第十一話 新たなる旅立ち

人間たちの生存圏が広がったことによって、様々な物が生まれつつあった。


薬草の種類であったり、観賞用や園芸用の花、染料や塗料、香水、より安価で品質の良い紙など、他にもたくさんあった。


また、物だけではなく、様々な仕事も増えていた。


人間たちは、忙しく日々を過ごしていた。


開拓された町を警備する仕事、物資を運ぶこと、家を建てたり、船を作ったり、田畑を耕す者、服飾関係に携わる者や食べ物を加工する人々などがいた。


そして、新しく発見されたものから、新たな今までに無い仕事なども増え、どこも人手が足りない状況だった。


人々は、今、爆発的に増え、様々な消費活動をし、かつてない熱を帯びていた。


ここは、オリディオール東側の町、バルディバ。


その町にある料理屋に客として入ったポルキン・ウォードと言う男がいた。


ブラウンの癖のある髪で小太りの温和そうな男だった。


この男は、ラプル農園で有名なウォード家の長男でガイン・ウォードの兄でもあった。


彼は、様々な場所に行き、その場所にある食べ物を紹介する本を出していた。


今日も、彼は今いる店の料理のことを書こうと料理を待っていた。


(少し、古めかしいけど、いいな……この雰囲気……嫌いじゃない……)


店はあまり繁盛していないのか、客はポルキン一人だった。


年老いた老夫婦が2人で店を切り盛りしている所だった。


そして、一人の老人が部屋の奥から現れ、木製の少し大きめのカップに入った料理を持ってきた。


「すまんのぅ、待たせて、ほいっ、持ってきたぞい。食べてくだされ……」


「おお、ありがとうございます、来ましたか!」


ポルキンは料理を受け取り、カップの中を覗いた。


湯気が少しだけ、立ち上がり、良い香りのするスープだった。


(これは、うまそうだ……早速食べるか!)


彼は、木製の少し大きめのスプーンで淡い琥珀色の液体をすくい、飲んだ。


(……ほう、少しぬるいな……もっと熱めのスープが好きなんだが、まあいいか……これは、魚介類の出汁だな……うまみがあって、美味しい……独特の臭みがないところを見ると何かで匂いを消しているな……なんだろうこれは……この後に引く美味さ!……しかし、勉強になるなぁ、今回も!)


彼は、スープの味に満足しているようだった。


そして、もう一杯飲もうとしたとき、奥から年老いた女性が現れ、ポルキンがスープを飲んでいるのを見て驚き、叫んだ。


「あれまあ!お爺さん!これは、お爺さんがさっき食べてたやつでしょ!こっちがお客さんに出す方でしょうが!」


「えっ……」


「ありゃ……そうだったかのぅ……」


「すいませんねぇ、お客さん。こっちがうちの料理です。お詫びに地酒付けときますねぇ。ほんとにごめんなさいねぇ……最近うちのお爺いさんボケちゃってて……」


謝ると彼女は、先ほどとは違う野菜の具の入った熱々のスープを運んできた。


それを見たポルキンは天上を見上げ呟いた。


「料理の道を極めるのは……遥か遠いんだな……」


その後彼は、その店でスープを堪能し、店を出た。


(はぁ、ちょっと酷い目にあったけど、良い夫婦だったし、料理も美味かったから……何も言えなかった……ふぅ……まだ、お腹に入りそうだし、もう一軒行っとくか!)


彼は気を取り直し、しばらく歩いていた。


「やっぱり、東側最大の町と言われるだけあって、大きな町だなぁ……」


古い建物が立ち並んでいる場所を彼は歩いていた。


多くの人が行き交い、道はどこも混雑していた。


あてどなく歩いていると海が見えてきた。


「おお、こっち側が海か!アートスの海と少し違うのかな?」


海をしばらくポルキンは眺めた。


潮風が、彼のブラウンの髪を揺らした。


「良い風だ……」


冒険者の乗った船が、港を出て行くようだった。


(新発見、見つかるといいなぁ……頑張れよ、冒険者たち!)


彼の実家は、それなりに裕福であったため、あまり売れない本でもポルキンは生活することができていた。


今のところ、こういった本を書けるのは、金持ちの道楽程度でしかなかった。


海の近くを歩いていると、一軒の宿屋が目に入った。


角笛の絵が描かれ、その中に『オリファン』と字が書かれていた。


どうやら、この宿屋の名前のようだった。


ポルキンは、宿屋の外観を見た。


(今日は、ここに泊まることにするか……泊まる場所、さっさと決めておいたほうがいいしな……料理も出るみたいだし……しかし、この宿屋、古い部分と新しい部分があって、良い味出してるな……こういうの好きなんだ……気に入った!ここにしよう!)


彼は嬉しそうに宿屋に入っていった。


ユラト、ジルメイダ、ダリオの三人がレクスのところに到着したときには、既に瀕死のウッドエルフは息を引き取っていたようだった。


沼の近くに、その人物は倒れていた。


女性のウッドエルフだった。


レクスは何度もそのウッドエルフの名前を呼んでいた。


悔しそうに目に涙を少し滲ませ、回復魔法を唱えていたリュシアも途中で詠唱を中断し、その場で泣いていた。


その光景を見たユラトは深くため息をつき、立ち尽くす他なかった。


(間に合わなかったか………)


その後、彼らは全員の埋葬を済ませ、村へ帰った。


村にたどり着くと、いつもの宿泊場所へ入った。


冒険者達はウッドランドから徐々に、このウディル村へたくさん来ていた。


そのため、いくつもの建物を宿屋として使う事になっていた。


そして、冒険者ギルド用の建物や料理やお酒を出す店も現れ、ここに来た当初よりも人間たちが利用する施設は、かなり増えた。


レクスは村に着くとすぐに「用事がある」とだけ言い、一人でどこかへ向った。


ユラト達は、今日の報告と壺の鑑定を頼みに、新しく作られた冒険者ギルドがある建物へ向った。


鑑定士は、冒険者ギルドや酒場などにいることが多いようだった。


ギルドの建物は、長方形の平屋で、簡素な造りだったが基本的な機能はちゃんと備わっていたので、特に問題はなかった。


そしてユラト達は、いつものように冒険者ギルドへ入った。


ダリオは、すぐに意気揚揚として、鑑定士の所へ壺を持って行き、鑑定をしてもらった。


どうやら、ダリオの目利きは正しかったようだ。


本物の名のある職人が作った物だった。


それなりの額のお金が、パーティーに入った。


その後、ユラト達は相変わらず、森での旅を続けていた。


森に住む動物との戦闘や、黒い霧の邪気にやられた野鳥たちを退けながら、森に太陽の光を取り戻していった。


帰り道に、他の冒険者の一団と出会うことも増えていた。


どうやら、ユラト達のいる東の方にも来始めているようだった。


そして数日が経った、ある日。


大きな情報が、この広大な森の霧を払っている冒険者達のところにも、もたらされていた。


ユラト達がいつものように、探索から帰って来た時だった。


レクスは村が見えると、すぐに例の特訓のため、族長の家に向ってしまった。


どうやら、それなりに上手くいっているようだった。


最近、特に彼は頑張っていた。


ラグレスとの出会いや、亡くなってしまったウッドエルフの女性の事を思い、やる気をみなぎらせているようだった。


そして、それ以外のメンバーはいつも通り、村に入った。


すると村にいる冒険者達が、いつもと違う雰囲気であるのをユラトは感じ取った。


(あれ、今日はなんか……)


リュシアもすぐにそれを感じたようだった。


そのまま、思ったことをジルメイダに聞いていた。


「ジルメイダ、なんか今日は騒がしいね?」


ジルメイダは何か考え事をしていたようだったが、それをやめ、辺りを見回した。


「……そうだね。何か発見でもあったのかねえ……」


ダリオもいつもと違う雰囲気に、少し怪訝な顔をしながら話していた。


「何がありやがったのか……ま、ギルドに行けば分るだろ、今日の報告もあるし、行こうぜ」


ユラト達はギルドへ向った。


ギルドの中は、いつもより人だかりが出来ていて、多くの者がパーティーで集り、何やら話し込んでいた。


ダリオは、知り合いの冒険者がいたらしく、話し掛けに行っていた。


そしてユラトが掲示板の近くに、特に人が集まっていたのを見つけ、呟いた。


「……ん、やっぱり……ここもなんか今日は様子が少し違う……なんだろ」


ジルメイダとリュシアは、お腹が減っているようだった。


興味が無いと言った感じで、出口へ向った。


「あたしは、リュシアと食事に行ってくるよ。情報は後で教えておくれ!」


「うん、わかった」


リュシアは待ちきれないのか、ジルメイダをせかしていた。


「じゃあ、ユラトさん、お願いします!ジルメイダ、早くいこー!」


「こら!あんまり勢い良く走るんじゃないよ!はぁ……この子は……」


2人を見送ったユラトは人込みを掻き分け、掲示板に貼られた紙を見た。


すると、そこには『新大陸発見』の報が書かれていた。


ユラトは驚いた。


「―――!!やはり、ここ以外にもあったのか!」


新大陸発見!


それは、オリディオール島から東の海域にあった。


正確には、島の東の海域の更に東に、小さな小島が集まっている所があった。


そこを東のギルドは、物資などを運び、探索の為の拠点としていた。


この小島の集まった場所を、発見した商会の名前から『ゴレア』群島と言った。


そして、その群島から南の海域はなぜか、年中、嵐のような強い風が吹き、高い波があり、到底近づけるものではなかった。


人々は南の海域は諦め、東と北へ進むことにした。


東の方は、どれだけ進んでも今のところ大海原が広がっているだけだった。


だが、北の方へ進んだ冒険者達は、大きな陸地を発見したのだった。


ユラトは、発見者の名前を見て更に驚いた。


「発見者は……ゼグレム・ガルベルグ!!」


周りの冒険者達は口々に言っていた。


「またしても、ゼグレム!」


「凄い!彼に出来ないことは無い!」


「なぜ、こうも見つけることが出来るのか?」


ユラトも他の冒険者達と同じ気持ちだった。


(凄い人だ……ラグレスさんは、本当に戦うつもりなんだろうな、きっと……)


この場にいる冒険者達は皆、話し合っていた。


このまま、この森に留まり、ハイエルフの国を探すか、新しく見つかった陸地へ行くか。


それはユラト達のパーティーも例外ではなかった。


レクスは、「この森に留まる事以外は考えられない」と言って留まることを決めていた。


ユラトとリュシアはジルメイダ達が、「このまま残るのなら鍛えてもらった方がいい」と思い、残ることにしていた。


そしてジルメイダは、「せっかく戦力が揃いそうなのに、無理して行く必要はない」と言い放ち、このまま続ける事を決め、ダリオは、ジルメイダが残る事を決めると「自分も残る」と言った。


