第二十九話 風の戦い (後編)
闇の種族オーク。
彼らの国は世界樹ユグドラシルがある場所から、遥か北西にあった。
暗黒世界の黒い霧が立ち込める場所で、周囲は山と森に囲まれ、様々な生き物達がいた。
国の近くには巨大な大空洞があり、そこには地下へと続く、ダンジョンが存在していた。
噂では、このダンジョンの奥に、魔王に関する物があると言う。
オークの王は、この大空洞の攻略に全てを捧げていた。
そのためハイエルフとの戦いは、二の次だった。
中には、様々な武器や防具、宝石、金塊、書物等があった。
そしてある日、そのダンジョンの中からある物が発見された。
それはバハーダンが使用させたウォー・マジック、『ブラッド・レイン』だった。
「フィセリア様!何かが出来上がっていくみたいです!」
「そうみたいね……」
ここはハイエルフの国内にある風の神殿の中。
ユラトとフィセリアは、神殿内の部屋の一つに閉じ込められていた。
今、その部屋の中心にあった4つの羽根柱が突然倒れ、羽根を撒き散らしながら回転をし始めている。
羽根は宙をヒラヒラと漂うと、今度は一つに集まり、何かの形を生み出そうとしていた。
二人は髪やマントを部屋の中心に吸い込まれるように靡かせながら、羽根が形作られて行くのを見ていた。
(あの形は……)
隣にいたフィセリアが呟いた。
「人型!?………」
彼女の言う通り、4色の羽根は人の形に近い姿に構成されつつあった。
そしてあっという間に羽根は全て、人の形をしたものに吸い込まれるように張り付き、固まってしまう。
周囲にあった吸い込むような風が無くなった。
ユラトは柱の影からそっと相手を見た。
(終わった……のか?……)
4色の羽根はバラバラに張り付いていて、形は人のようだったが、太い手足と長い腕があり、全体的には厳つい姿だった。
また、目の部分と思われる場所が窪んでいて、その奥には黄色い光が出ている。
人の形をした存在は腕を広げると、重い声で咆哮を上げた。
《ヴオオオオオーーーン!》
その声を聞いた二人は、すぐに相手を敵だと思った。
フィセリアが剣を抜いた。
「要は……あいつを倒せって事ね!」
ユラトも続いて剣を抜き放った。
「そう……でしょうね……」
敵の目を見たフィセリアは、あることに気がついた。
「あっ!……あの目……そうよ……私たちがオークとの戦いで使ってるゴーレムと同じだわ……」
ユラトは冒険者の学校で習った知識を思い出した。
「ゴーレム?………そうか……あいつはこの部屋を守る、『ガーディアン(守護者)』か!」
【ガーディアン】
この世界ではダンジョンや町などに、よく配置されている守護者。
主に宝がある場所や、重要な部屋を守ったりしている。
種類はゴーレム以外に、自警団のバッジにもなっている、ガーゴイルと言われるものもいる。
ユラトとフィセリアが出会ったのは、4色の羽根によって生み出された『フェザー・ゴーレム』と言われるものだった。
実は二人は知らなかったが、この部屋のトラップは、作動させない事が出来た。
それは、この部屋に入る前にあった、謎の像たちにヒントが隠されていた。
それぞれの像の動きと、この部屋にある柱の絵が関係していて、像に関連する絵を順番に触って行けば、トラップは作動しなかった。
だが、これはかなりの経験を積んだ冒険者か、トラップ専門の者にしか、分かり得ないものだった。
ゴーレムは声のした場所へ、顔だけをゆっくりと向けた。
神殿の一室を守る守護者は、一人一人を見るたびに目を強く光らせた。
その不気味さに、二人は柱に隠れながら身を竦めた。
「うわぁ!目が……」
「光った!」
どうやら部屋にいる人の数を数えているようだった。
「………」
ゴーレムは、人間とハイエルフの侵入者を敵と見なした。
「ヴォオオオオオーーン!」
再び咆哮を上げると、敵の体に変化が起こった。
「ユラト……あいつの体全体の羽根が……」
ユラトはゴーレムを見た。
「本当だ……羽根が物凄い速度で動いている……」
ゴーレムは、自身を構成している4色の羽根を動かし始めた。
だが羽根は、すぐに動きを止めた。
二人が見守る中、ゴーレムの体全体が黄色い羽根に包まれた。
フィセリアは柱から出た。
「ユラト、やるしかないわ!」
「わ、分かりました!」
ユラトも柱から出て剣を構えた。
それを見た敵はすぐに二人の動きに反応し、彼らに向って走り出した。
「―――来るわ!」
ユラトは王女に向って声をかけた。
「この辺りにある柱を、うまく利用して戦いましょう!」
フィセリアは体を殴られ、後方へ飛ばされた。
「―――きゃあ!」
「えっ!?……」
ユラトが彼女を見た時、すでにゴーレムは二人の下へやって来ていて、王女を殴り飛ばしていた。
「―――早い!」
ゴーレムは、ユラトの想像を遥かに超える速度で動いていた。
「くっ!」
ユラトは、すぐに敵に向って切り込んだ。
すると相手は再び羽根を高速で動かし、体の色を緑に変えた。
「ハッ!」
ユラトの剣は敵の腕に当たった。
音が鳴り、彼の手に硬い感触がやってきた。
「……硬い!石を切っているようだ!」
敵は片腕でユラトの攻撃を受け止めたまま、もう片方の腕を彼に向って振り下ろしてきた。
ユラトはそれを後ろへ軽く飛んで避けた。
「よっ!」
ゴーレムの太い腕が神殿の床を叩く。
重く鈍い音がなった。
それを見たユラトは何かに気づいた。
(……体は硬いけど……さっきより、動きが遅くなっている?……)
倒れていたフィセリアが起き上がった。
「やってくれたわね!」
彼女はすぐに立ち上がると、敵に向った。
「王女を殴るなんて!」
フィセリアは敵の背中を切りつけた。
「はああああ!……硬い!」
しかし、彼女にもユラトと同じ硬い感触がやって来た。
少し痺れるような感覚が手にやって来たため、フィセリアは少し辛そうな表情になっていた。
「……硬ったいわね……こいつ……」
敵は両腕を振り回し始める。
彼女はすぐに下がった。
すると今度は、再び黄色い羽根がゴーレムの表面を覆った。
「また色を変えた!?」
ユラトが驚いていると、フェザー・ゴーレムが素早い速度で彼に向かってやって来る。
(―――また早い!)
敵は真っ直ぐ拳をユラトに向けてきた。
ユラトはそれをギリギリのところで、しゃがんで避けた。
「うわ!」
彼は体を起こしながら、敵の腕目掛け、突きを繰り出した。
(やれるか!?)
彼の剣は腕に刺さった。
柔らかい羽毛の塊りに剣を突き刺しているような感覚があった。
(さっきと感触が違う!)
ユラトがそう思っていると、剣が刺さった部分から亀裂が入った。
「よし!」
その部分を中心にゴーレムの腕が羽根を撒き散らしながら砕け散る。
飛び散った羽根の一枚が彼の頬を掠めた。
「くっ……」
そこから血が流れる。
それを見たフィセリアは飛び上がり、敵の頭目掛け、突きを繰り出した。
(弱点は……ここ!?)
突き刺そうとすると、敵の破壊された腕から勢いよく風が噴出された。
「なに!?……」
羽根を撒き散らしながら、ゴーレムは後方へ移動した。
フィセリアの突きは、避けられた。
「―――何、こいつ!」
二人は敵の予想できない動きに驚いていた。
敵は休む暇なく、再び動いて来る。
破壊された腕を天井に向って上げながら、体の色を変化させた。
ユラトは剣を構え、警戒しながら見ていた。
(何をするつもりだ……)
ゴーレムは体を赤く染めていく。
(今度は赤い羽根か……)
二人が左右から剣を構えながら、じわじわ近づいていると、敵は破壊された腕から周囲の空気を吸い込んだ。
(ん……)
彼らの足下にある羽根が小刻みに動き始める。
(何を?……)
(するつもり?……)
二人が見ている間に一気に吸い込んだ。
足下に散らばっていた赤い羽根が舞い上がると、熱風も吹き上がった。
「―――っ!?」
「あっつ!……い……」
羽根は炎のように熱くなっていた。
あまりの熱さに二人が下がると、敵は腕を元に戻した。
ゴーレムは赤い体のまま、両手を広げ、フィセリアの方へ向った。
「あんなのに抱きつかれたら、丸焦げになってしまうわ!」
二人は柱へ向った。
ユラトは走りながら、フィセリアに尋ねた。
「ゴーレムの弱点は、どこですか!?」
彼女はすぐに答えた。
「私たちのタロスの場合だと体の中心に、魔法石のコアがあるの。それを破壊すれば……」
「わかりました!」
敵はフィセリアを目掛け、走って来た。
「私があいつから上手く逃げるから、あなたが!」
「はい!」
彼女が囮となって逃げていると、後ろからユラトが敵を切りつけた。
(魔法石は……―――ここか!?)
彼の剣は敵の背中に入り込んだ。
赤く熱い鳥の羽根が周囲に飛び散った。
ユラトは熱さに顔を歪めた。
「―――くっ!」
一瞬だったが、敵の切り開かれた背中の中から、何かが見えた。
(黒っぽくて……細長い……あれが……魔法石なのか?)
ゴーレムは軽く声を出すと、ユラトに向って拳を振り下ろした。
《ボオオオーーー!》
彼は剣を持つ腕を押さえながら、後ろへ下がった。
「っ!……」
床を叩いたゴーレムは、そこから炎の羽根を撒き散らした。
再び熱風が二人を襲う。
「……熱っ!」
「ぐっ!……」
肌が焼けるような熱さでヒリヒリと腕が痛んだ。
二人は柱へ逃げるように向った。
先にたどり着いたユラトがフィセリアに話しかけた。
「どうやら……あの羽根の色は、四大元素と関係があるみたいです……」
彼女は少し焼けてしまった髪や体を気にしながら答えた。
「そのようね……」
柱の陰から敵を見ていた二人はゴーレムが属性を変えながら戦っている事に気づく。
「……属性を変えると……能力も変わるみたいですね……」
「ええ……(厄介な敵……)」
敵が自分達を探している姿を見た二人は、柱に背中をつけて隠れた。
ユラトはそっと顔を出し、敵の様子を伺いながら隣にいる王女に話した。
「……さっき、あいつの背中を斬ったとき……何かがあるのが見えました……」
フィセリアは4つの柱に近づいた時の事を思い出しながらユラトに話した。
「それは多分……あいつがゴーレムになる前に床に刺さっていた物だわ……」
ユラトは彼女に言われて、その事を思い出した。
「ああ……そう言えば……―――あっ!」
羽根のゴーレムが、すぐ目の前にいる事に彼は気づいた。
(もう来ていたいたのか!?)
敵は黄色い体に色を変え、彼らが隠れている柱に片手を伸ばした。
敵は顔をぐっと近づけて来る。
二人は素早く左右に分かれ、フィセリアは叫んだ。
「私が、こいつの体を斬るから、あなたはそれを取り出して!」
「はい!」
敵は丸い手を尖らせると、ユラトに向って鋭い突きを放った。
彼は上半身を横へ逸らして、それをかわした。
「はっ!」
避けた所で、すぐに剣で切り上げた。
ゴーレムの体を構成している羽根のいくつかを彼は両断した。
(羽根が切れた……効いている!?)
すると、真っ二つに分かれた羽根がヒラヒラと床に落ちる中、敵は斬られた腕をユラトに向けたまま、風を放出した。
「―――何っ!」
強い風が彼に向う。
避けられないと思った彼は両腕で顔を覆った。
そしてユラトは風の直撃を受けた。
「うっ!」
すると左胸にあるフレースヴェルグの羽根が輝きながら現れ、ユラトが着ている風銀の鎧も輝いた。
二つの風の抵抗のおかげで、彼は僅かに飛ばされるだけで済んだ。
そして敵は風を打ち出すと、フィセリアの方へ向った。
「うそっ!こっちに!?―――ハッ!」
彼女が剣を使って突きを繰り出すと、敵は自身が打ち出した風に飛ばされながら裏拳を使って、攻撃をしてきた。
ゴーレムの拳にフィセリアの剣が当たり、貫いた。
すると、敵はすぐに大地の色である緑に、羽根の色を変えた。
(また色を!)
瞬時に全体が深緑の羽根に変わると、突然、ゴーレムの拳が硬くなった。
そして彼女は、剣を引き抜くことが出来なくなった。
(剣が……抜けない!)
羽根のゴーレムは、フィセリアを軽々と剣が突き刺さったまま、持ち上げた。
「きゃあ!」
そして剣を残したまま、彼女を振り飛ばした。
ユラトは、すぐに王女の下へ向った。
「大丈夫ですか!?」
フィセリアは空中で鮮やかに一回転すると、何事も無かったかのように、床に着地した。
「大丈夫!」
そして二人がゴーレムを見た。
すると羽根の守護者は、水色の体となっていた。
「あの色は……」
「水ね……」
二人が見つめいている中、敵の体に次々と水色の羽根が頭から足下に向って滝のように流れ落ちて行く。
フィセリアが何かに気づいた。
「……羽根を修復しているみたい……」
両断された羽根が次々、元の形へと戻っていくのが見えた。
「なるほど……回復もできるのか……」
そして二人が、相手に向って走って行くと、ゴーレムは黄色い羽根の体となった。
「ユラト!私が囮になるから、あなたはあいつを攻撃して!」
「わかりました!」
フィセリアは、走りながら足に魔力を込めた。
(こいつをさっさと倒して、先へ行かないと駄目なんだから……)
兄であるシュトルムとラツカの事を彼女は思い出していた。
そして彼女は、敵の目の前にたどり着く。
すぐにゴーレムは、フィセリアに向って拳を振り下ろした。
「何度も……同じ手は!」
拳が振り下ろされるよりも早く、敵の足下へ一気に駆け寄ると、剣を拾った。
そして背中を斬りつけた。
羽根が僅かに飛び散り、ゴーレムは反撃をするために彼女の方へ振り向き、足を摘もうと手を伸ばした。
「ふふ……こっちよ!」
フィセリアは魔力を込めた素早い身のこなしを見せ、余裕をもって避けていた。
(―――今だ!)
ユラトもまた、すぐに敵の背中へ近づいた。
ハイエルフの王女が斬りつけた場所が見えた。
(あっ!魔法石が……って!?)
ユラトはゴーレムの体に埋まっていた物が何であるのかが、この時、ようやく分かった。
(何で……あんなものが!?……)
そして傷ついたフェザー・ゴーレムの背中へ手を差し入れた。
(とにかく……これを取れば……)
しかし、それはびくともしなかった。
(硬い!?……全く、動かないぞ!)
ゴーレムは自身の体の正面と後ろを入れ替えた。
するとユラトが手を入れていた場所は、敵の腹の中になった。
「しまった!」
フェザー・ゴーレムは、拳を真横へ振り払った。
ユラトは直撃を受け、飛ばされた。
「―――ぐはっ!」
柱の一つに衝突すると、彼はそのまま床に倒れた。
「ユラト!」
フィセリアはそう叫ぶと、彼の下へ向うゴーレムの片足を切りつけた。
「ハッ!」
フェザー・ゴーレムは僅かに足をぐらつかせた。
(まだ斬りつけが甘い……もう一度!)
彼女がもう一度、片足を切りつける事で敵はバランスを崩し、羽根の色を変えながら横へ倒れた。
敵が散らばった羽根を赤く変えていく中、フィセリアはユラトの下へたどり着いた。
「大丈夫!?」
ユラトは、苦痛に顔をゆがめていた。
彼は床に伏せながら、直撃を喰らった、わき腹を擦っていた。
「いった……たたた………」
彼女はユラトに近づくと、しゃがみ込んだ。
「意識は、あるみたいね……あっ!」
フィセリアが安堵すると、敵の炎の熱攻撃がやって来た。
周囲にあった赤い羽根が舞い上がった。
「熱い!」
すぐに彼女は腕に魔力を込めると、ユラトの手を引っ張りながら走った。
ユラトは突然、強く引っ張られながら引きずられたため、声を出した。
「いだだだだ!」
敵を見ながら彼女はユラトに話しかけた。
「あいつに、やられる訳にはいかないんだから……我慢しなさい!」
「は、はい!(だけど……痛い……)」
そして柱の裏に隠れたところでユラトは、ようやく立ち上がった。
「ありがとうございます……助かり……」
礼を言い終える前に王女は彼に話しかけていた。
「そんなことより、あなた!なぜ、魔法石を取り出さなかったの!?」
ユラトは理由を話した。
「……それが……硬くて俺の力じゃ、びくともしなかったんです……」
理由を聞いたフィセリアは落胆し、ハイエルフのピンと立った長い耳を少しだけ傾けた。
「そんな……それじゃあ……」
しかしユラトは、取り出すことが出来る自信を窺わせた。
「大丈夫です!あれは取り出せます!」
フィセリアには信じられなかった。
「どうやって!?あなたの力じゃ、無理だったんでしょ?」
ユラトが話そうとすると、敵がやって来た。
「……敵が来ました……フィセリア様……申し訳ないんですが、もう一度、奴の体を斬ってもらえませんか?」
フィセリアは、今一つ信じられないと言った表情で答えた。
「………分かったわ……やってみる……(大丈夫なのかしら……)」
二人は、隠れていた柱から出た。
「じゃあ、お願いします!」
「ええ……」
ユラトとフィセリアは、敵に向った。
フェザー・ゴーレムは全身を黄色に染めていた。
そして二人が近づいて来ると突然、両腕を広げ、胸を張った。
「ヴォオオーーン!」
すると、全身から無数の黄色い羽根が飛び出た。
「くっ!」
「うっ!」
羽根のいくつかが、彼らに当たった。
フィセリアの腕とユラトの足に羽根が刺さった。
しかし浅く刺さっていたため、二人はすぐにそれを抜き捨てた。
ユラトとフィセリアは走る進路を変え、すぐ近くの柱に隠れながら、走り続けることにした。
敵が羽根を吸い込んでいく中、最初にたどり着いたフィセリアが側面から近づいた。
(……駄目だわ……色が緑……硬くて斬れない……)
ゴーレムは二人が接近してきた事を察知すると、体の表面を大地の羽根で囲っていた。
ユラトもそれに気づいた。
(あの色じゃ無理だな……)
フィセリアが叫んだ。
「なんとかして色を変えるわよ!」
「はい!」
フィセリアは、敵の正面へ駆け寄った。
するとゴーレムは、彼女を捕らえようと両手を伸ばした。
「ふふ……そんなんじゃ無理よ!」
笑みを浮かべたフィセリアは素早く飛び上がり、敵の腕に飛び乗った。
「遅いわ、こっちよ!」
腕の上を駆け上り、肩に到達する。
ゴーレムは彼女が乗っていない方の腕を動かした。
それを見たフィセリアは再び飛んだ。
「はっ!」
攻撃を避けた彼女は床に落ちる羽毛のように、ふわりと敵の頭の上に立った。
「私は、ここよ!」
緑色の巨人は、両手を自身の頭へ向けた。
フィセリアは手が届く寸前に、ゴーレムの頭を蹴り上げた。
「はっ!」
高く飛ぶと、空中で一回転し、床に着地する。
着地すると、敵は正面と後ろを瞬時に入れ替えながら、体の色を変化させた。
(赤い体か……)
変化を見たユラトは敵に近づいた。
するとゴーレムは空を飛ぶ蝶を捕るかのように、両手を床に着地したばかりの彼女へ向けた。
フィセリアはすぐに後ろへ飛んだ。
(色を変えさせたけど……炎……)
ゴーレムは素早く動く彼女を捕らえる事が出来なかった。
しかし、両手を合わせた瞬間、衝撃を起こした。
「ドンッ」っと言う音がすると手が砕け、周囲に熱風と共に赤い羽根が飛び散った。
その熱に思わず彼女は腕で顔を隠した。
「熱っ!………」
敵の背中が目前にある場所までたどり着いたユラトは、剣を強く振り下した。
「はああああ!」
ゴーレムの背中が縦に切れ、赤く熱い炎の羽根が左右に広がって行く中、ユラトはその先を見ていた。
(―――あった!やはりそうだ!)
