第二十八話 風の戦い (前編)

ブラウフェダー王国の王の間で、白いローブに身を包んだ聖歌隊の歌声が響いていた。


爽やかな白い光が部屋に差し込み、神聖で荘厳な雰囲気で周囲は満たされ、王を中心に幾人かの人々が、そこに集まっていた。


ゆっくりと剣を抜き放ち、玉座から立ち上がったゼナーグが、目の前で頭を垂れながら片膝を地面につけ、屈んでいる、ある若い騎士の両肩に剣背を軽く触れさせると、その人物に問いかけた。


「ラツカ・シェルストレームよ……汝は、いつ如何なるときも……風の騎士として……この国に仕えるか?」


騎士は、すぐに答えた。


「はい、陛下!………王家と祖国に……我が命を風の騎士として捧げる事を、ここに誓います……」


そして、もう一人の人物が王と同じように剣を抜いてやってきた。


二人は、見つめ合った。


(ラツカ………)


(シュトルム……)



この日の前日。


ラツカは、シュトルムと話し合っていた。


「シュトルム……明日から僕は君と共に騎士団の一つを支えるよ……」


「ああ、頼むぞ!」


「そして明日からは……君の事を『シュトルム王子』って呼ぶことにする……」


シュトルムは、その言葉に違和感を覚えた。


「なぜだ?今まで通りでいいだろ?」


「君は王子で……僕は部下の一人……無理だよ……それは分かっているはずだ……」


蒼き風を放つ王子。


彼はついに成人し、騎士団の一つを晴れて率いることになった。


人々の期待は、彼の想像を遥かに超えるものがあった。


父と母と妹でさえ、彼をマウリスの生まれ変わりだと、信じて疑わなかった。


過剰な期待、多くの者の羨望の眼差し、そしてその先にある大きな夢を、彼らはシュトルムに見ていた。


そう見られる事で彼は孤独の中にいた。


しかし、初めて対等の友人であるラツカと知り合ってから、シュトルムは、それらを忘れることができた。


そしてラツカの言葉を聞いた王子に再び、その時の孤独や寂しさが訪れた。


「ラツカ………お前まで……」


友人の寂しげな表情を見たラツカは、諭す様に彼に話しかけた。


「そうじゃない、シュトルム……君と僕は、今までと同じさ……呼び方や話し方が変わっても……何も変わらないよ……僕と君の目指す夢も関係もね……」


シュトルムは少し考えてから友に尋ねた。


「そうしないと、俺の隣に居続ける事が出来ないって事だな?」


「うん……ここから先は、君の部下にならないと無理さ……」


シュトルムは自分の心の中にある、孤独と寂しさを握りつぶした。


「わかった……だが……約束しろ!……お前は俺の夢を達成させるために、その身を捧げると……」


「ああ……誓うよ……君の騎士になる時に……君の友人であり続けることもね……だから君も、風の玉座に必ず座るんだ……」


「ああ……まかせておけ……」


そして二人は、互いの腕を力強く交差させた。



王の間でシュトルムがラツカの肩に剣を触れさせ終えた。


(お前がいるならばどこまでも飛んで行ける気がする……)


そしてシュトルムは、友の名を叫んだ。


「ラツカ・シェルストレーム!」


ラツカは彼を真っ直ぐに見つめながら答えた。


「はっ!」


シュトルムは、ほんの少しだけ、昨日感じた孤独を思い出した。


(俺は……)


やや硬い表情で彼は、ラツカに問いかけた。


「お前は……我が騎士団の副団長となる。その覚悟はあるか?」


「はい!シュトルム王子!」


「よし、ではここで誓え!」


ラツカは誓いの言葉を口にしながら立ち上がると、風の敬礼をし、シュトルムに向けて風を送った。


「我が命は……シュトルム・フレーヴェンと共にあることを、ここに誓います!」


「―――!?」


王子の下へ送られていた風は、通常よりも強い風だった。


シュトルムは、その風を正面から受けた。


「………」


風によって髪がふわっと浮き上がった後、サラサラと流れていく。


部屋に差し込んでいた白い光にそれが当たると、王子のプラチナブロンドの髪はキラキラと眩しく輝いた。


まるで風の王冠をかぶっているかのように、それは見えた。


シュトルムは表情こそ変えなかったが、ラツカの思いに気づいた。


(ふふ、こいつめ……俺が昨日の事を思い出して、硬い表情をしている事に気づいたな……)


シュトルムの目に力強さが戻った。


(お前はいつもそんな奴だよ……だから俺は……)


力強く友を見つめ、彼は王子として威厳に満ちた声を発しながら、風の答礼をした。


「風の騎士ラツカ・シェルストレームよ!我が蒼き風を生み出す……―――翼となれ!」


       ラツカがシュトルムを『王子』と呼んだ日より。


「いった……たたた……」


「うう……」


暗い階段に二人の人物が倒れ、苦しそうに呻き声を出していた。


一人は人間の青年で、もう一人はハイエルフの女性だった。


青年は彼女を抱きかかえるように、階段に倒れこんでいた。


「まさか……あんなに……凄いなんて……」



ここはブラウフェダー王国の中心地にある、風の神殿の入口から少し離れた場所で、先ほど大きな爆発があり、周囲は煙で満たされていた。


そして、それは人間の冒険者ユラト・ファルゼインが放った禁呪によるものだった。


ユラトは離れた場所で禁呪を使用したが、爆風によって先ほど上って来た空洞の中へ飛ばされてしまっていた。


ユラトの腕の中にいたフィセリアが突然叫んだ。


「きゃ……ちょっと!私に気安く触らないで!」


彼女は飛び跳ねる様に、ユラトのもとから離れた。


ユラトは大の字に寝ていた体を起こした。


「すいません……だけど……破片の一つがあなたに向ったので……思わず……」


そして彼は立ち上がった。


「だからって……」


立ち上がったユラトの背中を見るとマントの部分に、大量の赤い石の断片と思われる物が粉末状になって付着しているのが見えた。


「爆発があんなに凄いとは、思わなかったものですから……いたた……(当たったのが鎧の部分で良かった……)」


その量に彼女は驚いていた。


「あなた……それ……」


「鎧が防いでくれたみたいなんで、大丈夫です!」


そう言うと、ユラトはマントの汚れを手で払い落とした。


(私を……助けるために……)


彼女の心に少しだけ、変化が訪れた。


(これで二度目……)


一度目は岩山の入口でサソリに襲われた時だった。


(人間って……もっと利己的な奴らかと思ったけど……違うみたいね……)


この時、フィセリアのユラトに対する見方が僅かに変わった。


(ふーん……)


フィセリアは、礼を言う事にした。


「ま、不測の事態だったみたいだし……礼は言っておくわ……ありがと……」


「いえ……それより、入口を見てください!」


ユラトは突然の礼の言葉に戸惑いながら、自身が吹き飛ばした神殿の入口を指差した。


二人は、吹き飛ばされた場所を見た。


「入れそうね……」


「ええ……」


入口を覆うように存在していた半透明の赤い石は、ほとんど砕け散り、小さな小石や砂粒となって周囲に散らばっていた。


すぐにユラトとフィセリアは、その上を歩き、神殿の入口に向った。


タイルの敷き詰められた道は、赤い風の模様に変わっていた。


そして二人は入口に、たどり着いた。


「ここが……」


「神殿……」


二人が立っている場所の左右には、6枚の翼を持った巨大な白い像があった。


男女の像で、男は鎧を着て、女はゆったりとした服を着ていた。


手には、それぞれが剣と杖を持ち、男の像は剣を振り下ろす瞬間で、女の像は魔法を唱える寸前を思わせる格好をしていた。


入口の高さは、かなりあり、柱ほどではなかったが、それに近い高さがあった。


そして幅も、二人が両手を広げたとしても、届きそうには無いほどの幅だった。


ユラトは、中を見た。


(思ったより明るいな……)


中は外の光が差し込んでいた。


そして奥へと続く、真っ直ぐな道が見えた。


フィセリアが、中に向って歩き出した。


「ユラト、行くわよ……」


「はい……」


ユラトとフィセリアは慎重に中へと入り、すぐに剣を抜いた。


そして周囲を伺った。


(特に、何かがあるわけじゃないな……)


(何もないわね……)


中は埃一つ無い、綺麗な大理石のような床になっていて、上を見上げると小さい天窓がいくつもあった。


神殿内が明るいのは、そこから光が差し込んでいるからのようだった。


そして奥に向って歩いていると、フィセリアが何かを見つけた。


「……ユラト……あれを見て!」


ユラトは彼女が指差す、通路の先の周囲を見た。


「ん………」


そこを見ると通路の両側に、今にも動き出しそうな迫力のある、様々な鳥の彫刻が道に沿って整然と並べられているのが見えた。


大きな鳥の魔物から小さな小鳥まであり、全てに彩色がなされ、遠くから見ると、剥製のようにもみえた。


「これは……」


ユラトは慎重に近づき、剣で彫刻を軽く突いた。


「………」


石膏の塊を突いているような硬い感触があった。


特に動く事もなく、魔力を感じることも無かった。


「………普通の像みたいですね……」


反対側の像をフィセリアも調べていた。


「こっちも同じね……何かの魔物かと思ったわ……」


そして何かを思いついた彼女は、ユラトにそれをさせるために話しかけた。


「あっ、そうだ……念のため、他に何か無いか調べたいから、サーチをしてみて」


「わかりました……」


ユラトはすぐにマナサーチを神殿の中で唱えた。


「―――マナサーチ!」


すぐにユラトの元へ、周囲の情報がやって来た。


(………あれ……これって……)


調べ終えた彼は、フィセリアに話した。


「フィセリア様、この部屋には特に魔力等を感じる事はなかったんですが……」


「他の場所に何かを感じたの?」


「いえ……そうではなくて、俺のマナサーチでは、この部屋の状況しか分かりませんでした……どうやら、一つの部屋ごとに、何かの力で区切られているみたいです」


「部屋ごとにしろってことね……分かったわ、じゃあ先へ進みましょ」


「はい」


二人は、奥に見える部屋の入口に向って歩いた。


(もっと騒々しい場所かと思ったけど……静かな場所だ……)


(不思議な場所ね……何故か邪悪な感じはしない……それは私が風の民だからなのかしら………)


コツコツと二人の歩く音だけが、周囲に響き渡っていた。


外とは違い、風も無く静かで、なぜか神聖なものを感じさせる場所だった。


そして次の部屋へ行く通路に出た。


「ここは……」


ユラトの目の前に、ゆったりとした大きな階段が現れた。


5・6人が並んで歩いても歩ける幅があった。


後に続いて入ってきたフィセリアが感想をもらした。


「変わった階段ね……いや……階段なの?」


なぜ彼女がそんな感想をもらしたかと言うと、それは鳥の羽を幾重にも重ねたように見える、奇妙な階段だったからだった。


全てが色鮮やかで一つ一つが大きかった。


ユラトは、そこへ近づき、しゃがむと手をつけてみた。


「これって………」


彼女も気になったのか、やってきた。


「どうしたの?」


そして、触った。


「………本物の羽なのかしら?そんな手触りね……」


「そうですね……(これは本物なのか?)」


二人が感じたのは本物の鳥の羽のような、ふわふわとしていて弾力のある手触りだった。


そしてユラトは、その階段らしきものに足を乗せ、上り始めた。


「とにかく、奥へ行きましょう」


それを見たフィセリアも飛び乗った。


「ええ……」


すると、全ての羽の先がほんの少し揺れ始めた。


ユラトが、その異変に気づく。


(ん……)


すると突然、二人の足元すくうような、突風が吹いた。


「えっ……」


そして羽根の階段が上下に揺れ出した。


「うわっ!」


「な、何!?」


すると今度は、奥から力強い風が二人に向って吹き付けてきた。


それは、この通路から二人を押し出すような風だった。


「……くっ!」


風を受ける寸前、ユラトの胸元にあったフレースヴェルグの羽根が突然、コバルトブルーの羽根に変わり、蒼い輝きを放った。


それはフィセリアの物も同じだった。


「きゃああ!」


二人は、自分達が入ってきた通路の入口まで、飛ばされた。


こちら側に向って吹いてくる風を受けながら、二人は謎の階段を見つめていた。


「この階段は……」


「なんなのよ、突然!」


ユラトは、この階段について思い当たる事があった。


(これって……ひょっとして……)


無言で階段を見ているユラトが気になったのか、フィセリアは尋ねた。


「ユラト、何か考え込んでいるみたいだけど、これが何か知っているの?」


ユラトは、答えた。


「………恐らくですけど……これは『カスケード・トラップ』と言われるものです」


「カスケード・トラップ?」


「はい……冒険者の学校で習ったものと、似ているんです」


【カスケード・トラップ】


冒険者の行く手を阻む、ダンジョン等に良くあるトラップの一つ。


階段状の場所に、様々なものを滝のように流し、進入してきた冒険者を部屋から追い出すことを目的としたもの。


サンド・カスケードやウォーター・カスケードなど、様々な種類が存在する。


ユラトが遭遇したのは、『ウィンド・カスケード』と言われるものだった。



ユラトは、なぜか入ってきた入口へ向った。


「いったん、この部屋から出ましょう」


「……わかったわ……」


二人が元来た場所へ戻ると、すぐに風は止んだ。


そして目の前の場所は、先ほどと同じように、静かな空間に戻った。


「あの階段に上ると、作動するのかしら?」


「恐らくそうです……」


「厄介ね……じゃあ、どうすれば……」


ユラトは、考えた。


(あの風の感じ……それに学校で習った知識だと……)


ユラトは何かを閃いた。


(―――そうだ!)


考えたことを実行するため、ユラトはフィセリアに話しかけた。


「あの、ちょっとここで待っていて下さい!思いついた事があるんで!」


「えっ……」


ユラトは、神殿の出口に向って走って行った。


フィセリアは、そんな彼の背中に向って声をかけた。


「あっ、ちょっと!」


しかし、すぐに彼は、その場から去って行った。


「んもう!何をするか、ちゃんと教えなさいよ!」


フィセリアは、不機嫌そうに通路の入口近くにある壁に、腕を組んでもたれ掛かった。


そしてしばらく彼女は待つことになった。


「あいつ……逃げたんじゃないでしょうね………」


フィセリアがそんな考えを抱いた時、ユラトは帰ってきた。


「……お待たせしました」


待たされたと思った彼女は、皮肉を言った。


「何をしてたのよ……逃げたんじゃないかって思ったわ」


ユラトは、笑って答えた。


「はは、そんな事はしませんよ。それより、これを持って来ました!」


彼は、手を広げた。


すると、そこには赤い砂を固めた玉があった。


フィセリアには、見覚えがあった。


「これって……さっきの……」


「ええ、そうです」


それは入口を覆っていた赤い石だった。


ユラトは、それが砕け、砂粒になった物を集め、片手で握れるほどの大きさの玉にしていた。


「これを使って、風の動きが分かればって思ったんです。いくつか作ってきたんで、あの階段に投げてみます」


「なるほどね……わかったわ……やってみましょう」



二人は、すぐに階段の前にたどり着いた。


そしてユラトは、その赤い砂玉を階段の上部へ向って投げた。


「―――フンッ!」


彼の投げた赤い玉は勢い良く飛び出すと、階段の上部に当たった。


そして音を出して、砕け散り、赤い砂粒となって周囲に散らばった。


次々ユラトは、それを投げていった。


瞬く間に階段には赤い砂の粒が広がっていた。


「よし……(あとは滑らないように、気をつけて上っていかないとな……)」


それを確認すると、二人は階段に上ることにした。


「じゃあ、一気に行くわよ……」


「はい!」


そして二人は走って階段に飛び乗った。


(―――行くぞ!)


