第十七話 祭りの前の人々
オリディオール島中央にある町、レイアーク。
そろそろ春の豊穣を祝うための祭り、「ヴァルプルギスの夜」が始まるため、人々は忙しそうにその準備に追われていた。
飲食店はその日、特別の料理を出すとかで、準備を既に始めているようだった。
食材集めに奔走している姿があった。
また、他のお店は飲食店と露店以外は閉まり、祭りを楽しむ。
そして、特に大変なのが町の中央にある広場に設置される、かがり火であった。
辺りにある建物よりも、高く積み上げるのが毎年の恒例となっている。
そのため、ラオルバの木が大量に運ばれ、人々は必死になって汗を掻きながら木材を組んでいた。
そして、様々な飾りつけをしている人々もいて、町は普段に比べ、活気付き始めていた。
ここは、レイアークの町の中。
浅黒い肌に銀髪の髪の女の子が、町の入り口付近にある、朝市の露天に並んでいる品物を見ていた。
(……あ、なんか新しい野菜みたいなのがある!どんなのだろ……)
その人物は、それが気になったのか、露天の店主に尋ねていた。
「おじさん、それって何?」
「ん、これかい?」
「うん、それ」
それは、やや赤みがかった細く柔らかい茎に、いくつも小さな黄緑色の葉を付けたものだった。
「こりゃあ、あれだよ。マジョラムって名のハーブさ」
「ハーブなんだ。どんな香りがするの?」
「ほれ、嗅いでみな」
店主は、彼女にハーブを一本渡した。
「ありがとう………」
そして香りを嗅いだ。
(ちょっと、スパイシーですっきりとした感じの香りね……ふーん……)
何の食材に合うか、彼女は考えた。
(この香りだと……そうだなぁ……)
「お嬢ちゃん、どうする、これ買うかい?西の大陸で発見されたっちゅう話だ」
女の子は枝をくるくる回しながら匂いを嗅ぎ、考えていた。
「へぇ……そうなんだ……」
そして、彼女は何か閃いたようだった。
「―――そうだ!これとチーズを合わせたらいいかも!おじさん、これ頂戴!」
「おう!まいどありー!」
彼女は、お金を渡すとマジョラムを受け取った。
「うん、それじゃ、また来るねー!」
そして、店を後にした。
(良い物買っちゃった……ふふ……エル先輩と試してみよっと!)
彼女は、デュラン・マーベリックの妹のシュリン・マーベリックだった。
シュリンは良く、この朝市を利用していた。
最近は特に、西のエルフィニア大陸からもたらされる、新しいハーブなどに興味が湧いているようだった。
(パンに挟んで……お肉にもいけそうかも!)
色々、レシピを考えているようだった。
そして、気分良く歩いていると、ある人物が視界に入った。
知っている人物だった。
その者は、燃えるような赤い髪を持った青年だった。
そして、地面に這いつくばり、何かを探していた。
「くそっ!どこにいきやがったんだよ……」
シュリンは静かに、その男に近づいた。
そして、彼女の影が赤い髪の青年の視界に入った。
彼は地面に這いつくばるのを止め、シュリンの方へ顔を向けた。
「……ん?」
最初に話しかけたのは、シュリンだった。
彼女は呆れた表情で、その男に話しかけていた。
「……何やってんのよ……バカ兄貴」
そう呼ばれた男の名は、彼女の兄のデュラン・マーベリックだった。
彼は土のついた両手を軽く叩きながら、渋々立ち上がった。
「……久しぶりの再開だってのに、随分な言い方じゃねぇか、シュリン」
「こんな町の真ん中で、そんなことしてたら、そう言われても仕方がないでしょ、何やってんのよ!」
「うるせー。金を落としちまったんだよ。しょうがねえだろうが!」
「恥ずかしいわ……ほんと……」
「お前な……少しは成長してるかと思ったが、ほとんど変わってねぇな……もっと、大人になってるかと思ったのによ。もう少し上品に言いやがれってんだ!」
「それは、そっちもでしょ……それに、何で兄貴が……」
その時、パールティールの髪の色をした女性が、デュランに声をかけてきた。
その女性は手に一枚の銀貨を持ち、両頬は砂がつき、汚れていた。
「デュラン!こっちにありました!」
「おい、エリーシャ……なんでそんなに汚れているんだよ……」
その女性は、人魚の娘のエリーシャだった。
どうやら2人は、レイアークの町にたどり着いていたようだった。
そしてデュランは、自分のポケットに入っていた小さな布で彼女の頬を拭いていた。
「もう少し、お前は身だしなみを考えろ……」
「だってこれ、レンガの壁の隙間に入ってましたよ。なかなか取るの大変だったんです」
そんな2人を見たシュリンは一瞬驚き、そしてすぐに意地悪な表情になり、兄に話しかけていた。
「あら、あらあら!そちらの方はどなたかしら? お・に・い・さ・ま!」
「てめぇ、シュリン!こんな時だけ言いやがって……」
シュリンは、紙に包まれたハーブの茎の部分を握り締めながら、言い返していた。
「何よ!そっちは、実家の宿屋が大変なときに、こんなところで女の人と遊んでるんじゃない!お母さんに言いつけてやるんだから!」
そう言われたデュランは、ややうろたえながら言葉を返した。
「おい、待て。お袋には許可は貰ってあるんだ」
シュリンは疑いの眼差しを兄に向けた。
「ほんとにぃー?」
「本当だ!」
「じゃあ、その女の人は?」
「こいつは……いや、この人は俺の依頼主だ。だから俺は今クエスト中なんだ」
「ふう~ん……クエストねえ……」
シュリンは、まだデュランの言葉を信用していないのか、先ほどと変わらぬ表情のまま、今度はエリーシャに目を向けた。
(見たことない髪の色……それに優しそうな感じの人……)
シュリンに見つめられたエリーシャは、何が起こっているのか理解できていなかった。
そして、シュリンのことを、デュランに聞いていた。
「……あのデュラン、この子は?」
「……ああ……まだ話してなかったな。こいつは俺の妹のシュリンだ。この町で魔道師になるために勉強しているんだ」
それを聞いたエリーシャは両手を合わせて驚き、そして喜んでいた。
「まあ!デュランに妹さんがいたんですか!あたしは、エリーシャって言います。よろしくお願いします。可愛い妹さんですね!」
シュリンは、兄が言っていることが本当なのか信じることができなかった。
(なんの仕事やってるんだろ……こんな女の人連れて……それに、顔なんか拭いちゃって……ようし!……)
シュリンは、思い切ってエリーシャにも尋ねることにした。
「……あの、エリーシャさん。兄とは、どういう関係なんですか?」
「デュランと私ですか……えっと………人には言えなくて……それから……離れられない関係です!」
それを聞いた赤毛の青年は、慌てて人魚の娘を黙らそうとした。
「おい、エリーシャ!その言い方は……」
エリーシャの言うとおり、デュランと彼女は、見えない魔法の制約で結ばれていた。
しかし、他人が聞けば、違う聞こえ方になってしまっていたが、人魚の娘にはそれが分からないようだった。
それを聞いたシュリンは、しばらく目と口を開け、驚き固まっていた。
「あ……ああ……」
そんな妹の姿を見たデュランは、片手で顔を覆っていた。
「あっちゃー……(完全に誤解させたぞ、こりゃあ……)」
しばらくして、少し気持ちが落ち着いたのか、シュリンは兄に話しかけた。
「ふ、ふーん、そうなんだ……良かったじゃない……兄貴ってそういうの疎いと思ってたし……」
デュランは、必死に弁明しようとした。
「お、おい、シュリン。これは、違うぞ……これはだな」
「なーにが違うって言うのよ!やっぱり、遊んでるんじゃない!」
デュランは、エリーシャが人魚で、彼女の住んでいる場所を助けるためのクエストだと言いたかった。
しかし、言ってしまえば、エリーシャは死んでしまうため、絶対に言えない。
そのジレンマに、つい、カッとなってしまったのか、声を荒げた。
「違うっつってんだろうが!」
だが、そんな兄を見てもシュリンはなれているのか、怯むことなく、すぐに返していた。
「絶対に、お母さんに言ってやるんだから!」
そして2人は睨み合った。
その時、エリーシャが珍しく怒りを込めて、デュランに話しかけた。
「デュラン!兄は妹に、優しくするものです!」
突然のことで驚いたデュランは、表情を緩めた。
「なんだよ、急に……」
「私にも、兄がいることは知ってますよね?私の兄は、無口でしたけど、いつも優しくしてくれました。それが兄のすることだと思います。だから、デュランもシュリンには、優しくしてあげてください!」
シュリンは、エリーシャに近づいた。
「エリーシャさん……良いお兄さんをお持ちなんですね……あたしなんて……」
彼女はチラリとデュランを一瞬だけ見た。
「てめぇ……」
エリーシャは、近づいてきたシュリンの頭を撫でていた。