それは全体がはっきりと見えていた。
(どうする……この中へ手を……入れるか?)
ユラトがそこへ手を伸ばすか迷っていると敵は黄色い羽に色を変え、砕けた両手から風を撃ち出していた。
(しまった!)
羽根のゴーレムは勢いよく斜めに浮き上がった。
彼は迫ってきたゴーレムの背中に弾き飛ばされた。
「がはっ!」
「ユラト!……何をやっているのよ……」
ユラトが床に倒れ、ゴーレムが着地すると、フィセリアは相手の気を引くために正面に向った。
(とにかく彼を助けないと……)
たどり着くと彼女は剣を構えた。
「私にかかって来なさい!」
フィセリアが睨みつける中、敵は両腕を床につけた。
(何を……する気?……)
彼女がそう思っていると、ゴーレムは顔を変形させた。
(そう何度も……先はとらせないわ!)
フィセリアは敵に向って走った。
その姿を見たフェザー・ゴーレムは口を大きく開くと、一つの大きな穴を作り出した。
(あれは?……)
中では羽根が風車のように重なっており、それは高速で回転すると風を集め始めた。
(風を……吸い込んでいる!?)
フィセリアは敵の顔に近づいた。
するとゴーレムは、そこから風を勢いよく吐き出した。
「ガアアアアアーー!」
床を叩きつけるような強い風で、彼女はその直撃を喰らうと後ろへ滑るように下がった。
「なんなのよ!こいつ!」
そんな中、ユラトは立ち上がった。
(よし!あれが何であるか、分かったんだ。なら……やろう!)
彼は何故か、魔法の詠唱に入った。
「………」
フィセリアは、それを風に流されながら見ていた。
(魔法をする気?……まあ、いいわ……援護しなくちゃ……)
すぐに立ち上がると、風に流されながら彼女はゴーレムの周囲を回るように走った。
「さあ!もっと風を私に喰らわせてみなさいよ!」
剣を構えながら目の前を横切って行くハイエルフの王女の姿を見たゴーレムは、顔を動かし、自身に近づかないようにするため、風を吐き続けた。
風が彼女に向って流れて行くたびに、フィセリアは後ろへと下がって行った。
(あいつ……私が動く場所をちゃんと把握してる……これじゃフレーヴェンの羽根の加護があっても……近づけないわ……)
ユラトは敵の後ろから魔法を詠唱しながら走って近づいた。
「剣よ……強大なる魔を払う凶刃となり……」
ゴーレムは、後ろから近づいてくる冒険者の青年に気がついた。
フィセリアは、ユラトに向って叫んだ。
「ユラト!気づかれたわ!」
だがユラトは気にする事無く、敵に向って走り続けた。
(チャンスは今しか無いんだ!)
フェザー・ゴーレムは振り返った。
口の中にある羽根が高速で回転し始める。
それを見たユラトは魔法を詠唱しながら勢いよく走ると、敵の目の前で飛び上がった。
「我が支配に………そして……」
ゴーレムは跳躍している彼の真上に風を吐き出すと、今度は床に叩き落とすため、頭を下げた。
「グァアアアアーー!」
風と共にユラトは床にたどり着いた。
(くそっ、進まないと!……どうすれば!?……)
彼は似たような事があった事を思い出し、心の中で叫んだ。
(……そうだ!魔法の砂よ!流砂となり、―――走れ!!)
すぐに魔法の靴の効果が現れ、ユラトは風を受けながらも速度を落とす事無く、斜めにスライディングしていった。
彼には、フレースヴェルグの羽根と風銀の鎧の効果があり、相手の風の影響を弱くする事が出来た。
そのため、砂走りを使いながら、前に進む事が出来ていた。
(よし!行けるぞ!)
フィセリアはユラトの進む姿を見て、驚いていた。
(何!?あいつ……なんで……進んでいるの!?)
ユラトは、素早く敵の後ろへたどり着いた。
すぐに敵の足に飛び乗り、斬り開いた背中へ向った。
すると敵は立ち上がろうとした。
だがユラトは、既にそこへたどり着いていた。
(よし……―――やってやる!)
彼は手を伸ばした。
ユラトは先ほどゴーレムの体の中に手を差し入れた時に感じていた事があった。
(―――えっ!?……これって……)
彼の目の前にあったのは、一振りの剣だった。
片刃で黒く、半透明の長い剣身で、鍔の部分には闇の色に染まった6枚の翼があった。
そしてそれは時折、赤い光を放つと、吹き荒ぶ風の波紋が浮かび上がる剣だった。
ユラトがそれに触れたとき、彼の左手にあるラグナが反応した。
(―――っ!?……これは……)
痺れるような痛みがやって来ると、彼の脳裏に映像が流れた。
(6枚の翼を持った人が……雲を掻き分け……舞い降りた……)
その者は、その剣を床に突き刺した。
(これは……魔剣なのか……名は……)
小さな呟きの声が聞こえた。
(風の魔剣……ティル……ウィング………)
ゴーレムの拳に彼は飛ばされた。
「ぐはっ!……」
飛ばされて行く中、ユラトは左手の甲に熱を感じながら、確信を得ていた。
(使える……あの禁呪が……ついに……絶対そうだ!……)
フェザー・ゴーレムの背中に乗ったユラト・ファルゼインは倒れそうになりながらも左手を差し込んだ。
「………我が肉体の一部となれ!―――アブゾーブ!」
ユラトは剣の柄を握り締めながら禁呪を唱えた。
「うっ!……」
すると突然、黒い剣が赤黒い光を放った。
(やはり、魔法が効いている!?)
光りを放った剣は、すぐに全体が真っ赤な砂の様な物になって崩れ落ちると、彼の左手の模様に吸い込まれていった。
(剣が……俺の手に……吸い込まれている!?……)
ユラトは赤い砂を左手に吸い込みながら床に倒れた。
「ユラト!」
フィセリアが彼の下へ走ろうとした時、彼女は突然、自身の右手の甲に痺れるような痛みを感じた。
(―――くっ!……)
すぐに右手を左手で押さえた。
そして彼の下へたどり着いた。
「……あなた……一体……何をしたの!?」
ユラトはゴーレムを指差した。
「ゴーレムが……」
彼女は振り返った。
「………?」
羽根のゴーレムが砕け散っている姿が見えた。
(砕けた!?どうして!?)
4色の羽根を周囲に吐き出すように、全身を飛び散らせている。
二人は、しばらくその姿を黙って見ていた。
(この部屋と……魔剣の二つを守っていたのか?……)
(なんとか奥へ進めそうね……)
しばらくして羽根が全て床に落ちると、部屋の中心にあった光りが強く差し込んでいる場所に変化が起こった。
すぐにユラトが、それに気づく。
「……あっ……羽根が……吸い込まれている……」
フィセリアもそれを見ていた。
「ユラト!吸い込んでいる場所の天井部分を見て!」
ユラトの視線の先には、拳の半分ほどの大きさの金色の石が浮いていた。
「あれは……」
天井にあった円形の穴が開くと、床に落ちた羽根を吸い込み始めた。
フィセリアが話しかけてきた。
「すぐにここを出ましょう!」
ユラトは出口を見た。
「まだ出口が塞がったままです!」
「ほんと……開いてない……と言うことは……」
二人は羽根を吸い込んでいる天井を見上げた。
「恐らく……あれを破壊しないと……」
「駄目みたいね……」
黄金の石に次々羽根は張り付いていった。
(再生する気か?……)
(まずいわね……)
見上げていたユラトの左手の甲が赤黒い輝きを放った。
彼は痺れるような感覚を感じながら、自分の手に刻まれた模様を見た。
「さっきのあの剣を……吸い終わったのか?………」
ユラトが左手の甲を見ていると、フィセリアの右手から彼と同じ赤黒い光りがオーラとなって現れた。
「……えっ!?……何よ……これ……」
二つのラグナが輝きを放った事に、二人は驚いた。
「これは……」
「何だって言うの……い……痛い……」
フィセリアは痛みからその場に蹲った。
天井に浮いていたゴーレムのコアと思われる石は、全ての羽根を吸い上げた。
ユラトが、それに気づいた。
「羽根が!?」
羽根は浮いたまま、竜巻のような形になった。
「やはり……あの石を破壊しないと駄目なのか……」
竜巻の下の部分に穴が開き、回転をし始めた。
すると吸い込む風の力が生まれた。
「俺たちを、この部屋から吸い出す気か!?」
ユラトがそう叫ぶと、吸い込む風は突然強くなった。
二人が身に付けているフレースヴェルグの羽根が本来の姿を現した。
「うわぁ!」
「きゃあ!」
風は彼らの想像を超えた強さだった。
豪風が部屋の中を渦を巻いて吹き荒れた。
フィセリアの体が浮き始める。
「え!?……うそ!」
ユラトはすぐに彼女の腕を引っ張り、床に仰向けに倒れると、右手で体を押さえた。
「大丈夫ですか!?」
フィセリアは突然の事で驚いた。
「ちょっと!何をするのよ!」
髪やマントを巻き上げながら二人の顔は、息がかかるほどに近づいた。
フィセリアはユラトを睨み付けた。
「無礼な男……こんな不埒なことをするなんて……自分で何とかするわ!放して!」
しかしユラトは決意を秘めた表情で、彼女を真っ直ぐに見つめながら話した。
「いいえ……放しません!……今あなたを放せば……」
彼は渦巻く羽根の塊りを見上げた。
先ほどまでゴーレムだったものは、吸い上げる風を生み出す竜巻となっていた。
中心には黄金の石が見える。
(俺の手に宿った魔剣を使って、やってみるか?……っと、その前に二人とも落ち着かないと……)
そんな彼をフィセリアは怒りを込めながら、黙って見つめていた。
(こんな事……一度だって……誰にもされたことなんてないのに……ましてや人間の男なんかに!)
しかし、すぐに彼女の心の中に、今まで感じたことの無い感情が芽生え始めた。
(……でも……不思議……なんでだろう……そんなに……嫌じゃ……)
ユラトは僅かに笑みをたたえながら、王女に話しかけた。
「召使いが……主を守るのは当然かと思いまして……」
それを聞いたフィセリアは、目を細めながら彼を睨み付けた。
「随分……馴れ馴れしい召使いもいたものね……」
ユラトは軽く笑い声を上げると、彼女にわざとらしく皮肉を言った。
「はははっ!それはそれはお優しい、お姫様でしたから」
人間の青年にそう言われたフィセリアは、負けじと澄ました顔で言い返した。
「少し甘やかし過ぎたみたいね……それじゃあ……今度からは厳しく躾けていくことにするわ」
荒れ狂う風の中、二人はしばし見つめ合った。
「………」
そして彼女が落ち着いたと思ったユラトは、真剣な眼差しを王女へ向けた。
「俺は……シュトルム王子と約束をしたんです……必ず……4人で再会すると……」
周囲の風は強く、マントがパタパタと音をたて激しく動くと、部屋の空気は全て中央にある、光の射す場所へ向って勢いよく吸い上げられていた。
彼は王女よりも体重が重く、フレースヴェルグの羽根と風銀の鎧の効果もあって、なんとか床に居続ける事が出来ていた。
(だけど……いつまで持つか……)
ユラトは左手を彼女に見せた。
「俺の手に宿った……この魔剣は恐らく……あなたの剣です……」
彼の言葉にフィセリアは信じられないと言った様子で、自身の右手を見た。
「……えっ?……どう言うこと!?……この光ってるのと関係があるの!?」
ユラトは魔剣を吸い込んだときに流れた映像について話した。
「はい……実は……」
その中で彼は、この魔法の使用方法も知識として得ていた。
「俺の手から……あなただけが……ここにある剣を引っ張り出す事ができるみたいです」
彼女は赤黒い光りを生み出す自身の右手を見つめていた。
「これが……私の力?……」
フィセリアの心の中に、嬉しさと恐れが同時にやって来た。
(私だけの……力……そんなものがあったなんて……この光……禍々しさを感じる……だけど……)
彼女の中に高揚感と解放感が湧き上がると、恐怖は打ち消された。
(私にもシュトルムの様に特別なものがあったのね……なら……使ってみたい……この力……そして……)
世界を縦横無尽に旅したいと、彼女は思った。
(これがきっと……私が進む先……飛び立つ時が来た……)
ラグナをその身に宿したハイエルフの王女は、やる気を漲らせると、目の前の青年に話しかけた。
「ユラト……この国に……蒼き鳥以外の鳥が……一羽いたわ……」
「えっ……」
「例え、その鳥が……人目につく事無く……この国の影に潜み……黒き闇の翼を持って……もがき苦しんでいたとしても……私は飛ぶわ!……どうすればいいの!?教えて!」
彼女の心の変化を感じ取ったユラトは、すぐに準備に入った。
「(フィセリア王女……)……分かりました……」
ユラトは目を閉じると、左手の甲に意識を集中させた。
「……わが身に宿りし……いにしえの魔剣よ……我がマナを喰らい……万物を切り裂く魔刃となり……―――現世に形を成せ!」
すると彼の左手に宿っているラグナから、赤黒い炎の様なものが、ゆらゆらと生み出された。
それを確認すると、ユラトは出し方を話そうとした。
「(……これでいいはず……)フィセリア様……後は……うっ!……」
どうやら彼は、魔力を大量に奪われてしまったようだった。
(まずい……意識が飛びそうになった……)
そんなユラトを見たフィセリアは、彼の体を軽く揺すりながら声をかけた。
「こ~ら、召使い!気をしっかり持って!二人でここを出るんだから!」
ユラトは王女の体を右手で必死に抱きしめながら返事をした。
「……はい……」
彼は力を振り絞りながら、魔剣の出し方について話した。
「あとは魔剣の名を……あなたが言えば……取り出す事が出来るはずです……」
「わかったわ!じゃあ、名を……」
ユラトは声が出にくくなっている事に気づいた。
(くそ……魔力をかなり奪われたみたいだ……肝心の声が……)
苦しそうにしているユラトを見た彼女は、すぐに話しかけた。
「ちょっと!大丈夫!?」
するとユラトは僅かに上体を起こし、彼女に顔を近づけた。
「えっ……」
フィセリアは一瞬、唇を奪われるのかと思い、驚いたまま、体を硬直させた。
しかし、ユラトは王女の耳元へ顔を持っていくと、力を振り絞って魔剣の名を囁いた。
「……ティル……ウィング……」
なんとか名を告げることができたユラトは、そのまま神殿の床に倒れこんだ。
フィセリアを抱き止めることも出来なくなったため、彼女は宙に浮き始めた。
そして徐々にユラトから離れて行く。
「ユラト、―――手を!」
王女がそう叫ぶと、彼は最後の力を振り絞り、魔剣が宿った左手を差し出した。
(ハイエルフの王女よ……古の魔剣を手に取り……そして……)
浮き上がって行くフィセリアの体には、部屋の中心から降り注ぐ光が当たっていた。
そんな姿を見たユラトは、彼女が自身を黒き影の鳥だと言っていた事を思い出した。
(あなたは今……光り輝いています……眩しいほどに……)
フィセリアは、なぜ自分に呪いが宿っていたのか、分かった気がした。
(面白いじゃない……この日のために……今までのことがあった……そう思う事にするわ!)
彼女は今まであった事を思い浮かべながら、ユラトの左手を手にした。
「さあ、私の魔剣よ………」
二人の手は光った。
そして瞬時に赤黒い小さな水晶のような羽根が重ねられた二つの手を包んだ。
そこを閃光が走る。
「くっ!」
僅かな痛みを感じながら、彼女はユラトの手を引っ張った。
「―――ティルウィング!!」
フィセリアが魔剣の名を叫ぶと、ユラトの体が少しだけ、起こされた。
(魔力の塊が……腕から引きずり出されるようだ……)
ユラトは痺れるような苦痛に顔を歪めた。
「ぐぅ!」
すると水晶の羽根を飛び散らせながら、魔剣は現れた。
(本当に……出てきた……)
すぐに魔剣の使い方が彼女の体の中を滲むように広がっていった。
(ああ……分かる……この魔剣の使い方が……体の一部のように……)
そして同時に自身の体の中にある魔力が奪われていくのも感じた。
(……凄い勢いで体の魔力が………失われていってる……長時間は無理みたい……)
フィセリアは魔剣に魔力を込めた。
(……これで……どう!?)
すると風が起り、彼女は空中で体を反転させた。
【ティルウィング】
風の魔剣。
魔力を込める事で、いくつか効果の違う風を生み出すことが出来る。
大地のものに対して、特に威力を発揮するため、岩や石をも斬る。
常人がこの剣を手にすれば、風の抵抗が無くなり、全ての音が消え、呼吸さえも出来なくなる。
闇に堕ちたエルフの王が、この剣を使っていたと言う伝説がある。
フィセリアは剣を構えると、一気に天井へ吸い込まれて行った。
(さあ、終わらせるわよ!)
王女の接近を感じ取った羽根の竜巻は、回転する速度を上げ始めた。
吸い上げる風が強くなり、ユラトさえも浮き上がった。
(なんて……風なんだ……)
羽根と羽根が擦れる事で、稲妻の様なものが生まれた。
近づいた彼女に、それが襲い掛かってきた。
「ぐっ!」
しかしフィセリアは体勢を変える事無く、黄金の石だけを見つめていた。
(残念ね……―――この程度なら!!)
一気に吸い込まれた彼女は、素早く鋭い突きをゴーレムのコアに放った。
「―――はああああ!」
魔剣が石を貫くと、爆発と共に強い光が生まれた。
(やったわ!)
爆風が起こった。
「きゃあ!」
フィセリアは飛ばされ、浮き上がっていたユラトは床に落された。
「う゛っ!………」
彼女は自身の体が床にたどり着く瞬間、魔剣を素早く振り払った。
「はっ!」
すると風が撃ち出され、ふわりと床に着地することに成功した。
しかし、かなりの魔力を消費したため、神殿の床に魔剣を突き刺すと、その場に蹲った。
「はぁ……はぁ……疲れ……た……」
彼女の手から離れた魔剣は、すぐに羽根の水晶となって崩れ落ちると、今度は赤黒い砂となり、消え去った。
彼女が床に倒れると、ゴーレムを構成していた4色の羽根が、ふわふわと舞い落ちてきた。
それは、この部屋にいる二人を優しく包み込んでいった。
しばらくユラトとフィセリアは倒れていた。
幸い、部屋は分厚い石の板によって閉じられていたため、魔物が来る事は無かった。
そして時間がある程度過ぎた時、部屋の中で変化が起こった。
二人はそれに気づくと、身を起こした。
「………?」
「……ん……」
ユラトとフィセリアに降り積もっていた羽根が、小さく光りだすと、光の射す天井へ向って突然、風も無いのに巻き上がった。
それを見た二人は気だるそうに、なんとか立ち上がった。
「まさか……」
「まだ……倒せてなかったの?」
4色の羽根が光りを受けながら、複雑に混ざり合い、少しづつ天井に開いた穴へ向って昇って行く。
そして、何かを作り出し始めた。
二人は警戒しながら、それを眺めていた。
「あれは……」
「もう一度戦えなんて……言わないでよ……」
ゆっくりと、光の中を柔らかに舞い踊る羽根たち。
まるで大量の蝶たちが、光りを求めて飛び上がって行く様に、それは見えた。
その光景は、二人の心を穏やかにさせていった。
(敵じゃ……ないのか?)
