第72話 灰色の訪問者

 その男は残暑が厳しい昼下がり、灰色のフード付きマントを羽織はおっていた。顔はよく見えないが、独り言を呟きながら道をとぼとぼ歩いている。

「まったく最近は医学の進歩のせいで人が死ななくなった。交通事故で身体がバラバラになった奴がまだ死なずに生きてやがる。……ったく、こちとら商売あがったりだ」

 灰色の男はそんな不謹慎ふきんしんなことを堂々と喋っているのだ。でも誰にも見咎みとがめられない、なぜなら元気な者には、彼の姿が見えないからだ――。

「おや? ビルの上から誰かが飛び降りようとしてるぞ」

 急いで現場に向かったが、そこは灰色の同業者がうじゃうじゃ下で待っていた。

「早く飛び降りろー!」

「心配すんな、おまえの魂は俺たちが受け止めてやる」

 なかなか決心がつかない自殺志願者に、灰色の男たちがハッパをかけている。

「ああー、こんなに同業者がいたんじゃ無理だなあ……」

 諦めて灰色の男はまた歩き出す。

 

 陰気臭い病院の前で立ち止まる。

「たしか、ここの外科医はオペが下手糞なので有名だった。ここなら魂回収し放題、覗いてみるか」

 だが、病院の中には灰色の同業者たちがタムロしていた。

「やっぱり穴場にみんな詰めてるんだ。……ここも無理だわ」

 病院から出て、再び道を歩き出す。

「いっそ戦争でも始まらないかなあー、そしたらわんさか人が死ぬのに……」

 トンデモナイことを言い出す、この男はいったい何者なのか?


 ある一軒の古い家の前に立つと、男はくんくんと鼻を鳴らして嗅ぎまわる。「うん」と頷くと、やおらドア開けて「お邪魔しまーす」と入っていった。

 奥の茶の間ではおじいさんが一升瓶を片手に茶碗酒を煽っていた。

「待ちかねたぞ、武蔵」

 灰色の男を見ると、巌流島がんりゅうじま小次郎こじろうみたいな古臭い台詞せりふを吐いた。

「いや~、どーもどーも。お待たせしました」

「もうとっくに覚悟はできてらい。さっさとやっちまってくれい」

「承知しました。お客様にサービスについてご説明します」

 そう言うと、灰色のマントの中から黒いノートを取り出した。

「えーと、お客様は大熊寅蔵おおくま とらぞう様、八十二歳で間違いないでしょうか?」

「いかにもあっしは寅蔵でぃ!」

 時代劇のスイッチが入ってしまった、おじいさん。

「昨年の暮れには、こちらの奥様にもご利用いただきまして、今回はご贔屓ひいき様特典としてサービスがございます」

「そうかい。どんなサービス?」

「え……っと、怖くない死顔とか、発見者が怖がらないよう幸せそうなお顔で死んでいただきます」

「ほぉー、わしは一人暮らしじゃが、誰が発見してくれるんだ?」

「シナリオによると、一週間後に長男のお嫁さんが様子を見にきて遺体を発見します。ですが、この暑さなので腐敗が進んで異臭の方はいかんとも……」

「親戚中の嫌われ者、こんなわしの様子を見に来てくれるとは有難いことじゃー」

「生まれ変わっても、もう一度あなた……というサービスがあります」

「なんじゃ、そりゃあ?」

「来世に生まれ変わって、もう一度夫婦になりたい相手を選べます」

「おお―――! 素晴らしい!」

 いきなりおじいさんのテンションが上がる。

「わしは、うちのばあさんともう一度夫婦になりたい! 来世でも夫婦にしてくだせい!」

 最後の言葉は、お代官様に陳情するお百姓さんのようだ。


「まあ聞いてくれ。わしとばあさんは駆け落ちで一緒になったんじゃ。そん時、来世でも夫婦になろうと二人で誓い合った。だが見ての通りわしは飲んだくれ、貧乏もさせたし、浮気もいっぱいした……先に死んだばあさんには苦労の掛けっ放しだった。……来世では良い亭主になって、ばあさんを幸せにしてやりたいんじゃよ」

 大粒の涙を流しながらおじいさんがいう。灰色の男は「あーはい、はい」と適当な相槌あいづちを打う。こういう愁嘆場しゅうたんばには慣れっこになっているのだ。

「ばあさんに死なれて……わしは悲しゅうて、寂しゅうて……一日でも早くお迎えがきて欲しいと願っておった。やっとあんたがきてくれた、ありがとうよ」

「じゃあ、そろそろ逝きますか」

 その言葉におじいさんは正座して合掌する。

「ちょっとチクッとしますが、すぐ終ります」

 マントから携帯式大ガマを取り出して、「えいっ、やっ!」とおじいさんの首をねると、身体から抜け出した魂を硝子瓶の中に入れた。


「困ったなあー、おじいさんには来世サービスを付けるといったけど……おばあさんは、あなたではなく、来世では初恋の人竜吉たつきちさんと結ばれたいと希望しています。裏切られて気の毒だけど、こっちの契約の方が先ですから……」

 独り言を呟きながら、パラパラと黒いノートを捲っている。

「あっ、これにしとくか。おじいさんには、過去の浮気相手と来世で夫婦になって貰いましょう」

 ノートに何か書き込んでから、満足そうに笑みを浮かべ灰色の男は消えていった――。

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