第二十四話 誤算

これは、ミィーチェが久しぶりに実家に帰った日の出来事。


彼女は兄のアレクに会った後、ロンバールの実家の自分の部屋に戻っていた。


ミィーチェの部屋には、所狭しと様々な人形が保管されていた。


木彫りのものや毛糸で出来たもの、ゴードンと同じような人形、動物を人形にしたもの、人物、神話の生き物など、様々な人形があった。


彼女にとっては、もう一つの家族と呼べるものだった。


「……みんな、ただいま……」


ゴードンを近くにあった椅子に座らせ、他の人形を一つ一つ手に取って回った。


使用人が毎日掃除していたようで、全ての人形は状態が良い状態のままだった。


(良かった……)


そして、高いところにある人形に、手を伸ばす。


「………んー!」


背が低いため、届かなかった。


彼女は、ゴードンの座っている椅子を持ってきた。


そしてそこに乗り、人形を手に取った。


すると、バランスを崩し、彼女は床に落ちた。


「……あっ……」


倒れる寸前に、部屋のドアが開く。


「あの、お嬢様!何か、お手伝いすることはありますか!?」


ドアを開けたのはロベルだった。


彼がドアを開けると、ちょうどミィーチェが床に落ちた瞬間だった。


「……あっ!」


ロベルは一瞬どうしていいのか、わからなかった。


(……どうしよう……これって見ちゃいけないものなのかな?)


ミィーチェは、口数が少なく、謎が多い人物にロベルには見えた。


それだけに、「こういうところは他人に見られたくないのではないか?」と、彼は思った。


(……いや、そんな事、思っている場合じゃない!)


すぐに駆け寄ろうとした。


すると、ミィーチェが叫んだ。


「―――来ないで!」


「……えっ!」


ロベルが動きを止めると、床に顔を向けていた彼女が、凄い速度で首を捻り、ロベルを無言で見つめてきた。


―――クルッ!


ロベルは、なぜか顔を背けてしまった。


(やっぱり、見ちゃいけないものだったのかな!?)


彼女は、しばらくロベルの方へ視線を向けてきていた。


(ど、どうしよう……思わず目を背けちゃった……そうだ、とりあえず、大丈夫か聞いておかないと……)


彼がすぐに彼女の下へ再び駆け寄ろうとした時、椅子からゴードンが落ちそうになった。


「―――あっ!」


ロベルは素早くゴードンに手を伸ばし、両腕でしっかりと抱きとめた。


ロベルは、一息ついた。


「ふぅ……こっちは大丈夫だった……」


そしてミィーチェの事を思い出した。


「あっ、お嬢様、大丈夫ですか!?」


ミィーチェは、無言で立ち上がった。


そして両手をロベルに伸ばす。


ロベルは、すぐにゴードンを彼女に渡した。


ミィーチェは、部屋を出ようとドアに向かって歩き出した。


そしてミィーチェがロベルの隣に来たときに、彼女はロベルにしか聞えないぐらいの大きさの声で呟いた。


「………合格……あと名前で呼んで……」


何が起こったのか、ロベルには分からなかった。


「……えっ……」


いつの間にか、彼は試され、そして見事ミィーチェの審査を潜り抜けていたのだった。


(これって一体……)


その後、彼はミィー様とミィーチェの事を呼ぶようになった。


ロベルの日常より。 




ユラト・ファルゼインは今、必死になって、森の中で遭遇したモンスターの集団と戦っている最中だった。


敵の姿は、全身が赤い亀のような姿で、背中には真っ赤な珊瑚のようなものが生えていた。


「―――はあ!」


ユラトは勢い良く、剣を珊瑚のような部分に振り下ろした。


彼の剣は、見事敵を捕らえた。


しかし敵は彼に切られると、体から大量の赤紫の胞子と気体を放出した。


ユラトは、悪臭に顔をゆがめた。


「……くっ!」


彼が戦っていたのは、『マタンゴ』の一種『ファイアーファンガス』と言う名前の魔物だった。



【マタンゴ】


この世界では、キノコの魔物の総称。


胞子自体が魔物。


しかし、それだけでは弱いため、常に森の中を彷徨っている。


そして森の中に生えるキノコに、この胞子が付くことで急成長し、魔物となる。


付いたキノコの種類によって、その能力や名称は変わる。


ユラトが戦っているのは、『レッド・コルヌ』と言われるキノコがマタンゴになったものだった。


このキノコは、森の珊瑚と言われるキノコで、生えている姿が珊瑚のような姿のキノコだった。


また、レッド・コルヌは強い毒性を持ち、触れただけで、皮膚が火傷したようになる。


このキノコがマタンゴになると、ファイアーファンガスと言う名前の魔物となる。


そして、このマタンゴは皮膚をただれさせる息を吐き、直接触れるとレッド・コルヌと同じような効果になるため、触れることすら出来ない魔物だった。


ユラトは、すぐに敵から離れた。


ほんの少し自分の肺が熱を持ったのを感じた。


「………あぶなかった。もう少しでたくさん胞子を吸うところだった……」


どうやら、ファイアーファンガスの胞子を吸うと、肺もダメージを喰らうようだった。


そんなユラトに、ダリオが声をかけた。


「おい、ユラト、魔法に切り替えろ。こいつは、炎の抵抗を持っているから、ロックシュートだ!」


「はい!」


ユラトたちは、あれから更に、冒険を続けていた。


キャンプ地となったホグミットと人間が共生していた村は、『パナセア』と名づけられた。


これは、ウッドエルフたちの古い言葉で、薬を意味する言葉だった。


そして、その村を拠点として、彼らは北東へと進んでいた。


北西には、フンババたちのいるリバンニの森があった。


どうやら彼らの森は、それなりの規模があるようで、ユラトたちが北東に進むなか、胞子が付着した奇妙な木を見ることが良くあった。


その為なのか、キノコの魔物と遭遇する事も、多かった。


ジルメイダがツヴァイハンダーを真横に振った。


「―――近寄るんじゃないよ!」


何体ものファイアーファンガスに当たり、胞子を噴出しながら、敵が飛ばされていく。


周囲の空気を吸ったリュシアが、軽く咳き込んだ。


「ケホッ、ケホッ……臭いし、苦しい……」


彼女が咳き込む中、レクスは槍で、着実に一体一体敵を刺し倒していた。


「……あと数体だ、さっさと倒してしまおう!」


レクスが再び攻撃を再開させると、ユラトとダリオがロックシュートを敵に放った。


それを見たジルメイダが叫んだ。


「レクス、下がりな。あとは二人の魔法に任せようじゃないか」


「わかった……」


「よし、じゃあ、あたしらは下がるよ!」


ジルメイダたち3人が下がると、ユラトとダリオは、交互にロックシュートの魔法を放ち、敵に命中させていった。


魔法の岩を喰らった赤いマタンゴは、次々と体全体から赤紫の胞子と空気を噴出しながら、倒れていった。


ユラトたちの周りは、魔物の胞子と気体で満たされ始めた。


それを見たダリオは鼻を摘んだ。


「……うわ、くっせ!……さっさと終わらしちまうか。よし、あと一体だ、ユラト、最後はお前が……」


ダリオがユラトを見ると、彼は荒い息をつき始めていた。


「はぁ、はぁ……わかりました……やってみます……」


そこで、ダリオは思い出した。


(………そうだった。こいつ……魔法は、通常の人の倍、魔力を消費するんだったな……ちっ!)


ダリオは、ユラトの肩を引っ張った。


「お前は下がってろ………ったく、使えねぇんだからよ……」


そして最後の一匹に、ロックシュートを放った。


リュシアが後方から声をかけてきた。


「二人ともー!こっちへ!」


ユラトとダリオは、リュシアたちがいるところまで下がった。


そして、マタンゴから放出された気体が消え去るのを待った。


昼の食事を取り、本日4つ目の聖石を使用したところで、この魔物の集団と遭遇していた。


ユラトのパーティーが待っていると、僅かに森の木々の隙間から風が入り込んだ。


そして、赤紫の空気は静かに、どこかへ霧散していった。


「消えたみたい………」


リュシアが走り、先ほどの場所へ辿り着くと、確認していた。


そんなリュシアの姿を見たジルメイダは彼女に向かって叫んだ。


「リュシア!一人で行くと危険だよ。あたしが確認しようと、思ったんだけど……しょうがない子だよ……」


そしてジルメイダは、ユラトを見た。


「……大丈夫かい?」


ユラトは、先ほどよりは落ち着きを取り戻していた。


「これくらいなら大丈夫さ。それよりも、目的のものを取りに行こう」


ダリオは、念を押して聞いてきた。


もし動けない者が出た場合、その者を守りながら魔物と戦わなければならない。


だからこそ、ダリオはユラトにしつこく尋ねていた。


「本当だろうな?」


「はい。大丈夫です」


レクスが槍を背負うとユラトに近づいた。


そして彼の肩に手を置き、ユラトに話しかけた。


「わかった、その言葉、信じよう。とりあえず、行こうか……」


彼らの目的の場所は、4つ目の聖石を使用し、マナサーチを唱えたときに、ダリオが捉えていた場所だった。


彼の話によると、この領域に一つだけ、金属の反応を感じたと言うことだった。


そこへユラトたちは向かっていた。


しばらく森の木々の中を進んでいくと、今までとは違うものが、彼らの目の前に、現れ始めた。


それは大きな灰色の石だった。


ツルツルの表面で、長方形に近い形で、どれも縦に地面に突き刺さるように存在していた。


しかも、それは辺り一面にあった。


「……ん、この辺りは、少し雰囲気が違うな……」


ユラトがそう呟くと、隣にいたジルメイダが話しかけてきた。


「……そうだね。奇妙な石だ……しかも、そこらじゅうにある……」


ダリオが近づき、石に触れてみた。


石は、ジルメイダやレクスよりも僅かに大きいぐらいの大きさだった。


「………角もねぇし、すべすべしてやがるな……長い年月を経て、こうなったのか?……」


ダリオが触っていると、リュシアも気になったのか、その石に近づき、一緒になって触りだしていた。


「ほんとだ……すべすべ……」


「ぺちぺち」とリュシアが音を立て石を触っていると、周囲を警戒していたレクスが、魔道師の男に話しかけた。


「ダリオ、目的の場所は、まだなのか?」


「ああ、そうだった。あと少しだ、行こうぜ!」


レクスに尋ねられたダリオは本来の目的を思い出し、石から離れると、自身がマナサーチで感じた方角へ向かって歩いた。


その後をユラトたちは、付いていく。


そして更に彼らが、先を進むと、今度は、森の奥から、笛の音が聞こえ出した。


聞こえた瞬間、ジルメイダが皆に向かって叫んだ。


「―――みんな、静かにするんだ!」


ユラトは、すぐに剣を抜き放った。


彼が抜いた剣の剣身に、真昼の太陽の光が一瞬当たり、煌いた。


その光りを顔に受けたリュシアが、悲鳴を上げそうになりながら、メイスを構えた。


体勢を低くし、武器を構え、笛の音のする場所へ、彼らは向かった。


「…………」


聞こえる笛の音色は、静かな響きを持ちながら、どこか神秘的な音楽を奏でている音だった。


日の入る新緑の森の木々の中を、ユラトは慎重に進んだ。


(何がいるのか……)


そしてユラトたちは、音を鳴らしているものがいるところまで辿り着いた。


茂みの先に、そのものはいるようだった。


ジルメイダが先頭に立ち、その後をユラトが追った。


そして茂みに入った瞬間、今度は先ほどとは打って変わって、テンポの速い軽快な音楽が鳴り出した。


まるで、祭りの際に演奏されるような、陽気さもある音楽だった。


(音楽が変わった……一体……)


ユラトが不思議に思っていると、ジルメイダが振り返り、小さな声で話しかけてきた。


「少し様子を見てから、どうするか判断する……」


「わかった」


ユラトが返事を返すと、みな無言になった。


そして、慎重に体を動かし、中の様子を伺う。


(どれどれ………)


中を見たジルメイダが、最初に呟いた。


「……なんだい、あいつは?」


ユラトも続いて中を見た。


(………あれは、モンスターなのか!?)