(綺麗………)
しばらくするとユラトとフィセリアの目の前に天井へと続く、羽根の階段が現れた。
「これって………」
「階段よね?……」
ユラトは、そこへ警戒しながら近づいた。
「カスケード……トラップじゃ……ないよな?」
隣にいたフィセリアは指先でそこへ触れながら、上を見上げた。
眩しさに彼女は目を細めた。
「………眩しくて……何も見えないわね……」
太い柱のように光は神殿の中に入り、床を照らしていた。
そして天井に開いた穴は太陽の光によって白くなっていて、先がどうなっているのか分からなかった。
ユラトもまた階段に触れた。
表面を撫でたり、手で押し込んだりして上れるかどうかを調べた。
「大丈夫……みたいですね……ただの階段だな……」
フィセリアは、その階段へ軽やかに飛び乗った。
「じゃあ、行って見ましょ!」
「はい!」
返事をしたユラトが階段に上った時、部屋の両端で何かが崩れる音がした。
二人はその音に驚き、振り返ると、そこへ視線を向けた。
「何の音だ!?」
「何かしら?……」
しかし、太い柱のせいで、何が起こったのかはわからなかった。
「ちょっと見てきます!」
ユラトは階段を飛び降り、音がした場所へ向った。
するとフィセリアが声をかけてきた。
「私は、この階段の先を見て来るわ!」
「はい!」
ユラトは、すぐに部屋の端へ向った。
部屋の中央から柱の多い場所を抜けると、その景色は見えてきた。
(あっ!……)
すぐに彼は、何が起こったのかを理解した。
(この部屋を塞いでいた、石の板が……粉々に砕けている……)
ゴーレムと戦う前に見た、夜空の絵が全面に描かれた廊下を眺めていると、フィセリアの声が聞こえた。
「ユラト!こっちに来て!」
「(向こうも分かったのか?……)はい!」
ユラトは返事をすると、すぐに部屋の中心へ戻り、階段を駆け上った。
上へ行くほど心地よい風が彼へ向けて流れ落ちてきた。
暖かい光りと、心地よい風。
それを全身に受けながらユラトは上へとたどり着いた。
外へ向って彼は顔を出した。
(ここが終わりか……―――あっ!)
神殿の屋根に腰を下ろして景色を眺めている王女の姿が見えた。
彼女の視線の先にはハイエルフの国が一望できる風景がある。
神殿の周囲にある蠢く雲と、その下に広がるブラウフェダー王国。
昼の日差しを受け、滝は虹と共に輝き、シルフがそこを舞い、美しく広がっている湖と白亜のお城。
数々の魔物を倒して、ここへたどり着いた達成感もあって、その景色は彼の胸を打つものがあった。
(壮大な……風景だ……どこまでも広がる……世界……)
遥か遠くには、暗黒世界の黒い霧が見える。
(王子の言っていた草原地帯の周りには、本当に黒い霧があるんだな……やっぱり世界は……あの霧に包まれているのか……)
ユラトが遠くを見つめていると、フィセリアが話しかけてきた。
「そこを下りれば、神殿から出られるみたい」
王女の指差す場所を見ると、そこには白い螺旋階段があった。
神殿の外に続いており、彼女の言う通り、外へ出られそうだった。
「出口だったのか……」
「そうみたい……後で、ここから出ることにしましょ」
「はい」
そしてユラトは、先ほど音がした場所の事を話した。
すると彼女は立ち上がった。
「そう……それじゃあ、あそこへ行けるのね」
フィセリアが見つめる場所をユラトは見た。
「……あの建物で……終わりみたいですね……」
ドーム状の屋根のある大きな建物で、巨大な白い柱で囲まれており、薄っすらと周囲を雲のような物が漂っているのが見えた。
彼女は、眼下に広がる民家の連なる場所を見ていた。
大きな雲が動くと影が無くなり、そこから農作物を運ぶウィスプや、その後に続いて元気に走る子供たちが僅かに見えた。
「とても良い場所……最近は嫌なことばかりで、あまり好きじゃなかったけど……だけど……ここにたどり着いて全体を眺めてみると……良い事と楽しかった事を……思い出したの……そして気づいたわ……」
彼女はユラトへ視線を向けた。
「私って、凄く恵まれていたんだって……だから、さっさと終わらせて……みんなを救わなきゃ……」
ユラトもまた、自身の事を思い出していた。
ここに来るまでに出会った人々。
そしてオリディオール島に居るであろう、エルディア・スティラートの事を思った。
(エル……そろそろ魔法学院を出て、村に帰っているかな?……このクエストが終わったら……いったん島へ帰るか……)
ユラトはフィセリアに話した。
「俺も……ここまで来られたのは恵まれていたからです……中々分からないものですよね……そう言うのって……」
すると、門のある場所から遥か先にある、草原地帯の上空で黒っぽい雷雲が広がっているのが見えた。
雷が落ち、その音は彼らの居る場所にまでやって来た。
「あれは……もしかしてシュトルム王子達がいる場所では!?……」
その光景を見たフィセリアは、不穏な空気を感じとった。
「(何か、嫌な予感がする!)ユラト、体はどう?魔力は回復した?」
ユラトは肩を回してから、両手を開いたり閉じたりして体の感覚を確かめた。
「俺は大丈夫です!フィセリア様の方はどうですか?」
彼女は神殿の中へ通じる羽根の階段へ向って飛び降りた。
「私は平気!行くわよ!」
フィセリアの体内から消費された魔力は、かなり回復しているようだった。
(流石……ハイエルフ……俺たちよりも、魔力の回復は優れているんだな……)
彼女の後姿に向ってユラトは返事を返した。
「はい!」
二人は先ほど見た、謎の廊下が目の前にある場所へ来ていた。
ユラトは慎重にそこへ、足を踏み入れた。
「………」
先ほどの居た部屋と違い、ひんやりとした空気が流れているのを感じた。
(大丈夫……だよ……な?)
特に彼に向って何かが起こると言う事は無かった。
それを見たフィセリアも続いて中へ入った。
「大丈夫ね……特に何かがありそうには見えないし……先を急ぐ事にしましょう」
中に入った二人は廊下の終わりを目指し、先を進んだ。
するとすぐに出口から、凍えるような冷たい風が流れてくるのを感じた。
ユラトが壁の絵を見ると、そこには冬の雪山が描かれていた。
(不思議だ……流れてくる風の匂いに、冬の香りがあったような気がした……この絵を見たせいか?)
しんしんと降り積もる雪の中にある、澄んでいて冷たい風の様だと、ユラトは思った。
フィセリアが白い息を吐き、両腕を擦りながら話しかけてきた。
「急に……寒いわね……」
「ええ……(ここだけ、異常に寒いな……)」
そして更に奥へ進んでいると、変化が訪れた。
それは突然、周囲に描かれていた夜空の星々が輝きだした時から始まった。
床に描かれていた紅葉の木々から、風が突然湧き上がった。
「―――!?」
「なに!?」
二人が武器を構えると、陽炎のような落ち葉が舞い上がった。
「私は正面を警戒するから、あなたは後ろをお願い!」
ユラトは森に吹く風の香りを感じながら、後ろを振り返った。
「はい!」
しかし、特に変わることはなかった。
二人は歩く速度を落として、先へ進んだ。
すると周囲に描かれている絵は、渦巻く大きな雲に変わった。
絵の違う場所に来たためか、周囲は急に蒸し暑くなった。
(……あれ……今度は……暑くなってきた……)
絵を見たフィセリアが、何かに気づいた。
「この壁に描かれている絵って……季節が入ってない?」
ユラトは彼女に言われて気づいた。
「そうみたいですね……と言うことは、今いるのは夏になるんでしょうか?」
彼が王女に尋ねると、壁に描かれていた雲が、うねりながら動き出した。
剣を両手で持つと、フィセリアはユラトに話しかけた。
「また、何か来るみたい!気をつけて!」
「わかりました!」
ユラトが返事をすると、うねる雲の中から、手の平ほどの小さな雲がいくつも生み出された。
そしてそれは、床へ流れるように落ちた。
(何よ、あれ!?)
彼女が驚いている間に落ちた雲は、床に描かれている夜空の中を次々疾走し始めた。
王女は叫んだ。
「―――来るわ!」
その声に反応し、ユラトは正面を向いた。
「―――っ!?」
彼が振り返ると、無数の小さな雲の塊が床を這うように、二人の下へやって来ているのが見えた。
「とりあえず、避けますか!?」
「ええ!!」
ユラトとフィセリアの足にそれが触れる瞬間、二人は飛び上がった。
「はっ!」
二人が宙に浮くと、何故か壁面の夜空に、いくつもの流星が流れた。
輝く光が生まれ、周囲を一瞬だが明るくさせた。
床を這う雲は、素早く二人を通り抜けて行った。
(この雲は……一体?)
そんな中、二人は床に着地する。
すると次々彼らの下へ、雲がやって来るのが見えた。
「多いな……」
「とにかく、避けて奥へ進むわよ!」
「はい!」
二人は左右に飛んだり、垂直に跳ねたりしながら、奥へ進んだ。
その度に流れ星が流れ、周囲を明るくさせた。
渦巻く雲は、いつの間にか台風のような絵になっている。
(夏の台風か……)
すると今度は、その中心に大きな人の目が、一つだけ現れた。
目の黒い部分が動き、二人を見ると、廊下に強い風が吹き始めた。
蒼きフレーヴェンの羽根が現れる。
「……っ!……」
フィセリアは剣を構えた。
「あの目が本体ね!」
「恐らくは……」
ユラトも剣を構えた。
「じゃあ、一気に行くわよ!」
「はい!」
彼らがそこへ向って走ろうとした時、二人は突然動きを止めた。
「足が……」
「動かない!?……」
二人が足下を見ると、黒い手が床から出ていて、足を握り締めている事に気づいた。
「これは!?」
「何よ、こいつ!?」
二人が驚いていると、床を這う雲がやって来た。
ユラトの足にそれは触れた。
「しまった!」
ユラトは勢いよく、ここへ入ってきた出口に引き戻され始めた。
戻されながら黒い影のような手は足から体へ向って、撫でるように這い上がってきた。
(うわっ!なんだこれ!)
そして、そこから全身が黒い、ゴブリンのような者が現れた。
「グェグェ!」
そう叫びながら敵は、ユラトの体に抱きついた。
抱きつかれた場所からチクチクとした痛みがやって来た。
(魔力を吸っている!?)
ユラトは雲に引きずられる様に入ってきた入口へ戻された。
「くそっ、離せ!」
彼は黒い魔物の頭を掴み、離そうと、もがいた。
すると敵は彼の影の中へ体を沈め始めた。
「俺の影に!?」
驚いていると、小さな雲に乗ったフィセリアがやって来た。
「ユラト、動かないで!」
低い姿勢で剣を構えながらユラトの側へ来た。
「はっ!」
彼女はその勢いのまま、敵を貫いた。
「―――グェェエエエ!」
フィセリアに貫かれた敵は、甲高い叫び声を上げながら周囲に黒い影を撒き散らしながら、弾け飛んだ。
ユラトは礼を言った。
「ありがとうございます!助かりました!」
彼女は剣を構えたまま、周囲を警戒していた。
「ユラト、まだ礼を言うのは早いわ!他にもいるみたいよ!」
「ほんとですか!?」
彼は自身の足下を見た。
「い、いる!」
もう一体、敵は存在していた。
慌てて足を持ち上げようとするが、敵は彼の足を両手でしっかりと握り締めていた。
「離せ!」
ユラトは、手に持った自らの剣を使って攻撃した。
「あ、あれ!?」
しかし、剣は空を切った。
彼の剣は確かに敵を貫いていたが、なぜか傷を負わせてはいなかった。
(こいつは……さっきのウィンド・ファントムと同じなのか?……刺した時の感触が同じだ……)
「はっ!」
ユラトが戸惑っていると、そこへフィセリアが再び剣を刺し込んだ。
敵が弾け飛ぶ中、彼女は魔物について話した。
「こいつは、『シャドウ・ストーカー』よ!」
【シャドウ・ストーカー】
様々な生き物や物の影に潜む、闇の下級悪魔。
狙った相手に張り付き、魔力を吸う。
魔力が一定量たまると、増殖することが出来る。
また、影から影へ移動することも出来る。
聖なる攻撃に弱い。
強い光によって、はっきりとした影が現れる事でも、魔力を高める事ができる。
この魔物もウィンド・ファントムと同じで、稀に彼女の国の中で現れる事があった。
そのため彼女は、この魔物の事も対処の方法も知っていた。
「あなたの剣じゃ、無理だから、こいつは私が何とかするわ。あなたは、あの台風の目を魔法で攻撃して!」
「わかりました!」
ユラトは廊下の先へ向って走り出すと、魔法を唱えた。
(炎の魔法で、いくか……)
彼の足下をいくつもの小さな雲の塊がやって来る。
それをなんとか避けながら、ユラトは進み続けた。
(よし……)
魔法が完成し、あとは放つだけとなった。
冒険者の青年に近づかれた台風の目は、壁の中を移動し始めた。
(移動できるのか!?)
魔法を撃ち出すため、ユラトは左手を敵に向けた。
(狙いが定めにくい!)
謎の台風は壁や天井、そして床へと高速で回る様に次々存在する場所を変えて行った。
彼は腕をぐるぐると動かすが、なかなか相手を捉える事ができなかった。
(素早いな……こいつ……)
周囲のシャドウ・ストーカーを倒したフィセリアが、そんなユラトに向って叫んだ。
「ユラト!目的は、この廊下を突破することよ!そいつは放っておいて、奥へ行くわよ!」
「(その通りだ!)分かりました!」
ユラトは出口に向って走った。
すると台風も動き出した。
(来た!)
そして彼よりも早く、出口の床へ到達した。
「先を越されたか……」
ユラトがそこへたどり着こうとすると、台風の目は自身の存在を床一面に広げ始めた。
彼の目の前で、大きく目を見開いた。
(今だ!)
ユラトはその隙を見逃さず、手を敵に向けた。
すると敵は、渦を高速で回転させた。
周囲の空気は、一瞬のうちに台風の目に向って吸い込まれた。
「ぐっ……」
彼もまたその空気と共に、そこへ向うことになった。
(しまった!足が風にとられた!?)
フィセリアは頭上から襲ってくる影の悪魔を、飛び上がって突き刺していた。
「はあ!」
彼女の背後で流星が流れる中、吸い込まれたユラトの姿が見えた。
(あいつ!)
ユラトは敵の近くまで吸い寄せられた。
(魔法を撃ってやる!)
もう一度腕を上げた。
しかし敵は目の中から、涙を流すように雲と風を出した。
それはすぐに彼へ向った。
風によって腕が跳ね上げられ、体が仰け反った。
「くそ!」
体勢を崩したところへ雲がやって来て、ユラトを引っ張り始めた。
「ユラト!」
フィセリアが走ってきた。
(こんな所で時間を無駄に使うわけには……)
彼女は向ってくるユラトを見ると、足に魔力を強く込めた。
(―――いかないんだから!)
その瞬間、フィセリアの全身から吹き出すような風が生み出されると、彼女は飛ぶように一気に彼の下へ向った。
フィセリアはユラトの右手を手に取った。
「こら!ご主人様に助けられるなんて、召使い失格よ!」
「すいません……」
彼女は床に足を付けると、ユラトを引っ張りながら、敵の目の部分へ到達した。
「たどり着いたわ!」
フィセリアは腕に魔力を込め、ユラトを前へ投げ飛ばした。
「はあ!」
そこはちょうど台風の目の中心だった。
すぐにユラトは魔法の宿った左手を床につけた。
「敵に……」
通常よりも魔力を込め、ファイアーボールを放った。
「―――炎の一撃を!」
それは火の玉を撃ち出すと言うより、湧き上がる炎を生み出しているようだった。
(よし!)
その直撃を喰らった台風の目は目を閉じ、震えながら叫び声を上げた。
「―――ヴォオオアアアー!!」
するとそこから小さな雲と風を火山の噴火のように吹き上げた。
それを見たフィセリアは叫んだ。
「奥へ!」
「はい!」
二人が出口へ向うと、後ろから押し出されるような風がやって来た。
その風に背中を押されながら、ユラトとフィセリアは出口へ向った。
「うわぁ!」
「くっ!」
廊下を出る寸前、両側面にある壁の絵から白に近い薄いピンク色の花びらのような物が大量に二人へ向って吹き付けてきた。
廊下の先がどうなっているのか分からない程に顔や体にそれは張り付き、固まっていった。
(なんだこれ!?)
「ちょっと、なによ!?」
しかしそれは心地良い穏やかな春の風の様でもあった。
二人は次の部屋へ視界を遮られたまま、投げ飛ばされるように入る事になった。
「うっ!……」
「きゃあ!」
羽毛と綿毛を混ぜたような感触がユラトの体にやって来た。
(何が……起こっているんだ?)