「大丈夫ですよ、シュリン。デュランは、ああ見えても、頼りになる人です!」
そんな2人を見た、デュランは深くため息を付いた。
「はあぁー……。もういい、好きにしやがれってんだ……」
会話の中からシュリンは、エリーシャが、変な人物ではないことを悟ったようだった。
(ちょっと、変わってる所もあるみたいだけど……良い人みたい……じゃあ、ちゃんとした仕事なのかな?……だけど、言えない事って……)
なんとか気を取り直した彼女は、顔を上げ、兄に尋ねた。
「兄貴、この町にいるの?それとも、西にでも行くの?」
「……ん、しばらく、ここの大図書館で少し調べものだ」
「大図書館で?……ふーん(色々な本があるから、何かはわからないなぁ……)」
そして、エリーシャが楽しそうに会話に入ってきた。
「あと、バード(吟遊詩人)の試験も受けるんです!」
「―――え、エリーシャさんが!?」
デュランが思わず、エリーシャに小声で注意していた。
「おい、エリーシャ!あんまり話すのはよせ」
それを聞いたシュリンは、再び兄を睨んでいた。
「なによー!少しくらい話してもいいじゃない、ケチッ!」
エリーシャは、デュランに近づき小声で話した。
「デュラン、彼女は大丈夫ですよ、私には分かります」
人魚の娘はシュリンの方へ顔を向けた。
「シュリン、私、歌が得意なんです。だから、受けてみることにしたんです!」
「へぇー。ちょっと聞いてみたいかも」
「それはまあ、また今度な」
そしてシュリンは、突然、何かを思い出した。
「―――あ、そろそろ、授業だから行くわ。兄貴、この町にしばらくいるなら、食事ぐらいしてあげてもいいわよ。お母さんの事も聞きたいし」
「ああ……わかった」
走り去ろうとしたシュリンは、何かを思い出したのか、立ち止まった。
そして、すぐに振り返り、兄に話しかけた。
「あ、そうだ、エリーシャさんに変なことしたら、承知しないわよ、いい?」
妹にそう言われたデュランは表情を変え、顔をしかめた。
「……こいつ……うっせぇ!とっとと行きやがれ!」
そんなデュランの態度を見たシュリンは、兄と同じように顔をしかめ、舌を出した。
「べーっだ!」
そして、エリーシャには笑顔で話していた。
「それじゃ、エリーシャさんもまた!」
「はい、シュリン、また!」
どうやら、2人はなぜか自然に打ち解けているようだった。
去っていくシュリンの背中を見ながら、エリーシャは感想をもらした。
「元気で可愛らしくて、しっかりした妹さんですね」
デュランは、しかめっ面のまま、エリーシャに話していた。
「うるせぇだけだぜ……」
しかし、すぐに、穏やかな表情になっていた。
(だけど……元気にやってるみたいだな……失踪したあいつのことを思って、まだ泣いているときもあるのかな……)
デュランは、実家の宿屋で共に生活していた頃を思い出していた。
そして自分の部屋で父親が居なくて寂しくて、たまに人知れず泣いていたシュリンの事を思った。
(あるんだろうな……あいつは、そういう奴だからな……)
デュランは不甲斐無い自分自身と、そして父親に対して、怒りを感じた。
(……くそっ!シュリンに会ったら、宿屋に客が戻ってきたことや元気になったお袋の事を話して、安心させてやろうと思ってたのによ……何やってんだ俺は!……エリーシャの言う通り、俺は兄としてもっと、ちゃんとするべきだったんだろうな……くそっ……しかし、あの野郎はやっぱり許せねぇ!)
シュリンの居なくなった方角を拳を握り締め、睨みつけるように見ていたデュランの顔を見たエリーシャは驚き、不安な表情になり、尋ねていた。
「そんな顔をして……どうかしたんですか、デュラン?」
デュランは彼女の声を聞いたことで、父への強い思いから解放された。
そして、普段通りの表情に戻っていた。
「……なんでもねぇ。ちょっと昔を思い出しただけだ……」
「そうですか……そう言えば、デュランとシュリンってあまり似てませんよね?」
エリーシャの言うとおり、デュランとシュリンは、容姿があまり似ていなかった。
特に違うのは、髪の色だった。
彼女の問いに、デュランは答えた。
「……ん、ああ、よく言われるんだが、あいつは父親似らしいんだ。んで、俺はお袋に外見が似たんだと……なぜか、はっきりと分かれたって言ってたな……だから、ちゃんと血の繋がった兄弟だぜ」
「そうなんですか……」
「それより、俺たちも調べに行こうぜ!」
「はい!」
デュランとエリーシャは、ダゴンやハイドラの事などを調べるために、大図書館へ向かった。
そして、学院に向かっているシュリンもまた、兄のことを考えていた。
(兄貴は、相変わらずだったけど、冒険者を再開したってことは、お母さん元気になったんだろうな……良かった……だけど、あたしもあんな乱暴なのじゃなくて、もっと優しい人が良かったなぁ……)
そしてシュリンは、自分にとって姉のような、優しい人物の事を思い出した。
(エル先輩、そろそろ帰ってくるはずなんだけど……何も起こってないよね?……クフィンさんとカーリオさんの2人もいるし……とにかく無事で……)
シュリンは、エルディアの事を思いながら、学院へ向かって行った。
ニーフェの森から帰還したエルディアたちは、レイアークの町に無事たどり着いていた。
町に着いたのは、昼食前ぐらいの時間だった。
疲れた表情で、3人はレイアークの町の入り口にいた。
「やっと着いたわ……」
「そうだな……」
「すぐにでも、ベッドで眠りたい気分です……」
「カーリオ、報告だけはしないと……」
「エルディアの言う通りだ。カーリオ、少しは我慢しろ。報告が終われば報酬がもらえるはずだ」
それを聞いたカーリオは、元気を取り戻していた。
「……そうでしたね……じゃあ、行きましょう!」
そんなカーリオを見たクフィンは、彼を睨みつけていた。
「現金な奴め……」
エルディアは、町を見ながら、なぜか懐かしい気分になっていた。
(色んなことがあったからかな……長い間旅に出ていたみたいに感じるわ……)
バルガの魔道師が、エルディアに声をかけてきた。
「それじゃ、学院に行ってラドラー学院長に報告しに行きましょう!」
カーリオが、先導して馬を走らせた。
「ええ、そうね……」
3人は、ラドルフィア魔法学院へ向かった。
学院に着くと、学生たちが祭りの準備をしていた。
「おーい!それこっちに持ってきてくれ!」
「待って!それ順番が逆よ!」
「どいた、どいたー!」
みな忙しそうに、花の飾りつけの準備や楽器の演奏、それから踊りの練習や衣装を作っている者たちもいた。
エルディアたちは、その喧騒の中を歩き、学院長のいる部屋へ向かった。
歩きながらエルディアは、シュリンが楽しみにしていた事を思い出していた。
(シュリン……このクエストが終わったら、彼女と祭りに……)
「そう言えば、ヴァルプルギスの時期でしたねぇー」
カーリオは、楽しそうに辺りを見ていた。
そして、そんなカーリオとは対照的に、クフィンはあまり楽しそうではないようだった。
「……飲んだくれの馬鹿どもが、騒ぎを起こさなければいいがな……」
どうやら毎年、彼は喧嘩の仲裁などを自警団員として、していたようだった。
そして、学院長の部屋の扉が見えるところまで彼らがたどり着いた時、その部屋から出てくる者がいた。
ふくよかな体型をした女だった。
その人物は、学生寮の寮母をしているリーネ・パルトワだった。
口うるさい女で、3人にとって苦手な人物でもあった。
部屋を出て小さくため息を付くと、彼女は歩き出し、エルディアのところまで来ると、彼女たちに気づき、話しかけてきた。
「……あら、エルディアにカーリオ、それにクフィンじゃない」
「こんにちは……」
「これは……リーネさん、どうも……(これは少し参りましたね……)」
「………」
「確か……シュリンから聞いたけど、クエストをやっていて、この町を出て行ったって言っていたけど……?」
「……はい、それが終わったので、それを報告しにラドラー学院長に会いに来たんです」
「あらそう……だけど、学院長……今は居ないみたいよ。中に掃除しているおばさんがいて、杖?だったかしら……そう言うのを家に取りに帰ったって言っていたわ……あの人、居ないことが結構多いのよ……何やってんだか……あたしも用事があったのに!」
「杖……ですか……」
3人は、それを聞いてピンと来るものがあった。
それは、このクエストを依頼された時に、彼が持っていた不気味な杖だった。
「あたしは、用事があるから行くわ」
「はい……」
そしてリーネは、歩き出そうとしたが何かを思い出し、エルディアたちに話かけた。
「あ、思い出したわ!カーリオ、あなた生徒に声をかけ過ぎよ。少しは自重して頂戴!それから、エルディア、シュリンに、あまり部屋に鉢植えや植物を入れないように言っておいて!虫が湧いて、困るのよ」