ユラト達は、この森に残りハイエルフの国を探すことを、もうしばらくすることに決めたのだった。


その後、数日経つと冒険者は当初の半分ほどの人数になっていた。


半分近くの者が新しく発見された場所に興味を持つだけでは我慢できなかったようだった。


またウッドランドから西と北側辺りまでは、ほとんど調べ尽くされていて、西の端から北の方に向けて、標高が高く険しい岩山が連なっていると言う事だった。


残った冒険者達は、殆どがこのウディル村を拠点として冒険をしていた。



そして同じ頃、場所は変わり、新たな旅立ちを再び迎えようとしている者がいた。


ここはオリディオールの最東端にある町、バルディバである。


島の西側に近い所で新大陸が発見されたため、この町は、ついこの間まで寂れかかっていた。


だが、この町は最近、再び活気付いていた。


東側の冒険者の大冒険の末、ここから遥か北東方向に新しい陸地と思われる場所を発見することが出来たからだ。


それに伴い、多くの冒険者たちが、この町に集まっていた。


また戻ってきたのは、冒険者たちだけでは無く、商人たちも同じだった。


バルディバには、数多くの商会の本拠地が、この町にあった。


オリディオール東側のマルティウス地域は、島の中でも比較的安定した気候の地域だった。


そして、西のラーケルは農業地帯が広がり、中央のゾイルは山や森林の多い土地であった。


そこで富裕層は、東の地域に住居や別荘などを建て、住んでいた。


彼らが住むことにより、供給網が整備され、商業が発達したと言われている。


いくつもの道を作り、より速く走るための馬の品種改良、そして、さらに多く快適に運べる馬車や船の開発といったことが行われていた。


しかし近年、商人達は西側で商いを行う者がほとんどだった。


支店を西の新大陸に作り、取引を活発に行っていた。


また、本拠地を新大陸に移す者も出始めていたほどだった。


だが、東側で新しい大陸らしき場所が発見されたため、商人たちは東側の権益を獲得する為に東へと戻ってきていた。


町の造船所には、西の新大陸から運ばれた木材などが積み上げられ、船が次々造られていた。


オリディオールにある木より、耐朽性や耐水性に優れた『ヒバル』と言われる木が見つかったことにより、探索や輸送に優れた船を造ることに成功していた。


他にも、娼館、劇場、競馬場、競売所などがあり、お金を持った人々が熱の篭った声で目的の品を競り落とそうと声を上げていた。


バルディバに人や物が、再び集まりつつあった。


そして、それはある一軒の宿屋にも経済的な恩恵をもたらしていた。


その宿屋から元気な声が聞こえた。


この宿屋の名前は『オリファン』と言った。


由来はわからないが、看板のところに角笛の絵も描かれていた。


「ありがとうございました!またのご利用を!」


赤毛の青年が宿泊客を元気な声で送り出していた。


そして青年と同じく、燃えるような赤い髪をもった中年の女性が奥の部屋から現れた。


「デュラン!ここはもういいわ、あとは私がやるから。あなたはまた、冒険者になって行きたいんでしょ?」


デュランと言われたこの青年は、ユラトと共に冒険をしたデュラン・マーベリックであった。


彼はユラトと別れたあと、無事にバルディバにある実家に着くことが出来た。


そしてしばらく、実家の母が経営している宿屋を手伝っていたのだった。


彼の家はバルディバの町でも海に近い場所にあった。


宿泊する部屋から日の光が入り、外に目を向けると海の景色が見える、見晴らしの良い場所に建っている宿屋だった。


それを両親は気に入って苦労の末、この中古の物件を買い取り、直せるところを綺麗に建て直し、再び宿屋として利用していた。


デュランは、その女性に期待を込めて聞いていた。


「お袋……いいのか?」


この女性はデュランの母親で、名を『アンジェ』と言った。


彼女はデュランが、宿屋の仕事の手伝いをする合間を見つけては、体を鍛えていたことを知っていた。


息子が帰ってきたとき、無事に戻ってきてくれたことが一番嬉しかった。


そして、冒険から帰ってきた息子の顔を見た時に思った。


(デュラン……冒険に出て行ってから何かがあったようね。ここにいた頃より、そう……決意……かしら……なにか、あなたの顔や雰囲気からそう言った強い意志を感じるわ……あなたは何も危険なことは無かったって言うけれど……だけど、その顔を見れば母さんには分るわ。あなたが死線を渡り歩いたってことぐらいわね……それでも、また冒険者として、世界に、あの黒い霧に包まれた暗黒世界へ行きたいのね……ふふっ、なんだかお父さんに、そっくりになってきたわね。そういうところ……あなたは否定するんだろうけど……)


ずいぶん、大人びたように母には思えた。


そして、やさしい眼差しを息子に向けながら母は話した。


「ふふっ、あなたが手伝ってくれたおかげで、もう大丈夫よ。それにこっちにもたくさん冒険者が帰ってきたしね。あなたの代わりの人を雇うぐらい出来るわよ。だから、安心して行ってきなさい。冒険者となって、もっと広い世界に出たいんでしょ?」


「お袋……俺は……」


デュランが帰ってきてから母親は体調を元に戻していた。


宿屋にも余裕が少し出てきた。


薬もたくさん採ってきたものがある。


自分の心にはユラトとの約束や、もっとお金を稼いで母を楽にしてやりたい気持ちなどがあった。


「それに、父さんもどこかにいるかもしれないからね。あなたに探してきて欲しいわ……『ローランド』……」


(あいつをまだ待っているんだな……お袋は……あんな奴を!)


デュランは怒りの篭った表情で母に話し掛けた。


「安心してくれ、お袋……見つけて来るよ。あの野郎は絶対見つけてくる!」


「デュラン、父さんをローランドを許してあげて……きっと何かあるのよ」


「だめだ!あいつは、あいつだけは……」


「デュラン……私とシュリンは、もう許したの……」


「2人はそれでいいさ。だけど、俺はどうしてもダメなんだ!」


デュランの心に深い傷を負わせていることを母は知っていた。


(まだ、ダメみたい……まだまだ時間が必要……ね……だけど、いつの日か……)


母は表情を元に戻し、息子に語りかけた。


「それはそうとデュラン、ふふっ、いつでも出れるように準備もしてあったの母さん知ってるのよ」


デュランは驚いていた。


「げっ、ばれてたのか!」


母は遠い目をしていた。


彼女は自分なりに、この世界の事を想像しながら息子に話し掛けた。


「当たり前よ。母さんのことは心配しないでいいの……だから、行って来なさい、広い世界へ。そこには何があるのかしら……母さんなんかには想像もつかないわ……ここよりもっと高く、遠い場所へ……あなたが出会ったって言ってた、そのお友達と……ね」


デュランは母の元気な姿を見て、行く事に決めた。


「わかった、ありがとう、お袋!俺、行って来るぜ!」


「ふふっ、それでこそ、私たちの息子よ」


アンジェは笑っていたが、どこか寂しそうな表情だった。


しかしデュランは、冒険者になって旅立つことで頭の中が一杯であったため、母の表情を見ることなく、この場所から離れた。


すぐに自分の部屋へ行き、皮の鎧を装備し、母が卒業祝いにくれた淡いブルーのマントを羽織った。


そして、他にも色々準備を整え、すぐに実家を出た。


母は見送ることはしなかった。


夫を最後に見たのは見送ったときだった。


彼女にとって見送ることは不吉なことだった。


だから、いつも見送ることはしなかった。


デュランもそれを知っていた。


だから、宿に泊まりに来た客に紛れて、軽く外出するかのように彼は短く「行って来る」とだけ言って家を出た。


母は無言で頷き、すぐに接客をしていた。


(子供は、親から巣立っていくもの……そうよね?……ローランド……ちょっと寂しいけど……だけど、私は2人の子供が元気でいてくれれば、それでいいの……行ってらっしゃい!デュラン!)


デュランは、母の表情から彼女の言いたい事を感じ取り、同じように無言で頷くと実家の宿屋を後にした。


(ありがとう、お袋!……俺、行ってくるぜ!そして、あいつも必ず!)


家を出た彼は人込みを掻き分け、バルディバの中心地から郊外へ出ていた。


町は冒険者や商人、他にも近隣の村などから人々が来ており、活気があった。


デュランは、歩きながら辺りを見回し、この町に活気が戻ったことを嬉しく思っていた。


(……熱気を感じるぜ!これなら、うちの宿屋もしばらくは大丈夫だろ。俺は俺できっちり稼いでおくか!)


彼は馬を借りるために、町外れの海沿いにある馬屋へ向った。


バルディバはアートスと同じく港もある。


その規模はアートスよりも大きかった。


時間は、まだ昼になったところで日が高く昇っていた。


デュランは空を見上げた、雲が殆ど無い広い空を。


「昨日は結構雨が降っていたが、今日は晴天だな、旅立ちには丁度いいぜ!」


デュランが言った通り、昨夜から早朝にかけて雨が降っていたようで、道の至るところに水溜りが出来ていた。


彼は、その道を歩き始めた。


歩きながら海の方に視線を向ける。


海面に日の光が当たり、キラキラと光っていた。


海鳥がその上空を飛び、潮風が吹いた。


鳴き声が、たくさん聞こえた。


彼はなんとなく、その鳴き声の方を見た。


船がたくさん港に入ってきているところだった。


(海は良いな……心が落ち着く……)


しばらくデュランは景色を見ながら歩いていた。


(やべ、景色に見とれちまってた……馬を借りないとだめなんだったな……確かこっちに馬屋は……この海岸沿いに歩いた町外れにあったよな?)


デュランは僅かな記憶を頼りに海岸沿いに歩いた。


この辺りにはあまり人がいないのか、たまにゆっくりと走っている馬車や旅人とすれ違う程度だった。


歩いていると砂浜が途切れ、岩が海面から出ている場所の近へたどり着いていた。


この辺りになると人は殆ど見当たらなかった。


(ちょっと行き過ぎちまったか?)


デュランは不安になり、辺りを注意深く見回した。


すると、岩の辺りに人の手が出ているのが見えた。


(―――なんだありゃ……誰か人がいるのか?)


デュランは倒れている人を助けるために、岩場に向った。


急いで彼は、その岩場にたどり着いた。


デュランは、その人物を見た。


(やっぱり、人だったか……しかし……)


そこには背中まであるウェーブのかかったパールティール(艶のある暗緑色がかった青色)の髪をもった女性が、上半身何も着ていない姿で気を失い、お腹から下を海水に浸けたまま、岩に張り付いていた。


(女だ!なぜこんな場所に?……)


デュランは声をかけた。


「おい!大丈夫か?……おい!……だめだ……完全に気を失ってやがる……」


デュランは、とりあえず体をこれ以上冷やしてはいけないと思い、この女性を海から引き上げようと近づいた。


彼女の下へたどり着くと、すぐに両脇に手を入れ、力一杯、引張り上げる。


気合を入れたため、思わず声が出てしまう。


「おりゃあ!」


徐々に体が水面から離れていく。


すると全体が見え始める。


そして、それは驚くべき姿だった。


なんと、この女性の下半身は魚のように鱗で覆われ、ヒレまで付いていた。


「―――!?こいつは!!なんだ!?」


デュランは驚き、混乱し、どうして良いのか分らなかった。


(おいおいおい……いきなり、なんなんだよ!……お、落ち着け……デュラン・マーベリック!……まずは冷静になるんだ……)


デュランは辺りを見回し、その後、深呼吸をし、心を落ち着かせようとした。


辺りに人はいなかった。


岩場の波も穏やかで、海の景色も先ほどと変わらず、キラキラと光る海面が広がっていた。


(ふう……しかし、どうする?……まずは……)


彼は、一気に引き上げると、抱きかかえ、降ろせるところまで急いで運び、そこへたどり着くと、今度は傷つけないように、ゆっくりと地面に仰向けに寝かせた。


少しだが、彼の心は落ち着いた。


(なんとか引き上げられたぜ……)


辺りは、岩場でちょうど大きな岩に囲まれた場所の中心に平べったくなっている場所があった。


そこにデュランは、彼女を降ろしていた。


そして彼は、この女性へ視線をやると、裸であったのを思い出し、慌ててデュランは自分の着ているマントを脱ぎ、彼女に着せた。


(やべぇ!こいつ裸だった!まずは、俺のマントでいいか……)


謎の女性をマントで包むことに成功したが、足の尾ひれの部分は少し見えていた。


(なんとか隠すことは出来たな……しかし……)


デュランは先ほどよりは冷静さを取り戻し、右手の人差し指と親指で顎を弾きながら、どうするか考えていた。


(……よし、さっきより落ち着いてきた……どうするか、ちゃんと考えるか……こいつは俺の記憶が正しければ、間違いなく『人魚』だ……人魚なんて存在したんだな……)


この世界の古代の書物などによれば、人魚とは女性の場合、上半身が人間で、へそ辺りから下の半身が魚類と同じように鱗に覆われ、そして尾ひれを持った存在である。


女性の人魚の上半身は、美しい人の姿をしている。


玉のような滑らかで綺麗な白い肌、ぱっちりとした大きな目に長いまつげ。


髪は艶があり、まるで真珠のような輝きを持った美しい髪だと言われている。


また、人を惑わす美声を持つと言われていた。


そして男の場合は『マーマン』と言い、人の姿に似ていて、ひれの付いた2本の手足を持ち、全身硬い鱗に覆われた姿をしている。


どれだけ年齢を重ねても、姿は若いままであるため、人魚の肉を食べると不死や若さを手に入れることが出来ると言われている。


(これは新発見になるんだろうが、ギルドに引き渡したら見せ物にされるのがおちだろうな……流石にそれはできねぇよ……うーん……勢いで引き上げちまったが、どうする?)