ユラトは体に張り付いた花びらのような物を取り除くため、頭と体を素早く左右に振った。
彼の体から薄いピンクの花びらが次々、床に落ちてく。
そしてようやく見えたのは、その部屋の床の部分だった。
「………これは!?」
それは白くてふかふかで柔らかく、手で押さえると手首まで沈むほどの深さがあった。
(ほんの少しだけど……暖かいな……)
部屋の奥から僅かに渦を作りながら流れ広がっていて壁に当たると、水蒸気のように消え去っていた。
フィセリアは体に張り付いた花びらを手で剥ぎ取ると起き上がった。
「なんなのよ!?」
二人は周囲を見た。
「………」
大きな正方形の部屋だった。
足下を見ると部屋の床全てに白い羽毛と綿毛を合わせたような物が絨毯のようにモクモクと広がっている。
そこに光が当たる事で反射した光も生まれ、部屋をより明るくさせていた。
ユラトは顔を上げ、天井を見た。
(ここは何処なんだ?……)
ドーム状の屋根から淡い光が差し込み、その近くを細く長い翼を持った黄色い鳥が、長く美しい虹色の尾羽を見せながら、優雅に飛んでいるのが見えた。
(あの尾羽は……カスケード・トラップの時に見た……)
ユラトがその鳥を見ていると、鳥は部屋の一番奥にある、巨大な像の頭の上に、ゆっくりと舞い降りた。
隣に居たフィセリアも、その像を見て驚いた。
「ユラト、あの像!!」
その像は、この神殿の中で一番大きな物だった。
白と黒の双頭の鷲の頭を持ち、24対48枚の翼を持っていた。
翼はそれぞれ異なる姿をとっていた。
勇ましく広げられたもの、体を包むように閉じられたもの、その中間にあるものなど、様々であった。
それぞれ色も違い、ゆらゆらと僅かに動いている。
そして足下から風の渦のような物が湧き上がっていて、像の体の大半を覆い、白い綿毛のような物を撒き散らしていた。
どうやら、この部屋の床を覆っている物は、そこから生み出されているようだった。
また、その周囲をシルフが忙しそうに飛び回っているのも見えた。
風の精霊は4匹ほどの集団を作り、一つの物を運んでいるようだった。
それは青白く光る、火の玉だった。
薄い色で時折、透き通り、シルフたちはそれを持ったまま、渦の中へ次々入って行った。
ユラトは、それを不思議そうに眺めていた。
(シルフ達は、何をやっているんだ?……それに、あの像は……もしかして……)
フィセリアは、風の民として何かを感じた。
(………あれは……)
それは悲しみと郷愁を合わせたものだった。
その感情に心が埋め尽くされた彼女は、涙を一つ流した。
ユラトは、そんな王女の横顔を見て驚いた。
「フィセリア王女……どうかしたんですか?」
彼女はその涙を指先で拭った。
「……わからない……だけど……急に胸の奥が……切なくて……寂しくて……懐かしくなったの……」
像の頭上にいた鳥が、二人の目の前に舞い降りてきた。
着地した鳥は静かに声を出し、二人に話しかけてきた。
「………あれは……風の魂だ……」
突然の事にユラトとフィセリアは驚き、武器を構えた。
「―――!?」
「何者!?」
しかし相手は動じること無く、話を続けていた。
「…………我が風の民達だよ……この世界で誰にも知られること無く死んでいった小さな羽虫……自由気ままに風を世界に運ぶシルフ……大空を我が物のように飛翔する巨大な飛竜……そしてお前たち……ハイエルフ……それらの魂だ……」
ユラトは武器を構えたまま、鳥に話しかけた。
「あなたは……一体……」
鳥は目を細めた。
「私か?……私は……風を生み出し……風……そのものであり……この世界の……風の根源だ……」
フィセリアは目の前にいる存在の名を呟いた。
「……風の神………シルフォード……」
ユラトとフィセリアが目的の場所へたどり着いた時より少し前、シュトルムとラツカは、なんとか本陣へと戻ることに成功していた。
だがオークが放ったウォー・マジックに苦戦を強いられていた。
「王子!敵が側面から来ます!」
赤い雨に打たれながら、兵士の一人が叫んだ。
シュトルムは、その声にすぐに反応した。
「エンキドゥの歩兵部隊、迎撃せよ!」
「はっ!」
魔法の人形に魔道師たちが魔力を送ると、彼らはすぐに隊列を整え、敵に向った。
ハイエルフの軍勢の最前線では、動きがやや鈍り始めたゴーレムと全身から血を流しているオーガーとの戦いが続いていた。
お互い、攻めたり引いたりを繰り返していた。
シュトルムは、その終わりの無い戦いに苛立っていた。
(くそっ!……このままでは駄目だ!)
そんな彼に向ってラツカが叫んだ。
「王子!バハーダンの狼騎兵が後方より来ます!」
王子は厳しい表情で振り返った。
「来たか……」
ラツカは王子に話しかけた。
「……どうなさいますか?」
シュトルムはラズリーンに話しかけた。
「ラズリーン、お前の魔道師の部隊で遠距離から攻撃をしてくれ!」
彼女は不安げな表情で答えた。
「はい……ですが王子……威力が落ちるため、私たちだけでは……」
「分かっている……こちらに近づかせない様にすれば良いだけだ。隙を見て俺たちも出る!」
側面で歩兵たちの戦いが始まった。
「オオオー!!」
オークの怒号と、エンキドゥの武器が衝突する音が聞こえていた。
ラズリーンは返事をすると、すぐに魔道師の集団を率いて、後方から来る敵に備えた。
彼女を見送ると、ラツカが話しかけてきた。
「王子……どうしますか?」
シュトルムは顔を俯かせた。
「どうするべきか……」
(王子……迷っておられるのか……)
迷いを見せた王子の姿を見たラツカは、自身が思いついたことを話した。
「この雨の中、戦うのは厳しいかと思います……ですから……ここはひとまず、雨の無い場所まで兵を引きますか?」
シュトルムは、空を見上げた。
赤い雨が彼の白い肌に次々降り落ちていた。
「それは俺も考えた……だが……戦いが始まって結構な時間が経ってしまっている……だから引いたとしても……遥か後方にいる、敵の増援とすぐに遭遇することになるだろう……」
「そう……ですね……」
「ここでなんとか踏み止まっていれば、父上を帰還させたレイオスが門を開け、敵の後背を付くかもしれん……そうすれば……」
「我が父は必ず、戻ってくるでしょう」
「それに……」
シュトルムは、祖国のある方角へ顔を向けた。
彼の視線の先に何があるのか、ラツカには分かった。
「フィー様と……ユラト殿ですか……」
「そうだ……」
僅かな期待を込め、彼は心の中で叫んだ。
(二人とも……風を……俺にくれ!それさえあれば……)
そしてシュトルムは現実に意識を戻した。
(とにかく……今あるもので、この現状をどうにかしなかればならない……)
彼は部下に命令した。
「マナサーチを!」
「はっ!」
すぐに魔道師の一人がサーチを放った。
すると後方から声が聞こえた。
「王子!バハーダンがラズリーン殿の部隊へ向って突入して来ます!」
シュトルムとラツカは驚き、振り返った。
「なんだと!?」
「王子!」
彼は叫ぶと、すぐにアリオンを走らせた。
「すぐに援護に向う!」
ラツカも叫んだ。
「魔法騎兵、出るぞ!」
二人が走り出すと、その後に騎士達は続いた。
しばらくしてラズリーンのいる場所までたどり着いた。
王子の目の前でバハーダン達が魔道師の集団の中へ武器を振り下ろしながら突入している姿が見えた。
「くそっ!」
シュトルムは、すぐに後ろにいる部下に向って叫んだ。
「ウィンド・ヘイストとスラッシュを!俺たちも、突入する!」
風の補助魔法がかけられたハイエルフの騎士達は、仲間を救うため、そこへ向った。
そして王子とラツカがそこへたどり着くと、既に多くの魔道師が、地面に倒れていた。
「貴様ら……」
それを見たシュトルムは、怒りを込めて敵に魔法を放った。
次々到着した騎士達も、風の攻撃魔法を放っていく。
いくつかの敵に、それは当たった。
しかし傷つく事はあっても、敵が倒れることはなかった。
(何てことだ……)
ハイエルフ達の表情は険しくなった。
バハーダンはその一つを戦斧で軽く受け止めると、笑い声を上げた。
「ぶひゃひゃひゃ!!効かねぇーんだよ!」
邪悪な笑みを浮かべた彼は近くにいる魔道師に、容赦なく武器を振り下ろした。
「オラアア!」
背中から血を迸らせながら、魔道師は倒れた。
雨によって赤く染められた白いローブから、更に赤い血が流れ落ちた。
またオークの集団の周囲には、ハイエルフ達の死体が大量に転がっていた。
その光景を見たシュトルムは憎悪を込めながら剣を抜き放った。
「こいつら……―――許さん!」
彼は敵へ向って切り込んでいった。
ラツカも慌てて剣を抜くと、王子の後を追った。
「王子!」
逃げ惑う魔道師の中を騎士達は駆けた。
オークのいる場所にたどり着く。
すると、あるオークの乗っていた狼の口にラズリーンが咥えられているのが見えた。
「ラズリーン!無事か!?」
シュトルムは、そのオークの下へ向った。
彼は剣を力強く振って攻撃した。
「彼女を放せ!」
敵はロングソードを持っていたため、王子が振り払った剣を受け止めた。
「何!?」
シュトルムは、魔法の雨によって武器も重くなっている事に気づいた。
(随分……重くなっている……)
敵が王子に向って反撃をしようとした時、ラツカが放ったウィンド・スラッシュが相手の腕に当たった。
「ぐわあ!」
オークが体勢を崩したため、シュトルムは、すぐにサーベルで敵の体を貫いた。
「消え失せろ!」
オークは倒れ落ちた。
ラズリーンを咥えたダイアーウルフは彼女を地面に落とすと、王子に向って攻撃を仕掛けてきた。
口を大きく開き、彼の腕に噛み付こうとした。
するとアリオンが突然声を上げ、二本の角を使って狼の頭をすくい上げるように力強く反撃した。
「ヒヒヒィィィーン!」
ダイアーウルフの頭は軽く飛ばされた。
それを見たラツカが一気に近づき、狼の頭を斬りつける。
「はっ!」
「ギャン!」
斬られた狼は鳴き声を上げ、戦意を無くすと、どこかへ走り去った。
王子は、すぐにラズリーンの下へ馬を走らせた。
「ラズリーン!」
そこへバハーダン達が現れた。
「どうだ王子、この赤き雨は!これからお前を更に赤く染めてやるぞ!」
オークの将軍は、斧でシュトルムに攻撃をしてきた。
「黙れ!お前らは、絶対に許さん!」
二人は武器を何度か打ち合った。
すると続々、他の騎士達も到着し、戦闘が開始された。
赤い雨の降る中、交差し合う、光と闇の武器。
ラツカは、王子の後ろを守りながら戦っていた。
「くっ……」
彼もまた、武器や防具の重さを感じていた。
(気の遠くなるような重さだ……だが!)
気合を入れ、ラツカは剣を必死に振った。
そして目の前の敵を何体か倒した時、王子が苦戦している事に気づいた。
(あれは!)
バハーダンが力強く、斧を何度も振り下ろしていた。
そのためシュトルムは防戦一方へと追い込まれていた。
しばらくして彼は馬から飛ばされた。
「ぐっ!……」
「王子!」
ラツカは、すぐにバハーダンに向って馬を走らせた。
二人の間に割って入り、敵に向って剣を振り下ろした。
(王子に攻撃は……させはしない!)
ラツカの剣は、バハーダンの腕を掠めた。
「うおっ!」
バハーダンは驚き、慌てて後ろへ引いた。
「やるじゃねぇか!」
バハーダンが反撃しようとすると、他のハイエルフの騎士達が現れ、王子を守るように囲った。
バハーダンは忌々しげに彼らを見ていた。
「ちっ!しぶとく粘りやがる……」
ラツカが騎士達に命令を下した。
「シュトルム王子をお守りせよ!」
バハーダンは狼騎兵を集めた。
「おい、お前ら!こっちに集まれ!」
すると敵が集まりだした。
戦斧を掲げながらバハーダンは叫んだ。
「さあ、終わりだ王子!ぶっ殺してやる!」
(体が痛くて……重い……)
王子が落ちたのは、水溜りが出来ていた場所だった。
そのため、髪やマントは肌に張り付き、泥に塗れていた。
彼は地面でもがくと、自分の両手を見た。
(……血と……汗と……雨と泥に塗れた手……ここが……俺のたどり着いた場所か?)
自身を情けなく思った彼は、悔しそうに手を強く握り締めた。
(そうじゃないだろ!こんな……こんな所で……無様に……泥の中を這っている場合か!俺の目指す場所は、まだまだ先にあるんだ!俺の……―――欲するものは!)
自分自身を、そう鼓舞するとシュトルムは立ち上がった。
「……俺を倒すだと?……ふふ……やってみろよ……ペッ!」
雨の中、彼は口の中に僅かに混ざった泥を吐き出すと、前を睨みつけるように見た。
(厳しい戦いに違いは無い……だが……)
敵がやって来る中、ラツカもやって来た。
「王子、―――敵が来ました!」
彼はユニコーンに乗りながら、王子に手を差し出した。
それを見たシュトルムは、片手で指笛を鳴らした。
《―――ピューイ!》
彼は心の中で泥の沼から翼をはためかせ、再び飛翔するフレースヴェルグを思い描きながら、ラツカの手を取った。
(蒼き鳥は……2枚の翼ある限り……)
引っ張り上げられたシュトルムは、泥の中から浮き上がるように、ふわりと飛び上がった。
(―――何度でも浮上する!)
王子は走ってきたアリオンの背中に乗った。
騎乗した彼は、すぐに命令を下した。
「敵が来る!迎え討て!」
「はっ!」
王子の叫びを聞いた風の騎士たちは、魔法を唱えた。
「ウィンド・ヘイスト!」
赤い雨に逆らうように風は、濡れた地面から湧き上がった。
「よし、行くぞ!」
彼らは再び、敵の集団と衝突するかと思われた。
「………今よ!!―――放って!」
「ん?……」
目の前に敵が迫ったその時、オークの狼騎兵の側面へ向けて風の攻撃魔法が、大量に撃ち出されていた。
「―――ウィンド・スラッシュ!」
オーク達は、その攻撃を受けた。
「ぐわぁ!」
「ぎゃあああ!」
バハーダンは横へ視線をやった。
「しまった!」
そこにいたのは傷を負いながらも残ったハイエルフの魔道師たちの集団だった。
彼らは逃げながらも集まっていた。
そして、それを率いていたのはラズリーン・フォルカーだった。
彼女は荒い息をつきながら、木の杖にしがみつく様に立っていた。
「はぁ……はぁ……何とか……間に合った……」
王子は彼女が生きていた事に驚いた。
「ラズリーン!」
彼女は魔法を撃ち出すと、すぐに魔道師たちを本陣へ向けて後退させた。
王子はその嬉しさに、一瞬だったが目を細めた。
(良く……生きていた……)
彼はすぐに表情を戻すと、敵の集団の中へ切り込んで行った。
「今こそ好機だ!突入せよ!」
それぞれの騎士達が次々武器を振り下ろしながらすれ違って行く。
王子とラツカは2体のオークを倒していた。
「よし!」
再び斬り込んでやろうと彼は思った。
(このまま更に……)
しかし騎士の一人がラツカに近寄り、耳打ちをすると、すぐに彼は慌てて王子の下へやって来た。
「シュトルム王子!」
ラツカのただならぬ気配を感じ取ったシュトルムは、敵に向うのを止めた。
「……どうした?」
彼は小さな声で、王子に話した。
「本陣で広範囲にマナサーチをしていた者からの連絡がありました」
シュトルムは嫌な予感がした。
「まさか……」
ラツカは、苦しい表情で答えた。
「遥か後方にいた敵の増援が、すぐそこまで迫っているとの事です……」
その報を聞いた王子は叫んだ。
「直ちに本隊へ戻る!」
彼らは先に撤退した魔道師達の後を追うように、すぐにその場から去って行った。
過ぎ去って行くと地面には、ハイエルフの騎士たちよりも遥かに多くの狼騎兵が倒れていた。
「お……おのれぇ……」
それを見たバハーダンは怒りに震えていた。
オークの発達した長い犬歯を見せながら、ぎりぎりと歯軋りをしていた。
(いつも後一歩の所で奴らは俺の手から風のように、するりと抜けて行きやがる!……)
しかし、それも彼の下へやって来た伝令の話を聞くと、表情は一変した。
「―――来たか!」
すぐにバハーダンは部下に命令を下した。
「お前は、本国からの増援部隊の下へ行き、騎兵を先に連れて来い!」
「分かりました!」
「あとの者たちは、俺に付いて来い!黒き闇の霧の中に入るぞ!」
「はっ!」
オークの兵士達は素早く動いて行った。
部下達の動きを満足げに眺めながら、バハーダンは気持ちを引き締めた。
(今度は……―――確実に殺す!)
そして彼らは暗黒世界へと入って行った。
一方、戻ったシュトルムは本隊の置かれた状況に驚いていた。
「これは………」
ゴーレムが半数近く地面に倒れ、活動を停止させていた。
「随分やられているな………」
しかしオーガー達もまた、うずくまる様に倒れている姿が見えた。
(だが……奴らの方が数は多い……)
ラツカが話しかけてきた。
「王子……オーガーの奥にいる敵は、未だ森を守ったまま、全く動いていないようです……」
シュトルムは、オーガー達の奥にある森を見つめた。
「ならば……バハーダンの居ない今、一気に突入するか……」
するとユニコーンに乗った部下がやって来た。
「シュトルム王子!側面の敵が一気に押し込んできました!」
「わかった。エンキドゥを引かせろ!ラズリーンの魔道師達がもうすぐ戻ってくるはずだ。上手く連携し……」
話し終える前にラツカの叫びがあった。
「王子!敵は犠牲をものともせず、突っ込んできます!」
「何!?」
王子はすぐに馬を走らせた。
少し進むと、エンキドゥを破壊しながら、ひたすら突入してくる敵の姿が見えた。
「しまった……」
オーク達は倒れても倒れても、次々新たな兵士を前へ進ませていた。
エンキドゥ達は反撃も空しく、破壊されている。
「数に物を言わせ……一気にけりをつけに来たか……」
これは彼が最も恐れていたことだった。
ラツカが尋ねた。
「王子、どうなさいますか?」
シュトルムは答えた。
「あの部隊を俺たちも叩く!」
「エンキドゥを引かせながら、全体を北へ移動させますか?」
王子は北側を見ながら話した。
「いや……北側の黒い霧の中には……恐らく……バハーダン達が潜んでいる可能性がある……俺たちを黒い霧の近くまで移動させる事が目的なんだ……」
ラツカは相槌を打った。
「確かに……それはあるかもしれませんね……」
「南側の突入してきた部隊を叩き、俺たちはそのまま、森で半月陣をしいている敵の側面を突くぞ!」
「分かりました!」
彼らは突入してきた敵を倒すために魔法騎兵を進ませた。
「行くぞ!」
王子達は必死に戦った。
「敵の後ろから突入し、その後は馬から降り、白兵戦をする!」
途中からラズリーンの部隊も加わった事で、なんとか敵の歩兵部隊をほぼ壊滅状態にし、引かせる事に成功した。
しかし、彼らの犠牲もかなりあった。
周囲はオークとハイエルフの死体とエンキドゥの残骸があった。
主人の居なくなったユニコーンが戦場をうろつき、苦悶の表情をしたオークの死体が転がり、大量の血を流し果てたハイエルフがいた。
生き残った兵士達は疲労と不安の色を見せながら、なんとか王子の下へ集まっていた。
それらを険しい表情でシュトルムは見ていた。
(……もはや戦闘を長く続けることは出来そうにないな……これでは……)
アリオンに乗った王子は叫んだ。
「よし!タロスと残りのエンキドゥを北側へ集中させろ!俺たちは南側へ突入し、一気に森の中へ入る!ラズリーンの部隊も他の部隊も全て付いて来い!」
兵士達が声を振り絞り、返事をすると、彼らはすぐに動いた。
最初に青銅のゴーレムが敵の中へ殴りこんで行くと、その後をエンキドゥの兵士が続いた。
大きな怒号と様々な物がぶつかり合う音が聞こえると、ハイエルフ達は南を目指して一気に突き進んだ。
進みながらマナサーチをさせた者が王子向って叫んだ。
「王子!敵は全く動いておりません!」
それを聞いた彼は舌を打った。
「ちっ!……陽動には乗らなかったか……」
シュトルムはゴーレムとエンキドゥを突入させることで、オーク達は兵を二分するか、動かすと思っていた。
しかし敵はオーガーを動かしただけで、動く事は無かった。
そのためゴーレムの部隊が先に、森の中へ入り込むことになっていた。
ラツカは王子に尋ねた。
「陣形を変え……このまま行きますか?それとも、タロスのいる場所から森の中へ入りますか?」
「森の中へ入れば、あの赤い雨の影響も和らぐだろうが……北には、バハーダンが霧の中に潜んでいる可能性が高い……」
「では……」
シュトルムは決断した。
「陣形を矢の形状に再編!敵の中央を強引に突破する!」
それを聞いたラツカは叫んだ。
「王子より命令が下った!直ちに突入の準備を!」
すぐに彼らは負傷兵などを荷馬車に乗せ、中央に移動させると、陣形を整え始めた。
すると突然、東の森の中から角笛の音が聞こえた。
「―――っ!?」
すぐにシュトルムは部下にマナサーチを命じた。
「サーチを!」
「はっ!」
しばらくして状況が分かった。
「王子、森の中にいる敵が前進してきました!」
「よし!ならば直ちに……」
マナサーチをしていた魔道師が叫んだ。
「待って下さい!」
「どうした?」
魔道師の男は目を閉じ、何かを感じ取っていた。
「南からも敵が来ます!……これは……早い……狼騎兵です!」
シュトルムは南の草原地帯を見た。
「―――バハーダンか!」
バハーダンはシュトルムが南へ来ると予想していた。
(ぶひひ……力強く北へ押せば……俺がそこに居るとお前は考える……読みが当たったぜ!)
