第97話 静かな休日
週末出張から帰宅したのは土曜日の夕方だった。
「ただいまー」と玄関に入ると、五歳の息子と三歳の娘が仔犬のように飛びついてきた。「いい子にしてたか?」二人の頭をなでる。
いきなり妻が「明日、実家の両親と子どもを連れて遊園地に行くけど、パパも行く?」と訊いてきた。たった今、出張から帰ったばかりで疲れている。しかも取引先の人たちと遅くまで飲んで睡眠不足だった。「いや、俺はいいよ。ママと子どもたちで行っておいで」と答えたら、「あら、残念ね」とションボリいう。
ここんところ仕事が忙しくて子どもたちとも遊んでいないが、明日は勘弁してもらおう。
うちの妻の実家は車で二十分の距離にある、出張の時には子どもを連れてちょくちょく里帰りしている。いつも実家から戻る時には米や洗剤、日用品、お菓子など自動車にどっさり積んで帰ってくる。我が家の家計の一片を妻の実家が担っているし、いつも孫の世話も掛けている。
妻の実家がスポンサーで、子どもたちを遊びに連れていってくれるのはとても助かる。
翌朝、眠がる子どもを連れて妻は車で出掛けていった。
「いってらっしゃい」とパジャマ姿で見送った後、まだ七時半だし、もう一度寝ることにする。
AM9:30、二度寝から起きる。
子どもたちのいない家の中は物音一つしない、こんな静かな休日は何年振りだろう。
ゆっくりと朝刊に目を通す。ヨーロッパでまたテロがあった、罪のない子どもまで犠牲になっている。自分がパパになってから、子どもが殺される惨いニュースを読むと胸が痛くなる。
窓を開けて、リビングと寝室に掃除機をかける。子ども部屋はおもちゃが散乱しているので今日はパスする、洗濯機を回しながら風呂掃除をして、ベランダに洗濯物を干す。――これで休日の家事分担は終わり。
子どもたちを実家にあずけて妻はパートに出ている。週に三日、一日五時間の仕事だが、家事と育児と仕事では大変だろうから、休日くらいは俺も家事を手伝っている。
家事も育児も協力し合っていかなければ、共稼ぎ夫婦はやっていけないのだ。
昼過ぎまで、ソファーに寝転んでテレビを観て過ごす。たまに一人の時間も良いものだとしみじみ思う。
PM1:30、腹が減ったので、駅前の商店街まで歩く。
牛丼でも食べようかと思ったが、ファミレスのランチタイムが安いのでハンバーグとビールを注文した。一人でテーブルに座っていると、「江口くん」と誰かに名前を呼ばれた。見ると、知らない女が手を振りながら近づいてきた。
「江口くんでしょう? 私、麻美よ。ほら昔バイト先で一緒だった」
ああ、やっと思い出した。大学時代にバイトしていた会社の人で、もう十年も前の話だ。
「懐かしいわ」と言いながら、麻美は俺のテーブルに座った。隣には小学校一年生くらいの女の子を連れている。
俺たちを家族だと勘違いしたウエイトレスが注文を訊きにくる、麻美はパスタ、娘にお子様ランチを注文していた。
「江口くん元気そうね。今日は一人? 家はこの近く? 結婚してるの?」と矢継ぎ早に質問してきた。「ああ、妻と子どもは用事で出掛けてる」と素っ気なく答えた。
麻美は去年離婚をして、今は就活中だという。「離婚して自立するのは大変でしょう?」と訊くと、麻美は別れた夫が浮気して、その上にDVまであった、姑には苛められたとか、自分のことをベラベラ喋り出した。
話の途中、煙草を吸おうとしたので、「ここは禁煙席だよ」と注意すると「ああ、そう」と怒った顔でバッグに煙草をしまった。麻美の娘は黙々とランチを食べている、ひどく醒めた眼をしているのが気になった。
バイト時代、麻美と二、三度デートしたこともある。彼女は俺以外の男たちとも付き合っていた。結局、妻子のある男性と不倫して会社を辞めさせられた。この女に言うことは信用できないし、俺には興味もない。
今から、妻子を迎えにいくからと席を立つ、いきがかり上、彼女の分も支払う。
別れ際に「相談したいことがある」からと携帯番号を訊かれたが、咄嗟に嘘の番号を教えておいた。これ以上、彼女とは関わりたくない。
PM4:30、妻からメールが届いた。
遊園地で遊ぶ子どもたちの写メで、帰宅は八時を過ぎるらしい。
今日、麻美に会ったことは一応話しておこう。近所なので妻のママ友に見られているかもしれないし、変な噂でもたてられたら迷惑だ。
七時を過ぎると少し小腹が空いてきた、冷蔵庫を探ると冷凍餃子があった。よく我が家の食卓にも上る一品だ。フライパンに水を入れて蒸し焼きにすると、片面だけが焦げたが、餃子をつまみに缶ビールを三本空けてしまった。妻が帰ってきたら「パパ飲み過ぎよ」と叱られそうだ。
子どもが生まれると、お互いをパパ、ママと呼び合うようになって、家族としての絆が深まった。
八時を過ぎても帰って来ない、メールしたら、道路が渋滞しているので遅れると返信がきた。妻や子どもたちのいない家の中は、静か過ぎてなぜか落ち着かない。帰りが遅いと心配で仕方ない。やっぱり俺も遊園地について行けば良かったと今さら後悔する。
PM9:25、駐車場に車が入る音がする。
慌てて
駐車場まで家族を迎えにゆく、五歳の息子は両手いっぱいお土産を抱えはしゃいでいる。眠っていた娘は急に起こされて大泣きしていた。そして妻は疲れた顔だった。
無事に帰ってきた家族を見て、ひと安心する。僕は元気よく「おかえりー」と叫んで、静かな休日が終った。
そして幸せは賑やかにやってくる――。
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