ユラトの目の前に、いたのは、羊のような姿の生き物だった。


頭には、ぐるぐると巻かれた細く小さい角、体を覆うふわふわで真っ白い毛、タンポポの綿毛のような丸い先を持った尾っぽ、足には二つに割れた蹄があった。


そして、全体の見た目は羊だった。


唯一違うのは顔と手が人と同じで、その手を使い、木で出来た笛を吹いていた。


笛は、縦に拭くものや横に吹くものなど、大きさなども様々で5匹ほどで、大きな切り株を囲むように回りながら笛を吹いていた。


ユラトは、この生き物から邪悪な何かを感じることはなかった。


(凶暴そうにも、見えないかな……)


ユラトがそんな事を思っていると、レクスが隣にやって来た。


「あいつが何か、私は知っている……」


ダリオが尋ねた。


「本当か!?あいつらは、なんだ?」


レクスは、茂みの中で、謎の生き物を見つめながら、小さな声で話した。


「私の村にも、何年か前に一度だけ現れた事がある。あれは、『パル』と言う生き物だ」


「パル……」



【パル】


森の奥深くにいる半人半獣の生き物。


笛を吹く事や、音楽に合わせて踊ることを好む。


特に晴れた昼間に、森の中で仲間と共に演奏することが多い。


パルが成長し、大人になったものは、『サテュロス』と言われるものになる。


見分け方は、体の大きさや、頭に植物のツルや葡萄の木で作った輪や冠を被っているかで、見分けることが出来る。


パルは大人しく、人間に危害を加えることはない。


また笛を吹くことで霧を生み出し、操ることが出来るため、『霧の奏者』とも呼ばれる。


そしてサテュロスは、パルと同じく温厚な性格を持っているが、殺意や敵意を感じると、木の枝の先を削った短い槍を投げて来ることがある。



名前と説明を聞いたユラトは、再びパルを見た。


(植物の冠を被っているものは、いないから……全部パルか……)


彼らは、軽快なステップを踏みながら笛を鳴らしていた。


そんな彼らをリュシアは目を輝かせ、楽しげに見ていた。


彼女はメイスを持ちながら、音楽に合わせ、音を出さずに手を叩き、リズムを取っていた。


(なんか可愛い……楽しい……)


ジルメイダは、そんな中、あることに気づいた。


そして、それを確かめるため、レクスに尋ねる。


「レクス、パルたちの中心にある、切り株が見えるかい?」


レクスは、ジルメイダの言う場所を見た。


(んっ………あれは……)


良く見ると、切り株の根の部分が曲がっていて、空洞になっている場所があった。


大きさは、人の頭が入る程の大きさだった。


そして、そこに何か箱のようなものがあるのが見えた。


レクスは、ジルメイダにその事を話した。


「何か、箱のような物が見える……ダリオ、お前がマナサーチで感じた場所は、あそこか?」


リュシアの手と手の間に、ロッドを差し込むと、ダリオは答えた。


「リュシア、叩く力が強くなってるぞ。気をつけろ……ああ、そうだ。ちょうど、この辺りのはずだ」


差し込まれたリュシアは眉を寄せ、ダリオを見ていた。


「むー………」


リュシアの隣にいたユラトは、切り株に出来た穴を見ていた。


(と言うことは、あれが俺たちの目的の物か……何だろう……ここからじゃ、見えにくいな……)


表情を元に戻したリュシアがバルガの女戦士に尋ねた。


「ジルメイダ、どうする?」


茂みの中に入った僅かな光が彼女の髪を白く輝かせていた。


そしてジルメイダは、少しだけ考えを巡らせた後、どうするか決めた。


「そうだねぇ……。楽しんでいるところ、悪いんだけど、あたしらも仕事だからね……だから……」


危害を加えたくないと思っていたリュシアは、不安げにジルメイダに聞いていた。


「……倒しちゃうの?」


彼女はリュシアの頭を撫でた。


「そんな事はしないよ。立ち上がって姿を見せるだけさ。そうすれば、あいつらはいなくなるんだろ?」


レクスが無言で頷く。


そしてジルメイダが茂みの中から立ち上がろうとしたとき、パルたちのいる場所の奥の茂みが音を出した。


「―――!?」


音がしたため、ユラトたちは動き止め、音のした場所を静かに見つめた。


(……別の魔物が来たのか?)


息を呑んで待つ。


(何が来る?………)


程なくしてそこから現れたのは、口いっぱいに木の実を頬張ったリスの親子だった。


ユラトは、安堵した。


(………なんだ、リスか……)


安心したユラトたちは立ち上がり、茂みの中から姿を現した。


茂みの葉を、いくつも森の大地に振り落としながら現れた人の姿を見たパルたちは、一斉に演奏を中断させた。


全員顔をユラトたちに向けた。


ユラトはパルの一匹を見た。


目があった。


瞬き一つする事無く、じっとユラトの目を見ていた。


黒い部分が横に長い、羊と同じ目を持っていた。


(悪いことをしてしまったかな?)


ユラトがそんな事を考えていると、パルたちは一斉に声を上げた。


「―――ミィエ゛エ゛エ゛エー!」


その声に反応したジルメイダが武器に手をかけ、構えようとした。


「大人を呼んだか!?」


レクスがジルメイダの腕を押さえた。


「―――よせ、ジルメイダ。敵意を向けるな!」


ジルメイダは左右に目を動かし、周囲の様子を伺ってから、構えを解いた。


「わかったよ……」


レクスは、ユラトたちにも言ってきた。


「戦う意思を感じさせなければ大丈夫だ。だから、みんなも普段どおりにするんだ」


ユラトは、両手を上げ、戦う意思が無いことを示した。


「大丈夫。俺たちは、君達とは戦わない。だから……」


ユラトの言葉を最後まで聞く事無く、パルたちは、手に持っていた笛を、その場に投げ捨て、飛び上がり、茂みの中へ入って行った。


「あっ!……」


リュシアは、彼らと友達になりたかったのか、寂しげにパルたちが去って行った場所を見ていた。


(行っちゃった………)


ユラトたちのいる場所は、彼らが去ったため、静かな森に戻った。


先ほど現れたリスの親子は、切り株の上にいた。


そこへダリオが走って近づくと、リスの親子もまた、森の中へと入って行った。


ダリオは、すぐに切り株の前でしゃがみ込んだ。


そして中の様子を伺った。


中を覗いた瞬間、彼の顔は笑顔になった。


「はははっ!俺のお宝は、ここか!」


ユラトもダリオの後ろから、その穴を見ていた。


「ダリオさん、どうですか?」


「やはり、木の箱がある!」


そして彼は、手を箱に向けて伸ばした。


だが、すぐにジルメイダがそれを止めた。


「―――待ちな、ダリオ!」


ダリオは触れる寸前で、手を止めた。


「ん………どうした、ジルメイダ?」


ジルメイダがダリオの隣に来て、体をしゃがませると、中を指差した。


「箱を動かすと、何かが飛び出てくるトラップだ……ダリオ、これは魔法の罠だろ?……」


ダリオは、ジルメイダが指差す場所を見た。


そこは、木の箱の下の部分に薄く何かが敷かれているのが見えた。


ダリオは、その場所を目を凝らして見た。


「こいつは………特殊なスクロールだな……色が枯葉と同じ色をしてやがる……気づかなかったぜ……あぶねぇ……」


初めて見る罠に、ユラトは興味が湧いた。


「これが罠?」


ユラトが興味深く中を覗いていると、ジルメイダが罠について話した。


「これは、ハッグの罠だね……箱から離れると、その紙に書かれた魔法が作動するのさ……魔法のスクロールを広げて作動するように置いてあるようなもんさ」


リュシアも興味を持ったのか、ダリオの後ろから穴を覗き込み、ジルメイダに聞いていた。


「どんな魔法が作動するのかな?」


「それは、やってみないとわからないね……」


ジルメイダは穴から離れると立ち上がった。


するとレクスが彼女に近づいた。


「ではどうする?」


ジルメイダは周囲に目を向け、何かを探し始めていた。


「方法はいくつかある……」


そして閃いた。


「よし、今回は、あれでいくか……ユラト、この辺から、あの箱と同じぐらいの大きさの石か木を探すよ!」


ユラトはすぐに立ち上がり、切り株から離れた。


「わかった!」


リュシアもユラトの後に続いた。


「私も手伝います!」


そして、彼らはジルメイダの言う条件に合う物を探した。


森の中であったため、朽ち折れた木はたくさんあった。


しかし、どれも軽く使えそうになかった。


そして石は、手の平に収まるぐらいのものしか、周囲にはなかった。


(………小さい物が多いな……あとは、あの大きな石しか……)


ユラト達がいる場所にも、先ほど見てきた大きな石が、たくさん地面に突き刺さっていた。


そしてユラトがこの場所から少し離れて石を探そうかと思ったとき、ジルメイダが条件に合う石を地面から掘り起こしていた。


「みんな、あったよ!これでいけるはずだ」


彼女の手には、程よい大きさの石があった。


ジルメイダは、石に付いている枯葉と土を手で素早く払った。


「………これでよし!」


そして先ほどの切り株に彼らは向かった。


到着すると、ダリオが指示を出した。


「何事も経験だ。今回はユラト、お前がジルメイダを手伝え」


「わかりました!」


元気に返事を返すと、すぐにジルメイダの隣に行く。


そして膝を曲げ、切り株に片手をつけた。


「ジルメイダ、俺は何をすればいい?」


「まずは、これをあんたに渡すよ」


ユラトは石を受け取った。


「これは、さっきの石だね」


「そうさ………あとは……リュシア」


「んっ……何、ジルメイダ?」


「あんたは、失敗してしまっときに備えて、ヒールかキュアーの魔法を、いつでも出来るようにしておいておくれ」


「うん!」


レクスも興味深そうに、穴を見ながら、ジルメイダに話しかけていた。


「初めて見る仕掛けだ………私は、しなくていいのか?」


「今回はいいよ」


「そうか……では、見て覚えておくことにしよう……」


「よし!じゃあ、説明を軽くしとくかね……」


ジルメイダは、ユラトに大まかな説明をした。


彼女が、しようとしていたことは穴の中に石を入れ、箱の隣に置き、箱を横にずらすと石も同時に同じ方向にずらし、箱と石を入れ替えるというものだった。


「………ってな感じでやるんだ。わかったかい?」


「わかった。やってみる!」


「そうかい。それじゃ、やってみるか……」


そしてユラトとジルメイダは、切り株の根のところにある穴に、手を入れた。


すぐにユラトは石を箱の横に置いた。


「……この辺でいいのかな?」


「もう少し横へ詰めな。隙間は空けないように……」


「うん……」


石は長方形に近い形をしていて、箱に接する面は平らだった。


ユラトは、箱にぴったりと横につけた。


(……よし、出来た)


それを確認したジルメイダが、始まりを告げた。


「じゃあ、いくよ……箱側は、あたしが押さえるから、あんたは石をゆっくり少しずつ、こっち側へ押すんだ!」


「ああ、わかった!」


ユラトは力を少しずつ加えながら、石を右へと押し込んでいった。


(慎重に……落ち着いて……)


ジルメイダは、箱の下に敷かれているスクロールと箱を押さえ、ユラトが力を加えるたびに、力を抜き、箱と石が上手く移動するようにしていた。


動き出す、石と箱。


そして、石と箱が半分ぐらい動いたところで、下に敷かれているスクロールの文字が僅かだが見えた。


(……なんか文字が見えるな……なんの魔法だろ?……)