その事が嬉しくて、彼は満足げに笑みを浮かべていた。
「くっく………よし!お前ら、もうすぐ増援も来る!これで終わらせるぞ!」
「はっ!」
彼らはハイエルフ目掛け、一気に駆け出した。
「おい……今、バハーダンに、ここに来られたら……」
「やばいな……」
兵士の一人が動揺を見せると、それはすぐに他の者達へも伝播して行った。
彼らのその姿を見たラツカは、すぐに王子に駆け寄った。
(兵士達が不安になっている……これは……まずい!……)
ラツカはその事を伝えようとし、シュトルムの目の前に近づいた瞬間、彼は突然、二角獣で駆け出すと、旗を手に取った。
「―――聞け!」
王子は青き鳥の旗を掲げながら、ハイエルフ達に向って叫んだ。
「……狼狽えるな!かつて世界を支配した誇り高き、―――風の民達よ!」
雨に打たれながら、ハイエルフ達は全員、王子を見た。
「王子……」
シュトルムは話を続けた。
「目の前の敵を倒せば森の中へ入れる!そして森の中では、赤い雨の効果が和らぐはずだ!」
彼は勢い良く、旗を地面に差し込んだ。
「それに俺は、まだ殺られてはいない!蒼き風は、ここにいる……ここにいるんだ!!」
王子の叫びに反応したアリオンが嘶きを上げ、前足を浮かせながら上半身を持ち上げた。
「―――ヒヒヒィィーーン!」
その体勢のままシュトルムは魔力を込め、右手を上げた。
「さあ見ろ!これはお前達が進むべき先を記した、―――蒼き風の道標だ!」
突き上げられた王子の手から蒼い風が生まれ、旗を勇ましくはためかせた。
そしてそれは赤い雨を吹き飛ばしながら、周囲に広がっていく。
「恐怖に染まるな、我が蒼き風の色に染まれ!(蒼く染められた、お前達は……俺の民なんだ……)」
蒼き風の王子の姿は神々しく、言葉は神の啓示のように聞こえた。
「そうだ……俺達は……シュトルム・フレーヴェンと共にいたんだ……」
「あと少しだ……やるぞ……」
「ああ……」
兵士達の表情は再び引き締まったものとなった。
(王子……)
ラツカにとっても彼の姿や言葉は威厳に満ち、心に響くものがあった。
遥か遠くにいる存在のように見え、かつて存在したと言う皇帝を彼の心に思い描かせた。
(シュトルム……君は……やはり……)
シュトルムは命令を下した。
「タロスとエンキドゥを南進させろ!ラズリーン!ウィンド・スラッシュを時間差をつけ、最大魔力で放っていけ!奴らを近づけるな!」
ポーションで傷を僅かに回復した彼女は、荷馬車から立ち上がった。
「はい!」
王子は頷くと、手綱を手に取った。
「よし!では行くぞ!風の騎士達よ……」
彼はラツカを見た。
(ラツカ……やるぞ……)
ラツカは無言で頷いた。
(お任せを……私は、あなたの背中をお守りします……)
風の王子は叫んだ。
「―――我が蒼き風に続け!」
「シルフォード!あなたを世界に解き放ちたいんです!どうすれば良いですか!?」
風の神殿の中でユラト・ファルゼインは黄色い大きな鳥に向って、そう話しかけていた。
彼のその言葉にフィセリアも自身の使命を思い出した。
(そうだったわ!)
彼女もシルフォードと思われる鳥に話しかけた。
「お願い!あなたの力が必要なの!」
二人にそう言われた鳥は顔を天井へ向けた。
「………ついに……私を世界へ解き放つ者が現れたか……」
彼は様々な事を思い出しながら呟いていた。
「……今の私のこの姿は……ここに封じられたときに生まれた……かりそめの自我だ……そしてずっとここで風に意識を乗せ、世界を感じていた……」
しばらくして彼は何かを感じ取った。
「………ん……」
動きを止めたシルフォードの姿を見たユラトは気になり、すぐに尋ねた。
「どうかしたんですか?」
「話すことはたくさんあった……しかし……時間が無いようだ……あれを見ろ……」
風の神は片側の翼を広げ、上を指し示した。
ユラトとフィセリアはそこへ視線を移動させた。
「なんか……たくさん来てる……」
「大量に………?」
天井の光り射す場所から青白い魂がシルフと共に大量に運ばれて来るのが見えていた。
シルフォードは翼を折りたたむと話した。
「あれは……王女よ……お前の同胞の魂たちだ……」
彼女は驚いた。
「えっ!……それって……」
風の神は魂がやって来た場所について話した。
「近くの草原に吹く風によって……あれは運ばれて来たのだ……」
フィセリアは、オークと戦っている者達を想像した。
「そんな!……(お父様……シュトルム……ラツカ……みんな……)」
言葉が出ないでいる彼女を見たユラトは、代わりに話しかけた。
「あの!あなたの解放を、お願いしたいんですが?」
黄色い鳥はユラトを真っ直ぐに見つめた。
「……ああ……いつでも構わんぞ……ラグナを宿す者たちよ……」
彼の言葉にユラトも驚くことになった。
「ラグナを……知っているんですか!?」
「当然だ……人間のお前は禁呪と言われる魔法を……ハイエルフの王女は、呪われし物を使用することが出来る……」
初めて自分の能力を知る事になった彼女は、怪訝な表情になった。
「呪われた物?」
シルフォードを目を閉じて話した。
「怨念の宿った妖刀、手に持つだけで魔力を吸われる魔剣、強力な呪詛の宿った武具……そう言った禁断の物を、お前は扱えるのだ……その身に呪いを受ける事無くな……」
フィセリアは自身の右手の甲を見た。
「それが……私の力……」
彼女が呆然とラグナを見ていると、シルフォードが話しかけてきた。
「それより……良いのか?」
風の神に尋ねられた二人は、自分たちの成さねばならない事を思い出した。
「そうだった!」
「シルフォード!どうすれば!?」
シルフォードは答えた。
「ここまで来ることが出来たお前達なら簡単な事だ……」
「どうすれば?」
「風の魔剣で私を斬り……風の再生を告げるのだ……」
その言葉にユラトは戸惑った。
「神であるあなたを……斬るのですか?……」
「これはかりそめの姿だ……私が斬られれば自我は無くなり……私は風となって世界に広がっていくだけの存在になる……」
フィセリアが僅かにシルフォードに近づいた。
「じゃあ……話す事は……」
遠くを見るように彼は、二人を見た。
「我々の存在は……世界に根付き過ぎたのだ……意識の無い、気まぐれに流れる……ただ加護を与えるのみの存在となるだろう……」
他にもたくさん聞きたい事があったため、ユラトは残念に思った。
「そんな……」
風の神は軽く飛び上がると、羽根をバタつかせ、その場で浮き続けた。
「それ故……心せよ……我が加護は光りも闇も関係なく……風の資格を得た者全てに加護を与えることになるだろう……」
フィセリアは、ユラトに話しかけた。
「とにかく……一刻も早く加護を得なきゃ!ユラト、魔剣を頂戴!」
「分かりました……」
ユラトは返事をそう返すと、魔剣召喚の禁呪を唱え始めた。
「剣よ……強大なる魔を払う凶刃となり……我が支配に……」
そして彼が禁呪を完成させると、すぐにフィセリアはユラトの左手から魔剣を引き抜いた。
「―――くっ」
多量の魔力が奪われたため、ユラトは一瞬よろめいた。
フィセリアは慌てて彼に近づいた。
「ちょっと……大丈夫!?」
「なんとか……」
「そう……」
そして彼女は風の魔剣を握り締めながら振り返り、シルフォードの前に歩み寄った。
「ここに来る事で思った事があるの……それは……風は自ら吹かせるもの……そうでしょ?シルフォード……」
シルフォードの自我は、最後の笑みを浮かべた。
「ふふ……そうだ……それこそが……我が風の民よ!……さあ私を両断し、―――風の加護を得よ!」
フィセリアは戦場で戦っているハイエルフ達を思い浮かべながら、両手で魔剣を持つと、巨大な風の神像に向って風を送るように、縦に魔剣を振り下ろした。
「はっ!」
風の神の自我は翼を広げたまま、彼女に斬られた。
「……フッ……」
するとシルフォードは無数の光の翼の姿に変り、左右に引き千切られながら、天井へと向って行った。
翼から出るキラキラとした光の粉が周囲に振り落ちた。
そんな中、ゆっくりとした口調で話す、シルフォードの声が聞こえた。
「人と同じ大きさの自我を持つ事が出来て……私は楽しかったよ……」
彼は永い時の中で、風を通して様々な感情を知った。
生きているものの怒り、悲しみ、喜び。
「風と共に生きると言う事の意味を……」
光の翼は神像の頭の部分に到達すると、強く光った。
ユラトとフィセリアはその眩しさから、腕で顔を隠しながら目を閉じた。
「うっ……」
「まぶ……しい……」
シルフォードの像の目の部分が黄色く光ると突然、神殿内は揺れ始めた。
「揺れている……」
「ちょっと、何!?」
パラパラと天井から小さな石の塊がいくつか落ちてきた。
二人は体勢を低くしながら、事の成り行きを見ていた。
しばらくして神像から声がした。
「花の香りを運び……流れ落ちた涙を拭き取る……癒しの風……風車を回し、船の帆を靡かせる……助けの風……水面を持ち上げ、波を起こし……吹雪の雪原を吹き抜ける……阻む風……力強く渦巻き……大空の雲をうねらせ、全てを砕いていく……破壊の風……」
シルフォードの翼が全て広がり始め、輝きだした。
「……そして……大いなる野望を抱く……蒼き風……」
周囲にいたシルフ達が全て、シルフォードの中へ入って行った。
「これから……お前達は……更なる強さを秘めた風を無条件に受け入れ、立ち向かわなければならない……それが風の解放だ……今こそ世界に……再び……」
そう言うと風神の像は、周囲の空気を吸い込んだ。
床に広がっていた謎の綿毛が吸い込まれて行く。
像が毛に覆われていく中、シルフォードは力強く重い、神の声を大きく出して叫んだ。
《―――力強い風を!!》
神の声は部屋の空気を震わせ、二人の心の中にもやって来て、暴風のように吹き荒れた。
(心に……直接入って来る……)
(なんて力強い……声なの……)
神像の周囲にあった翼が全て優雅に勇ましく、最大に広がった。
すると部屋は最も明るくなった。
それは直視できない程の光の強さだった。
神像の足下から綿毛が大量に流れ落ち始める。
発光しながらシルフォードの像は48枚の羽を使い、飛翔し始めた。
「飛び上がった!?」
天井に向って進んで行くと、足下から流れ落ちている綿毛は、次々羽根の柱に変わっていき、固まっていくのが見えた。
そして神の像は屋根を突き破ると、再び翼を広げた。
建物の壁が破壊され、シルフォードの像は、外に露出することになった。
ユラトとフィセリアは、崩れ落ちてくる石を避けながら、壁際まで下がった。
「一体何が!?」
「少し下がるわよ!」
二人が像を見上げていると、そこから風が起こった。
黄金の揺らぎを発していて全ての方向に向って、その風は撃ち出された。
ユラトとフィセリアのいる場所にも風はやって来る。
「―――!?」
二人は床に伏せ、その風に抗った。
「くっ!……」
「この強さじゃ!……」
フィセリアは耐えられないと判断した。
彼女はすぐに立ち上がると、ユラトの手を取って出口に向って走った。
「ちょっと……うわぁ!」
ユラトは突然引っ張られた事に戸惑った。
「出口の壁に掴まって耐えるわよ!」
「わ、わかりました!」
部屋から押し出されるように出口にたどり着くと、壁の角に掴まった。
「よし!」
二人の体を浮き上がらせる豪風が流れた。
「凄い……風だ……」
「飛ばされないで!」
蒼きフレーヴェンの羽が二人のそれぞれの場所から浮かび上がった。
髪やマントが凄い勢いで入って来た入口の方へ吸い込まれ行く中、ユラトは風を世界に放ち続けるシルフォードの像を見ていた。
(あれは!?……)
彼が見た光景は、風の神像から風だけではなく、途方もない量のシルフが、そこから生み出されていたものだった。
青緑色の塊が次々、様々な場所へ向って飛び去って行った。
(ずっとあの神像に溜まっていた物が、再び世界へ放出されているのか?……しかし……とんでもない量だ……)
フィセリアは戸惑いながらも風の解放が成されたことに喜びと達成感を感じていた。
(なんとか出来た……これで……シュトルム達も……)
「―――耐えろ!押し返せ!」
オークの男が叫んでいた。
「オオオーー!!」
大勢の者達が声をあげ、ぶつかり合った。
火花を散らしながら、ハイエルフ達は飛ばされた。
「くっ!」
飛ばされた人物は剣を地面に刺し、なんとか倒れる事からは免れた。
側にいたエメラルドブルーの瞳を持った部下が叫んだ。
「王子!」
突入したシュトルム達は苦戦の中にいた。
森から前進してきたオーク達は盾と武器を持ち、全身を鎧と兜などで身を包んだ完全武装の重装歩兵だった。
何度か騎兵で突破口を切り開こうとしたが、分厚い装甲によって進撃は抑えられていた。
立ち上がったシュトルムは叫んだ。
「まだだ!―――魔法を放て!」
押し返されたハイエルフ達が魔法を放った。
「―――ハッ!」
魔法は次々オーク達に当たった。
しかし、敵は必死に歯を食いしばりながら攻撃に耐え、盾を構えながら前進を止めなかった。
ハイエルフの側面で突入の機会を窺っているバハーダンが叫んだ。
「絶対に奴らを森に入れるな!」
シュトルム達はユニコーンから降り、魔法と武器で戦っていた。
そして魔道師達はバハーダン達を牽制しながら、前方に支援魔法も放っていた。
何度か強引に犠牲を覚悟し突入を試みたが、敵の必死の防衛に全て押し返される結果となっていた。
想像以上に分厚い敵の防御陣にシュトルムは苦しい表情になった。
「くそっ!……こじ開ける力が……圧倒的に足りん……」
隣にいたラツカが叫んだ。
「タロスがやって来ました!」
周囲に地響きを立てながらやって来る、青銅のゴーレムの姿が見えた。
「来たか……しかし……」
シュトルムはゴーレムを追うようにやって来るオーガーの姿を見た。
「ほとんど……数を減らしていない……」
ラツカが話しかけてきた。
「どうしますか?」
ハイエルフの騎士達が前方の敵に向って、次々ウィンド・スラッシュを放っていった。
魔法が当たった何人かのオークは一瞬、膝を落とした。
しかし、すぐにまた立ち上がっていた。
(なんと屈強な奴らなんだ……)
それを睨むように見つめながらシュトルムはラツカに話しかけた。
「とにかく……少しでもいいから敵の防御を崩したい……」
「では……タロスを……」
シュトルムは決断した。
「よし、オーガーを無視し、タロスを敵の重装歩兵の部隊に突入させろ!」
すると魔道師が一人、王子の所へやって来た。
「王子!後方より、―――敵影あり!」
シュトルムは振り返った。
「なんだと!?」
ラツカは苦しい表情になった。
(ついに……来たのか……)
バハーダンが嬉しそうに叫んだ。
「―――来たぜ!!」
邪悪な笑みを浮かべながらオークの将軍は命令を下した。
「王子達に矢を放て!」
すぐに角笛が鳴った。
すると歩兵の後ろにいた弓兵が矢を放った。
「ラズリーン隊長!―――矢が来ます!」
ラズリーンは、すぐに命令を下した。
「シュトルム王子を守って!」
「はっ!」
突入を試みようとしたシュトルム達の頭上に矢がやって来た。
「王子!」
ラツカはシュトルムを守ろうと、彼に覆いかぶさろうとした。
「大丈夫だ!ラツカ!」
王子はラツカの肩を手で押さえた。
矢の雨が降って来る寸前に、後方からふわりとした風がやって来た。
「―――ウィンド・ウォール!!」
王子達の周囲に一瞬にして風の壁が、いくつか沸き上がった。
シュトルム達の雨に濡れた髪やマントを浮き上がらせる。
矢は地面にいくつか刺さり、幾人かのハイエルフの体に刺さった。
「くそう!」
あまり効果が無かった事に、バハーダンは悔しがった。
しかし彼は、すぐに表情を元に戻すと命令した。
「増援が来たら全ての方角より、突入を開始する!」
バハーダンは再び笑みを浮かべた。
「包囲殲滅だ!……風の王子よ……今度はその風……逃がしはしない……ぶひひ……」
彼は叫んだ。
「陣形を再編する!」
サーチをしたハイエルフの魔道師が叫んだ。
「王子!バハーダンの部隊が矢の陣形になろうとしています!どうやら後方の部隊と共に突入してくるようです!」
「……馬鹿な……ここまでなのか……」
ついに彼らは進退窮まった。
呆然としているシュトルムに、ラツカは静かに近づいた。
(シュトルム……)
彼は覚悟を決め、主に話しかけた。
「後方の敵は私が最後までここに踏み止まり、止めて見せます……王子は最後の突入をして下さい……」
その言葉にシュトルムは驚き、ラツカを見た。
「ラツカ?!……お前……」
ラツカは、真っ直ぐに王子を見た。
「誰かが止めなければならないのです……」
「だからと言って……お前が……」
「シュトルム王子……私はこれまであなたが命令を下し、命を失っていった兵士達と何ら変わらぬ存在なのです……私だけが特別扱いされる訳にはいきません……」
「お前を失って……俺はこの先を進むことが……出来るのか?」
判断に迷いを見せている王子に近づくと両肩に手を置き、ラツカは叫んだ。
「―――シュトルム!君は約束しただろ!」
「ラツカ……」
「僕は君を守るために命を懸ける!だから君は……―――君の夢のために命を懸けろ!!」
シュトルムは呆然とラツカを見詰めた。
「お前……」
ラツカは王子から少し離れると風の敬礼をした。
右手で胸を押さえ、頭を下げると、傅いた。
「さあ……蒼き風の皇帝となる者よ………決断の時です……ご命令を……」
ラツカの姿を見つめながらシュトルムは考えていた。
「俺は……お前に……」
皇帝となる者は、時に非情なる決断をしなければならない。
全ての民を救える方法など存在しない。
その事を彼は強く実感していた。
(やらねば……ならんと言うのか……)
ラツカは目を閉じ、彼の命令を待っていた。
(シュトルム……君の命令なら……僕は……喜んで敵の中へ行こう……)
「―――くっ!!」
シュトルムは悔しそうに下唇を噛み締め、拳に力を込めながら、ラツカを見つめた。
(くそ!!……なんと俺は……無能なんだ!……)
王子は風の答礼をするために手を上げた。
(ああ……許してくれ……ラツカ・シェルストレーム……我が……)
シュトルムがラツカに命令を下そうとした瞬間、変化が起こった。
(ん?……)
最初に起きたのは草原が一瞬、黄金色に染まった事で、その後すぐに全ての草が西に傾いた。
傾きはすぐに元に戻ると、戦場に存在した音と風が全て消えた。
「…………」
いきなりの事にハイエルフもオークも驚き、動きを止めた。
「―――!?」
真っ直ぐに赤い雨は落ち、はためいていた旗は、固まったように動かなかった。
何人かが必死に何かを話そうとするが、ただ口が動くだけで声や音は出ることがなかった。
「……!?」
異常な事態を察知した王子とラツカは周囲を見渡した。
(………これは一体……どう言うことだ!?)