デュランは、引き上げることに成功したが、どうしていいか分らなかった。


(……そうだ、こいつ生きてたよな?)


デュランは人魚の顔の近くに顔を寄せ、息をしているのか確かめようと顔を近づけた。


(こうして見ると結構、綺麗さと可愛さを合わせ持った愛らしい容姿をしているんだな……って何を考えてんだ、俺は!)


確かに彼の言う通り、この人魚の女性は、人間の男なら誰でもとは言わないが、それなりの数の人々が魅力的に見える姿をしていた。


優しそうな二重の大きな目、綺麗な髪、整った形の薄い赤色の唇。


デュランが、色々なことを考えながら、息を確認しようとしたとき、僅かだが人魚に動きがあった。


彼女が寝返りを打つような動作をし、その後、目を薄く開け、目覚めだした。


「……う~ん……―――っ!?……あなた……何してるんですか?」


人魚の女性が目を覚ました。


彼女は思ったより冷静にデュランに、この状況の説明を求めてきた。


デュランはそれもあってか余計に驚いていた。


「うおっ!びっくりした!お前、やっぱ生きてたんだな」


人魚の女性は半身だけ起き上がると、辺りを見回しデュランに今自分がいる場所について聞いていた。


「えっと……ここは?」


「お前に分るかどうかはわらねぇけど、一応言っといてやるが……ここは、オリディオール島の東側の町バルディバってところだ」


彼女には良く分からなかった。


「オリディオール?……バルディバ?」


「……やっぱりお前、分ってなさそうだな」


その時、彼女は突然、焦りだしていた。


「―――はっ!私、この姿のままだった!」


「もうおせぇよ、お前……人魚だろ?」


人魚だと言われた彼女は、呆然とした表情で呟いていた。


「どうしよう……見られてしまった……」


デュランは、とりあえず助けられたことに満足していた。


(とりあえず、元気そうで良かったぜ……人魚がいるのには驚いたが……ま、どうするかは、こいつにまかせて俺は予定通り、西に行くことにするか……)


彼は気にすることなく、この場を去ろうとした。


「まあ、見られちまったもんはしゃーねぇな!俺は、用事があるからよ、後はまあ、頑張れや!」


デュランが歩き出そうと背を向けた瞬間、呼び止められた。


「待ってください!一緒に持ってきた小さな袋を見ませんでしたか?」


「ん……俺は見てねぇな。さっきお前がいた場所の辺りにあるのかもな。ほら、その辺りのはずだ」


デュランは彼女を引き上げた場所の辺りを指差した。


「そうですか……すみませんが、一緒に探してくれませんか?」


「まあ、それぐらいならいいぜ。けどよ、お前、その足だと向こうまで行けないよな……俺がもう一度海まで運んでやるか……」


「あ、大丈夫です」


そう言うと彼女は、手を合掌させ、なにやらぶつぶつ小さな声で魔法を唱え始めた。


そして、すぐに完成させ、僅かに光った両手のひらを人間であれば太ももと言われる辺りに、それぞれ別の場所に手を付け、そのあと足先の方へ払い、魔法を発動させていた。


「……バブルトランスフォーム!」


すると、この人魚の魚のように鱗と尾びれがあった下半身部分に泡のようなものがたくさん湧き出てきた。


瞬く間に彼女の半身は、ぶくぶくと音を立てた泡に包まれた。


しばらくして泡に包まれた部分が一瞬強く光った。


デュランは光の眩しさに一瞬目を閉じ、驚いた。


「今度はなんだよ!」


すると今度は、その泡が地面に落ちていくのと同時に魚のようになっていた部分の鱗が、ぼろぼろと泡と共に剥がれ落ちていき、そこから2本の綺麗な白くて長い足が現れていた。


人魚だった女は立ち上がり、軽く会釈すると名を告げてきた。


「そういや、名前聞いてませんでしたね。私の名前は『エリーシャ』と言います。助けてくれてありがとう!」


立ち上がるとエリーシャは、デュランより少し背が低かった。


デュランは目と口を開き、驚嘆していた。


「……まじかよ……お前、足あるのかよ!……」


エリーシャと名乗った人魚の女性は、デュランとは違い、冷静に足の理由について説明をしていた。


「私たちの伝承では、神々の戦いの時に、海を任せる者がいなかったので、その時に神がある一族にある約束をし、人の一部を魚に変え、海に放ったのが始まりだと言われています。ですから、元々はあなた達、人間と同じだったんですよ」


彼女の説明を聞きながら、なんとか冷静さを取り戻していたデュランは、思い出していた。


「エルガイアの創世伝説の一つにそんなのがあったな……学校で習ったぜ……だが、本当に人魚なんて存在したのかよ……」


「はい、ここにいます!」


エリーシャはデュランの目の前でくるりと回って見せた。


美しいパールティールの髪がふわりと彼の目の前で踊る。


エリーシャは無邪気な笑顔で愛らしく、太陽の光が当たった髪は美しく、魅力的な女性に見え、一瞬デュランはその光景に心を奪われた。


(人魚って……結構かわいいじゃねーか……)


「あれ、どうかしました?」


デュランは少し顔を赤らめ、顔を見られないように背を向けていた。


「な、なんでもねーよ!それより、袋を探すんだろ」


「あ!そうでした、お願いします……あ、そうだ!名前なんて言うんですか?」


「デュラン、デュラン・マーベリックだ」


「デュランですね。分りました。じゃあ、よろしくお願いしますね」


「ああ、まかせろ」


2人は、彼女の倒れていた付近を重点的に捜した。


辺りは岩場だったが僅かに砂浜もあり、小さな岩の隙間にカニや小魚などがいた。


エリーシャは、熱心に探していた。


そして、しばらくしてデュランが、その袋らしき物を見つけていた。


紐がついていて岩場の浅瀬に引っかかるように落ちていた。


小さな皮袋でデュランが手のひらを広げたより、一回りほど大きいぐらいの大きさしかなかった。


だが、中にはぎっしり何かが入っているようだった。


見た目より重かった。


「おい、これか?」


「―――あっ!それです!ありがとう……良かった……」


エリーシャは凄く嬉しそうに、皮袋を頬に当て喜んでいた。


(大事な物みてぇだな……まあ、何はともあれ、良かった……)


そしてデュランは、もうここにいる理由は無いので、立ち去ろうとした。


「良かったな、んじゃ、あとは頑張れよ!」


「あの、待ってください!」


エリーシャはデュランを呼び止めた。


デュランは振り返った。


「ん、なんだよ?」


「あの、このマント……」


「ああ、どうせお前、あの町に行くんだろ?悪いけど、俺忙しいからよ。服買ったら、オリファンって言う宿屋があるから、そこが俺の家だからよ、そこにいる俺と同じ赤毛の女の人に、デュランから借りましたって言っておいてくれればいいぜ」


「いや、それだけじゃないんですけど……あの、まだ重要な……」


エリーシャは何かを話そうとしたが、それを遮るようにデュランが喋りだしていた。


「んじゃ、俺は行くからよ。じゃあな!」


デュランには聞こえなかったのか、彼はエリーシャの前から立ち去ってしまった。


(まだ、話終わってないのに……よし、こうなったら……)


エリーシャは決意に満ちた表情で、デュランの後を追って行った。


デュランは、やっと馬屋の場所を見つけることが出来たようだった。


「おっ!あそこだったか、よし……」


その場所へ向おうとしたとき、後ろをふと振り返ると、先ほどの人魚の女がデュランの後ろに付いて来ていたようだった。


裸足で水溜りを歩き、ぱしゃぱしゃと音をたて、いつの間にかデュランの近くまで来ていた。


「お前、なんで付いて来るんだよ?」


「私も付いて行きたくは無いんです……はい……」


「じゃあ、来るんじゃねぇよ!」


「あの、まだ話が……」


「俺は、ここで馬を借りてゾイルの町に行って、そこで安い乾物を買わないとダメなんだよ!」


「乾物ですか……だったら、塩クラゲ美味しいですよ!」


「おっ!お前分ってるな!普通乾物で多いのは干し肉とかドライフルーツが多いんだよ。だけど、俺は海の幸で育ったからなぁ。だから、干した魚介類持っていくことも結構あるんだ!嫌いな奴も結構いるんだが、そうかぁー」


「はい!」


「はははっ!」


「うふふふ!」


2人は、やや硬い表情で笑い合っていた。


しかしデュランが、その隙を利用しエリーシャに一瞬で背を向け、この場から去ろうとした。


「(今だ!)あばよ!!」


デュランは勢い良く走り出し、彼女の前から逃げ出した。


(ほんとに面倒ごとは勘弁して欲しいぜ!俺はすぐにでも西の新大陸に行きたいんでな!悪いな!)