「は、はあ……善処してみます(この場合は……口答えしない方がいいですからね……)」
「すいません……私からシュリンに言っておきます……」
「とにかく、頼むわよ!」
「はい……」
そう言って、リーネはどこかへ行った。
残された3人は、リーネが言っていた、杖について話していた。
「やはり、あのとき見た杖のことなんだろうな」
「気に入っていた様子でしたしね。恐らく、何か分かったんでしょうかね」
エルディアは、どうしていいのか分からなかった。
そして、どうするかクフィンとカーリオに聞いていた。
「じゃあ、どうしようか……」
するとカーリオが、扉の前まで歩き出した。
「……私が、掃除の方にいつ頃出て行ったのか、聞いてみますよ」
そう言って、カーリオは学院長室に入り、中で掃除をしている人物にオイゲルが出て行って、どれぐらい経つのか聞くために部屋に入った。
そして、すぐに部屋から出てきた。
「聞いてきましたよ」
カーリオが聞いたところによると、朝すぐに彼は家に取りに行ったまま、帰ってこないと言うことのようだった。
「朝なら結構時間が経ってるわ……」
「そうだな……」
エルディア達は、少しの間考え込んだ。
ここで待つか、学院長の自宅まで報告に向かうか。
そして腕を組みながら、考えていたカーリオが2人に聞いていた。
「うーん……ここで待っていても仕方が無いので、我々から学院長の自宅へ向かいますか?」
「さっさと終わらせたいし、そうしよう。クフィンそれでいい?」
「わかった、すぐに行こう。俺にもカーリオに付いていた睡魔とやらが、襲ってきたようだ……少し目蓋が重い……」
「ふふっ、クフィンも睡魔には、勝てそうにありませんね」
「そうね……じゃあ、2人とも行こう」
エルディア達は、魔法学院から南にあるレイアークの町の学院長の住んでいる場所へ向かった。
オイゲル・ラドラーが住んでいる場所は、レイアークの町の中でも、特に地位の高い者や、富裕層が住んでいる場所であった。
町の北東にある地区だった。
ここには、エレーナ・マキュベルの実家もあった。
その地区へ、エルディア達は、睡魔と戦いながらたどり着いていた。
学院長の家にたどり着くまでに、様々な豪邸を目にしていた3人は、世の中の不条理をなんとなく感じたのであった。
「はぁ……持っている方は、持っていますね……」
「ここの警備をしている者から話を聞いたことがあったが、東のマルティウスにも、別荘を持っている者がたくさんいるらしいぞ……」
「そう……」
辺りは町の中心地ではないため、人気の無い、静かな場所だった。
また、家と家の間隔が町の中と比べると、大きい場所でもあった。
学院長の家は、鉄の大きな柵で囲まれた立派な家だった。
エルディアは、家を見た。
(大きな良い家……)
敷地全体を囲むように、庭師が手入れしたと思われる整った形の生垣があり、中を見ると季節の花がいくつか咲いていて、その近くに小さな人工の池があって、魚が何匹が泳いでいた。
そして門から家まで続く石畳の一本の道を進むと、赤茶色の屋根のある、白い壁の家が見えた。
そして、門の前に近づいた3人は異変に気づいた。
最初に気づいたのは、エルディアだった。
「……ねえ。この家……門と家の両方の扉……開いてない?」
エルディアの言うとおり、門はそのまま開いていて、家の方も良く見ると、ドアが僅かだが開いているのが見えた。
「……ん、本当ですね……」
「無用心だな……」
そして、3人はすぐに胸騒ぎを覚えた。
「……おかしいわ。普通開けっ放しなんてしないはず……」
「確かに……おかしいな……」
「エルちゃん、クフィン。様子を見に行きましょう!」
3人は開いていた門を通り、家の中へ入った。
家の中に入ると、玄関で人が、うつ伏せに倒れているのが見えた。
「―――これは!?」
そして、エルディア達はすぐに、その人物に近づいた。
その人物が着ている服装からすると、この家の使用人のようだった。
白髪の混じった髪を持った中年の女性だった。
カーリオが、肩に手を置き、軽く揺すりながらその女性に声をかけていた。
「―――大丈夫ですか!」
しかし、返事が無かった。
そして、クフィンがその使用人の女性を仰向けにさせた。
見たところ、特に外傷は無いように見え、目と口は開けたままだった。
エルディアは、その人物の手を取り、脈を測った。
「………だめだわ……死んでいる……」
エルディアは、呆然とその人物を見ていた。
クフィンの目が鋭くなった。
「殺しか?……」
そして、カーリオが叫んだ。
「学院長はどこに!?」
カーリオの叫びで我に返ったエルディアは、学院長の安否が気になった。
「―――そうだわ、探しに行こう!」
エルディアは使用人の女性の目と口を静かに閉じると、立ち上がった。
そしてクフィンがエルディアにサーチを頼んできた。
「何がいるかわからない。エルディア、マナサーチを頼む!」
「わかった!」
クフィンとカーリオは、エルディアを守るように武器を構えた。
そして、彼女は範囲を絞り、すぐに魔法を発動させていた。
「……マナサーチ!」
杖を握り締め、目を閉じ、意識を集中させた。
範囲が狭いため、すぐに状況がわかった。
(……誰も……いない?……いや……微かに何か……いる?)
エルディアは、その事を2人に告げた。
「ここには少なくとも、生きている人はいないみたい……だけど、向うの方に、ほんの少しだけ、魔力のようなものを感じたわ」
「では慎重に、そこへ行きましょう」
「俺が先頭に立つ。2人は俺の後ろからついて来るんだ」
「分かりました!」
「うん……場所は、そこの通路を真っ直ぐに行った、突き当りの部屋よ……」
すぐに3人は、学院長を探すために動いた。
家の中を進むと、通路の両側の壁に、様々な動物の首から上の部分で出来た剥製が、かけられていた。
鹿であったり、まだら模様の厳つい表情の動物、口に2本の大きな牙を持ったものもいた。
この状況で見たためか、3人には不気味に見えた。
そしてカーリオは歩きながら冗談交じりに、つぶやいていた。
「はは、まさか……あれが生きていると言うことはないですよね?」
それを聞いたエルディアは怖くなり、空気を読まないバルガの魔道師に、やめるように言った。
「カーリオ……怖いからやめて……」
ロングソードを構えながら、先頭を歩いていたクフィンも彼を睨みつけていた。
「カーリオ、下らん冗談はよせ」
その剥製たちの目が彼らを見つめる中、3人は慎重に奥の部屋へと向かった。
辺りは静かで、彼らが進む時に生じる音しか、しない場所だった。
奥に進む中、いくつか部屋があり、その様子が分かった。
どこも贅を凝らした部屋になっていた。
高そうな美術品や絵画、そして家具一つ取っても高級感のあるものばかりだった。
それらを見たカーリオは、羨ましく思った。
(羨ましい限りです……随分と蓄財されていますね……審議会のメンバーとは、そんなに儲かるものなんでしょうか?……ふむ……)
そして、何も起こることが無いまま、奥の部屋の前へ彼らはたどり着いた。
「よし、俺が開けるぞ?一応魔法は使えるようにしておいてくれ」
クフィンがそう言うと、ドアノブに手をかけた。
「わかったわ……」
「ええ、いつでもいいですよ」
そして、クフィンは一気にドアを開けた。
3人は部屋の中を覗き込むように慎重に見た。
部屋は書斎のようだった。
沢山の分厚い本が本棚に収納されていて、結構な広さがあった。
薄暗い部屋で、大きな木製の分厚い机があり、そこに金で出来た燭台があって火が灯っていた。
そして目線を下へ向けると、見知った人物が部屋の真ん中の床に倒れていた。
カーリオが、その人物の名を叫んだ。
「ラドラー学院長!」
3人はすぐに倒れている学院長の元へ向かった。
クフィンが、上半身を抱きかかえるようにしながら、肩を揺すっていた。
「おい、学院長!……ダメだ……この男も死んでいる……」
「……そんな……」
カーリオは、冷静に学院長の遺体を見ていた。
「先ほど玄関で見た方と同じで、傷はありませんね……」
クフィンが遺体を床に寝かし、カーリオに尋ねた。
「……毒か?」
クフィンの問いにエルディアが、辺りを見回しながら答えていた。
「この部屋には、飲食をした形跡は無いみたい……」
彼女の言うとおり、この部屋には食べ物はもちろん、コップ一つさえも置いていなかった。
クフィンは、オイゲルの体全体を調べたが、全く傷らしいものはなかった。
「……どういうことだ?」
そして、辺りを見回していたエルディアが、机の上に手紙が開いたまま置いてあるのに気が付いた。
(……手紙?……なんだろう……)
彼女は近づき、書かれている文章を読んだ。
(これは……杖の鑑定書……?)