ダリオが身を乗り出した。


そして文字を見る。


(何が書いてある……)


鮮やかな赤い字が見えた。


しかし、箱と石が邪魔で良く見えなかった。


(分かりづれえな、おい……)


そこで、ダリオは二人に少しだけ奥へ押すように言った。


「少し、奥へ押してくれ。中心が押さえてあれば、大丈夫だ」


二人は目で合図し合うと、同時に力を込め、少しだけ石と箱を奥へ押し込んだ。


文字が見え始める。


ダリオは、その文字を読んだ。


「ん………『ブラッド・サンドグラス』………」


ダリオは、一瞬にしてそれが何なのか理解した。


「―――こいつは!」


表情が険しいものとなった。


そして彼は叫んだ。


「―――二人とも、動くな!」


ダリオの突然の豹変振りに、ユラトたちは驚いた。


「どうしたんですか?」


「いいから、そのままにしていろ!」


ジルメイダの目が鋭くなった。


「強力なやつかい?」


「ああ、たちの悪い呪いの魔法だ……」


彼は、その魔法について話した。



【ブラッド・サンドグラス】


闇の呪い魔法。


この魔法は一定の範囲にいるもの全員に魔法がかかる。


魔法を受けると、徐々に体内の魔力を失っていく。


それはまるで砂時計のように、体の血が少しずつ無くなっていくような感覚を味わうことになるため、その名が付いたと言う。


時間が短ければ死ぬことはないが、長ければ死ぬことがある。


そして奪われていく時間は、術者の能力による。



「二人とも……」


リュシアは、メイスを握り締めながら、不安げに見つけていた。


レクスは槍を地面に突き刺し、腕を組み、木にもたれかかりながら呟いた。


「諦めるのも選択としてはある………」


ユラトは、ジルメイダにどうするか尋ねた。


「ジルメイダ、やめておく?」


消極的な意見ばかりになったのがジルメイダは気に食わなかったようだった。


「ふん、何言ってんだい!このままちゃんとやれば、確実にお宝が手に入るんだろ?だったら、やろうじゃないか!」


リュシアが表情を曇らせ、呟いた。


「だけど……」


「何度も言わせるんじゃないよ。あたしらは、冒険者だ。この程度の事でやらなかったら、儲けが全くでないよ」


ユラトは、彼女の言葉に納得し、やることに決めた。


「そうだね……わかった。やろう!」


「あんた達は少し下がってな!ここは、あたしとユラトでやるよ!」


ダリオは、いつもジルメイダと共に冒険をする中で、こうなった時の彼女を知っていた。


小さなため息をついた。


「はぁ……(こうなっちまったジルメイダは、止められねえからな……)」


そしてダリオは、彼女に従うことにした。


「……わかった。お前ら、少し離れるぞ」


レクスは槍を引き抜き、ダリオに近づいた。


「いいのか?」


「ああ……単純な構造だし、半分もやって止めちまう訳にはいかねぇだろ?」


「………そうだな」


リュシアは、二人に声をかけた。


「二人とも、気をつけて!」


ユラトは軽く手を振った。


「大丈夫。すぐに終わるよ!」


レクスは振り返った。


「気楽にやった方がいいはずだ……二人とも」


「分かっているじゃないか。レクス、そうさせてもらうよ!」


レクスは旅をする中で、バルガの女戦士の様々な部分に、いつも驚かされていたことを思い出した。


そして、その思いが短い呟きとなって出ていた。


「ふっ……大した女だ……」


下がっていく中、ダリオはリュシアに話しかけていた。


「リュシア、すぐにヒールをかけられるように準備しておいてくれ……(相変わらず、無茶をするぜ……ジルメイダ……)」


「はい……」


ダリオは振り返り、ジルメイダの後ろ姿を見た。


(ジルメイダ……)


冒険をする中、常に危険な目に会うのは戦士である彼女だった。


(お前は……いつも俺の前にいる………そう、それは精神的な部分でもだ……)


ダリオは、常に一番危険な場所にいる彼女の事を思うと、心が張り裂けそうになった。


だが、ジルメイダが見ているのは、あの首なし騎士のことだった。


だから自分は魔道師として精一杯、後ろから彼女を支えようと思っていた。


ロッドを握る力が自然と強くなった。


(………だが……本当にやべぇ時は……―――俺がお前の前に立つ!)


ダリオは誰にも知られること無く、心で静かにそう誓った。



そして、ダリオたちが一定距離下がったのを確認すると、ユラトとジルメイダは、作業を再開させた。


ユラトは、順調に石と箱を少しずつ、押していった。


(さっきからやっていたのと同じだから……すぐに終わりそうかな……)


ユラトがそう考えながら押していると、ジルメイダが話しかけてきた。


「ユラト、押すのが少し雑になっているよ。どんな簡単なことでも、最後まで最初と同じようにやり遂げるんだ。いいね?」


「うん……ごめん……ちゃんとやるよ」


ユラトは、気持ちを切り替えた。


(そうだ……気をつけないと……)


そして箱が罠から離れようとした時、ダリオたち3人の後ろにある茂みの中から突然、何かが現れていた。


―――ガサガサッ。


3人は同時に振り返り、音がした場所を見た。


「………っ!?」


そこにいたのは、植物の蔓で出来た冠を被ったパルだった。


数は3体。


手元を見ると、それぞれが短い木の槍の束を片手で持っていた。


そして「フンッ!フンッ!」と荒い鼻息が聞こえていた。


どうやら興奮状態にあるようだった。


それを感じ取った3人は、「刺激してはいけない」と思い、その場でじっとしていた。


ダリオが隣にいるレクスに、静かに問いかけた。


「……サテュロスだな?」


レクスもまた、静かに答えた。


「そのようだ……」


二人の後ろにいたリュシアは、キョロキョロと目を動かし、3体のサテュロスを見ていた。


(大きくなってて……可愛くない……)


リュシアの言う通り、大きさは先ほどのパルとは違い、リュシアと同じぐらいか、それ以上の背丈があり、顔は大人びていた。


ダリオは、サテュロスを警戒しながら、どうするか考えていた。


(殺っちまおうかと思ったが……この位置と距離は少し倒しづれえな……)


相手は魔法を確実に命中させることが出来る位置から少し離れていた。


しかも、茂みに体が半分隠れている。


考えを巡らせていると後ろにいたリュシアが、ダリオのローブを小さく引っ張った。


「ダ、ダリオさん……どうします?」


ダリオは小さな声で答えた。


「ヒールは止めて、ファイアーボールに切り替えておけ……」


「はい!」


リュシアが返事をすると、レクスがすぐに話しかけてきた。


「まて、他にも仲間がいるかもしれんぞ?」


「あっ……それと、もし私が外してユラトさんとジルメイダのいるところに槍を投げられたら……」


二人の意見を聞いたダリオは、戦端をこちら側から開くことを避けることにした。


「そうだな……まだ戦闘になるのは確定してねぇから……もう少し様子を見るか……」


「森を守るウッドエルフの私としては、そうしてくれるとありがたい」


「だが……おかしな動きを見せたら、その時はすぐに戦闘開始だ……いいな?」


「ああ……分かっている……」


そして3人は、しばらく黙ってサテュロスを見ていた。


彼ら冒険者は出来る限り、魔物との戦いは避けたいと思っていた。


大量の報酬を手に入れ、余力を残したまま、町や村に帰還することが良い冒険とされてきた。


それだけにダリオは、戦闘を避けられるなら避けようと思った。


(とにかく、作業中の二人を守らなきゃあな……)


そしてユラトとジルメイダに、この事を知らせようと思った。


しかしサテュロスを、これ以上興奮させるわけにはいかないため、ダリオは二人に向かって叫ぶのを止めた。


(へたに刺激を与えるわけにはいかねぇか……それに、あの二人にも刺激になっちまうからな……となると、サーチもしない方がいいのか……)


一方、ユラトとジルメイダは、作業の終わりが見え始めていた。


ユラトが慎重に押していくことで拾った石が、闇の魔法が書かれたスクロールの中心に、じわりじわりと辿り着こうとしていた。


「ジルメイダ、あと少しだ!」


ジルメイダは、ほんの少しだけ表情を緩めた。


「なんとか終わりそうだね。さあ、あと一息だ!気を抜かずにやりな!」


「うん!」


そしてユラトは、そのまま石で箱を押し切った。


「……よし、終わった!」


二人は慎重に箱を、切り株にあった穴から取り出すと、それを地面に置いた。


「ふぅ………簡単な作業だったけど、なんか疲れちまったね……」


「そうだね……肩が凝ったよ………だけど、上手くいって良かった!」


「ははっ!そうだね。だけど、これはまだ難易度が低いものさ」


「そうなのか……」


「まあ、冒険を続けていれば、出会うこともあるだろうさ」


「出来れば、会いたくないかな」


「ふふっ………そりゃそうだ。だけど、なかなか思うようにはいかないのさ……」


「そっかー」


そこで、ようやくジルメイダは、ダリオ達の事を思い出した。


「……そうだ、向こうの3人にも無事終わった事を知らせてやるかね」


「ああ、そうだった」


そして二人は、後ろへ振り向いた。


振り向くと3人が背を向け、微動だにしていない後ろ姿が見えた。


(………あれは……)


ジルメイダは、すぐに向こうで何かが起こっている事に感づいた。


(何か……あったみたいだ……)


そしてダリオの名前を叫ぼうとしたユラトの口を片手で塞いだ。


「―――んむっ!」


ユラトは、突然のことで驚いた。


(―――何を!?)


そして彼女の手が離れたところで、すぐにジルメイダに話しかけようとした。


すると彼女は、立てた人差し指を自身の分厚い唇に持っていくと、小さな声で「しー」っと言ってきた。


ジルメイダの表情から、ユラトもまた「向こうで何かが起こった」と感じ取った。


(何かあったのか?)


そして彼は、遠くにいる3人を良く見た。


(………あれ……3人とも、俺たちに背を向けて全然動いてない……)


ユラトは小さな声で、隣にいるジルメイダに話しかけた。


彼女は既に地面に置いてあったツヴァイハンダーを伏せながら片手で持っていた。


「ジルメイダ。ダリオさん達が、俺たちに背を向けて全然動いていない………何かあったのかな?」


「あれは何か向こうで起こっているね……作業中のあたしらに気を使って言わなかったんだろう……」


「どうする?」


「動いてないって事は、まだ戦ってないって事だ」


「うん」


「そして動かないってことは、何か事情があるんだろ……緊迫した雰囲気が漂っているみたいだから、あたしらは、ここでしばらく準備だけして、待つことにするよ」


ユラトは、腰にあった剣を静かに抜いた。


彼らの周囲は、たまに流れ入ってくる緩やかな風によって森の木々が僅かに揺れる音と小鳥の鳴き声が聞こえ、所々に太陽の光が差し込み、落ち葉で覆われた地面を照らす、のどかな真昼の森の光景が広がっていた。


そしてユラトとジルメイダがしばらく待っていると、ダリオ達3人のいる場所の奥から、声が聞こえた。


それは、先ほど聞いたパルの鳴き声と同じものだった。


(パルの声だ!)


ユラトはダリオたちを見た。


鳴き声が聞こえても、彼らは動かなかった。


(向こうで何が起こっているんだ?)


