたが、目の前のウッドエルフの眼光は鋭く、彼の表面だけではなく、内面も見通しているような目つきだった。


そして老人は、僅かに笑みを浮かべた。


「……ほう……これは……確かに……あの男の目じゃ……口元から鼻先まで、そっくりだわい……」


老人にロウェインは尋ねた。


「あんたは一体何者なんだ?それに……この人間たちは……」


すると老人は、ロウェインに話しかけてきた。


「お前……レウォルの息子だな?」


ロウェインはまだ名を名乗っていなかったため、言い当てられた事に少し驚いたが、その事を悟られずにすぐに答えた。


「ああ……そうだ……」


「名は何と言う?」


「ロウェイン・ロングストライド……」


「ロウェイン………」


老人は、彼の名を呟きながら、じっと見つめてきた。


そして少しの間を置いてから、話しかけてた。


「お前のその殺気……普通の生き方をしてこなかったな?」


彼には普通の意味が分からなかった。


「普通とはなんだ?」


「森の民として、穏やかに生きて来なかったと言う意味じゃ……」


(穏やか………)


ロウェインにとってその言葉は、懐かしい響きと共に眩しさを感じさせる言葉だった。


「……あんたの言う通りだ……そんなもの……ほとんど無かった……」


「だろうな……」


老人は、彼の父親の最後を尋ねようとした。


「レウォルの奴は……いや……酷な事か……」


ロウェインの事を思い、老人は聞くのを中断しようとした。


しかしロウェインは、彼を真っ直ぐに見つめながら答えた。


「親父は、最後までドルイドの戦士だった……立派な……」


それを聞いた老人は視線を落とした。


「……そうか……」


そして彼は、ロウェインの話を聞く事で何かに納得していた。


「良かろう……これ以上は聞くまいて……」


すると、隣に居た大柄の毛深い男が老人に話しかけた。


「おい、これだけで、あいつを信用するのか?」


彼はロウェインの話を信じる事にしていた。


「ああ……ワシにとってはもう十分じゃ……こやつが嘘を付いているとは思えん……」


中年の男は、ロウェインを一瞬見てから話した。


「あんたが良いなら……俺は構わんが……」


そして老人は再び彼を睨みつけながら話しかけた。


「ではロウェイン……お前は、この森の民になるのだな?」


「それが親父の望みだったからな……」


「お前自身は、どうなんじゃ?」


ロウェインは、力無く答えた。


「……行く当てもないし……それで構わない……」


「ふむ……まあいいじゃろう……」


彼の答えに完全には納得していない様子の老人は振り返ると、周囲を囲っている人々に向って叫んだ。


「皆よ、聞け!今日これより、この者は我が森の民じゃ!新たなる木の名は、ロウェイン・ロングストライド!皆よ、彼の力になってやってくれ!」


すると、周囲にいた者達が一斉に拍手をしたり、木を軽く叩いたりして答えた。


「新たなる木よ、ようこそ!」


「ロウェイン、よろしくな!」


「良く来た!」


周囲の者達は、みな笑顔だった。


どうやら彼を好意的に受け入れたようだった。


ロウェインは、その歓迎を呆然と見ていた。


(………仲間……か……)


そして先ほどの老人が彼に近づいてきた。


「言うのを忘れておったな……ワシは、この森の長……『ガーレイ・ウッドボルグ』じゃ……」


(やはり族長だったのか……)