どうやら、杖の鑑定が終わっていたようだった。
そして、エルディアはカーリオにも、伝えることにした。
「カーリオ、学院長が持っていた杖の詳しい鑑定が終わっていたみたい……これ、鑑定書みたいよ……」
「―――ほう……それは、私も知りたいですねぇ……」
カーリオが机に近づいたとき、突然、この部屋のドアが、ひとりでに閉まった。
―――バタンッ!
エルディア達は、すぐに音のしたドアを見た。
(―――え、何?)
そして、クフィンが慎重に勝手に閉まったドアの元へ近づいたとき、今度は、ロウソクの炎が、風も無いのに消えた。
フッ―――
そして部屋は、暗闇に包まれた。
突然のことでエルディアは驚き、声を上げそうになった。
「きゃ……」
しかし、すぐに口を手で押さえた。
(何も見えない……いったい……今のは……?)
クフィンが冷静に2人に話しかけていた。
「2人とも無事か?」
エルディアとカーリオはそれぞれ返事をしていた。
「ええ……」
「私も大丈夫ですよ」
2人が無事であるのを確認したクフィンは、マナトーチの魔法を魔道師である、エルディアとカーリオに頼んだ。
「魔法の明かりを頼む」
「分かりました、私がしましょう……」
カーリオがすぐに、自らのロッドにマナトーチの魔法を唱えていた。
部屋に明るさが戻った。
そして今度は、クフィンがすぐに叫んでいた。
「―――ドアが開かないぞ!?」
それを聞いたエルディアとカーリオは驚いた。
「―――え、どういう事?」
「何があったんですか?」
「聞きたいのは俺もだ!」
クフィンは、必死にドアを開けようとしたが、ビクともしなかった。
「……閉じ込められた?」
「わからない……だが、このままここに居る訳にはいかないからな……カーリオ、手伝え。こうなったらドアを体当たりでこじ開けるぞ!」
「わかりました!」
そして2人は息を合わせ、ドアに向かって体当たりした。
ドンッと音がしたが、ドアは相変わらず、何も変化は起きなかった。
そして繰り返し何度か試してみるが、それは相変わらずだった。
「くそっ!どうなっているんだ!?」
「これは……参りました……不味いですね……」
クフィンとカーリオは、壊れることのないドアを忌々しげに見つめていた。
すると今度は、何やら彼らの周りから、微かに音が出始めた。
その音に最初に気づいたのは、エルディアだった。
「……何か……音が聞こえる……」
彼女の言葉に、2人もドアのことを考えるのを止め、意識を耳に集中させた。
すると、何かが擦れる様な音や床を歩く音などが、聞こえ始めていた。
「……確かに、何か音が聞こえるな……」
「なんですかね……」
すると今度は、ドアをノックする音が聞こえた。
誰かが来たと思ったクフィンは、返事を返していた。
「(誰か来たのか?)おい、扉の向うに誰かいるのか?いるなら返事をしてくれ。こちら側からはドアが開かないんだ!」
しかし、ドアの向こう側からは、何も言ってこなかった。
「誰も、いないんですかね?」
「人の気配はしないな……」
「どういうことなんだろ……」
3人は、今この部屋で何が起こっているのか理解できなかった。
そして、彼らの周りでしていた音が、大きくなってきていた。
それに気づいたエルディアは、2人に尋ねていた。
「音が大きくなってきてない?」
「これは……」
そしてエルディアが、音から何かを思い出していた。
「こう言う音って……ひょっとして、『ラップ音』?」
クフィンには、それがなんであるのか分からなかった。
「なんだそれは……」
カーリオは耳を澄まして、今聞こえる音を黙って聞いていた。
「確かに……そうなのかもしれません………と言うことは……」
2人は、ここで今起こっている事が何であるのかを理解すると同時に叫んだ。
「―――『ポルターガイスト』!」
【ポルターガイスト】
この世界では、強い霊力がある場所や、そう言ったものが発生した場合などに、共に現れることがある悪霊の一種。
この霊が現れると、ラップ現象と言う、誰も居ない部屋や何も無い空間などで様々な音を出すことがある。
その時に出る音をラップ音と言う。
一定の空間に縄張りの様なものを作り、そしてその中へ入った者の魔力を命尽きるまで奪い取る。
倒すまでは、その空間から出ることが出来ないと言われている。
「これは、倒すまではここから出ることは出来そうにありませんね……」
「カーリオ、倒す方法はあるのか?」
「先に、ヴァベルの教会に行っていれば………こういったこともエクソシストが得意だったはずです……」
カーリオの言うとおり、エクソシストは悪魔以外にも、怨霊や悪霊などの霊体の敵にも、その力を発揮することが出来た。
そして悪霊は、エルディア達に牙を向けてきた。
彼らの周りにあった分厚い本が、突然本棚から飛び出て宙に浮くと、エルディアたちに向かって飛んできた。
それに気づいたクフィンが本の何冊かを、手に持った剣で叩き落した。
「見える奴となら、俺は勝てる自信がある……しかし、これは厄介だぞ……」
エルディアは、クフィンとカーリオの後ろで、2人に話しかけていた。
「この部屋のどこかに、悪霊の本体が宿っているものがあるはず……」
「エルちゃんが感じた僅かな魔力は、恐らくこれだったんでしょうね」
そして、今度は、ペーパーナイフと数本のペンが回転しながら天井の方まで浮くと、彼らの方へ刃とペン先を向け止まった。
それを見たクフィンは、叫んだ。
「エルディア、机の下へ!」
エルディアはすぐに机の下へ隠れた。
彼女が隠れると同時に、ナイフとペンが彼らへ向け、放たれた矢のような速度で直進してきた。
そのナイフを剣で落とすと、カーリオは身にまとっているクロークを、クフィンはマントを翻し、ペンを叩き落とした。
「おい、カーリオ!倒す方法は?このままだと、きりが無いぞ!」
カーリオは、自分に向かって飛んできた本をロッドを使い、防いでいた。
そして、ポルターガイストを倒す方法を考えていた。
「悪霊に効くものですか……そうですねぇ……神聖なものか……もしくは、魔力を帯びたもので攻撃をすれば、いいはずなんですが……」
それを聞いたエルディアが、何かを思い出し、クフィンに話しかけた。
「(―――そうだ……あれを……)クフィン、私が魔法を使うわ。ちょっとだけ、時間を頂戴!」
クフィンは短く答えた。
「わかった……(お前だけは、何としても俺が守る!)」
「じゃあ、私は本体を探すために、サーチを唱えますね」
クフィンが武器を構え、敵の攻撃を防いでいる中、今度は先ほど炎が消えた燭台に、青白い鬼火が宿った。
そして、燭台がいくつかの本に接触していく。
すると、本は青白い炎で包まれた。
クフィンは、それを不愉快そうに見ていた。
「くそっ、色々やるつもりだな!」
そして鬼火を纏った本が、クフィンを襲った。
彼は飛んで来た一冊を避け、床に落ちたところを素早く蹴飛ばした。
そして今度は強く踏み込み、鋭い突きを放った。
すると、空中で2冊の本を貫いた。
そして、素早く横へなぎ払い、本を壁へ飛ばした。
壁に衝突した瞬間、青白い炎は消えた。
「ふんっ、この程度では……」
クフィンがそう言い、周囲を見たそのとき、青白い炎で燃えた一冊の本が、カーリオへ向けて飛んでいた。
「―――カーリオ!」
カーリオが避けきれないと思ったクフィンは、彼に近づき、左の甲でそれを受けた。
あたった場所が、一瞬、炎で包まれる。
