第十二話 森と不思議

ある人物が、眠っていた。


その人物は、夢を見ていた。


そしてその夢は、古い記憶だった。


笑い声が聞こえる。


「はははっ、エル!楽しいだろー?」


少女と少年が、どこまでも続く草原の丘を高いところから丘の下辺りにある村の方までソリで滑っていた。


少女の方は青ざめた顔で、滑り降りていた。


「こ、これ怖い……」


対照的に少年の方は目を輝かせ、ひたすら陽気な笑い声をあげながら滑り降りていた。


草原の草と砂を舞い上げながら、2人は結構な速度で丘を下っていた。


「ははっ、大丈夫だって!すぐに着くから!見てろー」


どうやら少年が滑る速度を上げたようだった。


「ユラト!そんなに速度出したら……」


ユラトと呼ばれた少年は、みるみるエルと呼ばれた少女から離れていった。


「ひゃっほーーー!」


暖かい太陽の日差しの下で笑い声を響かせ、故郷の風や匂いを感じた。


(この時は、なんとも思わなかった……これが普通だったから……)


そして、しばらくすると2人の前に、馬や牛を飼っている場所が見えてきた。


そこに先にたどり着いた少年は、先ほどの笑顔が消えていた。


どうやら少年は速度を出しすぎたらしく、操作がうまく出来ないようだった。


「うわああ!」


馬の足の下をすごい速度で一気に潜り抜けていた。


その先には馬小屋があった。


「ユラト!」


思わず少女は叫んだが、少年はそのまま、馬小屋へ突っ込んだ。


ドンッと鈍い音がしたように聞こえた。


しばらくして、その場所へたどり着いた彼女は血相を変えて、その小屋へ入った。


「―――ユラト!大丈夫?」


少年は干草の中へ全身を埋めていた。


彼は少女の方へ振り返った。


「うへ……」


少年は間の抜けた表情で口一杯に干草を頬張っていた。


それを見た少女は、思わず吹き出していた。


「……プッ」


「なんだよ、エル!俺は酷い目にあったんだぞ!」


少女は両手を口に当て笑っていた。


「ふふ……だっておかしいし……それに、これは自業自得……」


「ちぇ……今日はうまくいかないや……」


その時、遠くから声が聞こえた。


「おーい!昼飯だぞー」


「はーーい!」


2人は元気良く、家に向かって行った。


(こんなこともあった……懐かしい……だけど、もうすぐ……)


そう思った彼女は朝の日差しを顔に受け、鳥の鳴き声を聞いた。




「ユラト後ろだ!」


ダリオがユラトに向って叫んでいた。


ユラトは、飛んでくる目の赤い鳥を避けた。


「―――うわっ!」


鳥は、そのまま急上昇し、どこかへ飛び去った。


「ったく、気を抜くんじゃねぇ……」


ユラトは、危機を知らせてくれたダリオに礼を言った。


「あぶなかった……ありがとうございます……」



ここはウッドエルフ達の領域となっていく、深い深い森の中。


たまに雲のように立ち上る靄がある森の中で、ユラトは冒険を続けていた。


彼には目的があった。


一つは、自分の左手の甲にある、謎の青い模様を消す事。


もう一つは、ハイエルフの国を探す事である。


今日は聖石を4つ使い、最後の一つを使った後、ダリオがマナサーチを唱えていた。


彼は辺りの様子探った。


(今回はどうだ……)


ダリオは、いくつか魔物の反応を感じた。


「―――ん!?」


良くない状況を感じ取った彼は顔をしかめ、ユラトたちにそれを話した。


「ちっ!結構いやがるな……なんだろうな……この反応は……今までになかったな……サーチの範囲ぎりぎりのとこだから、わかりづれぇぜ……大きさは、犬っコロぐらいか?……」


ジルメイダは、すぐにダリオに敵の強さについて聞いていた。


「倒せそうかい?」


バルガの女戦士にそう言われた彼は、辺りを深く感じようとした。


「………」


彼は途中で何かを見つけたようだった。


嬉しそうに叫んでいた。


「どうだろうな……―――おっ!近くに小さいお宝の反応だぜ!」


叫びを聞いたユラトは嬉しさよりも不安を感じていた。


(何かお金になる物があるのか……だけど、たくさん敵がいるんじゃ……)


そうユラトが心の中で思ったとき、またしても、中年の魔道師の男が何かを感じたようだった。


再び嬉しそうに、彼は叫んでいた。


「おっ!……こりゃあ、うまく避けて通ればなんとか、お宝だけ手に入れられそうだ!」


ここでマナサーチの効力が切れた。


レクスは、あまり乗り気ではない様子だった。


表情を曇らせ、ダリオに尋ねていた。


「本当なのか?」


「ああ、結構離れていやがったからな。大丈夫だろ」


ユラトたちのパーティーは、話し合った。


ここ2~3日、彼らのパーティーは、まともな報酬を得ることができていなかった。


そのため、ダリオの強い要望もあって、その場所へ行くことに彼らの心は傾いていた。


ある程度話し終えた所で、ジルメイダが最終的な決断を下した。


「その魔物たちのいるところに、金目の物があるみたいだからね。行くことにするよ!」


ユラトの不安は消えることは無かった。


(本当に大丈夫なんだろうか……?)


レクスがダリオに、ユラトが思ったことを聞いていた。


「本当に大丈夫なのか?」


「ま、そう強い魔力は感じなかったからな。退路さえ確保しておけば、大丈夫だろ」


ジルメイダは剣を振って感覚を確かめてから、レクスに言った。


「そろそろ、報酬が欲しいところだからね。この程度で毎回逃げていたら、あたしらは商売上がったりだよ」


冒険者はある程度の危険を冒してでも、報酬を取りに行かなければならない時がある。


それが「冒険者」と言われる所以である。


人間たちとの旅を通して、その意味を最近悟ったレクスは少し考えた後、ジルメイダの意見に従うことにした。


「……そういうものか……わかった。だが、慎重に行こう」


「ユラトたちもそれでいいかい?」


二人はすぐに答えた。


「うん、うまく避けて通ればいいんでしょ?」


「わたしも、なんとか頑張ってみる!」


そう言ったリュシアだったが、心配そうな表情でメイスを両手で握り締め、自分なりにどうするか考えていた。


(……だけど、一杯いたら……すぐに逃げよ……)


ダリオは早くも歩き出した。


「そんなに心配すんな。迂回して行けばいいだけだ」


白い髪の女戦士が、開始を告げた。


「じゃあ、行くよ!」


ユラトたちは、その場所へ向かった。


彼らがその場所辺りにたどり着いたのは、日があと少しで傾くぐらいの時刻だった。


この辺りの森は、最初にユラトたちが聖石を使用し、黒い霧を払った場所の木々よりも、やや大きめの木がある場所だった。


硬い木で分厚い樹皮に包まれ、手のひらよりも大きい葉の茂る木がいくつも存在していた。


その樹皮を剥ぎ、搾ると僅かに油が出てくるのだと、レクスが目的地へ向かう中でユラトたちに説明していた。


膝ぐらいまでの高さのある草の中をかき分けながら、彼らは歩いた。


ユラトとリュシアは興味深く、ウッドエルフの話を聞きながら森の中を歩いた。


最近のレクスは、ユラト達を信用し始めたのか、森のことに関してよく説明や助言をしてくれていた。


ユラト達はそれを好ましく、そして嬉しく思っていた。


「へぇ……そうなんですか」


「松明や焚き火の火種を燃やすときに使うといい」


「覚えておきます!」


楽しげに話していた3人だったが、前方を歩いていた、ダリオが突然ユラト達の方へ振り向くと、真面目な表情で話しかけてきた。


「……おい、喋るのはそこまでだ。この辺りから静かに行くことにするぜ」


どうやら、目的の場所に着いたようだった。


ユラトたちはそれを理解し、短く答えると辺りに気を配りながら歩くことにした。


「はい……」


「わかった……」


しばし彼らは無言で息を潜めて慎重に歩いた。


「………」


進んでいくと、すぐに何か地面を這いずり回るような音が聞こえた。


(……ん、なんだろ……?)


最初に気づいたのは、リュシアだった。


彼女は音のする方向を見た。


(……あそこかな?)


どうやら茂みの中のようだった。


その茂みはリュシアの肩ぐらいまである草が生えた茂みだった。


すぐに彼女は皆を呼び止め、音について話した。


「あのっ!なんかあっちから、音が聞こえるんですけど……」


「……ん、どうしたんだい、リュシア?」


ジルメイダがリュシアを見ると、彼女は茂みを指差していた。


「あっちから、なんか引きずるような音が聞こえたんです!」


それを聞いたダリオは、眉にしわを寄せ、リュシアの方へ振り向いて、その茂みを見つめた。


「音だと……?」


彼は耳を澄ました。


「……何にも聞こえねぇな……」


レクスはウッドエルフの長い耳に手を当て、辺りの音を聞いていた。


「………」


少しの間を置いてから、彼はリュシアに尋ねた。


「リュシア、聞き間違いではないのだな?」


「はい、ほんとに聞こえました」


ユラトも耳を澄ませながら、辺りを見回していた。


(特に変わった様子は……ないような……んっ?)