「あっ……逃げた!」


それを見たエリーシャは、やれやれといった表情でデュランを見ていた。


「……はぁ、しょうがない人……こう言う手段は使いたくはなかったのだけど……」


彼女は自らの右の手のひらをデュランに向け、魔法を唱え始めた。


「……対象に水の束縛を! 『ウォーターバインド』!」


するとデュランの近くにあった水たまりから、突然何本もの水の鎖が現れ、デュランの腕や足に絡みつき、動くことが出来なくなった。



【ウォーターバインド】の魔法


水の魔法。


術者の周囲にある液体から、水で出来た鎖を出現させ、対象にその鎖を飛ばし、絡みつかせ移動や行動を制限させることが出来る魔法。


鎖の数を増やせば増やすほど、魔力の消費は高くなる。


術者の一定範囲内に液体がなければならない。



「くそっ!―――なんだこれは!」


デュランが驚いていると、エリーシャは左手の人差し指と中指を右の手の甲へ付け、開いた右手を彼に向けたまま、近づいてきた。


(これは、水の魔法だ!まだ水の魔法はほとんど見つかっていないのに……人魚たちは使えるのかよ……)


水の魔法は今のところ、一部の魔物たちが使用してくるだけで、人間達は扱うことはできなかった。


どうやら、人魚達は水の魔法に長けているようだった。


エリーシャは謝りながら近づいてきた。


「ごめんなさい……だけど、話を聞いて欲しくて……聞いてもらわないと困るんです……」


デュランはもがきながら叫んだ。


「まずは、これをどうにかしろよ!」


「逃げませんか?話を聞いてくれます?」


デュランは半笑いしながら答えた。


「……聞く、聞くから……早くしろって」


彼の半笑いした表情を見たエリーシャは、デュランが心を偽っていると判断したようだった。


「―――あっ、なんかうそ臭いです!私、そういうの騙されませんから!」


そう言うと彼女は、先ほどよりいっそう厳しく、水の鎖を増やし締め付けた。


鎖の数が増え、デュランの首の辺りまで鎖が這い回り、締め上げてきた。


「……おい、待て、ほんとに聞くって!……苦しい……逃げたのは悪かった!だから……うわぁ!」


デュランは苦しそうにもがいたが、水の鎖が彼の体にしっかり巻きついていたため、動かすこともままならなかった。


エリーシャは、今度こそ本気で自分の話を聞く気があるのか、疑いの眼差しをデュランに向け、再び聞いていた。


「……ほんとですか?」


デュランは、早くこの苦しさから逃れたいと思い、先ほどより真剣に答えていた。


「ほんとだ!ほんと!」


しばらく、2人は見つめ合った。


「そこまで見つめられたら……ちょっと……恥ずかしいです……」


エリーシャは少し顔を赤らめ、顔をしばしデュランから背けた。


水の鎖がデュランの首を絞め上げ始めていた。


「……おいっ!死ぬ!死ぬ!」


「あっ、そうでした……」


デュランは、先ほどより苦しそうに叫んだ。


「ほんとに逃げねえから、勘弁してくれ!」


「……分りました」


デュランが心を偽ってないと判断したエリーシャは、水の鎖を解くことにした。


彼女がデュランへ向けていた右手のひらを握ると、鎖だった水は普通の水に戻った。


するとデュランの体に纏わり付いていたために、彼は水で体中濡れてしまった。


「冷てぇ!」


「あ、ごめんなさい」


ようやく水の鎖から解放されたデュランは、頭を振って呟いた。


「……全く、ひでーめにあったぜ……」


彼は、自分の体が動くかどうか確かめていた。


体をひねり、肩を動かしながら、諦めたようにエリーシャに話し掛けていた。


「……んで、話ってなんだよ?」


「えっと、ですね……」


そう言ってエリーシャは、周りに人がいないか確かめ、誰もいないと分ると話をし始めた。


「デュラン……あなたは、私の本当の姿を見ましたよね?」


「本当って、あれか、人ぎょ……」


そのとき、エリーシャがデュランの口を押さえた。


「言ってはダメなんです!」


「なんだよ、そりゃ」


「私たちには、掟があるんです」


「……掟?」


「はい、それは同属以外の者に、さっきの姿を見られたならば、相手を殺さなければならないんです」


「―――え、まじかよ!じゃあ、お前、俺の敵なのか?」


デュランは警戒し、腰のウェストポーチから短剣を素早く取り出し、構えた。


「待ってください!実はもう一つ条件があるんです」


デュランは眉を寄せた。


「……もう一つ?」


「はい……それは異性の場合は生涯の伴侶とすれば良くて、同性の場合は命の共有という契約をすれば殺さなくて済むんです……」


「なんだよ……その無茶な掟はよ……」


彼女は怒りを込めてデュランに話した。


「こういう掟が出来たのは、あなた達、人間のせいもあるんですよ!」


「なんでだ?」


「私たち人魚の肉を食べれば不死になるとか、言ってたらしいじゃないですか!」


「ああ、古いおとぎ話なんかに、そういうのあったな」


今度は悲しそうな表情になり、エリーシャは話を続けた。


「そのせいで遥か昔、黒い霧が無かった時代に、私たちの先祖の人魚達は、人間にたくさん殺されたことがあったらしいんです」


「本当にあったのかよ……」


「だから私たちは、人の目にできるだけ触れないようにひっそりと海の世界で生きてきたんです」


デュランは本当に効果があるのか知りたかったので、彼女に聞いていた。


「んで、実際はどうなんだ?不死になるのか?」


「……なるわけないです……」


「ぶっ、まじかよ……俺は信じてたぜ……ま、不死なんていらねーけどよ」


「だから、人魚族の間でそういった掟ができたんです……」


「そうなのか……大変だったんだな、お前らも……」


エリーシャは、もう一つの条件のこともあったので、間をおかずに聞いてきた。


どうやら、デュランに考える時間を与えたくないようだった。


「で、どっちがいいですか?」


「どっちも嫌に決まってんだろ!」


「我がままなんですね……」


「お前なぁ……はぁ、安心しろ、俺は口は堅いほうなんだ」


「……信用できません!」


「んなこと言ったってなぁ……」


「私のような綺麗な人魚を奥さんに出来るんですよ、どうです?」


そう言ってエリーシャは、髪をたくし上げ、片目を瞑って見せた。


しかし、どこかぎこちない動作だった。


一瞬、彼は警戒した。


(―――人魚たちが使う、魅惑の魔法か!……っと思ったが……こりゃ、ただの馬鹿だな……ああ、そうに違いねぇ)


デュランは、少し青ざめた表情で彼女を見ていた。


「うぇ……お前、そういうの慣れてないだろ」


どうやら彼女がやった、さっきの動作は、初めてやったことのようだった。


「酷い……頑張ったのに!」


「んなもんに騙されるかよ、ふう……じゃあ、こうしようぜ。俺は景色に見とれてて、お前を発見しなかった。お前は、さっきの岩に張り付いたままで……」


今度はエリーシャが呆れた顔でデュランを見つめ、呟いた。


「何言ってるんですか……あなた……」


「………」


「………」


しばし、2人とも無言で立っていた。


「……すまん。無理があったな……」


「……デュラン、誰しも間違いはあるものです。幸い、私は海のように広く寛大な心を持っています……だから、あなたを許してあげます」


そう言って彼女はデュランの肩に手をおき、優しく語りかけていた。


「ありがとよ……って」


デュランは何か違う事に気が付いた。


「お前が言うんじゃねーよ!」


そう言って彼女の両方の頬っぺたを両手で軽く摘み上げた。


「なにふるんれふか!」


どうやら、頬を引張られているために口が回らないらしく、上手く喋れないようだった。


デュランは自分の顔を彼女の顔の近くまで近づけ、睨みつけると、やや脅すように話し掛けた。


「お前なぁ……俺は殺されかけたんだぞ?ああっ!?……そんなおっかない女を嫁になんて出来る訳ないだろ!」


そう言って、デュランは摘んでいる頬をそのまま、上下に揺らした。


エリーシャは両手をじたばたさせ、抵抗した。


「はなひてくらはい!」


そして、彼女が目に少し涙を滲ませてきたのを見た、デュランは少し可哀想に思ったのか、引張るのを止めた。


「ったく!これで許してやるか……」


ようやく、苦しみから解放されたエリーシャの両頬は少し、赤くなっていた。


頬を摩り、恨めしそうにデュランに話し掛けていた。


「うう……痛い……身も心も傷つきました……これはもう完全に傷物ってやつですね……責任を取ってもらわないと!」


「そうかよ、言ってろ!」


「けち……」


「うっせえ……んで、お前、わざわざ、人間の相手を探しに来たのか?」


視線を下に落とし、彼女は話した。


「……違います。私は、居なくなった兄を探すためと私たち人魚のいる海域での戦いのため、何か方法や手段が無いか探しに来たんです」


「今度は泣き落としか?騙されねぇぞ!」


エリーシャは先ほどとは違い、真剣な眼差しでデュランを真っ直ぐ見つめ、話してきた。


「……デュラン、聞いてください。これは本当の話なんです」


エリーシャの顔を見たデュランは、彼女を軽く睨みながら呟いた。


「最初からそうやって喋れよ……どうやらそっちが本題みてぇだな……」


そして彼女は、人魚達がおかれている現状の説明をし始めた。


エリーシャ達の住んでいる海域には、聖なるサンゴ『白銀のサンゴ』があり、それによって黒い霧から守られていた。


そこで人魚たちはなんとか生きていた。


光の人魚には、2種類あった。


一つは、エリーシャたち『メロウ』と呼ばれる人魚族である。


彼らは海の底に沈んだ、古代の宮殿に住んでいた。


特徴としては女性の場合、エリーシャのように美しく魅力的な容姿をもっていて、水の魔法も使いこなすことが出来る。


また、ハープと言う竪琴を鳴らし、歌う事が得意であった。


もう一つは『ハルフゥ』と呼ばれる人魚たちが存在した。


彼らはメロウとは違い、特定の場所に住むことはしなかった。


群れで移動し、群れで集まって生きている。


また、こちらの人魚たちは数が少なく、火に弱く、体の大きさがメロウよりも一回り小さい人魚だった。


しかし非常に魔力が高く、稀に予知の能力を持った者が生まれることがあった。


両者は仲が良く、争いなどは一切無かった。


だが光の人魚族がいる海域に最近になって魔物が大勢現れ始めていた。


そこでハルフゥ達はメロウの族長に頼み、共に宮殿の近くに住むことを許された。


エリーシャの兄と自分、それから、ハルフゥの族長の娘『メルリア』と3人で、兄弟のように仲良く暮らしていた。


エリーシャ達の父親はメロウ族の族長だった。


そこで仲の良かったエリーシャの兄とメルリアは将来を誓い合うことになった。


エリーシャは本当の妹のように思っていたメルリアが兄と結ばれる事を喜んだ。


そして、全てがうまくいくと誰もがそう思っていた。


しかし、ある日、エリーシャの部屋で眠っていたメルリアが予知夢を見た。


それは、「まもなく強大な何かが現れる」と言うものだった。


さらに「それによって闇のもの達が現れ、戦いが始まるだろう」と彼女は言った。


それを聞いた人魚達は驚いた。


急遽、メロウとハルフゥの大人たちが集り、話し合い、そして、戦う準備を進めていた。


人魚達の武器は水の魔法が主になる。


だが、水の魔法は防御や回復系統の魔法が多く、戦うには正直心もとなかった。


そこでエリーシャの兄は、黒い霧の外へ出て、人間達に助けを求めるべきだと言っていた。


だが誰も、「この黒い霧の向こうに人間達がいる」とは信じていなかった。


また、多くの者が古代に人間達が行った蛮行を恐れていた部分もあり、それもあって余計行きたいと言う者はいなかった。


しかし自分たち人魚が住んでいる海域に、人間たちが使っていると思われる道具などがたまに流れてくることがあった。


それらを見た兄は、人間たちは必ずいると信じていた。


だが、それだけでは多くの者は信じることはしなかった。


そしてある日、たくさんある小さな島の一つの砂浜に船の一部が打ちあげられていたことがあった。


それを見たエリーシャの兄は確信した。


(人間たちは必ずいる!この黒い霧の向こう側のどこかに!)