すると色鮮やかな羽根階段が、しなる音を出した。


その音を合図に最上段の場所から、風が生まれ始めた。


ユラトは、それを見つめた。


(あの場所から風が発生しているのか……)


そして赤い砂を巻き上げながら、小さな渦が6つほど現れた。


すると、その場所の空間が揺らぎ、今度は形状が球形になった。


ユラトは、それを知らせるため、隣で走っている王女に話しかけた。


「フィセリア様、階段の上の部分を!」


彼女は既に、その場所を見ていた。


「分かっているわ!(あれが、さっき私たちを追い出した風の正体ね……)」


駆け上っている二人に向って、それはすぐに転がり落ちて来た。


二人の元には既に強めの風が吹き付けていたが、フレースヴェルグの羽根によって、威力は抑えられていた。


そして6つの風の玉は、カスケードを転がり落ちる度に姿が大きくなっていった。


ユラトは、大きくなっていく姿を上りながら見ていた。


(不味いな……落ちる瞬間に、羽根先で跳ね上がっているみたいだ……その瞬間だけ、姿が把握できない……)


そして風の球体は、二人の目の前へやって来た。


カスケードの中間辺りで、それに二人は出会った。


(来る……)


風の玉は階段の中間地点だったため、人の頭よりやや大きい程度の大きさしかなかった。


そしてそれは大きく跳ね上がって、ユラトの数歩前の場所に落ちた。


(あっ……この辺りは砂が無いから……姿が見えない……)


駆け上りながら、フィセリアが叫んだ。


「どこよ!?」


その時、ユラトの左胸にある羽根の輝きが強くなった。


「(そうか、フレースヴェルグの羽根を見ればいいんだ!)―――今です、飛び上がって下さい!」


「わかったわ!」


そして二人が高く飛び上がると、強い風が背中を這うように吹き上がった。


マントを巻き上げながら、着地する。


上手く避けることが出来たため、ユラトは安堵した。


「ふぅ……危なかった……」


しかし、すぐにフィセリアが話しかけてきた。


「ユラト、安心はできないわよ!」


「えっ……」


彼は正面を見た。


「あっ……」


いくつもの風の玉が階段の上部で次々と生み出され、カスケードを跳ねているのが見えた。


「これは……」


「一気に上り切ってしまうしかないみたい……ぐずぐずしないで、行くわよ!」


「はい!」


すぐに二人は駆け上って行った。


上に行くたびに、玉は小さいため、避けやすくなっていった。


しかし、二人に吹き付けていた風は、強くなっていた。


そして、あと少しで上り切るところまで来た時、風は一番強くなり、前へ進みずらくなった。


「……くっ」


二人の髪やマントが風によってなびいていた。


吹き荒ぶ風の中を進んで行く中、ユラトは階段の終わりの側面の壁に点滅する光を見た。


(………あれは……?)


それは虹色に光る、長い鳥の尾羽だった。


壁に張り付くようにその羽根はあった。


(あれが……トラップを停止させる場所なのか?)


カスケード・トラップは、全てではないが、スイッチやボタン、魔力のある水晶球などを押したり、破壊したりすることでトラップを停止させることができる。


ユラトは、虹色の尾羽がこのトラップを停止させる場所だと思った。


(あそこを……どうにかして……そうだ!……)


彼は、停止の方法を思いつくと、苦しい表情で腕で顔を覆いながら前を進んでいるフィセリアに話しかけた。


「恐らく、あそこの虹色の羽根がトラップを停止させることができる場所です!」


フィセリアは、ユラトの指差す場所を見た。


「あんなものが……で、どうするの?前へ進むのでさえ……」


その時、風の球が二人の目の前を跳ね飛んできた。


二人は、それを左右に移動して避けた。


「おっと!」


「あぶ……ない……」


ユラトは、すぐに魔法を唱え始めた。


彼のその姿を見たフィセリアは、すぐにユラトが何をするのかを理解した。


「魔法で、あの場所を攻撃するのね……わかったわ!」


そして二人は先を進むと、ユラトは魔法を完成させた。


「……大地よ……魔弾を解き放て……―――ロックシュート!」


魔法の岩は風をもろともせず突き進み、見事、尾羽に命中した。


羽根は虹色の破片となって周囲に飛び散った。


「やったわ!」


「よし!」


ユラトが両腕を上げて喜んでいると、ちょうど彼の体に転がり落ちてきた風の球体が命中した。


「―――うっ!」


体に球がめり込み、そのまま宙に浮くと、ユラトを後ろへ押し出し始めた。


「うわぁ!」


それを見たフィセリアが、すぐに彼の下へ向った。


「あの、馬鹿!」


そして彼女は足と腕に魔力を込め、飛び上がると、彼の体を掴み、下へ引っ張った。


「くっ!」


ユラトを地面に叩きつけるように落とした。


「う゛っ!」


彼が地面に落ちた時、ちょうどカスケードに吹いていた風も無くなった。


「いたたた………」


ユラトは、背中を擦りながら、フィセリアに礼を言った。


「ありがとうございます……助かり……」


フィセリアは彼の発言を中断させ、話してきた。


「気を抜かないの!わかった?」


「はい……すいません」


彼女はユラトを目尻で流すように見ながら呟いた。


「全く……少しは……」


彼女の呟きが耳に入ったユラトは起き上がり、尋ねた。


「えっ、何か?」


フィセリアはプイっと顔を背け、階段を上り始めた。


「なんでもない……行くわよ!」


ユラトは一瞬、立ち尽くしそうになったが、また彼女に怒られてはいけないと思い、すぐに後に付いて行った。


「はい……(なんだったんだ?)」


そして二人は、カスケード・トラップを見事突破し、次の部屋へ向った。



次の部屋に入ったユラトは中を見て、困惑した表情になった。


「……ここって………一体……」


フィセリアも、不思議そうに周囲を見ていた。


「……行き止まり?(……どう言うこと?)」


彼らが入った部屋は、暗闇に包まれていた。


非常に広い部屋で、入口付近に僅かに床が残っているだけで、そこから先は床が抜け落ち、日の光も入らず、真っ黒な闇の空間が広がっていた。


奥を確認しようとして見るが、何か黒っぽい瘴気の様なものが漂っていて、良くは分からなかった。


(黒いものが漂っていて……奥は良く分からないな……ここ以外に部屋はなかったみたいだし……うーん……)


ユラトが考えていると、フィセリアも同じように考えていたが、すぐに諦め、周囲を調べ始めていた。


「うーん……特に問題は無さそうね……」


壁や地面、ここに来るまでの通路を調べたが、特に問題は無いようだった。


フィセリアは何も見つからなかった事に苛立ち、暗闇の部屋の入口付近の床に、ふらふらと座ると声を上げた。


「ああーん、もう!せっかくここまで来たのに!何も無いって……一体どうなってるのよ!」


ユラトは床が抜けている闇を見つめながら、考えていた。


「まいったな……まさか、これ以上進めないのか?」


フィセリアは面倒くさそうに、ユラトに顔を向けた。


「あなた……冒険者なんでしょ、何か知らないの?」


ユラトには分からなかった。


「こんなものは見たことがないので……」


彼女は呆れたように言った。


「外の世界を旅しているのに……ほんと使えないわね……」


その言葉を聞いたユラトは少しムッとした表情になり、強い口調で言い返した。


「……俺は……あなたの召使いじゃないし、全てを知っている訳ではありません!」


王族である彼女にきつい言葉を言い放ってしまった彼は、すぐに心を落ち着かせようとした。


(しまった!……言い過ぎてしまった……これ以上は言わない方がいいな……)


しかし既に遅かった。


ユラトの言葉を聞いたフィセリアは、みるみる不機嫌な表情になっていく。


「使えないから……使えないって言っただけでしょ!」


ここでユラトの中に溜まっていたものが爆発した。


「(いいや……言ってやる!)俺は、この国の人間じゃないんです!あなたは一応この国の王女様だから、敬意をもって接していましたけど、本来、俺とあなたは共にクエストをこなす対等な関係の間柄のはず。だから……」


この言葉にフィセリアは驚き、怒りを込み上げた。


「対等ですって!?あなたみたいな野蛮な人間とハイエルフの王族の者である私が!?冗談じゃないわ!」


この場にシュトルムかラツカがいれば両者を収めただろうが、ここには二人しかいなかった。


そのため、しばらく彼らは無駄な言い争いをしてしまっていた。


しかし、それも二人の下へある物がやってきたとき、終わることになった。


二人の近くにある闇の空間から何かがやって来る。


最初に気づいたのはユラトだった。


「いいですか!だいたい俺はですね……あれ……」


「何よ!」


やって来た物に気づいたユラトは、その場所を指し示した。


「フィセリア様!あれを……見てください!」


彼女はユラトを睨みつけながらも、彼の指差す場所が気になった。


「まだ話は終わっていないわ!そもそも……」


ユラトへ視線を送りながらもフィセリアは、そこを何となくだが見た。


「あなた達って……―――あっ!」


二人の下へ部屋の奥にある闇の空間から、大きな石版のような物がやって来ていた。


長方形で横に倒れ、両手を広げても届かないような大きさと分厚さがあり、表面に細かい文字が刻まれていて、時折それは青白く僅かな輝きを放っていた。


そして、それは部屋の奥からゆっくりやって来て、床と空間の切れ目に到達すると、動きを止めていた。


ユラトとフィセリアは、そこへ慎重に近づいた。


(……)


(これは……何?……)


フィセリアが剣の先で闇の空間を浮いている大きな石版のような物を突いた。


「見た目通り……頑丈ね……これって……乗れるの?」


尋ねられたが、ユラトにも分からなかった。


「どうなんでしょう……」


ユラトは、文字を読もうとしたが、全く読めなかった。


それはフィセリアも同じだった。


「何が書いてあるか……全然分からないわ……」


ユラトは、片足を石版に乗せ、力を込めて下へ押し込んでみた。


「………びくともしないな……」


そこで今度は、思い切って上に乗ってみた。


「あっ……大丈夫だ……フィセリア様、これ……乗れるみたいです」


「私が乗っても大丈夫なのかしら………」


彼女もまた石版に近づき、片足を乗せた後、意を決して乗り込んだ。


ユラトは彼女が倒れない様にするため、かしずいてフィセリアの手を取った。


「………乗れた……」


そして彼は、彼女が無事乗れた事を確認すると、周囲を見た。


(ふぅ……なんとか乗れた……これはきっと、奥に行くためのものなんだ……しかし……)


奥は暗く、二人の足下の周囲には、闇の空洞が広がっていた。


(落ちたらどうなるんだ?……)


一瞬、落ちた時のことを考えてしまっていた。


そしてフィセリアが、石版の先端にたどり着いた時、変化が起きた。


「きゃ……」


「う、動き出した……」


彼女は、慌てて後ろへ引いた。


謎の石版は、人がゆっくり歩くのと同じ速度で、闇の空間の上を浮き進み始めた。


すぐにユラトは、フィセリアに話しかけた。


「俺が先頭になって、先を警戒します。あなたは後ろを見ていて下さい!」


彼女は口喧嘩を再開させたかったが、自分のおかれている状況を思い出し、静かに答えた。


「………わかったわ……」


そしてお互い剣を抜き、低い体勢になって武器を構えた。


風も無く、薄暗い部屋の中を二人は、しばらく無言で進むことになった。


二人の剣は、岩山に入る時にハイエルフの兵士に魔力を大量に込めて唱えてもらったマナトーチの魔法のおかげで青白く輝いていた。


そのため、ぼんやりとだが、周りの景色は見る事が出来た。


そして特に何かが起こると言う事は無く、二人の乗った石版は黒い瘴気が立ち込める場所へ入った。


先頭にいたユラトは、思わずマントで鼻と口を覆った。


(………これは何だ?)


そして視界が悪い中、あることに気づいた。


(ん………)


それは彼の左胸にあったフレースヴェルグの羽根が突然コバルトブルーの輝きを放っていた事だった。


(強い風なんて無いのに……どう言うことだ?……)


ユラトは、フィセリアにその事を話すことにした。


「フィセリア様、フレースヴェルグの羽根が現れました!どういうことでしょう!?」


フィセリアも驚いていた。


「なんですって!?……風なんて吹いてないわ……」


すぐに二人は、周囲を見渡しながら警戒した。


(何かが……いるのか?……)


(音も無い……風も感じない……じゃあどうして……)


しばらく、その状況は続いた。


そして石版に乗った二人が、黒い瘴気のある場所から出た時、それは現れた。


彼らの乗っている石版の真下にある闇の空間から何かが、ゆっくりと、出てきていた。


異変に気づいたのは、意外な事からだった。


それはユラトがフィセリアに話しかけた時、彼の言葉が突然聞こえなくなった。


「……リア様。……っちに…か…化はありませ……?」


「……を言って……の?聞こえ……いわ!」


ユラトも、彼女の言葉が聞き取りにくくなっている事に気づいた。


(これは……)


フィセリアは、この時、何かを思い出し始めた。


(……これって……前にもあった……そう……これは……)


そして彼女は、それを思い出した。


(―――思い出した!)


すぐにフィセリアは周囲を見渡した。


石版の下に何かが、出ている事に気づいた。


「―――ユラト!下よ!」


ユラトは、すぐに下の空間を見た。


「……なんだ……あいつは!?」


青白く、薄い布切れをいくつも集めて人の手のような形に固めたような姿で、空中をふわふわと漂っていた。


謎の物体の名をフィセリアが叫んだ。


「そいつは『ウィンド・ファントム』よ!」



【ウィンド・ファントム】


ホーント(霊体や悪霊の総称)の一種。


風にまつわる生き物(主に翼を持つ生物)が死に、その魂が稀に地縛霊(ファントム)と結びつくことでこの魔物は生み出される。


周囲の音を一瞬、消す能力を持っていて、青白い体を変形させ、触手のようにして闇の中へ引きずり下ろそうと攻撃をしかけてくる。


移動速度は、あまり速くない。



ウィンド・ファントムは、フィセリアの叫び声を聞いた瞬間、上がる速度を速め、彼らに急接近してきた。


そして青白い体の先端部分の形を変え、近くにいたユラトに向ってそれを伸ばして来た。


ユラトは、手に持っていた剣ですぐに、攻撃をした。


(断ち切ってやる!)


―――ブンッ!


しかし、彼の攻撃は当たらなかった。


「………当たらない!?」


細い滝の水を切ったような感覚が一瞬あっただけで、敵の姿は彼の両肩を捕らえたままだった。


「くそっ!」


ユラトは、すぐに次の攻撃を繰り出し相手を切りつけた。


しかし、攻撃は当たる事は無かった。


そして悪霊が彼を闇の中へ引っ張り込もうとした時、フィセリアの剣がユラトの右肩の上を通過した。


「動かないで!―――はっ!」


「うっ!」


彼女の放った突きは見事、敵の中心を捕らえた。


ウィンド・ファントムは、膨張し破裂した。


そして、そこから風が全ての方向に向って生み出された。


ユラトとフィセリアは、少し後ろへ下がった。


「ぐっ!」


「きゃあ!ちょっと、押さないでよ!」


石版の端で、なんとか止まることに成功する。


二人は、後ろを見た。


「あぶなかった……」


「あと少しで落ちるところだったわ……」


ユラトとフィセリアは安堵しながら、その場に座った。


すると、今度は真っ直ぐ部屋の奥へ進んでいた石版が、左へ直角に曲がった。


二人は、再び落とされそうになった。


「うわ!」


「くっ!」


下に手と膝をつき、なんとか耐えた。


そして進行方向へ、体の向きを変えると、フィセリアが叫んだ。


「ユラト!またウィンド・ファントム達がやって来たわ!」


ユラトは、彼女が剣で指し示した場所を見た。


「大量に……いる……」


下の空間から湧き出るように風の悪霊達は、やって来た。


どうするべきか、ユラトが考えようとすると、フィセリアが話しかけてきた。


「あいつら……たまに私たちの住んでいる場所に現れるのよ。こんなにたくさんの数を見るのは初めてだけど……私が奏でるシタールの音色を消されたことがあったわ……」


「そうなんですか……」


フィセリアは、自身の光る剣を見た。


「私の剣は聖なる力があるから倒せるけど、あなたの剣は無いみたいね……」


ユラトは、魔法の効果のある剣を買っておけば良かったと思った。


「はい……(ウディル村に来ていた露天商から大金を払ってでも買っておいた方が良かったか……)」


彼女は立ち上がった。


「いいわ……じゃあ私が先頭に立つから、あなたは魔法で援護して!」


「わかりました!」


そしてユラトが魔法を詠唱しようとすると、フィセリアが何かを思い出した。


「そうだ……魔法はファイアーボールを!あいつには大地の魔法は効かないわ!」


「はい!」


そして敵の群れの中へ、浮遊する石版は入って行った。


「……ずっと……ここから見てるよ……フフ……」


「もう……ここから……出れないよ……」


「さあ……行こうよ……暗い暗い……闇の底へ……」


不気味な囁きと共に、敵は体の形を変化させた。


そして人の手を思わせる形状になると、二人に向ってそれを伸ばして来た。


先頭にいるフィセリアが、素早く剣を振った。


「―――来ないで!」


次々、悪霊の手を刎ねていく。


すると本体から切り離された手の部分は破裂し、風を生み出した。


そして様々な場所からやって来る風がハイエルフの王女を襲った。


「きゃあ!」


ユラトは魔法を中断し、すぐに彼女の腕を引っ張った。


「大丈夫ですか!」


「―――やるわね!」


フィセリアは体勢を立て直すと、ユラトのわき腹近くに向って鋭い突きを繰り出した。


突然のことでユラトは驚いた。


「うわ!」


そしてそこへ視線を送ると、そこには彼の体に張り付いたウィンド・ファントムがいた。


フィセリアは、すぐにユラトの腕を下へ引っ張り、しゃがみ込んだ。


悪霊が破裂し、風が二人を襲った。


「くっ!」


二人が持っているフレースヴェルグの羽根の輝きが増した。


フィセリアは素早く立ち上がると、連続で鋭い突きを繰り出し、次々と近づいてくる敵を倒した。


そしてその度に、風がやってきた。


ユラトは魔法よりも、彼女を支えた方が良いと思った。


(これは……魔法どころじゃないな……)


すぐに石版の角を手で押さえながら、揺れ動くフィセリアのマントを握り締めた。


(これでなんとか……持ち応えられるか……)


向ってくる悪霊達を撃破する度に、風が二人を襲った。


ユラトは彼女の動きを見ながら、支える場所を変えていった。


二人の息は合い、次々と敵を倒して行く。


時折、フィセリアがユラトに向って何かを言ってくるが、敵の能力によってそれは、かき消された。


そしてある程度奥へ進んだ時、フィセリアが何度もユラトに向かって声を出している事に、彼は気づいた。


「……ト!……こを…見…!」


(何かを言っているみたいだ……)


ユラトは、彼女を見た。


すると剣で、進む先の天井辺りを指し示していることに気づいた。


ユラトは、その先を見た。


(………あれは……―――あっ!)