そのときユラトは、茂みの近くに地肌が見えているところがあり、そこが濡れていることに気がついた。


「……なんか、あそこの地面って……―――!?」


そのことをパーティーに知らせようとしたとき、茂みの中から何かが現れた。


「ウヴォオオオオーー………」


低いうねり声を上げながら、それは現れた。


気づいたユラトたちは、すぐに武器を構えた。


「―――なんだ、あいつは!?」


リュシアはすぐにユラトたちの後ろへ回り、叫んでいた。


「やっぱりいた!」


それは泥で出来たナメクジのような形をした魔物だった。


大きさは大きな犬と同じぐらいだった。


全身黒に近い茶色で、その魔物が動くたびに辺りの砂や落ち葉などを自らの体に巻き込んでいた。


「やっちまうか!?」


ダリオがそう言ってロッドを構えると、槍を投げる体勢に入っていたレクスが構えを解いて右手を水平に伸ばし、動こうとしていた仲間を静止させた。


「―――待て、大丈夫だ!」


ジルメイダは目線だけを敵に送り、剣を構えたまま、ウッドエルフの男に尋ねた。


「……本当だろうね?」


レクスは、表情を変えずに答えていた。


「ああ……あいつは『フォレスト・ウーズ』と呼ばれる魔物だ」


彼は魔物のことについて話した。



【フォレスト・ウーズ】


森に生息するウーズ


粘り気のある水分を多く含んだ体を持った、ナメクジに似た姿の魔物である。


ウーズは、湿気の多い場所に生息する。


雨の後、血だらけの戦場跡、湖沼や川などに生息し出現する。


人を襲うことはほとんど無く、地面に存在する液体を舐めて生きているだけの存在で、『大地の掃除屋』の名前を持つ。


摂取する液体によって色や名前、能力が変わる魔物である。



ナメクジに似た魔物を見ながら、ダリオは構えを解き、呟いていた。


「こいつがウーズってやつなのか……初めて見たぜ……」


「見ろ、私たちに興味は無いようだ」


レクスの言ったとおり、ウーズはすぐに向きを変えると、再び茂みの中へゆっくり入っていった。


ユラトは魔物の名を聞いて、新発見で無い事を思い出していた。


「ギルドの新情報で名前だけ見た覚えがある……あれはもう見つかっている奴だ……」


ダリオは残念そうにユラトに話しかけていた。


「ああ、そうだ……なかなか、新しい発見ってのは無いもんだな……」


ウーズが去るまで、武器を構えていたジルメイダだったが、泥の魔物が去ったのを確認すると、警戒を解き、冷静に対処したレクスに近づいて礼を言っていた。


「戦わずにすんで良かった。レクス、助かったよ」


レクスは無表情のまま、歩き出していた。


「気にするな。それより、先を急ごう」


「ああ、そうだね。みんな行くよ!」


ジルメイダは小さな声で目的地へ行くことを再開させた。


その後、ユラトたち冒険者一行は目的の場所へ着いていた。


森の木々が生えている所に、苔の生えた古い石壁がある場所だった。


何かを囲っているように見えた。


壁の高さは、レクスやジルメイダより、やや高いぐらいだった。


壁の一部に目をやると、大きな木の根が張っている場所があり、そこは壁が一部崩れていた。


その木の根の辺りに小さな虫が、いくつか飛んでいるのが見える。


ダリオはロッドで壁を軽く叩きながら、仲間に話しかけた。


「おい、こりゃあ……なんかの遺跡じゃねぇか?」


ジルメイダは両腕を組み、壁を見上げていた。


「……そうだね。ダリオ、お宝は、この壁の内側かい?」


「ああ、その中だ」


「じゃあ、あたしが見てみるよ」


「わかった。頼んだぜ、ジルメイダ!」


ジルメイダは壁の崩れた場所に、人が一人なんとか通れる空間があったため、そこから入ることにした。


彼女は、注意深く穴を見た。


穴の周囲に濃い緑色の苔がいたるところに生えた壁の石が転がっており、壁が崩れている場所だった。


奥と見ると壁の中は、ここと同じく、日の光りが入り、明るいようだった。


(大丈夫そうだね……じゃあ、ここから入るか……)


ジルメイダがその穴から入ろうとしたとき、レクスが壁に根を張っている木に素早い動作で一気に飛び上がっていた。


「はっ!」


彼は木の枝にぶら下がり、ユラト達に、その場所から見下ろすかたちで声を出した。


「私もここから、調べてみよう」


ユラトは、レクスにも頼むことにした。


「お願いします!レクスさん!」


リュシアは、ジルメイダに注意を喚起していた。


「ジルメイダも気をつけて!」


2人は壁の中へ入っていった。



壁の中に入ったジルメイダとレクスは、蜘蛛の巣の多さに困っていた。


辺り一面、蜘蛛の巣が張り巡らされている場所だった。


真っ白な糸が、辺り一面に存在し、所々小さな木が生え、大きな岩のようなものもあったが、糸によって視界が遮られ、詳しくは分からなかった。


「こりゃ……ちょっとやっかいだね……」


「……そうだな、まずは、この糸をこれで巻きながら、進むか……」


そう言ってレクスは、地面に落ちている少し長めの木の枝を取り、蜘蛛の巣をその木で巻き取っていった。


しばらくして、そこに何人か入れる空間が出来た。


「こりゃ、2人でするより、みんなでやった方がいいね」


「……そうだな……よし、私が呼んでこよう」


レクスはユラト達の所へ、来たときと同じように木に飛び乗り向かった。


たどり着くと、座っていたユラト達3人に中の状況を説明した。


「わかった。2人とも行くぞ」


ダリオはすぐにそう答え、ユラトとリュシアもそれに従った。


「はい」


「うん!」


そしてユラトは壁の中に入り、蜘蛛の糸を除去する作業を開始した。


壁の囲まれた範囲は、ユラトが住んでいた家を少し広くした程度の広さだった。


辺りには、所々何体か人のような形の石像が崩れたまま横たわっていた。


そして半分ほど中を進んだとき、囲まれた場所の真ん中辺りに、特に糸が絡みついて、丸く球体になっている場所があった。


ダリオは、それに触れる事はせず、慎重に周りを見ていた。


「なんじゃ……こりゃ……」


ユラトは作業中断し、近くにある岩に腰掛けた。


「蜘蛛の卵でもあるのかな?」


ダリオはロッドを持って叩くかどうか迷っていた。


「これが蜘蛛の卵だったら、相当でかい蜘蛛だぞ……」


彼の言葉を聞いたリュシアは怯え、ジルメイダの後ろに隠れていた。


「こ、怖い……」


ジルメイダはそんなリュシアの頭に手を置き、ダリオに話した。


「ダリオ、一応サーチしてくれるかい?」


「ああ、いいぜ。調べたほうがいいからな……範囲を絞って使うか……」


すぐにダリオは、普段よりも魔力を抑えたマナサーチを唱えた。


「……マナサーチ!」


反応はすぐに返ってきた。


「―――おおっ!こりゃ、卵じゃねぇ!金属の反応だ!」


「ほう……」


レクスがそう呟くと、ユラトは立ち上がった。


「とにかく、調べてみましょう」


「ユラト、手伝っておくれ!」


ジルメイダとユラトが乾いた糸を剣で切っていった。


二人が一生懸命糸を切っていくと、木をベースに作られ、金属の板がいくつか張られた箱が現れた。


「宝箱!」


リュシアが、ジルメイダの後ろから出てきて期待に満ちた表情で思わず叫んでいた。


ダリオは期待に胸を膨らませて、その箱に近づいた。


「何が入ってやがるんだろうな……」


「まずは、罠がないか調べようかね……」


ジルメイダはそう言うと、箱を調べ始めた。


大きさは両手のひらに、やや収まりきらないぐらいの大きさの箱だった。


彼女は前回と同じように、舐めるように全体をゆっくりと見ながら慎重に箱調べていた。


「どれどれ……」


見ていく中、彼女は何かに気づいた。


「―――ん!?すぐに開けなくて良かったよ。罠があるね……」


罠と聞いた他の4人の表情が曇った。


「罠があるのか……」


「どんな罠なんだろ……」


「面倒だな……」


「ジルメイダ、なんの罠か分かるか?」


ジルメイダは、箱と蓋の境目を見つめながら答えていた。


「これは……恐らくだけど、あんまりやばいやつじゃないと思うよ。あそこを見てみな」


そう言って彼女は、蓋の継ぎ目の場所を指差していた。


彼らがそこを見ると、箱の継ぎ目に、なにやら草のようなものが僅かに出ているのが見えた。


ユラトは近づいてそこを見た。


「ほんとだ……何か挟まっているみたいだ……」


この草をレクスは知っていた。


「この草は知っている……『ジャグディハ』と言う魔力を含んでいるマメ科の毒草だ。我々が狩りをするときに弓矢に塗ったりすることがある……熱に弱く、熱せられれば毒は無くなる」


彼の言葉を聞いた4人は、様々な意見を言った。


「毒草……危ないかも……」


「ってことは……毒が噴出すトラップか……」


「見た感じだと、あんまり高度な罠じゃないみたいだね」


「場合によっちゃあ、毒針が出てくることもあるからな」


ジルメイダは、如何すべきか決めた。


「草のツルでも使って縛って遠くから開ければ、恐らく大丈夫だろ」


「わかった。私がそのツルを作ろう……」


レクスがそう言い、すぐに行動に移すと、草のツルをどこからか取ってきて紐を作ると、箱の上部分を縛った。


「よし、開けようぜ!」


「みんな壁の外へ出るよ!」


彼らは壁の外へ出た。


全員外へ出ると、ダリオがそのツルをゆっくり引っ張った。


「よし……引っ張るぞ……」


しばらくして、宝箱が金属の擦れるような音を出して開いた。


「―――!」


ユラトたちは、何が起こるか固唾を呑んで壁に開いた穴から覗き見た。


(中はどうなっているんだろう……)


しばし待ってみるが、一向に何も起こらなかった。


「………おかしいな……何も起こらねぇな……」


ダリオがそう言って、穴の中へ入ろうと立ち上がった、その時、レクスが何か異常に気づいた。


「これは―――!?」


急に様子がおかしくなったレクスを見たジルメイダは、彼に話しかけた。


「どうしたんだい!?レクス!」


ウッドエルフの男は答える事無く、すぐに箱のもとへ向かった。


「おい!まだもう少し様子を見た方が……」


ダリオが呼び止めようとしたが、レクスは既に開けられた宝箱のところまで来ていた。


彼は立ち尽くしたまま、しばらく箱の中を見ていた。


「………」


他の4人もすぐに、レクスの後を追い、箱の所へ向った。


「一体どうしちまったんだい?」


ジルメイダが尋ねたが、レクスは無言で、箱の中に入っていた草を取り出し、じっと見詰めていた。


彼は記憶を辿っている様子だった。


(これは……どこかで……)


レクスが見ていた草は、見たことの無い形をしている草で先端の部分が折れることなく曲げられていた。


「それより、箱の中はどうなってるんだ?」


そんなレクスとは違い、ダリオは楽しそうに箱に近づいて中を見た。


すると、箱の中には金貨が数枚、それからいくつかのカメオ(貝殻や大理石やメノウを使用し、浮き出て見えるような彫り込みを入れた工芸品や装飾品)や宝石の付いた指輪があった。


「おおっ、やったぜ!こりゃあ、結構な報酬になりそうだ!」


更に奥を調べると、一番底に一冊の本があった。


「……この本は……」


ダリオが本を手に取ろうとしたとき、レクスが突然叫んだ。


「―――思い出したぞ!これは、虫笛だ!」


皆、一斉にウッドエルフの男を見た。


「!?」


レクスの叫びから不安を感じたジルメイダは、すぐに彼に尋ねた。


「どうしたんだい、レクス!?」


彼はユラト達に向かって説明をした。


「この草をこの形で結び、魔力を込め、風に触れさせると虫を呼ぶ草笛に変わるんだ!」


そう言って彼は、手に持った草を握り潰した。


リュシアは不安な面持ちで辺りを見回しながらレクスに尋ねていた。


「……っと言うことは虫を呼び込む罠だったってことですか?」


ユラトも彼女と同じように辺りを見回していた。


(特に音は聞こえなかった気がするけど……)


レクスは説明を続けた。


「箱が開いた瞬間、僅かに聞こえたんだ……この音は虫たちだけが聞こえ音だ……もしくは、我々のように鍛えた者だけが僅かに聞こえる程度のものだ……しかし、虫たちにとっては大きな音になっているはず……」


