第65話 ルイーズの悲劇

 ルイーズはフランス一いや、世界一幸せな花嫁だった。

 彼女は貧しい靴屋の娘に生まれたが、艶やかな金髪と青い宝石の瞳と石膏のような白い肌をもつ美しい娘だった。十五歳の時に領地を治める貴族が小間使こまづかいを募集していた。条件は容姿が美しいこと――。

 可愛いペットを連れて歩きたがるように、貴族の奥方はきれいな小間使いを側に置きたがる。そしてルイーズは貴族の奥方に雇われることになった。オルレアン伯爵家で働くルイーズに大きな転機が訪れたのは十六歳の時だった。伯爵夫人の弟シャロン伯爵がオルレアン家にしばらく逗留することになった。身の周りを世話をすることになったルイーズはシャロン伯爵にすっかり気に入られて、シャロン家に雇われることになった。

 その後、二人は親密な関係になった。貴族の愛人というだけで裕福は暮らしが望めたが、伯爵は昨年妻を亡くしていたので、ぜひともルイーズを妻にしたいと希望した。反対はあったが伯爵の強い意思で、ルイーズはいったん子爵家の養女となり貴族の称号を得て、シャロン伯爵家の嫁に迎えられた。


 平民の娘が貴族の奥方になるなんて夢のような話なのだが、その夢を叶えたルイーズは数少ない幸運な娘である。ついにルイーズはシャロン伯爵夫人となった。

 ここまでは順風満帆じゅんぷうまんぱんな彼女の人生だったが、1789年7月14日のバスティーユ襲撃からフランス全土に騒乱が発生、市民らによる国民議会が発足すると、革命によって絶対王政と封建制度は崩壊したのだ。

 ルイーズと伯爵はオーストリアに逃亡しようとして国境近くで捕まった。

 そのまま夫婦は引き裂かれて、それぞれ牢獄に入れられた。民衆の貴族への憎しみは根深く惨忍なものだった。


 牢獄の中でルイーズは夫であるシャロン伯爵が処刑されたことを看守から聞かされた。短い結婚生活だったがルイーズにとって幸せな日々だった。

 夫は決して傲慢な貴族ではない、厳しい税の取り立てはしなかったし、領地に橋を架けたり、医師を住まわせ領民の健康にも気遣っていた。慈悲深い領主様だと領民からも慕われていたのに、罪人として処刑されるなんて……。

 この革命にもはや正義などないのだとルイーズは思った。

 貴族だというだけで見境なく断頭台へ送られ、血に飢えた民衆たちへの生贄にされる。今はギロチンの順番を待っているだけ、いずれ夫の後を追って自分も殺される。この悲惨な運命を受け入れようとルイーズは毎日々神に祈っていた。

 そんな中、ルイーズの身体に異変が起きた。ずっと月のものがこない、牢獄に入れられた心労と恐怖で体調不良になったと思っていたが、悪阻つわりが始まった。夫を亡くして妊娠を知ったのである。

 自分が死んだらお腹の子も死んでしまう。この子には何の罪もないのはに可哀相だ。どうしても赤ん坊を産みたい、ルイーズは死にたくなかった!

 だが、運命は無慈悲にも彼女を断頭台へと引っ立ていった。


 その日、パリの空は鉛のように鈍く重く、肌を刺すように冷たい北風が吹いていた。

 革命から半年が経ち断頭台での貴族の処刑は民衆にとってショーと化していた。今日は誰の首がねられるのかと、そんな話題で盛り上がっていた。

 アンドレはいつも刑場の一番前で貴族たちがギロチンにかけられるのを見ていた。そしてその死に様を日記に綴るのが彼の日課である。

 アンドレは貴族を心底憎んでいた、父親は貴族に仕える従者だったが、いつも酷い仕打ちを受けていた。母親は貴族にレイプされて自殺した。だから革命が起こって、今まで自分たちを痛めつけてきた貴族たちが処刑されるのが痛快だった。今日もギロチンにかけられる貴族を見てやろうと一番前に居たのだ。

 断頭台へ若い女が引っ立てられてきた。金髪で青い瞳の美しい娘、名前はルイーズ・シャロン伯爵夫人、まだ十七歳である。


「お腹に赤ちゃんがいるの。お願い殺さないで! 赤ちゃんまで殺さないで!」


 彼女は泣き叫んで民衆に慈悲を乞うていた。

 子どものいる母親たちはさすがに同情した。「まだ、若いのに可哀相に……」「ルイーズは靴屋の娘だった子よ。貴族でもないのに処刑なんて惨いわ」とても見るに堪えないと目をそむける者もいた。

 それでも処刑人は彼女の体を押さえつけ、ギロチン台に首をえた。鋭利な刃が落下して鮮血が飛び散りルイーズの首が籠の中に落ちた。小さな命も共に消えた――。

 最後までルイーズは「殺さないで!」と叫び続けていたのだ。


 アンドレは考えた。どれほどの罪があって、彼女は死をもって償わなければいけないのか? 靴屋の娘で先祖代々甘い汁を吸ってきた貴族ではない。貴族の男に気に入られて嫁になっただけではないか。貴族と結婚さえしなければ、こんな無残な死に方をしないで済んだと思うと憐れである。――どう考えても理不尽な処刑だとアンドレには思えてならない。

 そして、ルイーズという可哀相な娘のことをアンドレは日記に綴った。


 これはという名の大量殺戮ではないかと、民衆も冷静さを取り戻し始めていた。――その後、フランスではギロチンによる処刑は無くなったという。

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