彼の視線の先には、巨大なウィンド・ファントムがいた。


ゆらゆらと宙に浮き、まるで二人がそこへ来るのを待っているかのようだった。


(あいつを、もし倒してしまったら……)


一体どれだけの風に襲われるのか?


ユラトは、倒した後の事を考えた。


そして、すぐに辺りを見回した。


(周りの奴らは……ほとんど倒せているな……)


周囲にいた風の悪霊は、王女が全て倒していた。


(残すは、あいつだけって事か……だけど……)


あの大きなウィンド・ファントムが倒れる時に生み出される風の量を思うと、「それは出来ない事だ」と、彼は思った。


フィセリアは、石版の先端に立ち、敵を睨みつけていた。


(不味いわ……下手に倒してしまったら……きっと……二人ともここから吹き飛ばされてしまうわ……)


彼女は振り返った。


「………」


ユラトは考えていた。


(禁呪は使えない……なら……魔力を込めてファイアーボールを撃ってやるか……)


ユラトは、すぐに魔法の詠唱に入った。


(魔法をするのね……)


彼の姿を見たフィセリアは、再び敵の方へ向き直った。


(遠距離……その方がいいのかもしれない……)


ユラトは詠唱を声に出した。


「……よ……熱……一…を……(あれ……)」


だがその時、巨大なウィンドファントムは、低いうねり声をあげ、辺り一帯の音を全て掻き消し始めた。


空気の振るえが、二人にも届いた。


フィセリアとユラトは、その声を不快に感じ、顔を苦しそうに歪めた。


「ぐっ……」


(声が出ないから……魔法が……出来ない……)


そして石版は進み、二人はそのまま敵の下へとたどり着く事になった。


風の悪霊は、二人が攻撃範囲に入るや否や、体に穴を開けると、円状の大きな口の様なものを作り出し、空気を吸い込み始めた。


「コオオー」っと言う音と共にユラトとフィセリアは、前に引っ張られた。


「ううっ……」


「きゃ……」


下に両手を付いて、なんとか耐え凌ぐ。


ユラトは敵の口の中を見た。


(真っ暗だ……何も見えない……あそこに入ってしまったら……)


恐怖がやって来た。


そして、その恐怖をかき消そうと頭を左右に小さく振ると、彼は立ち上がった。


(あの時のようになるな!俺はやれる……)


それは森の中でトロールに囲まれ、絶望しかけた時の事だった。


(なんとか……やり過ごすしかない……)


厳しい戦いの中、前に進んだバルガの女戦士の事を思い出しながら、彼は目の前にいるフィセリアのマントを引っ張り、後ろの角に手をつけた。


(よし!)


フィセリアは剣で攻撃することが出来ないと判断したのか、ユラトの隣にやってきて、同じように後部の角に手をつけた。


そしてユラトに話しかけた。


「私は大丈夫だから、あなたは魔法を!」


「声が……聞こえる!?……」


ユラトは魔法が出来る事に気づき、すぐに詠唱に入った。


すると巨大なウィンド・ファントムが口を開けたまま、二人の所へ急降下してきた。


「石版ごと飲み込むつもり!?」


石の大きな板の先端が悪霊の口の中にある闇に飲み込まれた。


そして速度を落とすと、相手は二人が怖がっている事を楽しむかのように、ゆっくりと迫ってきた。


そんな中、彼女は敵の体の中に僅かに青白く光るファントムのコアらしき物を見つけた。


人の頭ほどの大きさで竜巻のように、それは渦を巻いていた。


(あれを攻撃すればいいのね……)


すると、後ろからウィンド・ファントムが3体現れた。


それを見たフィセリアは、ユラトに聞こえるように叫んだ。


「―――後ろからも来たわ!」


そして正面を見ると、既に目の前に敵は、やって来ていた。


隣にいるユラトは魔力を込め、魔法を詠唱していた。


(どう……すれば……)


大きな口を開け、二人を闇の中へ吸い込もうとしているのが見える。


(やるしかないわ!)


フィセリアは立ち上がり、正面の巨大なウィンド・ファントムに攻撃を仕掛ける事にした。


敵に引っ張られるように飛び上がると、コアを狙って鋭い突きを放った。


剣は敵の上部に当たり、めり込むと、肩に達するほど腕は埋まった。


(お願い……当たって!)


しかし、彼女の剣は敵のコアを攻撃する事は出来なかった。


(うそ……外した!?)


コアには強い風が巻き上がっていて、それが彼女の剣を逸らす元になっていた。


敵の口の中へ吸い込まれていく中、フィセリアは何故か心の中にある闘志が湧き上がって来るのを感じた。


(不思議……怖くない……)


初めてのクエスト。


試したかった魔戦士としての実力が魔物たちに通じる事で、やりがいを感じた。


そして恐怖の中から生まれてくる、生きていると言う実感。


美しいドレスを着て、安全な国の中で生活する日々では感じることの無い、新鮮な感覚を彼女は「楽しい」と思った。


ハイエルフの王女の表情は、死を前にした者の顔ではなかった。


(―――まだよ!)


フィセリアは腕に魔力を込め、敵の体に差し込んでいた剣を上へ切り上げた。


「―――はあああ!」


悪霊は彼女の捨て身の反撃に驚いたのか、姿を元に戻し始めた。


そしてユラトが魔法を完成させ、敵に左手を向けた。


しかし、彼が向けた相手は、前方の敵では無く、後方にいる3匹のウィンド・ファントムだった。


「―――敵に炎の一撃を!」


彼が魔法を撃ち出すと、フィセリアは敵を切り上げた場所から吹く風に飛ばされた。


「くっ!」


ユラトの放った大きいファイアーボールが中央の敵に当たり、爆発する。


ユラトは3匹分の風を受け、前方へ飛ばされた。


「う゛っ!」


飛ばされる瞬間、ユラトは向きを変え飛び上がり、彼女の右足首を両手でしっかりと握り締めた。


(彼女を絶対に守る!)


ユラトに向けて吹く、背中を押す風と正面の体を押す風の力。


二つはぶつかり合い、僅かに彼を前方へ押す風が勝った。


「―――よし!」


彼が石版に着地する寸前、フィセリアの声がかかった。


「ユラト!そのまま、私を投げて!」


そしてユラトが着地すると、石版は目的の場所にたどり着いた。


彼は歯を食いしばり、力いっぱい王女を前へ飛ばした。


「うおおお!」


フィセリアは剣を構え、敵のコアへ突き進んだ。


彼女のまとめられた髪の部分にある、フレースヴェルグの羽根が輝き、美しい軌跡を形作った。


自信に満ちた顔で彼女は、空中を飛んで行った。


(今度こそ、やってやるわ!)


そしてフィセリアの剣はコバルトブルーの輝きと共に見事、風のコアを貫いた。


「―――はあ!」


フィセリアは、たどり着いた神殿の床に着地した。


そして、すぐにユラトの下へ走った。


「ユラト!こっちへ!」


コアを破壊された巨大なウィンド・ファントムが、重々しい声を出した。


ユラトは、すぐに浮遊する石版から神殿の床へ向って、走った。


吹き付ける風がやってきた。


(まずい!)


フィセリアが手を差し出した。


「早く!」


ユラトは飛び上がり、彼女に向って手を伸ばした。


だが、僅かに彼の手は届かなかった。


「くそっ!」


それを見たフィセリアは前に飛び出し、手を伸ばした。


「何を……やってるのよ!」


二人を悪霊の風が直撃する。


なんとか彼の手を掴む事ができたが、二人は闇の空間へ向った。


「―――あっ!」


(落ちる!……)


だがフィセリアが必死になって手を伸ばすと、なんとか床の角に、片手がかかった。


「―――っ!」


ユラトの体重が、すぐにやってきた。


「……ぐっ……」


彼女は魔力を両手に込めた。


「しっかり、持つのよ!」


ユラトは握る手に力を込めた。


「はい!」


巨大なウィンド・ファントムが勢い良く破裂すると、強い風が二人を襲った。


二人は、マントや体を揺らしながら必死に耐えた。


(いけるか?……)


(……やっと……ここを突破できたのに……くっ……)


誰かが泣いているような風の音が周囲に鳴り響いていた。


そして風は止んだ。


フィセリアは気を抜かずに肩にも魔力を込め、ユラトを一気に引き上げた。


「………ったく!……重いん―――だからー!」


ふわりとユラトは浮き上がるように、神殿の床へとたどり着いた。


「うわ!」


なんとか助かった二人は、荒い息をついた。


「はぁ……はぁ……」


「はあはあ……」


しかし、表情は晴れやかだった。


(……なんとか……ここまで来れた……)


(やったわ……だけど……疲れた……)


しばらく何も喋る事無く二人は、その場に倒れこんだままだった。


だが、周囲の警戒は怠らなかった。


そして少し時間が経ってから、二人は元気を取り戻し、立ち上がった。


ユラトとフィセリアは周囲を見回した。


「ここは……」


「………」


彼らのいる場所は、この部屋に入った時と同じような場所だった。


全体的に薄暗く、後ろには底の抜けた闇の空間が存在しているだけだった。


しかし奥を見ると、明るい光りの見える出口はあった。


「……良かった……出られるみたいですね」


「そうね……」


二人はウィンド・ファントムを警戒しながら、その出口へと向う事にした。


「行きましょ」


「はい……」


ユラトとフィセリアは部屋から出た。


明るい場所に出ることで、二人の気持ちが少し和らいだ。


「やっと出られた……」


「ふぅ……」


彼らは新しい場所に目を向けた。


「今度は、ここか……」


「ここって……」


そこは先ほどの場所とは対照的な場所で明るい場所だった。


白い壁や柱があり、そこに日の光が当たることで明るさが増していた。


二人は暗い部屋から出て来たところだったため、眩しいと感じた。


「うっ……」


目を細め、先に目を向けると、奥へと続く通路が見えた。


(結構広い神殿だな……)


通路は細長く遠くまで続いており、両脇には翼を持った人の像が建っていた。


町の人のような格好をした男女で、日々の生活を表した物なのか、表情豊かに様々な姿勢をし、色々な物を持っていた。


また全ての像の体は、一部が欠けていたり、崩れていたりしていた。


頭や腕、足など、様々な部位が無かった。


奥を見ると、その先の途中に大きな円形の空間があり、その場所の中央に巨大な白い像が建っているのが見えた。


天井を見たユラトが何かに気づく。


「……あれって……レムリアン・クリスタルですか?」


フィセリアも天井を見上げた。


「………そう……ね……私の住んでいる場所にある物と色合いが同じだから……きっとあなたの言う通りなのかも……」


彼の言った場所には通路の天井部分に半透明な水色のガラスのような物が見えた。


天井の全てをそれが覆っており、部屋が明るいのはそのためだった。


ユラトとフィセリアは、その通路を歩いた。


(特に……魔物とかは……いないよな?)


(全ての石像が壊れてる……ちょっと気になるわね……)


全ての石像が崩れていることに違和感を感じた彼女は、ユラトにマナサーチをするように言った。


「ユラト、サーチをして頂戴」


「あっ、はい」


立ち止まると、すぐに彼はサーチをした。


「―――マナサーチ!」


周囲の様子を目を閉じ、探った。


(………ここもやっぱり……この場所しか全体の範囲は調べられないみたいだ………うーん……ん!?)


ユラトは通路の奥から何かを感じ取った。


(何か……あるな……これは……)


そしてサーチの効果が切れた。


目を開けると、フィセリアが話しかけてきた。


「どう?何かあった?」


ユラトは、自身が感じた物のことについて話した。


「魔物はいないようです」


「そう……」


彼女は歩き出した。


「えっと、それから……」


ユラトが再び話し始めたため、フィセリアは振り返った。


「……?……なに、まだ何かあるの?」


「はい……この通路の先にある、大きな像の辺りに何かを感じました」


彼女は、その場所を見た。


「……あそこね……」


「はい……恐らくですが……魔力のある物だと思います」


「物?……ふーん……分かったわ、とりあえず、行って見ましょ」


「はい!」


二人は石像の崩れた破片を避けながら慎重に通路を歩いた。


通路は、音や風も無く、静かで明るい場所だった。


そこを無言で二人は歩いた。


(日の光が入って、暖かいな……)


(結構時間が経ったみたいね……かなり日が高いわ……シュトルム……ラツカ……お父様……どうか無事でいて……)


そして何事も起こる事無く、目的の場所へたどり着いた。


二人は目の前にある、巨大な石像を見上げた。


「大きいわね……」


「……そうですね」


彼らのいる円形の空間は、そこだけ屋根の高さが高くなっていた。


そして像は屋根を突き抜けるかのように、そびえ立っていた。


ゆったりとした服装の女性の像で6枚の翼を持ち、真ん中の2枚が左右に翼を広げ、下の二枚は足を隠し、上の二枚は顔を隠すという姿をしていた。


近づいたユラトは、何かを見つけた。


「……あっ……あれは……」


彼の視線の先には、像の足元の翼に隠れるように、台座があり、そこに一つだけ鎧が置いてあった。


「この鎧は……」


鎧は、ユラトの体より一回りほど大きい人物が着る物のようだった。


銀色で、表面は青味がかっていた。


(まだ一回も使われていないようだな……どこにも傷や汚れがない……落ち着いた綺麗な青だ……)


そして胴の場所に目を向けた。


(ん……これは……)


すると、そこには真っ白で優雅な翼が6枚、浮き上がるような意匠が凝らされているのが見えた。


細く長い流線型の翼だった。


どの翼も肩や背中まで届くほどだった。


ユラトの隣に来たフィセリアは、その鎧を見ると驚いていた。


「―――これって……『ウィンド・シルバー(風銀)』じゃない!」


「それって……なんですか?」


ユラトに尋ねられたフィセリアは、それについて話した。



【ウィンド・シルバー(風銀)】


ミスリル銀をある特殊な方法で加工をすると、独特の青味のある、この銀が生まれる。


この世界では、あらゆるミスリルの中で最も軽いものと言われている。


防具などに使用することで風の抵抗を持たせることが出来る。


今のハイエルフ達が必死になって作り出そうとしているが、今のところ出来ないでいるものでもある。



彼女は食い入るように見つめながら、鎧に手を付けた。


「やっぱり……間違いないわ……お父様が着ているのと同じ色合いと質感だわ……」


ブラウフェダー王国の中で、これを持っているのは王であるゼナーグのみだとフィセリアは話した。


「そんなに、貴重なものなんですか……」


「ええ……だけど……なぜ……こんなところに……」


彼女が考えているとユラトは、この鎧をどうするか尋ねた。


「どうします?持って行きますか?」


「そうね……」


彼の言葉を聞きながら鎧をくまなく調べていたフィセリアは、何かに気づいた。


「―――あっ!この鎧……」


「何かありましたか!?」


ユラトが尋ねると、彼女は言った。


「ルーンがたくさんあるんだけど……このルーンは見覚えがある……確か……リサイズのルーンだわ……」


それは、大きさを調節できる魔法の効果だった。


「って事は、俺たちでも着ることが出来るってことですか?」


「ええ……そうよ……」


そして彼女は、少し考えた後、ユラトに話しかけた。


「これは……ユラト……あなたが着なさい」


「えっ……いいんですか?さっき貴重な物だって……」


ユラトがそう尋ねると、フィセリアは困惑した表情で答えた。


「実は………今の私たちには、あなたに支払う金貨があまり無いのよ……だから報酬として、あなたにそれを渡すわ」


「……そうですか」


ユラトは考えた。


(まあ……俺は冒険者だし……報酬は必要だもんな……)


自分はクエストを依頼された冒険者である事をユラトは思い出した。


(それに……良い装備は揃えておかないとな……)


冒険者は、良い装備で身を固める事を優先させる。


そうする事で生存率が高まるからだった。


(……よし!)