ユラトはレクスの説明を聞き、息をのんで考えた。


(……辺り一帯に……響いているってことか?……)


事態を把握したジルメイダはすぐに、ダリオに向かってマナサーチをするように頼んだ。


「ダリオ!辺りを調べておくれ!」


「ああ、わかってる……」


ダリオは、静かにマナサーチを唱えた。


「……マナよ……四散し、魔力を感知せよ!……マナサーチ!」


マナサーチの青白い光が4つの方角へ放たれた。


彼は目を閉じて辺りの様子を伺った。


(どうなってやがる……)


しばらく無言でパーティーはダリオの報告を待っていた。


そして、それはすぐに来た。


「―――っ!?これは!」


ダリオが何かを感じ取った。


すぐに彼は自分達が今おかれている状況について叫んだ。


「凄え速度で、こっちに何かが向かってきやがる!!」


「退避できる方向はあるかい?」


ジルメイダにそう聞かれたダリオは、焦りながら答えていた。


「……だめだな……くそっ!集団で囲むように来てやがる!戦いは避けられねぇ!」


それを聞いたリュシアは、恐怖に支配されていた。


青ざめた表情でメイスを両手で握り締めていた。


「怖い……」


ジルメイダはリュシアの頭に手を置き、やさしく撫で彼女に囁くように話しかけた。


「リュシア……大丈夫さ。あんたもダリオに鍛えてもらったんだろ?ユラトも成長したんだから、あんたも成長してるさ。このパーティーであんたは貴重な戦力になったんだよ。自信を持ちな!……それに、このバルガの戦士であるジルメイダ・バルドがいるんだ。どんな相手にだって遅れはとらないよ!きっちり、あたしが守ってやるから、あんたはあんたに出来ることをしっかりやるんだ!……いいね?」


そこで彼女は落ち着きを取り戻した。


リュシアは、自分に課された旅の目的を思い出し、自らを奮い立たせた。


「うん……わかった。頑張ってみる!」


彼女のやる気を見たジルメイダは、嬉しそうに彼女の肩に手を置くと、すぐに離れた。


「いい子だ!頼んだよ(ふふっ……それが成長ってもんだ、リュシア!)」


ジルメイダは剣を抜き放った。


「さあって……やろうかね……」


彼女の顔は先ほどの母親のような優しい表情から、戦場に身を投じる戦士の顔になっていた。


ジルメイダは、隣にいる若き黒髪の剣士に向かって叫んだ。


「ユラト!あんたには前へ出てもらうよ!」


ユラトは、それを聞き、自分のなすべきをこと理解した。


「ああ、わかってる」


彼もまた、成長していた。


ジルメイダはこの状況の中、なぜか楽しんでいる自分がいることに気がついた。


(ふふっ……おかしなもんだね……やばいってのにさ……だけど楽しいね!)


ダリオは自分たちの周りにある、苔の生えた石の壁を見ながら呟いていた。


「敵が多いのなら……へたに動くより、この壁を利用するか……」


その呟きを聞いたジルメイダも、その考えに賛同していた。


壁に近寄り、手で押さえ、強度を確認していた。


「そうだね……敵にもよるんだろうけど……結構頑丈そうな壁だからね」


他に出来ることは無いか考えていたユラトは、何かを閃いた。


「……そうだ、敵は確実に虫が来るのが分かっているのなら、この辺りの木の樹皮を使って火をおこしておいたらいいんじゃないかな?」


ユラトの考えにレクスは無言で頷き、独り言を言い放った。


「虫は炎を嫌うか……」


「いい考えだユラト……だが時間が無ねえ……もうすぐ来るはずだ……」


ダリオがそうユラトに言い終わったとき、森の木々からたくさんの鳥たちが声を出して羽ばたいて行った。


そして鳥たちと入れ替わるように、壁の外側から音が聞こえ始めた。


それは茂みをかき分ける音で、すべての方角から聞こえた。


(……何が来たっていうんだ?)


ユラトが周囲の壁を見ていると、レクスが壁の上へ飛び乗った。


「私が、見てこよう」


壁にたどり着くなり、彼は叫んだ。


「―――蜘蛛だ!大量の大きな蜘蛛がいるぞ!」


レクスの叫びを聞いたジルメイダは、どうするかすぐに答えを出していた。


「ギルドの報告にあった、『ジャイアントスパイダー』か……こりゃあ、逃げることを考えたほうがいいね……」


(この森で見た、大きめの蜘蛛より、さらに大きい奴か……)



【ジャイアントスパイダー】


毒々しい緑色と黄色と黒の縞模様の大きな蜘蛛。


大きさはユラトたちが先ほど見たウーズと同じぐらいか、それよりもさらに大きい体を持つものもいる。


口には鋭い牙があり、咬んだ相手の部分を麻痺させる効果を持っている。


また、2種類の乾いた糸と粘性のある糸を使い分けて吐いてくる。



彼女の言葉を聞いたダリオは、すぐにリュシアに話しかけた。


「リュシア、お前はファイアーボールを使って、壁の上からやってくる敵を撃て」


「はい!」


リュシアは、ダリオにファイアーボールの魔法を教わっていた。


高い魔法のセンスを持っている彼女は、すぐにファイアーボールの魔法を習得していた。


「……我が魔力よ……」


リュシアが詠唱を開始すると、敵は襲ってきた。


周りの壁から、小さい毛が生えた蜘蛛の足が見え始めた。


「―――!?」


正面から大蜘蛛3体が現れた。


「レクス、こいつらはやっちまうぞ、いいな!」


「ああ、分かっている……生き残らねばならんからな……それに、あの目を見ろ」


ユラトたちはレクスの言う通り、蜘蛛の目を見た。


その目はいくつもあり、そして全て赤々としていた。


「完全に我々を捕食対象か敵として見ている証だ……ああなっては、もはや無理だ……」


ユラト、ジルメイダ、レクスの3人は、その蜘蛛へ向かった。


彼らがそこへ向うと、今度は右の方からも敵が2匹、壁から這い上がってきた。


それを見たダリオは隣にいるリュシアに話しかけた。


「リュシア!右の奴らは俺たちでやるぞ!」


「はい!」


彼女の返事を合図に戦いは始まった。


先制攻撃をしたのはレクスだった。


敵の近くへ素早く近づくと、彼は槍で蜘蛛の体を貫いた。


「フンッ!」


そして、その後を追うようにジルメイダが剣を横になぎ払い、2匹の蜘蛛を一気に切った。


「はああああ!」


蜘蛛は避ける暇も無く、バルガの女戦士に倒された。


そして休む暇も無く、正面から再び2匹の蜘蛛が現れたかと思うと左の壁からも3匹の大きな蜘蛛の魔物が現れた。


ユラトは、すぐに正面へ走って向かうと、敵に跳躍して近づき、壁を上りきった蜘蛛をジルメイダと同じように剣を横になぎ払い、足と胴体を切った。


「―――登らせるか!……はあ!」


彼に切られた2匹の蜘蛛は、黄色い体液を飛び散らしたまま、壁の向こう側へ落ちていく。


ユラトが動いたのを確認したジルメイダとレクスは、すぐに左の蜘蛛のとこへ向かっていた。


「こりゃあ、きりがないね!……はあ!」


「かなりの数がいるぞ!私たちだけで対処しきれるのか?」


レクスとジルメイダの後ろから、魔法を放つリュシアとダリオの声が聞こえた。


「……敵に炎の一撃を!」


「ファイアーボール!」


魔法によって生み出された炎に焼かれ、蜘蛛は糸を吐きながら、そのまま動かなくなっていた。


魔法を撃ち終えたダリオは、バルガの女戦士に向かって叫んだ。


「ジルメイダ!どうする!?」


彼女は蜘蛛の頭部を貫いてから答えた。


「ある程度倒したら隙を見て逃げるよ!どこか囲みが薄い場所が出来ているはずさ。ダリオ!隙を見てマナサーチをしておくれ!……ふんっ!」


剣を引き抜くと、彼女に向かって魔物が糸を吐いてきた。


それを察知したジルメイダは、そのまま、その糸に向かって剣を縦に振った。


「はっ!」


糸は乾いた糸であったため、左右に綺麗に分かれ、ゆっくり地面に落ちた。


それを見た彼女は軽く飛び上ってジャイアントスパイダーに近づき、鋭い突きを胴体に放って、一撃両断していた。


再び魔法を撃ち終えたダリオは答えた。


「わかった!」


そしてユラトたちは壁の中で蜘蛛としばらく戦った。


しかし、一向に敵が減る気配はなかった。


ジャイアントスパイダーは相変わらず、彼ら冒険者たちに休む隙を与えることなく襲ってきていた。


忌々しげに蜘蛛の魔物を見つめながらダリオは叫んだ。


「どうなってやがるんだ!全然勢いがなくならねぇ……くそったれめ!」


ユラトは、粘性のある糸を拳に受けていた。


「あっ!」


その糸は彼と蜘蛛とを繋いでいた。


一瞬、ユラトは敵に引き込まれそうになった。


「ぐっ……」


それを察知した彼はすぐに剣を上へ切り上げ、糸を断った。


「はあ!」


剣を素早く振り、地面に糸を叩きつけるように剣についた糸を落とした。


「………(全然、敵が減る気配がない……ダリオさんたちの魔力もじきに枯渇してしまうだろうし……いつまで持ちこたえられるか……)」


両手に糸を絡みつかされていたジルメイダが、力で強引にそれを引き剥がし、糸を手に持ち、敵をそのまま壁へ叩きつけるように投げ飛ばした。


「おおおお!」


彼女は木々の隙間から見える空を見た。


「日がもうすぐ沈み始めそうだね……こりゃあ、強制的に退路を作るしかないね……」


レクスは4匹の蜘蛛に囲まれ、一斉に糸を吐かれたが、素早く槍を回し、それを回避し、正面の敵に鋭い突きを放つと今度は返す形で、後ろの蜘蛛にも、槍を当て、敵を押し下げると、そのまま今度は横に振り、右の蜘蛛を叩くと、間髪を入れずに左の蜘蛛を刺し倒した。


「はあっ!」


彼は仲間に向って叫んだ。


「夜になると不味いぞ!」


リュシアはレクスの後ろにいた蜘蛛にファイアーボールを放ち、悲痛な叫びをあげていた。


「でもどうやって!」


(そうだ、あれをやったらどうだろう……)