彼は白銀のサンゴを手に持ち、黒い霧の中へ入って行った。


だが、何日経っても兄が帰ってくることは無かった。


そして、それなりの時が経った。


メルリアが予知した事態は起こらなかった。


しかし、人魚達は警戒はしていた。


エリーシャの兄はその後、帰ってくることは無かった。


だが、エリーシャとメルリアは必ず兄は帰ってくると信じていた。


彼は人魚族の中でも一番の水の魔法の使い手だった。


それだけに、そうそうやられることはないと誰もが思っていた。


そして何事も起こらないまま、更に数年の月日が経った。


たまに海の魔物がいくつか現れる程度で、その回数も最近は減っていた。


人魚達の警戒は薄れ、今までと同じように平和に日々を過ごしていた。


人魚達は、予知も外れることがあると思うようになっていた。


そしてエリーシャも兄が帰ってこないのは悲しかったが、平穏な毎日を送っていた。


人魚たちのいる海域には小さな白い砂浜で出来た島々がたくさんある場所だった。


彼女は、ほとんど真っ白い砂浜しかない小さな島の一つに上陸し、中が黄色で花びらの部分が真っ赤な『ハビス』と言われる花の匂いをかぎながらハープを弾き、歌うのが好きだった。


曲の内容は、この自然豊かで美しい場所に感謝すると言う内容だった。


竪琴の音色と歌声が、辺りに響き渡る。


広く青く続く大空、マリンブルーの海、白い砂浜、ハビスの香り、そしてさんさんと降り注ぐ太陽の光が海の中に入り、海中をより一層美しく見せていた。


綺麗で色鮮やかなサンゴたち、そしてそこには、色とりどりの魚もたくさんいた。


目が覚めるような青い色をした魚に黄色や白と黒の縞模様の魚、淡い黄色の触手のあるイソギンチャク、エビやカニなどが海中を彩るかのように存在していた。


また、海上の波は穏やかで、海の色と砂浜の白い色のコントラストが素晴らしかった。


歌い終わったエリーシャは、自分が大好きな景色をしばらく眺めていた。


そのとき、僅かに風が吹き、一輪のハビスの花が白い砂浜に落ちた。


エリーシャはその花を拾い、もう一方の片手で髪をかきあげ、目を閉じ、花の香りを嗅いでいた。


爽やかで清涼感のある、香りの花だった。


すると、そのとき、後方からかなり強い風が彼女のいる島に吹き付けた。


辺りの草木が揺れ、彼女の綺麗なパールティールの髪がふわっと一瞬、宙に浮いた。


そして、エリーシャの持っていたハビスの花が手元から離れ、宙を舞い、遥か上空へ吸い込まれるように飛び上がっていった。


「―――あっ!」


彼女は、思わず手を差し出したが、既に花はどこかへ飛んでいってしまっていた。


そして、その時、先ほど強い風が吹き付けてきた方角から、大きな爆音のような音が聞こえた。


エリーシャは振り返った。


すると、遠くの海域に黒い霧に包まれた大きな塊が海上に存在していた。


「あそこには、黒い霧は無かったはず!どういうこと!?」


そして、すぐに凄まじい勢いの風が吹き抜けた。


それは辺りの木々をなぎ倒すほどの風だった。


砂浜の砂も舞い上がっていた。


「きゃあ!」


彼女は海の中へ飛ばされた。


すぐにエリーシャは人魚の姿に戻り、海面へ出た。


(何があったの?)


彼女は爆発音のあった場所を見ていた。


しばらくして、今度は大きな津波が押し寄せてきた。


(波が!!)


彼女はすぐに海の中へ入り、津波を回避した。


津波が去った後、塊を覆っていた霧が晴れ、現れたのは島だった。


島の大きさは、人魚達がいる海域にある、どの島よりも大きかった。


また、島を海側から見てみると、島の中心辺りに、何か青い大きな建物らしきものが見えた。


爆音を聞きつけた人魚達が、たくさん海面に出てきた。


「―――なんだ!?あれは……」


「……わからない……とりあえず、調べに行こう!」


そして人魚達が、その現れた島に近づこうとしたとき、海中から突然、大きな水しぶきがいくつか上がった。


高い波ができ、人魚たちの方へ来ると、今度はその場所からダークレッドの触手が何本も現れていた。


その太さは大木を何本も束ねたよりも大きかった。


島の角にある大きな岩場に触手を張り付け、体を持ち上げると一部が姿を現した。


それは非常に大きなタコの魔物だった。


人魚達は、その姿を見て口々に叫んだ。


「―――あれはっ!……海中の宮殿に描かれていた絵と同じ魔物だ!その名は確か……『ダゴン』!!」


「……ダゴン……」


「やはり……存在したのか……恐ろしいことよ……」



【ダゴン】


この世界ではダークレッドの巨大なタコ。


その大きさは、クラーケンの大型クラスと同じぐらいと言われている。


触手を伸ばせば、新しく現れた島の半分近くまで到達することも可能である。


体の辺りに大きなイボをいくつも付けている。


このイボを攻撃すると破裂し、物を溶かす強力な酸が出てくるため、注意しなければならない。


触手は鞭のようにしなり強力な一撃を放ってくる。


そして粘性の高い黒い墨を吐いてくることもある。


その姿を見たとき、エリーシャはメルリアの予知夢の事を思い出した。


「まさか……これが?」


人魚達は如何すべきか、すぐに話し合った。


見張りに付いた者の話だと、向こうからこちらに向って攻撃してくることは今のところ無く、どうやら島を守っているだけのようだった。


そこで警戒をしながら、もう少し様子を見るということで話し合いは終わった。


そしてその日の夜、再びメルリアは予知夢を見た。


その内容は、島の中心にあるのは、『水の神殿』であると。


また、神殿の中には水の神『アクシア』が封印されていると彼女は言った。


そしてさらに「アクシアの封印以外にも、あの島には何かがある」と、メルリアは言った。


メルリアの予知夢の通り、次の日の夜、彼らは来た。


その夜の波は、やや荒れ気味だった。


月が雲によって隠れたり、出たりしていた。


荒い波に逆らうかのように『ボーンシャーク』と言う、骨のサメに乗った、人魚達が現れた。


姿や大きさはメロウと同じだったが、肌や髪の色が違った。


アッシュグレイの髪に肌が青紫色で鱗は黒色で覆われていた。


女の方は美しい姿をしていたが、男の方はエリーシャ達、光の人魚族の男と同じく、全身が鱗で覆われていた。


赤く分厚い唇と大きな口を持ち、ギザギザの歯があった。


人間と同じように2本の足で歩くことも出来、腕が人間よりも少し長く、目は鋭い目をしていた。


また手のひらや足の指を広げると、水かきがあり、ふくらはぎや耳の辺り、腕、そして背中から頭にかけて、ヒレがあった。


手に剣や槍、杖などを持っていた。


数はメロウとハルフゥを合わせたほどだった。


突然現れた彼らは自分達を、闇の人魚族『ローレライ』と言った。


闇の人魚たちが現れたと言う知らせを聞いたメロウの族長であるエリーシャの父親は、すぐに多くのマーマンの戦士を伴い、その場所へ向った。


一人の若いマーマンが彼らと交渉しようと近づいたが、彼らは話を聞くどころか、無言で攻撃を開始してきた。


「―――!?」


マーマンの若者はすぐに槍で刺され、ボーンシャークに噛まれ殺された。


「ぎゃあああああ!」


メロウたちは驚き、すぐに戦闘態勢に入るため、武器を構えた。


「何をする!!」


両者は半数が海面から顔を出し、また半数は水中で睨みを利かせていた。


そして、そこでようやく彼らローレライの族長らしき人物が現れ、エリーシャ達に言ってきた。


灰色の口髭を生やし、周辺にいる全ての人魚達に聞こえるように彼は叫んでいた。


「我々は闇の人魚ローレライ!そして、我が名は『ギルハジャ』、ローレライの長だ!あの島と水の神殿は、我々が貰い受ける。手を出さないならば、お前達と戦いになることは無いだろう!」


しかし、闇の者達の言うことなど信じることは出来なかった。


既に光の人魚族の領域に、あの島はあるのだ。


だから、水の神殿を取られたならば、その後、必ず彼らは、あの周辺に住みだすだろう。


あの海域には食料になる魚などの資源が一番多いところだった。


到底のめる話ではなかった。


「ここは我々、光の人魚族が住んでいる海域だ。お前達の居場所など無い!」


エリーシャの父は威厳に満ちた声で、そう言った。


それを聞いたギルハジャは、不気味な笑みを浮かべた後、叫んだ。


「フフフ……そうか、ならば致し方あるまい……早い者勝ちと言うことになるな。我々も引く気なぞない!我々にとっても必要な物があるのでな!」


「勝手なことを……」


この日から水の神殿を巡り、光の人魚族と闇の人魚族の戦いが始まった。


当初、ダゴンは闇の人魚達の仲間かと思われたが違うようだった。


ダゴンは、ローレライたちにも攻撃を仕掛けていた。


どうやら、どちらにも属していないようだった。


エリーシャ達はダゴンをどうにかしない限りは、あの島に上陸すること自体無理であることを知っていたので、ローレライたちに相手をさせようと思い、しばらく準備だけをして、見張っていた。


その後、ローレライ達はダゴンとの戦いに身を投じていたが、ダゴンは強かった。


触手を伸ばし、振り回し、墨を吐き、闇の人魚たちを捕らえては、喰ったり投げたりしていた。


水の魔法を喰らっても動じることは無く、島に近づく者を片っ端から倒していた。


これには流石の闇の人魚達も、戦いを続けることを躊躇せざるを得なかった。


数は2割ほど減っていた。


闇のもの達を倒すのは今だと思ったエリーシャの父は、一斉攻撃をしようとしたが、なんとローレライ達は増援を呼んでいた。


すぐに減った2割の戦力は埋められていた。


(一体、ローレライども全体の数は、どれほどいるのか……分らないのでは攻め様が無いな……)


これにより、この海域の戦いは膠着状態になった。


そしてそんな中、毎日遠くからダゴンの活動を見ていた、メロウの見張りの一人があることに気づく。


それはダゴンが、一定の間隔で島を回っていたことだった。


しかも、島の北側に餌になる魚の群れが多いことから、食事をする時に一瞬、気が食べ物の方に向うときがある。


その時を狙えば、ローレライを出し抜くことが出来るのではないか?


そう思った見張りは、それをエリーシャの父に話した。


それを聞いたメロウの族長は、その隙を狙って島に上陸をすることを決めた。


まずは、少数精鋭で行くべきだと言う意見が多かったので、そうすることにした。


4人の腕の立つ、マーマンの魔法戦士が行くことに決まった。


そして彼らは上陸作戦を開始した。


ダゴンは頭を半分だけ眠らせることが出来るため、完全に寝るときはなかった。


しかし、明け方の食事時は、必ず動きが少し鈍いことから、半分を眠らせている時だと分っていた。


少しでも成功率を上げる為に、その時刻に彼らは静かに島の南側から近づいた。


息を潜め、小さな波や音を出来るだけ立てないように慎重に近づいた。


外套膜と呼ばれる、胴の部分が水面に浮かんでいるのが分った。


どうやら見張りの言う通り、餌である魚を捕まえているようだった。


マーマン達は、そのまま、浜辺へ近づいた。


そして上陸を始めようとしたとき、東の海面に朝日が見え始めた。


その時、ダゴンは海面から頭部を出し、朝日の良く見える島の東部へ向った。


魔物は、日の出の太陽をしばらく眺めていた。


遥か遠くの場所には、暗黒世界の黒い霧があったが、穏やかで静かな海面に小さな一筋の光の道ができていた。


それは徐々に長くなっていった。


上空にある雲にも朝日が当たり、輝きが増し始めた。


気配に気づかれていないかマーマン達は焦り、その場にうつ伏せに倒れ、しばらくじっとしていた。


「………」


やがて巨大なタコの化物に日の光が当たると、ダゴンは大きな吸盤の付いた一本の足を太陽の方へ伸ばし、捕らえるような動きを見せていた。


マーマン達はその姿を見たとき、不思議に思う気持ちと、なぜか神々しさを覚えた。


(……あのタコの化物は太陽を欲しているのか?)