ユラトは、風銀の鎧を自分の物にすることにした。


「わかりました。じゃあ、これは俺が頂きますね!」


「ええ、それで構わないわ……後で私から、お父様やシュトルムに話しておくから心配しないで」


ユラトは、新品のユニーク・レアアイテムを手に入れるため、鎧を台座から持ち上げた。


「……しょっと」


すると、目の前にある巨大な像に変化が起こった。


「ん……」


ユラトが鎧を持ち上げながら頭上を見上げると、像の背中にある6枚の翼が光り始めた。


「え……」


そして次の瞬間、その翼が突然、飛び散った。


「―――!?」


一瞬にして、周囲に大量の翼が舞い落ち始める。


フィセリアは驚いた表情のまま、ユラトに話しかけた。


「……何よこれ!ユラト、何かしたの!?」


「いえ……俺は、ただ鎧を持ち上げただけなんですが……」


ユラトはそう言いながら、鎧が置いてあった台座に触れた。


すると、そこは僅かに沈む場所があった。


「―――あっ!……鎧の重さで支えられていたのか……という事は……」


「トラップが作動したって事よね!?」


「恐らく……」


「何やってるのよ……」


二人は、上を見上げた。


何かが起こるわけでもなく、銀色の羽根が左右に大きく揺れながら、床に向って落ちてきていた。


「とにかく、ここから移動するわよ!」


「はい!」


ユラトがそう返事をすると、羽根の一つが彼の頬をかすめた。


「―――痛っ!」


痛みを覚え、彼は頬に手で触れ、その触れた手の平を見た。


「あっ……」


ユラトの手には血が付いていた。


上を見上げていたフィセリアが何かに気づく。


「―――動かないで!」


「えっ……」


ユラトは鎧を台座に置くと、すぐに頭上を見上げた。


(何が……)


フィセリアが小さな声で話しかけてきた。


「この羽根……何かに反応して近づいてくるみたいよ……何もしなければ……大丈夫みたい……しばらく、このまま何もしないでじっとしている事にするわよ……」


「……はい(本当だ……一瞬だけど……羽根が彼女の方へ集まった……と言うことは、やはりトラップなのか……)」


舞い落ちる羽根の間隔が広いため、刃のような羽根は、ユラトとフィセリアに当たる事無く、ゆっくりと神殿の床に落ちて行った。


たまに、二人の体のすぐ近くを左右に揺れながら落ちてくるが、ぎりぎりのところで、それに触れることは無かった。


さきほど周囲にあった石像たちと同じようにユラトとフィセリアは動く事無く、息を潜め、天井を見上げながら、無言でじっと耐えていた。


銀の羽根は神殿に降り注ぐ日の光りに当たると、刃物のようにきらりと輝いた。


遠めに見ると、それは美しい光景だった。


しかし、彼らにとっては未知の恐ろしい場所でしかなかった。


(早く……落ちてくれ……)


(………)


輝く羽根は、次々と床に降り積もっていった。


そんな中、ユラトは何かに気づいた。


(この羽根……もしかして……)


ユラトは自身が思ったことを試してみた。


「………フッ!」


それは目の前にある羽根に向って、軽く息を吹きかける事だった。


(―――来た!)


前後に揺れていた羽根は、ユラトの息を受けると、揺れの幅を大きくさせ、彼に近づいてきた。


(やはり……そうなんだ……)


どうやら銀の羽根は、この部屋で起こっている風を感知して近づいてくるようだった。


ユラトは、その事を小さな声で隣にいるフィセリアに話した。


すると、彼女は驚いていた。


「なんですって!?じゃあ、話すことも息をする事も……」


すぐに二人は、無言になった。


だが幸いなことに周囲に舞い落ちていた羽根は、終わりに近づいていた。


(あと少しだ………)


二人が小さな呼吸をする度に徐々にだが、羽根は接近してきていた。


羽根の一つがフィセリアの腕に向った。


(―――来る!)


彼女は羽根が接触する前に、その部分をアイアンボディーの技を使い、硬化させた。


すると、羽根は彼女に触れることになったが、王女を傷つける事無く、床にふわりと落ちた。


(………ふぅ……私は大丈夫だけど……問題は、あの男よね……)


彼女はユラトを見た。


すると、硬い表情のユラトが見えた。


緊張しているようで、すぐ近くを通り過ぎる羽根を必死になって見ている姿が見えた。


彼のその表情を見たフィセリアは、なぜか心が落ち着き、笑みを浮かべる余裕が生まれた。


(フフ……全く……なんて顔をしているのよ………)


そして、羽根は全て神殿の床に落ちた。


それを確認すると、フィセリアが話しかけてきた。


「ユラト、鎧を持ったら、さっさとこの部屋から出るわよ!」


「はい!」


ユラトはすぐに風銀の鎧を手に取った。


(………よし!)


そして二人が歩き出そうとしたその時、彼らが持っているフレースヴェルグの羽根が突然、ぼんやりとだが現れた。


胸元にコバルトブルーの羽根が現れ始めた事にユラトは驚いた。


「―――えっ!?」


そして、彼らのいる場所に変化が起こった。


それに気づいたのは、後ろを振り返ったフィセリアだった。


「―――ユラト!後ろを見て!」


ユラトは、すぐに自分達が来た場所を見た。


「レムリアン・クリスタルの……天井が……」


彼が見た光景は、二人がこの通路に入ってきた辺りの天井にあるクリスタルが左右に開き始めている姿だった。


綺麗に中心部分から二つに割れるように、それは開いていった。


そして開いた場所からは、外の青い空が見えていた。


二人は、その場所を固まったように見つめた。


「なぜ……あんな場所が……開いたんだ?」


「……あそこに何か……あるのかしら……」


すると、そこへ向って、吸い込まれて行く風が起り始めた。


「―――あっ!」


ユラトは気づいた。


「王女様!すぐに、ここから移動しましょう!」


「なに、どうしたの?」


彼女がそう尋ねた時、フィセリアの背中のマントに向かって、床に落ちていた羽根が撃ちだされた矢のようにやって来た。


それは彼女のマントを僅かに切り裂いた。


「―――これは!?」


そして、それを皮切りに、次々と天井が勢い良く開き出した。


吸い寄せる風が強くなり、床に落ちていた銀の羽根が再び宙に浮くと、空へ向って突き進み始めた。


「―――くっ!!」


ユラトは正面からやって来た羽根を、手に持っている風銀の鎧で受け止めた。


―――カンカンカンッ!


立て続けに矢を3本、盾で受け止めたような音と振動がやって来る。


銀の羽根は、鎧に当たる事で火花を散らした。


そしてそのまま、空へ吸い上げられて行く。


「行きましょう!」


フィセリアは右手で剣を抜き放つと、左腕を硬化させた。


そして自分の足元から襲ってくる羽根を、くるっと回転して剣と硬化させた腕に当てた。


羽根は進む軌道を変え、後方へと飛び去って行った。


「………くっ!」


フィセリアは痛みを感じ、苦痛に顔を歪めた。


硬化が少し甘かったのか、彼女の腕にいくつか傷が付いていた。


しかし、彼女はすぐに気を取り直し、ユラトに向って叫んだ。


「分かったわ!」


王女が返事を返すと、二人はすぐに通路の奥へと向った。


ユラトは風銀の鎧で顔や身を隠し、盾のようにそれを使いながら、先頭を走った。


フレースヴェルグの羽根がはっきりと形作られた時、吸い込む風は最も早くなった。


そしてそれと同じように、銀の羽根が進む速度も鋭さを増すことになった。


二枚の羽根がユラトの腕を掠めた。


「―――ぐっ!」


下から上へ、長い廊下を突き進んで行く銀色の羽根の攻撃を、火花を散らしながらユラトは必死になって突き進んだ。


そして二人は無事、この長い廊下の終わりにたどり着いた。


「はぁ……はぁ……」


「なん……とか……たどり着けたわね……」


ユラトとフィセリアは、この場所に留まることを避け、すぐに次の部屋へと向った。


フィセリアは部屋に入るなり、ユラトにマナサーチを頼んだ。


「ユラト……マナサーチできる?確認してから休んだほうが良いわ……」


ユラトは鎧を床に置き、片膝を付きながら、苦しい表情で答えた。


「そうですね……やってみます……」


ユラトは、すぐにマナサーチを唱えた。


「―――マナサーチ!」


彼がこの部屋を探っている間、フィセリアは自身の目で周囲を調べていた。


(………今のところ何も起こって無いから……サーチの結果が分かるまでは動かない方がいいわね……)


二人が入った部屋は正方形の部屋で、大きく太い柱が何本も一定の間隔で建っている場所だった。


柱には、様々な形の風の表現を用いた絵が描かれていた。


風によって揺れ動く草花、広大に広がりを見せる空の雲、高い水の壁を生み出している嵐の海、風車、翼を広げ自由に空を飛ぶ鳥たち。


どれも明るく、活き活きと色鮮やかに描かれていた。


そして僅かだが、その絵が陽炎のように浮き上がっているように見えた。


(これは……)


彼女が見ていたのは、舞い上がる砂丘の砂の中に、僅かに見える大きな四角錐の建物だった。


(あれって確か………ピラミッドって言うものよね?……)


彼女がピラミッドの絵を見ていると、ユラトがマナサーチを終えていた。


「この部屋のちょうど中心で……魔力を感じました……」


「中心で?……」


「はい……」


フィセリアは前を見たが柱が邪魔で部屋の中心は見えなかった。


(ここからじゃ……見えない……)


すぐに立ち上がって奥へ進もうと思ったが、彼女は何かを思い出し、ユラトに話しかけた。


「ユラト……下手に動かない方が良いのかも……」


ユラトは周囲を見てから答えた。


「そうですね……(確かに……そうだな……)」


フィセリアは、彼の鎧を見つめた。


「とりあえず……あなたは、ここでその鎧に装備を変えた方が良いわね……」


「分かりました」


彼はすぐに今着ている鎧を外し、新しい鎧を着る事にした。


鎧はユラトの体より一回り以上、大きい物だったため、体と鎧の間に隙間が出来、顔が半分、鎧の中に入っているほどだった。


(ぶかぶかだ……大きすぎる……だけど……恐ろしく軽い……これが風銀なのか……)


鎧は、非常に軽く出来ていた。


そして、僅かに弾力も感じた。


鎧を着ると彼は両腕を広げ上げ、フィセリアに話しかけた。


「あの……これでいいんですか?」


鎧の中から声がしたため、少し篭って聞こえた。


彼の姿は、戦士に憧れる子供が父親の鎧を着て遊んでいるようだった。


フィセリアは、それを見て、吹き出して笑いそうになった。


(ぷっ!……子供みたい……)


だが、すぐに表情を元に戻して話した。


「鎧の中心を片手で押さえながら、小さくなるように念じるの……やってみて」


「わかりました……」


ユラトは、すぐに鎧の中心を手で探った。


(あれ……どこだ?)


しかし、大き過ぎたため、どこにその位置があるのか分かり難かった。


手をバタバタさせ、彼はフィセリアに尋ねた。


「あの……中心って……ここですか?……それとも……ここですか?(分かり辛い……)」


その姿を見た彼女は、笑いを堪える事が出来なくなり、ついに声を出してしまった。


「ふふふっ……あはははっ!何をやってるいるのよ……我慢していたのに……」


自分は必死になってやっているのに笑われてしまったユラトは、一瞬「むっ」とした表情になったが、彼女の笑顔を見た瞬間、表情を緩めた。


「(はぁ……そうだな……変と言えば変か……)あの……とりあえず……場所を教えて貰えませんか?」


ユラトの姿を見たフィセリアは、自分がずっと思い描いていたものと、本当の人間は違うのだと、ようやく気づいた。


(書物やハイエルフの間で言われている事だけが全てでは無いのね……)


彼女はユラトの手を取り、中心を押さえさせた。


「はい!……ここよ!」


「ありがとうございます……」


ユラトは目を閉じ、今着ている鎧が自身の体にぴったりと合っている姿を思い浮かべながら、中心にある6枚の羽根の中心部分を押さえた。


(鎧よ……俺の体と一体となってくれ……)


するとすぐに効果が現れ始めた。


「おっ……」


鎧はミシミシと音が立った。


「あっ!」


そして一気に縮んでいき、瞬く間に彼の体に合う大きさになった。


ユラトは驚き、そして喜んだ。


「―――おおお!これは凄い!体にぴったりだ!」


彼女は見たことがあるのか、落ち着いていた。


「まあまあ似合ってるわ……良かったじゃない」


ユラトは嬉しそうに、着ている鎧を拳で軽く叩いていた。


「軽いし……綺麗だし……丈夫そうだ……(やった!これはかなり良い物だ!)」


彼の喜んでいる姿を見たフィセリアが小さく呟いた。


「冒険者って………楽しそうね……」


「えっ……」


ユラトが振り向くと、彼女はすぐに顔を背けた。


「何でもない!」


この時フィセリアは、自らが進むべき道を見出した気がしていた。


(黒い霧に包まれた世界……そこには何があるの?……心躍る新しい発見と……今のわたしがいる狭い場所じゃない……広がって行く広大な世界……面白そうね……もしかしたら……わたしにも……)


そして二人は、消費した体力や魔力を回復するため、しばらく今いる場所から動かず、休む事にした。


神殿の床に座って休んでいる間、彼女はピラミッドの絵をぼんやりと眺めていた。


そんな王女の姿を見たユラトは思わず話しかけた。


「あれはピラミッドと言われるものですか?」


「そうみたいね……」


ずっとその一枚だけを見ている事が不思議に思えたため、彼は王女に聞くことにした。


「……何か気になる事でも?」


ユラトに問われると、彼女は話すかどうか迷った後、静かに口を開いた。


「………昔……お父様から聞いた話を思い出したの……」


「そうなんですか……」


それは、子宝に恵まれなかった砂漠の王と王妃の苦悩の話だった。


どうしても子が欲しかった二人は悩み苦しんだ末に、闇の力に手を出した。


それは自らの肉体を魔物へと変える禁断のものだった。


だが、それは二人を醜い化け物へと変えただけで結局、目的が達成されることは無かった。


変わり果てた姿になった二人は国を捨て、どこかへ旅に出たと言う事だった。


「………って話よ」


「なるほど……」


「渇望する何かがあった時……闇にも手を染める……それは、人間だけじゃないって……お父様は言っていたわ……私もそう思うの……」


そして彼女は、ユラトの左手の甲を見てから自身の右手の甲を見た。


「……あなたと私の手にだけ存在する……この模様……ラグナ……さっき、この神殿の入口を破壊したときに見た、あの禁呪と言われる魔法………普通じゃない気がしたの……底知れぬ闇の力……そんなものを感じたわ……あなたは、どう思っているの?」


「俺は……」


ユラトは、考えながら答えた。


「そう……ですね……そういった事は……生き抜くために必死だったので……あまり考えてなかったですね……考えたのは魔力が想像以上に吸われるのを気をつける事ぐらいですかね……」


その答えに、フィセリアは呆れていた。


「何よ、それ……あなたね……」


ユラトはデュランの事やジルメイダ達の事を思い出しながら話した。


「だけど、俺は……この魔法に、いつも助けられているのも事実なんです。それに龍の騎士って人から聞いた話だと、今のところ、魔力を吸い上げられるだけみたいなんで……まあ、これに頼るばかりには……なりたくはないんですが……」


「……その方が賢明ね……」


「フィセリア様……あなたにも何か特殊な能力があると、俺は思ってます……何かはわかりませんけど……」


フィセリアは、手の甲にある模様を見るのを止め、ピラミッドの絵を見つめた。


「あなたにだけ、魔法があるなんて不公平だと最初は思ったけど……でも……そんな力……無いほうが良いのかも……」


「そうですね……」


そして彼女は立ち上がった。


「ユラト、体はどう?先へ行けそう?」


ユラトは両手を握り締め、感覚を確かめた。


「はい、大丈夫です。行きましょう!」


そして二人は部屋の奥へ向うことにした。



ゆっくり、慎重に部屋の中心へ向っていると、フィセリアが話しかけてきた。


「確か……部屋の真ん中に魔力を感じたって言っていたわね?」


「はい……そうです……」


彼らがいる部屋の中心は薄暗く、何本もそびえ立っている大きく太い柱が邪魔をして見えなかった。


「もう少し、先へ進まないと無理みたいですね……」


「そうね……じゃあ、慎重に奥へ行きましょ」


「はい」


そして柱を抜けて行くと、中心部が見え始めた。


ユラトは柱に手を付いて、そこを覗き込むように見た。


(……あそこが中心か……だけど……)