ロウェインが族長を見ていると、彼は優しい表情で肩に手を置いて、話しかけてきた。


「お前はここで……父、レウォルのように……大樹となれ!ロウェイン……」


ロウェインは、森の木々から入る木漏れ日を眩しそうに見ながら答えた。


「ああ……族長……なんとかやってみる……」


そして、お頭と言われていた人物も彼の隣にやって来た。


彼は先ほどとは違い、気さくな感じで話しかけてきた。


「俺は、ここの人間達を束ねている『ガルガン・ギス』ってもんだ。よろしくな!……えっと……」


「ロウェイン・ロングストライドだ……」


彼の名を聞いたガルガンは、少しだけ表情を曇らせた。


「面倒くさい名前だな……そうだ、『ロロ』と呼ばせてもらうぜ!」


「好きにしてくれ……」


ガルガンは木槌を腰にかけると、ロウェインと肩を組み、豪快に笑い声をあげながら、右手の拳を突き上げた。


「そうか!よし、みんな、こいつをロロと呼んでやれ!ガッハハハ!」


こうしてロウェインは、彼らに受け入れられ、この森の民となった。



そしてロウェインは、族長とガルガンから、この森の事について話を聞いた。


彼らは今、この国の王が送る兵士達と戦っていた。


マジェスの国は、隣国ラドスとの戦いの中にあった。


そのため、物資や人材が不足し始めていた。


それを調達する為に国内の税は引き上げられ、多くの民の生活が困窮する事態となっていた。


そして王は、あのリヒャルスだった。


彼は、王になる候補の者が次々戦争や病で倒れて行ったため、運よく王になる事ができていた。


リヒャルスは、この森の民を快く思っていなかった。


それは自分の妻を奪った男がいた森である事と、そもそもウッドエルフをあまり好意的に思っていなかった。


そのため、大量の食料や「戦力となる若いウッドエルフの男をよこせ」と言ってきた。


当初ウッドエルフ達は、彼らに渋々協力をしていた。


しかし、度重なる催促に嫌気が差し、彼らは戦場から引き上げ、食料などの支払いも拒否した。


すると当然のごとく王は、領主に武力による懲罰命令を下した。


だが心優しき領主は、長年付き合いがあったため、彼らに対して行動を起こすことが出来なかった。


板ばさみになった領主は苦しんだ末、自らの命を絶った。


それを聞いた王は、自身の兵を森へ送り込んだ。


ウッドエルフ達は徹底抗戦した。


森の中は、彼らの領域であったため、人間の兵士では勝つことができなかった。


しかし王は、更なる兵を送り、彼らの森から資源を奪い取ろうとした。


そんな中、王の兵に居場所を奪われた者達が彼らの森へ現れた。


それがガルガン・ギス率いる盗賊団『ラタトスク』である。


ラタトスクは、世界樹ユグドラシルにいる栗鼠(リス)だった。


身軽で非常にずる賢く、抜け目が無い事を知っていたガルガンが気に入って付けた名だった。


彼らは不正蓄財をしている貴族や悪徳商人から財を盗み、困窮している者達へ、それらをばら撒いている、『義賊』と言われる存在だった。


だがアジトが発見されてしまい、住む場所を追われた。


どの村や町も若い者が連れて行かれたため、反抗する事も出来ずにいるのを、彼らは逃げて行く中、それらを目の当たりにした。


「お頭……こいつは……」


「……ああ……酷いな……」


そして、あても無く彷徨っていると部下の一人が、ある村で噂を聞いた。


それはウッドエルフ達が王の兵士と戦い、唯一彼らを追い返し続けていると言うものだった。


それを聞いたガルガンは、すぐに団員全てを引き連れ、森へ向った。


当初ウッドエルフ達は、彼らと共闘することを断り続けていた。


『故郷の森は自分たち自身で守る』


それが、ずっと受け継がれてきた考えであり、思いだった。


しかし、敵の圧倒的な数の前に、徐々に苦戦し始めていた事と、ガルガンの人柄を気に入った事もあって、いつしか彼らは共に戦うようになっていた。


またガルガンたちは、この森を拠点として、たまに様々な場所へも出向いた。


それは彼らの本業だった。


そして今、彼が装備している木槌や盾も、ある商人の敷地の中にある宝物庫から手に入れた物だった。


ロウェインはそんな状況の中、この森の住人となっていた。


彼は話を聞きながら森の中へ入り、中心となる場所へたどり着いた。


するとそこには、奇妙な湖が見えた。


(………なんだ、あれは……)


透明度の高い綺麗な湧き水を生み出している湖で、彼が他とは違うと思った場所は中心部分だった。


湖の底から強く黄色に輝く光が出ており、さらにそこから光の帯の様なものが、フワフワと浮かんでは消えているのが見えた。


また、中心には森の木々の枝が届いておらず、太陽の光がそこへ向って一点に降り注いでいた。


彼は族長に尋ねた。


「族長……なんなんだ?……あれは……」


ガーレイは、表情を曇らせた。


「あれは……ワシらにも、よう分からんものなのじゃ……」


「大丈夫なのか?」


「色から察するに邪悪なものでは無いだろうと言う事だ。もう何百年も我々はここにいるらしいが、何も悪い事は起こっておらんから大丈夫じゃろ」


「そうか……」


ロウェインは、周囲を見渡した。


湖の周りに生えている全ての大きな木から、根が地面から湧き上がり、枝と複雑に絡み合うと、湖の上へと向って成長しているのが見えた。


そしてそれを森の民の技術で上手く編み込み、形を整え、家の床のように平坦にしていた。


族長に聞くと、これは村の人々が集会を開くときに使われたりする広場のようなものだった。


また、彼らの住んでいる大きな木は、枝分かれしている部分が非常に低い位置にあり、それを利用して高床式の家を作っていた。


赤子のウッドエルフを背中に背負いながら、湖から発生した川で、洗濯物を洗っている女のウッドエルフや、木の根の広場で飛び跳ねながら、狩りの真似事をして遊んでいる子供たち、夕飯の食材を運んでいる大人の姿も見えた。


それはどこにでもある、日常の風景だった。


(これが親父のいた森か……)


ロウェインが、それを眺めていると、ウッドエルフの一人が声をかけてきた。


「ロウェイン、お前が住む家は、こっちだ!」


彼はその者に付いて行った。


するとそこは父であるレウォルが、かつて住んでいた家であった。


祖父と祖母は幼い頃に病気で亡くなっており、レウォルは森の仲間に支えられながら一人で生きてきたと言うのをロウェインは、聞いた事があった。


(ここが……そうなのか……)


そして案内をしたウッドエルフは去り際、「自分達は随分前に父を許していたのだ」と言った。


家は「いつかレウォルが帰ってくるだろう」と言う事で、村の人々が管理をしていたと言う事だった。


ロウェインは、その家の中に入った。


そこには、父が使っていた食器や家具などが、そのまま残されていた。


壁に目を向けると、フォレストグリーンのマントと木の皮を加工した森の鎧があった。


(この森のウッドエルフ達が着ている物と同じだ……)


それは、この森の中にある資源で作られた物だった。


彼らはそれにドルイドの魔法をかけ、この森の中にいる時だけ力が発揮されるルーンをその鎧に刻んでいた。


ロウェインは、すぐに自分が身に着けている鎧とマントを脱ぎ、それを装備した。


そして彼は、右の肩に手を置いた。


(親父……ここにたどり着き、受け入れてもらったが……ここにも戦いがあるようだ……だが……今は多くの仲間がいる……俺は、ここと言う居場所で、なんとかやってみる事にするよ……)


亡き父を思いながら彼は窓を開け、外の景色を眺めた。


外は既に暗くなり始めていた。


木の家々の窓から明かりが漏れ始め、煙突からは炊事の煙が出ていた。


そして外で遊んでいた子供たちが続々と自分の家に帰っていく姿も見えた。


(これが……平穏と言うものか……)


ロウェインは、ここにたどり着くことで森の平穏を知った。


(森と仲間……そして俺自身のために、今度は戦ってみるか……)


そしてロウェインは、森と仲間のために戦い続けた。


彼の戦いぶりは凄まじかった。


特に複数人を一気に倒す矢は、全ての人々を驚かせた。


森の中で外を監視している小柄な、投げナイフの達人『ガイ・ホーグル』が叫んだ。


「―――ロロ!敵が大量に来やがったぜ!」


森の中へ続々と、鎧姿の兵士達がやって来ていた。


「まかせろ……」


ロウェインは木の上から飛び降りると、ユニコーンに乗った。


すぐに馬を走らせ、森の中を疾走し始めた。


そして彼は、背中の矢筒に入っている矢を複数片手で取り出した。


ホグミットの職人から買った、生きている弓、シャルヴァンフェールを構える。


(あいつらか……)


すると彼は、両目を素早く左右に動かし、一人づつ位置を記憶するように見つめていった。


(捉えた……最早、お前らは……俺の放つ矢からは逃げられない……)


ロウェインは、そこでなぜか瞳を閉じた。


すると彼の真っ暗な視界の中に、7つの白く輝く人型の影のような物が浮かび上がった。


そして彼は、そのまま矢を引いた。


矢は白い輝きと同じ本数だった。


(この森に居る資格の無い者よ……女神……ミエリに祝福されし……)


彼の矢もまた、敵と同じように暗い視界の中で、黄緑色に輝いた。


(俺の矢を受けろ……)


矢は放たれた。


「―――ウッドエルフだ!」


すると敵は、馬で駆けて来るロウェインに反応し、左右に動き出した。


ロウェインは目を閉じながら、シャルヴァンフェールを強く握り締め、心で叫んだ。


(………我が矢よ……敵を……―――射抜け!!)