「―――っ!?」
しかし、クフィンはすぐに自分のマントで、腕を包み込んだ。
すると、小さな焦げる匂いと共に煙が僅かに出ていた。
魔法を終えたカーリオが、心配そうにクフィンに話しかけていた。
「クフィン、大丈夫ですか!」
クフィンが左手をマントから出すと、彼の皮手袋が、一部焦げていた。
しかし、彼の手にダメージは、ほとんどなかったようだった。
指を動かし、確認していた。
「……大丈夫だ、ちゃんと動く……それより、本体の特定をしてくれ」
「ええ、任せてください……しかし……助かりました、感謝しますよ」
「この部屋には3人しかいない……お前でも、一応戦力だからな……」
そう言って再び剣を握りなおし、見えない敵の攻撃から2人を守るため、クフィンは戦った。
そして、そんな自警団の青年の後ろで、カーリオはマナサーチを唱えていた。
「……マナサーチ!」
若きバルガの魔道師は、部屋の様子を伺った。
(うーん……―――ん、これは……)
そして何かに気づいた。
「クフィン、敵は一定の間隔で物に乗り移っています!」
「手のかかる相手だな……」
クフィンがそう呟き、再び敵と対峙しようとしたとき、エルディアが魔法を完成させた。
「クフィン、剣を私の前まで!」
「わかった。カーリオ、敵の相手を頼む」
クフィンに頼まれたカーリオだったが、空中に浮いたペンと本の数を見た彼は、早くも嫌気が差しているようだった。
「……あれをですか……」
そして、2人の前に出たカーリオに、それらが一斉に襲ってきた。
カーリオは、壁にかけてあった美しい女性が描かれた絵を素早く手に取り、楯のようにそれを使った。
すると、次々にペンが絵に刺さっていった。
それを見たカーリオは、なぜか後悔しているようだった。
「ああ……絵とは言え、美女を楯にすることを、どうかお許しください……」
そしてそんな中、エルディアはクフィンの剣に右手の指先を軽く付け、魔法を唱えていた。
「……猛き炎よ、剣に宿れ!―――ファイアーエンチャント!」
彼女が魔法を発動させると、クフィンの剣は赤い光りを放った。
そして「ボッ!」と言う音がした後、剣先へ向け、炎がとぐろを巻きながら刃を包み込んだ。
それを見たクフィンは、驚いた。
「……これは……」
カーリオが振り返り、説明していた。
「それは最新の魔法ですよ!その魔法は魔法の炎を武器に与えると言うものです。それで、本体を捕らえることができれば、倒せると思います……(ふふ……しかし、よく使用できましたね……まだ発見されて、そんなに月日が経っていないはず……流石ですよ……学院長が彼女に目をつけた理由が良く分かりました……)」
そして今度は、宿った炎が消え、僅かな熱と共に赤いオーラがゆらゆらと剣から生み出されていた。
この魔法の存在を知ったエルディアは、「きっと、ユラトとの旅に役立つだろう」と思い、学院の西の敷地に出来た、魔法訓練場にしばらく通っていた。
そして必死になって習得していたのだった。
その思いと才能により、彼女は短期間で、ある程度使えるところまで上達していた。
また、実戦で使用したのは、これが初めてだった。
それだけに、上手くいったことが嬉しかった。
(……良かった……これならユラトを手助けできそう……)
クフィンは、彼女がかけてくれた支援魔法を嬉しそうに見ていた。
「これなら、本体にダメージを与えられそうだ……礼を言うぞ!」
「お礼はいい……それより、ここから早く出よう……少しだけど、体が痺れる感覚がある……きっと、ポルターガイストに魔力を吸われ続けているのよ……」
「ああ……お前の言うとおりだ……俺にもその感覚はある……カーリオ、何か策はあるか?」
そうクフィンが聞いたとき、分厚い本の角がカーリオが持っていた絵に当たり、壊れてしまった。
「おっと……これは不味いですね………」
カーリオは、やや名残惜しそうに絵を捨てた。
(私は罪深い男です……美女を捨ててしまうなんて……)
そして、もう一枚絵があることに気が付いた。
「おや……」
そして、すぐにそれを手にした。
2枚目の絵は、幸いなことに風景画だった。
「おお!これなら、存分に使えますね!」
そして彼は2枚目の絵を使って、敵の攻撃を防いながらクフィンに答えていた。
「クフィン、私とエルちゃんとで、時間差をつけて、マナサーチをします。そして、本体が移動した瞬間を捕らえるので、そこをあなたに狙ってもらいたいんですが……出来ますか?」
カーリオからそう尋ねられたクフィンは、エルディアの顔を見た。
エルディアは、少し不安げな表情をしていた。
(そんな、心配そうな顔をするな……俺は、お前を守ると……)
そんな彼女の表情を見たクフィンの体から、戦う意志と力が湧いてきた。
(………決めたんだ!)
剣を握りしめ、クフィンはカーリオを真っ直ぐに見つめ、答えた。
「やるしかないんだろ?……なら、やってやる……」
エルディアは魔法についてクフィンに説明していた。
「クフィン、その剣であまり切り付けると、すぐに効果は無くなってしまうの……だから……」
「じゃあ、こうすればいい……」
そう言うとクフィンは、剣を鞘にしまった。
そして、彼らに襲ってくる物に対して、鞘に入ったまま剣を振り、対処していた。
「長くは出来ん……カーリオ、絵を貸せ。それも使ってなんとかサーチの時間を稼いでみる……」
「わかりました。では、お願いします」
そして、クフィンとカーリオは場所を入れ替わった。
2人の魔法の詠唱が始まり、クフィンはポルターガイストの攻撃をなんとか絵と鞘に入った剣を使いながら、エルディアとカーリオを守っていた。
悪霊は先ほどよりも、この部屋にある物を多く浮かせ、それを彼らに投げつけていた。
すぐに、クフィンの持っていた絵も破壊されるほどだった。
「……なるほど、俺たちの魔力を吸って、よりたくさん物が扱えるようになったか……だが、俺はやられんぞ……」
そう言って今度は、クフィンから動いた。
彼は、地面に落ちている本を素早く拾うと、それを物が固まって浮いている場所へ投げつけた。
すると、当てられた本が壁に衝突し、いくつかの本が床へ落ちた。
そして、すぐに机の上に乗り、飛び上がると、鞘の入ったままの剣を両手で握りしめ、天井へ向かって振り上げた。
「―――はっ!」
再び、いくつかの宙に浮いていた本が落ちた。
そして床に着地すると、青白い鬼火の付いた本が彼を襲ってきたため、クフィンはすぐに剣を横になぎ払った。
剣に本が当たり、飛ばされると壁に衝突し、本は鬼火と共に砕けた。
そして2人の魔道師は、詠唱を終えていた。
最初にサーチを発動させたのは、カーリオだった。
彼は魔法を使用すると、すぐに本体の居場所を突き止めた。
「クフィン!敵は、金の燭台に宿っています!」
クフィンはすぐに、そこを見つめた。
(あれか……)
そして、今度はエルディアがマナサーチを使った。
「……マナサーチ!」
彼女は心を落ち着かせ、目を閉じ、周囲を探った。
するとポルターガイストの存在をすぐに感じることができた。
「―――クフィン!浮いている小さな像に、移動したわ!」
それを聞いたクフィンは、剣を鞘から抜き放ち、素早く机に乗ると、飛び上がり、像に向かって鋭い突きを放った。
(―――これで終わらせる!)
彼の炎を宿らせた剣が、木彫りの馬に乗った騎士の像に当たりそうになった瞬間、その像に本が当たった。
(―――なにっ!)