フィセリアが隣にやって来て、呟いた。


「……なに……あれ……変わっているわね……」


部屋の中心は円形になっていて、そこには柱は立っておらず、中心部分にだけ、謎の柱が4本、くっ付くように存在していた。


柱は、それぞれ色が違っており、赤、青、緑、黄色の4色の柱で、全て鳥の羽根で作られていた。


そして、全ての羽根は隙間無く、螺旋状に美しく整えられていて、かなりの量の羽根を使っているようだった。


奇妙な柱を見た二人は、どうするか話し合った。


「なんですかね……あれ……どうしますか?」


「見たことも聞いたことも無いものばかり……ユラト、あの羽根の柱から魔力を感じたの?」


「俺が感じたのは……1つだから……恐らく、あの柱の中だと思います……」


彼女は謎の4本の柱を見つめた。


「あの中……」


少し考えた後、フィセリアはユラトに顔を向けた。


「……私たちの目的は、風の神シルフォードの解放だから、危険を冒して、あの場所に無理に近づく必要はないと思うの。だから、奥へ行きましょう」


ハイエルフの国の王女として、クエストの目的を優先させる。


それは当然の事だと、ユラトは思った。


「……分かりました。先を急ぎましょう!」


そしてユラトとフィセリアは、謎の4本の柱のある場所を避け、部屋の端を慎重に歩いた。


白く光沢がある大理石のような、少し冷たい壁に手を付けながら、部屋の出口を探し、二人は歩いた。


そして2つ目の角を曲がった時、出口らしきものが見えた。


最初に気づいたユラトが、すぐ後ろにいる彼女に話しかけた。


「フィセリア様、あそこに出口が」


「あれが出口……行きましょう」


二人は、次の部屋へ行くための出口へと向った。


そして何も起こる事無く、無事出口にたどり着いた。


ユラトは出口の先を見た。


次の通路は暗くて分かり辛かったが、2・3人ほどが横に並んで歩く事しかできない幅の場所で、天井と壁、床、全てに夜空と風によって流れ広がる雲が描かれていた。


奇妙な事に、雲の絵の部分だけがモクモクと広がったり縮んだりして動いているのが見えた。


「また通路だ……一体……どこまで続いているんだ……」


そして暗い通路の奥が輝いている事に彼は気づく。


「あれ……奥が光っているな……なんだろう……」


後ろ側に変化が無い事を確認したフィセリアは、武器を鞘に収めるとユラトに話しかけた。


「もう既に半分以上は進んでいるはずよ……だから、あと少しのはず。行くわよ!」


「そうですね……行きましょう!」


そして二人は、この部屋を出ようと出口に足を踏み入れた。


だが彼らの足は、床に足をつける事ができなかった。


突然、足が弾かれると、崩れた体勢のまま、いきなり突風のようなものが、二人に向って吹きつけてきた。


彼らが持っている、蒼き鳥の羽根が真の形を成した。


そして次の場所へたどり着く事無く、ユラトとフィセリアは部屋に戻された。


「―――うわっ!」


「―――えっ!」


驚いていると、今度は頭上から二人の目の前にある出口に向って、何かが勢い良く落ちてきた。


―――ダンッ!


4つの顔が、中心にある翼に向って息を吹きかけている姿が掘り込まれている物で、ユラトよりも遥かに大きい石の板だった。


そして出口は、分厚い石の板によって塞がれた。


「―――しまった!?」


音は彼らがやって来た入口の方からもしていた。


「………閉じ込められた!?」


「……どう言うこと!?」


二人は驚きながらも、すぐに剣を抜いた。


そして周囲を確認する。


(………一体……何が!?……)


(……何かが作動したの?……)


二人が無言で一歩も動く事無く警戒をしていると、変化が起こった。


それは、部屋の中央からだった。


周囲に存在している複数の太い柱の表面が光りを反射しているのが見えた。


(………あれは……)


それに気づいたのはユラトで、すぐに王女に話しかけた。


「フィセリア様……部屋の中央から光りを感じます……」


「なによ……あれ……」


「部屋の中心で……何かが起こっているみたいです……」


フィセリアは目を細め、光っている場所を見つめた。


「ここから出るには、行くしかないみたいね……」


ユラトが慎重に部屋の中心に向って歩き出した。


「行きましょう!」


「ええ……」


そして二人は、すぐに4色の羽根の柱がある場所の近くへ、たどり着いた。


(さっきと違う事になっている……)


(これが……光りの元……)


天井から一筋の強い光が、4本の柱の中心に向って差し込んでいた。


その光りが羽根に当たる事で発光し、周囲に4色の光りをばら撒いていた。


ユラトは、どうすれば良いのか分からなかった。


そのため、隣にいるハイエルフの王女に話しかけた。


「………どうしますか?」


だが、国から一歩も出た事の無い彼女も当然分からなかった。


「どうって……言われても……分からないわよ……」


その答えを聞いた彼は、中心に向って歩き出した。


「じゃあ……俺が近づいてみます……」


「危険よ!」


「ここしか、怪しい場所はないので……確認しないと恐らく、ここから出られないはずです……」


「だからって……」


「後方をお願いします!」


ユラトは、そう彼女に答えると、慎重に4本の柱のある場所へ向った。


「……あっ!ちょっと!……っもう!」


ユラトは、すぐに4色の羽根柱が目の前にある所へ、たどり着いた。


羽根の柱は、ユラトの背丈の2倍以上の高さがあった。


(大きいけど……他の柱よりは、小さいんだな……)


特に何かが起こる事は無かった。


ユラトは、後ろにいる王女に声をかけた。


「大丈夫みたいです!中を見てみますね!」


そんな彼を見たフィセリアは、ため息をついた。


「………はぁ……しょうがないわね……(意外と頑固な所もあるのね……)」


そして、彼女が柱の無い円状の場所に足を踏み入れた時、異変は起こった。


「………?」


ユラトが4つの柱の間に顔を近づけた時の事だった。


突然、目の前の柱の一本が、彼の体目掛けて倒れこんできた。


フィセリアは叫んだ。


「ユラト!柱が!」


「うわっ!!」


彼は慌てて、倒れてきた柱を避けた。


すると柱は何故か、音を立てることなく、床に倒れた。


(……変だ……音がしない……)


そして最初の一本が倒れると、他の3本も次々、順番を待っていたかのように、倒れていった。


倒れる事で、柱の先端にあった羽根が僅かに宙を舞った。


全ての柱が倒れても音は無く、周囲は一筋の光が差す、何も音の無い空間となっていた。


そして声と言う音を最初に出したのは、ユラトだった。


彼は4本の羽根の柱の中心にある物を見ていた。


「あれは……なんだ!?」


強い光によって影のようなものが見えただけだったが、何か細長い物のようだった。


そしてフィセリアが彼の背後へたどり着く。


彼女もまた、眩しそうに中心にある物が、なんであるのか見ていた。


「……あれって……もしかして……」


フィセリアが、それが何であるか気づいた時、突然、彼らの周囲に倒れていた4色の柱が、凄まじい勢いで転がりながら謎の物体を中心に、回転し出した。


柱の先端が二人を襲う。


「………くっ!」


「……うっ!」


すぐにユラトとフィセリアは飛び上がった。


フィセリアは、後方にいたため、柱に触れることは無かったが、ユラトは、空中で直撃を受けた。


僅かに、彼は飛ばされた。


「―――ぐっ!」


黄色い羽根の柱であったため、黄色い羽根が大量に宙を舞った。


「ユラト!」


柱は風銀の鎧の部分に当たったため、彼は無傷だった。


(思ったより……痛く無い……羽根で出来ているからか?)


そして彼は後方に飛ばされ、床に着地する。


二人は、すぐに太い柱がある場所へ向い、そこで身を隠して、中の様子を伺うことした。


4色の羽根柱は、回転する度に羽根を周囲に撒き散らしていたため、徐々に短くなっていった。


そして周囲は瞬く間に、4色の舞い上がる羽根で満たされ始めた。


二人は剣を両手で握り締め、周囲を警戒していた。


「かなりの羽根の量だ……」


「何が起こるって言うのよ!」


そして柱を構成していた羽根が全て空中に巻き上がった。


なぜか羽根は、一つも地面に落ちていなかった。


(空中に漂っている……)


そして、その羽根たちは光りの差す場所に向って、今度は吸い込まれ始めた。


すると部屋全体の空気を吸い込むような風が起こった。


ユラトとフィセリアは、柱にしがみ付いた。


「今度は、集まりだした!」


「なんなのよ!」


二人が髪やマントを部屋の中心に引っ張られるように揺らしながら、変化を見ていると、宙を漂っていた羽根たちは、床にあった謎の物を中心として、何かの形を作り出そうとしているようだった。


「……あれは……一体……」


「………」



そして時は僅かに遡り、ユラトが入口を爆破し、フィセリアと共に神殿の中に入った頃、シュトルムとラツカは突入を開始し、見事ゼナーグ王と宰相レイオスの所へたどり着いていた。


シュトルムは、王の下へ向った。


「―――父上!」


王はレイオスに上半身を支えられ、地面に座っていた。


シュトルムは、すぐにバイコーンの愛馬アリオンから下り、王の下へと駆け寄った。


周囲は草原地帯で、彼らハイエルフの軍勢は、敵に囲まれていた。


少し先ではハイエルフと闇の種族オークとの戦いが繰り広げられ、大勢の人々が行き交い、怒号や様々なものがぶつかり合う音が周囲に響き渡っていた。


たどり着いたシュトルムは、痛々しげに王を見た。


「………父上……」


ゼナーグの足には、太腿の側面の場所に矢が一本刺さっていた。


王は息子の声を聞き、目を開けた。


「………」


そして目の前にシュトルムがいる事に気づくと、彼を叱った。


「……シュトルム!?……なぜ、ここへ来た!?……」


「王を救うのは当然の事……」


「お前は、私と違って……この国の希望なのだ……このような不利な場所へ来ては……」


治療のためにやって来た魔道師が刺さっていた矢を引き抜いた。


ゼナーグは、苦痛に顔を歪めた。


「………くっ!」


王を支えていたレイオスが、ゼナーグに話しかけた。


「大丈夫ですか?……陛下……」


ゼナーグは、右手を軽く上げた。


「気にするな……治療を続けてくれ……」


「はっ!」


そう王に言われた魔道師は、薬草を潰した物を傷口に置いた。


そして懐から小瓶を取り出し、中に入っていた液体を一滴、そこへ落とした。


「―――うっ!」


王が再び苦痛に顔を歪めると、小さな蒸気のようなものが湧き上がった。


これは、ハイエルフ達が独自に作り上げた、薬草の威力を高めるポーション(液状の薬や毒)だった。


これのみでも回復効果はあるが、乾燥した薬草と併用する事で、威力を高める事ができた。


シュトルムは王に話しかけた。


「何を弱気な事を……大丈夫です。俺とラツカで、なんとかしてみせます」


王は睨むように息子を見つめていたが、王子は自信を伺わせる顔で、それに答えていた。


そして王は、諦めた様に呟いた。


「その覇気に満ちた目……羨ましいな……お前は、こんな中でも、いつもそうだな……ふふっ……分かった……この場はお前に任せよう」


「ありがとうございます……」


シュトルムが礼を言うと、王は再び鋭い目つきになった。


「……だが!」


「どうかしましたか?」


王子がそう尋ねると、王はレイオスの肩を借りて、よろよろと立ち上がった。


「―――父上!」


慌ててシュトルムも王を支えるために手を伸ばした。


すると王は真剣な眼差しで息子を見つめながら、彼の肩に手を置いた。


「必ず……帰ってくるのだ……お前とラツカ……」


彼の後ろに広がっている景色を王は、すまなそうに見つめた。


「そして……多くの兵士たち……」


ゼナーグは、これまでに失ってしまった民の事を思った。


(私が……無能だったために……多くの者を死なせてしまった……)


シュトルムの肩に乗せていた手に、力が加わっていた。


王子は人の上に立つ、父親の気持ちが痛いほど分かった。


(父上……あなたは無能ではありません……我々にただ……運と……力が無かったのです……)


そして部下の一人が、王のユニコーンを連れてきた。


レイオスがそれに気づき、ゼナーグに話しかけた。


「陛下、ユニコーンが来ました。ここは王子とラツカにお任せになって、すぐにここを発ちましょう!」


王は頷いた。


「そうだな……長居すればするほど、民は失われる……すぐに引き上げるぞ!」


「はっ!」


そしてゼナーグ王は馬に乗ると、息子に向って叫んだ。


「シュトルム、無理はするな!」


「はい、陛下!」


シュトルムが返事をすると、周囲のハイエルフ達にも、彼は威厳のある声で叫んだ。


「皆もだ!冷たい風となるな!生きた力強い熱い風のまま、祖国へ吹き戻ってくるのだ……我が……―――風の民達よ!!」


「はっ!」


兵士達は引き締まった表情で、それに答えた。


そしてレイオスがラツカに近づくと、小さな声で話しかけた。


「ラツカ……」


「なんでしょうか?」


「もしもの時は……分かっているな?」


ラツカは一瞬、王子を見た。


(シュトルム……)


そして決意を秘めた表情で父親に答えた。


「心得ております……宰相閣下……私の命に代えても、蒼き風は……必ず守って見せます……」


彼の答えに満足したレイオスは、すぐにユニコーンに乗った。


「よし!では、私は陛下を、お守りしながら帰還する!」


「はっ!」


そして王とレイオス達が、ユニコーンで駆け出した。


その背中に向ってシュトルムは声をかけた。


「レイオス!父上を頼むぞ!」


レイオスは振り返り、自身が手に持った杖を王子に掲げた。


「お任せあれ!王子にも勝利の風が吹くことを願っておりますぞ!」


そして王の帰還部隊は去って行った。


(どうか……ご無事で……)


シュトルムが、そう祈っていると、前線からやって来た部下が彼の下へ来た。


「王子!敵の攻勢が激しくなって参りました!」


「そうか……分かった」


王子はラツカに声をかけた。


「副長!行くぞ!」


「はっ!」


シュトルムとラツカは、最前線へと向った。



そして二人がそこへたどり着いた時、敵の歩兵部隊が、なぜか引き始めていた。


「敵は……引いている……どう言うことだ?」


シュトルムは、訝しげにオーク達を見ていた。


隣に馬を寄せ、ラツカは呟いた。


「彼らは有利に戦っていたはず……」


シュトルムは考えた。


「俺たちを……誘い込むつもりか?……それとも、他に何かがあるのか……」


負傷している兵士を後方へ下がらせる命令を下したラツカが、王子に話しかけた。


「王子、とりあえず、マナサーチをなさっては?」


「そうだな……」


すぐに部下に命令をシュトルムはした。


「マナサーチを!」


「はっ!」


魔道師の一人が、すぐにマナサーチを始めた。


彼らハイエルフがオーク達に勝っているものの一つが、このマナサーチの能力だった。


より広く、より詳しく、闇の種族よりも知る事ができた。


そしてサーチの結果が出た。


「王子!敵は、今いる場所からある程度下がった後、左右に分かれ、我々の後ろ側に付こうとしているようです!」


それを聞いたシュトルムは、敵の意図に感づいた。


「誘い込みながら、退路を断つつもりか!」


「恐らく……」


ラツカが王子にどうするか聞いていた。


「王子……どうなさいますか?」


「退路を絶たれては……本国と分断されてしまう……すぐに、退却のための準備をする!兵を下がらせろ!」


「はい!」


そして退却の準備が整うと、今度は左右に分かれていた敵が、両側から襲ってきた。


ラツカが叫んだ。


「王子、両側より、―――敵襲!」


「俺たちに策がばれた事に感づいたか……もう少し……それらしくやった方が良かったな……しかし……感づかれるのが早すぎた……」


そして王子は叫んだ。


「『タロス』を左右の前面に展開!そして、その後ろに、『エンキドゥ』の歩兵と弓兵を!」


彼らハイエルフは戦力を補うため、『タロス』と言われる『ゴーレム』と『エンキドゥ』と言われるものを使用して戦っていた。



【ゴーレム】


錬金術によって生み出された人形の総称。


鉄・砂・青銅・木・石・肉などの様々な材質で生み出される自動人形。


能力は、材質によって異なる。


また、青銅のゴーレムが活躍した有名な話があり、その名がタロスであったことから、彼らも青銅のゴーレムを『タロス』と呼んでいた。



【エンキドゥ】


錬金術によって生み出された魔法人形。


全身が柔軟性のある魔法の磁器で出来ている。


流れる風を想像させる模様が表面に描かれている。


ゴーレムと違い、細かい動きが可能で弓を使ったり、歩兵として武器や盾を使用して戦ったりすることが出来る。


人より、若干動作が鈍いが、戦力として十分戦える能力を持っている。



王子が命令を下すと、人の形に近い、濃い青緑色の大きな巨像の部隊が地面に砂埃を巻き上げながら、左右に分かれて行った。


ゴーレムは良く見ると、体の節目と目が黄色い光りを僅かに放っていた。


そして、その後をエンキドゥと言われる魔法人形が続いた。


赤茶色の肌で、腕や足に流れる風の模様が描かれ、体には木の皮を硬くなるように加工した兜や鎧を装備し、手には槍や剣や長盾、弓などを持っていて、無表情な顔で、瞳の奥に赤い炎が宿っている人形だった。


すぐにオークの歩兵部隊とタロスの戦いが始まった。


「―――オオオッー!」


タロスは、オークの槍や弓による攻撃を物ともせず、攻撃をした。


重く長い腕を、土煙を上げながら持ち上げると、そのままハンマーのように振り下ろす。


―――ドンッ!