ダリオ達は、あれからずっと、彼らを黙って見ていた。


するとサテュロスが、更に茂みの中から10体ほど現れた。


そして、彼らもダリオ達を見つけると、鼻息を荒くさせていた。


リュシアは、そんな彼らを恐怖心を抱きながら見た。


(ど、どうしよ……増えちゃった……)


そんな中、ダリオはマナシールドを完成させ、彼らに気づかれること無く、リュシアのローブの袖に触れた。


すると、非常に薄い水色の風が彼女の足のから頭にかけ吹き上がり、全身を覆った。


風は、森の中を流れる風と同じぐらいの強さしかなく、リュシアの前髪を少し浮かせた程度だった。


(よし……これで、このガキんちょは大丈夫だ……)


そして、すぐに彼はファイアーボールからファイアーウォールの魔法に切り替えることにした。


(戦闘になったら……炎の壁を張って、いったんジルメイダのいる所まで後退だ……数が多すぎる……)


そして静かに詠唱を開始した。


ダリオが詠唱を開始すると、突然サテュロスの一匹が目を剥き、叫び声を上げた。


威嚇する声だった。


その声にリュシアは驚き、一瞬肩をすぼめた。


(ひっ!)


レクスは、相手を警戒しながら見ていた。


(戦いになるか!?)


しかし、3人が動かなかったのが幸いしたのか、サテュロスは、レクス達と同じように彼らを見つめているだけだった。


声を聞いたジルメイダは、ユラトに囁いた。


「体勢を低くしたまま、3人の後ろへ行くよ!」


「わかった!」


ユラトとジルメイダは武器を手に持ち、しゃがみながら3人のいるところまで向かった。


そして2人が向かっている中、レクスがあることを思いついた。


(―――そうだ!)


すぐに彼は、敵が見つめている中、茂みの中へ手を伸ばした。


サテュロスが全員、突然動き出したウッドエルフの男を見た。


そして鳴き声を再び上げる。


リュシアは、小さな炎をメイスに宿らせた。


(攻撃して来ないで!……そうじゃないと……)


そしてユラトとジルメイダが彼らの後方へ辿り着こうとした時、周囲に高い音が鳴り響いた。


それは、サテュロス達の声ではなかった。


(ん………)


ユラトは、その音を聞いたことがあった。


(この音は……)


ダリオ達の後ろに辿り着き、ゆっくりと立ち上がり、奥を見る。


(あっ………やっぱりあの音だったのか……)


ユラトの視線の先には、草笛を吹くレクスの姿があった。


彼は、草の葉を取ると、口元にあて、草笛を吹いた。


パル達が先ほど鳴らしていた音楽に近い、軽快なリズムの曲を草の葉を上手く使い、奏でていた。


しばし、この周辺に、草の笛の音が鳴り響いた。


誰もが無言で、レクスの奏でる曲を聞いていた。


関係の無いものが見れば、それは牧歌的な光景だった。


しかし、ここに最初からいた者たちにとっては、いつ始まるかもしれない戦いの序曲となり得る音だった。


木の槍の束をもったもの達が見つめる中、レクスは普段どおりの様子で軽やかに音を出し続けた。


そして、しばらく音楽を聴いていたサテュロスたちに変化が現れ始めた。


荒い鼻息が止み、表情が落ち着いたものとなった。


そして彼らは動き出し、レクスを囲み始めた。


「―――レクス!」


辿り着いたジルメイダは驚き、武器を構えようとしたのを、リュシアが止めた。


「ジルメイダ、大丈夫!」


ジルメイダは訝しみながら、武器を下げた。


「本当だろうね?」


ダリオは詠唱を中断させ、ジルメイダに話しかけた。


「恐らく大丈夫だ……」


そしてサテュロス達はレクスを囲みながら、奇妙な踊りをし始めた。


それは、飛んだり跳ねたりしたかと思えば、今度はゆったりとした動きで、手や足を動かして歩いたりする踊りだった。


ユラトとジルメイダは武器をしまい、その光景を見ていた。


(こんなにいたのか……とりあえず、戦わずに済んで良かった……)


(今のところ、戦う意思はないようだね……)


そしてサテュロス達は少しの間、レクスの草笛の音に合わせて踊った後、元来た茂みの中へと入っていった。


残されたユラトたちは、彼らが去ったのを確認してから、声を出し始めた。


最初に声を出したのは、ダリオだった。


「ふぅ……ようやく行きやがったか……」


リュシアは、その場に座り込んだ。


「ちょっとびっくりしたけど……あの羊さん達が行ってくれて良かった……」


レクスは先ほどと変わらぬ涼しい顔だった。


「意思を通じさせる手段があれば、戦わずに済む………彼らには音楽が挨拶なのだ……」


ユラトは、レクスに近づいた。


「今度、俺にも草笛のコツを教えてください」


「ああ……休憩時に教えてやる」


「はい、お願いします!」


そして、ジルメイダが箱の事を思い出していた。


「………そうだ。さっきの箱を手に入れるのに成功したんだよ。中身を確認しようじゃないか!」


ダリオが目を輝かせ喜びの声を上げた。


「おお、でかした!」


すぐにユラトたちは、そこへ向かった。


そして彼らは切り株の周囲に集まっていた。


箱は切り株の上に置いたままだった。


「何が入っているのかな?」


リュシアは、この瞬間が大好きだった。


期待に満ちた目で、箱を見ていた。


「箱にも罠が無いか、見ておいた方がいいね……」


ジルメイダは表面が草色に塗られている木の箱を両手で持ち上げた。


そして、人差し指と中指を交互に素早く動かし、箱の蓋の部分や底を軽く叩いた。


「何かが挟まれてはいないみたいだ……重さはそこそこだね………」


そして、ジルメイダは切り株に木箱を置いた。


「………じゃあ、開けるよ?」


皆、無言で頷いた。


ジルメイダが両手で蓋を持ち、そしてゆっくりと箱を開けた。


「…………」


特に、何かが起こると言うことは無かった。


ユラトは彼女に近づき、箱の中を見た。


「ジルメイダ、何が入ってた?」


「自分の目で確かめな」


「うん……」


中を見ると、そこに入っていたのは、黄緑色のロウソクが2本、大きな金貨が6枚入っていた。


ダリオが箱の中から、それらを取り出した。


「これだけか………まあ、金貨があったから良しとするか……」


レクスはロウソクに興味があったようだった。


一本を手に取って見ていた。


「……ほう、これは珍しい……」


リュシアが、もう一本のロウソクを手に取りながら、レクスに尋ねた。


「これって普通のじゃないんですか?」


レクスはロウソクについて話した。


「これは、虫の嫌がる植物を練りこんだ蜜蝋だ。我々や人にとってはいい香りになるが、虫たちには酷い匂いに感じるんだ。だから、虫除けに使われる事が多いものだ。そして、この草は我々の村では手に入りにくいものだ」


リュシアは、手に持っている蜜蝋の匂いを嗅いだ。


「ほんと、いい香りがします……なんだろう……花と果実が合わさったような香り……」


ユラトとジルメイダは、金貨を手に取っていた。


金貨の大きさは、ユラトが片手でなんとか握れるほどの大きさだった。


「大きいな……この金貨……」


ジルメイダは、大きさに喜んでいた。


「こりゃ、結構な値段になるはずだ」


ユラトは、そこに描かれている絵を見た。


「この絵は……」


そこに描かれていたのは、長い耳を持ち、輝く王冠を被った男が描かれていた。


更によく見ると髭を生やし、豪華な意匠を凝らしたマントと王錫を持っていた。


そして、その人物の片手からは、竜巻のようなものが生み出されていた。


ダリオも絵の存在に気づいていた。


(こいつは……)


しばらく彼は記憶をたどりながら、その絵を見ていた。


(見覚えがある………どこかで……)


そして思い出した。


(―――そうだ、あそこだ!)


それは冒険者をして間もないころ、船旅の中、ある冒険者が持っていた本に描かれていた絵だった。


「確か……こいつは、初めて光の種族を統べたハイエルフの皇帝だったはず……」



かつて光の種族同士の戦いがあった。


長い戦いの末、彼らを全て降伏させた王がいた。


それがハイエルフの王、『マウリス・ヴォルドレイド』だった。


高度な魔法文明を駆使し、彼らハイエルフは、どの光の種族よりも強力な存在であったと、その本には書かれていた。


そして彼は、ヴォルドレイド帝国の初代皇帝となった。


その帝国は、光の千年帝国を作ったと言われている。


この時代を人々は、『光の黄金時代』と言った。


物に満たされ、様々なものが生み出され、その中で人々は安定した暮らしを営んだ。


そして千年を記念して作られたのが、この金貨『ミレニアム・コイン』と言われるものだった。


ダリオは、その事を思い出し、ユラトたちに話した。


「……と言うことだ。まあ、実際には千年続いてないんじゃねぇかって話もあるんだがな……」


ユラトは学校で習った事を思い出していた。


「その話聞いたことあります………そうか、これがそうなのか……」


ジルメイダが金貨同士を叩かせ、音を出したり、噛んだりして調べながら、話した。


「……じゃあ、更に高い値が付きそうだね」


ダリオは腕を組み、考えた。


「そうだな……黄金時代を証明するものは、まだほとんど見つかってねぇからな……」


リュシアが笑顔で叫んだ。


「新発見!」


ユラトも喜んでいた。


「うん、リュシアの言う通りだ!」


話を聞いていたレクスは、初めて聞いた話に驚いていた。


「そんな時代があったのか……」


そして彼は父親の言葉を思い出していた。


(世界が開かれる……と言うのは、こういう事なのか……我々の知らない出来事……。これからの時代……森の中だけにいては、森を守ることはできないのかもしれん………)


レクスが、そんな事を考えているとジルメイダが叫んだ。


「よし、じゃあそろそろ、お宝をしまって、最後の一つを使用しに行こうか!」


ユラトたちは、手に入れた物を仕舞うと、本日最後の聖石を使うため、更に森の奥へ進み、黒い霧のあるところまで歩いた。


辿り着くと、すぐにユラトは聖石を黒い霧が目の前にある地面に埋めた。


「これでよし!」


他のパーティーメンバーは、周囲を見ていた。


「……大丈夫みたいだね」


「……うん」


「そのようだ……」


「何もいねぇみてえだ。ユラト、やれ」


「はい」


ユラトは、聖石を埋めた地面に手をつけた。


「地母神イディスよ……我ら光の民に力と加護を……そして邪悪なる闇の霧を払い給え……」


周囲に聖石に向かって吸い込むような風が発生し、彼らの全身を撫でた。


そして、地面が光を放つ。


(この先が、どうなっているのか……何度やっても……この瞬間は緊張する……)


ユラトが、そんな事を考えながら光る地面を見ていると、今度は目の前にある暗黒の霧を払う風が起こった。


彼らの髪やマントがなびく。


そして暗黒世界の象徴である黒い霧が瞬時に奥へと押し込まれていった。


ユラトは目の前に現れた、新しい景色を静かに見つめていた。


(さあって、今回はどうかな?……)


少しの間、彼らは霧が払われるのを待った。


森の中であるため、どこまで霧が払われているのか分からなかったからだった。


ユラトは魔物がいないか、周辺に目を光らせた。


(モンスターは……いないよな?……どうやら、この先も森みたいだ……)


彼の言う通り、この先も大規模な森が続いていそうだった。


そして他の者達も武器を構え、音や匂いなどの変化がないか、確認していた。


(特に、何かがあるってわけじゃないな……)


そのとき、森の木々を見ていたレクスが、何かに気づいた。


「おい……そこの葉を見てみろ」


レクスが目の前にある木の葉を指差した。


ユラトは、その場所を見た。


(……あれは……少しだけ白っぽくなっているように見える……)


それは緑色の葉に白い粉を薄っすら、かけたように見えた。


ジルメイダはすぐにそれが何であるか分かった。


「少しだけ霧が、かかっているみたいだね……」


リュシアは、その木に近づき、メイスを振って確かめていた。


「ほんと……まだお昼なのに……」


そして、地面に座っていたダリオが立ち上がった。


「よし、そろそろいいだろ。今回は俺がサーチをする」


ジルメイダが周囲を伺いながら、ダリオにサーチを頼んだ。


「ああ、やっておくれ」


ダリオは、すぐにサーチを唱えた。


「―――マナサーチ!」


ロッドの先端にある、青い玉の部分から四方へサーチの魔力が飛んでいった。


目を閉じ、霧が払われた場所へ意識を集中させる。


徐々に自身が放った魔力が広がっていく感覚が、ダリオの頭の中に現れた。


(………ほう……今回は結構な範囲の霧が払われてやがる……さっきの聖石は、上物だったってわけか……)


そして彼のサーチに、何かが捉えられた。


(……お!こりゃ、お宝だ……だが、結構遠いな……ちっ、持ってきた最後の聖石だったのによ……戻るのに時間がかかりそうだ……)


他にも何かないか、彼は探った。


(………これは後方にいる奴らと同じ感じだから……恐らくパルやサテュロスだ……ここ以外にも居やがるのか……ある程度歩いたら、サーチをした方がいいのかもな……)


そしてサーチの効果が切れた。


ダリオは自身がサーチで知りえた情報を、パーティーメンバーに話した。


話を聞いたジルメイダは、すぐに歩き出した。


「ちょっと遠いってのが面倒だけど、お宝があるんじゃ、行くしかないね。みんな、行くよ!」


その後をリュシアが付いて行った。


「うん、行こ!」


ユラトもすぐに彼らを追って、新たに現れた場所へ、自らの足を踏み入れた。


(よし、俺も行こう!)