なんと、本体を攻撃されると思ったポルターガイストは、自身が宿った像に本を当て、自らを移動させていた。
クフィンの渾身の突きは外れた。
(……くそっ……だめか……)
彼が諦めかけたとき、エルディアがクフィンに向かって叫んだ。
「クフィン!念じて炎を打ち出して!」
それを聞いたクフィンは剣を強く握りしめ、心の中で叫んだ。
(―――炎よ、敵を撃て!)
すると彼の剣から、火炎の玉が打ち出された。
(―――これは!?)
そして、それは悪霊が宿っている像に、見事命中した。
像は、炎に包まれた。
そして、そこから青白く光る骸骨を想像させるような霊体の顔が現れた。
苦悶の表情をし、口を大きく開けていた。
そして、いくつもの音が合わさったかのような高い声をあげ、横に伸びながら、それは砕け散った。
すると、宙に浮いていた物が全てそのまま、真下へと落下し始めた。
エルディアたちは、無言でその様子を見ていた。
(……倒せたの?)
(やったのか……?)
(体が先ほどより、軽くなった気がします……)
そして、宙に浮いていた美人画の顔の部分が、ひらひらとカーリオの頭に落ち、頬を伝った。
カーリオは、それを手に取った。
「もてる男は、辛いですね……しかし、私は本物が良いので……申し訳ありませんが……」
そう言って、彼はその絵の切れ端を捨てた。
そして、床に倒れている自警団の青年に声をかけながら、手を差し伸べた。
「クフィン、良く倒せましたね。咄嗟の判断、流石でしたよ」
「……ふんっ、面倒な戦いだった……」
クフィンが立ち上がると、エルディアも2人に歩み寄り、話しかけた。
「……倒せたのかな?」
「魔力を吸われる事がなくなって、先ほどより体が楽になっているはずですよ」
クフィンは、炎の支援魔法が無くなった事を確認すると、ロングソードを鞘に収め、右手をぼんやり眺めていた。
「確かにそうだな……」
そして、エルディアに礼を述べた。
「これも、エルディアの魔法のおかげだ……礼を言うぞ……」
エルディアは、少しだけ柔らかな表情になり、そして微笑んだ。
「そうじゃないわ……3人で上手くやったからよ……2人ともありがとう……」
カーリオも笑みを浮かべながら目を閉じ、同じことを思っていた。
「そうですね……」
クフィンは、エルディアに礼を言われた事と、彼女の笑顔が見れたことで、嬉しそうにしていた。
「ふふ……そうか……ふふ……」
カーリオが辺りを見回していた。
「そう言えば、鑑定書はどこでしょうか……」
エルディアは、机を指差した。
「確か机に……あっ……」
しかし、無いことに気が付いた。
クフィンが床に落ちていた焦げた紙を手に取っていた。
「……これか?」
どうやら鑑定書は、燃えてしまっていたようだった。
「何が書いてあったのか。気になりますね……」
「これでは、どうしようもない……」
エルディアは、自分があのときに見た場所を思い出そうとしていた。
「……あの紙に書いてあった名前のところだけ見たわ……確か……『カロンの杖』と書いてあった……」
「カロン……」
その名を聞いたカーリオが、自身が知っている事を話した。
「冥界の河にいて、死者の霊を船で運ぶと言う、あのカロンなのでしょうか?」
「わからないわ……それより、学院長のことを早く誰かに知らせないと……」
「そうだったな……」
3人は、オイゲルの遺体を見た。
ただの商人であったこの男では、何もすることが出来ずに命を失ったのだろうとエルディア達は思った。
「魔法が使えていれば、何か出来ていただろうにな……」
「まあ、お金を貯めても、使えませんからね……敵には……そして、あの世でも……」
エルディアは学院長の冥福を祈ると共に、感謝もしていた。
(少なくとも、私にとっては良い人だったわ……クエストの点数を多めに付けてくれたのだから……)
「しかし、なぜこの家にポルターガイストがいたんでしょうか?」
カーリオの問いに、クフィンは俯きながら軽く頭を振っていた。
「ダメだ……体が正直だるい……頭もあまり働く気にならん……」
「そうですね……今は一時の休息が何より必要ですかね……」
「とにかく、ここを出よう……」
「ええ、そうしましょう」
そして、クフィンがドアノブに手を付け、開くかどうか確認していた。
「……大丈夫だ。外へ出られるぞ!」
3人は、すぐに学院長の家から外へ出た。
「とりあえず、俺は自警団にこのことを知らせてくる」
「わかりました。では、私とエルちゃんは学校の先生にでも、この事実を話してきますね」
「そうしてくれ……」
「大変なことになりそうですね……」
「……そうね……」
3人は色々一瞬考えてしまった。
無言になっていた。
そしてクフィンが、その沈黙を破った。
「とにかく、すぐに行動しよう。そしてその後、休んでからどうするか、俺たちも決めるとしよう……」
「ええ……そうね……私ももうすぐ限界かも……ちょっと新しい魔法で魔力を使いすぎたわ……」
「大丈夫か?……後は俺とカーリオでやっておく、お前は……」
エルディアは遮るように、クフィンに言った。
「3人でやると決めたのよ。私だけ休むことはしないわ……大丈夫よ」
彼女の強い意志を感じたクフィンは言うのを止めた。
「そうか……わかった」
そして、クフィンはカーリオを見た。
カーリオは、クフィンの言いたいことを理解していた。
(ええ、わかっていますよ、クフィン。すぐに終わらせますよ……私も、少々疲れてきましたからね……)
2人は無言で頷くと、クフィンは歩き出した。
「じゃあ、休んだらまたな……」
「ええ、クフィンもちゃんと休んで……」
そして、エルディアは、クフィンと別れた。
「エルちゃん、私達も行きましょう」
「うん……」
エルディアとカーリオは学院へ向かった。
エルディアたちが学院へ向かっている中、クフィンはエレーナの事を思い出し、彼女の実家へ向かっていた。
(……そうだ、あいつの鏡のことを忘れていた……ここから近いから寄っていくか……)
そして、エレーナに会おうとしたが、彼女は外出中とのことだった。
クフィンは、鏡の事をマキュベル家の使用人に説明し、エレーナが帰ってきたら、自警団に届けるように言った。
しかし、鏡はクフィンがこの町を出ようとした時にエレーナと再開し、そして別れた後に、すぐに彼女はフードで顔を隠した何者かに襲われ、鏡を盗られていたと言うことだった。
エレーナには幸い怪我は無かったようだった。
彼女は、基本は学院の寮に住んでいたが、親から学院に働きかけがあり、週に何回かは、実家で過ごすことを許されていた。
大事なものや高価な物は、実家の自分の部屋に置いていることを、クフィンは知っていたため、この家に寄っていたのだった。
(……あの鏡……盗られていたのか……どういうことだ?……)
そして、クフィンは自警団に知らせるために、本部のある町の中央へ向かった。
町の中を歩くと、もうすぐ始まる祭りのために、いつもと違う賑わいがあった。
いつもは、落ち着いた感じの町だった。
だが、レイアークの町は準備のために皆忙しそうに、自分の家の飾りつけや、かがり火のための木を運び、いつでも祭りが始められるように人々は動いていた。
また、休憩がてら人が集まって話しをしていたりしているところもあった。
そんな雰囲気の中、クフィンが歩いていると横から声がかかった。
「おい、クフィン・ダルグレン!」
クフィンは、名を呼ばれたので振り返った。
「……なんだ?」
振り返ると片腕の無い、無精ひげの中年の男がいた。
金属の鎧を着て、腰にはシャムシールと言われる僅かに曲がった細い刃をもった刀剣があった。
その男は、クフィンの同僚の『デニス・ワーロン』と言う者だった。
彼は元々冒険者だったが、聖石で霧を払っていく中で、魔物と遭遇し、その戦闘で腕を失う怪我をしてしまった。
そのため、冒険者を諦め、自警団に入っていた。
デニスは、にやけながらクフィンに話しかけていた。
「クフィン……お前の……いや、ふふっ、自警将殿がお前を呼んでいたぞ」
「そうか……ちょうど行こうと思っていたところだ……」
そしてクフィンが、自警団の本部へ向かおうとしたとき、デニスが彼の肩に手を置き、話しかけてきた。
「それより、エレーナさんとは、上手くいっているのか?」
デニスの口から酒の匂いがした。
どうやら勤務中に、酒を飲んでいたようだった。
クフィンはそれもあってか、眉をひそめながら答えた。
「エレーナ?……あいつの事など知らん……」
彼の答えに、デニスは驚いていた。
「おいおい……まだものにしてなかったのかよ!みんな彼女を狙っているんだぜ?」