(風や音が……全く無くなってしまっている!?……)
この日、この時、この瞬間。
世界から、風と音が消えた。
この出来事は東の海で船に乗っているエルディア達のいる場所にも同じような変化を与えていた。
風を受けて膨らんでいた船の帆が萎み出すと、海鳥達が大量に海の中に落ちた。
それを見ていたレビアが叫んだ。
「みんな!海鳥たちが!?」
その言葉に皆、彼女の下へ集まった。
言葉を発しようとしたエルディアが自分の声が出ない事に気づいた。
(あれ……声が……出ない!?)
クフィンとカーリオもそれに気づいた。
(声だけではなく……風も……どう言うことだ?魔物か!?)
(ここにいる全ての人々が……声や音を出すことが出来ない……こんな事は……初めてですね……これは……この海域だけの事なのでしょうか?……)
陣形を整え終えたバハーダンもまた、訝しげに辺りを見回していた。
(なんだこれは!?……声が出ないぞ!)
戦場にいる者たち全てが戸惑っていると、更に変化がやって来た。
その変化とは、この音と風の無い世界に唯一、その両方を持っている者たちの集団が現れた事だった。
最初に気づいたのは、シュトルムだった。
(―――っ!)
王子は隣にいるラツカの肩に手を置くと、彼に分かるように東の空を真っ直ぐ指差した。
ラツカは、その先を見た。
(あれは………っ!?)
彼の瞳に映ったのは青緑色の雲のようなものだった。
大きくうねったり、回転しながら、それは大空を埋め尽くしていく。
かなりの速度が出ているようで、すぐに彼らの近くへもやって来る。
(何かが……―――来る!!)
頭上にある太陽の光を遮ると、周囲は一瞬だったが夜のように真っ暗になった。
(何だ……あれは!?)
バハーダンは、その光景に生理的な嫌悪感を抱いた。
(凄く……嫌な感じがするぞ………)
彼は必死になって考えた。
(あれだけの規模……はっ!……まさか……奴らのウォー・マジックか!?)
そう思った彼は、突入を直ちにさせようと思った。
(させる訳にはいかんぞ!)
バハーダンが片手を上げた時、青緑の塊はついに、彼らのいる戦場を駆け抜けた。
オーク達は驚き、動きを止めると、慌ててマントで顔を隠した。
(―――何だと言うんだ!?)
彼らが戸惑っていると、空を覆っていた雨雲が風と共に、どこかへ行ってしまった。
赤い雨ではなく、太陽の眩しい輝きが再び戦場に降り落ち始め、巨大な青緑色の塊がハイエルフ達を素早く通り抜けて行く。
心地良い風が彼らを包み込んだ。
その風を受けながら、シュトルムは気づいた。
(これは………―――シルフ!!)
そう、それは風の解放によって世界に放たれた、風の精霊の集団だった。
すぐに彼らハイエルフ自身にも変化が現れた。
戦場にいるハイエルフ全員の体から、輝く白い蒸気のようなものが生み出されると、彼らは口を半開きにし、体を硬直させ、目が虚ろになった。
(あ……あ……ああ……)
そんな中、シュトルムは何かを感じ取っていた。
(何だ……これは!?……俺の体の中……いや……もっと奥深く……そう……魂から来る……これは……)
体全体が熱くなった。
(熱い……全身が沸騰しているようだ!……そして何かが湧き上がって来る……ああ……これは……そうだ……)
彼は、それが何であるかに気づいた。
(―――風だ!!)
シュトルムが心の中でそう叫ぶと、彼らハイエルフ全員の足下から白い風の渦が吹き上がり、蒸気を消し飛ばした。
意識を正常に戻したシュトルムは、拳を自身の目の前に持って来ると、強く握り締め叫んだ。
「……我……―――真の風を得たり!!」
太陽に輝くプラチナブロンドの髪を靡かせる蒼い風が、王子の手から発生した。
体に染み付いていた赤い雨を風で吹き飛ばしながら、ラツカもまた同じものを感じていた。
(何だと言うんだ……これは……この無限に湧き上がって来るような……魔力は……)
全てのハイエルフ達が、風の加護を取り戻した実感を得ていた。
(風が……力が……)
(全身を駆け巡っている……)
世界にシルフ達は駆け巡った。
赤毛の青年と人魚の娘も森の中で、それに遭遇していた。
「きゃあ!」
「エリーシャ!」
デュランは彼女の手を引っ張り、木の陰に隠れた。
彼は彼女と共に自分達の周囲を吹き抜けていくものを見ていた。
「ありゃあ……なんだ!?」
「わかりません……でも……」
心地良い風であったため、二人はそれを呆然と見つめていた。
風と音が消え、戸惑っていたエルディア達のところへも、それはやって来た。
マストに登っていた船乗りが必死にロープや帆を揺すりながら、西の空を指差していた。
エルディアは帽子を上げ、そこを見た。
(何……あれ……)
(―――!?)
それを見たクフィンは、すぐにエルディアの手を取り、船倉の中へ引っ張った。
(どうせ、ろくでも無い事だ……こんな事で彼女を……)
レビアとカーリオ、そして他の者達も、次々と船の中へ入って行った。
世界へ風と音を届けるために広がっていくシルフ達を、そこにいた人々は窓や出口から見ていた。
それを見ながら、レビアが呟いた。
「あれって……シルフじゃない?って……声が出てる!」
ようやく音が戻り、声が出た事に彼らは安堵していた。
隣にカーリオがやって来ると、彼はレビアに話しかけた。
「本当ですね……大図書館にあった本に描かれていたものと同じです……しかし……全て……西の方から来ていますね……向こうで何かがあったのでしょうか?」
「さあ……だけど……シルフなら別に問題は無いよね!」
彼女はそう言うと階段を駆け上り、外へ出ると、吹き流れていく風の精霊に手を伸ばした。
すると彼女の髪や服の撫でるように、シルフ達は次々飛び去っていく。
「あははは!見て見て!すごーい!」
彼女は両手を広げながら楽しそうに、甲板の上で回っていた。
そんな彼女の姿を見たカーリオも好奇心にかられたのか、レビアの後を追う様に外へ出ると、同じように手を差し出し、風を感じた。
(この風は……)
彼は不安げに見ている他の人々に向って叫んだ。
「みなさん大丈夫です!これは風の精霊シルフです!」
彼の言葉に多くの人々が安堵の息をついた。
「ふぅー……」
「良かった……」
「わしゃあ、魔物かと思ったわ!」
そんな中、クフィンが彼女に尋ねた。
「エルディア……俺達も外へ行くか?」
しかしエルディアだけは、時折、空に出来るシルフが生み出した風の渦を真剣な表情で見ていた。
(西の方で何かあったのかな?……風の渦………どうか……無事で……)
戦場を吹き抜けていくシルフの集団の終わりが見えた頃、バハーダンは、マントで顔を覆うのをやめた。
彼は自分の体に何か異変が無いか確かめた。
(特に……何かが起こったって訳じゃねぇな……)
体全体を見たり、戦斧を握り締めたりして感覚を確かめた。
(痛む場所もない……大丈夫だ……)
ダイアーウルフに乗っている部下達も見たが、特に彼らにも変化はなかった。
しかし空を見た時、彼は苦い表情となった。
(くそっ!血の雨が無くなってやがる!だが……)
ハイエルフを囲んでいる自分達が有利なのは変わらない。
(突入の失敗で数も減らしてやがるし……ククク……)
バハーダンは突入を再開させることにした。
「(この好機を逃すかよ!)よし、お前ら!直ちにハイエルフ共を殺しに行くぞ!」
将軍の叫びを聞いた彼らは、すぐに陣形を整えた。
その様子を見たバハーダンは笑みを消すと、部下に命令した。
「何が起こるか分からん!だから警戒はしておけ!行くぞ!」
「はっ!」
雨雲の去った戦場は、再び血が降り落ちる場所となった。
(………ん?)
敵の進軍の音を感じ取った王子は、ラツカに話しかけた。
「ラツカ!」
「はい、王子!」
シュトルムは自信に満ちた表情でラツカに言い放った。
「俺は、お前が後ろの敵に立ち向かう命令はしない!」
その言葉に彼は戸惑った。
「王子……ですが……」
シュトルムは、自分の手から流れ落ちる蒼い風を見せた。
「分かっているだろ?……―――ラツカ!」
流れ落ちる蒼い気体を見たラツカは、通り過ぎて行ったシルフ達の事を思った。
「先ほどの現象の事ですか?」
「そうだ……お前ならなぜ起こったのか、分かるはずだ」
そこでようやくラツカは、二人の人物の事を思い出した。
「……まさか……あのお二人が……これを!?……」
呆然としているラツカから少し離れると、王子は周囲にいる部下達に向って叫んだ。
「―――皆よ、聞け!先ほどの現象は我が妹、王女フィセリアと人間の冒険者ユラト・ファルゼインの両名が風の神殿でシルフォードの解放を行った結果だ!」
騎士の一人が尋ねた。
「王子……それはどう言う……?」
シュトルムは、その騎士に顔を向け風の敬礼をしながら蒼い風を飛ばすと、大きな声で叫んだ。
「つまり俺達は……―――風を取り戻したんだ!」
王子の言葉を聞いた彼らの表情は輝き、歓声を上げた。
「おおっ!」
「ついに!」
「それで……全身から……魔力が……」
喜んでいる彼らを尻目に、ラツカはシュトルムに話しかけた。
「それで……どうなさるおつもりですか?シュトルム王子」
彼はラツカに答える事無く、他の者の名を呼んでいた。
「ラズリーン!」
名を呼ばれた彼女は、迫ってくるバハーダンを警戒しながら、やって来た。
「はい、王子!」
「俺が敵に近づいたら、お前達の部隊の半数で強く魔力を込め、風の壁を……あの重装歩兵の目の前に、縦に放ってくれ……そして隙が生まれたら、すぐに残り半数でヘイストかけ、全ての部隊を突入させ、国を目指せ!……出来るか?」
その命令に彼女は、怪訝な表情になった。
「縦に?……ですか?」
王子はすぐに答えた。
「そうだ」
ラズリーンはその理由を聞こうと思ったが、王子の自信に満ちた表情を見ると、すぐに返事を返した。
「分かりました!」
ラズリーンが去って行くと、ラツカは王子に尋ねた。
「一体……どうなさるおつもりです?王子……」
ここでようやくシュトルムは振り返り、笑みを浮かべながら彼に答えた。
「フフ……ラツカ……俺とお前で……あれをやるぞ……」
しかしラツカには分からなかった。
「王子……あれとは?」
彼が尋ねると、先頭にいる騎士の声が聞こえた。
「シュトルム王子!敵が来ます!」
その声を聞いたシュトルムは、すぐにアリオンを呼び、飛び上がって瞬時に騎乗した。
シュトルムは飛び上がった時に確信した。
(………やはりそうだ……俺の思った以上に……体が軽く感じる……今まで鍛えてきた成果が出ているのか……風の加護と共に……)
ラツカも渋々、王子の後を追うようにユニコーンに乗った。
乗る事で彼も気づく事があった。
(……体が……羽根のように軽い!?……)
王子が近づいてきた。
「ラツカ……あれとは、お前の父親の……とっておきの魔法があっただろ?それの事だ」
「なるほど……ですが……」
父のレイオスは、この国の中で最も高い魔力を持っている魔道師だった。
そして、この国で彼のみが扱える魔法が存在した。
二人はレイオスに幾度と無く、その魔法を教わっていたが魔力が足りなかったため、全く威力が出ないでいた魔法だった。
ラツカは無理だと言おうとしたが、すぐにその考えは消し飛んでいた。
なぜなら、自分自身の体から湧き上がる魔力の高まりが、絶対に出来ると言う自信に繋がっていたからだった。
(何故かは分からない……だが……王子の言う通り、絶対に出来ると言うものが……私の中にも存在する……ならば……)
ラツカ・シェルストレームは、王子に力強く答えた。
「蒼き風……シュトルム・フレーヴェンを!……―――彼らに見せ付けてやりましょう!」
その言葉を聞いた王子は満足げに頷くと、二人はすぐに馬を走らせた。
「行くぞ!」
「はい、王子!」
「将軍!敵のエンキドゥがこちらへ向って、やって来ます!」
「タロスと共に南進させて来たか!」
バハーダンは、戦斧を手に取った。
「破壊しながら敵陣へ切り込むぞ!」
オーク達も武器を手に取った。
「はっ!」
そして両者は、ぶつかり合った。
「―――邪魔だあああ!!」
先頭を走っていたバハーダンが渾身の一撃をハイエルフの作った魔法人形に放った。
直撃を喰らったエンキドゥの頭部は、瞬時に破壊された。
彼のそんな姿を見たラズリーンは、全体の進軍を開始させる事にした。
「―――前進を開始!王子の後に続いて!」
「隊長!北からオーガーがやって来ます!」
大地を叩く音と共に、オーガー達がやって来た。
《―――ドンッ!》
土煙が上がり、その中から彼らの巨体が続々現れた。
ハイエルフ達は、素早くその攻撃を避けた。
しかし、何人かは巻き込まれ、飛ばされた。
その光景を見たラズリーンは叫んだ。
「タロスを戻して!」
「しかし……」
戸惑いを見せている部下に向って、彼女は再び叫んだ。
「いいから!」
「分かりました!」
「他の者達は、魔法に集中を!」
「はい!」
彼女は指示通りに動いている部下を見ながら、お腹に手を置いた。
(全く……無茶ばかり仰るんだから……胃が痛いわ……だけど……今は蒼き風を……王子を信じよう……)
オーク達がハイエルフへの包囲網を縮めていく中、彼らの目の前に装甲の厚い部隊が現れていた。
ユニコーンに乗り、全身とマントを揺らしながらラツカは叫んだ。
「王子!目標にたどり着きます!」
「よし……」
シュトルムは、ぎりぎりまで近づこうと思った。
(この距離では……まだ早すぎる……)
騎士の一人が叫んだ。
「―――王子!後方の味方が敵に襲われ始めています!」
ラツカが話しかけた。
「魔法部隊の準備は整っています!やりましょう!」
シュトルムは、片手を真横に出した。
「まだだ!……あと少し……騎士の半数を後方の防衛に回らせろ!」
「はい!」
ハイエルフ達は敵に囲まれながら太陽の光を背にして大草原を駆け抜けた。
北ではオーガーとタロスの戦いがあり、東には目指すべき敵の歩兵部隊がいた。
そして西からは増援の狼騎兵が迫っており、南からはバハーダン達がエンキドゥを破壊しながら近づいてきていた。
それは太陽の光の色が、もうすぐ変わろうとしていた時だった。
王子はついに命令を下した。
「―――ラツカ!」
ラツカは、部下に合図をさせた。
「青いマナフラッグを!」
「はっ!」
すぐに騎士の一人が、青い玉を空へ打ち上げた。
(―――ブルーフラッグ!)
ラズリーンは、空に光る青い輝きを見た瞬間、命令を下した。
「今よ!―――放って!」
彼女の前方にいた魔道師達が一斉に杖を地面に叩きつけるように風を放った。
「―――ウィンド・ウォール!!」
すると彼らの杖の先から、バリバリと音を立てた風が真っ直ぐに凄まじい勢いで突き進んで行った。
ラツカが叫んだ。
「―――王子!まもなく敵と接触します!」
王子は待っていた。
(ラズリーン……魔法はまだか!?)
すぐそこにオーク達はいた。
しばらくして待ちきれなかったシュトルムが振り返ろうとした時、彼の前髪が僅かに揺れた。
(―――来た!)
シュトルムが表情を変えると草原の草の葉を巻き上げながら彼らと同じ進行方向へ向って風の壁は流れるようにやって来た。
馬に乗る二人の間を、その風は駆け抜け、強く吹き上がっていく。
王子はラツカに話しかけた。
「行くぞ、ラツカ!」
「はい、王子!」
二人は速度を上げながら、風の壁に近づいた。
(力強い……風だ!)