すると弓に絡まっている茨が光り、棘が僅かに突き出た。


そして彼の目蓋の裏の世界では、7つの森の光弾が敵に向って突き進んでいった。


『セブン・ヴォレー』


彼の放つ矢は、そう呼ばれていた。


『ヴォレー』と言う、この世界で使用される、魔力を込めた弓の技があった。


魔力を込め、矢を力強く放つ事で、複数の矢に、より重い一撃を加えることが出来る。


人々を驚かせたのは、ロウェインが一度に七つの矢を使ってヴォレーをすると言う、離れ技をやってのけたからだった。


しかも彼は、更にその後、ユニークレアの弓の力を使ってマナホーミングを使い、敵を複数確実に捉え、倒していった。


音をたてることも無く、僅かに軌道を動かし、矢を命中させ、敵は額や喉を撃ち抜かれ、次々倒れていった。


ウッドエルフの森に「必殺の七つの矢を放つ者がいる」


兵士たちは彼を恐れた。


そして森はロウェインの活躍によって、何度もリヒャルスが送った兵を蹴散らした。


するとしばらくの間、森にリヒャルスは兵を送って来なかった。


平和な森の生活が彼らに戻った。


するとロウェインの中に、『母親に会って見たい』と言う、思いを起こさせた。


それは平穏な日々の中で、日増しに大きくなっていった。


そこで彼はある日、森の仲間に何も言わず、一人夜の森を出た。


ガルガン達が乗っていた馬を借り、母のいる場所へ何日もかけて向った。


彼女はリヒャルスの王城の近くにある、森深き館にいた。


周囲には川があり、更にその周りを樹皮の色が真っ白な木々が覆っていた。


川は流れが非常に遅く、空には大きな満月が出ていた。


それは淡い青紫色の月で、川の水面にその姿を映すと、星々と共に輝いていた。


そして建物の裏側へ向う途中にいた兵士達が話しているのを聞くと、そこにはリヒャルスが来ているという事だった。


「寒くなってきたな……陛下が王城に居てくだされば良かったんだが……」


「全くだ……まさか俺に見張りの番が来るなんてな……ついてないぜ……ふぅ……さむ……」


ロウェインは木の陰に隠れて、その話を聞いていた。


(……居るのか……ここに……あいつが!?……)


思わず弓を握る手に力が強く加わった。


彼は静かに川の中へ入った。


冷たい水だったが、リヒャルスの存在を聞いた彼の瞳は、更に冷たいものとなっていた。


(お前を……今日殺せば……)


ロウェインは2本の矢を放って見張りの兵士を倒すと、建物の裏側から侵入した。


中に入るとすぐに一人の兵士と出くわした。


「―――!?」


しかしロウェインは、素早く相手の後ろに回って動くと、左手で口を塞いだ。


「うっ……」


彼は腰にぶら下げていたナイフを右手で抜き、素早く兵士の胸の辺りを突き刺した。


「ぐっ!……う゛………」


すぐに死体を川に捨てると、ロウェインは奥へ進んだ。


途中に数人の兵士を見たが、廊下にある大きな壷や柱、誰も居ない部屋に隠れてやり過ごした。


(奴は……どこにいる……)


更に奥へと進み、階を上がって、一番奥の部屋の前へとたどり着いた。


(行き止まり……ここか?……ん!……)


そこにも扉の前に、二人の兵士がいた。


ロウェインは柱に隠れながら、再び二本の矢を静かに放った。


見事に命中し、敵は即死していた。


彼は矢を放つと、すぐに走った。


そして兵士が倒れる前に、そこへとたどり着き、敵の体を抱き止めると、静かに床に寝かせた。


(ふぅ……)


周囲を確かめ、一息つくと、今度は木製の両開きの扉を右肩を付けながら、慎重に開き、中を見た。


(誰も……いない……のか?)


部屋の中は音も無く、静かなようだった。


少し歩くと更に部屋の奥が見えてきた。


(あれは……)


月明かりと、暖炉の炎の光が部屋を照らしている。


棚に書物が所狭しと、入っているのが見えた。


他には、グラスの入った小さな棚と、壁にかけられた絵画があった。


(良い部屋だ……)


今度は反対側を見ていくと、外の景色が見える大きな窓の近くで椅子を置き、座っている人物が見えた。


外の風景を楽しみながらワインを飲んでいたのか、椅子の近くにある小さなテーブルにはボトルとグラスが置いてある。


ロウェインが耳を澄ませると、いびきが聞こえた。


(寝ているようだな……)


相手は正反対の方へ向いていたため、後姿しか見えない。


しかし、ロウェインには分かった。


(……あいつが……王だな……)


彼の王を見つめる瞳は鋭さを増した。


慎重に物音を立てないように、部屋の奥へ入って行く。


部屋の中は暖炉にくべられた薪が時折弾け、崩れ落ちる音と、王と思われる人物から発せられる、いびきの音のみだった。


ロウェインは身を低く構え、息を凝らしながら、相手の後へと近づいた。


(こいつを殺れば……全て……終わりだ……)


静かに立ち上がると、相手が先ほどまで眺めていた景色が見えた。


月明かりに照らされた、美しい森と川の景色が広がっていた。


彼は腰にあったナイフを静かに抜いた。


(お前を……殺す!……)


そしてそれを振り上げ、相手の胸に向って振り下ろそうとした。


その時。


ギギギギィ………。


近くにあった本棚が独りでに横に動き始めた。


(―――っ!?)


彼がそこを見ると、人が一人、なんとか通れるほどの隙間が生まれていた。


ロウェインは、すぐにナイフを構えながら足音を最小限に抑え、そこへ向った。


(隠し部屋があったのか!)


彼の視線の先には、本棚の隣に真っ暗な空間があり、そこから足音が聞こえていて、その者は既にこの部屋へ入る寸前だった。


(―――不味い!)