更なる土煙が上がり、オーク達を跳ね飛ばした。


そして王子が、すかさず命令を下した。


「―――矢を放て!!」


エンキドゥの弓兵部隊が一斉に弓を弾くと、タロスのいる場所全体に矢の雨が降った。


「ぐああ……」


「ぎゃああ!」


黒い鎧に身を包んだオーク達の悲鳴が戦場に響く。


しかし敵は、前進を止める事無く、左右よりタロスを避けながらも迫って来た。


(数で俺たちを圧倒するつもりか……)


それを見たシュトルムは、黄金のサーベルを鞘から引き抜いた。


すると風と共に淡く光る小さな粒子がこぼれ落ちた。


「我々、魔法騎兵も行くぞ!」


「はいっ!」


この剣は、父親ゼナーグから成人の祝いとして譲り受けた物だった。


『ラジェス・ハシャール』と『キディス・ハシャール』言う、ブラウフェダー王家以外の王家に仕えた双子の伝説の騎士が持っていた剣で、名を『レイオルド』と『マディケイド』と言った。


レイオルドはシュトルムが持ち、マディケイドはラツカが持っていた。


双子の騎士は自身が仕えた姫に恋をして、壮絶な奪い合いになった末、お互いをこの剣で攻撃し合い、相打ちとなって二人とも命を失っている。


悲劇の剣ではあったが、双子の騎士の輝かしい功績は、今も語り継がれている程であったため、勝利の剣としてゼナーグは息子とラツカにこの剣を与えた。


また、この剣は風の魔法の威力を高める事が出来、闇と雷撃の抵抗を持っている。



王子とラツカが魔法騎兵を二つに分け、後方から回り込むように攻撃を仕掛けようとしたその時、魔力を大量に込めマナサーチを放ち、より広範囲に戦場を調べていた者がシュトルムに向って叫んだ。


「―――王子!遥か後方から……大軍勢がこちらへ向かって来ます!」


それを聞いた王子とラツカは、動きを止めた。


「―――なんだと!?」


「数は!?」


ラツカに数を問われた魔道師は、苦しげに答えた。


「こちらの2倍以上です……」


二人は、顔を見合わせた。


「……これは……」


「王子……それが本隊では?」


シュトルムの握る手綱に力が加わった。


「恐らく……そうだ……」


オークの歩兵が何人か、槍を持ち、突入して来た。


シュトルムは、魔法騎兵に命じた。


「ウィンド・スラッシュを放て!」


素早く数人の騎兵がオークの下へ駆け寄った。


そして風の攻撃魔法を唱えた。


「―――はっ!」


風の刃は敵に命中し、悲鳴を上げた。


そして、そのまま剣を抜き放ち、オークに振り下ろしていく。


オーク達はその攻撃を喰い、次々倒されて行った。


そんな中、ラツカはサーチをした魔道師に尋ねた。


「どれぐらいで……ここへ来ますか?」


「結構離れているので……恐らく……日が沈みかける頃かと……」


シュトルムは、空を見上げた。


すると、高く昇っている太陽と、雨雲らしき雲が見え始めていた。


「時間をかける訳には行かないと言う事か……」


王子は、作戦を変えることにした。


「ラツカ……このままでは無駄に時間を消費してしまう……だから陣形を変え、前面の敵陣を突破して、一気に森の中へ入り、国に帰還した方が良いのかもしれん……お前はどう思う?」


ラツカは頷いてから答えた。


「私も同じ考えです……敵の本隊が来れば、我々は孤立したまま、全滅するでしょう……速やかに撤退されるのが良いと思います……」


彼の意見を聞いたシュトルムは、すぐに決断した。


「よし!では我々、魔法騎兵が前方の敵へ目掛け突入をかけ、突破口を開く!」


「はっ!」


そして、彼ら白きユニコーンの騎兵部隊は、祖国がある場所へ向った。


すると、オークの歩兵達と共に森が見え始めた。


(あそこを確保することが出来れば……皆を逃がす事ができる……)


シュトルムが愛馬アリオンに乗りながら、そんな事を考えた。


そして彼は苛立った。


(だが!……なんと消極的な考えなんだ……本当は……あいつらを全て蹴散らしてやりたい!……あんな奴ら……)


シュトルムは、部下に命令を下した。


「スラッシュの準備を!3回に分け、時間差をつけて魔法を放った後、敵の中へ切り込む!」


敵に近づきながら、彼らは魔法を唱えた。


「………風よ……刃となり……闇を切れ!」


魔法の射程に敵を捉えた騎兵たちは風の刃を放っていく。


「―――ウィンド・スラッシュ!」


槍を持ったオークの歩兵に次々と当たっていく。


魔法を受けた者達の悲鳴が上がった。


「ぐあああ!」


「ぎゃあ!」


しかし敵は歩みを止める事無く進んで来る。


そんな彼らの姿を見た王子は声を出した。


「二発目を放て!」


後続の騎兵たちが風の刃を放つと、魔法は敵の体や足元に当たった。


「ぐはあ!」


砂が草の葉と共に舞い上がった。


「まだだ!撃て!」


そして三発目のスラッシュが敵に触れた瞬間、ハイエルフの騎兵部隊が敵と直接武器を交えた。


「おおおお!」


「ぐっ!」


金属がぶつかり合う音が鳴り、お互いの怒号が響き渡った。


「倒せー!」


「殺す!」


シュトルムもオークの一人に素早く近づき、切り伏せた。


「はっ!」


オーク達も反撃し、何人かの騎兵がやられ、ユニコーンから落ちた。


「うあああ!」


「ぐはっ!」


すぐにシュトルムは、もう一度魔法による速度を活かした攻撃をするため、敵から離れようと声を上げた。


「再度突入をするぞ!準備を!」


移動を開始すると、彼らのいる場所の上空に矢の雨が近づいているのが見えた。


すぐに気づいたのはラツカだった。


「―――王子!!矢が来ます!」


「―――くっ!」


遠くの空を見上げた見た王子は、すぐに叫んだ。


「この場を引くぞ!魔法を!」


最後尾にいた数人の魔道師が、風の補助魔法を周囲の騎兵に向って放った。


「―――ウィンド・ヘイスト!」


ハイエルフ達は吹き上がる風に包まれた。


「行くぞ!」


彼らは一気に、その場から去った。


シュトルム達が去ると、すぐに矢が大量に降り落ちてきた。


「冗談じゃねぇ!」


「うわああ!」


オーク達にその矢は降り注いだ。


何人かのハイエルフの腕や足にも矢は刺さった。


「くっ……」


愛馬アリオンで走りながら、シュトルムは後ろを振り返った。


「敵も味方も……お構いなしか……なんて奴らだ……」


矢を放ったのは、オーク達のようだった。


そしてシュトルムは見た。


(………―――あいつは!?)


森の奥から、彼の知っている人物が現れた。


シュトルムは、ラツカに話しかけた。


「ラツカ、後ろを見てみろ!」


ラツカは、すぐに振り返った。


「……あれは……なるほど……あの容赦の無い攻撃は……あの男の命令だったのですね……」


彼らの視線の先には、巨漢のオークの男がいた。


黒い鎧を着ていたが、鎧からはみ出ている腕や足は、丸々と太っていた。


そして、その上に同じような黒いマントを羽織っていた。


マントには血のように赤い、オークの紋章が描かれ、それは遠吠えをしている狼だった。


また背中には戦斧があり、僅かに黒いオーラを放っていた事から何かの力があるように見えた。


彼はギラギラと目を輝かせながら口元を歪ませ、笑みを浮かべると、自身が乗っているものの頭を軽く撫でた。


それは巨漢の彼より、更に大きい狼だった。


銀色の毛を持った雄々しい姿の狼で、口を開けると鋭い牙が見えていた。


前足や後ろ足は太かったが、下に行くほど細長くなっていて、美しくもあった。


その狼の種類は、ダイアーウルフと言われるものだった。


この狼は、ユラトが始めて冒険をした際に、デュラン・マーベリックと共に洞窟を出た時に遭遇したと思われる魔物だった。


彼らオークは、この狼を馬のように足として乗りこなしていた。


草原を走る事だけでなく、丘や山、森林や崖のある場所、沼など、様々な場所を素早く駆けることが出来る。


そして、このオークの男の名は、『ギュロス・バハーダン』と言った。


彼は将軍の地位にあり、長年ハイエルフと戦ってきた人物だった。


当然、ゼナーグやシュトルム、ハイエルフ達も彼の事は知っていた。


欲深く好色な男でハイエルフの女を手に入れたいと思っている。


ギュロスは片手を上げた。


「………フッ」


すると角笛が鳴った。


―――ブオオーーン!


その音を聞いたオーク達は突然戦うのを止め、ハイエルフ達から離れ、一定の距離を置いた。


シュトルム達は、騎兵を走らせることを止めた。


(………どう言うことだ?)


ラツカとシュトルムは、顔を見合わせた。


「ラツカ……」


するとラツカが話しかけてきた。


「王子……バハーダンが……」


シュトルムは振り返った。


「あいつ……」


ギュロスはダイアーウルフに乗ったまま、一人前へ出てきた。


そしてシュトルムに向って叫んだ。


「―――シュトルム殿下!お話が御座います!」


シュトルムは目を細めた。


「……話?(あいつ……何を、考えている……)」


ラツカも疑いの目で、彼を見ていた。


(……何かをするつもりか?)


そしてギュロスは、ハイエルフとオーク達がいる中間の場所に、一人やって来ていた。


それを見たシュトルムも行くことを決めた。


(行くしかないか……)


アリオンの頭を彼のいる場所へ向けた。


そして相手のいる場所へ進もうとするシュトルムの隣にラツカがやって来た。


彼は小さな声で、王子に話しかけた。


「王子……大丈夫ですか?」


シュトルムは、表情を変えずに答えた。


「みんなが見ている……俺は王子として……弱い所を見せるわけにはいかないんだ」


「王子……」


多くの民の上にいる自分が不安げな表情になり、敵を恐れていては、士気に関わる事を彼は知っていた。


「シュトルム、闇とは毅然と立ち向かえ!」


ゼナーグに、その事を幼き日より教えられたシュトルムは、今がその時だと思った。


(ふん!……バハーダン……お前が何を仕掛けてこようと、恐れなどせん!)


敵を真っ直ぐ見つめ、背筋を伸ばし、堂々と馬に乗って彼は、オークの将軍の下へ向った。


ラツカは、ぎりぎりの所まで付いて行くと、部下を一人呼んだ。


すぐに一人の騎士がユニコーンに乗ってやって来た。


「副長、どうかしましたか?」


ラツカは王子の背中を一瞬見てから話した。


「バハーダンが王子に危害を加えるような動きを見せたら、すぐに魔法と矢を放てるよう、準備をしておいて下さい」


「はっ!」


騎士は返事をすると、すぐに準備に取り掛かった。


そしてラツカもウィンド・ヘイストの魔法を静かに唱え始めた。


(……すぐにお救いする準備を……)



ハイエルフの王子とオークの将軍。


お互いの味方を背にして、両者は睨み合った。


シュトルムがバハーダンの下へとたどり着いた時、灰色の雲が太陽を覆った。


僅かに湿った風が吹き、草原の草を川に流れる水のように、そよがせた。


最初に口を開いたのは、オークの男だった。


彼は心の中に邪悪な何かを秘めたような目つきで、笑みを浮かべながらゆっくりと話し始めた。


「………シュトルム殿下、お久しぶりです……あの時、以来ですかな?……」


バハーダンは、そう言って首筋を見せた。


そこには、切り傷が付いていた。


それは、1年ほど前の戦場でシュトルムが付けた傷だった。


その傷を見ながらシュトルムは答えた。


「生きていたのか……しぶといな……お前は……あの時にしっかりと、止めを刺しておくんだったな……」


バハーダンは笑っていた。


「ふっふふ……あの程度の風では……私を倒す事など……」


そしてシュトルムは、鋭い目つきになった。


「……で?……話とはなんだ?」


王子がそう尋ねると、バハーダンは残念そうな表情を白々しく作って話した。


「出来ればもう少し、お話をしたかったんですが……」


「お前たちの軍勢が後方から来ている事は知っているぞ!時間を稼ぐつもりか!」


「いえいえ……とんでもございません……私はただ純粋に……」


王子は周囲を警戒しながら叫んだ。


「いいから、早く用件を喋れ!」


急かされたバハーダンは諦めたような表情になった。


「……分かりました……では、本題をお話しましょう……」


すると彼は胸元に左手を置き、王子に右手を差し出した。


「殿下……ここは一つ、休戦協定を結ぶ……と言うのはいかがでしょう?」


意外な言葉に彼は驚いた。


「………休戦だと!?」


「左様です……」


シュトルムは、バハーダンを見つめながら考えた。


(休戦か……この場を何とか逃げ切るためにするのは良いのかもしれん……だが……)


王子は、彼ら闇の種族が、なんの利益も無しに休戦するとは到底思えなかった。


(こいつ……一体……何を求めているんだ?)


シュトルムは、バハーダンに話しかけた。


「お前らとその協定を結べば、我々が本来いた世界樹までにあった村々を返してくれるのか?」


バハーダンは、首を振りながら答えた。


「申し訳ありませんが……それは我が王に尋ねてみませんと……私の一存で決めることはできません……」


「………では、バハーダン……お前は、何が望みなんだ?強欲なお前が何の得をする事も無く、休戦を言ってくるはずが無い」


王子のその言葉を待っていたのか、彼は口元に僅かな笑みを浮かべた。


「流石は殿下……私の事をよく知っていらっしゃる……ふふ……」


ラツカが魔法を唱え終えた。


そして彼は、魔法が宿っていない方の手を王子の背中に向って小さく振り、風を送った。


王子は、その風を受けた。


すると僅かだが王子の後ろ髪が揺らいだ。


(ん………これは……ラツカか……準備が整ったようだな……よし……)


シュトルムは、わざと苛立ったようにバハーダンに話しかけた。


「おい!早く言え!」


「殿下……交渉には時間がかかるものですよ……ふふ……」


バハーダンは、少しの間を置いてから話した。


「………確か……殿下には、妹君がおられましたな?聞くところによると、とても美しく愛らしいお姫様だとか……」


その言葉を聞いた瞬間、王子は目の前にいるオークの男が何を欲しているのかを悟った。


そしてバハーダンを睨み付けた。


「フィーをどうするつもりだ?」


「なに……簡単な事です……あなたの妹君を我が妻として迎えたいのです……ハイエルフとオークの……休戦の証として……」


シュトルムはバハーダン達、オークのいる遥か後方を見上げた。


(フィー……ファルゼイン……二人は、無事に神殿に入る事が出来ただろうか?)