ユラトは、自分が思いついた事をダリオに聞いた。


「サンドフェッターで、敵を足止めするってのはどうです?」


ダリオは飛び上がって、こっちへ向かってきたジャイアントスパイダーにロックシュートの魔法を当て、敵を後方へ飛ばすと相手を忌々しげに見つめながら、ユラトに答えた。


「……だめだ!この数を見ろ……それにこいつら蜘蛛どもは、大地の抵抗力が高いんだ。使ったとしても恐らく……すぐに引き剥がされるだろう……」


この世界で存在している生命を持つ者は、何らかしらの属性を持っている。


属性を持つことで、抵抗力や自らの属性の力を使用する場合は、その威力を少しだが増すことが出来る。


人間は、主に大地の属性を持ち、ハイエルフは風、人魚は水といった具合に、より強く影響や加護を受ける。


そして、さらに生まれた時の季節によって僅かだが、属性が付与されるとも言われていた。


例えば人間であれば、メインに大地の属性があり、夏に生まれればそれに加え、炎の属性も僅かだが加わると言われている。


ジャイアントスパイダーなどの蜘蛛は、大地の抵抗力を持つと言われていた。


無言で戦っていたジルメイダは、あることに気づき、すぐにダリオに話しかけていた。


「……ダリオ……あそこの壁の根元を見ておくれ……」


ダリオは、彼女が指差した場所を見た。


「……あれは……」


その壁の場所だけ亀裂が入り、脆くなっていて何人かで押せば、倒せそうなほどだった。


その時、ジャイアントスパイダーがバルガの女戦士に向かって糸を吐いた。


「!」


しかし、ジルメイダは粘性のある蜘蛛の糸を僅かに肩だけを動かし、それをかわすと、何事も無かったかのように、ダリオに話しかけた。


「どうだい、あれが出来るんじゃないかい?」


ダリオはジルメイダに言われ、何かを思い出したようだった。


「……ん……ああ……そうか!その手でいくか!」


「なら、早速やってもらうよ!」


「ああ、少々魔力を使っちまうからな、守りは頼むぜ」


二人が動き出した時、ユラトがジャイアントスパイダーの一匹に腕を咬まれていた。


「―――うっ!」


咬まれた腕が痺れ、彼は剣を落としてしまった。


石の地面に落ち、音がした。


その音を聞いた4人はユラトの方を見た。


「ちっ!油断するんじゃねえ、ユラト!」


ダリオを舌を打ち、リュシアは悲鳴に似た叫びを上げた。


「ユラトさん!」


すぐにジルメイダが走り、ユラトの剣を拾うと、彼の近くにいた蜘蛛を壁の方へ蹴り上げた。


「どきな!」


しかしジャイアントスパイダーは、壁に叩きつけられようとした瞬間、糸を吐き、近くの木にぶら下がった。


「ちっ、すばしっこいのもいるみたいだね……」


バルガの女戦士は敵を睨み付けながら、ユラトのもとへきていた。


そして、そんなジルメイダの背中を見つめながら、ダリオはリュシアに話しかけた。


「リュシア、お前も行って魔法をかけてやれ」


「はい!」


力強く答えたリュシアは、すぐにユラトのところへ向かった。


「レクス、悪いが魔法の詠唱中は頼むぜ」


リュシアが向かったのを確認したダリオは、魔法の詠唱に入った。


「ああ、まかせろ!」


すぐにレクスは槍を回し、周囲にいた蜘蛛を下がらせると、辺りを警戒しながら構えた。


「来るなら来い!」


ユラトはバルガの女戦士に守られながら、リュシアの治療を受けていた。


彼は咬まれた右手の腕を左手で支えながら、しゃがみ込んでいた。


「うう……」


リュシアはユラトに状態を尋ねた。


「どんな状態ですか?」


「腕が痺れるんだ……これじゃ剣が握れない……」


傷口を見ると、薄く赤くなった場所が、少しだけ腫れていた。


「麻痺の毒ですね……」


ユラトとリュシアの近くにいる蜘蛛を片っ端から、倒していたジルメイダが隙を見て振り向き、ヴァベルの娘に尋ねていた。


「治せそうかい?」


「うん、これぐらいなら出来ると思う」


「そうかい……じゃあ、頼んだよ!」


ジルメイダは再び、敵に切り込んでいった。


大蜘蛛に咬まれたユラトは、痛みと熱を感じながら苦痛に顔を歪め、クレリックの女の子に治療を頼んだ。


「頼むよ、リュシア……」


「はい!」


力強く答えたリュシアは、すぐにしゃがみこみ、彼の腕に手のひらを軽くのせると目を閉じ、治療の魔法を唱え始めた。


「……主たる光の神ファルバーンよ、我がマナを供物とし、主に捧げます……我に力と加護を……神の御愛と慈悲を持ち……この者に巣食う病魔を祓い清め給え!……『キュアー』!」


リュシアの手が光り、ユラトの腕は柔らかな光に包まれた。


そして、すぐに効果は現れた。


「……痺れが……無くなっていく……」


リュシアが心配そうに彼に尋ねていた。


「ユラトさん、大丈夫ですか?」


【キュアー】


光の魔法。


毒や麻痺状態にある者を治療することが出来る魔法。


ただし、より強い毒の場合、術者の技量が問われる。



彼の腕の咬まれた部分の腫れが、痛みや痺れと共に、すぐになくなっていった。


ユラトは手のひらを握り締めたり、緩めたりを何度か繰り返し、感覚を確かめた。


「……凄い……なんともなくなっている……」


それを聞いたリュシアは、やさしい笑みを浮かべ喜んでいた。


「良かった……」


ユラトは、すぐに剣を手に取って立ち上った。


「リュシア、ありがとう!」


彼女は胸元に手をあて、軽く息をついていた。


「いえ、無事にできてほっとしてます……実際に使用したのは初めてだったので……」


(あの蜘蛛の魔物とそれなりに戦えていたから、俺は少し油断してたんだろうな……気をつけないと……)


ユラトは剣を力強く握りなおすと、大蜘蛛たちと戦っているジルメイダを見つめながら、リュシアに話しかけていた。


「そうか……だけどリュシア、君は凄いよ……ほんとに……だから、頑張って、ここをなんとか切り抜けよう!」


「はい!」


リュシアもメイスを握ると立ち上がり、力強く答えた。


呪いを背負った剣士とヴァベルの娘は、ジャイアントスパイダーとの戦闘に復帰した。


ユラトはジルメイダと共に、壁から次々這い上がってくる蜘蛛の魔物と戦い、リュシアはダリオの近くで、レクスの援護をしていた。


彼らが一生懸命に戦っている中、ダリオは魔法を完成させた。


「……大地の峻厳を……ここに示せ!……」


彼はロッドを腰に挿し、両手のひらを自分に向け、目を閉じた。


「………」


すると周囲に落ちている小さな石や砂が浮き上がり、彼の両手の肘から手のひらに向って吸い込むように張り付きだした。


ダリオの両手は一瞬のうちに、それらに包まれ、石像の様に固まった。


石や砂で固まった彼の両手の隙間から、僅かに黒に近い青い霧状のものが流れ落ちている。


ユラトは蜘蛛を一匹倒したところで、ダリオの両手を一瞬見た。


(あの魔法はなんだろう……初めて見るな……)


レクスも気になったのか、ダリオを見ていた。


(大地の魔法か……何をする気だ?……)