王子は叫んだ。
「やるぞ!」
「はい!」
声を聞いたラツカは馬の背の上で立ち上がった。
ラズリーン達が目前にいる場所に到達したバハーダンは、王子とラツカの奇妙な体勢を目にし、怪しんだ。
(何をするつもりだ!?あいつら……)
オークの将軍が怪しんで見ていると、王子とラツカは動いた。
「―――今だ!」
「ハッ!」
二人は馬の背から飛び上がった。
二人の行動にバハーダンや歩兵達は口を開け、驚いた。
「馬鹿な!?……」
「―――!?」
なんと二人は馬から飛び上がると、草原の中を吹き上がっていく、風の壁の上を走っていた。
蒼い色に身を染め、両腕を羽ばたく寸前の鳥の翼のように僅かに開きながら。
それは飛翔するフレースヴェルグのようだった。
「風の神シルフォードよ……我に風の加護を与え給え……そして……風の竜より生まれし……疾風よ……我に……集え……」
魔法を唱えながら二人は素早く、そして軽やかに空中を駆け抜けていく。
魔法を詠唱しながらラツカは、シュトルムの背中を見ていた。
(私は今……後世に語り継がれる……伝説の物語を見ているんだ……蒼き……―――風の伝説を……)
魔道師達が放った風の壁は、オークの重装歩兵の先頭集団に当たり、突き抜けた。
シュトルムとラツカは、彼らの頭上を走った。
魔法を完成させたシュトルムの両手には、蒼い風の球体が存在していた。
透き通っており、他に何も混じることの無い、純粋な蒼い色をしていて、その中では風が強く渦巻いている。
シュトルムは、ラツカに話しかけた。
「ラツカ!俺とお前で、ここに道を作るぞ!」
ラツカは力強く答えた。
「心得ております!」
バハーダンは目を血走らせて、声を張り上げた。
「そいつらを………―――止めろおおおーー!!」
彼の必死の叫びもむなしく、二人はどんどん奥へと向って行った。
「……その道はただの道ではない……そう……それは……―――風の玉座への道だ!……わくわくして来ないか!?」
ラツカは、笑顔で答えた。
「ええ!……私にもそれは見えています!」
シュトルムとラツカは目的の場所へとたどり着いた。
そこは敵の歩兵部隊の中心だった。
二人は表情を元に戻すと、目的の場所を冷たく見つめた。
(さあ……加護を得た蒼き風を……その身に受けろ……闇の種族たちよ!……)
(……我がシェルストレームの風で……お前達を……切り裂いてやる!……)
輝くブルーの瞳とエメラルドブルーの瞳は、同じ場所を捉えて放さなかった。
そして二人は飛び上がった。
「風竜よ!」
シュトルムとラツカは背中合わせで着地すると、同時に腕を交差させた。
我に返った敵が襲ってきた。
「殺れ!」
敵が近づいてくる中、魔力を込め、素早く交差を解く為に、両腕を広げた。
「風刃の咆哮をあげろ……」
広げる瞬間、球体を衝突させ、魔法を発動させた。
「―――『ウィンドバースト』!」
風の球体は、ぶつかり合うとすぐに破裂し、王子の蒼い風とラツカの白い風が混ざり合い、小さな竜巻のようなものを生み出した。
屈強なオークの兵士達は、一瞬その風の攻撃に耐えた。
「くっ……」
彼らは、盾を構えながら、二人に近づこうとした。
「!?」
しかし、二人が生み出した風は勢いを増し、徐々に大きくなっていった。
輝く髪を逆立たせながら、シュトルムは静かに言い放った。
「近づけるものなら……近づいてみろ……」
オーク達は必死に攻撃をしようと、目の前にいる二人のハイエルフの所へ向うが、すぐに風によって押し戻されていた。
「これは!?」
「なんて風だ!!」
「進めんぞ!」
彼らが戸惑っていると、竜の咆哮のような音が地面から空へ向って放たれた。
「なんだ!?」
すると細く長い竜巻が空へと勢い良く昇って行った。
それを見たシュトルムとラツカは、目の前にある風を片手で押さえた。
「―――吹き飛べ!!」
二人はそう叫ぶと、風の中へ手を入れ、背中を合わせながら横に手を薙ぎ払った。
すると蒼い竜巻の頂点が地面に向って一気に落ちてくると、突然周囲に風が広がり出した。
「!?」
次々オーク達は、その風に巻き込まれていく。
「―――ぐわぁ!」
「ぐおおおおーー!」
触れた者に次々、切りつける風の衝撃波が襲いかかり、後ろへ浮き上がって大きく彼らは飛ばされていった。
すると本陣のハイエルフ達の目の前に、森へ入る事が出来る、敵のいない空白の草原地帯が現れた。
それを見たラズリーンは、後方にいる魔道師達に向って叫んだ。
「ヘイストを!」
「はっ!」
すぐに彼ら全体に、風の補助魔法がかけられた。
「お前らは行かせねぇ!!」
バハーダンは必死になって、ハイエルフ達の側面にたどり着いた。
ラズリーンは力強く命令した。
「我々の祖国……ブラウフェダー王国へ帰還する!―――全員突入せよ!!」
吹き上がる風が、彼らを包み込んだ。
そしてハイエルフ達は森に向って一気に駆け出した。
バハーダンは、その速度に驚いた。
「なんて早さだ……馬に乗ってない奴らでさえ……あの速度……一体どうなってやがる!……それに……あの王子の魔法……」
「バハーダン将軍!」
西から来た増援部隊の隊長が声をかけてきた。
「来たか……」
彼は気持ちを切り替えた。
(とにかく、すぐに奴らを追うんだ!)
王子とラツカは周囲に二人以外、誰もいない戦場で他のハイエルフ達を待っていた。
シュトルムは、満足げに周囲を見渡した。
そこは先ほどまで殺し合いをしていた場所とは思えない静けさがあった。
「見事に……吹き飛ばせたな……ははは!……はぁはぁ……ざまあみろ……」
二人は魔力をかなり消費してしまったため、草原に片手と片膝を付いた。
そしてラツカは、敵が飛ばされた先を見つめていた。
「……ええ……ですが……」
飛ばされた敵は、再び彼らと戦うため、移動を開始しているようだった。
起き上がり、無事だった者達が周りからやって来るのが見えた。
王子は、それを忌々しげに見つめていた。
「ああ……分かっている……しつこい奴らだ……」
そんな中、ラツカが叫んだ。
「王子!騎士達が来ました!」
「よし!」
シュトルムは愛馬を呼ぶため、指笛を鳴らし、名を呼んだ。
「アリオン!」
騎士の集団と共にバイコーンのアリオンは、王子に向って走り寄ってきた。
すぐに彼は飛び乗った。
そして振り返ると、ラズリーン達がやって来るのが見えた。
「よし……ラズリーン達もやって来たか……」
彼女たちは、倒れこんで来るオーガーを上手く避けながら先へ進んでいた。
攻撃をかわされ、地面を殴りつけた時に生じる、巻き上がる土を体に受けながらも懸命に王子のところへ向っていた。
そして彼らはやって来た。
「王子!お待たせしました!」
「良く来た!ラズリーン!他の者達もだ!」
「はい!」
シュトルムは、ラズリーンに話しかけた。
「帰還したら……お前の研究に更なる予算を付けるよう、俺から父上に言っておく……感謝するぞ、ラズリーン!」
その言葉を聞いた彼女は、嬉しそうに返事をした。
「はい!(やった!!)」
「―――待ちやがれ!シュトルム!!」
バハーダンが必死の形相で、やって来るのが見えた。
王子は彼らを先へ進ませると、冷酷な冷たい笑みを浮かべながらバハーダンに向って叫んだ。
「良く聞け、バハーダン!お前らに蹂躙される時代は終わった!俺達はこれから、この大草原地帯を吹き抜けていく……大樹ユグドラシルのある場所へ向って……全てを返してもらうぞ!」
バハーダンは、戦斧を掲げながら叫んだ。
「面白しれぇ!やってみろよ!お前の底の浅い策など、すぐに看破してやる!」
王子は手に蒼い風を宿した。
「期待しているぞ、バハーダン!その薄汚い顔が、俺の風で蒼くならんようにな!」
そう言うとシュトルムは、すぐに自身にヘイストをかけ、笑い声をあげながら森の中へと入って行った。
「はははっ!………」
オークの将軍は森を目の前にして止まった。
「追いつくのは無理か……」
そして彼の心に怒りが込み上げてきた。
「あと少しだったってのによ……くそう……くそっ!ちくしょー!!」
斧を森の木に叩き付けた。
そしてバハーダンは、王子に向って叫んだ。
「絶対に殺してやる……殺してやるぞ!風の王子よ!お前のその体を赤く染めあげてやる!」
部下が話しかけた。
「将軍……どうなさいますか?」
話しかけられた彼は叫ぶことで冷静さを取り戻し、考えていた。
(あいつら……なぜあんなに魔法の威力が上がったんだ?……おかしい……)
そしてある事を思い出した。
(……そうだ……あの青緑の羽根虫みたいな奴が大量に来やがってからだ……あれのせいで全てがおかしくなったんだ………あれは……確か……シルフって奴だったな……戦場でたまに飛んでやがった奴だ……)
そこでバハーダンは気づいた。
(―――そうか!……あいつら……風の加護を取り戻しやがったのか!?)
彼は森の先の空を見つめた。
(向こう側に、シルフォードがいやがったのか!?……それしか考えられん……しかし……なぜ、今まで封印を解かなかったんだ?)
風の神が彼らの領域にいたのなら、なぜ彼らは、すぐにシルフォードを解放して、力を高めなかったのか?
バハーダンは、その事を疑問に思った。
(そうしてりゃあ……俺達に負け続けることはなかったはず……)
そして彼はある結論に至った。
(恐らく……あいつらは出来なかったんだ……ずっと……しかし……この戦いの中、出来るようになった……それはなんだ?……向こう側で一体……何が起こっている?……)
バハーダンは考えたが、それ以上は分からなかった。
(これ以上は、考えてもしょうがねぇな……)
部下に命令を下すため、彼は振り返った。
「おい、本国へ連絡をしろ!……青き鳥は、加護の風を得て……再び草原の空を飛翔し始めたと!……」
「はっ!」
そして彼は、全ての兵に命令した。
「奴らの反撃に備えるため、最低限必要な人員を残し、後は全てを後退させる!」
側近の一人が尋ねた。
「せっかく、ここまで奴らを追い詰めたのに、ここを放棄してよろしいのですか?」
バハーダンは答えた。
「お前の言いたい事も分かるが、兵站や補給路の問題がある……ゼナーグを倒せると聞いて、勢いでここまで来てしまったからな……ここに長居はできん。後方へ下がり、増援の援軍と共に、より強固な場所で風を得た奴らと対峙すべきだ」
将軍の言葉に彼は納得したようだった。
「承知致しました……よし、撤退を開始するぞ!」
側近の男がそう叫ぶと、オークの兵はすぐにこの場から去って行った。
去り際、バハーダンは一瞬振り返り、シュトルムの帰って行った場所を見つめた。
(風の加護か……くそっ!手強くなりそうだぜ……)
しかし、バハーダンは表情を緩めた。
(だが……俺はお前の策を見破る事は出来る……クックック……)
オーク達は、本格的に撤退を開始した。
【ウィンドバースト】
風の中級魔法。
詠唱によって二つの風の球体を生み出し、それを合わせる事で、その場に力強い吹き飛ばす破裂の風を出現させる。
相手に切りつける傷も与えるが、一番の効果は吹き飛ばす事にある。
また、この魔法は『合成魔法』として使用することが出来た。
これは『合体魔法』とも呼ばれ、一つの魔法を二人以上で唱える事で、威力や大きさを高めることが出来る魔法である。
「うっ……」
森の中、バイコーンに乗った王子は、突然体をふら付かせ、片手で顔を覆った。
隣にいたラツカは、慌てて彼に近づいた。
「王子!」
「すまん、ラツカ……少し魔力を使い過ぎたようだ……」
ラツカには、その理由が分かっていた。
「バーストの魔法に、かなり魔力を込められていたので、心配はしていたんですが……やはり……」
彼の心配する顔を見たシュトルムは突然、邪悪さを秘めた笑顔で、ラツカに話しかけた。
「ふっふふ……俺は……悪い王子なんだ……」
「?……」
ラツカが不思議な表情をすると、王子は崩れるように馬から落ち始めた。
「―――!?」
ラツカはすぐに、ユニコーンから降り、倒れこんできた王子を抱きかかえた。
「シュトルム王子!」
周囲の騎士達も驚き、声を上げた。
「王子!?」
「どうなされました!?」
ラツカは、彼の顔を見た。
(おや……これは……)
そして気づいた。
「大丈夫です……どうやら魔力を消費し過ぎて、一時的にこうなってしまわれたようです……」
その言葉に、周囲の者達は安堵した。
「そうですか……」
「良かった……」
ラツカもまた、安堵のため息をついていた。
「ふぅー……本当に……悪い王子様です……最後まで心配をさせるんですから……ですが……」
王子の表情をみると、その顔は晴れやかだった。
(王子の魔法で多くの者が助かりました……感謝致します……蒼き風よ……)
ラツカはシュトルムが、こんな状態になるほど魔法に魔力を込めた理由を考えた。
(バハーダンに後れを取った事が、凄く悔しかったんですね……ずっと……一矢報いてやりたいと……そう思われていたのだから……)
幼き日からずっと側で見てきたラツカには、王子の気持ちが痛いほど分かった。
オーク達にただ負けていくだけの日々。
ようやく成人し、騎士となっても、オークの将軍は彼らの行く手を阻んできた。
失っていく領土と人々。
民を率いる王子として、シュトルムが何度も思った悔しいという気持ちを共に感じていたラツカは、彼を支える手に力がはいった。
(僕が悔しかった以上に……君は悔しくて……苦しかったんだ!)
ラツカ・シェルストレームは、主である風の王子に仕えて良かったと、心から思った。
(シュトルム……君は王子として……良くやっているよ……だから、僕も……君を……)
彼は心の中で、風の誓いをした日を思い出し、改めて誓いを立てた。
(この命ある限り……君の翼の一つとなって……共に行くよ……)
安心した彼らは、先へ進んだ。
しばらくして、彼らの前方にある木々の奥から集団がやって来る音が聞こえた。
先頭を進んでいた部下の一人が叫んだ。
「ラツカ副長!何者かが、前方から来ます!」
ラツカは、すぐに動いた。
「王子を荷馬車へ!」
部下に主を託すと、ユニコーンに騎乗し、剣を抜いた。
「騎士達は前方へ!ラズリーン殿!魔法の援護をお願いします!」
彼女は、既に部下達に魔法の準備をさせていた。
「分かりました!」
返事をすると、マナサーチが飛んできた。
「―――マナサーチ!?……」
ラツカは、命令をした。
「こちらもサーチを!」
すると謎の集団は猛スピードで近づいて来て、既に彼らの視界に入っていた。
それを見たラツカは、叫んだ。
「―――目の前だ!私の合図と同時に、攻撃を開始する!」
そして片手を上げた時、ラツカの視界に見覚えのあるものと旗が見えた。
(―――あれは!?……ユニコーンの騎士達……そして……青い鳥の旗……)
次々他の者達も、相手が誰であるのかに気づいた。
(あれは……)
「おい……あれって……」
ラツカは手を下げた。
「友軍のようです……戦闘状態を解除!」
部下達が胸を撫で下ろす中、彼らはやって来た。
「ラツカ!」
先頭にいたラツカに、声がかかった。
彼は、その人物を見た。
「……宰相閣下……」
相手はラツカの父親、レイオス・シェルストレームだった。
すぐにレイオスは、王子の事を尋ねた。
「シュトルム王子は、ご無事か!?」
「はい!今は少し後ろで、休まれておられます……」
彼は父に事情を簡潔に話した。
「なるほど……分かった……後は我々に任せ、お前は王子を陛下の下へお連れしろ!」
「はっ、了解しました!」
レイオスは頷くと、王子と共に戦っていた者たちへ声をかけた。
「よくぞ、祖国へ戻ってきた!お前達も知っているだろうが、我々ハイエルフは風を取り戻した!この事は陛下も存じておられる!後は我々に任せるのだ!良くやった!さあ、胸を張って帰国せよ、風の勇者たちよ!」
彼の言葉に多くの者が肩を抱き合って喜び、そして涙を流す者もいた。
ハイエルフ達が帰国できる事に喜んでいる中、レイオスはラツカに近づくと、小さな声で話しかけた。
「お前も……よく無事で帰ってきた……」
言葉をかけて貰えると思わなかったラツカは、驚いた表情でレイオスを見た。
(えっ………)
そこにあったのは、無事に帰ってきた息子を喜ぶ、優しい父親の笑顔だった。
夕日の色に染まり始めた光が、木々の隙間から射し込み、二人だけを静かに照らしていた。
風の騎士となってから、レイオスはずっと厳しくラツカに接していた事を彼は思い出した。
「王子の隣に居続ける事は、容易い事ではないぞ、ラツカ!」
「はい!分かっています」
「私は……陛下と国のために命を捨てる覚悟だ。お前もその覚悟を持つのだ……良いな?」
「はい!」
その日々を思い出しながら、彼は父を見ていた。
(いつ以来だろう……笑った父を見たのは……だけど……)
ラツカは心から嬉しく思った。
母を亡くし、父が宰相として誰にも言えないものを抱えながら苦悩する日々を見てきた。
そこに笑顔は、ずっとなかった。
(今日は……忘れられない日になりそうだ……)
ラツカは、宰相レイオスの息子として自信に満ちた笑顔で答えた。
「……はい!(父さん……)」
それは親子の会話としては非常に短く、一瞬の出来事だった。
しかし、この親子にとってはこれで十分だった。
レイオスは普段の表情に戻すと、連れてきた部下に向って叫んだ。
「バハーダン達が引いたようだ!残っているタロスとエンキドゥの回収を!それから、まだ息のある者がいるかもしれん、すぐに向うぞ!」
「はっ!」
レイオス達は、すぐにこの場を去って行った。
夕日に照らされ、ユラトとフィセリアは、岩山の出口から出ていた。
「全く!これじゃ、どっちがご主人様なのよ!」
ユラトは魔力を使い過ぎたため、自力で歩く事が出来なかった。
そのため、王女に肩を貸してもらって歩いていた。
ユラトは苦笑いをして答えた。
「はは……すいません……だけど……本当に……きつくて……」
彼女は、ユラトが何度も禁呪などの魔法を使用した事を思い出した。
「(……そうだったわね……)ま、今回だけは、許してあげる……」
「それは……どうも……」
二人は大きな石畳の道へ、やって来た。
そこは十字路なっていて、周囲には民家があり、東へ行けば王城、西は人々が住む居住区へ、北へ行けば外へ出る門のある場所だった。
「やっとここまで来れたわね……」
「はい……あっ!」
ユラトは北の道から多くの人々と共に、やって来る者達を見つけた。
「フィセリア様……」
話しかけようと顔を向けると、彼女は既に気づいていたらしく、表情を輝かせていた。
やって来る者に向って手を振り、大きく声を出した。
「―――シュトルム!ラツカ!」
沈む太陽の光を受け、風の騎士達は、橙色に身を染めて帰ってきていた。
王子は途中で意識を取り戻したため、すぐに愛馬に再び騎乗していた。
ラツカが最初に気づき、王子に話しかけた。
「王子!フィー様とユラト殿です!」
ついに彼らは約束通り、再会を果たした。
シュトルムは他の者達をしかるべき場所へ移動するよう命令をすると、疲労の色をにじませた顔で二人に話しかけた。
「二人とも……ふふ……中々良い姿だな……」
フィセリアが慌てて答えた。
「あっ!これは……この男がだらしないから、仕方なくよ!置き去りにしたら、目覚めも悪いし!」
その言葉を聞いたユラトはムッとした表情で、彼女に話しかけた。
「あのですね……俺はあなたの剣を出す為に……」
「何よ、それ……私が悪いみたいじゃない!」
ユラトは感情を抑えられなかった。
「ええ、そうです!あなたのせいです!」
そう言われたフィセリアは、目を丸くしていた。
「なんですって!?」
彼女が反論しようとする前に、ラツカが間に入ってきた。
「フィー様!とにかく、お二人と再会できた事を私は、嬉しく思います!」
「何よーラツカ!」
するとシュトルムは夕日の空に向って、笑い声をあげた。
「あはははは!」
そして二人に話しかけた。
「お前達は相変わらずだな……おかげで疲れが飛んだぞ……ははっ!(この二人……少しは進展しているようだな……ふふ……)」
王子のそんな姿を見たフィセリアは、これ以上言うのを止めた。
「……はぁ……もういいわ……これ以上は疲れるだけだし……」
ユラトも同じ気持ちだった。
「ですね……」
そしてラツカが馬車を連れてきていた。
「お二人とも、城までこれで行きます。どうぞ!」
ユラトとフィセリアは、すぐに乗り込んだ。
「助かります……」
「ふぅ……疲れた……」
王子とラツカは自身の馬で城まで行くらしく、馬車の外で走っている姿が見えた。
城までの道を移動していく中、多くの国民が王子の帰還と風の再生に喜んでいた。
人だかりが出来ている場所もあって、声がかけられていた。
「王子!」
「聞きましたぞ、王子!風が戻ったと!」
「ありがとうございます!」
「蒼き風よ!良くご無事で!」
シュトルムは笑みを浮かべて片手を挙げ、それに答えていた。
「皆よ、感謝するぞ!」
隣でユラトが目を閉じ、休んでいる間、フィセリアは羨ましそうに、それを眺めていた。
(シュトルム……あなたはやっぱり……選ばれた運命の者なのよ……じゃあ……私は?……)
彼らは城に戻った後、王と会い、いくつか話をした。
感謝や労いの言葉がほとんどで、彼らが疲労している事を感じ取った王は、すぐに話を終えた。
その後、ユラトは体を休めるため、滝の裏にある王家の隠れ家にあった一室へ戻っていた。
彼はベッドに寝転ぶなり、すぐに深い眠りについた。
(駄目だ……何も……考えられない……今はただ……休みたい……エル……おやすみ……)
そして彼の命を懸けた長い一日は、ようやく終わった。
次の日、ユラトはフィセリアに起こされ、目覚めた。
「こら、ユラト!さっさと起きなさい!」
ユラトは、両腕を伸ばしながら上半身を起こした。
「う、う~ん!!……」
彼女はパンと黄色い果物と飲み物を持ってきていた。
すぐにそれを近くの机に置くと、ユラトに話しかけた。
「朝食よ!シュトルムが、あなたに話したい事があるの。だから早く食べて!」
ユラトは朝の穏やかな白い光の射す、窓の先にある景色を見た。
既に日は高く昇っており、流れ落ちる滝に光が当たり、それが部屋へ入っていた。
外では農作業を始めているウィスプ達がいた。
「もう……朝……なのか……」
フィセリアは部屋の出口に立った。
「終わったら、ウィスプに温泉に連れて行って貰って!そして身だしなみを整えて、それから出口の船着場へ来るのよ!王城に行くのだから臭くて汚いのは駄目よ!わかった?」
ユラトは眠気をなんとか飛ばし、勢い良く起き上がって答えた。
「はい!」
そして木の実が入ったパンに手を伸ばした。
「……美味い……木の実が香ばしくて……ふわふわだ……」
食事を頬張るユラトを一瞬チラリと見ると、彼女はぼやきながら、部屋を出て行った。
「ウィスプに全部頼めば良いのに………なんで王女である私が……あいつなんかに…………」
穏やかな日常が、そこにある事を嬉しく思いながら、彼は朝食を食べた。
(ここは心が落ち着く……良い眺めだな……)
そして朝食を食べ終え、汲み上げられた温水が溜まっている温泉へ彼は浸かり、身支度を整え、船に乗り込み、王城へとたどり着いた。
王の間に国王ゼナーグが王妃と共にユラトを待っていた。
周囲には、国の重鎮と思われる人々がいた。
皆、男は鎧の上に青いコートを羽織り、女は煌びやかなドレスやローブに身を包むという正装をしていた。
そして王の近くにはシュトルムとフィセリア、少し離れてレイオスとラツカが控えていた。
(王子の話だけじゃないのか……この雰囲気……俺一人だと……ちょっと緊張するな……)
そう思いながらユラトは王の近くへ、たどり着いた。
すると王と王妃は玉座から立ち上がった。
(えっと……そうだ!)