そして彼らは、ダリオが感知した場所へ向かって進んだ。


森の中を進むと、薄っすらと霧があるのがわかった。


また、大きな古木が所々見え、木と木の間隔が広く、昼の青空が見えるほどで、4つ目の聖石を使用した時からある、大きな灰色の石も多く存在していた。


ユラトが歩いていると、ダリオが周囲をキョロキョロと見ていた。


「どうしたんですか?」


ダリオは右側を指差した。


「見ろ……」


ユラトは、そこを見た。


「あれ……あれって……」


それは朽ち果てた大きな古木で、奇妙に曲がった細い枝を左右に無数に広げ、全体的に苔が生え、本体部分が、人の顔に見える形をしていた。


目を吊り上げ、口を開いた人の顔を連想させる形だった。


リュシアは、不気味に思った。


「こ、怖い……」


その姿を見たジルメイダは、大剣の先をその木に向けた。


「魔物かい?」


それをレクスが止めた。


「―――まて!」


すぐにレクスが一人、その木に近づいた。


ユラトは不安に思い、つい彼の名を叫んだ。


「レクスさん!」


レクスは気にする事無く、古木に向かって歩いた。


そして辿り着くと、その木の顔の部分にそっと触れた。


皆、一瞬無言になった。


「………」


木に変化は、特に現れることはなかった。


どうやら、ただの朽木のようだった。


レクスは、その木に触れながら、苦しいような切ないような顔になっていた。


ユラトは、レクスに近づき尋ねた。


「この木は……?」


レクスは、普段の表情に戻っていた。


そして、その木を見ながら呟いた。


「かつてトレントだった木だ………」


ユラトもその木に触れた。


「そうなんですか……」


そして木に無数の傷があることに気づいた。


「これは……」


何かに引っかかれたような爪あとが残っていた。


レクスが話した。


「何かと戦いになったようだな………そして敗れ去った……」


「なるほど……」


ユラトは、木に付いた傷を見ていた。


(大きな爪の痕だ………どんな魔物だったのか……)


ユラトが謎の魔物について想像を膨らませていると、いつの間にか隣に来ていたリュシアが、その木の近くで何かを見つけていた。


「………あれ……これなんだろ?」


ジルメイダとダリオもやって来た。


「どうしたんだい、リュシア?」


リュシアは、それを手に取り、持ち上げ、ユラトたちに見せた。


「……これ」


それは細長く、全体的に茶色で、豆粒ほどの大きさの木の実が薄皮を剥かれたような状態で大量に集まり、一つの塊となっているものだった。


ユラトは見たことが無かった。


「何かの木の実だ………だけど……」


トレントの弔いを心の中で済ませたレクスは、何気にリュシアの方へ視線を向けた。


すると、彼は驚いていた。


「―――おおっ!」


そして、すぐにリュシアの下へ駆け寄った。


「リュシア、悪いが良く見せてくれ!」


リュシアは、不思議そうにレクスと木の実を見ていた。


「はい……あの……これがなんだか、分かるんですか?」


近くで見ることで、レクスは確信を深めたようだった。


「やはりそうだ!」


ダリオも、レクスの態度からこの実がなんであるのか興味を持った。


「おいおい、なんだよ、教えろよ」


レクスはリュシアから、その塊りを受け取ると、少しだけ上に掲げ見ながら答えた。


「………これは、『カーバンクル』の糞だ」


それを聞いた途端、レクス以外のメンバーの表情は、固まった。


「えっ………」


そしてすぐに、ユラトたちは不快感をあらわにし出した。


ユラトは戸惑った。


「そ、そうなんですか……」


ダリオは、顔をしかめた。


「うぇ……」


リュシアは、持っていた手を見つめていた。


(どうしよ……直に触っちゃった………)


ジルメイダは呆れた様子で、ウッドエルフの男に尋ねていた。


「レクス……なんであんた、こんなもので………喜んでるんだい?」


レクスはそこでようやく、自分が人間たちにとっては、おかしな事をしているということに気づいた。


「ああ……お前たちは、知らないんだったな」


レクスは、カーバンクルについて話した。



【カーバンクル】


前足と後足との間に『飛膜』と呼ばれる膜がある。


この膜を広げることで、木から木へ飛び移ることが出来る。


見た目は、ムササビに似ている。


大きく違う点は、額のところに、宝石が埋まっている。


それは『ガーネット』と言われる宝石で、この世界では唯一、カーバンクルからのみ、手に入れることが出来る宝石だった。


そして、このガーネットの力を使い、魔法を反射する事も出来る。


だがカーバンクル自体は好戦的でもないし、戦闘能力が高いわけでもない。


あくまで「敵からの回避手段として使う」と言われている。


そして、レクスが喜んでいたのには、もう一つの理由があった。


カーバンクルは木の実を食べ、それをお腹の中で消化と共に、実を発酵させることが出来る。


そして、その発酵した糞を上手く加工することで、上質な飲み物を生み出すことができた。


それは『カーバンディン』と言う物で、ウッドエルフたちの古い言葉で『飲める小さな石炭』を意味するものだった。


加工方法としては、糞の中にある、木の実の部分を水で綺麗に洗い、天日干しする。


そして、その実を乾煎りし、取り出すと小さく砕く。


砕いた木の実に、お湯を注ぐと、発酵した様々な木の実から発せられる複雑な香りの飲み物が完成すると言うことだった。


これはウッドエルフ達にとっては滅多に、お目にかかることが出来ない物で、レクスは一度だけ小さなときに、特別な日にほんの少し飲ませてもらっただけだった。


しかし、そのえもいわれぬ美味しさから、しっかりと記憶に残っている味だった。



説明を終えたレクスは、嬉しそうにしていた。


「………そう言うことだ……しかし、こんな場所で遭遇するとは……これは本当に貴重なんだ……」


ダリオは呆れていたが、途中で何かを思い出していた。


「お前ら……糞を飲むのかよ……って、あのカーバンディンか!」


ユラトは気になったので尋ねた。


「ダリオさん知っているんですか?」


ダリオは、神妙な面持ちで、カーバンクルの糞を眺めながら答えた。


「確か……古代世界では王族のみが、飲むことを許された飲み物だったはず……」


リュシアはレクスの隣で、カーバンクルの糞を一緒に眺めていた。


「へぇー」


ジルメイダは周囲の木の枝を見ていた。


「じゃあ、この辺りには、カーバンクルがいるってことだね?」


「ああ、間違いないはずだ」


ユラトは、あることに気づいた。


「ってことは、これって新発見になるのかな?」


「これを持ち帰れば、そうなるね……」


ダリオは近くにある折れた古木に座った。


「糞の新発見かよ………俺はそれなりに色んな場所を旅をしてきたが、糞の新発見なんて始めてだぜ……」


レクスは、糞があった辺りの地面を見ていた。


「そう言うな、ダリオ。これは発酵した木の実を利用した飲み物だ。いくつか落ちているから、後で飲ませてやる。きっと気に入るはずだ」


ダリオは渋い顔をした。


「あんま、飲みたくねぇな……」


そんなダリオに、リュシアが話しかけた。


「ダリオさん、王族が好んで飲んでいたんだから、きっと凄い美味しいはずですよ!」


「お前は食い物関係になると、そんなだな……全くよぉ……」


ジルメイダは金になると思い、レクスの隣に行くと、糞を拾い始めた。


「あたしは、香りを嗅いで決めるよ。良い香りを期待しようじゃないか」


ユラトも、拾うのを手伝うことにした。


「うん、俺もそうする!」


そしてダリオ以外の者たちで、カーバンクルの糞をユラトたちはしばし拾っていた。


彼らは知らなかった。


自分たちが今拾っている物は、今日拾ったどんな物よりも高い値段が付くことを。


そして糞を拾い終わった彼らは、目的の場所へ移動することを再開させた。


その後の移動は、少しだけ大変だった。


それはユラト達の目の前に、やや傾斜のきつい森の丘が現れていたからだった。


その丘を彼らは登り、そして何も起こる事無く下りた。


下りると、今度は流れの急な川が現れ、その川を彼らは、なんとか横断した。


そして川の先を進むと、再び新緑の森の世界が広がっていた。


ユラトは目の前の景色を、立ち止って見ていた。


「どこまで行っても森だ……」


ジルメイダとダリオは、濡れたマントを絞っていた。


「レクス……あんた達で管理しきれるのかい?」


「こりゃ、相当広い森林地帯だぞ……」


レクスとリュシアは靴を脱ぎ、水を出していた。


「大丈夫だ。パナセアの村にも我々の村からの移住者がいただろ?だから、この辺りにも集落を作れば人は来る。そして要所を押さえてやれば良い」


「食べ物も結構ありそうですしね!」


再び食べ物の事を言ったリュシアの言葉に、レクスはダリオの呟きを思い出し、僅かに笑みが漏れた。


「ふふっ……そうだな」


ユラトたちは少し休憩をすると、再び移動を再開させた。


森の中は、丘を越える前と同じ景色が広がっていた。


そして、森の中に出来た獣道を進んでいると、笛の音色が再び聞こえ出した。


最初に気づいたのは、先頭を歩いていたジルメイダだった。


「これは……パルどもだね?……」


ユラトもすぐに気づいた。


「さっきの笛の音と同じだ……」


ユラトの隣にレクスがやってきた。


「ああ、そのようだ……」


そして一番後ろを歩いていたダリオが、目の前にいるヴァベルの娘に話しかけた。


「おい、リュシア。マナサーチをしろ」


「はい」


リュシアは、すぐにマナサーチを唱えた。


「―――マナサーチ!」


そして彼女は、周囲の様子を伺った。


「………えっと……なんか、一杯います……パルが……」


「増えやがったか……」


「ですけど、みんな円陣を組んでるみたいです。だから、笛を吹いて、遊んでいるだけですね」


周囲を警戒しながらジルメイダがリュシアに尋ねた。


「そんなにいるのかい?」


「うん……結構いる……」


ユラトは考えた。


「なぜ、そんなに集まっているんだろ?」


だが、彼らには分からなかった。


ダリオは考えても無駄だと思ったようだった。


「まあ、パルなら、避けて通ればいいだけだしな。お前ら、行こうぜ」


みなダリオの意見に賛同したようだった。


「はい」


「まあ、そうだね……」


「さっさと行って済ませてしまおう」


そして彼らはパルやサテュロスを避けながら、目的の場所まで向かうことにした。


だが、ユラト達が森を進む中、パル達の謎の演奏は減るどころか増えていった。


周囲の様々な場所から、パルの笛の音が無秩序に聞こえ始めた。


この状況にダリオも流石に驚いた。


「一向に減らねぇってのは、どういうことだ!?」


リュシアは少し不安げに、耳に手を当て、辺りの音を聞いていた。


「色んな場所から、音が聞こえる……」


隣にいたジルメイダは周囲に気を配りながら、歩いていた。


「奇妙だね……」


彼らが焦りを見せ始めた時、パルたちがバラバラに奏でていた音楽が突然鳴り止んだ。


「―――!?」


そして彼らのいる森は、沈黙の森となった。


ユラトたちは動きを止め、周囲を見ていた。


(………音が無くなった……一体……?)