ロウェインはナイフの先を、この部屋に入って来る侵入者へ向けながら走った。


そして暗い空間の中で、その相手を刺した。


「―――ぐっ!」


相手から僅かに声が漏れた。


彼はナイフを刺したまま、その相手を部屋の奥へ強引に押し込みながら突き進んだ。


すぐに奥の部屋に二人はたどり着いた。


そこは小さな部屋で、寝室だった。


豪華な装飾が施された大きなベッドが一つあった。


ロウェインはナイフを引き抜くと、もう一つの手を使って相手をベッドへ飛ばした。


「ああ………」


部屋には天窓から降り注ぐ月の光りが入っていた。


光が入る事で相手が誰であるかが分かり始めた。


彼が刺した相手は、高価そうなドレスを着た中年の女性だった。


(女か……)


相手がベッドに倒れ込んでいく中、彼女の胸元から何かが跳ねるように飛び出た。


それは月の光に当たる事で、キラリと輝いた。


銀製のペンダントで、彼には見覚えがあった。


(―――!?)


それを見たロウェインは、表情を一変させた。


(今のは……―――まさか!!)


彼は驚きのあまり、血の付いたナイフを地面に落とした。


(あれは……俺と親父が持っている物と……)


そして自身が刺した相手のところへ駆け寄った。


彼女の両肩に手を置き、顔を近づけ声をかけた。


「……お、おい!」


ベッドに血が滲み、広がっていた。


中年の女性は、ゆっくりと力弱く目を開け、ロウェインの顔を見た。


「………」


そして彼女は口と目を見開き、驚いていた。


「………―――っ!!」


そんな彼女に向ってロウェインは話しかけた。


「あんたは……俺の……」


すると彼女は、それを遮るかのように表情を輝かせながら、父の名を叫んだ。


「レウォル!」


そして、彼に向って独り言のように喋った。


「……来てくれたのね……会いたかった……ずっと……ずっと……待っていたの……だけど……」


その言葉を聞いたロウェインは、目の前の人物が誰であるのかを確信した。


(……俺は……何て……ことを……)


彼が刺した相手は、母親のナミアだった。


彼女は、若かりし頃のレウォルに息子が似ていている事に最初、気づかなかった。


しかし、彼の頬に向って、自身の老いた手を差し出した時に気づいた。


(レウォルじゃない……似ているけど……どこか……違う……)


そして彼女は、目の前にいる人物が誰であるのかが分かった。


「………あなたは……ロウェインね……」


ロウェインは、母の手を両手で優しく握り締めた。


「ああ……そうだ……俺は……あんたの息子だ……」


彼はそう言うと、母の手を自分の頬につけた。


彼女の手は既に冷たくなり始めていた。


そしてナミアは青紫色の月光が降り注ぐ中、儚げに笑った。


「……ふふ……そう……立派に成長したのね……あなたのお父さんと見間違えてしまったわ……」


ロウェインは実の母親を刺した事に動揺しながら話しかけていた。


「俺は……あんたを刺すつもりは……」


そんな息子を見た彼女は、彼の頬を優しく撫でた。


「いいの……言わないで……あなたは悪くない……悪いのは……私だから……」


自分が始めた事であり、そして待つ事さえも出来なかった事を、彼女は日々の中で懺悔する事があった。


リヒャルスはなぜか、彼女と子供たちには良き夫と父親であり続けていた。


彼の心の中で、どのような変化があったのか、ナミアには分からなかった。


しかし、それなりに幸せな家庭を持つ事が出来ていた。


そんな中、彼女はレウォルとロウェインの事が気になり、信頼できる者に二人の情報を調べさせていた。


そして彼女は知った。


二人が戦い続けている事を。


自分だけが安全な場所で彼らを裏切り、幸せに生きている。


ナミアは、自身を責めた。


そして「一度で良いから、二人に会いたい」と思いながら、彼女は生きていた。


そんなある日、彼女の思いは達せられた。


皮肉にも、ずっと会いたかった息子に刺されると言う形で。


(これは……私に与えられた罰………)


そう思いながら息子の頬にナミアは触れていた。


そしてロウェインが再び彼女に話しかけようとした時、先ほどいた部屋から、やって来る者がいた。


「―――何者だ!?貴様!!」


ロウェインは我に返った。


(しまった!……)


そこにいたのは、先ほどの部屋で椅子に座って、いびきを掻いていた者だった。


彼は、負傷しているナミアを見た瞬間、表情を険しくさせ、ロウェインを殺意に満ちた目で見ていた。


そんな夫を見たナミアは必死に叫んだ。


「リヒャルス!止めて!彼は違うの!!」


彼は、彼女の言葉を無視して叫んだ。


「誰か!おらんか!敵が侵入しておるぞ!」


ロウェインはナイフを拾うと立ち上がり、すぐにそれを王へ向けた。


(こいつを殺して……母さんを自由にしてやる……)


月の光に刃は照らされ、一瞬だったが輝いた。


それを見たリヒャルスは、先ほどの部屋へ向って走り出した。


「……くっ!」


「待て!」


ロウェインは彼を追おうとした。


すると母が、彼の体にしがみ付いた。


「止めて!ロウェイン!」


母の行動が彼には分からなかった。


「なぜだ!?離せ!」


ロウェインは身をよじった。


だが母は、彼の体に必死に両腕を回したまま、動かなかった。


そんな彼女の姿を見たロウェインは、リヒャルスを追うのをやめた。


(長い時の流れが……母をそうさせるのか……)


するとナミアは、その場に崩れ落ちた。


「おい!」


慌ててロウェインは、彼女の下へ近づいた。


するとナミアは苦しそうに、声を絞り出しながら話した。


「逃げて……ロウェイン……私の大切な子……一日もあたなの事を忘れた日は無かったわ……本当よ……」


ロウェインは最後に母を抱きしめた。


「もういい……喋るな……」


母のその言葉を聞いたロウェインの心は救われた。


完全な人ではなく、エルフでもない、自分と言う、あやふやな存在が唯一、この世界で確かなものを感じさせてくれたのは、戦いの世界の中を漂っている時だけだった。


父は自分を思っていてくれたが、母は既に自分を見捨てたのではないかと、ずっと思ってきた。


しかし、再会を果たした母は、どんなに時が経ったとしても忘れないでいてくれた。


ロウェインの心の中にあった大きな穴は、彼女の言葉によって埋まった。


すると彼の頬を伝うものが一筋、流れ落ちた。


「………」


ロウェインは、感情を取り戻した。


そしてナミアは、震える冷たい手を息子に差し出した。


「最後に……これをあなたに……」


彼は、それを受け取った。


「これは……」


それは彼女がいつも肌身離さず持っていた、この親子の唯一の絆の証だった。


それを受け取ると、ロウェインは母を静かに床に寝かせた。


(親父に会ってやってくれ………)