ダリオは両手のひらを広げたまま、仲間に聞こえるように叫んだ。


「魔法をやるぜ!こっちへ来い!」


叫びを聞き、一番遠いところにいたジルメイダは、蜘蛛の敵を切り散らしながら魔道師の所へ走った。


「みんな、ダリオの所へ集まりな!」


ユラト達が集まる中、ダリオは壁に近づいた。


「説明している暇はねぇ!いいか、魔法が発動したら走れ!」


ユラトには何の事か分からなかった。


「―――え、どこへ?」


たどり着いたジルメイダは剣を構えた。


「見ればわかるさ!」


「やるぞ!」


そう言うとダリオは、両手のひらを壁につけた。


「イディスよ、冷厳なる大地の涙を流せ!―――『グリムロック』!!」


魔法の名を叫ぶと、一瞬のうちに彼が手をつけていた壁面が、緑色のゆらゆらとした帯のようなものに包まれ出した。


「!?」


ダリオはそのまま、その壁を力いっぱい前へ押した。


「………走れ、―――大地よ!」


その瞬間、両腕に張り付いていた石や砂が全て弾け飛んだ。


すぐに壁の石が折れるような音がし、その後、今度は擦れる音が出始めた。


「一体……」


ユラトが困惑していると、彼の目の前にあった壁の一部が大地を伝うように動き始めた。


ダリオとジルメイダ以外の3人はは驚いた。


「―――これは!?」


すぐにダリオは叫んだ。


「今だ!その壁の後について走れ!」


彼らは戸惑いながらもダリオの言う通り、壁の動き合わせて歩き出した。


ジルメイダは動き出した壁のすぐ後ろにつき、振り返って叫んだ。


「みんな、ここを出るよ!」



【グリムロック】


大地の魔法。


大きな岩や石を魔法の力で地面に沿って動かすことができる魔法。


魔力の消費は、動かす距離や、その岩や石の大きさに比例する。



どうやら、ジルメイダとダリオが考えた策は、この石の壁を利用して退路を無理やり作り、逃げるという方法のようだった。


その意味を悟った他の3人は、すぐにダリオやジルメイダのように壁の方へ向かい走った。


動き出した壁の隙間からジャイアントスパイダーたちが現れ始めた。


その敵を次々ジルメイダが剣を振って倒していた。


「はっ!」


到着したユラトとレクスも必死なって蜘蛛の魔物と戦った。


蜘蛛の魔物は糸を吐き、飛び上がったりしながら、攻撃してきていた。


ユラトは、それをなんとかかわすと、反撃しながら壁の後についた。


「ふう……」


動いた壁はジャイアントスパイダーを弾き飛ばしたり、轢き殺しながら、軽く走るぐらいの速度で森の中を進んでいた。


時刻は夕刻に入っており、森の中に夕日が差し込み始めている。


ある程度敵を蹴散らし、僅かに敵の攻勢が緩んだのを確認した彼らは、周囲を見回した。


「……よし、なんとか行けそうだぜ!」


周囲を確認したダリオは、すぐに飛び上がって壁につかまり、ぶら下がりながら声を出していた。


「お前らも、壁につかまれ!そろそろ速度が出るぞ!」


ユラトとレクスは、驚きながら壁の速度にあわせて走っていた。


「こんな魔法があったなんて……」


「うまくいけばいいが……」


「あんたたちも、早くつかまりな」


ジルメイダは、すでに壁に手をかけ、つかまっていた。


そしてユラトとレクスが壁につかまったとき、後ろから声が聞こえた。


なんとリュシアが息をつき走りながら、先ほどの宝が入っていた箱を頭の上に乗せ、両手でそれを支えながら、彼らに向かって叫んでいたのだった。


「はぁはぁ……あ、あの!これ!」


それを見たユラトたちは、慌てて叫んでいた。


「リュシア!」


どうやら彼女は、壁が動き出した瞬間を見計らって宝の入った箱を取りに行っていたようだった。


それを見たジルメイダが、すぐにリュシアへ向かって走り出した。


「不味いね……このままだと、あの子だけ置いていっちまうよ……」


ジルメイダは、すぐに彼女のもとへ駆け寄り、箱を持ったリュシアごと片手で抱きかかえ、走り出した。


「きゃ……」


「ちょっと我慢するんだよ……」


「うん……これ、みんなで見つけたから……」


「リュシア、話はあとだ……」


そう言うとジルメイダは、無言で彼女を抱え走った。


後ろにはジャイアントスパイダーの群れが、すぐ後ろから追いかけてきていた。


それを見たダリオは、疲れた目で、2人を見ていた。


「くそっ!魔力を使い過ぎて……壁にぶら下がるのがやっとだぜ……このままだと……あの2人は……」


壁につかまりながら見ていたレクスは目を細め、隣にいたユラトに話しかけた。


「ユラト、ジルメイダを援護するぞ」


「はい!」


2人は壁から降り、ジルメイダが来るのを待った。


そして、すぐにジルメイダは蜘蛛の一団を引き連れてやってきた。


後ろでダリオが、精一杯の力を振り絞って叫んだ。


「おい、お前ら早くしろよ!じきに速度が上がり始めるぞ!」


ユラトとレクスは、ジルメイダの後ろにいる、蜘蛛の大群を見ていた。


「この数を押さえるのは、かなり厳しいな……」


「……そうですね……これは……」


そう言って2人は武器を構えた。


女の子を抱えながら走っているバルガの女戦士が、わらわらとジャイアントスパイダーたちを引き連れて到着する。


レクスは、すぐに叫んだ。


「―――ジルメイダ!先に行け!」


「ああ、頼むよ!」


彼女は、一瞬ユラトとレクスを横目で見るとそのまま、真っ直ぐ走って行こうとしたが、何かを思い出し、立ち止まると、リュシアが持っていた宝箱から何かを取り出し、ユラトの方に親指でそれを弾いて飛ばした。


「ユラト!もしものときは、これを使いな!あんたなら出来るじゃないか!?」


そう言うとジルメイダは壁を追いかけて行った。


ユラトは彼女が飛ばした物を片手で受け取っていた。


彼は渡された物を手を開いて見た。


「ん……」


それは何かの貝殻で出来ていてブローチ程の大きさで、金の枠があり、横顔になっている美しい貴婦人描かれていた。


その貴婦人は、たくさんの花や宝石のついた優雅な大きい帽子をかぶり、手のひらを口元に寄せ、息を吹いて、花びらを舞い上がらせていた。


形状からするとカメオのようだった。


(これを……どうするんだ?)


ユラトは更に詳しく、そのカメオを見た。


すると貴婦人の目の部分が僅かに淡く黄色に光っているのが見えた。


(―――これは!?)


ユラトはそこで、このカメオになんらかの魔力が宿っていることを悟った。


彼はジルメイダの意図を理解した。


(……つまり、禁呪を使えってことか……)


ユラトは、迫り来るジャイアントスパイダーの群れを見た。


(……この数じゃ確かに俺とレクスさんだけじゃ無理だな……だけど、詠唱に少し時間がいる……)


レクスが正面の敵を睨み付け、槍を構えながらユラトに話しかけてきた。


「ユラト、敵が来るぞ、武器を構えろ!」


「レクスさん、俺に考えがあります」


レクスは、すぐに聞いてきた。


「言ってみろ」


「このカメオを使って禁呪を放ちます」


レクスが口を開こうとした瞬間、ジャイアントスパイダーの群れは、辺りに糸を撒き散らしながらやって来た。


「……敵が来た。考えている時間は無いようだ……ユラト、任せたぞ!……」


レクスは、槍を水平にし、両手で持つと、そのまま敵に突っ込んだ。


「はああああ!」


彼の槍は群れの先頭にいた2匹の大蜘蛛に当たり、頭部を破壊し、後方へ吹っ飛ばした。


飛ばされた蜘蛛は、後ろにいた蜘蛛の群れに当たった。


敵の群れが、一瞬止まった。


「………」


それを見たレクスは、叫んだ。


「ユラト、走るぞ!」


「はい!」


2人は、その叫び声と共に走り出した。


しばらくしてジャイアントスパイダー達は我に帰り、左右に分かれると、再び追いかけてきた。


腹を曲げ、前方にいくつもの糸を放出し、二人を捕らえようと足元へ飛ばしてきた。


「うわぁ!」


「くっ!」


2人は、その糸を避けるように左右に飛び跳ねながら走った。


ユラトとレクスが何とか逃げていると、何体かの蜘蛛が糸を吐いて木の枝に絡ませると、森の木々を利用して素早く移動し始めた。


その蜘蛛たちは見る見るうちに二人に追いつくと、左右から糸にぶら下がって襲ってきた。


「―――蜘蛛め!考えたな……」


それを2人は武器を振り、なんとか仕留めながら走った。


夕日が入り、辺りは暗くなり始めていた。


壁はいくつもの草や木々をなぎ倒して森の中を進んでいた。


それを見たレクスは、沈痛な面持ちで走っていた。


「ああ……森が……これだけの木々が再生するのにどれだけの年月がいると思っているんだ……ダリオの奴め!……こんなことなら……」


「やはり人間たちとは分かり合えないのか」そう思ったレクスだった。


しかし彼は、そこで思いとどまった。


(いや……奴の魔法がなければ助からなかったか……くそ……)


そう一瞬思った。


だが、更にレクスは考えを変えた。


(いや……そうじゃない……そもそも、あいつが金目当てで、ここへ行こうと言ったからではないか!)


しかし最終的には人と同じ選択を自分もした事を思い出し、その怒りは自分自身に向けることになっていた。


(……だが……それに同意した私も同罪か……すまぬ……森の木々よ……)


一方ユラトは、禁呪を使うタイミングを完全に失っていた。


(これじゃ、魔法の詠唱どころじゃない……)


剣士の青年とウッドエルフの男は、様々な事を考えながら敵の攻撃をかわして走っていた。


しばらくするとジルメイダたちが見えてきた。


(あ……)


それを見たレクスが、ユラトへ向って叫んだ。


「壁に着いたら、俺がおとりになる。隙を突いて禁呪とやらをやるんだ!」


「(それしかなさそうだ……)はい、お願いします!」


必死に走った2人は、なんとか地面に沿って動く壁に、かなり近づくことが出来た。


どうやら壁は、先ほどよりも移動の速度を上げているようだった。


そのため近づきにくくなり始めていた。


ユラトとレクスに気づいたダリオは叫んだ。


「お前ら……早くつかまれ!もう時間がねぇぞ!」


茂みを掻き分け、肩に木の小枝が当たりながらも2人は必死に走り、追いつこうとしていた。


「はぁはぁ……(さっきより、速度が上がっている……)」


「つかまりな!」


壁が目の前まで来たとき、ジルメイダが手を伸ばし、ユラトがまずは壁につかまった。


「ありがとう!」


そしてレクスもつかまろうとしたとき、蜘蛛の糸が彼の右足を捕えた。


「―――!」


レクスが、一瞬足をとられ、少し後ろに下がった。


「しまった!奴らも追いついてきたか!」


木々の間を糸を使って移動していた蜘蛛たちが、壁につかまっているユラト達へ向って左右から襲い掛かってきた。


「来る!」


一匹は壁に乗り、もう一匹は糸にぶら下がったまま、奇襲してきた。


壁の真ん中でぶら下がっていたダリオが、苦々しくそれを疲れた目で見ながら叫んでいた。


「くそっ!逃げ切れるかと思ったのによ!こいつらも早いじゃねぇか……」


奇襲してきた蜘蛛に対して、ジルメイダが素早く両手で壁をつかみ、体を浮かすと、そのまま両足で敵を蹴り飛ばした。


「はあ!……全く、しつこいね!」


そしてレクスが後方へ振り返り、正面にいた蜘蛛に槍の一撃を放とうとしたとき、敵が炎で包まれた。


「―――これは!?」


リュシアが、ファイアーボールの魔法でレクスの足へ糸を飛ばしていたジャイアントスパイダーへ魔法を放っていた。


蜘蛛は焼き焦げ、倒されていた。


「リュシア、礼を言うぞ!」


リュシアは、自信に満ちた表情で答えていた。


「はい!(いつも守ってもらってばっかりだったから……良かった……当たって……)」


安心したレクスは再び素早く走ると、飛び上がり、壁に乗っていた蜘蛛を刺した。


「―――ハッ!」


彼は壁につかまった。


ジャイアントスパイダーは一撃で仕留められ、赤い目の色を失った。


レクスは槍に刺さった蜘蛛を、素早く敵の群れに向って投げた。


「フンッ!」


またしても敵は一瞬止まり、少し下がったが、すぐにまた追いかけてきた。


ユラトは右手で壁につかまりながら、もう一方の手でカメオを握り締め、目を閉じて禁呪を唱えていた。


「……太古の神が創りし……千古不朽の神気の力……ここに解放せよ!」


詠唱が終わった。


閉じていた目を開け、握り締めた拳も軽く少しだけ開いた。


ユラトは、ぼんやりと手のひらを見つめながら更に魔力を込めるか考えた。


(魔力をたくさん込めるか?……いや、あの吸い込まれるような感覚を抑えきる自信はない……ここでもし、魔力を全て奪われてしまったら、壁につかまる力も無くなってしまう……今回は極力押さえて使ってみるか……)


「―――サクリファイス!」


そう叫び、魔力を軽く込める。


魔力の制御がうまくいき、腕が少し痺れ、体から魔力が僅かに流れ込んでいく感覚があった。


(……よし、このまま……)


少しの間を置いてユラトの左手の甲が赤黒く光った。


彼が手のひらを広げると赤黒い光りに包まれたカメオが現れた。


(―――やった!この前より、上手く制御できたぞ!)


ダリオが目を薄くさせながら、それを隣で見ていた。


彼はその色に良い印象を持たなかったようだった。


(……これが……禁呪ってやつか……しっかし、なんの根拠もねえが……こりゃあ、きっとやべぇもんだな……そんな気にさせる色だぜ……こいつはよ……)


ジルメイダも眉を寄せ、彼の手のひらを見ていた。


(随分と禍々しい色じゃないか……ユラトには、これに頼る戦い方をさせてはいけないのかもしれないね……)


彼女は直感でそう感じた。


そしてユラトは前方を見ていた。


「………」


ジャイアントスパイダーが先ほどよりも、集まってきていた。


奥の方からも赤い無数の光が見えた。


(少し遠いかな……?)