時は昼を過ぎ、もうすぐ夕刻になるぐらいだった。


周囲は、時が止まったかのように風も無く、鳥の鳴き声もない場所だった。


しばらく彼らは動くことはせず、じっと辺りを警戒しながら息を凝らし、状況を見守っていた。


しかし、特に状況は、変わることが無かった。


時間が経つことでユラトの心に、落ち着きが生まれた。


(パルたちは、どこかへ行ったのか……?)


痺れを切らしたジルメイダが、ダリオにマナサーチを頼もうとした、その時、事態は動き出した。


「ダリオ、マナサーチを……」


彼女が沈黙を破り、魔道師の男に話しかけた瞬間、茂みの中から、一羽の鳥が上空へ向け、飛び去った。


―――バサバサバサッ!


すると、それを合図にパル達が一斉に、同じ音を鳴らし始めた。


ユラトは驚いた。


(びっくりした………この音楽は?………)


ユラト達は、一言もしゃべる事無く、パル達の奏でる音を聞いていた。


静かな出だしの曲だった。


そして、それは神秘的であり、かつ、どこか妖しさを含んだ音色でもあった。


妖しさを感じたレクスは、背中から槍を手に取り、呟いた。


「一つの音楽を作り上げようとしているようだ………」


ジルメイダは音楽を、ぼんやりとした表情で聴いているリュシアの肩に手を置いた。


「リュシア、魅惑や幻惑の音楽かもしれない。ぼーっとしてないで、気を張りな!」


そこで彼女は我に返り、メイスを両手で握り締めた。


「………あっ、うん!」


ユラトは剣を構えながら、辺りに変化が無いか見ていた。


(……何が起こっているんだ?)


ジルメイダが小さな声で叫んだ。


「―――みんな、集まりな!」


彼らは円陣を組んだ。


すると今度は、徐々に音が大きくなり始めた。


一つの調和した音楽が、森の中へ広がっていく。


ユラト達が警戒していると、突然周囲に変化が現れた。


それに気づいたレクスが叫んだ。


「―――みんな、足元を見ろ!」


ユラトたちは、一斉に足元を見た。


「―――これは!?」


それは、霧だった。


彼らがいる地面から湧き上がるように出てきたかと思うと、今度は吹き上がり始めた。


そしてユラト達を包み始める。


ダリオが叫んだ。


「霧を起こすための音楽だったか!」


レクスは槍を構えた。


「面倒なことを……」


ユラトはどうするか、ジルメイダに尋ねた。


「どうする、ジルメイダ?」


「霧に包まれると厄介だね………」


そう彼女は独り言を言うと、手に持った長剣を軽く振ることで風を起こし、霧を振り払った。


だが、霧は地面から湧き水のように、次々と湧き出ていたため、すぐに元の状態へ戻った。


それを見た彼女は、すぐにどうするか決めた。


「こりゃ、無理だ。ここから、離れるよ!奥へ行こう、ダリオ、お宝は、向こうだったね?」


ダリオは「霧に何かが含まれている」と思ったのか、自身が着ているローブの袖で口と鼻を押さえながら答えていた。


「ああ、そうだ!」


「それじゃ、さっさと、この場を離れるよ!」


皆、一斉に返事を返した。


「うん」


「わかった!」


「ああ……」


去っていく中、一番後ろにいたレクスは、振り返った。


(なぜ霧を出す必要が………)


レクスは、突然のパル達の行動に疑問を持ちながら、ユラト達の後を追った。


そして彼らは、森の奥へと急いで進んだ。


太陽の光が変化し始め、時は夕刻に入り始めていた。


霧が立ち込め始めた森の中を進んでいく。


進んでいく中、ユラトは、これでパル達の霧から解放されると思った。


しかし、ユラトの期待は裏切られた。


彼らが進んだ先にも、パル達はいたのだ。


そして先ほどと変わらぬ音楽を奏でていた。


ユラト達のいる場所に、更なる霧がかかりはじめた。


「ここにも!………どうなっているんだ!?」


彼らがどこまで進んでも、パルの集団が音楽を奏でていた。


パーティーの先頭で、辺りの様子を伺いながら歩いていたジルメイダが、突然歩くのを止め、苦々しく周囲を見た。


「流石に、これは異常だね……」


ジルメイダを見ていなかったダリオが彼女を追い越した。


「こいつは一体、なんなんだよ!」


そして正面以外の景色を見ていた彼は、霧の中から突然現れた大きな石にぶつかった。


「いてえ!」


積もった鬱憤を晴らすかのようにダリオは、その石を何度も蹴り上げていた。


「……くそっ、くそっ!」


ユラトは、メンバーが人数通りいるか、数えていた。


(………大丈夫だ。みんないる……だけど……まいったな……)


ジルメイダが、ダリオに話しかけた。


「ダリオ、サーチを頼めるかい?」


ダリオは少しだけ気が晴れたのか、石を蹴るのを止めた。


「……ああ、いいぜ」


そのときリュシアが、苛立っていたダリオに気を使い、自分がやると言い出した。


「あの、あたしがやっても……」


だが、ダリオは自身がやることにした。


「いや、この状況は精度が必要だ。だから、俺がやる……」


「はい……」


そう言って彼は、マナサーチを唱えた。


「………四散し、魔力を感知せよ!―――マナサーチ!」


サーチの光が四方へ飛んでいく。


周囲の様子を探るのに、少しばかりの時間が必要になると、ユラトたちは思っていた。


しかしダリオは、すぐに叫んだ。


「―――おい、どう言うことだ!サーチが効かねぇぞ!」


ユラトは驚いた。


「………え、どう言うことですか!?」


「わからねぇ………」


レクスも驚ていた。


「なんだと……何も感じられないのか?」


「ああ………さっぱり、わからねぇ……」


「あたしも、やってみます!」


すぐにリュシアが、マナサーチを唱えた。


「―――マナサーチ!」


だが、結果は同じだった。


「………ほんとだ……何も感じない……」


彼らが話し合っている内に、霧は益々濃くなっていった。


それは、目の前の視界が遮られるほどだった。


突然、自分以外の仲間が見えにくくなった事で、リュシアは不安げな表情になっていた。


「みんなどこ?……」


ユラトは、すぐに彼女の元へ近づいた。


「大丈夫、俺達はここにいるよ」


「はい……」


ジルメイダが叫んだ。


「………やられたよ……―――霧による、『ホワイトアウト』だ!」



【ホワイトアウト】


この世界では、雪、雲、霧、光の乱反射などによって、周囲の景色が全て白い色で満たされることにより、視界がなくなり、方角や地形、高度などが識別できなくなってしまう現象である。


酷い場合だと、平衡感覚もおかしくなると言われている。



ダリオは、何度も手で霧を握り締めながら考えていた。


「………僅かだが……魔力を感じる……こいつは本物の霧じゃないんだ……だから、サーチが効かなくなっちまったのかもしれん……」


「そう言う事かい……少々厄介だね………」


ユラトはレクスに尋ねた。


「レクスさん、『森読み』はできますか?」



【森読み】


ウッドエルフ達は森の景色を、どの種族よりも詳細に覚えることが出来る。


そして彼らは、その景色を一つ一つ心の中で読んでいく。


まるで風景画がまとめられた書物を読むかのように。


それ故、ウッドエルフ達は森で迷うことが無い。


これは、森の女神ミエリの祝福を受けた彼らが生まれ持った能力だった。



レクスは周囲の白い霧を軽く手で払った。


そして、その先に木を見つけると近づき、片手をつけた。


「これだけ霧が深いと、流石に厳しい……無理ではないが、相当時間がかかる……」


「そうですか……」


ユラトが残念そうにしていると、周囲の霧が夕日の色に染められ始めた。


ダリオが、それに気づいた。


「ちっ!もうすぐ夜だ……こりゃあ、へたに動かない方がいいんじゃねーか?」


ジルメイダは、その意見に同意した。


「そうだね……ダリオの言う通りだ。だけど、ここだと、少し守りにくいね……」


彼らがいるのは森の中で、周囲には木と茂みがあるだけだった。


レクスは木から離れ、振り返った。


「だが……下手に動くと迷ってしまうぞ」


「………しょうがないか……」


ダリオが小走りで霧を掻き分けながら、先ほど自身が蹴り上げていた石に近づき、叫んだ。


「ジルメイダ!この石を背にして今日は、霧が晴れるのを待とうぜ」


「それしかないみたいだね………」


そして彼女は、仲間に尋ねた。


「みんな、それでいいかい?」


周囲の霧は濃くなってきており、ジルメイダの声だけが聞こえた。


ユラトは、それに従うことにした。


「うん。それしかないと思う」


他の者も、それに従った。


そして彼らは大きな灰色の石を背にして、霧が晴れるのを待つことにした。


座るとすぐに、ユラト達は食事をとることにした。


ユラトは腰にぶら下げてあった『ハードタック』と言う、固焼きしたビスケットを取り出した。


これは長期保存が可能で航海や冒険などで、よく食される物の一つだった。


だが彼が持ってきていたのは少し違って、蜂蜜と木の実、ドライフルーツが入ったものだった。


ウッドエルフ達が作った物で、この森林地帯を旅する時に、毎回持ってきていた。


ユラトは霧の立ち込めた白い世界の中で、そのビスケットをかじった。


「………相変わらず……硬いな……これ……だけど、船の中で食べたのよりは、ずっと美味しいんだよな……」


人間たちのハードタックは、小麦と水と塩ぐらいしか使っていなかったため硬く、あまり美味しいものではなかった。


しかし、ウッドエルフ達のものは、森の恵みが入った物で美味しく出来ていた。


しばし彼らは皮袋に入った水も飲み、食事を交代しながらとっていた。


そして、リュシアが今度は石に背を向け座った。


彼女は待っていたとばかりに、固焼きビスケットを取り出していた。


(お腹減った!食べよー)


両手の指先でハードタックを持ち、リスのようにかじりながら、周囲の景色を見ていた。


蟻が一匹、座っていた彼女の靴の先の部分を歩いているのが見えた。


(あっ……蟻さん……)


周囲は白い景色しかなかったため、彼女は蟻が歩いているのを何となく見つめながら、食事をしていた。


そして蟻は、彼女の足元から離れ、近くにあった植物に辿り着いた。


それはリュシアの左後ろに生えていた物で、赤い花をつけていた。


(………あれ、あの植物……どこかで……)


リュシアは目の前の植物を、どこかで見た覚えがあった。


すぐに記憶を辿る。


(……えーっと……確か……そうだ!)


それは、ある日の休憩時、レクスが食料節約のために採ってきた物だった。


その植物を引っ張ると、薄っすら黄色い球状の根が現れる。


その球根のような根を、綺麗に洗って、生で食べたり、茹でて食べたりしていたのを思い出していた。


(名前は……なんだったかな……?)