その行動をしたあと、すぐに食事をしに北の方へ向って行ったようだった。


(ふう……助かった……しかし、あれは一体……)


「とにかく、島に上陸しよう」


「そうだな……」


光の人魚たちは、なんとかぎりぎり、ダゴンに見つかることなく、上陸することに成功したが、すぐに魔物との戦闘になっていた。


マーマンと同じように、海から凄い速度で、何かが上がってきた。


「―――!?」


そして、その勢いのまま、水しぶきをあげ、走りながらこちらに近づいてきた。


その魔物は、赤い血走った一つ目の半人半馬の魔物だった。


「何だこいつは!?」


長い腕とかぎ爪、そして草木を枯らす、緑色の毒の息を吐くと言う。


敵の数は一体だけであったため、その魔物をなんとか倒すことに成功した光の人魚の戦士達は、すぐに水の神殿を目指し、島の奥へと急いだ。


島の中は、庭園のようになっており、花が咲き、蝶がその花の辺りを飛んでいて、静かで穏やかな場所だった。


「ここは……一体……?」


「おい、こっちに道があるぞ!」


「……行こう、のんびりしている暇は無い……」


警戒しながらマーマンの魔法戦士達は先を進んだ。


所々白い大理石の柱で出来た建物や石畳の道があり、どうやら、人の手が加えられているような場所だった。


だが建物などは年月がかなり経っているようだった。


所々、薄汚れ苔が生え、ひび割れや欠けている部分などがあった。


「古代に人がいた場所なのか?……」


「……恐らくそうだろう」


「今もいるんだろうか……」


「―――おい、あれを見ろ!」


そして、島の中央へ向って道を歩いていると、木が茂っていて、更に奥へ進むと大きな湖があった。


「かなり、大きいな……」


マーマンの一人が水を手ですくい舐めていた。


「……これは海水ではないな……淡水だ……」


この湖だけで、島の面積の半分以上を占めているようだった。


湖には濃いピンク色の花を持った蓮ような花が、いくつも咲いていた。


どうやら、その奥に水の神殿はありそうだった。


半透明で、やや明るい水色の石で出来た神殿だったと言う。


湖の真ん中に建っていて、その広さは湖のかなりの部分を占めていた。


また神殿まで一本の長い、砂で出来た白い道があり、その砂は左右に分かれ、さらさらとゆっくり水中へ落ちていた。


その砂には太陽の光が当たり反射していて周囲をぼんやり明るくさせていた。


辺りは静かで不思議な空間だった。


湖の深さは水の色からして、かなり深そうだった。


「この先に、神殿への入り口があるのか……」


「……行くぞ」


彼らは、その道を進むことにした。


道の上を歩いていくと、砂が盛り上ってくる感覚があったことから、どういう原理かはわからなかったが、湖底に落ちた砂が循環しているようだった。


道を歩いている途中、一瞬、湖の水が跳ねる音がした。


マーマン達は驚き、武器を構えた。


「―――敵か!?」


しかし、それは水の精霊『ウンディーネ』だった。



【ウンディーネ】


4元素の精霊のうちの一つ、水を司る精霊。


全身青い色で女性の姿をしている。


手のひらぐらいの大きさしかない。


水の力の強いところに、出現することがある。


こちらから何かをしない限り、襲ってくることはない。



ウンディーネは、すぐに水の中へ入り、跡形も無く消えていた。


「……水の精霊か……やはり、あの建物は水の神殿なんだろうな」


「先を急ごう……」


そして、白い砂の道をあるいていると、途中に真っ白な八角形の屋根のついたガゼボ(公園や庭園にある、屋根と柱があるだけの休憩所のような場所)と言われる建物があった。


だが彼らは、そこで休息している暇はなかったため、そのまま素通りし、奥へ進んだ。


水の神殿が見え始める。


「あれが……水の神殿の入り口か……」


選び抜かれた人魚の戦士たちは、神殿の入り口までたどり着こうとしていた。


大きな神殿の入り口が見えてくる。


マーマンたち4~5人ほどを縦に積み上げたぐらいの大きさがあった。


入り口を見ると、左右に水瓶を持った大きな女神像が建っていた。


また神殿の入り口へは、白い艶のある石の階段があり、その階段の左右の端に文字や装飾が施されていた。


僅かだが綺麗な透明の水が流れていた。


どうやら、神殿の入り口から流れ出ているようだった。


彼らは神殿の中へ入ろうとした。


「行こう……」


しかし、その前に立ちはだかる魔物たちがいた。


道の左右から、突如トカゲのような姿の魔物が現れた。


大きさは人の成人ほどの大きさだった。


その数は、20体ほどいた。


「まずいぞ!囲まれた!」


トカゲの化物は、「シャー」としか声をあげなかった。


2本の足で立っていたが、人の言葉は話せないようだった。


水滴を滴らせ、こげ茶色の肌に長く鋭い爪を持ち、目は赤く、太く長い赤い舌を高速で出したり引っ込めたりしていた。


また、中には地面に這い付く張り、4本の足で歩いているものもいた。


今にも敵が人魚の戦士たちに飛びかかろうとしたとき、神殿の入り口から声がかかった。


「待って!」


静かに入り口から姿を現した魔物がいた。


くすんだ長く青い髪、肌は蛇のような肌で、目つきは鋭く、口は大きく裂け、大きな2本の牙を持ち、蛇ような舌をもった女だった。


何かの骨で出来た白い鎧を簡素な布の服の上から着ていて、5本の指に尖った爪を持ち、足は裸足だったが指を見ると水かきが付いていた。


また、手には妖しく赤い色に光る、黒い羽の付いたワンドを持っていた。


この人外の女は、人の言葉を話せるようだった。


周囲を見た後、自ら名乗ってきた。


「私は、ダゴンの妻、ハイドラ。夫の警戒を潜り抜け、良くここまで来れたわね。けれど、あなた達はここまでよ、これ以上は行かせないわ」


人魚の戦士達は、この魔物たちの目的が何であるのか聞いてみることにした。


「お前達は、何者なんだ?なぜ、我々の領域を侵した?」


「悪いけど、そう言ったことは一切言えないわ。私たちも、ここには来たくは無かったの。でも来てしまった以上は、ここを守り通すわ。だから、やるって言うなら最後まで戦うわよ」


「俺達は、別に争いたいわけじゃない。ただ平穏に暮らしたいだけだ」


「そう、なら悪いけど、この島から出て行って頂戴」


「勝手なことを言うな、出て行くのはお前たちの方だ!ここ一帯は俺達の住んでいる場所だぞ!少なくともお前達の目的がなんなのかを知るまでは帰れない!」


面倒くさそうに、ハイドラは答えた。


「しつこいわね、さっきも言ったでしょ……はぁ、しょうがないわね。じゃあ、一つだけ約束してあげる。あなた達が、この島に上陸して来ないなら、夫に話して、北の漁場を共同で利用するようにしてあげるわ。それでどう?」


「この島は一体なんだ?お前達の目的は?」


彼らの一人が質問をした瞬間、女は目を細め、低い声になり、手に持っていたワンドをマーマンの戦士たちに向けた。


「警告はしたわよ……これ以上聞くなら……」


無言で、ほんの一瞬両者は睨み合った。


(……やるか?……だが……)


しかし、すぐに折れたのは、マーマンの戦士たちだった。


(戦うにしても、これだけの数の魔物を相手にするには……ウォーターバインドで全員の動きを止めることで精一杯かもしれん……それに、あの女は危険な気がする……)


(どう考えても相当の犠牲を覚悟しなければならないだろうな……なら、軽率な行動は控えるべきだ……)


流石に、この数の敵を相手に戦う訳にはいかないと思った戦士たちは、諦めることにした。


(これ以上は無理か……敵の能力や実力も分らないのでは、たった4人では対処しようがない……我々が今ここで倒されるわけにはいかないか……)


マーマンの一人が苦しい表情で、ハイドラに話し掛けた。


「……わかった、俺達は引き返す。だが、さっき言った約束は守ってもらうぞ!」


それを聞いた彼女は、相手に向けていたワンドを下げ、長い舌を高速で2回出し入れし、険しい表情を解き、普段の表情に戻っていた。


「話がわかる相手で良かったわ。安心しなさいな、それはちゃんと守るわ。あなた達が守る限りは……それじゃ……」


ハイドラは踵を返し、神殿の中に入って行った。


すると辺りにいた茶色いトカゲのような魔物たちも水の中へ帰って行った。


辺りは、元の静けさを取り戻した。


マーマンの戦士たちは、ハイドラ達が去っていた神殿の入り口近くで、しばし話し合っていた。


「おい、いいのか?何一つわからなかったぞ?」


「しょうがないだろ、あれ以上聞いていたら確実に殺されていたぞ!」


「こいつの言う通りだ、我々が今ここで倒れたら、この海域は、ローレライたちに乗っ取られてしまうかもしれないんだぞ!」


「今は、そういうことにしておくしかないか……戦力をしっかりと温存しておかないとな……それに、さっきの奴等を相手にしなくて済むだけでも、かなりましになったはず……」


「そうだな……とりあえずは、闇の人魚どもに集中していればいいだけだしな……」


「とにかく、族長に報告しに戻ろう……」


彼らは渋々引き返した。


そして無事にエリーシャの父親のもとへ帰還することが出来た。


彼らは島での出来事をみんなの前で話した。


話を聞き終わった光の人魚達は、どうするか話し合った。


話し合いの結果、謎の島についてはしばらく様子を見るということになった。


だが、闇の人魚ローレライ達とは戦わねばならないと決めていた。


このとき光の人魚族の海域のちょうど中心辺りに、水の神殿がある島があり、その島から西側にエリーシャたち、光の人魚族がいた。


東側にはローレライたちが東側の小さな島々を占拠しながら、その辺りの海域を独占していた。


ここに東西分かれて、光と闇の人魚達の戦いが始まったのだった。


当初は、ローレライたちは中央の島に上陸しようと、何度も戦士達を送っていたが、ダゴンのあまりの強さに、島への上陸は達成できなかったようだった。


しかし、彼らもダゴンの活動パターンに気づき、見事上陸を果たしていた。


ハイドラに会い、光の人魚族の戦士たちと同じように言われたが、ローレライたちはそれを拒否したようだった。


その後、ハイドラとその手下の仲間のトカゲの魔物と戦闘になった。


ハイドラは相当の魔法の使い手だったらしく、何度上陸しても彼らは返り討ちに合っているようだった。


たまに、島の見張りに付いていた者が、島から立ち上がった煙や光を見たあとにぼろぼろになり、負傷したローレライたちが去っていく姿を何度も目撃していた。


そしてローレライたちは、その数を減らしていると思ったが、さらに増援を呼んでいたようで逆に数を増やしていた。


「一体、奴らはどれほどいると言うのだ?」


「あれだけの犠牲を払って手に入れたいものとは、なんなのだ?」


「あの神殿には、何があるのだろう?」


興味は尽きなかった。


しかし、こちらから仕掛けるわけには行かなかった。


今のところ、ダゴンとハイドラ達とローレライどもが争ってくれているお陰で、こちらには被害は無かった。


だが、油断はできないと思った彼らは、連日話し合っていたが、なかなか解決策が出なかった。


そんな中、エリーシャは兄の事を思い出し、人間たちの助力を乞おうと、みんなに話した。


しかし、誰も人間を信用していなかった。


遥か昔、人が行った蛮行を恐れて、誰も行きたいとは言わなかった。


そこでエリーシャは父親に自分が行くと申し出たが、猛反対された。


彼女はそれでも諦めることが出来なかった。


(このままじゃ、何も決まらないし、何も解決できない……だったら……私がやっぱり、行くしかない!)