壁は速度を増していたため、彼ら冒険者の髪やマントが風で揺れていた。


ユラトの禁呪の光に刺激されたのか、蜘蛛たちは警戒を解き、走る速度を上げると一斉に近づいてきた。


レクスは、ユラトを見ずに敵の方を見ながら尋ねた。


「ユラト!敵が今にも集団で一気に襲ってきそうだ。その魔法できるのか?」


彼はカメオを握り締めながら答えた。


「はい!だけど今回は魔力を少しだけ込めただけなんで……出来る限り敵を引き付けないと……」


しかし、敵が都合良く来ることは無かった。


先頭にいた何匹かの蜘蛛が、再び左右に分かれ、攻撃を仕掛けてきていた。


ダリオがユラトへ向かって叫んだ。


「出し惜しみしている暇はねえ!後方の奴らだけでもいいから使え!」


「(……そうだ、やるしかない!)わかりました!」


ユラトがそう思ったとき、レクスが敵の襲撃を察知し、仲間に知らせた。


「―――来るぞ!」


蜘蛛たちが再び、壁につかまっている彼ら冒険者に向かって襲い掛かってきた。


今度は左右から2匹ずつ、そして後方からも走る速度を上げた蜘蛛が3匹同時に壁へ向けて粘性のある糸を吐き、上へ飛び上がり襲ってきた。


「レクス、行くよ!」


「ああ!」


両端にいたジルメイダとレクスがそれぞれ左右の蜘蛛に素早く動き、対処した。


ジルメイダは、2匹の蜘蛛のうち一匹をブロードソードで素早く切り倒すと、もう一匹の蜘蛛にも攻撃を仕掛けようとしたが、相手が一気に距離を縮めてきた。


蜘蛛は飛び、彼女の腕に張り付いた。


「―――っ!?」


ジルメイダは咄嗟に、腕を動かし自分がつかまっている壁へ蜘蛛ごと叩きつけた。


「フンッ!!」


どんっと言う音がし、ジャイアントスパイダーは潰れ、地面に落ちた。


「あぶない、噛まれるところだったよ……」


そしてレクスの方は片手で槍を持ち、素早い動きで突きを繰り出し、空中で蜘蛛を2匹とも仕留めていた。


「―――ハッ!」


ウッドエルフを襲った2匹の蜘蛛も地面に落ち、動かないまま後続の蜘蛛の集団に踏まれていった。


二人が蜘蛛を倒すと、真ん中にも蜘蛛は飛び上がって来ていた。


「こっちにも来やがった!」


必死に壁に掴まっているダリオがそう叫ぶと、蜘蛛は彼らの頭上を越え、移動している壁に飛び乗った。


「―――!」


着地すると同時に3匹の蜘蛛はユラトたちへ向かって一斉に糸を吐いた。


壁の真ん中辺りにいたユラトやダリオ、リュシアは蜘蛛の糸に包まれ始める。


「うお!」


「きゃあ!」


「―――これは!?」


慌ててリュシアが敵の一匹にファイアーボールを放った。


「燃えちゃえ!」


敵の一匹が炎に包まれ燃えた。


「やった!」


彼女が当たった事に喜んでいると、炎は蜘蛛の糸にも移り、近くにいたダリオの所へやって来る。


「!?」


僅かにダリオの着ていたローブが焦げ、熱が彼にも伝わった。


慌ててダリオは片手で火を消した。


「あちちっ!……おい!」


リュシアは口を空けて驚いていた。


「あっ……」


ダリオは自分の体から煙が少し出ていた。


「あっちぃ……」


ヴァベルの娘は、申し訳なさそうに謝っていた。


「ううっ……ごめんなさい」


ダリオは自身の安全を確認すると、彼女を睨み付けた。


「ふう、あぶなかったぜ……てめぇ、リュシア!いつも魔法を放つときはタイミングを考えろと……」


ダリオがリュシアに怒りをぶつけようとしたとき、レクスとジルメイダが壁に上り、後に残った2匹の蜘蛛を退治しようと一気に近寄った。


2人は、ほぼ同時に手に持っていた武器を横に振った。


「はっ!」


「はあ!」


しかし、2人の攻撃は当たらなかった。


空を切る音がした。


2匹のジャイアントスパイダーは同時に飛び上がってジルメイダとレクスの攻撃をかわすと、自分たちの下にある壁へ、糸をクロスさせ吐いた。


「!?」


二人が驚く中、2匹は糸を壁につけたまま地面へ向うと、遠心力を利用し、くるっと一回転した。


地面擦れ擦れまで体を落とすと、今度は一気に二人のいる場所まで回り戻ってくる。


そのとき、一瞬ジルメイダの腕とレクスの頬辺りを蜘蛛の足が僅かに触れた。


「―――っ!?」


大蜘蛛の足先に鋭い刺があったため、2人の腕と頬が切れ、血が僅かに流れた。


「……これは……」


「へぇ……やるじゃないか……」


以外な方法での反撃にバルガの女戦士と森のエルフは驚いていた。


2匹の蜘蛛はほぼ同時に、再び壁の上へ戻って来た。


ジルメイダが蜘蛛を睨み付けると、何かに気が付いたのか、僅かに表情を緩めた。


「おや……この2匹は少し、他の蜘蛛どもと色が違うね……」


彼女の言うように、この蜘蛛は黄色の部分がオレンジ色になっていて、体も他の蜘蛛に比べるとやや大きいように見えた。


「少し、違う種類もいるようだな……面倒なことだ……」


「なかなか、やりがいがありそうじゃないか」


ジルメイダとレクスが武器を構え、再び蜘蛛に向かって行こうとしたとき、ユラトの叫びが聞こえた。


「―――リファイスブラスト!!」


彼が力強く叫ぶと、後方で爆発が起こった。


規模は、彼が魔力を抑えたためか、あの時の洞窟内で起こったものよりも小規模だった。


だが、後方にいた大蜘蛛の集団には効果があった。


いくつものジャイアントスパイダーたちが砕け散り、大きな穴を地面に生み出した。


ダリオは禁呪の威力に驚いていた。


(初めて見たが……すげぇ威力じゃねぇかよ……なんて魔法だ!……こいつ、ほとんどリスク無しに、こんな魔法が使えるのかよ……どうなってやがるんだ?)


リュシアも眉をひそめ、爆発を見ていた。


(あの色に、この威力……ユラトさん……)


空気の振動が訪れた後、爆風と共に煙と僅かな熱が、移動する壁に乗っている彼らのところにも運ばれて来た。


「くっ……」


追いついてきた煙と熱にユラトたちが包まれようとしたとき、壁の速度が上がり始めた。


それに気づいたダリオが、皆に向かって叫んだ。


「―――お前ら、つかまれ!」


彼の叫びを聞いたユラトたちは、すぐに壁にしがみ付いた。


速度が上がる瞬間、壁が一瞬、前後に素早く揺れ出した。


「……う、うわぁ!」


ユラトは一瞬、手が外れそうになり、両手でしっかりと壁につかまった。


振動が起こったせいで2匹の蜘蛛は、宙に少しだけ浮き上がったまま、地面のある後方へ向った。


煙の中へ消えていく2匹の蜘蛛。


それを見たダリオは、嬉しそうに後ろを見ながら叫んでいた。


「ははっ、落っこちやがったぜ!ざまあみろ!」


しかし、それも一瞬のことだった。


煙の中から2本の糸が真っ直ぐやって来て、冒険者達がつかまっている壁へ到達すると、そのまま張り付いた。


ダリオの顔から笑顔が一瞬で消えた。


「―――なんだとっ!?」


ジルメイダに体を押さえられながら、敵を見ていたリュシアも悲鳴をあげた。


「ひぃー!……また来た!」


木々があまり無い、開けた場所に彼らはやって来た。


そして壁はついに、最も早い速度を出した。


「―――っ!」


まるで食器の上を滑る氷のように、滑らかな滑りを見せながら素早い速度で、壁は蜘蛛の集団を一気に引き離し進んだ。


ユラトたちは、つかまるだけで精一杯だった。


「ぐっ……くそ……」


髪やマントは逆立って波うち、声はかき消され、壁はその速度を維持したまま、森の中を直進して行く。


「は……早い……」


そんな中、2匹のジャイアントスパイダーは壁に引っ張られたまま宙に浮き、曲げた腹から出た糸を足と顎を使って取り込みながらゆっくりと冒険者たちのいる壁へ近づいてきた。


大蜘蛛は目を赤く輝かせ、人間達を見ている。


壁につかまりながら、頭を少しだけなんとか動かし、後方の迫り来る蜘蛛をユラトは見た。


(……くっ……このままだと……良い様にされてしまうぞ……)


蜘蛛は大きな上顎を活発に動かしてじりじりと寄って来た。


(……飛び出してやるか?)


ユラトがそう思い、剣に手をかけようとした瞬間、今度は壁がぐらぐらと揺れ始めた。


「やべぇ!そろそろ込めた魔力が切れるみたいだ。お前ら、上手く降りろよ!」


ユラトは驚き、慌てて隣にいるダリオに尋ねた。


「―――ええっ!?どうやってですか!?」


ユラトがそう聞いたとき、レクスが前方を見つめながら皆に聞こえるように大声で叫んだ。


「―――進路に尖った岩があるぞ!」


「え!?」


ユラトが先を見ると、確かに尖った大きな岩が見えた。


「不味い!!」


蜘蛛が一気に距離を縮めてきた瞬間、壁は岩に衝突した。


「―――!!」


壁の砕ける音がし、真ん中辺りで、左右に壁は割れた。


割れる寸前にレクスは飛び上がり、近くの木の枝にぶら下がった。


「くっ……」


ジルメイダは、リュシアを抱えながら草の茂った場所へ飛んだ。


「リュシア、行くよ!」


「うん!」


ダリオは疲労からか、砕けた壁にしがみ付いたままだった。


「うお!やべええええーー!」


だが、壁が上手くソリのように地面に沿って移動したため、彼は無傷のようだった。


「あっぶねえ!」


そしてユラトは、壁が壊れる寸前に彼の上空から襲ってきた蜘蛛に対処するために、体を横に回転させ、同時に剣を抜きながら壁を蹴った。


(―――当たれええぇぇ!)


すると、ユラトの抜いた剣は見事、空中で蜘蛛を真っ二つに切り裂いた。


(―――やった!)


彼は倒れるように茂みに落ちた。


「うわあ!」


何とか助かったユラトは、暗くなった空を見上げながら思わず安堵のため息を漏らした。


「……ふぅー……あぶなかった……いてて……だけど、倒せた!」


しばらくして、彼は仲間が無事なのか気になり、すぐに体を起こし、辺りを見回した。


「みんな!……大丈夫なのか?!」


辺りは、すでに暗くなっていた。


(もう夜になっていたのか……)


木々の間隔が広い場所で、少しだが虫の声が聞こえ、空には無数の星の見える夜空が広がっていた。


また、彼らがたどり着いた場所のすぐ近くには、暗黒世界の黒い霧が僅かだが確認できた。


(……あと少しで、黒い霧の中へ行くところだったのか……)


そう思うと一瞬、悪寒のようなものが走った。


(ううっ……とにかく、他の人たちをさがさ……!?)