そして彼は視線を落とし、バハーダンに話しかけた。


「妹をお前の所へ嫁がせたとして……お前達が我々の国を攻めてこないと言う保証はあるのか?」


「それは……私めを信じて頂く他ありません……」


「では……信用できんな」


「殿下……私は、一度たりとも約束を破った事などありません……」


「それは、お前が勝手にそう言っているだけで、俺が見たわけではない」


「……では……私の提案は……お辞めになりますか?」


シュトルムは腕を組み、右手の人差し指と親指で自身の顎に触れながら期待を込めた表情でバハーダンに話しかけた。


「………そうだな……お前らが、世界樹の向こう側まで兵を引き、俺たちから奪った領土を返すと言うなら、考えてやってもいいぞ?」


バハーダンは、頭を何度か左右に振った。


「殿下……ご無理を仰らないで下さい……あなた方が命を失ったように、我々も傷つき、命を失い……多量の資金や物資を投入し、ようやく手に入れた場所ですよ?……それを、たかがお姫様一人で全てを無に帰す事など……出来るはずがありません……どうかご再考を……」


バハーダンの言うことを聞いたシュトルムの中に熱いものが込み上げてきた。


(………こいつらは……)


そして、それはすぐに怒りの感情へと変わった。


「―――黙れ!俺たちの先人達が土地を開墾し、畑や村を作って……平和に暮らしていた場所に、突然お前らが勝手に攻めてきたんだろうが!お前らの被害など知ったことか!」


王子の叫びを聞いたラツカの表情が変わった。


(王子……それはバハーダンの策かもしれません……どうか……冷静に……)


バハーダンは眉を寄せ、わざと困ったような表情になりながら話した。


「………これはまた……酷い仰り様です……我々は常に対話の門を開いておりましたよ?……お話をしたいならば、一言そう仰ってくだされば……」


「何が対話だ。お前らの一方的な要求を飲まされるだけだろうが!」


王子はこれ以上の話は無駄だと思った。


「……バハーダン……もはや……これ以上の話は意味をなさん」


「……ほう……では……どうなさるおつもりですかな?」


「分かっているだろ?……先ほどからやっていた事を再開させるまでだ」


バハーダンは、わざとらしく驚いて見せた。


「この不利な状況で……戦いをなさるおつもりですか……これは参りましたね……」


そんな彼に向ってシュトルムは、笑みを浮かべながら話した。


「ふふ……言っておくが……俺の妹は、お前なんぞの手に負える女ではないぞ」


王子の言葉にバハーダンは、珍しく真面目な表情になった。


「……どう言う……意味ですかな?」


「それは俺たちを倒し、自分の目で確かめる事だな」


王子の頑なな態度を見たバハーダンは、頭を少し下へ下げると、大きなため息をついた。


「はあああぁぁー………」


そして彼は、心の中に秘めていた本性を現した。


「とっとと……ハイエルフの女を出せばいいもんを……面倒な事にしやがって……」


「フッ……それが本来のお前か……」


「言っとくがな……王子……お前らの風なんぞでは、俺らを倒す事なんてできんぞ!」


「それは……どうかな?」


バハーダンは、王子の風の事について思い出した。


「確かお前の風は、青い風だったな……」


「そうだ……その身に受けてみるか?」


王子の問いかけにバハーダンは、先ほどとは程遠い、下卑た笑い声を上げながら答えた。


「へっへっへ……てめぇの青い風ってのはあれだろ……せいぜいケツを青くするぐらいだろ!……未熟なお前には、丁度いいんじゃねぇか!?ぶひゃひゃひゃ!」


自身の体に宿る蒼き風を侮辱された王子は、国の中では決して見せることの無い、氷のような冷たい眼差しをオークの将軍に向け、静かに話した。


「黙れ、豚野郎……俺の風は、お前の青緑の顔をより一層、青ざめさせるためのものだ……今すぐしてやろうか?」


それを聞いたバハーダンは笑うの止めた。


「………いいぜ……風の王子様……」


そして彼は王子を挑戦的な目で睨み返し、言葉を相手に吹きかけながら囁くように答えた。


「やってみろよ………」


「…………」


しばし、二人は無言で睨み合った。


後方にいるラツカ達は、事の成り行きを固唾を呑んで見守っていた。


(王子……)


周囲は再び、殺気に満ちた場所となった。


黒っぽい雲が空を覆い、周囲を薄暗くさせると、一瞬強い風が吹き、両軍の旗が誇らしげにパタパタと音を立てなびいた。


そしてついに、ラツカの目の前にいる二人は、同時に同じ事を力強く叫んだ。


「―――矢を放て!」


その声を合図に、戦闘は再開された。


オークの歩兵の叫びが響く中、エンキドゥの弓兵達が、一糸乱れぬ動きで矢を放った。


そしてラツカは、傍に控えていた魔道師にウィンド・ヘイストをかけてもらうと、すぐに王子の下へ馬を走らせた。


「―――王子!」


バハーダンは、腰に下げていたハチェットと言う小型の手斧を投げた。


「―――死ね!」


しかし、警戒していたシュトルムは、それをレイオルドで弾いた。


「せこい手を……」


「ちっ!」


バハーダンは手斧を投げると、すぐにダイアーウルフを走らせ、後方へと向っていた。


どうやら最初から倒すつもりではなく、相手の動きを封じるために投げたようだった。


そしてシュトルムは、その背中へ向ってスラッシュを放った。


「―――今度は、俺の番だ!」


王子が右手を払う動作をすると、ラツカがやって来た。


「王子!」


すぐに彼は、シュトルムにヘイストをかけた。


王子は吹き上がる風を全身に受けながら、バハーダンを見ていた。


「………くそっ……外したか……」


オークの将軍は、背中にある大きな戦斧を軽々と持ち上げると、それを盾代わりに使い、シュトルムの放った風の刃を受けさせた。


そして王子とラツカとバハーダンは大量の矢が降ってくる場所から退いた。


彼らの去った場所に、矢が雨のように降り注いだ。


自陣に戻った彼らは更に命令を下した。


「敵は、一つの場所に固まった!全てのタロスを前面の敵に向けろ!そして、その後をエンキドゥの歩兵部隊と共に、我々も行くぞ!」


「敵はタロスを先頭にしてくるはずだ!陣形を再編させる!あれを呼べ!」


シュトルム達は、ゴーレムを先頭に、敵に向った。


すると、オーク達の歩兵は、引いて行った。


(敵が……引いている?……)


シュトルムはそれを見て、どうするか考えた。


(なぜ……迎え撃ってこない……何かあるのか?……)


そう思った彼は、叫んだ。


「敵の動きがおかしい!速度を落とせ!」


すると、オークの歩兵と入れ替わるように、大きな体を持った魔物達が最前線に現れた。


それを見たラツカがシュトルムに話しかけた。


「王子!新たな敵が!」


考えていたシュトルムは、彼の言う先を見た。


「………なんだ……あいつは……」


その魔物は、タロスと同じぐらいの大きさがあった。


数は遥かに向こうの方が多く、横一列に壁を作るように、それは並んだ。


バハーダンは、苦々しくその魔物を見ていた。


「………なんとか間に合ったか……うすのろ共め……」


そして号令をかけた。


「『オーガー』を前面に出して防御壁を築き、陣形を半月状にしろ!これで時間を稼ぐ!」



【オーガー】


残忍で凶暴な巨漢の人型怪物。


人間の何倍もの背丈を持ち、分厚く頑丈な赤みがかった肌と尖った短い耳、太く長い腕、鋭い牙、強い力がある。


体毛がほとんど無く、知性は低く、文字の読み書きや物事を正確に話したりすることは出来ない。


そのためオーク達に良いように、こき使われている。



シュトルムは、魔物に詳しい魔道師から話を聞いていた。


「………オーガーか……面倒だな……」


そして敵は、半月の形に陣形を整えた。


すると、今度は敵全体が一瞬だったが輝く黄金の光りに包まれた。


「……おお……来たか……」


その光りを受けるとバハーダンは、満足げに自身の両手を見ながら頷いた。


「よし!ヴォーディンよ……感謝するぞ!」


この世界では、戦の神『ヴォーディン』が定めた陣形があり、その形になって一定の魔力を送ると、加護を得る事が出来た。


ヴォーディンは戦をする者全てに加護を与えるため、光も闇も関係が無かった。


「本当は……最も深き夜に……奴らと戦いたかったんだが……」


闇の力が良く働く深夜に、バハーダンは戦いたかった。


しかし、オーガーを移動させるのに手間取ってしまったため、真昼になってしまっていた。


その事を彼は悔しく思っていた。


「くそ!馬鹿オーガー共め!……いつも俺を困らせやがる……」


しかし、彼の視線の先には、ハイエルフの王子が率いる軍勢がいた。


その事を思い出したバハーダンは、笑みを浮かべた。


(だが……王子を向こう側に閉じ込められたのは、結果的に良かったのかもしれんな……ゼナーグの奴は、小賢しいレイオスの魔法のせいで取り逃がしたが……ぶひひ……)


そして彼は向ってくる青銅のゴーレムに対して、オーガーの壁を前進させた。


「オーガー共!タロスを迎え討て!」


両軍の巨大な兵士は、すぐにぶつかり合う事となった。


お互い、土煙を上げながら、拳での殴り合いが始まった。


そして、その度に鈍い金属音と肉体の音が鳴った。


周囲にいたエンキドゥとオークの歩兵は、その攻撃に巻き込まれた。


「うわああ!」


「ぎゃあああ!」


オークの歩兵は様々な声を出しながら飛ばされ、エンキドゥは陶器の壷を地面に叩きつけたような音を出しながら粉々に破壊され、周囲に飛び散った。


それを見たラツカは、シュトルムに話しかけた。


「王子!このままでは!」


「分かっている!エンキドゥの歩兵部隊を少し後ろへ下げろ!無駄に破壊されるわけにはいかない!」


「はっ!」


王子の言葉を聞いた部下の一人が返事をすると、すぐに魔力をエンキドゥに送り、彼らを後方へ下げた。


シュトルムの目の前ではタロスとオーガーの殴り合いが続いていた。


「これでは……長引いてしまう……」


そうなると彼らの遥か後方から、こちら側へ向ってくる倍以上はいるオークの軍勢に挟み撃ちにされてしまう。


その事を思い出し、王子の心に焦りが生まれた。


「どうにかして……ここを突破しなければ……」


彼が思案に暮れていると、青白い矢が草原と並行に飛んで来るのが見えた。


シュトルムは、それが何であるか知っていた。


「―――敵のマナサーチか!」


シュトルムは、苦々しくサーチの矢を目で追った。


「……どうして……いつも奴に先手先手を取られるのか……」


バハーダンは王子が幼き日より、ずっとゼナーグと戦っていたため、彼より遥かに戦になれていた。


シュトルムは、自身の経験の無さを思い知った。


(老練な男だ……バハーダン……こればかりは認めざるを得ないか……)


そして王子は気持ちを切り替えることにした。


(だが……俺も、やられてばかりと言う訳にはいかない!)


彼は、すぐにマナサーチを部下に命じた。


「こちらもマナサーチを!」


「はっ!」


そして敵の情報が分かった。


「王子、敵はオーガーを前面に出し、その後ろで半月陣をとっている模様です!」


ラツカが話した。


「恐らくバハーダンは、時間を稼ぐつもりなんでしょう……どうしますか?」


シュトルムは、すぐに答えた。


「よし、ならば俺たちは魔法騎兵で、敵の側面を攻撃し、奴らに揺さぶりをかけてやる!」


ラツカは頷くと、後ろで控えている騎士たちに声をかけた。


「わかりました……魔法騎兵、出るぞ!」


そして王子は、白いローブを着た魔道師の女部隊長に話しかけた。


「ラズリーン、敵の防御陣が崩れ、隙が生まれたら、すぐにそこへタロスとエンキドゥの部隊を突入させ、お前たちもその後に続け!良いな?」


「はい!王子!」


彼女は『ラズリーン・フォルカー』と言う女性で、若くして魔道師部隊の部隊長になっていた優秀な人物だった。


しかし、本来は工房でウィスプやエンキドゥ達を生み出すことが好きで、戦闘はあまり得意では無かった。


シュトルムとラツカは、この場を彼女に託すと、騎兵部隊を右側へ移動させた。


「将軍!敵に動きがあります!」


オークの狼騎兵が一人、バハーダンの下にやって来た。


この事は想定の中に存在していたのか、彼は僅かに笑みを浮かべた。


「ふふ……やはり動いたか……まあ、そうするしか活路はあるまい……」


バハーダンはシュトルム達に対抗するため、自ら狼騎兵を率いることにした。


「よし、ダイアーウルフの部隊で迎え撃つ!付いて来い!」


「はっ!」


そして移動しようとした瞬間、彼は何かを思い出した。


「………そうだ……おい!あれの準備はどうなった?」


すると、バハーダンの後ろから黒いローブを全身に纏った、細身のオークの男が灰色の木の杖をついてやってきた。


「ギュロス様……既に準備は整ってございます……」


「そうか……ぶひひ……これでもう……あいつ等は、終わりだ……」


魔道師の言葉を聞いたバハーダンは勝利を確信した。


そして移動しながら、王子の事を考えた。


(ふふふ………蒼き鳥の国の王子よ……お前は今、俺の鳥篭の中にいる……これから、その中に手を入れ……二度と飛べぬよう、その美しい翼を引き千切ってやるぞ!)



シュトルムは、タロスとオーガー達がいる場所から離れた場所にいた。


そして突入前に、マナサーチをさせた。


「………王子!どうやら敵は……こちらの動きに合わせて騎兵を送ってくるようです!」


その言葉を聞いた彼は、剣を鞘に収め、魔法を唱え始めた。


「いいだろう……バハーダン……戦ってやる!ラツカ、あれをやるぞ!」


「はっ!」


ラツカは返事をすると、部下に向って叫んだ。


「……鳥の陣形を!」


すぐに近くにいた部下が復唱した。


「……フォーメーション、―――バード!」


そしてシュトルム達は魔法騎兵を、二つに分けた。


一つは王子が率い、もう一つはラツカが率いた。


二つとも群れを成して空を飛ぶ、渡り鳥のように、隊を少しずつ後ろ斜めにずらした形で騎兵を走らせた。


そして先頭にいた二人が天に向って手を上げると、彼らにもヴォーディンの加護がやってきた。


僅かにシュトルムは熱を体に感じた。


(……来たか……戦の神の加護……)


一瞬だが、白き魔法の騎兵部隊は黄金の騎兵部隊になった。


そして僅かな速度の上昇の力が彼らに与えられた。


広大な草原地帯を駆けていると、狼に乗ったオークの集団が見え始めた。


「王子!敵が現れました!」


ラツカが敵の狼騎兵を発見し、シュトルムに向って叫んだ。


王子は無言で頷くと、隣にやってきたラツカに話しかけた。


「ラツカ……フレースヴェルグは二枚の翼で雄々しく空を飛ぶ……どちらかが一つでも欠ければ、二度と大空を飛翔する事はできん……」


ラツカは、シュトルムの目指す先を思い描きながら答えた。


「はい、王子!」


王子は、後ろも振り返った。


「皆もだ!祖国へ帰るぞ!」


「はっ!」


騎士達が覇気のある返事を返すと、王子は自身の手をラツカ達に向けた。


彼の手には蒼い魔力の塊りが宿っていて、オーラの様な物も出ていた。


「よし……では行け……」


そして王子は、魔法騎兵全体に風の補助魔法を力強く放った。


「―――我が片翼の翼よ!」


瞬く間に蒼き風が、ハイエルフの騎士たちを包み込んだ。


すると彼らは王子の生み出した蒼い色に染まった。


「お任せを!」


そして、すぐに彼らは二手に分かれた。


するとそれは、広大な草原の戦場にフレースヴェルグの2枚の翼が広がったように見えた。


「将軍!敵が来ます!」


オークの騎士がバハーダンに向って叫んだ。


「よし、奴らは速度を上げた……ならば、こちらは偏差射撃で対応する!弓かハチェットを準備しろ!」


「はっ!」


部下が準備を済ませたのを確認すると、バハーダンは再び叫んだ。


「奴らは寸前で、更に左右に分かれるはずだ。だからある程度近づくまでは攻撃をするな!」


「わかりました!」


草原に生えている短い丈の草の葉と土を、かき上げるように両者の騎兵は突き進んだ。


そして、お互いが攻撃の射程に入った。


シュトルム達、ハイエルフの騎兵の手には詠唱を終えた魔法が宿っているのが見えた。


(さあ、来い!王子!)


バハーダンは片手を上げ、命令を下すのを今か今かと待っていた。


すると、王子とラツカの部隊が動きを見せた。


(動きやがった!)