一人行く事に決めた彼女は、夜中、見張りの人魚の目を掻い潜り、いくつか持っていく物を小さな袋に詰め、準備を済ませると黒い霧のある北の海域の中へ入って行った。


黒い霧のある海域は高いうねるような波と、強い風が吹き、大嵐になっている所だった。


エリーシャは、そこを必死に泳ぎ抜けようとしていた。


(思った以上に、海の流れが強い……かなり西に流されたかも……だけど、頑張らなくちゃ!)


そして三日目ほど経った、ある日の夜。


そろそろ、霧の海域から抜けられたかと期待し、海面に顔を出したとき、何か大きな魚の背びれのようなものが見えた。


(……ん、なんだろう……あれは……?)


全体が山のような大きさの何かだった。


(なんだろう……あれ!)


水中でそれを確認しようと潜った瞬間、その大きな何かが凄い勢いで、エリーシャの方に向ってきた。


(え……)


彼女は、その大きな物体が起した勢いのある水流に巻き込まれて飛ばされ、意識を失った。


「きゃあああぁぁぁぁ………」


彼女は、そのまま流され、ある島に着いた。


その場所は岩場だった。


そして岩場に頭を軽く打った時に意識が少しだけ戻ったが朦朧としていた。


「あっ………」


そのまま、近くの岩にしがみつき、回復を待とうと思い、再び意識を失った。


「……誰か……」


そして、気づいたときに目の前にいたのが、赤毛の青年デュラン・マーベリックであったのだった。


「……という訳なんです」


説明し終わったエリーシャは、真剣な表情でデュランを真っ直ぐ見つめていた。


「なるほど、そう言うことかよ……だったら、俺が冒険者ギルドまで案内してやるぜ。そこで訳を話せば、恐らく審議会にも話がいって共闘してもらえるはずだ」


「今は、話せません……」


「なんでだ?」


「私たちには、先ほども言ったように、掟があるんです……」


「んなこと、言ってる場合じゃねぇだろ!」


「それだけじゃないんです、実は魔法のギアス(魔法の誓約)がかけられているんです。これは、族長のみが使用及び、解除できるんです……だから、掟を破ると待っているのは死なんです」


そのギアスは、発動すると体が全身凍りつき、砕け散ると言うものだった。


エリーシャは、そのことについては話さなかった。


「じゃあ、お前こっちに来てどうするつもりだったんだ?」


「信用できる人を探すつもりでした」


「それで、その人物に言ってもらうつもりだったのか?」


「いえ、私たちの海域とあなた達の海域の間にある、黒い霧に包まれた場所には、大嵐が吹き荒れているんです。だから、そこの嵐をなんとか出来れば……」


「例えば俺がギルドに報告したらダメなのか?」


「それでどうするんですか?」


「それで……聖石を使ってそこまで行ければいいが……嵐があるんじゃあなぁ……」


彼女は立て続けに質問した。


「私は人魚だと言って人前には出れませんよ?証拠も無いのに誰が信用するんですか?場所もまだ分かっていないんですよ?」


デュランは、エリーシャの質問にうろたえた。


「う、確かにそうだな……うーん……だけどよ、場所ぐらいは分からねぇのか?」


「北の方へ泳いでいたんですけど、途中から西へ流されていたのを覚えています。だから私が流されてきたのは、恐らく、ここから南東方向からだと思います……恐らくですけど……」


デュランは再び、2本の指で顎を弾きながら考えていた。


「南東か……確か、ゴレア群島から南の海域は、海が荒れて入れないとか聞いたぜ……そうなると、お前の言っている事と一致するな……」


「そうなんですか?」


「ああ、ギルドの報告にそう書いてあった。だから、あとは、その謎の大嵐をなんとか出来れば……」


「それは、昔いた、ハルフゥの予言の一つに、4つの神殿のうち、3つの神が目覚めれば……特に風の神殿の神が目覚めれば大嵐は無くなると、聞いたことがあるんですけど……」


「そんなのがあったのか……んー、今のところ、目覚めいているのは、大地の神イディスのみだから、あと2つか……お前のさっき言ってた水の神殿を解放することが出来れば、あと一つになるんだがな……」


それを聞いたエリーシャはダゴンたちの事を思い出し、やや声を荒げ、話していた。


「絶対に無理です!闇の人魚達とダゴンやハイドラたちを相手にしないとだめなんですよ?」


「そうだな……もう少し情報が必要なのかもな……そういやお前、もう一つの掟の伴侶ってのに俺はなっていないんだが、大丈夫なのか?」


「それは、一定の範囲内に、その対象者がいれば大丈夫なんです……」


「なんだ、そうなのか」


エリーシャは頬を少し赤らめ、両手を胸のところで組み、小刻みに体を左右に振りながらデュランに話していた。


「けど、永遠の愛を誓い合えば……範囲外にいることも出来ますよ!」


デュランは適当にあしらった。


「わかった、わかった」


「あー!なんか誤魔化した!」


「うっせぇ!俺は忙しいの!」


「……じゃあ、報酬を払えばいいんですか?」


報酬という言葉を聞いたデュランは、しばし考えてから答えた。


「……そうだな、俺は冒険者だからな。『クエスト』を俺に依頼するなら、そうなるな。だが、俺の雇い賃は高いぜ!」



【クエスト】


本来は探求や探索を意味する言葉だったが、この世界では冒険者が数多くクエストをこなしていくうちに、いつしか、冒険者や人々に寄せられる様々な仕事の依頼などを意味するようになっていた。



「じゃあ、これでどうですか?」


そう言って彼女は、袋から何かを取り出しデュランに渡した。


それを見たデュランは驚いた。


「―――これは!?」


「ピンクパールです。これの聖なる力のおかげで、霧のある海を渡ることが出来ました」


デュランの手のひらには、鶏の卵より、一回りほど小さい薄桃色の真珠があった。


「お前……こんな色の真珠、見たことねぇぞ……しかもこの大きさ……これは相当の値段がするもんだ……キャラック船が何隻か買えちまうぐらいだぞ、きっと……」


「報酬はそれで、いいですか?」


だが、デュランはその真珠を見つめながら、しばらく考えた後、その真珠を彼女に返した。


「………悪いが、これは貰えねぇ」


それを見たエリーシャは彼を睨み、強い口調で尋ねていた。


「なんでですか?報酬が必要なんでしょ?―――それとも、私と戦う気ですか!」


「そうじゃ、ねえよ!……お前……これ大切なもんだろ?」


彼女は、目を一瞬見開いた。


そして、心の内を悟られないように澄ました顔でデュランに、なぜそう思うのか聞いた。


「……なんでそう思うんですか?」


デュランは、手のひらにある真珠を見つめながら、人魚の娘に話していた。


「これ、お前の住んでいた場所でも、相当珍しいもんだろ。さっきも言ったが、この大きさに色、どう考えても簡単に手に入る物には見えないんだよ。俺をなめんなよ!それに俺に渡すとき、凄い寂しそうな目で見てたぜ、これ……大事なもんなんだろ?そんなもん貰えるかよ!」


エリーシャは観念したように本当のことを話した。


「……祖母の形見なんです……」


「やっぱりな……」


デュランの呆れた顔を見た彼女は目に涙を滲ませて、デュランに話し掛けていた。


「……じゃあ、一緒に手がかりを探しては貰えないんですか?……」


(そんな目で俺を見るなよ……)


彼女の悲しそうな顔を見たデュランは、その時思い出した。


母や妹が父のことで人知れず、泣いていた事を。


だから自分だけは「あんな人間にはなりたくない」と思っていた。


それを思い出した彼は、怒気を帯びた表情で海の先にある水平線を睨みつけ、両手を握り締めていた。


(大切な女を泣かせる奴は最低の野郎だ!……ずっとあんな奴の様にはならないって決めてただろ……そうだっただろ?デュラン・マーベリック!)


デュランの気持ちは決まった。


「……しょうがねぇな、分ったよ!これも何かの縁なんだろうな……いいぜ、やってやろうじゃねぇか!光の人魚族からのクエスト、俺が受けて立つ!!」


「本当ですか?」


「ああ、まかせろ!」


「……良かった……」


安堵した表情でエリーシャは、静かに泣いていた。


デュランは、この島で恐らくたった一人の人魚の娘に近づいた。


「おいおい、泣くなよ……意味が無くなるだろ……」


彼女は、みんなを守るために一人、命を賭け、暗黒世界へ飛び込み、この異国の地へたどり着いた。


厳しい魔法の誓約を背負って。


それは心細く、つらいものもあったはずだった。


そして、偶然出会ってしまったデュランに、なれない色仕掛けや、自分の大切にしていた形見を渡してみたり、色々信用に足る人物なのか試してみた。


欲に溺れた者でないかを。


だが、彼はどうやら、口調は少し乱暴な所があったが、良い心根の持ち主のようだった。


(デュラン、あなたに感謝します……ほんとうに……ありがとう)


しばらくして、エリーシャは泣き止んだ。


いや、途中で思い止まり、泣きたい気持ちをぐっと堪え我慢した。


(今は、泣いている時じゃない!みんなを早く助けられるようにしないと!ローレライたちがずっとあのままでいるとは思えない!それに、私がここに流れ着いたってことは兄さんもこっちにいるのかもしれない……まだ始まったばかりだもの、やってみる!みんな待ってて!)


エリーシャが涙を拭き、立ち上がるのを見たデュランは、2人の旅の始まりを告げようとした。


「よし、じゃあ、行くぜ!って、その前にお前の服を買うか……いったんバルディバに戻るか……せっかく格好良く出てきたんだがな……まあ、いいか……それより、お袋に見つからないようにしないとな……マント一枚の裸の女連れて歩いているのばれたら、何言われるかわかったもんじゃねぇ……」


考え込んでいるデュランを尻目に、彼女は何かを思い出した。


「……あ、そうだ!お金って真珠以外に、これも持ってるんですけど、お金になります?」


そう言って袋から、何かを取り出しデュランに渡した。


彼はすぐにそれを見た。


「これは……宝石サンゴだな。―――この色は!『オックスブラッド』!!」


「あれ、ダメですか?こっちもありますけど?」


そう言って先ほどより少し色の違うサンゴも出してきた。


それを見たデュランは再び驚いていた。


「おいおい!こっちは『エンジェルスキン』かよ!どっちも最高級品だぜ……」



【宝石サンゴ】


海の深い場所に生息し、希少価値の高い綺麗で艶やかな肌を持ったサンゴ。


サンゴは加工され様々な物に利用される。


護符や工芸品、宝石のような扱いをすることもある。


この世界では、装備品などに使われる場合、雷のダメージを軽減できるとも言われている。


オックスブラッドは、深みのある赤色のサンゴで血赤珊瑚とも言われる最高等級のサンゴの一つである。


また、エンジェルスキンは透明感のある淡いピンク色のサンゴで、これも最高級品であった。



オリディオール島付近や、ラスケルク近海では、採れないため、市場に出回っているのは、主に冒険者が冒険をしている中で見つけた古代の物がほとんどだった。


しかも、これほど大きい未加工の物は無かった。


「これも、形見じゃねぇだろうな?」


デュランは疑いの目を向けながら、人魚の娘に聞いていた。


「え、違いますよ!これは、たくさん採ってはダメなんですけど、私たちのいる海域には一杯あるんですよ。それで、人間たちは昔、人魚狩りのついでに、これも採っていたって聞いたんで、一応持ってきたんですよ。だから、たくさん持ってます!ふふっ」