そのとき、近くで声が聞こえた。


「おい!誰かいねぇか?」


(……あの声はダリオさんだ)


ユラトはすぐに立ち上がり、その場所へ向かった。


そこはユラトが倒れた所から、目と鼻の先の場所だった。


彼は声のあった場所を見た。


(確か……あの辺りのはず……)


薄暗い中、尖った大きな岩の奥を見ると、ダリオが最後の蜘蛛の一匹に糸を吐かれ、包まれようとしているのが見えた。


「―――ダリオさん!」


ユラトは慌てて剣を抜き放ち、魔道師の男の所へ急いだ。


彼はダリオの目の前まで来た。


「大丈夫ですか!?」


ダリオは壁につかまったまま、白い糸で包まれていた。


ユラトに気づくと、苦しげな声を出した。


「そいつを……早く……なんとかしてくれ!」


「はい!」


ユラトは剣を両手で構え、切り込んだ。


「ダリオさんを放せ!」


大蜘蛛は、それをすぐに察知し、ダリオに糸をつけたまま、上へ飛び上がり、ユラトの攻撃をかわした。


「くそ、素早いな……」


ユラトは、どうするか考えた。


(フェイントをかけて……そうだ!ジルメイダに教わった、あれをやってみるか……)


すぐに彼は行動に移した。


敵に近づき、剣を横に片手で強く振り払う。


蜘蛛は、その攻撃にすぐに感づくと、再び飛び跳ね、彼の攻撃をかわした。


(―――よし、思った通りだ!)


ユラトは横に払った力を利用し、宙に浮いた蜘蛛に回し蹴りを放った。


「どうだ!」


見事、彼の読みは当たり、回し蹴りがヒットした。


鈍い音をたて、蜘蛛は飛ばされた。


しかし、ダリオと糸で繋がっていたため、彼の体が少し引っ張られる。


ダリオは苦痛に顔を歪め、思わず声を上げた。


「……いてえ!……おい、俺もいることを忘れるなよ!」


「はい!だけど、こいつすばしっこくて……」


蜘蛛は地面に着地していた。


良く見ると、体から少し体液が流れ出ていた。


ユラトが放った回し蹴りが効いているようだった。


(……なんとかやれそうだ!)


ジャイアントスパイダーは糸を切り、彼の方へ向くと、少しだけ両足を屈め、戦闘態勢にはいった。


ユラトは、先手を取るためにすぐに動いた。


(こいつを倒すには、常に先手を取って相手に攻撃させないことだ!)


彼は走ると、今度は敵に向けて鋭い突きを放った。


「喰らえ!」


剣の先が到達する寸前、蜘蛛はまたしても上へ飛び上がった。


(やっぱりそうだ!こいつは、そういう習性があるのか!)


それを見たユラトは、片手で剣をそのまま真っ直ぐ上へ切り上げた。


「はあ!」


しかし、蜘蛛は飛び上がった瞬間にユラトの肩へ向け糸を吐いていた。


(―――しまった!)


ジャイアントスパイダーは、吐いた糸を吸い込み、彼の元へ一気に近づいた。


(くそっ!やられる!)


ジャイアントスパイダーが目前に迫ったとき、真上から槍が飛んできた。


「―――させるかあああ!」


レクスが上空に飛び上がり、槍を投げていた。


―――ザシュ!


ユラトの頬に少しだが、飛び散った黄色い体液が付いた。


ウッドエルフの投げた槍は見事に蜘蛛の胴を貫き、槍ごと地面に突き刺さっていた。


最後のジャイアントスパイダーは体に槍を受けたまま、しばらく動いていたが目の輝きを失うと、やがて動きを止め、動かなくなった。


敵が動かなくなったのを確認したレクスは、辺りを警戒しながら2人の所へ来た。


彼はユラトに話しかけた。


「大丈夫か?」


ユラトは頬に付いた液体を手で軽く拭いながら、自分がまだ未熟であることを悟った。


(まだまだ……だな……だけど、もう一匹の蜘蛛は倒せたし、禁呪もなんとか扱えたし……一気に全てをこなすことは、無理だったけど……結構、冒険者らしく出来たかな……)


ユラトは、やや浮かない顔つきでレクスに礼を言った。


「はい、ありがとうございます……助かりました……」


彼の表情を見たレクスは表情を緩め、優しい声で話してきた。


「……気にするな。今の自分に出来る事と出来ない事……それを知る事もまた重要なことだ……それにお前の禁呪のおかげで私たちは助かったんだ。我々はパーティーを組んでお互い足りないものを補いながら、この危機を乗り越えた。それでいいんだ……それより……ダリオ、お前も大丈夫か?」


ダリオは、壁の残骸にうつ伏せに倒れたまま、糸を全身に絡みつかせていた。


彼は少しだけ顔をユラトとレクスの方へ動かすと、力の無い声で答えていた。


「……ああ……ひでぇ目にあったが……なんとか無事だぜ……早く助けてくれ……」


「分かった……」


「はい!」


二人がダリオを蜘蛛の糸から引き剥がそうとした時、後方から声が聞こえた。


「みんなー!大丈夫!?」


リュシアが血相を変え、ジルメイダを伴って小走りにやって来た。


「……ん……来たか」


気づいたレクスが二人に歩み寄ると、彼女を安心させようと話しかけた。


「リュシア、安心しろ……みんな無事だ」


レクスの言葉を聞いて、リュシアは胸をなでおろした。


「ふぅ……良かった……凄い衝突だったから……」


隣にいたジルメイダも、辺りを見回しながらユラトたちのところへ来ていた。


「……どうやら……大丈夫そうだね」


ユラトはダリオに絡みついた糸を取り除くと肩を貸し、彼を立たせた。


ダリオは疲労困憊といった感じで呟いた。


「はあ……全く……今日は大変な目にあったぜ……」


そんなダリオの姿を見たジルメイダは、にやりと笑みを浮かべた。


「ふふっ……ダリオ……なかなか色男になっているじゃないか」


ジルメイダの話の聞いた他の3人は、彼の顔を見た。


「………」


すると、リュシアが突然吹き出した。


「ぷっー!」


彼女はダリオに悪いと思ったのか、すぐに両手で口元を覆いながら、必死に笑いを堪えた。


「くく……ぷぷ……」


リュシアが笑ったのには、理由があった。


それはダリオの眉や口のあたりから顎にかけて、白い糸が大量に付着していたからだった。


その姿はまるで、繋がった眉を持ち、見事な白い口ひげを蓄えた老人の様だった。


ダリオ以外の仲間は思わず笑い声をあげていた。


「はははっ!」


笑われたベテランの魔道師の男は、パーティーメンバーを忌々しげに睨み付けていた。


「俺様は、ひでえ目にあったってのに……てめぇら!」


笑い声を彼らは、しばらく夜空に響かせていたという。


そしてひとしきり笑った彼らは、リュシアが必死になって守った宝箱の中身を調べることにした。


ユラトが箱を持ち、ダリオとリュシアのロッドとメイスにマナトーチの魔法かけ、周囲を明るくすると宝箱を囲むように座った。


「しかし……良く気づいて持って来れたね、リュシア」


「うん!」


リュシアは短い草の生えた地面に、うつ伏せに倒れこみ、両手で頬づえをついて、足を軽く動かしながら、箱が開くのを楽しげに待っていた。


「何が入ってるかな~……」


レクスが箱を見ながら、今日の出来事を振り返っていた。


「蜘蛛どもに、意識が集中してしまっていたからな……私も忘れてしまっていた……」


ジルメイダは、リュシアの隣で胡坐をかいて腕を組み、座っていた。


彼女はリュシアの頭を撫でながら話した。


「お宝を逃すなんて冒険者としてあるまじき事さ……そういう意味じゃ、お手柄だよ」


「えへへ……」


ダリオは周囲に魔法の光を放つロッドを地面に差し込むと、箱を覗き込むように見ていた。


「ま、お前もこれで少しは冒険者らしくなったってことだな」


ダリオにいつも厳しく教わっていたリュシアは、褒められたことが嬉しかったのか、上半身を起こし、元気に返事をしていた。


「はい!」


「とにかく、中身を良く見てみましょう」


ユラトが箱を開け、一つ一つ取り出し、地面に置いていった。


箱の中には金貨や指輪がいくつかあり、そして一番底には、白い布で包まれた古めかしい本があった。


「これは、何の本なんだろ……」


ユラトが本を手に取った。


布をめくると表紙が見え、題名が書いてあった。


「『世界の七不思議』……著者は……『フェイ・ファディアス』……うーん、どこかで……」


皆、記憶を辿りながら、その名前を口にしていた。


「フェイ・ファディアス……」


ユラトは、すぐに思い出した。


「―――あっ!白蓮のフェイ!」


ユラトからその名を聞いたジルメイダは、その者について思い出した。


「……そいつは確か……氷の魔法が得意だった有名な古代の冒険家の名前だね……」


【フェイ・ファディアス】


氷の魔法を自在に操ったと言われる古代の冒険家。


古代世界の様々な場所へ行き、数々の発見と冒険の日々を過ごしたと言われている。


真っ白な蓮の花が好きで、自らの背中に白い蓮の刺青を入れていたことから『ホワイトロータス』や『白蓮のフェイ』とも言われていた。


オリディオール島にも、少年たちが憧れるような冒険の日々を書き綴った本がいくつか存在している。



「そいつの書いた本ってわけか……ちょっと貸してみろ」


ダリオはユラトから本を取ると、ぱらぱらと適当に目を通していた。


「古代の世界には七不思議ってのがあったみてぇだな」


「七不思議……」


(そんなものがあるのか……)