バハーダンは攻撃の命令を下すため、腕を振り下ろそうとした。


しかし、彼は目の前の光景を見て、振り下ろすのを躊躇った。


「―――ん!?」


何故かと言うと、それは彼の思惑とは違う動きだったからだった。


「―――何!?再び中央に集まっただと!?」


戦いをたくさん経験してきたオークの将軍は、笑みを浮かべた。


「一箇所に集まるなど……―――馬鹿め、一網打尽にしてやる!」


彼が中央に集まりつつあるハイエルフの騎兵達に向って、攻撃をさせようとした時、王子よりも少しだけ先行していたラツカが叫んだ。


「―――今だ!風を放て!」


ラツカ・シェルストレームは、そう叫びながら自身の手に宿った風の魔力を敵ではなく、地面に叩きつけるように放った。


「ん!?」


そして次々、彼の後ろに付いて来ていた風の騎士達も地面に魔法を叩きつけた。


バハーダンは手を振り下ろし、命令を下した。


「馬鹿め、外しおったわ!!―――今だ、やれ!!」


敵が一斉に矢とハチェットを放った。


ラツカ達は草原に流れる風の如く、素早く騎兵を進ませながら、叫んだ。


「シュトルム・フレーヴェンの風よ………壁となれ!―――『ウィンド・ウォール』!!」


すると、地面から勢い良く風が昇り上がり、淡い水色の風の壁が現れた。


そして風の壁は、オーク達が放った武器を上へ跳ね上げた。


「―――なにいぃ!」


バハーダンは驚いた。


オーク達が驚く中、王子とラツカの部隊は中央でぶつかるように合流し始めた。


(―――やるぞ、ラツカ!)


(はい、王子!)


吹き上がる風の壁を前にして、二つの騎兵部隊は斜めに合わさると、交差しながらも、ぶつかる事無く、お互いを次々避けて行き、位置を逆転させた。


これはシュトルムとラツカが考えた作戦の一つだった。


しかし、一歩間違えば仲間同士がぶつかり合う、危険な作戦でもあった。


こういった事を彼らは毎日、国の中で特訓していたため、見事実戦で成功させることができた。



【ウィンド・ウォール】


風の魔法。


上空へと吹き上がる風の壁を作り出す。


用途は、今回のように矢などの飛び道具を避けるために使用したり、宙に浮く魔物などに使用したりと、様々な使い方がある。


ウッドエルフの『リーフストーム』は、一瞬で風が消えるが、これは込めた魔力にもよるがファイアー・ウォールのように、しばらくその場に留まらせる事ができる。



そして今度はシュトルムが先行し、敵の側面に近づくと、ウィンド・スラッシュを放った。


「―――放て!」


次々彼らは、風の刃を放った。


「はっ!」


「ぐあああ!」


悲鳴が上がり、幾人かのオークがダイアーウルフから落ちた。


「くそ!武器を持て!」


バハーダンが彼らに命令を下した。


オーク達は反撃をしようと、剣や斧を構えた。


すると今度は、ラツカの部隊が剣を抜き放って、逆の側面から切り込んできた。


ラツカは素早くバハーダンに近づくと、手に持ったマディケイドと言うサーベルを振り下ろした。


「―――覚悟しろ!バハーダン!」


「くっ!」


バハーダンは戦斧で、その攻撃を受け止めた。


(仕留められなかったか……)


そしてシュトルムとラツカの部隊は、オークの部隊を通り過ぎた。


すると再び、彼らハイエルフの騎士達は交差し、位置を逆転させた。


それを見たバハーダンは苛立った。


「何てことだ!無駄に被害だけを出してしまった……騎兵同士の戦いは、やはり奴らに分があるな……」


そして蒼き騎士の部隊は、反転すると、再びオークの部隊の後ろを追って来た。


「追ってきやがったか……不味いな……」


バハーダンは、すぐに本隊のある場所へ戻ることを決めた。


(勝ち目が無い戦いをしてもしょうがねぇ……少し調子に乗りすぎたか……まあいい……あれをやってやるか……)


彼は部隊を反転させると、陣形を変えた。


「鬱陶しい鳥共を、射抜くぞ!」


彼らが陣形を変えたのをシュトルムは見ていた。


(敵は、矢の陣形に変えたか……逃げるのか……それとも……俺かラツカの部隊を分断する気か……)


彼は、すぐにどうするか決めた。


レイオルドを掲げ、ラツカに見せた。


ラツカはそれがなんの合図であるのかを知っていた。


(合流するのか……)


ラツカは、すぐに王子の下へ部隊を移動させた。


「王子、敵は矢の陣形でこちらに向ってきます。どうしますか?」


「ラツカ、隊を縦に並べろ!奴らが来たら、魔法を使用せず、一気に二手に分かれるんだ。そして奴が、俺かお前の部隊に食い付いたのなら、そこで魔法を放ち、もう一つの部隊が来るまで時間を稼ぎ、挟み撃ちにするぞ!」


「分かりました!」


ラツカは剣を鞘に収めると、すぐに隊列を整えさせた。


「陣形を再編させる!」


そして相手はやって来た。


先頭にいたシュトルムが叫んだ。


「―――来るぞ!」


バハーダンも叫んだ。


「突入しろ!」


そしてバハーダンの狼騎兵の先頭にいた者が、盾を構えて二人の下へ突入してきた。


(―――今だ!)


それを見た二人は、すぐに部隊を左右に移動させた。


次々と敵がハイエルフの二つの部隊の間に侵入してきた。


シュトルムとラツカは一定の距離をとって、それを上手く避けた。


そして移動しながらシュトルムは、敵を見た。


(……ん……あれは……)


敵の肌の色が僅かに変色していることに彼は気づいた。


(全員……アイアンボディーを使用しているのか……と言うことは……)


敵は全速力で、二つの騎兵部隊の間を通り過ぎると、そのまま、本隊がある場所へ向って駆けて行った。


騎兵を止まらせると、シュトルムは振り返った。


「最初から逃げるつもりだったか……」


ラツカが近づいてきた。


「王子、どうなさいますか?」


「逃げると言うことは……奴らにとっては、この状況……不利なんだ。ならば追うぞ!」


王子の言葉を聞いたラツカは慎重になる事に決めた。


「(王子………作戦が上手くいって気分が高まっておられるのか?……ここは少し、お気持ちを静めた方が良いのかもしれない……)ですが、あの男……抜け目の無い人物です……罠と言うこともあり得ます……」


「ああ……それも分かっている……だが……俺たちには時間が無い……敵の一角を崩さん限り、先へ進む事が出来ん……少しでいい……ほんの少し……隙を生み出す事ができれば、兵士達を祖国へ帰してやれる……」


主が冷静に状況を見ていると思ったラツカは、彼に従う事にした。


「(私の杞憂でしたか……ご無礼をお許しください……)分かりました……ですが、周囲には気を配りながら行くことにしましょう……」


「そうだな……マナサーチの準備もしておいてくれ!」


「はっ!」


そして彼らは、すぐにバハーダン達の後を追った。


バハーダンは、本陣にたどり着くと、すぐに魔道師の男を呼んだ。


「おい、バーラス!」


すぐに先ほどと同じように杖をついて彼は現れた。


「はい、ギュロス様……」


バハーダンは、狼に乗ったまま、バーラスと言う男に話しかけた。


「そこにいたか……すぐにあれを発動させろ!」


「はっ!直ちに……」


魔道師の男は、素早く立ち去った。


すると、騎兵の一人がバハーダンの下へやってきた。


「将軍!ハイエルフ共が追ってきました!」


彼は苦々しく舌を打った。


「ちっ!鬱陶しい奴らだ……」


だが、何かを思い出すと、すぐに表情は明るくなった。


「……そうだ……この状況を利用して上手くやってやるか……ぶひひ!」


一方、王子達は、敵の本陣の側面が見える場所までやって来ていた。


オーク達の軍勢の後ろには森が広がっていて、その中に一本の大きな道があり、そこを進んで行くと、彼らの祖国があった。


また、森の左右には暗黒世界の黒い霧が立ち込めており、その先がどうなっているのかは、オーク達以外、誰も分からなかった。


シュトルムは馬を止め、どうするか、遠巻きに敵を見ていた。


「………森は全て……奴らに守られてしまっている……なんとか俺たちだけで突破することは出来るかもしれんが……」


ラツカがユニコーンを寄せ、隣に来ると話した。


「王子……敵は我々が側面に来たと同時に、こちら側へ兵を向わせたようです」


「守りを強めたか……」


「はい……」


王子は考えた。


「……と言うことは……反対側は、防御が薄くなっていると言う事か?」


「はい……そのようです……」


「ふむ……ならば、我々の本隊でそこを突き、敵が動いたところで、俺たちが敵陣の中へ切り込むと言うのはどうだ?」


「わかりました。では本隊へ伝令を一人、送ります!」


そして王子達は、本隊が動くのを待った。


待っている間、ラツカは違和感を覚えた。


「王子……こちら側の敵は全く動きを見せませんね……」


離れた本隊のある場所では、タロスとオーガー達が、一進一退の戦闘を今も繰り広げていた。


シュトルムも、彼と同じような違和感を感じていた。


「確かに……妙だな……」


そして彼は、盾と武器を構えた敵を見つめながら、考えた。


(俺たちよりも、ずっと数は多いのに、なぜ動かん………動かない?……いや……あれは違う……そう……何かを……―――はっ!)


王子は何かに気づき、すぐに周囲を見渡した。


(……特に……変化は……無いな……俺の気のせいか……)


シュトルムは自身が感じた違和感を、ただの勘違いだと思おうとしたその時、数羽の小鳥達が、彼の目の前を通り過ぎた。


(……ふっ……ここは戦場だ……危険だぞ……)


彼は、なんとなくその鳥達を目で追った。


(お前たちは自由で良いな……俺の代わりに……飛んで行け……どこまでも……)


鳥達は黒い霧の中へ、真っ直ぐ入って行った。


それを確認すると、彼は視線を再び敵に向けた。


(………)


すると、先ほど黒い霧の中へ入ったはずの鳥たちが、すぐにこちら側に向って出て来るのが見えた。


(ん?………)


シュトルムは再び視線を、黒い霧に向けた。


鳥達は慌てるように、飛び去って行った。


(なぜ……鳥たちは?……飛び去るにしても……―――っ!?」


そこでシュトルムは、何かに気づいた。


「―――やられた!」


王子が突然声を上げた事にラツカは驚いた。


「王子?……どうかしましたか!?」


シュトルムは、ラツカに話した。


「してやられたぞ!……ラツカ!」


「王子……一体……?」


彼は、部下に向って叫んだ。


「全員、魔法の準備をせよ!」


突然の事に戸惑っている騎士達を見たラツカは、王子にどう言うことなのか、再び尋ねた。


「(彼らを動揺させてはいけない……)シュトルム王子、どう言うことなのか。ご説明をお願いします!」


シュトルムはラツカの力の篭った声を聞きくと、落ち着きを取り戻した。


(……そうだ……気持ちを落ち着かせろ……)


そして静かに、彼に話した。


「ラツカ……恐らくだが……黒い霧の中に、奴らは兵を伏せている……」


ラツカは、驚いた。


「―――っ!」


「すぐにここから離れるぞ!……ヘイストを!本隊と合流する!」


「分かりました!……しかし……よくお分かりになりましたね?」


王子は空を飛んでいる小鳥を指差した。


「鳥たちが教えてくれたのさ……風の加護だ……」


「……なるほど……では、行きましょう!」


「ああ……」


そして彼らはラズリーンがいる場所へ向って移動し始めた。



「バハーダン様!敵が戻って行きます!」


部下の報告を聞いたバハーダンは、悔しそうに顔を一瞬歪めた。


「くそっ!ばれたか!」


しかし、すぐに表情を戻し、後方にいる魔道師に向って叫んだ。


「おい、バーラス!出番だ、―――やれ!」


返事はなかったが、バハーダンは他の部下達にも命令を下した。


「合図の角笛を!狼騎兵!もう一度出るぞ!」


そして角笛の音が鳴ると、彼は背中に背負っていた戦斧を手に取った。


(……さあ……王子様……―――狩りの時間だ!)



「ラツカ!本隊は突入していないだろうな?」


「先ほどサーチをさせた所、ラズリーン殿は動いていないようです!」


「……そうか……」


堅実な戦い方をする事を知っていたシュトルムは、彼女にあの場を任せて良かったと思った。


(あいつは少し臆病な所もあるからな……ふふ……だが……今回はそれに救われた……感謝するぞ……ラズリーン……)


そしてシュトルムは魔道師にマナフラッグの魔法を唱えさせた。


「マナフラッグを!色は赤だ!」


彼らは、戦場でマナフラッグを使用していた。


赤い色は作戦の中止などを意味する。


ユニコーンを止まらせると、一人の騎士が赤い玉を上空へ打ち上げた。


するとそれは、ある程度高く昇った後、真っ赤に輝きながら音を出して弾けた。


「……よし、帰還するぞ!」


「はっ!」


そしてシュトルム達が本格的に移動をし始めていると、突然角笛の音が鳴り響いた。


「………ん?」


それは黒い霧のある場所からだった。


王子は振り返った。


「……やはり……いたのか……」


シュトルムが見ていると、続々とオークの黒い歩兵達が現れていた。


(俺たちを囲むつもりだったのか……あぶなかった……)


そして馬を走らせていると、変化が起こった。


それは上空からだった。


雷のような音が2回ほど鳴った後、湿った風が流れてきた。


ラツカは、空を見上げた。


(不味い……雨か?……)


彼はすぐに王子に話しかけた。


「王子!雲行きが怪しくなってきました!」


既にシュトルムも気づいていたのか、ラツカと同様に空を見上げていた。


「……そうらしいな……」


そして彼が正面を見た時、いくつかの雨が降り落ちた。


(もう降り始めたか……)


雨が降れば、風の力が弱まる。


王子は、その事を考えた。


(とにかく……ラズリーンのいる場所へ戻るか……)


すると、騎士の一人が叫んだ。


「シュトルム王子!」


彼は、すぐに振り返った。


「ん……どうした?……―――っ!?」


シュトルムは驚いていた。


「……お前!?……」


王子が見たのは、赤い血のようなものを全身から滴らせた騎士達の姿だった。


ラツカは頬を伝う、雨の雫を手で拭き取ると、それを見た。


「王子!この雨……普通の雨ではありません!」


シュトルムは、空を見上げた。


「赤い雨……なんだ……これは……」


周囲を見ると、雨雲がかかっている場所全てに、この雨が降っていた。


(………これだけの規模に及ぶ……雨を……まさか……あいつらが?……)


そして彼は、あることに思い至った。


「………そうか!ラツカ!これは『ウォー・マジック』だ!」



【ウォー・マジック】


戦争用の魔法。


通常よりも威力が高く、範囲も広く影響を及ぼすことが出来る。


だが、膨大な魔力を必要とするため、複数人の魔道師が必要となる。


過去には、様々なものがあったと言われている。


地面からガスを広範囲に噴出させたり、炎の竜巻を生み出したり、有名なものでは、遥か上空から隕石を飛来させるものもあったと言う。



「あいつら……いつの間に……こんなものを……」


「王子!とにかく、急いで本隊と合流をしましょう!」


「ああ!皆よ、急ぐぞ!」


「はっ!」


そして、雨に打たれ続けた彼らに変化が訪れた。


それは、体が重く感じ始めた事だった。


最初はユニコーンの走る速度が落ちていった。


シュトルムは苦しそうに走る愛馬の体を擦った。


「……どうした……アリオン?」


そして自身の体が重くなるのを感じた。


(ん……どうしたと言うんだ……体が……いや……鎧が重く感じるぞ?……)


オーク達の放ったウォー・マジックは『ブラッド・レイン』と言われる魔法だった。


これは、様々な武器や防具などに刻まれたルーンの効果の威力を下げるものだった。


力の弱い彼らにとって、金属の重い鎧を着て戦う事は、大変なことだった。


そのため、彼らハイエルフの装備している物は全て、魔法のルーンによって軽量化がなされていた。


しかし今、ルーンによって隠されていた重みが、ハイエルフ達を襲い始めた。


(これでは……追いつかれてしまう……)


ハイエルフ達の後ろには、ダイアーウルフの騎兵部隊が迫ってきていた。


バハーダンは、部下に向って大声を張り上げた。


「風の王子の首を取った者には、国王陛下から莫大な恩賞を賜る事ができるぞ!張り切れよ、お前ら!」


その身を赤く染めながらシュトルムは叫んだ。


「ヘイストを絶やすな!かけ続けろ!」


そして赤い雨が降りしきる草原を、両者は必死に駆けた。


隣を走っていたラツカは、プラチナブロンドの髪を赤く染めていく王子を見ていた。


(なんとしても……蒼き風は……お守りしなければ……)



思いもよらない方法で、ハイエルフを追い詰める事に成功したオーク達。


ラツカ・シェルストレームは、今まで生きてきた中で、最大の危機に直面する事となった。


手綱を強く握り締め、彼は父親であるレイオスの言葉を思い出した。


(……宰相閣下……いや……父さん……我が命を……使う時が来たのかもしれません……)


戦場は今、これから起こるかもしれない未来を予言しているかのように、赤く染まり始めていた。


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