そう言って彼女は、袋の中身を見せた。


そこには、たくさんの宝石サンゴや綺麗な貝殻などが入っていた。


「これだけあれば、しばらくお金に関しては困ることはなさそうだな……よし、一つだけ鑑定士のところへ持っていって金にするか!」


「デュランにもあげますよ!おひとつ~」


そう言ってエリーシャは、もう一つサンゴを渡そうとした。


それを見たデュランは呆れると共に、この人間の世界について説明をし始めた。


「お前なぁ……軽々しく渡すんじゃねぇ。いいか?お前の今いる場所はな、悪いやつもいるんだ。騙して来る奴が、たくさんいるんだ……それに、これからの旅がどれぐらい長くなるのかも分らないんだぞ?急に大金が必要になる場合だってあるんだ。だから、お金はいつでも必要な時に必要なだけ使えるように準備して持っておくんだ、いいな?」


赤毛の青年の説明を不思議そうに彼女は聞いていた。


「同じ人間同士なのにですか?」


「そうだ、俺たち人間は、お前らみたいに綺麗な存在じゃねえんだ。騙し騙され、切った張ったやってんだ。身内同士でもあるし、古代にはお前が言うように、同じ光の種族である、人魚たちも狩ったんだろ……今思うと、救いの無い生き物だな……闇の種族とどう違うんだ?」


「でも、でもデュランは私に協力してくれます!」


「俺をそんなに信用するんじゃねぇ!お前……俺が今逃げたらどうする?」


2人は、静かに見つめあった。


エリーシャが、先ほど彼を試したようにデュランもまた、彼女を試した。


(今度は、お前に遅れはとらねぇぜ……)


そしてエリーシャは迷うことなく、真っ直ぐ彼を見つめ答えた。


「その時は、死にます」


それを聞いたデュランは、彼女を睨みつけた。


「……簡単に言うんじゃねえよ!」


彼女は再び、目に涙を滲ませ、切なげに答えた。


「適当に決めたわけじゃないです。さっきデュランは、行くって言ってくれました。ちゃんと真剣に思って……少なくとも私はそう感じました。だから、私は信じます……」


デュランは、黙ってエリーシャの顔を見ていた。


(そんなことで俺を信頼するのかよ……はぁ……やっぱこいつ分っちゃいねぇな……だけど……こいつをこの世界に一人で行かせるわけには……あ~あ、損な性格だぜ……全く……)


そう思った彼は深く息を吐き、ゆっくり目を瞑り、下を向いたあと、エリーシャの方へ顔を向けると諦めたように話し掛けた。


「……分った、俺の負けだ!……ふぅ……もうこの話はよそうぜ、疲れるだけだ」


デュランの予想した答えとは違ったようだったが、彼女の真剣な思いに、彼は降参したようだった。


(それに……泣かすわけには、いかねぇよ……もう、これ以上は……見たくねぇぜ……)


それを聞いた彼女は安心したのか、顔にまた明るさが戻っていた。


涙を拭き、どうするか聞いていた。


「はい……そうですね……分りました!じゃあ、これからどうしますか?」


デュランは本格的に、これからどうするか考えた。


「……そうだな、服を買ったら、色々調べに行った方がいいのかも知れんな……魔物の正体や弱点なんかも知る必要があるだろうしな……なら、ゾイルの中心地『レイアーク』の町の大図書館に行った方がいいか……それから、島の外に出る事もあるだろうからな……そうなると、お前の身分証も必要になるな……そのまま、『人魚です』なんて言えねぇからな……うーん、お前、水の魔法使えたって事は魔道師なのか?」


「海で遭遇する、魔物とか獰猛なサメとかに、ちょっと使ってただけですし、そう言うの良く分らないです……」


「そうか……それに、魔法学院出てないと貰えないんだったか……他には、なんかねぇのか?」


正確には、魔法学院を出た者はデュランの言う通り、『魔道師』の資格を獲得することができる。


しかし、お金が無く、独学で魔法を使いこなす者も稀に存在した。


そう言った者は、ギルドの認定試験に合格すれば、『魔道士』の資格を得ることはできるのであった。


『師』と『士』の違いは、魔道師の方は魔法以外の様々な知識を身に付けるため、教職の道にも就くことが出来た。


また魔道士の方は、冒険者としてのみ、魔法を扱うことを専門とすることができるクラスと言うことになっている。


試験は年に1回ほどしかないため、彼らにはそんな時間的余裕は無かった。


それ故、この選択を取ることはできなかった。


少し考えを巡らせたエリーシャは、自分の好きだったことを思い出した。


「そうだ!ハープを弾きながら歌を歌うのは好きです!」


デュランは、彼女の言った事から閃くことがあった。


「歌か……。―――そうだ!『バード(吟遊詩人)』で登録すればいいか!」


それを聞いたエリーシャは、なぜか驚いていた。


「飛ぶんですか!」


「うっせぇ、こっちは真剣に考えてんだ、ちょっと黙ってろ」


デュランは、そう言って顎を指で弾きながら、海を見つめていた。


彼女は少し、しゅんとなっていた。


「……はい(真剣だったのに……)」


【吟遊詩人】(bard bird【鳥】ではない)


この世界では、各地を回り、路上や酒場など、人が集まる所で歌や曲を聞かせて、お金を貰い、生活している者を言う。


また、冒険者として行く場合は、楽器や歌声が聞こえる範囲にいる仲間に対して様々な補助の効果を与える歌などを歌うこともできる。


使われる曲は、自ら詩や曲を作ることもあれば、昔から歌い継がれてきた曲、神話や伝承、歴史を元にしたもの、他には誰か有名な名のある人物に付き従い、その人物の英雄譚を作り、それを曲にすることなどがある。


それ以外にも、魔法のような効果のある、歌や音楽があると言われている。


このクラスは、他のクラスに比べて身分証は比較的取り易い。


いくつかの曲を歌い、実演して見せ、お金が取れるレベルの実力があると判断されれば、すぐに承認されることになっている。



「お前、言うからには上手いんだろうな?」


「えーっと、周りの人魚たちは上手いって言ってくれましたよ!」


「お前な……俺たち人間の基準で上手くないとダメなんだよ!」


「あー、なるほどー」


「とりあえず、どんなものか、まずは俺が判断してやるぜ、こっちの岩場の方で海に向って歌ってみてくれ」


「はい」


2人はあまり人目につかない場所へ移動した。


デュランは、辺りを見回した。


誰もいないことを確認すると、エリーシャに歌うよう促した。


「……よし、ここでいいだろ。歌ってみてくれ」


「……わかりました。ほんとはハープが必要なんですけど……とりあえず無しで歌ってみます」


エリーシャは、一呼吸してから両手を組み、握り締め、それを胸元まで持っていくと歌い始めた。


「………」


静かな歌い出しだった。


また彼女の声は、美しく透明感のある声だった。


ゆっくりと辺りにエリーシャの声が広がっていくようだった。


静かに穏やかに、そして時に力強く、彼女は歌った。


人魚の娘の歌と景色が見事に調和しているように見えた。


日の光を浴びて輝くエリーシャの髪と海面、歌声に誘われるかのように、辺りに飛んでいた鳥たちもこちらに集まってきた。


デュランは一瞬で彼女の声に魅了され、辺りの景色を見ながら、穏やかで落ち着いた気持ちになった。


(なんて……なんて、いい声で歌いやがるんだ……こんな綺麗な声、聞いたことがないぜ……こいつ、本当に歌が好きなんだな……それに……)


彼はエリーシャの方へ視線を向けた。


歌っている彼女の姿は、眩しく気高く、そして凄く魅力的に見えた。


(や、やるじゃねぇか……ちょっとドキドキしてしまったぜ……)


しばらくして、彼女の歌は終わった。


歌い終わったエリーシャは満足げな顔をしていた。


その表情のまま、デュランに感想を尋ねた。


「デュラン、どうでした?わたしの歌でバードに吟遊詩人になれますか?」


デュランは、まだ胸の動悸がおさまらなかったが、なんとか平静を装い答えた。


「ま、まあ、それなりにできるみてぇだな。これだったら恐らく、合格するだろうぜ」


それを聞いたエリーシャは、少しだけ飛び上がって喜んでいた。


「本当ですか?やったー!」


彼女の嬉しそうな表情を見たデュランは、自分の心を偽るのをやめ、素直に自分の思ったことを言うことにした。


「いい歌声だったぜ、バードだけでも食っていけそうだな……そういや、聞いたことの無い歌だったな。なんて名前の歌なんだ?」


「これは、『僥倖(ぎょうこう)の海』と言います。僥倖とは偶然や思いがけない幸運を言います。私は、海を渡ってこの幸運に出会いました。だから、ちょうどいい歌かなって思って頑張りました!」


それを聞いた赤毛の青年は、これから始まる旅を思い、軽く笑いながら人魚の娘に話し掛けていた。


「へへっ、この先、幸運が待っているといいんだがな」


「私、頑張ります!そして、またあの故郷の海へ帰ります!」


「そうか、さっきより、らしくなってきたじゃねーか!よし、んじゃ、行くか!エリーシャ!」


「はい!わたしもなんか、冒険者って気持ちになってきました!行きましょう、デュラン!」


そして、2人が歩き出そうとしたとき、エリーシャのお腹が鳴った。


グウゥゥゥ………。


「……おい……やっぱお前、ダメじゃねーか!」


「ううっ……だって、ずっと何も食べてなかったんですもん……」


どうやら彼女は、ここに来るまでほとんど何も口にしていなかったようだった。


デュランは頭を軽く振り、深くため息をつきながら呟いていた。


「はぁ……締まらねぇ、始まりだぜ……俺としてはもっとこう、びしっと決めたかったんだがな……」


彼にとって始まりは、重要なものだったようだったが、そんなことを気にすることなくエリーシャは元気に話し掛けていた。


「デュラン、まずは食事にしましょう!人間たちの食べ物ってどんなのだろー。さあ!」


「まずは服だろ!それからだな……」


「はい!」


エリーシャは町に向って歩き出した。


晴れやかな表情だった。


進むべき道、信頼できる人。


それらが、すぐに揃うことが出来た。


これほどの幸運は早々無いと思った。


(……これは、きっと運命なのかな?こんな幸運初めて!なぜか、なんでもできる気がする……きっとあなたのおかげ……デュラン、ありがとう!)


勢い良く一歩を踏み出すと、水溜りの水が跳ねる音がした。


跳ねた水は、水滴となって宙に浮き、太陽の光を受けると、一瞬、真珠のように輝き、そして地面に落ちた。


彼女は水溜りを気にすることなく軽快に、そして自信を持って歩き出していた。


その音は、最初に追いかけた時に踏んだ、不安げで自信の無い小さな音ではなく、彼女の今の気持ちを表しているかのように軽快で、かつ、力強い響きがある音がしていた。


デュランは、そんなエリーシャに引張られるかのように後に付き、慌てて追いかけた。


「おい、お前、場所わからねぇだろ!ちょっと待てよ!」


パールティールの髪の娘を追いかけながらデュランは、ふと西の空を見た。


彼はユラトのことを思った。


(すまねぇ、ユラト。そっちに行くのもう少しかかりそうだ。それまで、お互い頑張ろうぜ、相棒!)


赤毛の青年と人魚の娘の旅は、なんとか始まったようだった。

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