彼女は最後に、か細い声で、「二人を愛している」と言って、この世を去った。


そしてロウェインが立ち上がると、部屋の奥から兵士達が続々と入って来る音が聞こえた。


「賊を捕らえろ!」


「はっ!」


彼は、闘志を漲らせた。


(すまん……母さん……どうやら俺は、あいつを許す事は出来ないようだ……)


ここにある豪華な物は全て民から搾取された結果だと、彼は思っていた。


敵がこの部屋へ来る前に、彼は動いた。


この部屋と向こうの部屋をつなぐ通路に移動すると、兵士が二人、武器を構えてやって来るのが見えた。


ロウェインは素早く矢を2本取り出すと、すぐに放った。


「………フッ」


それは敵の喉元に当たり、相手は倒れた。


「―――グガッ!」


そして後ろにいた兵士が後退した所を狙い、次の矢を放つ。


「………グッ!」


敵の背中や腕にそれは当たった。


そして彼は、矢を7本構えたまま、一気に通路を走った。


部屋を出ると、そこにはリヒャルスを囲むように、この館を警備している兵士達が十人近く、やって来ていた。


(もうこんなに来ていたのか……)


ロウェインは敵を見た。


皆、鎧姿で手には武器を持っており、中には矢を引いている者が何人かいた。


「そいつを殺せ!」


リヒャルスが叫んだ。


ロウェインが勢い良く走って部屋に入ると、弓兵が矢を放つ瞬間が見えた。


「―――っ!」


彼は咄嗟に膝を折り曲げ、低い体勢になり、床を滑りながら敵へ近づいた。


敵の放った矢は、見事避けられていた。


「―――何っ!?」


そしてロウェインは滑り込みながら、得意のセブン・ヴォレーを放った。


(……当たれ……―――俺の光弾よ!)


目を閉じ、弓を強く握り締め、マナホーミングも発動させた。


「グハッ!」


全て敵に命中させると、矢が当たった敵は、倒れていった。


しかし、矢が当たっていない者達が、すぐに武器を持って攻撃してきた。


「貴様ああ!」


「ハッ!」


ロウェインはナイフを取り出し、兵士の一人が振り下ろした剣を避け、もう一人が振り下ろした攻撃を受け止めた。


そしてすぐに弾き返し、側面からやって来た敵に蹴りを加え、自身はその力を利用し、窓の方へ向った。


窓枠に上ると、矢が一本彼の肩に刺さった。


「……くっ!」


そこへリヒャルスが剣で攻撃をして来た。


「死ね!」


だがロウェインは、軽々と飛び上がり、窓枠の上の部分に方手をかけ、それを避けると、身を持ち上げたまま、リヒャルスを蹴り上げた。


そして彼は、窓の外へ飛び降りた。


リヒャルスは、すぐに窓へとたどり着き、身を乗り出して外を見た。


「くそ!逃げおったか!」


彼の視線の先には屋根の上を走っているロウェインが見えていた。


リヒャルスは刺されていた妻を思い出し、怒りに満ちた表情になった。


(……許さん……)


兵士に向って彼は叫んだ。


「逃すな!追え!」


「はっ!」



一方、ロウェインは矢を抜き、傷ついた肩を手で押さえながら一階の屋根の上へ飛び降りた。


「―――くっ!」


着地の衝撃で傷が痛んだ。


そしてすぐに彼は、そのまま、屋根の上を必死に走り、速度上げたまま、飛び上がった。


「ハアッ!」


すると下で待ち受けている敵の頭上を飛び越えた。


「しまった!」


そして川の中へ飛び込んだ。


敵は、すぐに矢を放ってきた。


彼は水の中を深く潜り込んだ。


矢が水の中へ何本も、突き刺さるように落ちてきた。


ロウェインは矢によって、もたらされた大量の泡が水面へ向って上がっていく中、川底にたどり着き、地面を蹴って、一気に川の中を進んだ。


肩からは彼の血が一本のロープのように出ていた。


そして対岸にたどり着き、すぐに森の中へ身を隠しながら、馬の下へたどり着くと彼は故郷の森へ帰る事ができた。


負傷していたが、彼のすっきりとした表情を見た森の人々は、「ロウェインが母に会いに行ったのだ」と、何となくだが分かった。


そのため彼らは、それ以上聞くことはしなかった。


だが、妻を殺されたリヒャルスは当然、森の民を許さなかった。


暗い夜の中、少し離れた場所から見た出来事であったため、リヒャルスはロウェインの顔を良く見ることが出来なかった。


(だが……あいつは、あのペンダントを持っている……見つけてやるぞ……必ず……)


