第80話 縁結び公社

 ブルブルブル……いきなり、ポケットの中で携帯が震え出した。マナーモード設定だったので音楽は鳴らないが、気持ちの悪い振動が身体に伝わってくる。

 携帯というやつは、所構ところかまわず鳴りだすから困ってしまう――。

 今、僕はトイレの便座に腰を下ろしているので、とても携帯に出られる状態ではない。昨夜、大学の仲間たち四、五人と『新年会』を居酒屋でやったのだが、そこで食べたものが悪かったのか? 強烈に腹が痛い。アルコールもかなり飲んだが、二日酔いではない、もしかしたら……かも!?

 これは病院にいくべきか、便座の上で思案していたのだ。

「ああ、腹が痛い……」

 洗面台で手を洗いながら憔悴した顔で呟いた。するとまた、携帯が震えだした。

 チッ! 思わず舌打ちをしてしまう。ポケットからスマホを取り出し、画面を見たら知らない番号だった。出ようか出まいか、しばし迷ったが出ないとまたかかってきそうなので出ることにした。

『もしも……』

『あ、あんた誰?』

 えっ!? 何を言ってるんだ。自分からかけてきて《あんた誰?》はないだろう。

『そちらこそ、どなたですか?』

 ちょっと、ムッとした声で訊き返す。

『あら、ゴメン、ゴメン。こちらは〔縁結えんむす公社こうしゃ〕という組織で、八百万やおよろずの神様たちが集まって、人々の縁結びのお手伝いをさせて貰ってまーす』

『はぁー?』

 いきなり訳の分からない説明を聞いて呆れてしまった。声の主は中年以上の女性の声だった。

『セールスですか? 互助会ごじょかいなら、うちの実家が入ってると思うんで。僕、学生だし結構です!』

 そういって、着信を切ろうとした瞬間に、

浅倉静香あさくら しずかさん、ご存知?』

『えっ……』

 腹痛よりもっと痛い、えぐるように、その名前は僕の心臓に突き刺さった。


 静香とは去年の暮れに喧嘩して以来、音信不通になってしまった。

 女子大生の静香とはバイト先のレンタルショップで知り合った。そこはDVDやCDを貸し出す大手チェーン店だった。

 僕より半年後に入った彼女に仕事の説明をしたのが縁で、シフトが同じ日には一緒に帰ったり、晩飯食べたりして自然と付き合うようになった。

 静香は素直で控え目な可愛い子だった。まだ付き合って二ヶ月だけど、彼女のことがすごく好きだったのに……。


 あれは、お店の『忘年会』の時だった。

 ほとんどバイトとパートで編成されている職場だったが数人の社員もいる。隅っこで大人しく飲んでいた、僕らふたりの所に社員の一人がやってきた。そいつはお酒とグラスを持って僕らの間に無理やり割り込んできた。そして、しつこく静香にお酒を勧めたり、酔ったフリして彼女の身体に触ろうとするんだ。

 カッとなった僕は「帰るよ!」と静香に告げたが、ぐずぐずして……彼女はすぐに席を立とうとはしなかった。

 帰り道、僕は機嫌が悪かった。

「どうして僕が帰ると言ってるのに、さっさと席を立たないのさ」

「だって、あの人凄く酔ってて心配だったから……」

「僕より、あんなヨッパの相手をしたいわけ?」

 僕は怒って、ずんずん足早で歩いた。

 後ろから「待って……」と彼女の声がしたが無視して歩いた。――それは男の嫉妬心だった。

 翌日、頭が冷めて静香に謝ろうとしたのに……突然、彼女が辞めたことをバイト先で知らされた。どういうわけか、メールも携帯も繋がらなくなって、それ以来、プツンと縁が切れてしまったのだ。


『――彼女に何か?』

『あのね、静香さんが〔縁結び公社〕の電話相談室に大好きな彼氏と急に縁が切れちゃって会えなくなったと……泣きながら相談してきたのよ。――それでよく調べたら、去年の暮の大掃除の時に、君たちの“ 赤い糸 ”を間違って切っちゃってたのよぉー』

『赤い糸って……?』

『それで“ 赤い糸 ”また繋いどいたから。――ちゃんと繋がっているか、携帯でテストしたのよ』

『携帯で分かるの?』

『君たち急に連絡とかできなくなったでしょう? それは“ 赤い糸 ”を切られた証拠なの』

 すぐ切るつもりが〔縁結び公社〕と名乗る変なおばさんの説明をきいてしまった。きっと静香の名前をきいたせいだ。……と、そうこうしてる内にまた腹が痛くなってきた。

『あ、もう切るから……』

『お腹が痛いんだろう? 昨夜、居酒屋で食べた餃子によく火が通ってなかったんだよ』

『――なんで、そんなこと知ってるの?』

『この〔縁結び公社〕は神様の出先機関でさききかんだよ。何でもお見通しさ』

 自慢気なおばさんの声が耳に響く。

『神様の出先機関……なにそれ?』

『さあ、早くトイレにいっといれ。もうすぐがくるよ』

『待ち人って?』

『あんたにとってだ』

 そう告げてプツン切れた。〔縁結び公社〕って、いったいなんなんだ?


 僕がトイレから出てくると、洗面台に正露丸の瓶が置いてあった。こんなものを買った覚えはないと首を捻っていると、玄関のインターフォンが鳴った。

 カメラには恥かしいそうにうつむいた静香の顔が映っている。

 僕の心臓は激しく高鳴った、ゆっくりとドアを開けて。――僕の部屋に福の神カノジョを招き入れた。

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