ユラトは彼らの挨拶を思い出し、すぐに風の敬礼をした。
王は僅かに目を細め、答礼をしてきた。
緩やかな風がユラトの下へやってきた。
王は穏やかな声でユラトに話しかけた。
「……冒険者よ、昨日は軽い言葉で終わらせたが、今日は正式にお前に礼を言おうと思ってな」
ユラトは恐縮した。
「いえ……俺は冒険者として頼まれたクエストを、ただこなしただけです……」
「ふふ……お前がそう思っても、我々はそうは思っておらん……お前は、この国に途方もない恵みをもたらした……」
ゼナーグは息子へ顔を向けると、威厳に満ちた声で彼の名を呼んだ。
「シュトルム!」
王子は、すぐに返事をした。
「はっ!」
彼はユラトに歩み寄ると、懐から文字の書かれた紙を取り出し、それを澄んだ声ではっきりと読み上げていった。
「人間の冒険者ユラト・ファルゼイン!貴公は、我々の同胞ウッドエルフと共に苦難の末、ここへたどり着き、彼らをこの国へ導いた!そして……我々の長年の悲願であった風の神シルフォードの解放を、王女フィセリアと共に見事に達成した!この功績は、他に類を見ない程の功績である!……よって、我々から貴公に対し、『ワールウィンド』の称号を与え、帝都へたどり着いた暁には、男爵の地位と領地を与える事を―――ここに宣言する!」
「えっ!?……」
突然の事にユラトは驚いた。
王子は笑みを浮かべながら、彼に話しかけた。
「……不服か?」
ユラトは慌てて答えた。
「―――いえ!そうではなくて……部外者の俺なんかが……爵位と領地を頂くなんて……恐れ多いって思いまして……」
そんな彼を見た王が優しく話しかけてきた。
「お前は、この国だけではなく、全ての風の民のために命を懸けて風を取り戻してくれた……それに対する心からの礼だ……」
部屋にいる全ての者が、ユラトを見ていた。
(うっ……どうしよう……)
彼は戸惑いながらも自分の意見を言った。
「えっと……クエストの報酬と称号と言うのは頂きます……ですが……爵位と領地については考えさせてください……」
すると、周囲の人々が少しだけざわついた。
フィセリアは、彼を睨みつけていた。
(あの馬鹿!……非礼に当たることがわらないの!?)
どうやらユラトの言葉はハイエルフ達にとっては、良くない事のようだった。
(しまった……なんか不味いことを言ったみたいだ……)
しかし、レイオスが叫ぶと、彼らはすぐに静かになった。
「皆よ、静粛に!」
シュトルムが、王に向って話した。
「父上、彼は人間なのです。我々の慣習を押し付けるわけにはいきません。それに……我々はまだ、帝都にたどり着いていないのです。彼の言う通り、考える時間を与えてやって下さい」
王は少しだけ笑っていた。
「ふふ……そうだな……少し気が早すぎたか……許せ……ユラト・ファルゼイン……」
「いえ!こちらの方こそ……なんか……失礼があったみたいで……すいません……」
王は静かに話した。
「気にせんで良い……それより……私は少し休む……体調が相変わらず良くなくてな……後は我が息子より、話を聞いてくれ……」
そう言うとゼナーグ王は、王妃と共に歩き出した。
王に向ってユラトは、感謝の言葉を述べた。
「はい!過分なる報酬、感謝致します!ゼナーグ王!」
王は僅かに笑みを浮かべて頷いた。
ユラトは去り行く王に向って、更に声をかけた。
「頂いた称号の名に恥じぬよう、日々精進して参ります!」
王は片手を挙げ、部屋を出て行った。
そして彼に、クエストの報酬が渡された。
金貨の入った袋と風銀の鎧を正式に彼は受け取った。
金貨は重さからすると、それなりにあるようだった。
(結構あるぞ?……)
ユラトは思っていたよりも遥かに高い評価をしてくれた事を、ありがたく思った。
(ここにたどり着いたのは、みんなのおかげだし……風の解放も王女が居ればこそだったんだ……それなのに……こんなにいいんだろうか?……)
そんな彼の様子を察したラツカが話しかけてきた。
「ユラト殿、あなたは見事、功を成したのです。どうかお納め下さい」
ラツカにそう言われたユラトは、素直に受け取ることにした。
「はい、わかりました……」
すると騎士の一人が部屋に入ってきた。
「王子!」
王子はその騎士と話をしていた。
「前線を調べていた者が帰ってくるようです!」
「……そうか……分かった!」
シュトルムは、ユラトに話しかけた。
「ファルゼイン、後で話がある。フィーに案内させるから、そこで待っていてくれ!」
「はい!」
ユラトが返事をすると同時に、フィセリアが淡い水色のドレスの裾を持ち上げ、急いでやって来た。
「嫌よ!シュトルム!」
王子は振り返って、妹に話した。
「フィー、お前にしか頼めないんだ」
彼女は兄を睨み付けた。
「なんで私ばっかり……朝も私に頼んだじゃない!」
それを見たラツカが二人の間に入った。
「私が、ご案内しましょうか?」
「お前は、俺と共に前線の話を聞かなければならないだろ」
見かねたユラトが王子に話しかけた。
「あの……俺は別に誰でも構いませんが?……」
そう言われたシュトルムは、諦めたようにため息をついた。
「ふぅー……しょうがない奴だ……ならば……」
すると、フィセリアは何かを思い出した。
(そうだった、忘れてた!)
彼女は突然、自分が行くと言い出した。
「わかった……私が連れて行くわ……仕方ないから!」
王子とラツカは目を合わせた。
「………?」
シュトルムは妹に話しかけた。
「……どう言うつもりか、分からんが……まあいい……俺はすぐに行く。後は任せたぞ!」
「ええ……」
そして王子とラツカは騎士と共に、部屋から出て行った。
周囲にいた者達も既に外へ出始めており、この部屋には二人と僅かな兵士のみとなっていた。
フィセリアはユラトの近くへ来ると、彼に話しかけた。
「それじゃ、行くわ。こっちよ!」
「はい……」
王の間の近くにある扉の奥へ、二人は進んだ。
すぐに二階へと続く階段へたどり着き、そこを上っていくと、今度は廊下を進んだ。
すると、いくつか部屋が見えた。
地図がテーブルに置かれ、その上に小さな兵士の人形が無数に置かれた部屋、兵士達が休憩している部屋、武器や防具が積まれた部屋などがあった。
(なるほど……こっちは、こういう風になっているのか……)
興味深げに見ながら奥へ進むと、また階段があった。
そこへ二人は、上って行った。
すると、終始無言だった彼女が突然話しかけてきた。
「私……冒険者になろうと思うの……それで……どうすればいいのか、教えてくれない?」
「えっ?……」
ユラトは気を抜いて階段を上っていたので、少し間抜けな表情で答えてしまっていた。
そのため、それを見た彼女はユラトが自分を小馬鹿にしたのだと思った。
フィセリアは、彼を睨んだ。
「なによ!……可笑しいって言うの!?」
慌てて彼は否定した。
「いえ!……突然だったもので、驚いているんです……」
「そう……ならいいけど……」
彼女は、疑いの眼差しを向けていた。
(こいつ……絶対、変だと思っているわね……)
(そんなつもりはなかったんだけど……変な答え方をしてしまったかな?……)
そして二人は3階にある、外の景色が見える部屋へとたどり着いた。
丸い木のテーブルといくつかの椅子、上には重しをのせた地図が置かれていた。
また外側を見ると、周囲の景色が見えるように、全ての壁に両腕を広げたぐらいの大きさの円形の穴があった。
青い鳥の模様がはいった木の扉が付いている事から、閉じることも出来る様で、今日は晴れているためか、全ての穴は開けられ、そこから心地良い風が光と共に部屋の中へ入り、全体を明るくさせていた。
ユラトとフィセリアが椅子に座ると、どこかからウィスプが現れ、陶器のティーポットとカップを持ってきた。
そして紅茶が注がれる中、フィセリアは話を続けた。
「とにかく……私は、本気だから!」
「フィセリア様……(本当に行く気なのか……)」
ユラトは彼女の真剣な眼差しに押されながら、冒険者について話すことにした。
「……分かりました……じゃあ、少し話しますね……」
一方、前線から戻った騎士の一人から話を聞き終えたシュトルムとラツカは、今後の方針について話し合っていた。
そしてある程度結論が出たとき、町の方から兵士が一人やって来た。
「王子!風の神殿の下側にある岩山の中で発見されたダンジョンから、古代の冒険者と思われる屍が発見されました!」
ゼナーグやシュトルム達は昨夜、フィセリアから今回のクエストをどのように果たしたのか聞いていた。
そして謎のダンジョンの事も聞いていたため、すぐに兵士を数名送り、調査に向わせていた。
王子は表情を曇らせた。
「夢の半ばで倒れていった者か……何百年も日の目を見る事も無く……哀れな……丁重に葬ってやれ……」
そう言われた兵士は返事をすると、後ろに連れてきた兵士に声をかけた。
「はい!……それから……おい!あれを王子にお見せするんだ!」
しばらくして、一人の兵士が数匹のウィスプと共に現れた。
シュトルムがやって来たウィスプを見ると、それぞれが何かを持っていた。
「ん……」
王子の目の前にある地面に、それは次々置かれていく。
「これは……」
王子とラツカが、それらを見つめていると、先ほどの兵士が説明をし始めた。
「王子、これはその冒険者が身に付けていた装備です。全ての物に、何らかの魔法の効果があるようでして……それで、何か使える物は無いか、王子に確かめてもらってから、埋葬をしようと思いまして……」
地面に置かれていたのは、鎧や兜にブーツ、ベルト、盾と武器、ネックレスや宝石の付いた指輪などがあった。
どれも、保存状態は良く、比較的新しい物のように見えた。
王子とラツカは、それらをしばらく見ていた。
「う~ん……俺はこういった物については、あまり詳しく無いからな……だが……どれも、中々良い物のようだ……刻まれたルーンから強い魔力を感じる……」
「そのようですね……かなり上質のルーンを使用しているようです……有名な冒険者だったんでしょうか?」
「さあな……」
ラツカが、その中から一つを手に取った。
「王子……この武器は……?」
王子は彼が手に持つ物を見た。
「ほう……これは……」
棍棒のような物で、先端に棘の付いた球があって、その部分だけ白い輝きを強く放っていた。
「……武器に関する本で見たことがある……確か……『モーニングスター』と言われる物だな……俺達が使わない武器だ……」
【モーニングスター】
この世界では打撃用の武器で、棍棒やメイスの一種である。
基本は先端部分に棘の付いた球体があり、それで敵を叩き、ダメージを与え、分厚い金属の鎧で身を包んだ者にも、痛手を負わせる事ができる。
様々な形や種類があり、先端に鎖や革紐をつけ、その先に棘の鉄球をつけた物もある。
先端部分の棘のある球体を、『夜明けの明星』に見立てた事から、この名が付いたと言われている。
また、『フレイル』と呼ばれる、鎖の先に棒状の物や錘の様な物をつけた打撃武器も存在する。
モーニングスターと呼ばれる武器を見た王子の頭の中に、何か引っかかりが生まれた。
(……なんだ?……この心に引っかかるものは……)
彼は色々記憶を思い出していた。
前線の状況、人間の冒険者、やがて来る援軍、そして目の前にある、夜明けの明星と言われる武器。
独立したそれぞれが膨らんでいき、何かが描かれた、いくつかの絵の切れ端がシュトルムの中に舞い落ちてきた。
(なんだと……言うんだ……)
それは回転しながら頭の中で組み合わさっていく。
まるで、あるべき場所が存在したかのように。
(見えてきた……少しずつ……)
ラツカは武器を食い入るように見つめながら、その場に立ち尽くす王子を見ていた。
(王子……どうかなさったのか?)
彼が見つめる中、風の王子の脳裏に吹き上がる蒼い風が吹き、バラバラだった絵は一気に本来の姿へと戻った。
「―――っ!」
そこでようやく王子は瞳を見開き、武器を握り締めると、小さく呟いた。
「……―――見えた!……かもしれん……」
ラツカは不思議そうに彼を見ていた。
「……王子?」
シュトルムはモーニングスターを掲げ、先端部分を太陽に重ね合わせると、それを見ながらラツカに話しかけた。
「ラツカ……これは俺達にとって、正に夜明けの明星となるやもしれんぞ……」
武器の先端部分は、後光が射したかのように輝いて見えた。
気になったラツカは尋ねた。
「王子、何をお感じになったのか、話して頂けますか?」
シュトルムは野心に満ちた光を瞳に宿すと、その目でラツカを見ながら、彼に話しかけた。
「援軍が到着次第、再びバハーダンに戦いを挑む!」
その言葉に彼は驚いた。
「ですが王子!我々は、まだ……」
シュトルムは王城へ向って歩き出した。
「ちゃんと理由は話す……」
そして王城にいる黒髪の冒険者の事を思い出した。
「だが……成功するかしないかは……あの男次第だがな……ふふ……」
ラツカは後に続いた。
「冒険者に戻ると仰っていましたが?」
シュトルムは道の先にある王城を見上げた。
「あいつには悪いが……あと少しだけ俺達に協力してもらう……」
(ユラト殿……)
ラツカは昨日、ユラトと話した際に彼が故郷を嬉しそうに話していた事を思い出していた。
(……申し訳ありません……ユラト殿……あと少しだけ……我々に力を貸してください……)
王子は静かにラツカの名を呼んだ。
「ラツカ……」
「どうしました、王子?」
ラツカが尋ねると彼は、寂しげに答えた。
「……昨日の戦いはファルゼインとフィーがいたから、なんとか助かっただけだ……俺の策は奴に読まれていた……」
「……確かに奴は……我々の行動を読んでおりましたね……」
シュトルムは悔しさを滲ませながら、ラツカに話した。
「戦術上で勝ったとしても戦略上で負ければ意味が無い……俺は本来、バハーダンに自身の考えた策を使って、奴を倒さねばならんのだ……今回のような結果では駄目なんだ!……俺がもっと良い策を講じていれば、助かった者も大勢いたはずなんだ……」
そう言うと彼は元気をなくし、落胆しながら歩いていた。
(シュトルム……)
僅かに肩を落とし、王城へ向うシュトルムに向って、ラツカは声をかけた。
「王子、そう気を落とさないで下さい!……あの時……我々には、風の加護が無かったのです……戦の経験も奴の方が遥かにありました……そして誰も知りえなかった、あの赤い雨……大きな足枷を、その身に宿し、限られた時間の中で私たちは精一杯戦っていたのです」
少しだがシュトルムの心は、ラツカの言葉によって救われた。
「……そうだな……」
「そして我々は、本来の力を取り戻しました……これからですよ、王子!」
「ああ……分かっている……亡くなっていった者達のためにも、やってやるさ……」
二人は王城の入口にある、大きな白い階段を上っていた。
緩やかな風が二人の髪とマントをそよがせた。
「今日も良い風が吹いているな……」
「ええ……」
その風を感じながら上っていると、青い小鳥が階段の先に止まっているのが見えた。
二人は、その鳥を見た瞬間、同じ事を思い出していた。
それは幼い日に見た、フレースヴェルグの最後だった。
王子は階段の途中で立ち止まり、ラツカに話しかけた。
「ラツカ……必ず……帝都にたどり着くぞ……」
「はい!必ず、皇帝を決める儀式とやらに、間に合わせましょう!」
二人はやる気を漲らせ、お互いを見た。
(……俺は翼を持っている……どこまでも行ける……翼を……)
(シュトルム……必ず君を……風の玉座へと導こう……)
王子はラツカに話しかけた。
「あの草原地帯に……いや……世界に俺の蒼い風を吹かせてやる……」
「ええ……期待しております……蒼き風の王子よ……」
すると小さな青い鳥は、突然二人の目の前で世界樹がそびえ立つ、西の空へ向って飛び上がって行った。
シュトルムとラツカはマントを翻して振り返ると、その鳥を見つめた。
(そう……)
(あの時の……)
強く思いを込め、二人は同じ事を同時に心の中で叫んだ。
(―――フレースヴェルグのように!!)
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