第63話 妻色嫌避(さいしょくけんひ)

 僕たち夫婦は結婚して三年になる。

 妻は美人でスタイルも良い、きれい好きで毎日掃除を丁寧ていねいにするので家の中にちりひとつ落ちていない、料理も得意でいつも美味しい料理を作ってくれる。

 まったく文句のつけようのない理想の妻なのだが、ただひとつ色彩の趣味だけが合わない。


 我が家は新築一戸建て住宅だが、家のインテリアはすべて妻の趣味で統一されている。

 白を基調としたドアや家具などに、淡いパステル調のピンクのレースカーテンとソファー、ラグも乙女チックなピンクの色彩である。

 家の中を見渡せば、寝具、電化製品、食器、雑貨、タオルやトイレットペーパーまで、とにかく家中にある生活用品すべてがピンク色なのだ。

 庭の花壇に咲いているバラやチューリップ、紫陽花もすべてピンクの花、家の外壁の色もピンクだし、駐車場にある妻の自動車のボディーはもちろんピンクなのである。その徹底ぶりは他に類をみないほどの完璧さだった――。

 以前、インテリア雑誌で『乙女チックなピンクのお部屋』として、我が家が紹介されたことがあったが、到底、既婚者の家とは思えない生活感のなさ、近所でも『ピンクのお宅』として有名なのだ。


 まったく妻のピンク好きは偏執症パラノイアかと思うほど徹底している。

 ピンク、ピンク、ピンク、どこを見てもピンクだらけの室内では落ち着かない。仕事から帰っても疲れが取れないし、全然くつろげない。まるで他人の家に居るみたいだ。

 二十五年の家のローンを返済するために働いているのはこの僕なのに……いつまで経っても、このピンクまみれの部屋に馴染めず、夢みる乙女のみたいな、この家に僕の居場所なんてない!

 その上、僕にまで自分の色彩の好みを強要しようとする。

 今年の誕生日に妻からネクタイをプレゼントされたが、派手なピンク色のネクタイだった。しかもそのネクタイを締めて会社に行けというのだ。

 絶対に無理だ! 目立ったら同僚たちに何を言われるか分からないし、芸人でもない普通のサラリーマンがピンク色のネクタイを締めて会社にいかないと、いくら説明しても妻は納得せず、不機嫌な態度で、「プレゼントまでケチをつけるなんて、愛情が足りない」と僕をなじるのだ。

 ちなみに僕が穿いているトランクスは妻が買ったピンク色だ。人前では恥かしくてパンツ一丁になれない。自分の嗜好を人に押し付けてくる妻の性格にうんざりして、僕の愛情も段々と冷めていく――。


 妻いわく、明るいピンクは人を癒し幸福に導くラッキーカラーらしい。

 一方、暗い色彩は人をネガティブにして不幸を招き寄せるというのだ。それは風水とは違った独特の色彩に対する信念で、とくに黒や紺やこげ茶のような濃い色を嫌悪していた。

 家の中に暗い色があると排除しようと躍起やっきになる。だから僕の黒いパソコンやOA機器には、いつの間にかピンク色のカバーを掛けられて、外から見えないようにされてしまった。

 これではいざ使う時に不便なので、外から色が見えなくするために、三畳ほどのウォークインクローゼットを自分用の書斎として使っている。

 広い家の中でここだけが自由にできる空間なのだから仕方ないか。……と思っていたら、僕がいない間に小さな書斎に妻が入ってきて、ピンクのマウスパットやピンクのクッション、ピンクの花瓶にピンクの花を飾っていくのだ――。ああ、ここも妻のピンク病に汚染されつつある。

 もうこれ以上ピンクは御免だ。ウォークインクローゼットに鍵を付けた。


 朝食の時、僕はコーヒーをテーブルこぼしてしまった。

 ケチャップを取ろうと手を伸ばしたら肘が当たってカップが倒れた、妻のお気に入りのピンクのテーブルクロスの上にコーヒーの染みが広がっていく。それを見た妻は大声で僕を怒鳴った。

 そのテーブルクロスは草木染め職人に注文して染めてもらった、この世に一枚しかないオリジナルピンクの布だというのだ。そんなこと知るかっ! テーブルクロス一枚で、ヒステリーを起こして夫に罵声ばせいを浴びせる妻に、ついに僕の堪忍袋かんにんぶくろの緒が切れた。

 激しい言い争いになり、逆上した妻からビンタをらった。

 憤怒した僕はテーブルをひっくり返して、妻が吟味して買ったピンクのティーカップやポットを粉々に割ってやった。赤いトマトケチャップをピンクのラグにぶちまけて、ピンクのカーテンを引き裂いた。棚の上に並んだピンクの小物類を床に叩き落として足で踏み潰す。

 僕は家の中のピンクを次々と破壊していった――。

 そんな僕の行動を妻は必死で阻止しようとするが、「うるさい!」と突き飛ばしたら、恐怖で頬を引き攣らせて、悲鳴を上げながら、ピンクの乗用車でこの家から飛び出していった。


 数ヶ月後、僕ら夫婦は性格の不一致よりも深刻な、『色彩の不一致』を理由に協議離婚をする破目になった。

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