そして彼自身が兵を率いて、ウッドエルフの森へやって来た。


森に住む人々と、王の軍との戦いが始まった。


この戦いは、かつてない程の苛烈な戦いとなった。


王は最初、森を焼き払うため、火矢を放った。


しかし、女と子供、そして年寄り達が一丸となって、泉や川から水を汲み出し、消火活動に当たった。


そして族長が、森全体に影響を及ぼすフォレスト・ブレスを発動させた事により、森の木々は炎から守られることになった。


するとリヒャルスは、兵を全ての方角から森へ向かって進ませた。


ロウェイン達のいる森は、四方から来る敵と戦う事になった。


そこでウッドエルフたちは、この森に自生しているレントの木からトレント達を呼び出すことにした。


森の祝福の魔法の効果もあって、すぐに彼らは次々眠りから覚め、森を守る戦士として戦いに参戦した。


ここから両者は、多くの犠牲者を出す、激しい戦いになった。


盗賊団ラタトスクの仲間も次々倒され、ナイフ投げの達人、ガイ・ホーグルが敵の魔法に捕らえられ殺されると、ガルガン・ギスは一斉射撃の矢を全身に受けて死んだ。


彼の最後は、全身から血を噴き出しながらも、自身に宿る魔力の全てを魔法の木槌と盾に燃焼させ発動した、氷と雷の合成攻撃だったと言う。


それは周囲に嵐のように吹き荒れ、敵を大量に巻き込んでいった。


「ロロ!後は頼んだぞ!ハハハハハッ!」


ガルガン・ギスは笑った顔のまま、木槌を振りかざすと、地面に仰向けに倒れた。


「楽しい……祭りだったぜ……へっ……」


森の大地に彼の血は、広がっていった。


「ガルガン………くそっ!」


ロウェインは減っていく仲間をなんとか守りながら、必死になって敵を倒していった。


森の枝から作り上げたウッドアローを周囲の木々に隠し置き、ユニコーンに乗って撃ったり、茂みや高い木の枝から狙い撃ったりと、様々な場所からセブン・ヴォレーを放った。


彼の放つ矢によって、次々敵は倒されていった。


犠牲者も多かったが、ロウェイン達が倒した敵の数は更に多かった。


そのため、戦いは拮抗していた。


だが、戦いの終わりが見えた頃、族長ガーレイが敵の矢を受け、倒れた。


「族長!」


ロウェインは、族長を撃った兵士を矢を放って倒すと、慌てて彼の下へ向かった。


ガーレイはしわがれた声で、ロウェインの肩に手を置いた。


「ロロよ……悪いが……後はお前さんにまかせる……森を頼んだぞ……」


肩にあった手が地面に落ちた。


「族長……」


ガーレイ・ウッドボルグは、すぐに息を引き取った。


ロウェインは、悔しさを滲ませた。


「くっ!………」


この森に来てから、ずっと彼は父親のように接してくれていた。


森の中で彼が孤立しないよう、良く声をかけてくれたり、食事を共にしたりと、族長の名に恥じぬ、人物だった。


ロウェインは、亡骸に向って最後の言葉をかけた。


「今までの事……感謝する!……」


ガーレイを仲間に託すと、彼は力強く立ち上がった。


(俺が終わらせてやる……この戦いを……)


そしてロウェインは、族長の代わりに森の民を率いて、戦いを継続させた。


彼の戦いぶりは凄まじく、一人で大群を相手に引けを取らないほどであった。


ロウェインは、持てる力の全てを使って戦っていた。


倒し、倒されていく日々。


そんな中、リヒャルスは愕然としていた。


彼らウッドエルフは、ただ森住んでいる無知な蛮族か、物乞いのようなものとしか、思っていなかった。


しかし森は豊かで、彼らは賢く強靭な存在だった。


他にも彼は、妻の心と体、そして最後には命まで奪われた事を思い出した。


時折見せるナミアの寂しげな表情。


リヒャルスの思いは、彼女の心にたどり着く事は結局できなかった。


(……お前の全てを……手に入れる事は出来なかったと言う事か……)


王にとってこの森は、最も嫌悪するものだった。


(森のウッドエルフ……何と……恐ろしい奴らだ……あいつらは……森に住む悪魔だ!……)


そして国境沿いに配置している兵さえも招集しようと考えたとき、森の民に苦戦をしていると言う情報を聞いたラドスが、動きを見せたとの報が入った。


「―――なんだと!?」


彼は憎悪を込め、森を睨みつけていた。


(くそ!!……あと少しだったんだ!……)


王である彼は、国全体の事を考えねばならない事を思い出した。


(今度は、国までも失ってしまう……奴らのせいで……くそ!……)


流石に、「これ以上戦うわけにはいかない」と彼は思った。


「白く輝くマナ・フラッグを上げろ!」


すぐにそれは森の上空へ向って撃ち出された。


戦いの中にあったロウェインは、森の中で木々の間から見える場所から、それを見上げていた。


「白旗?……休戦か?……」


すると兵士達が次々森から引いて行った。


「ロロ!」


そして一人のウッドエルフが来る事で王が和平を望んでいる事を知った。


ロウェインは数人の仲間と共に、森と草原の境界に出た。


すると王らしき人物が一人、森に向って立っているのが見えた。


(あれは……)


遥か後方には大勢の兵が隊列を組んで直立しているのが見えた。


ロウェインは、彼を知っていた。


「間違いない……あいつは王だ……」


仲間が一人、尋ねてきた。


「話があるみたいだ……どうする?」


ロウェインは、歩き出した。


「俺が一人で行く……」


そして二人は、再会した。


ロウェインは彼を知っていたが、リヒャルスはじっくりと彼を見るのは初めてだった。


「こいつが……噂のセブン・ヴォレーのロロか……」


自分達をずっと苦しめてきた相手を、瞬きする事無く、じっと黙って見つめていた。


そしてロウェインの首にぶら下がっている、ある物を見た時、リヒャルスは表情を一瞬だったが強張らせた。


(―――あのペンダントは!?)


それはナミアが持っていた物と同じ物である事に、彼はすぐに気づいた。


彼女は常に肌身離さず持っていたため、一度も中を見ることは出来なかった物でもあった。


(あの月光眩しき夜……我が妻を殺したのは……お……ま……え……か……)


彼の体の中を巡る全身の血が、殺意と共に沸き立つような感覚に王はなった。


そして内心とは裏腹に、表情は無表情だった。


「………」


ロウェインが話せる位置までやって来た。


最初に口を開いたのは、ロウェインだった。


「……何のようだ?」


リヒャルスは、平静を保ちながら話した。


「お前達との戦いを、止める事にする……」


ロウェインには、理解できなかった。


「……どう言う事だ?」


リヒャルスは「下手な理由を作っても仕方が無い」と思い、正直にラドスが来た事を伝えた。


ロウェインは少しの間、考える素振りを見せた。


(恐らく……本当だろうな……)


そして納得していた。


「分かった……俺達も、お前らが税を取り立てに来ないと言うのなら、これ以上の戦いは望まない……」


「よし……では明日、話し合いをして、それから数日の後、調印式を執り行う……それで良いな?」


「ああ……分かった……」


ロウェインは、すぐに彼の下から去った。


そんな彼の後ろ姿をリヒャルスは、殺意を込めて見ていた。


(戦いは終わらせてやる……だが……お前は……お前だけは……許さん……)


そして話し合いが始まった。


リヒャルスは森の民との戦いを早期に終わらせるため、彼らの居場所に独立した自治権を与えることにした。


税の徴収をしない方針にし、平和条約を結ぶ事にもした。


そして森の代表として、ロウェインが調印式に出る事になった。


そこは彼らの森から少し出た所にある、ゆるやかな草原の丘だった。


その日は晴れた日で、穏やかな太陽の日差しが丘全体を照らし、くるぶし程の丈の草花が小さな白い花を一面に咲かせた場所だった。


今日と言うこの日を祝うかのように、見た者全てを穏やかな気持ちにさせる景色が広がっていた。


そして、どこからとなく吹き付けてくる心地良い風を受け、ウッドエルフ達は警戒しながら現れた。


ロウェインは肩に弓をかけると、目を細めて約束の場所を見た。


(あそこか………)