「だからどうした。お前らで勝手にやっていればいいだろ」
クフィンのやる気の無い答えに、デニスの顔から笑みが消えた。
「相変わらずだな、お前は……。何度も言うが、彼女をものに出来れば、莫大な財産が手に入るんだぞ。それに、綺麗な良い女じゃねぇか。何が不満だってんだ?」
「なぜ、そんな事を俺に聞く?お前には関係ないだろ。それに今はクエスト中だ」
クフィンが言ったことに、デニスは呆れていた。
深くため息を付き、再び彼の肩を軽く叩いていた。
「はあぁぁ……。しょうがねぇやろうだ……。美女が金貨の詰まった袋を持って近づいて来てるんだぜ?それを、手に入れねぇって……正気かよ……お前……」
「……デニス。悪いがそんな下らん話なら、俺はもう行くぞ」
夜も寝ることなくここから南へ向かい、その途中で盗賊と戦い、そして用事を済ませ、帰ってくると今度は、先ほどまで悪霊と再び戦闘もしていた。
すぐにでも休みたかったクフィンは、うんざりした表情で歩き出した。
そんな彼の背中に向かってデニスは、声をかけていた。
「そうかよ……だけど、そんな事言ってられるのは、彼女が誰かのものになるまでだぜ?」
クフィンは立ち止まり、顔を横に向け、デニスに向かって話した。
「……もうすぐ、祭り以外の事で忙しくなるはずだ。だから、酒は止めておけ……死ぬかも知れんぞ?」
「なんだそりゃ……とにかく、お前には言っておいたからな!」
そう言うとデニスは、クフィンとは反対の方へ向かって歩き出した。
片腕の自警団の男は、歩きながら色々と考えていた。
(馬鹿な野郎だ……こんなあり得ない美味しい話を捨てるってのか?はっ!狂ってやがるぜ……)
そしてデニスは何かを思い出したのか、突然、不敵な笑みを浮かべると振り返り、クフィンの背中を見つめていた。
(エレーナお嬢さん……クフィンは、あんたに気はないみたいですぜ?……まあ、俺はちゃんと言いましたよ……あいつに……ふふっ……)
彼はエレーナに会い、定期的にクフィンの情報を売っていた。
そして、エレーナの事も焚き付ける様に言われていたのだった。
クフィンは、自警団の本部の一室で上司と会っていた。
彼の名前は『ジェラルド・ダルグレン』と言った。
ジェラルドは、クフィンの実の父親だった。
そして彼は、このゾイル地域を守る自警団の最高責任者でもあった。
大きな重量感のある机の近くの椅子に座っていて、クフィンはその前に立っていた。
白髪の混じった髪の細身の男で、クフィンと同じような鋭い目を持ち、目尻にはシワがあった。
そして黒いコートを着て、首には白いスカーフのような幅広のタイを巻いていた。
厳格な男で、感情を普段はあまり表に出さない人物だった。
自警将と言う地位にあり、クエストから帰ってきたクフィンから、報告を受けていた。
クフィンの話を聞き終わったジェラルドは、紙に何かを書いていた。
そしてそれを書き終えると、クフィンに話しかけた。
「……なるほど、大体の状況はわかった。ヴァベルの教会にも、誰かを送って協力を仰ぐことにしておこう……しかし、ヴィガル商会か……」
自警団の中で犯罪捜査を主にやっている者達から上がってくる情報の中に、ヴィガル商会の名が良く出ていたことから、ジェラルドはあまり良い印象をこの商会に元々もっていなかった。
(問題の多いところだ……やはりこうなったら、これを期にこの商会を……)
そう思ったとき、クフィンが部屋を出ようとしたため、彼は呼び止めた。
「……待て、クフィン。話はまだ終わっていないぞ」
クフィンは、振り返ると、感情の無い声で聞いていた。
「……まだ、何か?」
「ここからは、お前の上司として、そして親として、お前に話しがある」
クフィンは、一瞬目を細めたが、すぐに元の状態に戻り、父に尋ねた。
「(また面倒な話か?……)なんですか?」
ジェラルドは立ち上がると後ろにあったカーテンを開け、外の景色を見ながら息子に話しかけていた。
「マキュベル邸でヴァルプルギスの夜に開催されるパーティーに、お前も私と共に出席するんだ」
クフィンは嫌そうに感情を顔に出し、聞いていた。
「……なぜ私が?」
「マキュベルさんからのご指名だ。お前にも出て欲しいとな……」
そこでクフィンは、思い当たることがあった。
(……エレーナの奴か、あいつ……余計なことを!)
どうやらエレーナは、父親に自警団に働きかけるように頼んでいたようだった。
「クフィン、そう嫌がるな……お前も分かっているだろう……私が出世するには、莫大な資金が必要なのだ!」
珍しくクフィンの父は感情を高ぶらせ、息子に話しかけていた。
クフィンは忌々しげに、ジェラルドを見つめていた。
(また、その話か……)
クフィンの父親にとって出世は、何よりも大切なものだった。
そして、家庭を顧みることなく、彼は熱心に仕事をこなし、上へ上へと出世していった。
クフィンが小さなときから、彼は家にいることが無かった。
だから、母親と2人だった。
しかし、母も寂しさからか、夫の部下である若い団員と駆け落ち同然で家を出て、西のラーケルへ向かったと言うことだった。
少年だったクフィンは、たまに帰ってくる父親と生活することになった。
そして妻が出て行ってからのジェラルドは、更に仕事に邁進することになった。
そんな中クフィンは、最初寂しい思いがあったが、いつの間にか彼はその生活に慣れ、むしろそれが心地よいとさえ思うようになっていた。
だから、彼は1人で居る事を好んでいた。
そして、そのまま彼は心に未発達な部分をかかえたまま成長し、現在に至っていた。
しかし、そんな彼であっても、一応母親の所在が気になったことがあり、冒険者となったときにラーケルへ行き、母を捜した。
だが、母はどこにもいなかった。
その後、風の噂で聞いたところによると、島の西にある新大陸エルフィニアへ渡ったと言うことだった。
そして、彼やジェラルドが知らない事実があった。
それは、ユラトとデュランが馬に乗り、ダイアーウルフと思われる敵の群れから、なんとか逃げおおせ、そしてシルドナで一泊し、町を出ようとしたときに見た遺体が、実はクフィンの母とその愛人だった。
母は既に他界していることを、2人は知らなかった。
クフィンは父親を見つめながら、心で叫んでいた。
(いつもあなたが、そんなだから……母は出て行ったんだ……なぜそれがわからない!)
父はそんなクフィンの思いを無視して、話を続けていた。
「西の自警将と僅差で競り合っていたと言うのに……北東で新大陸が発見されてからは……私が一番……団長から遠のいてしまった……なんてことだ……」
ジェラルドはカーテンを握りしめ、悔しそうにしていた。
そして、息子の方へ静かに顔を向けた。
「挽回するためにも金がいる……マキュベルさんは、この自警団最大の支援者でもある……だから、お前はエレーナと結ばれるんだ。彼女もまんざらではなかったはずだ……それに、お前がなぜこのレイアークの町の配属になれたのかを考えろ」
「それは……」
本来ならば、若く動ける団員は、ほとんどが新大陸の配属になっていた。
なぜなら新大陸では、魔物が襲ってきたり、治安が悪いことが島よりも遥かに多いためだった。
クフィンは適当に毎日を過ごせればいいと思い、この比較的安全なレイアークの町で働けるようにしてもらっていたのだ。
(そうだったな……俺は、この人のおかげで、ここで生きて来れたんだ……)
反論しようと思ったが彼は言えなくなっていた。
(この男の手の平から出て、自らの足で歩かない限りは……か……)
ジェラルドは表情を普段どおりに戻すと、息子に力強く言い放った。
「クフィン・ダルグレン自警曹。君は、ヴァルブルギスの夜にマキュベル氏が開催するパーティーに自警団の代表の一人として、支援者と親睦を深めるために出席せよ。これは命令だ!」
クフィンは力無く答えた。
「……了解しました」
クフィンは部屋の出口へ向かって歩きながら考えていた。
人は、自分の思い通りに生きることは出来ない。
社会の中で生活するためには、様々なしがらみがあった。
彼が部屋を出たとき、クフィンの目に生気はなかった。
それはまるで、エルディアと出会う前の彼そのものだった。
「………」
自らの栄達のみを考えていたジェラルドは、この部屋に入ってきたときの息子の活き活きとした表情から、彼の心の成長を感じ取ることが出来なかったようだった。
クフィンが出て行った後、ジェラルドはほくそ笑んでいた。
(息子がエレーナと結ばれれば……金が手に入る……そうなれば……ふふふ……団長の地位は……私のものだ!)