リュシアは名前までは思い出せなかった。


(まあ、いいよね……)


すぐに彼女は立ち上がると、その植物に手をつけ、軽く引張った。


(あれ、硬い………)


彼女は両手で、その植物の茎を持った。


(―――ようし、取っちゃお!)


そして力強く引いた。


「―――んんっ!」


隣にいたレクスが、彼女のうねり声を聞いたため、石の後ろ側にいたリュシアを見た。


「………リュシア、どうした?」


するとそこには、植物の茎を一生懸命引張っている彼女の姿が薄っすら見えた。


リュシアは引張りながらレクスに答えた。


「………んっー!これ……食べれる奴ですよね?……」


レクスは、その植物に目を向けたとき、徐々に地面から、根の部分が見え始めた。


「………ん……これは……」


レクスの表情がすぐに強張った。


そして、彼は叫んだ。


「―――よせ、リュシア!引き抜くな!」


だが、森の大地から離れ始めた植物の根は抵抗する力を既に失っており、一気に引き抜かれることになった。


「やった、抜けた!」


そして、引き抜かれた根をリュシアは見た。


「………あれ……これ……違う?……」


それは、手の平を広げたような形をしてた。


そして中心部分に、醜い人の顔のようなものがあった。


それは大地から取り出されると、周りに付いた土を振り落としながら震えた。


そして突然、大きな悲鳴を上げた。


「―――ギャアアアアアアア!!」


それはもがき苦しみ、のた打ち回っている者が絶叫しているような声だった。


周囲に響き渡り、ユラト達は突然起こった声に驚き、立ち上がった。


「―――何事だ!?」


「敵か!?」


「どうしたんだい!」


一番近くにいたレクスが、顔をしかめながら、なんとか槍を手に取り、植物の根に向かって投げた。


「―――くっ!」


レクスの投げた槍は見事謎の根の口の中に当たり、貫いた。


声が止んだ。


そして声の直撃を喰らったリュシアは、その場に倒れた。


「―――リュシア!」


レクスは、すぐに彼女の元へ駆け寄り、地面に倒れこむ寸前に抱きとめた。


そしてユラト達も、そこへ集まった。


「どうしたんですか!?」


レクスはリュシアを仰向けに寝かせると話した。


「………『マンドラゴラ』だ……その声にやられたのだ……」


ユラトは、槍が刺さっている魔物を見た。


「確か、ギルドの報告にあった魔物………ここにもいたのか……」


ジルメイダが意識を失った彼女に近づき、心音と鼻息を確かめた。


「……どうやら……気を失っているだけみたいだね………」


【マンドラゴラ】


人の顔を持った根茎の魔物。


葉や茎、花などの土から出ている部分は、様々な植物にその姿を変えることができる。


引っこ抜かれると、非常に大きな声で叫ぶ。


叫び声を間近で聞いたものは、気を失うか、最悪、死に至ることもある。


古来より、錬金術や呪術、魔法の儀式などに使われることがあった。


引き抜き、息の根を止めたマンドラゴラは、加工することで、薬や毒薬になると言われている。


薬としての効果の程は分かっていないところがあったが、一応、不老不死、精力剤、媚薬などがあった。


生で使用した場合、毒薬になり、幻聴や幻覚を見せる。


マンドラゴラの亜種として『アウラウネ』と言うものもいる。



レクスは仰向けに寝ているリュシアの両手を、お腹のところで組ませると、立ち上がり、話した。


「声の直撃を受けたが、時間が短かったから、この程度の被害で済んだのだ……」


ダリオは、ぶつぶつ言いながら、レクスの投げた槍に近づいた。


「ったく………ガキんちょめ!もう御眠しやがったのか……まだ早いってんだよ!……何事かと思ったぜ……」


そして槍を引き抜くと、マンドラゴラを手にとって見ていた。


「これが……マンドラゴラか……」


外側の皮の部分は濃い黄緑色だったが、中は鮮やかな赤い色をしていた。


倒されたばかりのため、少しだけ赤い液体が地面に滴り落ちていた。


ダリオは、それを気にする事無く、持っていた。  


「こいつは確か……高値で売れたはずだ………新発見じゃねえが……しっかし……気持ち悪りぃ、ツラしてやがるな……」


ユラトもリュシアの安全を確認すると、ダリオに近づき、その姿を見ていた。


(……本当だ……ただれた様な顔をしている……)


ユラトとダリオがマンドラゴラを見ている間、ジルメイダはリュシアに近づいた。


そしてため息をつくと、両腕で優しく彼女を持ち上げた。


「はぁ……しょうがない子だよ……」


ジルメイダは、その姿を見ながら、二人の子供の事を思った。


(あの子達……ちゃんとやってるだろうね?……まあ、ミレイは良いとして………問題は、あの馬鹿息子だ……)



ゴレア群島からレムリアの町へ向かう船に乗っていたカーリオが突然、くしゃみをした。


「―――ハクシュ!」


隣にいたエルディアが、心配そうに話しかけた。


「カーリオ……風邪?」


夜の潮風を心地よさそうに当たりながら、海を見ていたレビアが、振り返った。


「なんとかは風邪を引かないって聞くけど……まさかカーリオが!?」


そう言われても彼は、表情一つ変える事無く、答えていた。


「突然出るくしゃみは、誰かが噂話をしていると言う話を聞いたことがあります……」


エルディアの隣で海に背を向けていたクフィンがカーリオに話しかけた。


「誰が、お前の噂をしていると言うんだ?」


カーリオは少しだけ笑みを浮かべ、「フッ」っと言ってから答えた。


「恐らくは……オリディオール島に残してしまった、いくつかの美しき花たちが……一人で咲くことに寂しさを感じ始めたのかもしれません……出来れば傍に……はぁ……我ながら罪深いことを……」


すぐに3人は声を合わせて、同じことを言った。


「それはない」


「…………」



ウッドエルフ達のいるウディル村に手紙が来たことがあった。


冒険者は、ギルドに高額のお金を支払うことによって、手紙を送ったり、受け取ったりすることができる。


ミレイ・バルドは、ヴァルブルギスの事件の後、母に手紙を送っていた。


内容は、レイアークの町で知り合った者たちと、事件を解決できた事を中心として書かれていたものだった。


そして兄のカーリオも、命を賭け、友人を救っていたことが書かれていた。


それを見たとき、ジルメイダは嬉しく思った。


(………ふふっ……あの馬鹿も、少しは成長したんだね……やるじゃないか……)


しかし、最後の所に、ダリオからお金を借りていた事や、女の人に声をかけまくっている姿を何度か目撃したことなどが書かれていた。


それを見た瞬間、ジルメイダは手紙を強く握り締めた。


そして成長が垣間見れない息子に怒りを覚えた彼女は、ウディル村の酒場のテーブルを叩き、思わず声を出した。


「あの馬鹿!」


隣にいたダリオが、驚いた。


「どうしたジルメイダ!?」


「ダリオ、あんたカーリオに金を貸したのかい?」


ダリオはうろたえた。


「うっ……それは……だな……(おい、カーリオ………ばれたのかよ!)」


「うちの子を、甘やかさないでくれないかい?」


ダリオは、すぐに言い訳を考え、答えた。


「石の研究のために、色々金がいるって言うんでな……つい……」


ジルメイダは、ダリオを睨み付けた。


「うちには、うちのやり方ってもんがあるんだ。だから、甘やかさないでおくれ!」


そして彼女は重い息を吐き、テーブルに片肘をつき、頭を支えた。


「………ただでさえ、あの馬鹿ときたら……はあ……頭が痛くなるよ……」


ダリオは慌ててジルメイダをなだめた。


「わ、わかった!俺からも言っておく……だから、落ち着いてくれ!(こいつは、やべぇぞ……カーリオ……)」



その時の事もジルメイダは、思い出していた。


(あの年でまさか、まだ躾が必要だなんてね……どうしようもない馬鹿息子だよ!……帰ったらきっちり、体に教え込んでおくか……全く……)



カーリオは悪寒を感じ取った。


「ううっ……やはり、噂ではなく、風邪ですかね……」


クフィンは、夜の甲板で剣の素振りをするため、歩き出した。


「もうすぐ、レムリアに着くんだぞ。体調ぐらい整えておけ……」


「……そうですね……少し早いですけど、今日は休むことにします……」


そう言い残し、彼はレビアと共に船の中へと向かった。


エルディアはカーリオを見送ると、海の景色を見ながらユラトのことを思い出していた。


(もうすぐレムリアに……ユラト、そっちはどうしてる?……)



ユラト達はリュシアが倒れた後、彼女を守りながら、霧が晴れるのを待っていた。


しかし、一向に霧が晴れる気配は、無かった。


そして、日が沈み始めた。


ユラトは周囲を見ながら、これからどうするのか、考えていた。


(まずは……霧が晴れないと、何もできないか……)


そして、ユラトの見張りの番が来たため、ジルメイダと交替するため、立ち上がった。


「ジルメイダ、そろそろ交替するよ!」


腕を組み、周囲を見ていた彼女は、何かを考えていたようだった。


ユラトが来た事を知ると腕を組むのやめ、振り返った。


「もう、そんなに時間がたったのかい……」


ユラトは、少しだけ気になったので尋ねた。


「何か考え事?」


「いや……ちょっと、馬鹿息子の事をね……」


ユラトは聞いたことがあったのを思い出した。


「……ああ、俺より、年上の人がいるって言ってたね」


ジルメイダは、表情を曇らせた。


「困った奴でね……まあ、あんたに言ってもしょうがないか……」


「聞くだけなら聞くよ?」


「いや、いいさ……とりあえず、休ませて貰うよ……」


「うん……(何かあったのかな?)」


そしてジルメイダが、ダリオやレクスが座って休んでいる場所へ向かい、そこへたどり着こうかとした時、突然、それは起こった。


「ドンッ!」と言う、鈍い音がした。


(ん………なんだ!?)


ユラトは、音のした場所へ向かった。


それは、ジルメイダ達がいる場所の方だった。


霧が、その部分だけ払われる。


ユラトは、その場所見て驚いた。


「―――これは!?」


払われた場所から見えたのは、何ものかによって飛ばされ、倒れているバルガの女戦士の姿だった。


ユラトは、すぐに叫んだ。


「―――敵襲!!」


彼の声を聞き、ダリオとレクスは目を開け、武器を手に取り、立ち上がった。


「どうした!?」


「敵襲だと!?」


そしてすぐに彼らの視界に、ジルメイダが倒れている姿が見えた。


ダリオは、すぐに駆け寄った。


「―――ジルメイダ!!」


レクスは、周囲を見た。


「ユラト!敵は、どこにいる!?」


レクスに尋ねられたユラトが「わからない」と答えようとしたとき、彼の側面を漂っている霧の模様が僅かに歪んだ。


ユラトは、気配と風を感じ、すぐにその場から離れた。


「―――!?」


ユラトがいた場所に、木の棍棒が振り下ろされていた。


それは地面を叩いた。


再び、鈍い音がし、一瞬だったが落ち葉を宙に浮かせた。


「レクスさん、そこにいます!」


レクスは薄っすらと見えるユラトの姿を確認すると、側面から回り込み、槍の鋭い突きを放った。


「―――そこか!」


彼の槍は、敵を見事捕らえた。


レクスに、肉に刃を差し込んだ感覚が訪れた。


(―――よし!)