丘の一番高いところに、高価そうな机と椅子が二つ置かれ、近くにはリヒャルスが彼らを見下ろすように立っていた。


そして、その周囲には彼の部下たちがいた。


ロウェインは隣にいる仲間に話しかけた。


「気を許すな……」


「ああ……分かっている」


だが彼らの心配は杞憂に終わり、何も起こる事無く、無事にそこへたどり着いた。


彼らは、お互い軽い挨拶を交わすと、すぐに式を始めた。


ロウェインと王であるリヒャルスが椅子に座り、文章が書かれた紙にサインをすると、式は何事も起こる事無く終わろうとしていた。


その間、仲間のウッドエルフ達は周囲を見ていた。


森の民の警戒心を解くため、王には、ごく少数の護衛しかいなかった。


見晴らしの良い、この場所から周囲を見渡すが、どこかに兵を伏せている様子は無かった。


(ラドスとの戦いは、どうやら本当のようだな……)


仲間の一人が、そう思っていると、二人は席を立ち上がっていた。


そしてお互い握手を交わすと、ロウェインの前に最後の儀礼として使われるグラスに入ったワインがやってきた。


半透明で僅かに黄緑色がかり、甘い香りの漂うワインだった。


ロウェイン達は、それがなんであるのかすぐに分かった。


「シュナーブの白葡萄で作った貴腐ワインか……」


彼が香りを嗅いでいると、リヒャルスの部下がグラスを一つ持ち、ロウェインに近づいてきた。


「あなた方が好んで飲んでおられると聞きましてな……どうぞ……」


ロウェインは、それを受け取った。


(毒でも入っているのか?)


一瞬、そんな事が思い浮かんだため、彼はじっくりとグラスの中を見つめていた。


(特に変化はないな……匂いも普通だった……考えすぎか……)


そしてリヒャルスもグラスを一つ取ると、ロウェインに近づいた。


「これで、この辺りの戦は無くなる……末永き、友好を……」


その言葉を聞いたロウェインも適当に言葉を言ってグラスを持ち上げた。


「カーリャスと森に……平和を……」


そしてロウェインとリヒャルスは腕を絡ませた。


ロウェインは、普段どおりの表情で彼を見ていたが、リヒャルスは表情こそ無かったが、瞳の奥に何か重い決意を感じさせるものを秘めていた。


(………)


それにロウェインは、違和感を感じた。


(この男……何を考えている?)


そしてお互い、自分の口へグラスを近づけさせ、ワインを飲み合った。


「………」


特に問題のある味ではなかった。


むしろ非常に良い貴腐ワインの味がした。


(うん……美味いな……かなり上質の物だ……)


そしてサインをした紙の入った木箱を受け取ると、式はあっけなく終わった。


晴れやかな表情で仲間達が声をかけてきた。


「無事終わったな、ロロ!」


「ああ……」


「森に帰ろう……」


ロウェイン達は森に帰るため、彼らに背を向けようとしたその時、突然リヒャルスが素早い動きで歩き出した。


それは一刻も早く、この場から去りたいと思っているような歩き方だった。


ロウェインは、彼の背中を怪しんで見ていた。


(ん?……何をそんなに慌てている?……)


彼は、すぐに周囲を見た。


(………どこかに……兵を伏せているのか?)


つがいの蝶が飛んでいるのが見えただけで、周辺は相変わらず、心安らぐ穏やかな風景があるだけだった。


(気のせいか……)


ロウェインが安堵し、視線を下へ持っていくと、手に持った木箱に目がいった。


(まさか……紙をすり替えたのか?)


彼は木箱を開けた。


すると、そこには先ほど書いた紙があった。


(これも違う……ん?……)


良く見るともう一枚、内側に丸められた紙があることに気づいた。


(もう一枚?………)


彼は、それを取り出して開いた。


(なんだ……これは?)


すると、そこには赤い字で何かがびっしりと書かれていた。


(魔法の……スクロールと言うやつか?……)


そこでロウェインは気づいた。


「―――しまった!この箱にトラップを仕掛けていたのか!」


彼が慌ててスクロールを地面に投げ捨てると、既にそれは発動していた。


赤黒い輝きを放ちながら砕け散ると、周囲に向かって血のように赤い飛沫を飛ばし始めた。


そして地面に落ちた飛沫は、霧状の気体を生み出し、その場にいる者全てを包み込んだ。


ロウェインの仲間だけでなく、リヒャルスの部下さえもそれに包まれた。


「おい!」


「何だ!?」


「これは!?」


彼らが驚いていると今度は、その霧が空中で集まりだした。


その時、ロウェインは体から何かが奪われていくのを感じた。


(俺の体から……奪われていく……全体の力が……)


すると彼らの頭上に赤い球体が現れた。


真っ赤な砂粒を固めたような球体だった。


それは横に自転をし始めると、地面に赤い砂粒を滝のように落とし始めた。


「あの球体を破壊してくれ!俺は奴を追う!」


ロウェインはそう叫ぶと、すぐにリヒャルスを追いかけた。


彼らが受けたのは、ブラッド・サンドグラスの魔法だった。


リヒャルスは、呪われたアイテム等を扱う商人からそれを買い、部下の一人に彼の箱に入れておくように命じていた。


彼の予想では、森の中で多くのウッドエルフ達がいる場所で開けると思っていた。


しかし、自身を怪しんだロウェインが、すぐに箱を開けたため、それは発動することになった。


彼は丘を少し下りた所にある、馬の下へたどり着いた。


(危なかった……俺まで巻き込まれる所だった……)


そして振り返った。


(―――っ!!)


ロウェインが必死に丘を下り走って来る姿が見えた。


(くそ!まだ生きているのか!)


走りながら彼の体から、赤い霧状の気体が吹き出ていた。


そしてそれは後ろにある魔法の球体へ向かって吸い込まれていた。


ロウェインは自分の体から力が徐々に失われていくのを感じた。


(腕が……足が……言うことを利かなくなっている……)


リヒャルスは、馬に乗った。


そして動きが鈍り始めているロウェインに向かって叫んだ。


「―――ロロ!俺がお前を許すと思ったか!俺は知っているんだ!お前が妻を……ナミアを!!」


するとロウェインは苦しい表情をしながら、背中にある矢筒から矢を一本抜き取った。


(親父……力を借りるぞ……)


それは父レウォルが最期の時、息子に託した赤い矢だった。


それを彼は弓に乗せ、引いた。


(お前を……捉えた……)


馬で駆け出すリヒャルス。


ロウェインは、矢を放とうとした。


「―――くっ……」


しかし、体が言うことを利かなかった。


(何てことだ……上手く動けん……)