そしてゾイル地域の自警団から、2つの事実が公表された。
一つは、レイアークのラドルフィア魔法学院の学院長オイゲル・ラドラーが自宅の書斎の中で死体で発見され、何者かによって殺害されたおそれがあると言うこと。
もう一つは、悪魔が何者かによって呼び出された可能性があるということだった。
そして、悪魔に関しては、女性に取りつく悪魔であるため、破邪の効果のある物や銀製品を身につけるようにと、自警団から注意が喚起された。
その事を聞きつけた大地の神殿の人々が、協力を申し出た。
彼らはすぐに、銀製品などをもっていない女性に対して、小さな聖石を配った。
こうして、この情報は島全土を駆け巡った。
そして、島だけでは収まりきらず、西にあるエルフィニア大陸にも渡り、そこからさらに黒い霧を払いながら、ハイエルフの国を探している冒険者の下へも、この情報は届けられていた。
ダリオ・ジレストが見た情報とは、このことだった。
そしてダリオから、食事をするところで談笑をしていたユラト達にも、その情報はもたらされた。
ウディル村でユラト・ファルゼインが聞いたのは、この事だった。
学院で副学院長を探したが、その人物は町を出ていたとのことだったので、エルディアとカーリオは学院内で教師を見つけ、その事実を告げ、その後、カーリオと別れ、エルディアは寮の部屋に戻り、そしてすぐにベッドへ倒れこんだ。
彼女は、そのまま軽い熱を出し、寝込んだ。
また、クフィンやカーリオも自分の部屋に戻ると、疲労から死んだように深い眠りについていた。
エルディアは、夢を見ていた。
彼女は、赤い三日月の出ている夜空を飛んでいた。
自身の姿は見えなかったが、凄い勢いで赤い三日月に向かって進んでいた。
(……ここは?……)
エルディアは、辺りを見た。
どこまでも雲が続き、夜空が広がり、彼女の進む先に三日月があるだけだった。
星々を見ると月と同じように、赤く輝いていた。
そして自分のすぐ下には、月光に照らされた赤い雲が広がり、その雲を掻き分けるように風を感じながら飛んでいた。
しばらく風に身を任せて飛んでいると、体が突然、雲の下へ高度を下げ出した。
(……どこへ?……)
そして、雲の下には、真っ暗な闇の空間が広がっていた。
そこを今度は進むことになった。
どこまでも続く、闇の空間。
(……暗黒世界?)
しばらくすると、その空間に大きな渦が、うねりながら現れた。
その渦を見た彼女は驚いた。
(―――この渦は!?)
エルディアには、見覚えがあった。
それは魔女メディアが、レムリアンクリスタルの水晶球で見せた、あの渦だった。
なんと、そこへ彼女は吸い込まれ始めた。
(どういうこと?……)
すると、彼女の脳裏に映像が流れる。
それは、ユラトが女の子を背負って、森の中を走っている姿だった。
彼は必死の形相だった。
(―――ユラト!)
エルディアは、思わず彼の名を叫んだ。
しかし、彼には聞こえていないようだった。
エルディアは、渦の中へ入ろうと思い、心の中で必死に念じた。
(……あそこへ行こう!)
だが、そこから彼女の体は一向に進まなかった。
夢の中で彼女は手を伸ばし叫んだ。
(―――お願い、彼に会わせて!)
そこで、彼女は夢から目が覚めた。
エルディアはベッドに仰向けで寝ていて、右手で何かを掴むように天井へ向けていた。
彼女はその手を呆然と見ていた。
(……あれは……一体……)
夢の事を考えようと思った時、横から僅かな声が聞こえた。
「う~ん……」
そして声のした方を見た。
彼女の横でうずくまる様に寝ている者がいた。
(シュリン……ずっと、看病していてくれたのね……)
どうやらシュリンが、発熱したエルディアを気遣って看病してくれていたようだった。
エルディアは、感謝の気持ちを込めてシュリンの頭を撫でた。
(シュリン……ありがとう……)
彼女の綺麗な銀色の髪が、さらさらと流れ落ちた。
「………」
エルディアは彼女のある部分を険しい表情で見つめていた。
それは、彼女の耳だった。
なんとシュリンの耳は通常の人よりも長く、そして先が尖っていたのだった。
エルディアがこのことに気が付いたのは、彼女と一緒の部屋で暮らすようになってから、一月ほど経ったときのことだった。
その日は、2人で話が盛り上がり、ついつい夜遅くまで話し込んでしまっていた。
そして彼女は、途中でエルディアのベッドで寝込んでしまった。
エルディアは、彼女をシュリンのベッドまで運ぼうとしたとき、髪の中から鋭く尖った耳が出てきたので驚いた。
「え!?……」
そして、その声に気づいたシュリンが目を覚ました。
驚いているエルディアを見たシュリンは口をあけ、はっとなっていた。
「―――っ!」
そして、すぐに自分で立ち上がると、怯えるようにエルディアにすがり付き、誰にも言わないで欲しいと言って来た。
どうやら、彼女にとって秘密にしておきたいことのようだった。
(シュリン……)
エルディアは、そんな怯えて震えている彼女を抱きしめ、耳元で静かに言った。
「大丈夫……絶対に誰にも言わないわ……だから安心して……」
シュリンは、顔をエルディアの胸に埋めたまま、尋ねていた。
「……本当ですか?……」
「ええ、本当よ。誰にでも秘密にしておきたいことの一つや二つぐらいあるはずよ……それに、私には喋る相手、シュリンしかいないもの……」
シュリンは顔を上げ、笑顔に戻った。
「そんなことありませんよ!クフィンさんやカーリオさんもいるじゃないですか!……でも……ありがとうございます……このことを知っているのは、母と兄貴と先輩だけなんです……」
「……そう……じゃあ、私も故郷の事、あなたに話すわ……これでおあいこ……」
「いいんですか!?」
「ええ……」
この日から2人は、友人から姉妹のように何でも話し合える間柄となった。
そしてエルディアは、彼女の耳のことは、「墓場まで持っていこう」と心に決めていた。
シュリンは、寝言を呟いていた。
「お母さんも……これで早く初孫が……見れそうね」
シュリンは、夢の中でデュランに皮肉を言っていたようだった。
しかし、エルディアは、それを知らないため、相手と一緒にいる彼女が、母親と話しをしているのだと思っていた。
(ふふ……シュリン……まだ相手いないでしょ……)
そして、再びエルディアは、眠りに付いた。
目を覚ましたカーリオは、その頃、学院長の持っていた杖のことを調べていた。
しかし、どこの研究部屋へ尋ねても、誰も知らないようだった。
(おかしいですね……誰も知らないみたいですが……彼は誰に調べてもらっていたんでしょうか?)
そしてクフィンは、自警団員として、日々の業務をこなしていた。
また、自警団は、クフィンから報告があった、クリス・ヴィガルを呼び、聴取を行った。
彼は、何度か本に書かれていた事を実行したが、呼ぶことが出来なかったようだった。
そして、その本は何者かによって、エレーナと同じく、外套に身を包んだ者に奪われてしまったと、自警団に話した。
もっと話を聞こうとしたが、すぐに彼の父親がコネを使い、圧力をかけてきて、息子を即時釈放するように言ってきた。
そのため、それ以上は聞くことが出来なかった。
そして、祭りの時刻が近づき始めていた。
エルディアが体調を元に戻し、目を覚ましたのは、そろそろ祭りが始まる頃だった。
起き上がり、服を着替えると、エルディアの机に書置きがあった。
「エル先輩。ミレイちゃんと、先に祭りに行ってきます。先輩も後で!」
どうやらシュリンは、先に祭りに行ったようだった。
そしてエルディアは、準備を済ませ、部屋から出た。
(私も行きたいけど……やっぱり、あの杖のことカーリオが調べているだろうから、まずはそれを聞いてから……)
謎を多く残したまま、春の豊穣を祝う祭りが始まろうとしていた……。
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