ダリオは少し興味に惹かれたのか、今度は丁寧にページをめくり始めた。


「なになに……ドワーフの災禍の巨人像、砂漠の大ピラミッド、アレクシャの町のフヴァルの灯台、リバイアの迷宮………おっ、ゾロスの霊廟も載っているぞ」


ユラトは気になったので、ダリオに尋ねていた。


「ゾロスの霊廟って?」


彼の代わりにジルメイダが答えた。


「そこは確か、ゼグレムたちが見つけた場所だったね」


「ああ、そうだ。確か、ラスケルクから北の方にあったとか聞いたぜ」


「そんなところに……」


ダリオは思い出すと、悔しそうにしていた。


「しかもあいつら、すげえ装備を手に入れたとか聞いたな……くそっ、羨ましいぜ!」


「そうらしいね……古代の強力な武器や防具を手に入れたって聞いたよ……」


中断していたダリオは再び、本に目を通し始めた。


「えーっと、それから………」


ページを飛ばし読みしながら本を見ていた彼は、途中で何かに気づいた。


「おっ!?―――これは……」


興味深く話しを聞いていたレクスが思わずダリオに尋ねた。


「どうした、何かあったのか?」


ダリオは目線を本からリュシアへ向け、話しかけた。


「リュシア……これは、お前が目指している場所じゃねぇか?」


突然そう言われたリュシアは神妙な顔になった。


「……えっ?どういうことですか?」


中年の魔道師の男は再び目線を戻し、本に書かれていることを言った。


「遥か昔、ヴァビロニアって国があったらしいな」


その言葉を聞いたリュシアは立ち上がると、みんなに自分が昔、聞いた覚えのある事を話した。


「―――ヴァビロニア!…………そう言えば小さいころに、おばあちゃんから聞いたことがあります……確か、古代の私たちの先祖は、ある国の王族でもあったと……」


ダリオは、その本に書かれていたヴァビロニアについて話した。


ヴァビロニアは、荒れた土の大地に存在していて。周囲を高い壁が囲み、入口には巨大な門があった。


国を囲っている壁は、青い釉薬が塗られており、575体の魔物の絵が魔よけのために画かれていた。


その壁を抜けると、その中に国があり、その中心には非常に大きい空中庭園が存在した。


実は、その空中庭園が6番目の七不思議でもあった。


そして、最後の七不思議として書かれていたのは、その空中庭園の中にある塔が最後の七不思議であると彼は言った。


「……その塔の名前は、『ヴァベルの塔』だ!」


その名を聞いたリュシアは、驚いていた。


「―――え!?ほんとですか!」


「ああ、そう書いてあんだよ。それからだな……」


さらに彼は詳しく塔について書かれていることを読み上げた。


どうやらヴァベルの塔は『ジッグラト』と呼ばれる階段状のピラミッドのような構造になっていて、そこにファルバーンの光の神殿があるようだった。


ジルメイダは笑みを浮かべながら、リュシアの肩に手を置いた。


「良かったじゃないか、リュシア」


リュシアの頭の中に、様々な思いが駆け巡った。


今は亡き両親のことや伯母のエリスのこと。


多くのヴァベルの一族を支えてくれた人々。


その人たちを思うと心が高揚し、力が沸いてきた。


(あるんだ……ヴァベルの塔は……本当に!)


そんなリュシアを見ていたユラトは、どこにあるのか場所が気になった。


彼は、その事をなんとなく呟いた。


「だけど、どこにあるんだろ……」


それを聞いたダリオは、本をめくって調べた。


「……ここに書いてある場所には無いな……東の大陸なんて、今は海しかないぜ」


どうやら、本に書いてある場所は、オリディオール島から、かつて東にあった大きな大陸のようだった。


リュシアは、その情報を聞き、少し不安になった。


「そうですか……じゃあ、今はもうないのかな……」


レクスは彼女を励ます意味を込めてリュシアに話した。


「ゾロスの霊廟と言う場所は実際にあったのだろ?ならば、他の場所も存在する可能性は、かなり高いはずだ。まだ諦めるには早いぞ」


「そう……ですよね……」


レクスの言葉を聞いたリュシアは、一筋の光を見た気がした。


(きっとあるんだ、きっと……だから、頑張らないと!)


ダリオは本を閉じると、再びリュシアの方へ視線を向け、口を開いた。


「この本は……世界の謎を解き明かす重要な資料の一つになるな……ってことはだ……」


彼に続いてジルメイダが腕を組み、喋った。


「価値のある資料として、新しい発見になるだろうね」


「そうなると、この本はギルドから魔法学院に行って、それから大図書館行きになるだろうな。見ることが出来るようになるには、時間がかかるだろうよ」


2人の話を聞いたユラトは、リュシアに尋ねた。


「……どうする?リュシア」


「お前が、この本を買い取って俺らが黙ってやってもいいんだぜ?俺らは、お前ほど興味はねぇからな。その代わり、きっちり金は払ってもらうぜ」


「えっと……」


彼女は考えた。


(たくさんの人に知ってもらった方がいいよね?……その方が見つかりやすくなるかも……)


リュシアはそう考え、本を買い取らない選択をした。


「その本は、ギルドに渡してください……だけど、渡す前に良く読んで紙に書き写しておいていいですか?」


「お前がそれでいいならそうしな」


ダリオがそう言うと、ジルメイダは彼女の肩に手を置いた。


「しっかり読んで書き写しておくんだよ」


「……うん、そうする(これでいいよね?……)」


ユラトは自分のことのように嬉しかった。


(良かったね……リュシア……きっとあるはずだ……ヴァベルの塔は……)


ダリオは立ち上がって、本をリュシアに渡した。


「よし、話はこの辺にしておこうぜ。そろそろ野営の準備をしないとな……」


リュシアは本を受け取り、両腕で抱きしめた。


(しっかり、読んでおかなきゃ!)


ジルメイダは、辺りを見回した。


「すっかり暗くなっちまってるねぇ……」


彼らは夜の闇の中にいた。


「とにかく行こう……」


ユラトがそう言って、この場所から去ろうと歩き出したとき、茂みから何かが現れた。


「………ガサガサッ」


ユラト達は、一斉にその場所を見た。


「―――なんだ!?」


茂みをかき分けて現れたのは、なんと真っ赤なウーズだった。


身構えながらユラトは仲間に尋ねた。


「あれは……フォレスト・ウーズ?」


レクスは目を細め、赤いウーズを見ていた。


「いや、あの色を見ろ。あれは血の色だ……どこかで血を吸ったんだ!」


彼の言う通り、ウーズ達は全身赤く染まっていた。


良く見ると目まで赤く充血していた。


ユラトは、魔物の名前を呟き、レクスに尋ねていた。


「ブラッド・ウーズか……能力はどうなんですか?」


レクスは魔物を見詰めながら答えた。


「なんの血を吸ったのか……それにもよる……そして最も好戦的なウーズだ……しかし、これ以上近づかなければ大丈夫だ……だがもし、近づいたら……すぐに襲ってくるぞ……」


ウーズを見ていたジルメイダは、何かに気づいた。


「―――あれは!?……ダリオ!ウーズのいる辺りを照らして見ておくれ!」


彼女の顔を一瞬見た後、ダリオは女戦士の言う場所の方へロッドを掲げた。


「……ああ、いいぜ……」


その場所は魔法の青白い光に照らされた。


「………」


黒い霧から続々と赤いウーズ達が現れているのが見えた。


更にウーズたちの周りを良く見ると、その辺り一帯の木は、根元辺りから折れ、なぎ倒されていた。


その木々を避けるように、赤いウーズ達は移動していた。


ユラトたちは、その異様な光景に驚き、恐怖心を抱いた。


「―――これは!?」


ダリオは、やや青ざめた表情で大地の掃除屋と呼ばれる魔物を見ていた。


「おいおい……どんだけ血があったんだよ……」


すぐにジルメイダが、皆に警戒を促した。


「良くない場所に来ちまったみだいね……みんな!円陣を組んで周囲に気を配っておくれ!」


ユラトたちはすぐに集まり、円陣を組むと、武器を構えた。


彼らは、しばらく辺りを静かに見た。


「………」


木々が広い間隔でまばらに生え、見上げると綺麗な星空が見えていて、その下を20匹前後の真っ赤なウーズが、列をなして最初に見た時よりも早く移動している。


だが、その速度は馬や犬が走るような速度ではなく、人がやや早めに歩くぐらいの速さでしかなかった。


(あのウーズの数を考えれば、相当の量の何かがいたことになるな……一体、何が……)


ユラトは注意深く周辺を見ていたが、特に先ほどと変わりはなかった。


「どうなっている……」


「ダリオ、サーチできるかい?」


ジルメイダにそう言われたダリオは疲れを見せ、顔の片側を歪めながら答えていた。


「……ちょっと厳しいかもな……体がまだ重いぜ……もう少し時間をくれ……今の俺じゃ……ファイアーボールの一つも出やしねぇ……」


「じゃあ、俺がやります!」


すぐにユラトがダリオの代わりに、マナサーチを唱えた。


「……我が体内に宿るマナよ、四散し、魔力を感知せよ……」


星が散りばめられている夜空にユラトが手を伸ばすと、4つの魔法の光が放たれた。


「……マナサーチ!」


彼はすぐに目を閉じ、辺りの様子を調べた。


(ダリオさんほどの精度はないけど……魔物ぐらいなら、俺にでも十分わかるはずだ……)


ユラトは、必死に周囲を探った。


(向こうから感じるのはさっき見たウーズ達だな……それ以外は……うーん……特に何もないような……)


何も感知しないまま、彼のマナサーチの魔法の効果は切れた。


ジルメイダが、ユラトに結果を尋ねていた。


「ユラト、どうなんだい?」


彼は、そのままを伝えた。


「……特に、何も感じなかったかな……この辺りにはいないみたい」


槍を構え、周囲に目を光らせながらレクスは話した。


「……黒い霧の向こう側なのかもしれんな……」


ジルメイダも武器を構えながら闇の世界を見詰めた。


「ウーズどもが出てきたのは、向こうだからね……」


彼女の言葉を聞いたダリオは構えを解いた。


「今、とんでもない化け物が出てきたら、やばいぞ。とにかくここから、早くずらかろうぜ!気味が悪くてしょうがねぇぜ……」


リュシアは不安げな表情で何度も無言でダリオの言葉にうなずいていた。


「………」


それを見たジルメイダは、この場を去る事に決めた。


「あとは、冒険者ギルドの調査隊にまかせたほうがいいね……」


「そうだぜ、金にならん戦いなんて、真っ平御免だ」


「ユラト、あたしは警戒しているから、あんたは、地面にホークスアイを調査地として埋めておいておくれ」


「わかった!」


冒険者達は黒い霧を払った領域の中に何かがあった場合に、他の冒険者が、そこに近づかないようにするためや、ギルドの調査隊が調べられるようにするためにホークスアイを3つ、直線で結ぶと正三角形になるように、地面に埋めると言うルールがあった。


そして埋められた領域や場所を『デルタエリア』や『ホークスデルタ』と呼んでいた。


そうすることで、マナサーチなどで確認しやすくなるのだった。


ユラトは、すぐにホークスアイを地面に言われた通り埋めた。


「よし………できたよ!」


ジルメイダは、魔道師の男に体調を尋ねた。


「どうだい、ダリオ、歩けるかい!?」


ダリオは、だるそうにロッドを杖代わりに使い、歩き出していた。


「……ああ……歩くならなんとか大丈夫だ」


その言葉を聞いたジルメイダは武器をしまった。


「それじゃ、ここからさっさと離れるよ!」


「なら、ウーズからも離れよう。みんなこっちだ!」


ユラトがパーティーを先導し、歩き始めた。


「星が綺麗だ……」


そのときレクスは、空を見上げていた。


暗くなったこの場所から空を見上げると、無数の星が輝き、そして集まり、大きな河を生み出していた。


一瞬、強く光を放った流れ星が一つ、流れた。


それを見たリュシアは、受け取った本を膝に置き、両手を組み祈った。


(どうか、何も起こりませんように……それと、ヴァベルの塔へ辿り着けますように……ファルバーン……ディール……)


この森で何かが起き始めたのか。


誰にも分からなかった。


夜空に流れる星の大河が放つ光は、フェイ・ファディアスのいた時代と変わらぬ輝きを生み出し、彼ら冒険者を静かに照らしていた。

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