後ろでは仲間たちが必死になって魔法の球体を破壊しようと攻撃をしていたが、全く効いている様子はなかった。


そして彼は弓を構えたまま、地面に倒れこんだ。


(俺は……死ぬのか……)


何となくだったがロウェインは突然自身に訪れた死を悟った。


父と戦いに明け暮れた日々と、再会した母の顔が一瞬だったが脳裏に映った。


(それも良いのかもしれん………あの二人に……会えるのなら……)


草原の丘に咲いていた小さな白い花びらが大量に、雲の無い青い空に向かって、吸い込まれるように舞い上がった。


そして今度は雪のように降り落ち始めた。


そんな中、ロウェインは必死になって矢を放った。


「我が矢よ………闇を討ち……森に光を与え給え……」


矢は勢い良く飛んで行った。


しかし、それはリヒャルスがいる場所とは違う方向だった。


ロウェインは、悔しさを滲ませた。


「ちくしょう………外したのか……」


リヒャルスは喜んでいた。


「ははははっ!全く違う場所へ撃ちおったわ!そのまま、死ぬが良い!」


だが彼は諦めなかった。


最後の力を振り絞り、シャルヴァンフェールを持ち上げながら強く握り締め、マナホーミングを発動させた。


「俺の生涯……最後の光弾よ………―――曲がれええええ!!」



伝説によると、ロウェイン・ロングストライド、カーリャスのロロが放った、生涯最後の赤い矢は、直角に近い角度で曲がり、見事、王の頭部を貫いたと言われている。


これにより、この国の民は圧政から解放され、マジェスはラドスに支配された。


そして王を殺した人物の事を聞いたラドスの王は、その人物が長年、自分たちに尽くしてくれたウッドエルフであった事を知った。


ラドスの王は、ウッドエルフの親子に感謝すると共に、ロウェインを英雄として扱い、国葬を執り行った。


多くの人々が彼の物語を知り、死を悼んだ。


そしてロウェインは、『カーリャスのロロ』と言う、伝説の英雄となった。


「………と言う、伝説があったのだ……」


湖の中にある王城の部屋の一室で、ロロの伝説を話し終えた男は、目の前に置かれているカップに入った紅茶を一口飲んだ。


彼は、先の尖った長い耳とプラチナブロンドの髪を持ち、透き通った青い瞳で、反対側に座っている人物を見ていた。


見られていた者は、周囲にいる人々とは違い、黒髪で耳も尖っておらず、ただの人間の青年だった。


しかし、木のテーブルに置かれた左手の甲には、青い謎の模様があった。


彼らがいるのは石造りの部屋で、四方の壁には丸い窓があり、外からは風と太陽の日差し、そして慌しく動く騎士達の声が入り込んでいた。


ここはハイエルフ達のいるブラウフェダー王国。


ユラト・ファルゼインは前線の報告を聞いて帰ってきたシュトルムから、伝説の物語をしばらく聞いていたのだった。


「そんな伝説があったんですね……英雄の伝説とは言え……悲しい話だ……」


「そう……ですね……」


窓の近くにいたラツカ・シェルストレームは、そう言うと、外の景色を寂しげに見ていた。


彼は自分が初めて聞いた時の事を思い出していた。


それはユラトと同じような思いを持った事だった。


ユラトは、シュトルムに話しかけた。


「ですが王子。その話が今回の作戦と、どう関係があるんですか?」


そうユラトが尋ねると、この国の姫であるフィセリアが呆れた表情で割り込んできた。


「あなた……馬鹿なの?関係が無い話をする訳ないでしょ!」


ユラトが少しむっとした表情になると、王子が妹に話しかけた。


「フィー、俺が話すから、お前は静かにしているんだ」


彼がそう言うと、すかさずラツカもフィセリアを諭すように話しかけていた。


「フィー様、ユラト殿は、まだ草原地帯の事を熟知されておられないのです……ですから……」


味方だと思っていた二人にそう言われた事で、彼女は不服そうな顔になった。


「ふん!分かったわよ!……なんで私ばっかり……あいつの理解が足りないだけじゃない……」


彼女がぶつぶつと言っている中、シュトルムが代わりに謝ってきた。


「すまんな……ファルゼイン……」


「いえ……大丈夫です」


ユラトが畏まってそう返事を返した時、王子は突然何かを思い出した。


そして彼は少し意地悪な表情になり、ユラトに話しかけた。


「いや……ファルゼイン男爵と言った方が良かったかな?フフフ……」


ユラトは王に「考えさせてくれ」と言った時の事を思い出し、困った表情になった。


「よして下さい……王子……俺なんかには……とても……」


そんなユラトの表情を見たラツカは、顔を左右に軽く振ると、シュトルムに近づき、彼を嗜めた。


「王子、お人が悪いですよ。ユラト殿は困っておられます」


シュトルムは、笑い声を上げた。


「あっはははは!悪かったな、冗談だ。だが、お前に与えると言うのは本当だぞ?」


「感謝します……ですが……もう少し考えさせてください」


「ああ……それで構わん……」


ユラトに爵位を与える事に国内では反対の意見も、それなりにあった。


他種族であり、得体の知れない人間に、その地位を与える事に抵抗があると言う気持ちも王子には分かった。


しかし、シュトルムとラツカは強くユラトの功績を称え、それに報いるべきだと主張した。


すると王やレイオスも、それに賛同していた。


そしてフィセリアもまた、「ユラトの存在がなければ、風の開放を成し得なかった」と、言った。


彼に与えられた地位には、そうした背景があった事をユラトは知らなかった。


再び紅茶を飲むと、王子は話を元に戻した。


「実はな、ファルゼイン……俺が先ほど話した伝説の中に出てくる森は、存在するのだ……」


その言葉にユラトは驚いた。


「え!……」


部屋にやって来たウィスプにカップを渡すと、ラツカが話した。


「それは、この国と世界樹ユグドラシルとの間……つまり、ちょうど中間に位置する場所に存在します……今現在、バハーダンが陣を張っている場所でもあります……」


「そんな所に……」


シュトルムはテーブルに両肘をつき、ユラトに向かって、期待と野心に満ちた瞳で彼を見つめた。


「そして……その森の名は……」


するとフィセリアがドレスの裾を持ち上げながら立ち上がり、窓の外に見える、草原地帯の先を見つめながら呟いた。


「『シャーウッド』……」


ユラトは彼女の横顔を見つめた。


「シャーウッド……」


ユラト・ファルゼインに今、新たなる冒険が与えられようとしていた。

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