第96話 正義の味方

 正義の味方なんて、偽善者くさい言葉が大嫌いだ。


 小学校の三年生の時に父親が死んだ。当時、世間を騒がせた通り魔殺人の被害者のひとりだった。白昼、起こった通り魔殺人は無差別に男女、そして子どもまで五人の人命を奪った。覚せい剤常用者の犯人は、元やくざで日本刀を振り回して、通行人たちを次々に襲ったのだ。

 その時、僕の父親は犯人の手からは逃れていたのに……ベビーカーを押した若い母親が襲われそうになっているのを見て、犯人に体当たりして、自分の方に注意をらした。その結果、父は無残に切り刻まれて死んだが、ベビーカーの親子はその隙に逃げ出し助かった。


 当時、ワイドショーなどで正義の味方だと父親のことがもてはやされたが、時間が経てば、事件のことも忘れ去られていった。

 本来なら、自分は助かっていた筈なのに……人助けして殺されてしまった。

 そんな立派な父親だったが、生命保険に入っていなかったので、残された母親と僕は貧窮ひんきゅうしていった。生活のために母親はパートを三つも掛け持ちして、身体を壊して病気になった。

 正義の味方の家族なのに、世間も親戚も助けてはくれない。

 死の直前まで「お父さんは人として立派な行いをしたのよ」と言い続けていた母親が、ガリガリに痩せて死んで逝った。高二で孤児になってしまった僕は、新聞奨学生として働きながら、自力で頑張って大学まで卒業した。


 父親が死んだせいで、僕は苦労ばかりさせられた。他人の家族を守って、自分の家族を不幸にした、そんな正義の味方があるもんか!

 子どもの頃は僕だって、正義の味方やヒーローが大好きだった。……けれど父親があんなバカな死に方をして以来、正義なんて言葉を聞くだけで虫唾むしずが走る。 

 だから、僕は良いことはしないと心に誓ったんだ!

 迷子の子どもを見ても知らんぷり、万引きを目撃しても通報しない、電車で痴漢に触られてる女性がいたとしても見て見ぬ振りをする。 

 自己主義だといわれても構わない。どんなことがあっても人を助けたりしない。常に自分のことだけを考えていきていこうと決めた。


 大学を卒業した後、地方銀行に就職した。

 お客はみんなお金だと思えばやっていける仕事なのでクールな僕には合っている。勤務しているのは田舎町の支店で、ATMは二台しかない、銀行員は支店長と僕と女性行員が三名、案内係のシルバーのおじさんだけの小さな店舗だった。

 お得意様は地元の商店主や古い顧客ばかり、営業的に新規獲得が難しい地域だが、あんまり忙しくなくて助かる。

 僕は市井しせいの人として平穏無事へいおんぶじに生きていければ、それでいいと思っていた。


 そう思って安心していたら、とんでもない事件が起こった。

 突然、目出し帽を被った男が銃のようなものを持って銀行に入ってきた。閉店間際でATMに客が一人とカウンターに客が二人、支店長が出張中で店には八人しかいなかった。止めようとした案内係のおじさんは犯人に殴られて気を失った。ATMの客はすぐに表に飛び出して助かったが、カウンターにいた客と銀行員たちは中に閉じ込められた。

 犯人は黒いバッグを持って「マネー、マネー!」と叫んでいる、どうやら外国人のようだ。


 ヤバイことになった……犯人に見つからないように、僕はカウンターの奥に身を潜めていた。父親みたいに事件に巻き込まれて命を落とすなんて真っ平だ。

 若い女性行員がバッグを渡されて現金を詰めさせられている。彼女はパニックになって、なかなか現金が詰められない。わざとモタモタしているのかと、犯人が苛立って発砲した。

 しゃがみこんだまま女性行員はショックで腰を抜かした。

 ついに犯人がカウンターの中に入ってきて、僕は見つかり、こめかみに銃を突きつけられた。首を腕で絞めあげながら「キンコ、キンコ!」と強盗犯が叫ぶ、支店長がいないので誰も金庫を開けられない。そのことを犯人に説明しても分かって貰えそうもない。

 このままでは僕は殺される! こんなところで犬死になんかしたくない。

 かっこ悪くても僕は僕自身を守るために戦ってやる。こうなったら一か八かだ! いきなり犯人の顎に頭突きをかましてやった。衝撃でぶっ飛んで、おまけに舌を噛んだらしく、血を吐いてのたうち回っていた。落とした銃を拾い上げ僕は犯人に銃口を向けた。

 その時、機動隊が店内になだれ込んできた。

 僕は銃を渡し、犯人を取り押さえたといったら、お手柄だといわれた。若い機動隊に名前を訊かれて、『虻川あぶかわ』という珍しい名字をいうと、「もしかして、二十五年前に通り魔から母親と赤ん坊を守った、あの虻川正義あぶかわ まさよしさんの親戚ですか?」と訊かれた。

「虻川正義は、僕の父親です」と答えたら、「あのベビーカーに乗っていたのは僕です。あなたのお父さんは命の恩人だ」と感激して僕の手を強く握った。

 正義の味方の僕の父親に憧れて、彼は警察官になったという。


 事件現場に集まってきた野次馬たちが口々に、僕のことを「ヒーローだ!」「正義の味方!」と褒めそやした。その後、銀行強盗に一人で立ち向かった、勇気ある銀行員だとして連日、ワイドショーで話題になっている。

 違う、違う! 父親のように他人を守るためにやったんじゃない。あくまで自分自身を守るために犯人と戦っただけなんだ。

 かってに美談にするのは止めてくれ! 断じて、僕は正義の味方なんかじゃない!

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