そして声がした。


「―――イギイイイィィィ!!」


奇声を発した敵は、棍棒をレクスに向け振ってきた。


レクスは、それを紙一重で避けた。


僅かに風が起こり、霧が払われる。


そして相手の姿が見えた。


ユラトとレクスが叫んだ。


「なんだ!?」


「こいつは!?」


霧の中から姿を現したのは、人型の魔物だった。


黒ずんだ緑色の苔のような毛が全身に生え、鋭い目、大きな耳と尖った醜い鼻を持ち、体は大きく、ジルメイダやレクスよりも大きかった。


また、体格も良く、盛り上がった筋肉質の体を持っていて、手には大きく太い、木の棍棒を持っているのが見えた。


ユラトが相手について尋ねようとしたとき、敵は再び棍棒を振ってきた。


二人は、その攻撃を避けた。


レクスが叫んだ。


「ユラト、リュシアを、こいつから遠ざけるんだ!」


ダリオの声がした。


「ジルメイダが痙攣して気を失ってやがる!彼女は、俺がここから遠ざける!」


「わかりました!」


ユラトがそう言うと、レクスと謎の敵は既に戦闘状態に入っていた。


ユラトはすぐに、リュシアの元へ向かった。


レクスと敵の打ち合う音が聞こえた。


ダリオが叫んだ。


「ユラト、こっちだ!ガキんちょを連れて来い!」


「はい!」


ユラトは、リュシアを抱きかかえ、声のする方へ向かった。


そしてたどり着く。


「ダリオさん、敵が何者か、わかりますか?」


ダリオは、ジルメイダを引っ張り、仰向けに寝かせていた。


「まだ、見てねぇから、何も言えん……だが、ジルメイダをこんな状態にするってことは、相当な力を持っているはずだ……」


ユラトはジルメイダを痛々しげに見た。


「はい……(ジルメイダ……)」


彼女はピクリとも動いていなかった。


ダリオがすぐに声をかけてきた。


「俺はレクスの援護に向かう。お前は、ここでジルメイダとリュシアを守るんだ!いいな?」


「はい!」


すぐにダリオはロッドを手に取り、レクスの元へ向かった。


レクスは順調に敵の攻撃をかわしながら反撃し、相手にダメージを負わせていた。


(こいつは……力はあるが……動く速度は、あまり速くないな……)


ダリオはレクスの下へやって来た。


「レクス!大丈夫か!?」


「……ああ、なんとかやっている……」


「あいつか……」


ダリオは敵を見た。


「………見たことがねぇ……なんだ、あいつは……レクス、知っているか?」


敵が二人の間に棍棒を振り下ろしてきた。


二人は左右に分かれ、それを避けた。


離れたレクスはすぐにダリオの隣に戻った。


「私にも分からない……」


「おめえも知らねぇのか……」


レクスは攻撃を仕掛けてみる事にした。


(何者なんだ、こいつらは!)


低い体勢で敵に近づくと、頭目掛け、槍で鋭い突きを放った。


「―――ハッ!」


敵は棍棒でそれを防いだ。


後ろへ下がったダリオは相手を見ながら考えていた。


「大体……こいつは……いきなりどこから……」


記憶を辿っていたダリオは何かを思い出した。


「―――はっ!まさか……」


「何か、わかったのか?」


「レクス、ここを頼むぞ。少し確かめたい事がある……」


「わかった……」


レクスが戦う中、ダリオはすぐに来た道を引き返して行った。


(俺の記憶が確かならば……)


すぐにその場所へ、彼はたどり着いた。


(確か、ここだったな……)


そこはユラト達が休憩をしていた場所だった。


白い霧の中、目を凝らして周囲を見る。


「………やっぱり……ない………」


周辺を見ていたダリオは、マンドラゴラが地面に滴らせた血を見つめた。


「………だとすると……早めに殺っちまわないと……」


彼がレクスの元へ向かおうとしたとき、ユラトの声が聞こえた。


「―――こっちにも新手が!」


叫びを聞いたダリオの顔は青ざめる事になった。


「………やはりそうだ!……こいつは……やばいぞ……」


ユラトは、霧の中、突然現れた敵と戦っていた。


それは、レクスが戦っている敵と同じものだった。


棍棒が振り下ろされ、それを手に持った剣で、受け止めようとしたが、弾き飛ばれた。


体勢を崩し、僅かに彼はよろめいた。


「……力が凄いな……正面から受け止めるのは、危険だ……」


そしてユラトは、睨み付けながら、目の前の相手に話しかけた。


「お前たちは、何者だ!?」


だが敵は低く小さい、うめき声を上げるだけだった。


「言葉を理解しないのか?(……と言うことは魔法を使用してこない可能性が高い……なら……)」


ユラトがそう思っていると、敵は棍棒を倒れているリュシアに向けて振り下ろそうと武器を持ち上げた。


ユラトは、それを察知し、攻撃を仕掛けるため近づいた。


(リュシアを守らないと!)


すると、ユラトの後方から声がした。


「―――ロックシュート!」


すぐに魔法が飛んで来る。


そして、それは彼の頭上を越えて行った。


「―――!?」


すると大地の魔弾は、謎の敵の頭に見事命中した。


「今のは?……」


声からすると、どうやらダリオが放ったようだった。


(ダリオさんか!)


そして敵の動きが止まった。


ユラトは攻撃しようとしたが、優先させなければならない事を思い出した。


(―――そうだ!)


ユラトはリュシアとジルメイダの足を引っ張り、敵から遠ざけた。


「よし……これで、なんとか……」


引っ張り終え、再び敵と対峙しようと武器を構えると、ダリオがユラトの隣に現れた。


「ダリオさん、こっちにも同じ敵が現れたんです!」


ダリオは、ジルメイダとリュシアの安全を確認してから話した。


「ああ……わかっている……」


「あの敵、何なのかわかりますか?」


ユラトが尋ねると、敵が二人に向かって棍棒を振り上げながら、やってきた。


ダリオが叫んだ。


「先に、奴を倒すぞ!」


「はい!」


ユラトがダリオの前に出て、敵に向かって走った。


ダリオは、魔法の詠唱を開始した。


ユラトは、敵の目の前まで走った。


そして敵が棍棒を振る前に、横へ飛んだ。


敵は、そのまま棍棒を地面に振り下ろすかと思われたが、途中でユラトが移動したため、それを見るや否や、真横へ棍棒を振り変えた。


軌道が変わり、ユラトはすぐに剣でその攻撃から身を守った。


「―――ふぅー!あぶない……」


寸前で、なんとか守り抜くことに成功したが、大地を滑りながら、後方へ移動させられていた。


風が僅かに起こったため、周囲の霧が晴れた。


そして、それを確認する前に、ユラトが反撃に出た。


「―――はっ!」


彼は敵に近づくと、突きを放った。


敵は、それに感づき、振り払おうとした。


だが、それはフェイントだった。


ユラトは、すぐに剣を引っ込めると、再び突きを繰り出した。


今度は、力を込めて。


「―――喰らえ!」


ユラトの剣は、敵の肩に刺さった。


すると相手は、歯を食いしばりながら奇声を上げた。


「―――イギギィィィ!」


そして、その隙を逃すまいと、ダリオが魔法を発動させた。


「敵に、炎の一撃を!……―――ファイアーボール!」


ベテラン魔道師の放った火の玉は、敵の頭部に命中し、相手は再び奇声を上げることになった。


僅かにぐらつく、巨体の魔物。


それを見たユラトは、すぐに飛び上がった。


「―――はあっ!」


そして、魔物の頭部を貫いた。


すると敵は、一瞬声を出した後、その場に倒れた。


二人は、すぐに近づくと、相手の死を確認した。


「死んでいるみたいですね……」


「すぐにレクスのところへ!……」


ダリオがそう叫ぶと、霧の中から、槍を手に持ったレクスが現れた。


「二人とも、無事か!」


レクスは、ユラトとダリオ、そしてその後ろで寝かされているジルメイダとリュシアを見た後、倒されている敵を見た。


「倒せたようだな……」


そしてレクスは、ダリオに尋ねた。


「ダリオ、敵の正体はわかったか?」


ダリオは何かを思い出し、叫んだ。


「そうだ!お前ら、すぐにここを発つぞ!」


周囲は相変わらず霧が立ち込めており、パル達の演奏は、いつの間にか、ほんの僅か聞こえる程度の音になっていた。


鳥や虫の鳴き声一つない白い霧の森の中に、ユラトたちはいた。


そして辺りには敵がいないのに、なぜダリオは焦っているのか、ユラトには理解できなかった。


「どうしたんですか?敵は全て倒したはずじゃ?」


レクスはユラトの言葉に同意しつつも、ダリオの言った事も気になっているようだった。


「ユラトの言う通りだが……ダリオ……何かあるのか?」


ダリオは、周囲に気を配ると、何かを見つけた。


「おい!さっき倒した敵を見てみろ!」


二人は、すぐにそこを見た。


「えっ……これは……」


「どうなっているんだ?」


二人が見た敵の遺体は、なんと灰色の砂になっていた。


その姿を見たダリオは確信を得ていた。


「これで確定だ………」


ユラトは、どういうことなのか分からなかったため、尋ねた。


「こいつは一体なんですか?」


ダリオは歩き出した。


「………昔、大図書館の本で読んだ事がある……戦記ものの本で……数ページしか書いてなかったんだが………」


ダリオは、砂になった敵の近くでしゃがみ込むと、指先で砂を摘みながら、話した。


「こいつは………『トロール』って奴だ……」


「トロール?」


ダリオは魔物について話した。



【トロール】


森の中をさまよう闇の妖精。


全身を苔のような物で覆っていて、強い力と大きな体を持つ。


注意すべき点としては、日中は大きな石の姿になっていることである。


そして日没とともに、本来の姿に戻り、活動を再開させる。


人を襲い、その肉を食べる。


武器は、木の棒か石斧などを持っている場合がある。


動作が遅く、知能はあまり高くない。


倒されると砂になり、そして時間が経つ事で石に戻り、再生する。


完全に倒すには、光の浄化の魔法などが必要だと言われている。


ダリオは話を続けた。


「昔、森に入った騎士の一団がいた…………森の中には、ここら辺りにあった石と同じ物があった。しかし、誰も気にする事無く、そいつらは夜を、その森の中で明かしたんだ。そして朝になると、そこにあったのは、赤い肉塊が僅かに残っていただけだったということだ……」


話を聞き終えたユラトは、どうするかダリオに尋ねた。


「じゃあ、どうします?戻りますか?」


レクスはダリオが、なぜ焦っているのかを理解していたようだった。


固まった表情のまま、彼は呟いた。


「………いや……無理だ……ユラト……」


「……えっ?」


ダリオが立ち上がり、ユラトの肩に手を置いた。


「レクスの言う通りだ……ユラト、思い出せ……ここに来るまでに一体どれだけ、あの石があったのかを……」


そう言われたユラトは、ここにたどり着くまでの森の光景を思い出していた。


「―――はっ!」


それは、無数に存在していたのだ。


ここに来るまでの森の中一面に。


「あれが……全て……トロールだと言うのなら……」


ようやくユラトは、事の重大さに気がついた。


レクスは眠っている二人を見つめた。


「しかも、気を失った二人の仲間を抱え……サーチの効かない、この濃い霧の中……戻ることこそ、至難の業だ……」


「じゃあ………どう……すれば?……」


ユラトがダリオに、話しかけたとき、周囲から何かが近づいている気配を、3人は感じ取った。


「………くそっ!考えている暇は、なさそうだぜ!」


レクスが槍を素早く回し、風を起こした。


「―――ふんっ!」


僅かだが、パルたちの演奏によって現れた魔法の霧が払われた。


そして周囲の様子がわかった。


その景色を見た3人は驚いた。


「―――あっ!?」


「冗談じゃねぇぞ……」


「いつの間に……」


彼らの周りに、いつの間にか、何体ものトロールが現れていた。


3人は、すぐにジルメイダとリュシアの近くへたどり着くと、2人を守るように武器を構えた。


ダリオが魔法の詠唱を開始し、レクスが近づいてきた敵に向かって飛び上がった。


そしてユラトは2人を守りながら武器を構え、呟いた。


「早くも現れたか………森の闇たちよ………」


ユラト達に、大いなる危機が迫ろうとしていた。

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